大阪地方裁判所 平成9年(ワ)4136号 判決 1999年2月15日
主文
一 被告は、原告に対し、金一〇〇万円を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
理由
【事実及び理由】
第一 請求
被告は、原告に対し、文書による正式な謝罪(大阪高等裁判所第九民事部平成七年二月一〇日判決言渡し平成三年(ネ)第二八七七号事件)をし、金一〇〇〇万円の賠償を支払え。
第二 事案の概要
本件は、弁護士である被告に対して訴訟追行を委任した原告が、被告には委任の趣旨に反して、適法な上告手続をせず、職務内容を原告に十分に報告せず、和解において原告を誤って指導するなどの職務懈怠行為があったとして、債務不履行による損害賠償を請求するとともに、文書による謝罪を請求している事案である。
一 争いのない事実及び証拠上容易に認定できる事実(後者は各項末尾掲記の各証拠により認定)
1 原告を相手方として建物収去土地明渡しを求めて提訴された事件等(昭和五九年(ワ)第一一四二号所有権確認等請求事件・昭和六三年(ワ)第二〇三一号建物収去土地明渡請求事件)につき、平成三年一一月二八日、大阪地方裁判所で原告敗訴の判決の言渡しがなされ、原告は、控訴をするために弁護士を探していたところ、被告を紹介され、同年一二月一六日、弁護士である被告に対し、右事件の追行を着手金一五〇万円で委任した(以下「本件委任契約」という。)。
2 右事件の控訴審(平成三年(ネ)第二八七七号事件等)での審理は、和解の方向に話が進んで行ったが、話し合いが難航して長期化の兆しが出てきた。原告は、当初は何度も弁護士事務所に足を運んでいた。
3 原告は、右収去を求められていた大阪市天王寺区《番地略》所在家屋番号《略》木造瓦葺二階建店舗兼居宅(床面積一階二七・四五平方メートル、二階一六・三四平方メートル。以下「本件建物」という。)では、従前中華料理店を営業していたが、平成六年七月に本件建物を離れて、原告肩書地(東住吉区)の住所に移転して店舗を構えた。被告は、原告が移転することについて事前の具体的な相談を受けず、原告が移転したことを知ったのは移転後であったが、原告からの依頼によって、原告の新住所地に来訪した。
4 平成七年二月一〇日大阪高等裁判所において、平成三年(ネ)第二八七七号事件等につき、原告らの控訴を棄却する旨の判決が言い渡された。原告と被告間で、上告申立ては被告の費用(印紙・郵券)で申し立てる旨の合意ができ、被告が上告申立てをしたが、右上告は却下された。
5 平成七年五月八日上告が却下されたのは、上告理由書の提出がなかったためのようである《証拠略》。
二 争点
被告に、適法な上告手続をせず、職務内容を原告に十分に報告せず、和解において原告を誤って指導した職務懈怠行為があったか。
三 原告の主張
1 平成七年二月一〇日の高裁判決後、原告が言渡しがあったことを知らされたのは、同月末ころで上告期間経過の二日前であり、翌日被告が来訪し、上告期間が迫っているので委任状に押印するように言うので、やむなく捺印した。報告の遅れを指摘すると、自分の不始末であるから、上告費用は被告自身が支払うという約束であった。被告は、判決文を持参してなく、早急に郵送するように依頼したが、送付されたのは同年六月二〇日であった。被告は、原告から上告することを受任しながら、職務怠慢により、事件は終局に至った。
2 原告は、被告に委任後、当初は何度も弁護士事務所に足を運んでいたが、その内被告からの呼出しも少なくなり、電話で済ますように変わっていったところ、取次が悪く被告への電話連絡が取れにくくなってきていたため、平成五年三月ころ何度か職務報告を電話でなく書面でするように依頼したが、一度も報告書はもらえなかった。もっとも、被告からは、書面ではないが、原告が電話を入れた際の遅ればせながらの連絡はあった。被告は、平成五年六月一五日事務所を移転したが、原告には報告がなかった(原告が知ったのは平成七年六月二〇日)。
3 被告は、平成五年一一月末正午ころ、和解が成立するので当時原告が商売をしていた本件建物を平成六年夏ころまでに離れて、新しい生活場所を捜すようにと命じ指導した。その後、何度か被告事務所に電話して、被告から原告に連絡を入れてくれるように事務員に頼んでいたが、被告と連絡が取れなかった。やむをえず、新しい出発を考えて、新住所に移転したが、同年八月ころやっと連絡がとれ、その後一か月して原告の依頼で被告は原告の新住所に来訪した。和解の話は流れたということであった。移転によって、原告は転居費等の諸経費、親から譲り受けた営業権喪失等の精神的・金銭的な損害を被ったので、文書による謝罪と損害賠償を請求する。
四 被告の主張
1 原告は、和解の成立が困難になった旨を報告したころは、身勝手な責任転嫁を繰り返すばかりで、話を聞こうともしないことから、被告はやむを得ず、上告申立ては被告の費用で取り合えず申し立て、その後の手続は、原告において行うようにと申し入れ、原告もこれを了解し、もの別れとなった。
2 被告は、原告の新住所にも出向き和解の経過が思わしくないこと等を説明しているし、控訴審が終結、判決に至ったことも報告している。
3 被告は受任した当初より、記録の検討と原告からの事情聴取の結果、原告勝訴の可能性は全くなく、和解解決しか原告に利益はないことが判り、このことは原告も自認し、他の相控訴人代理人らも同様の方針であった。最終的には本件建物で店舗を維持できない、原告の営業は他地に移転を予定せざるをえなくなること等は何度も説明し忠告していた。移転のための資金、候補地等につき事前検討、準備等が必要であると何度か説明し忠告した。しかし、被告は原告に移転を指示したことはない。原告は、和解成立による解決金を自身の判断で勝手に当て込んで店舗を移転したものの、その見込みがはずれて、その責任を転嫁しているだけである。
第三 争点に対する判断
一 前提事実
1 争いのない事実、《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件委任契約後、控訴審での審理は、和解の方向に話が進んで行ったが、話し合いが難航して長期化の兆しが出てきた。原告は、当初は何度も被告の弁護士事務所に足を運んでいたが、その内被告からの呼出しも少なくなり、電話で用件を済ますように変わっていったところ、事務所の連絡取次が悪く被告への電話連絡が取れにくくなってきていたため、平成五年三月ころ原告は何度か職務報告を電話でなく書面でするように被告に依頼したが、一度も報告書はもらえなかった。もっとも、被告からは、書面ではないが、原告が事務所に電話を入れた際に遅ればせながらの連絡はなされていた。
(二) 被告は受任した当初より、事件記録の検討と原告からの事情聴取の結果、控訴審においても原告勝訴の可能性は全くなく、和解による解決しか原告に利益はないものと判断し、このことは原告も自認しており、他の相控訴人代理人らも同様の方針であった。被告は原告に対し、最終的には本件建物で店舗を維持できず、原告の営業は他地に移転を予定せざるをえなくなることや、移転のための資金、候補地等につき事前の検討、準備等が必要であると何度か説明し忠告していた。
原告からは、係争地の一部を和解解決金に原告が不足金を足して取得する形で和解解決を図って欲しいとの要請が出された。これに対し、被控訴人代理人からは、係争地の売買を控訴人ら側で斡旋するなら、売却金の四〇パーセントを被控訴人ら側に提供するとの提案がなされた(一括売却を条件とする。)。被告は原告に対し、右提案を説明する際に、係争地の一部取得は基本的には困難であるが、例外として係争地の一部買取りを希望する買主が見つかり、その残地を原告が取得する一括処理が可能となる場合でしか原告の要望を満たすことはできないと説明した。これに対する原告の要望は、第一に何とか係争地の一部取得を希望し、第二に解決金が四〇パーセントであることには納得できないということであったが、被告は、原告の要望が実現する可能性は極めて薄く、今後は控訴人ら側で買主発見に全力を傾倒する必要があり、被告も努力すると説明した。
(三) 被告は、平成五年一一月末の正午ころ、原告が中華料理店を営業していた本件建物に電話を架け、原告に対して、和解について買主が見つかりそうだとの見通しを述べ、更に前項記載のように、一般論として店舗移転の資金、候補地等につき事前の準備等が必要であり、おおよその移転の見込まれる時期にも言及したが、原告が来客が多く忙しい時間帯であったため、二、三分程度の極めて短時間の話しかできなかった。原告は、多忙で被告の話が聞きとりにくかったが、それまでの被告との打ち合わせにより近い将来店舗を移転しなければならないと覚悟していたため、被告の電話の内容を、いよいよ和解が最終的に成立するので本件建物を平成六年夏ころまでを期限として離れるように確定的に命じられ指導されたものと思い込んでしまった。その後、原告は、被告に更に詳細な内容を確認するため、何度か被告事務所に電話して、被告から原告に連絡を入れてくれるように事務員に頼んでいたが、被告と連絡が取れなかった。原告はやむをえず、新しい出発を考えて、平成六年七月に新住所に移転して店舗を構えたが、同年八月末ころやっと被告と連絡がとれ、その後一か月して原告の依頼で被告は原告の新住所に来訪した。被告によれば、前記和解の話は流れたということであった。
(四) 平成七年二月一〇日の高裁判決言渡し後、原告が右言渡しがあったことを知らされたのは、同月末ころで上告期間経過の二日前であり、翌日被告が来訪し、上告期間が迫っているので委任状に押印するように言うので、やむなく捺印した。原告が報告の遅れを指摘すると、被告は自分の不始末であるから、上告費用は被告自身が支払うという約束をした。被告は、判決文を持参していなかったので、早急に郵送するように依頼したが、送付されたのは同年六月二〇日になってからであった。そのときに初めて原告は、被告が事務所を移転していた(実際は平成五年六月一五日)ことに気付き、不安になって、大阪弁護士会の紛議調停の申立てを行い、担当弁護士から勧められて大阪高裁で記録を閲覧すると、平成七年五月八日上告が却下されており、却下理由は上告理由書の提出がなかったためのようであった。上告した相控訴人らはすべて上告棄却判決を受け判決は確定していて、現在相控訴人らの建物の内半数ほどは既に撤去されている。
2 なお、原告は、被告が、和解が成立するので本件建物を平成六年夏ころまでに離れるようにと命じ指導したと主張するが、前記1(二)の経緯に照らすと、被告が原告に確定期限を付して確定的に明渡しを命じ指導したと断定することには若干躊躇を覚えるところであって、そこまでの事実は認めがたいものの、《証拠略》によれば、原告が被告から確定期限を付して移転を確定的に命じられ指導されたと思いこんでいたということは優に認められるから、右1(三)の限度で認定することができる。
二 争点(被告に、適法な上告手続をせず、職務内容を原告に十分に報告せず、和解において原告を誤って指導した職務懈怠行為があったか。)について
1 前記一認定の事実によれば、被告は、原告から上告審追行についての委任を受けながら、上告理由書の提出を失念したため、上告却下決定を受けたことが認められる。
被告の右行為は、弁護士としてなすべき本件委任契約上の義務についての債務不履行に当たることは明らかであるところ、仮に被告が適正に上告手続を取っていたとしても、原告が上告審で勝訴することができたものとは認められない(原告も、被告の債務不履行と上告審での敗訴判決との間に因果関係があるとは主張しない。)が、被告は、原告が上告審において適正な裁判を受けることができる機会を喪失させたものであって、このことによって原告が被った精神的損害を賠償する債務不履行責任がある。
2 また、前記一認定の事実によれば、被告が原告に対し、和解が成立するからと確定期限を付して本件建物の明渡しを故意に確定的に命じ指導したとまでは認めがたいが、被告は、原告が中華料理店に来客が多く忙しい時間帯に原告の店舗に架電し、二、三分程度の極めて短い話の中で、それに近い内容の、そのように極めて誤解されやすい内容の話を申し述べて、原告にそのような確定期限を付した明渡しの命令・指導を受けたと誤信させただけでなく、その後、依頼者である原告が更に詳細な内容を確認するべく何度も被告と連絡をとろうと努力したにもかかわらず、約九か月の間被告と連絡が取れない状態のままに放置していたものであって、原告はこれによって右のような確定的な命令・指導を受けたと誤信した結果、平成六年七月に本件建物を離れそこでの営業を廃して、原告肩書地の新住所に移転し店舗を構えるに至ったことが認められる。
本件委任契約により弁護士として事件処理を受任した被告は、依頼者である原告から請求があった場合はもとより請求がない場合でも、時宜に応じて事件の進行状況、委任事務処理の状況を正確に誤解のないように報告して原告に理解させ、爾後の事件処理方針について原告と十分に打ち合せるなどして、事件処理について依頼者である原告の意向が遺漏なく反映されるように努めるべき注意義務を負っているところ、被告の右行為は、本件委任契約上の右債務を誠実に履行して、委任者に損害を被らせないようにすべき善管注意義務に違反しているものといわなければならない。
したがって、被告には被告の債務不履行行為によって原告が被った損害を賠償する債務不履行責任があるが、原告は、いずれにせよ遅かれ早かれ本件建物を収去して土地を明け渡さなければならない法律上の義務がある上、近年の不況の影響も考慮すると、平成六年七月の移転後に店舗の売上が、移転によってそれ以前に比較して格段の減少を来しているとも認めがたく、転居費等の諸経費は早晩原告が負担しなければならないものであるから、原告に財産的損害が発生したとは明らかに認めがたい。しかしながら、原告が被告の債務不履行行為によって、精神的損害を被ったことは容易に認められるので、被告は原告が被った精神的損害を賠償する責任がある。
3 本件委任契約の態様、被告の債務不履行行為に至る経緯、債務不履行の態様、右の結果原告が被った損害、原告の対応関係、その他本件に顕れた諸般の事情を勘案すると、前記1、2の被告の債務不履行行為によって原告が被った精神的損害を慰謝するには、一〇〇万円をもってするのが相当である。なお、原告は、その他に文書による正式な謝罪を請求するが、本件は名誉毀損を理由とする損害賠償請求事件ではないので、右請求は失当である。
三 結論
以上によれば、原告の本訴請求は、債務不履行による損害賠償として金一〇〇万円の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない。
(裁判官 坂本倫城)