大阪地方裁判所 平成9年(ワ)5238号 判決 1999年10月21日
原告
野中洋子
被告
不破真紀
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金八〇一九万七五一七円及びこれに対する平成四年六月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告保有・運転の普通乗用自動車と原告運転の普通貨物自動車との衝突事故に関し、原告が被告に対し、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条及び民法七〇九条に基づき損害賠償を請求した事案である。
一 争いのない事実等(証拠によって認定する場合には証拠を示す。)
(一) 交通事故(以下「本件事故」という。)の発生
<1> 発生日時 平成四年六月三日午前八時一〇分ころ
<2> 発生場所 京都府八幡市戸津東代二五―五先路上(以下「本件事故現場」という。)
<3> 当事者 普通乗用自動車(京都五三ぬ九九一九、以下「被告車」という。)を運転中の被告
<4> 当事者 普通貨物自動車(大阪四〇め六四五〇、以下「原告車」という。)を運転中の原告(昭和一八年一月一日生)
<5> 事故態様 本件事故現場の交差点(以下「本件交差点」という。)を直進中の原告車の右前部と、本件交差点を右折中の被告車の左前部が衝突した。
(二) 被告は、本件事故当時、被告車を自己のため運行の用に供していた運行供用者であり、自賠法三条により、原告が本件事故により被った損害を賠償すべき義務がある。
(三) 原告の入通院状況
<1> 平成四年六月三日、医療法人社団医聖会八幡中央病院(以下「八幡中央病院」という。)入院(甲二の一・二)
<2> 平成四年六日三日から同年七月一一日まで(三九日間)医療法人八仁会久御山南病院(以下「南病院」という。)入院(甲三の一・二)
<3> 平成四年六月四日から同年九月二日まで(通院実日数三日)八幡中央病院通院(甲二の一・二)
<4> 平成四年七月一二日から同年一二月二日まで(通院実日数七三日)南病院通院(甲三の一・二)
<5> 平成四年九月一四日から同年一一月二六日まで(通院実日数六日)荻野整形外科通院(甲四の一・二)
<6> 平成四年一一月二八日から平成六年六月二日まで(通院実日数二七四日)中村病院通院(甲五の一・二)
<7> 平成六年六月三日から同月二七日まで(二五日間)中村病院入院(甲一九の二)
<8> 平成六年六月二七日から同年九月一二日まで(七八日間)星ケ丘厚生年金病院入院(甲六の一・二、二〇の四)
<9> 平成六年九月一二日から同年一一月一四日まで(六四日間)高井病院入院(甲七の一・二)
<10> 平成六年一一月一四日から平成七年五月一五日まで(一八三日間)医療法人恒昭会藍野病院(以下「藍野病院」という。)入院(甲八の一・二、二一)
<11> 平成七年五月二三日、高井病院通院(甲九)
(四) 労災認定(甲二九)
<1> 京都南労働基準監督署長は、平成九年九月三一日、原告の後遺障害につき、頸部及び腰部にそれぞれ「局部に頑固な神経症状を残すもの」として、労働者災害補償保険法施行規則別表第一障害等級表(以下「労災等級表」という。)第一二級の一二に該当する後遺障害が残存していると判断し、併合一一級と認定し、同等級に応じる障害給付を支給する旨の処分をした。
<2> 原告は、上記処分を不服として京都労働災害保障保険審査官に対し、審査請求をしたところ、京都労働災害保障保険審査官岡本弘次は、平成一〇年三月三一日、原告の後遺障害につき、左膝の関節機能障害は労災等級表第一〇級の一〇(一下肢の三大関節中の一関節の機能に著しい障害を残すもの)に、頸部と腰部の神経症状は労災等級表の第一二級の一二(局部に頑固な神経症状を残すもの)にそれぞれ該当し、併合九級に該当すると判断して、京都南労働基準監督署長の上記処分を取り消した。
(五) 損害のてん補 合計九五七万八二九五円
<1> 被告の任意保険会社から 七〇万〇〇〇〇円
<2> 自賠責保険から 二四万〇〇〇〇円
<3> 休業補償給付 四六二万七八〇八円
<4> 障害補償一時金 四〇一万〇四八七円
二 争点
(一) 本件事故態様(被告の過失・免責・過失相殺)
<1> 被告の主張
被告は、本件交差点の対面信号青色に従って本件交差点に進入し、本件交差点の中央付近に先頭で停止した。そして、対面信号が赤色に変わったのを確認して右折進行したところ、赤信号を無視して直進してきた原告車と衝突した。本件事故は、原告の赤信号無視の過失によって発生したものであるから、被告に過失はない。また、被告車には構造上の欠陥はなかったのであるから、免責される。
仮に、原告の一方的過失とはいえないとしても、赤信号を無視した原告の過失の方がはるかに大きいのであって、大幅な過失相殺がなされるべきである。
<2> 原告の主張
原告は、本件交差点の対面信号青色に従って直進していたところ、本件交差点の中央付近に、右折レーンの先頭から二番目に停車していた被告車が、突然右折を開始したため原告車と被告車が衝突した。したがって、原告の過失割合は二割が相当である。
(二) 原告の後遺障害
<1> 原告の主張
(ア) 原告は、本件事故による後遺障害として、前記のとおり労災保険において、それぞれ労災等級表一〇級の一〇(膝関節の著しい機能障害)、同一二級の一二(頸部痛)及び同一二級の一二(腰部痛)に該当し、併合九級と判断されている。
(イ) また、原告は、本件事故により、四肢麻痺の後遺障害を残したが、原告の四肢麻痺は、本件事故による中心性脊髄損傷によるものである。すなわち、中心性脊髄損傷は、急激な過伸展によって生ずるものであるが、本件事故は中心性脊髄損傷の発生機序としては十分である上、原告には、第四、第五頸椎間と第五、第六頸椎間の椎間板の膨隆による脊柱管狭窄症があり、中心性脊髄損傷が起こりやすい状態であった。そして、本件事故によって脊柱管の狭まった部分に微少な損傷(中心性脊髄損傷)が発生し、それが年月の経過とともに当該部分の脊髄の偏平化をもたらした。したがって、原告の四肢麻痺は、本件事故と因果関係がある
仮に、原告の四肢麻痺が、中心性脊髄損傷で説明しきれないとしても、それは、心因反応が加味されているからである。原告の症状は、平成六年六月三日に突如悪化し、四肢麻痺に至ったが、同日は本件事故のちょうど二年後であり、いわゆる記念日症候(命日反応)を併発しているものと思われる。すなわち、原告には、急に本件事故に遭遇したこと、事故態様につき、被告が虚偽の主張をし、入院中にも見舞いにも来ないこと、被告からの謝罪もないこと、退院後の通院治療においても息子に負担をかけ、負い目があったこと等の「抑圧され蓄積された葛藤」があったほか、「命日的な急性増悪を起こしやすくする固着」があり、それが、事故のちょうど二年後である平成六年六月三日に心理的反応を超えて四肢麻痺に至る症状の急性増悪という肉体的反応まで引き起こしたのである。したがって、原告の四肢麻痺は本件事故と因果関係がある。
<2> 被告の主張
(ア) 左膝関節には、本来可動域制限は存しなかった。その後、仮に可動域制限が生じたとしても、それは本件事故とは無関係の脊髄神経、筋肉系統の重篤な疾患が原告に発症したからであり、本件事故とは因果関係がない。
また、頸部の神経症状は、本件事故と別原因による症状の悪化がなければ、そのまま症状は消滅していったはずであり、仮に後遺障害が残ったとしても、その程度は自賠法施行令第二条別表の後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)の一四級一〇号に該当するかどうかの程度に過ぎない。
さらに、腰部の神経症状については、診療録上も記載は少なく、治療も特段行われていない。したがって、腰部の神経症状については、いずれ消滅していったはずであり、後遺障害には該当しないというべきである。
(イ) 原告の四肢麻痺と本件事故との間に因果関係はない。すなわち、中心性脊髄損傷は星ケ丘厚生年金病院では否定されているし、仮にそうであるとしても、原告は、平成六年六月三日に自宅玄関前で転倒し、その後急激に症状が悪化しているのであるから、中心性脊髄損傷は上記転倒により発生したのであり、本件事故とは因果関係がない。
また、原告の主張する記念日症候群なるものは、一つの学説、仮説の類に過ぎないし、記念日症候群は通常の体験を凌駕するような心的外傷体験にさらされることが要件となるところ、原告の主張するところは、到底通常の体験を凌駕したものとはいえないから、原告の四肢麻痺と本件事故とは因果関係がない。
(三) 原告の損害(原告の主張)
<1> 入院雑費 四四万八五〇〇円
入院雑費としては一日一三〇〇円が相当である。
(計算式) 1,300×345=448,500
<2> 入院付添費 二九万五〇〇〇円
原告は、平成六年六月三日から同月二六日まで(二四日間)中村病院に入院し、同年六月二七日から同年七月三一日まで(三五日間)星ケ丘厚生年金病院に入院したが、上記入院期間については、付添を要し、付添費用としては一日当たり五〇〇〇円が相当である。
(計算式) 5,000×59=295,000
<3> 休業損害 一三九〇万九〇二七円
原告は、本件事故当時看護婦として稼働しており、年間四六七万九〇七八円の所得を得ていたが、本陣事故により、本件事故日から平成七年五月二三日までの二年と三五五日間は、休業を余儀なくされた。そこで、上記年収四六七万九〇七八円を基礎として、上記期間の休業損害を計算すると、一三九〇万九〇四〇円となり、一三九〇万九〇二七円を上まわることは明らかである。
(計算式) 4,679,078×(2+355÷365)=13,909,040(円未満切り捨て)
<4> 逸失利益 五一三八万〇九五五円
原告は症状固定当時五二歳であり、原告の後遺障害は、等級表一級三号に該当するから、原告はその労働能力を六七歳までの一五年間にわたり一〇〇%喪失した。したがって、原告の後遺障害による逸失利益は、前記年収四六七万九〇七八円を基礎として、新ホフマン方式により一五年間の中間利息を控除して算出した標記金額となる。
(計算式) 4,679,078×1×10.981=51,380,955(円未満切り捨て)
<5> 慰謝料 合計二八五〇万〇〇〇〇円
(ア) 入通院慰謝料 四五〇万〇〇〇〇円
(イ) 後遺障害慰謝料 二四〇〇万〇〇〇〇円
<6> 弁護士費用 七〇〇万〇〇〇〇円
<7> 請求額は、損害のうち<1>から<5>までの合計額に過失相殺(原告二割)をし、既払金を控除して、<6>弁護士費用を加えた八〇一九万七五一七円である。
第三当裁判所の判断
一 争点一(本件事故態様[被告の過失・免責・過失相殺])について
(一) 前記争いのない事実等、証拠(甲一三ないし一五、三〇、乙一、二、原告本人、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
<1> 本件事故現場の概況
本件事故現場の概況は、別紙図面記載のとおりである。現場は、南北方向の、歩車道の区別があり、片側二車線(本件交差点付近は右折レーンがあるため三車線となっている)の道路(歩道部分を除く幅員約一四・九m、以下「南北道路」という。)と、これと斜めに交わる南西から北東方向の片側一車線の道路(以下「東西道路」という。)とによって形成されている信号機による交通整理の行われている交差点である(本件交差点)。本件交差点の南西角にはガソリンスタンド(以下「本件ガソリンスタンド」という。)があり、南北道路の本件交差点から約七〇mほど南に本件ガソリンスタンドの出入口があり、さらに三〇mほど南下すると本件交差点の黄色一灯の予告信号機(以下「本件予告信号機」という。)がある。
本件交差点の信号周期は、一周期が一四〇秒であり、南北道路の信号周期は、青九六秒、黄色四秒、全赤三秒、赤三五秒、全赤二秒であり、これに対応する東西道路の信号周期は、赤一〇〇秒、全赤三秒、青三一秒、黄色四秒、全赤二秒が基本であり、東西道路に設置された車両感知器により感知された交通需要に従い、各方向の信号表示秒数の異同がある。なお、本件交差点に設置された信号機は、南北各方向の信号機が同時に青を表示する同一信号である。
また、本件交差点の南側にある交差点を青信号で通過しても、南北道路の交通量によっては、本件交差点を青信号で通過できないことがある。
<2> 本件事故状況
被告は、南北道路の南行き車線を走行して本件交差点付近に至った。被告は、本件交差点で右折するため、本件交差点の手前から南行き車線の右折レーンを進行し、対面信号が青信号であることを確認して本件交差点内に進入し、右折車両の一番先頭で、別紙図面の<2>’より少し交差点中央寄りに停止し、南北道路の北行き車両がとぎれるのを待った。被告は、同位置で約一分間ほど停車していると、南北道路の対面信号が黄色に変わり、南北道路北行きの第二車線を走行してきた車両が別紙図面の’の地点に停止し、南北信号の対面信号が赤色に変わった。そこで、被告は、約一〇km/h前後で右折を開始し、別紙図面の<4>’の地点まで進んだところ、<×>の地点で、折から南北道路を直進進行してきた原告車の右前部と被告車の左前部が衝突し、被告車は、<5>’の地点に停止した。なお、被告は、衝突するまで直進進行してくる原告車に気づかなかった。
一方、原告は、原告車を約六〇km/hで運転して南北道路の北行き車線の第一車線(歩道寄りの車線)を走行し、本件交差点付近に至った。原告は、自車の前を走行していた車両が減速し、左折して本件ガソリンスタンドに進入したことから、若干減速した後、再び加速し、本件交差点の南北道路の対面信号が黄色から赤色に変わったにもかかわらず、そのまま本件交差点に進入したところ、右折進行してきた被告車の左前部と原告車の右前部とが衝突した。
以上のとおり認められる。
(二)<1> これに対し、原告は、原告車は南北道路の対面信号青色で本件交差点に進入したし、被告車は右折レーンの先頭に停止していたのではなく、先頭から二台目に停止していたと主張し、原告本人もこれに沿う供述をし、甲三〇(原告作成の平成一〇年一〇月二二日付け陳述書)、乙二(一回目の調査会社の調査報告書・調査日平成四年六月六日)、乙三(二回目の調査会社の調査報告書・調査日平成四年八月二一日)にも同趣旨の記載(以下これらをあわせて「原告供述等」という。)がある。
しかしながら、原告供述等は以下に述べる理由でにわかに信用することができない。
まず、乙二によれば、原告は、本件予告信号機を見たときには、予告信号機の表示が青色であったと述べていることが認められるところ、前記認定のとおり、本件予告信号機は黄色の一灯のみであって、上記供述部分は客観的事実に反する。
次に、証拠(乙二、三、甲三〇、原告本人)によれば、原告は、被告車は先頭から二台目の位置に停車していた旨一貫して供述している事実が認められるものの、一回目及び二回目の調査会社の事情聴取に対しては、先頭に停止していた車両の形態につき明確な供述をしていない(乙二、三)にもかかわらず、甲三〇においては、先頭の車両は白っぽい車であったと記載されており、さらに本人尋問においては白とブルーのツートンカラーであったと明確に供述しており、このように不明確な供述が時が経過するにつれて明確になること自体不自然であるばかりでなく、この間の供述の変遷について何ら合理的な理由がない。
また、甲一五によれば、原告は、自らが立ち会った実況見分において、原告車の前を走っていた乗用車が本件ガソリンスタンドに左折進入したため、一度減速して、その後加速した旨の指示説明をしている事実が認められるところ、本人尋問においては同乗用車は左折進入に際し全く減速せず、したがって、原告車も減速していない旨供述しているが、約六〇km/hで進行している車両が全く減速することなくガソリンスタンドに左折進入することは通常考えられないし、実況見分時との説明の変遷について合理的な理由がない。
また、乙三によれば、原告は、二回目の調査会社の事情聴取の際に、被告車は原告から見て真横を向いており、右折レーンをはみ出していた旨述べていることが認められるが、前記認定のとおり、本件事故は原告車の右前部と被告車の左前部が衝突したのであるから、上記供述部分は客観的事実に反する。
さらに、原告は、本人尋問において、本件事故については目撃者がおり、その目撃者の名刺をもらったが、なくしてしまった旨供述しているのであるが、その記憶自体が明確でなく、供述が曖昧である上、調査会社の一回目の事情聴取の際にはそのようなことを述べておらず、乙四(原告作成の自動車損害賠償保険重過失による減額に対する異議申立書)の、退院後、プラカードを持って目撃者を探した、本来は被告の方が過失が大きいと思われるが、目撃者及び双方の刑事処分がなかったため、渋々五〇対五〇で物損示談に応じた旨の記載と矛盾し、また、もらったとする名刺もなくしてしまったとの供述自体不自然であり、そのような事実があったとは到底考えられない。
以上のとおり、原告供述等は、その内容自体不自然な点があり、客観的事実に反する点、供述の変遷につき合理的な理由が見当たらないの点もあり、前記原告供述等は、これを採用することはできない。
<3> 一方、被告の供述については、前記に認定の本件交差点の信号周期とも合致しており、特段不自然、不合理な点は見当たらない。
したがって、被告の供述は、これを採用することができ、本件事故態様については、前記のとおり認めるのが相当である。
(三) そして、前記認定の事故態様に照らせば、被告は、信号が赤に変わった直後であるから、対向直進車が本件交差点を直進進入してくることは予測可能であり、そのような車両があるかどうかについて対向車線の動静を十分に注視し、本件事故を避けることが期待されていたというべきであり、被告には、上記注意義務を怠った過失がある。したがって、被告には民法七〇九条に基づく損害賠償責任があり、また、自賠法三条但書の免責の抗弁は、その余について判断するまでもなく理由がない。
しかしながら、原告には、本件交差点の対面信号が赤色であったのであるから、停止線で停止し、本件交差点に進入してはならない注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、減速することなく本件交差点に進入した過失があり、上記過失は重大であるから、本件事故の責任の大半は原告にあるというべきである。以上のような双方の過失の内容、程度を考慮すると、本件事故の過失割合は、原告八、被告二とするのが相当であり、したがって、本件事故により原告に発生した損害から、過失相殺として八割を控除するのが相当である。
二 争点二(原告の後遺障害)について
(一) 原告の症状の経過
前記争いのない事実等、証拠(甲二ないし八の各一・二、九ないし一一、一六及び一七の各一・二、一八、一九の一・二、二〇の一ないし五、二一、二二の一ないし五、二三、二九、三一ないし三三、三五、三六の一ないし八、三七の一ないし一二、乙五ないし七、証人松村喜志雄、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。
<1> 八幡中央病院入院時
原告は、平成四年六月三日、八幡中央病院に入院した。
原告は、右腸骨稜部痛、左肩から左鎖骨上部の痛み及び両手のしびれを訴え、原告の右首から右前胸部にシートベルトの跡と思われる発赤擦過傷があり、左膝に直径二・五cmの挫創が見られた。また、頸部に圧痛があったが、肋骨、鎖骨部及び腹部には圧痛はなく、両上肢挙上運動では、左上肢は痛みのため挙上が困難な状況であった(甲一六の一・二頁)。なお、同病院における傷病名は、左膝挫創、頸椎捻挫である。
<2> 南病院入院時
(ア) 原告は、平成四年六月三日中に、自らの勤務先である南病院に転院し、同年七月一一日まで同病院に入院した。
(イ) 初診時の状況は、八幡中央病院入院時とほぼ変わらず、病的反射もなく(ただし、左上腕三頭筋腱反射はやや亢進)、膝蓋腱反射、アキレス腱反射ともに正常であった。また、徒手筋力テストでは四肢の減弱は見られず、知覚神経障害も殆ど見られなかった(甲一七の一・三頁)。
(ウ) 同年六月四日、原告は、四肢の知覚障害(しびれ)は殆どなく、事故前と同じ状態になった旨申告したが、頸部痛、腰部痛及び左膝痛を訴えており、左膝の挫創は適合良好で、徒手筋力テストもほぼ正常、知覚障害、病的反射はいずれも認められなかった。また、頸椎のX線では、変形のみで、南病院の医師は、ポリネックカラー装着でトイレ歩行を許可し、翌五日には、原告は、ポリネックカラーを装着していたものの、ほぼスムーズに歩行することができた(同二一、二二頁)。
(エ) その後も原告は、頸部痛を訴え、頸部の可動域制限があったことから、同年六月一一日から頸部牽引を開始した(同二二頁)。
(オ) 同年六月二三日、頸椎は可動域制限が継続していたが、医師は、ポリネックカラーを除去し、頸を動かすように指示した(同二四頁)。
(カ) また、原告は、頸部痛、前胸部痛、左肩から上肢にかけての痛み、左手しびれ感(同四一頁)を訴えており、上記疼痛は持続していたが、若干軽減したものの一進一退を繰り返していた。
(キ) 南病院の医師は、平成五年六月二三日次の内容の診断書を作成した(同二〇頁)。
傷病名は、頸椎捻挫、左膝挫滅創である。原告は、胸部痛、頸部痛、左膝痛があり、左上肢運動麻痺が少しあったがその後しびれに変わったと訴えている。
初診時の所見としては、右前胸部、右腸骨部に皮下出血、左膝に挫創、左上腕三頭筋腱反射亢進及び四肢筋力低下があり、当初ベッド上で安静を指示したが、平成四年六月四日からポリネックカラーにて歩行許可した。
医師は、同年六月一一日から頸部牽引、六月二四日からポリネックカラーの除去及びマッサージの開始を指示し、その後、原告は、軽快退院した。
ただし、原告はポリネックカラーはずすことに不安を感じていた。
<3> 南病院通院時
(ア) 原告は、南病院を退院後、左膝痛、後頭部痛、両手第四、第五指のしびれを訴えて、平成四年七月一二日から同年一二月二日まで同病院に通院し、リハビリを行った。
(イ) 平成四年七月一四日、南病院の宮本達也医師は、頸椎捻挫で平成四年七月一二日から一か月間の安静加療を要するとの内容の診断書を作成した(甲一七の二・三頁)。
(ウ) 平成四年七月二二日、X線検査が行われ、第四、第五頸椎椎間板腔に狭小化が認められ、第六、第七頸椎の後方に骨棘が認められた(同四頁)。
(エ) 平成四年八月五日の所見は以下のとおりである(同五頁)。
原告は 左第二、第三指のしびれ、両手第四、第五指のしびれ、右肘痛及び左膝痛(三〇分歩行すると痛む。)を訴えており、頸椎可動域は右旋、左旋ともに四五度であった。
(オ) 平成四年八月二六日の所見は以下のとおりである(同六頁)。
原告は、頸部痛、両手第四、第五指のしびれ、右後頭部痛及び左膝痛を訴えており、頸椎可動域は、右旋六〇度、左旋四五度であり、握力は右一六kg、左二〇kgであった。また、大腿周径は右四一・三cm、左四一・五cmであり、下腿周径は、右三六cm、左三五・五cmであった。
また、南病院の医師は、原告がポリネックカラーを装着していたことから、ポリネックカラーをはずして、もっとストレッチをするように指示した。
(カ) 平成四年九月二日、原告は、左膝痛 左足底部痛を訴え(甲一七の二・一〇頁)、以降、右踵しびれ、右足関節痛等も訴えるようになった。
(キ) 平成四年九月三〇日の所見は以下のとおりである(同一一頁)。
頸椎可動域は、右旋四五度、左旋三〇度であり、握力は、右九kg、左一一kgであった。
(ク) 平成四年一〇月七日の所見は以下のとおり(同一三頁)。
頸椎可動域は、右旋四五度、左旋三〇度であり、握力は、左右とも一二kgであった。
(ケ) 平成四年一一月六日には、原告は、腰痛を訴えたが、神経学所見は認められなかった(同一六頁)。
(コ) 南病院の渡辺吾医師(以下「渡辺医師」という。)は、平成四年一一月一一日、労働基準監督署長の照会に対し、次のとおりの意見書を提出した(同一六頁)。
傷病名は、頸部捻挫、左膝打撲挫創(膝蓋軟骨損傷)である。自覚症状は、(一)後頸部から頭部右半分の疼痛(頭痛の場所が変化する)、頸から肩のつっぱり、頸の動きが悪化、両手(特に環指、小指)のしびれ、両手握力の低下、(二)左(右膝とあるのは左膝の誤記であると思われる。)膝痛(歩行時、特に階段、しゃがみ込むとき)、正座困難、(三)左足外側から踵部への痛みとしびれ及び(四)右肘痛(屈曲時)である。
他覚所見としては、(一)頸部可動域制限(右旋六〇度、左旋四五度、前屈三〇度、後屈一五度)、頸部筋硬結、握力(右手一四kg、左手一四kg)及び両手第四、第五指の知覚過敏(ただし、腱反射正常)、(二)膝蓋骨圧迫テスト(後膝蓋部痛+)、左大腿四頭筋萎縮(右三七cm、左三六・五cm)、(三)左足の知覚異常及び(四)右肘屈側部の圧痛である
診断時までの六か月間において、頸部症状は著明に改善しており、特に頸部可動域減少が改善しているほか、ポリネックカラーをはずしても痛みがましになっている。左膝に関しては少しだけ改善している。また、右肘に関しては気にならぬほどに改善し、左足はさわっても痛がっていたがそれはなくなった。また、両手の知覚障害も改善している。
なお、原告は腰にも疼痛を訴えている。
(サ) 平成六年八月一日、南病院の南八王医師は、傷病名が左膝挫創、頸部捻挫、左膝軟骨損傷、右肘捻挫、全身打撲であるとの内容の診断書を作成した(甲三の一)。
<4> 荻野整形外科通院時
(ア) 原告は、南病院通院中の平成四年九月一四日、左足から足趾外側部の知覚欠損(痛みを伴う)、四肢しびれ、左膝痛、頸部伸展制限、左膝関節の屈曲困難を訴えて荻野整形外科を受診し、同日から同年一一月二六日まで同病院に通院した(甲一八)。
(イ) 平成四年九月二一日の所見は以下のとおりである(同三頁)。
頸部可動域は、前屈三〇度、後屈二五度であり、握力は、右一二kg、左一四kgである。上腕二頭筋反射、橈骨筋反射、上腕三頭筋反射はいずれも正常で、ホフマン反射、ワンデンベルグ反射は、いずれも陰性である。両指に異常はなく、X線では第四、第五頸椎椎間板腔狭小、第五、第六頸椎後方に骨棘が認められた。
(ウ) 平成四年一一月九日の所見は以下のとおり(同四頁)。
X線写真によると、膝は正常範囲内であり、第四、第五頸椎脊椎症が認められる。原告は、腰部に鈍痛を訴えたが、関節可動域はほとんど制限はない。また、下肢伸展挙上テスト、膝蓋腱反射、アキレス腱反射はいずれも陰性であり、X線では正常範囲内である。
なお、カルテに腰痛症との傷病名が記載されたのは平成四年一一月九日である。
(エ) 原告は、その後も荻野整形外科に通院したが、左膝へのマイクロ波、ホットパック、頸椎の牽引が行われたのみである。
(オ) 平成六年一一月一八日、荻野整形外科の荻野洋医師は、傷病名として頸部挫傷、左膝挫創後、左踵部挫傷、腰痛症、病状の経過として左膝痛、左足知覚鈍麻、四肢のしびれ感ありとの記載のある診断書を作成した(甲四の一)。
<5> 中村病院通院時
(ア) 原告は、平成四年一一月二八日から平成六年六月二日まで中村病院に通院した。この間の治療経過及び症状の経過の詳細は明らかではないが、左膝のマイクロ波、頸椎の牽引、ホットパック(腰)等の物理療法と週一回の左膝関節内注射が行われた(甲二〇の一・二三、二四項)。
(イ) 中村病院の中村猛医師(以下「中村医師」という。)は、平成六年一月二七日、次の内容の診断書を作成した(甲二〇の一・二三、二四頁)。
傷病名は、頭部外傷、頸部捻挫、右肘・腰部・両膝・左足打撲である。
過去一年間はリハビリを中心とした通院加療で週に一回左膝関節内注入、湿布、内服投与を行ってきたが、症状は頑固に一進一退を繰り返している。(なお、中村医師は、同日付けの別の診断書(甲一一)においては、原告は、頸髄損傷が疑われる程度の神経系統の障害を残しており、軽易な労務以外の労務に服することはできないと思われ、原告の左膝はほぼ硬直しているとも記載している。)
主訴は、頭痛、頸部痛、つまる感じ、両手のしびれ、両手握力低下、左膝関節痛、左下肢の筋力低下による歩行障害、正座困難、左足のしびれである。
他覚所見としては、大腿周径右四四cmに対し左四〇cm、下腿周径右三三cmに対し左三〇cm、膝関節の可動域につき、右屈曲が自動一二〇度、他動一四五度に対し左屈曲は自動三〇度、他動四五度であり、右伸展が自動、他動とも〇度に対し左伸展は自動マイナス八度、他動〇度であり、握力は右八kg、左六kg、頸部可動域は前屈が自動四〇度、他動五〇度、後屈は自動、他動とも三五度、右旋は自動三五度、他動四〇度、左旋は自動四〇度、他動四五度である。
日常生活の状況は、行動能力については、左膝関節の疼痛のため歩行は困難ではあるが、通院(単独歩行)が可能であり、両手のしびれがあるため食事は不便であるが、支障はなく、用便も洋式トイレでは可能であり、精神能力及び言語能力についても支障はない。
診断時以降六か月間の見込みについては、左膝のマイクロ波、頸椎牽引、頸、肩、上肢の筋力強化、マッサージによる通院加療の予定であり、改善の見込みについては不詳である。
(ウ) 中村医師は、平成六年五月三〇日、京都南労働基準監督署長の意見書の提出依頼に対し、次の内容の意見書を提出した(甲一九の一・一〇頁)。
主訴及び自覚症状は、頭痛、頸部痛、上下肢不全麻痺(両手のしびれ、両手筋力低下著明)、左膝関節、左下肢の筋力低下による歩行障害、正座困難、左足のしびれ、疼痛である。
現症状に対応する他覚所見としては、大腿周径右四四cmに対し左四〇cm、下腿周径右三三cmに対し左三〇cm、膝関節の可動域につき、右屈曲が自動一二〇度、他動一四五度に対し左屈曲は自動三〇度、他動四五度であり、右伸展が自動、他動とも〇度に対し左伸展は自動マイナス八度、他動〇度であり、握力は右八kg、左六kg、頸部可動域は前屈が自動四〇度、他動五〇度、後屈は自動、他動とも三五度、右旋は自動三五度、他動四〇度、左旋は自動四〇度、他動四五度である。
意見書作成前六か月間における症状の著明な改善はなく、原告は、頸髄損傷の疑いで星ヶ丘厚生年金病院整形外科を受診し、MRI等の精査予定である。
(エ) 中村医師は、平成六年七月二九日、次の内容の診断書を作成した(甲五の一)。
病名は頭部外傷、頸部捻挫、右肘部、腰部、両膝部、左足部打撲である。
原告には、全身の打撲部痛があり、特に左膝関節の疼痛、腫脹著明で歩行困難をきたしている。また、左下肢の筋萎縮、退化のため、ADL(日常生活動作)の障害が著明である。
物療(左膝のマイクロ波、頸椎牽引、腰のホットパック)、内服、週一回の左膝関節内注射等による通院加療を続けたが、症状は頑固に一進一退を繰り返し、長期加療となった。
原告は、平成六年六月三日、自宅で転倒して勁髄損傷様の四肢麻痺を生じ、中村病院に入院し、その後、精査加療目的で星ヶ丘厚生年金病院に転医した。
(オ) なお、中村病院における平成六年一月一〇日からの診療録(甲一九の一)においては、平成六年六月三日以前の傷病名としては、高血圧、胃炎、胃潰瘍しか記載されておらず、診療録上も、胃炎や胃潰瘍に対する投薬治療しか記載されていない。
(カ) また、原告は、平成六年六月三日の一週間ほど前にも、屋内で転倒し、階段から落ちたことがあるほか、同年五月二七日、両上下肢不全麻痺があるとのことで、MRI精査(同日は行われていない)のため星ヶ丘厚生年金病院を受診しており、左下肢の筋力低下の所見のみが診療録には記載されている(甲二〇の一・三項)。
<6> 平成六年六月三日以降について
(ア) 原告は、平成六年六月三日、自宅の玄関で転倒、落下し、頸部、右胸部、右膝、左股等を打撲し、中村病院に入院した。
(イ) 中村病院入院時の所見は以下のとおりである(甲一九の二・一七頁)。
意識はやや傾眠、意識レベル(JCS・日本式昏酔尺度)一(大体意識清明だが今ひとつはっきりしない状態)、呼吸、脈拍、血圧はいずれも正常で、対光反射も良好。ホフマン反射、バビンスキー反射はいずれも陰性で、触覚は、体幹、四肢ともにあった。徒手筋力テストでは左右の前脛骨筋はいずれも一で、右の大腿四頭筋は〇であった。肘関節は、左右ともに、屈曲、伸展のいずれも不可能であった。頭部CTでは、くも膜下出血、血腫ともになく、頸部X線では、頸椎脱臼も頸椎骨折もなかった。また、股関節と膝関節はいずれも異常はなかった。
また、検査所見に対する中村病院の医師の所見が示されており、頸髄損傷についてはレベルがはっきりせず、上肢筋力があって下肢筋力がないのは、頸髄損傷としてはおかしいのではないかとの疑問が呈されている(同一八頁)。
(ウ) 中村病院にも勤務していた星ヶ丘厚生年金病院の松村喜志雄医師(以下「松村医師」という。)は、四肢の弛緩性麻痺(遠位筋優位)、急激な発症、左右対称性等の症状により、ギランバレー症候群を疑い、ステロイド剤の投与を指示した。その後、松村医師は、原告の上肢の反射が亢進してきているため、典型的なギランバレー症候群ではなく、頸髄病変の可能性も大きいと判断したが、結局中村病院では、診断できず、原告は、精査のため、平成六年六月二七日、星ケ丘厚生年金病院に転院した。
(エ) 星ヶ丘厚生年金病院(整形外科)入院時の所見は以下のとおりである(甲二〇の一・三〇頁)。
徒手筋力テストでは、僧帽筋左右とも一から二、三角筋以下は左右とも〇であり、外観は弛緩性麻痺を呈する。腱反射の亢進はなく、下肢反射は減弱で、病的反射は認めない。四肢は知覚脱失で、体幹部は第一〇胸椎レベルまでは残存している。また、肛門反射も残存している。
また、同病院の整形外科における検査の結果は以下のとおりである。
脊髄造影検査では第四、第五頸椎椎間板及び第五、第六頸椎椎間板の膨隆による脊柱管の狭窄像が認められ、MRIでは、椎間板ヘルニアの像はなく脊髄内の輝度変化も認められなかった。単純X線では、頸椎の不安定は認められていない。
(オ) 星ヶ丘厚生年金病院整形外科の大成浩征医師(以下「大成医師」という。)は、上記(エ)の所見からは、頸髄損傷としては非典型的であると判断し、原告を同病院の神経科に紹介した。
(カ) 原告の紹介を受けた同病院の神経内科の松村医師は、髄液検査及び筋電図検査を行ったが、原告のような強い麻痺を窺わせる所見はなく、また、MRI上も多発的硬化症に特有の脱髄斑は認められなかったものの、結局、原告の症状の経過から、ギランバレー症候群ではなく、頸髄の病変と考え、他に思い当たる病名がないことから、多発性硬化症であろうと診断した。また、多発性硬化症は平成六年六月三日の転倒によって発症したのか、あるいは、発症によって転倒したのかどうかも分からないし、原告の症状(四肢麻痺)の原因も分からなかった。
(キ) 京都南労働基準監督署長の意見書提出の依頼に対し、大成医師は、傷病名は多発性硬化症であり、本件事故と原告の四肢麻痺との因果関係は極めて少ないと考えるとの意見書を提出した(甲二〇の一、二九頁)。
また、松村医師も、京都南労働基準監督署長の意見書提出の依頼に対し、本件事故が原告の四肢麻痺の何らかの誘因になったことは考えられるが、直接の因果関係はないと推測されるとの意見書を提出した(甲二〇の二・二七頁)
(ク) なお、その後原告は、四肢麻痺の治療とリハビリのため、高井病院及び藍野病院に入通院したが、いずれの病院においても、原告の四肢麻痺が、本件事故による脊髄損傷によるものであると診断はなされていない。
(二) 多発性硬化症について
証拠(甲二〇の二、乙五、六、証人松村喜志雄)及び弁論の全趣旨によれば、多発性硬化症は中枢神経系(脳や脊髄)の病変であり、発生機序については、学説上は、免疫システムに異常が起き、中枢神経を自らが破壊することによって症状が出てくるといわれているが、その機序自体は明らかではなく、免疫異常の原因も明らかではない。
(三) 労災の審査請求における医師の意見(甲二九)
労災保険の審査請求において提出された松井博史医師作成の意見書には、以下の内容が記載されている。
傷病名は、頭部外傷、頸部捻挫並びに右肘、腰部、両膝及び左足打撲である。
平成六年六月の時点における原告に残存する後遺障害の程度について、平成四年一一月に渡辺医師が作成した意見書、平成六年一月に作成された中村医師作成の診断書及び数枚のX線写真を閲覧した上での私見は以下のとおりである。
(ア) 受傷後六か月間を経過した平成四年一一月ころには、頸部、腰部、右膝及び左足に神経症状を残しており、本件事故の後遺障害としてうなずける。
(イ) 受傷後一年七か月を経過した平成六年一月の診断書に記載されている症状は非常に多彩、進行性かつ重篤であり、本件の傷病名及び平成四年一一月の治癒に向かう軽易な症状から考えて、平成六年一月ころの症状は本件事故によるものではないと考える。
(ウ) 平成四年一一月以降に本外傷とはおそらく無関係の脊髄神経、筋肉系統の重篤な疾患が原告に発症したことが考えられる。
(四) 自賠責保険においては、原告の後遺障害については、等級表に該当しないと認定されている。
(五) 判断
<1> 四肢麻痺と本件事故との因果関係について
原告の四肢麻痺と本件事故との因果関係については、前記認定の原告の症状経過等に照らしても、これを認めるに足りない。
すなわち、原告は、原告の四肢麻痺は、本件事故による中心性脊髄損傷によるものである旨主張するが、前記認定のとおり、MRI等においては原告のような強い四肢麻痺を窺わせる画像所見はなく、大成医師も脊髄損傷による四肢麻痺であることについては疑問を呈している上、他に脊髄損傷による四肢麻痺であると診断している医師はおらず、労災保険においても四肢麻痺と本件事故とは因果関係がないと判断されている。また、脊髄の損傷による四肢麻痺であるならば、事故直後から症状が出るか、もしくは、少なくとも事故後次第に症状が悪化していくものと思われるところ、原告の症状は、前記認定の原告の症状経過に照らすならば、少なくとも平成四年の一一月に南病院の通院を終えるまでは軽快する方向に向かっており、平成六年六月三日前後を境に急激に悪化した原告の症状を説明するには、平成六年六月三日前後に原告の脊髄に何らかの病変が発生したと考える方が素直であるし、そうでないとしても本件事故による中心性脊髄損傷がそのころ悪化したと考えることは難しいといわざるを得ない。
また、原告は、原告の四肢麻痺は、中心性脊髄損傷に心因性が加味され、記念日症候群を併発しているとも主張するが、証拠(証人松村喜志雄)によれば、そもそも原告の主張する記念日症候群の概念自体、一つの学説に過ぎないから、これ採用することはできないし、仮に記念日症候群の概念自体を認めるとしても、前記認定のとおり、事故の一年後である平成五年六月三日には症状の悪化が窺われる事実は認められないし、平成六年六月三日以前にも原告は階段から転落した事実があること、同年五月二七日にも両下肢不全麻痺のため星ヶ丘厚生年金病院を受診していること等からすると、原告の症状は、平成六年六月三日以前に悪化していた可能性もあり、記念日症候群によって急激に悪化したと認めるに足りない。
そして、原告の四肢麻痺の原因は、本件全証拠によっても不明というほかなく、仮に、松村医師の診断のとおり、多発性硬化症であったとしても、前記認定のとおり、多発性硬化症は、その発生機序も明らかではなく、本件事故によって多発性硬化症が発症したとも認められないから、本件事故との因果関係は認められないというべきである。
以上のとおり、原告の四肢麻痺と本件事故との間の因果関係は認められない。
<2> 平成四年一一月以降の原告の症状悪化と本件事故との因果関係について
次に、原告の症状については、平成六年一月二七日付けの中村医師作成の診断書においては、頸部の運動制限、左足の筋萎縮等の症状の記載があり、原告は、中村医師作成の診断書を根拠に、頸部及び腰部の神経症状と左膝可動域制限の後遺障害を主張しているので、平成六年一月当時の原告の症状と本件事故との因果関係について検討する。
この点については、平成四年一一月二八日から平成六年一月二七日までの原告の症状経過が明らかではないので、必ずしも明らかではないが、前記認定の原告の症状経過に鑑みると、原告の症状は平成四年一一月当時、改善の方向に向かっていたと認められること、渡辺医師も症状は改善に向かっているとの意見書を作成していること、これに対し、平成六年一月二六日時点の原告の症状は重篤なものとなっており、かつ軽快の見込みも不明とされていること、労災協力医の松井医師は平成六年一月ころの症状は本件事故によるものではなく、平成四年一一月以降に本件事故とは無関係な脊髄神経、筋肉系統の重大な疾患が原告に発生したと診断していること、労災保険の審査請求においても、平成六年一月ころの症状は本件事故との因果関係は認められていないこと等の諸事実を考慮すると、平成六年一月当時の原告の症状と、本件事故との因果関係は認められないというべきである。
<3> 原告の後遺障害の程度
そうすると、本件事故による原告の後遺障害は、平成四年一一月以降の原告の症状経過が明らかでない以上、同時点までの原告の症状経過から推測する以外ない。
(ア) 頸部の可動域制限、神経症状について
前記認定のとおり、平成四年一一月一一日当時の原告の頸部可動域は、回旋が右六〇度、左四五度、屈曲は前屈三〇度、後屈一五度であり、前屈及び後屈については可動域が二分の一以下に制限されている。しかし、同日の渡辺医師の意見書には、意見書作成前六か月に特に頸部可動域については改善した旨記載されていること、平成六年一月二七日付けの中村医師の診断書においても、頸部可動域は前屈四〇度(他動五〇度)、後屈三五度(他動三五度)となっており、改善していること、平成四年一一月一八日付けの荻野医師の診断書においても頸部可動域制限は記載されていないこと、さらに、画像所見においても、第五、第六頸椎後方に骨棘が認められているに過ぎないことからすると、頸部可動域制限については、等級表上の後遺障害には該当しないというべきである。
一方、頸部の神経症状については、前記認定のとおり、原告は本件事故後から一貫して、頸部痛を訴えていること、事故後六か月を経過した平成四年一一月当時も頸部痛が残存していることに、前記認定の本件事故態様からすると頸部に過伸展が発生したことが窺われることを併せ考慮すれば、原告は、本件事故により、頸部痛の後遺障害を残したと認められ、その程度としては、前記認定の原告の症状の経過・内容に照らせば、等級表の一二級一二号(局部に頑固な神経症状を残すもの)に該当すると認めるのが相当である。
(イ) 左膝関節について
左膝関節については、前記認定のとおり、原告は、本件事故により左膝挫創の傷害を負っており、本件事故により左膝に相当程度の衝撃が加わったことが窺われ、また、平成四年一一月一一日付けの渡辺医師の意見書には、傷病名として左膝打撲挫創(膝蓋軟骨損傷)、歩行時の左膝痛及び正座困難が記載されており、同年一一月一八日付けの荻野医師の診断書にも左膝痛が記載されている。したがって、本件事故により、原告は左膝痛の後遺障害を残したと認められる。そして、左膝の後遺障害の程度としては、前記に認定の原告の症状経過に照らせば、等級表の一四級の一〇号(局部に神経症状を残すもの)に該当すると認めるのが相当である。
なお、労災保険の審査請求においては、膝関節の著しい機能障害として労災等級表第一〇級の一〇の認定を受けている。しかし、同認定の根拠となっているのは、平成六年一月二七日の中村医師の診断書であるところ、前示のとおり、平成六年一月当時の症状は本件事故と因果関係を認めることはできず、前記認定のとおり、平成四年一一月当時は、正座困難等の症状は見られるものの、医師の診断書によっても左膝関節の可動域制限は認めるに至らないから、労災保険の認定を採用することはできない。
また、原告は、左下肢の筋萎縮も主張する。そして、前記認定のとおり、平成四年一一月当時においても左大腿四頭筋の筋萎縮が認められているが、その程度はわずかであるから、これを独立の後遺障害と認めるには至らない。
(ウ) 腰部痛について
腰部痛については、前記認定のとおり、原告は、事故直後の平成四年六月四日に腰部痛を訴えて以来、南病院に通院中の同年一一月六日まで腰部痛は訴えていないし、同日の診療録にも神経学的所見はないと記載されている。また、平成四年一一月一一日付けの渡辺医師の意見書においても、原告は腰部痛も訴えているとの程度の記載しかなく、以上の各事実を総合すると、原告に本件事故により腰部に後遺障害が残ったとは認められない。
なお、労災保険の審査請求においては、原告の腰部痛につき、労災等級表第一二級の一二(局部に頑固な神経症状を残すもの)に該当するとの判断されているが、その根拠は松井医師の意見書であり、松井医師は南病院の渡辺医師の診断書しか参照しておらず、前記の各事実を考慮していないから、これを採用することはできない。
(エ) 症状固定時期及び後遺障害の残存期間について
以上のとおり、原告は、本件事故により、頸部の神経症状として等級表の第一二級一二号に、左膝部の神経症状として等級表第一四級一〇号にそれぞれ該当する後遺障害を残して症状固定したと認められるところ、平成四年一一月以降の症状経過が不明であるため、症状固定時期については、明らかではない。しかし、本件事故の態様及び前記に認定の原告の症状経過によると、平成四年一一月当時、症状は若干改善の方向に向かっているもののさほど症状に変化はなく、ほぼ症状固定に近い状態であると考えられることに、原告の傷害、後遺障害の内容等を併せ考慮すると、遅くとも平成四年一二月末日には症状固定したと認めるのが相当である。
そして、原告の後遺障害の内容・程度に照らせば、原告の後遺障害が終生にわたって残存するとは認められず、原告の後遺障害の残存期間は症状固定後五年間と認めるのが相当である。
三 争点四(原告の損害)について
(一) 入院雑費 五万〇七〇〇円
原告は、前記認定のとおり、四肢麻痺の治療及びリハビリのため、平成六年六月三日以降、中村病院、星ヶ丘厚生年金病院、高井病院及び藍野病院にそれぞれ入院しているが、原告の四肢麻痺と本件事故との間に相当因果関係がないことは前述のとおりであるから、上記入院にかかる入院雑費は本件事故と相当因果関係を有する損害とは認められない。したがって、本件事故と相当因果関係を有する入院雑費は、八幡中央病院入院時と南病院入院時に要した入院雑費のみである。そして、上記入院期間は三九日間にわたり、入院雑費としては一日一三〇〇円が相当である(原告主張額四四万八五〇〇円)。
(計算式)1,300×39=50,700
(二) 入院付添費 認められない
原告は、中村病院及び星ヶ丘厚生年金病院の入院期間についての付添看護費用を請求しているが、上記入院と本件事故との間に相当因果関係がないことは前記認定のとおりであるから、上記入院期間についての付添看護費用は本件事故と相当因果関係を有する損害とは認められない(原告主張額二九万五〇〇〇円)。
(三) 休業損害 一六〇万二四二三円
証拠(甲一二、三〇、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時、南病院において看護婦(内視鏡技師)として稼働し、平成三年には年四六七万九〇七八円の収入を得ていたことが認められるところ、本件事故により、本件事故日である平成四年六月三日から症状固定日である同年一二月三一日までの二一一日間は休業を要したと認められる。そして、前記認定の原告の症状の経過に照らすと、原告は、概ね、平成四年六月三日から南病院を退院した同年七月一一日までの三九日間は完全に休業せざるを得ない状態であり、同年七月一二日から症状固定日である平成四年一二月三一日までの一七二日間は完全な休業が必要であったとまでは認められず、平均して五〇%の労働能力が制限される状態であったと認めるのが相当である。
そこで、前記の年収四六七万九〇七八円を基礎として本件事故日から症状固定までの二一一日間の休業損害を計算すると、次の計算式のとおり一六〇万二四二三円となる(原告主張額一三九〇万九〇二七円)。
(計算式)
4,679,078÷365×(39+172×0.5)=1,602,423
(円未満切り捨て)
(四) 逸失利益 二八五万八七二九円
前記認定のとおり、原告は、本件事故のため、平成四年一二月三一日、頸部に等級表第一二級一二号に、左膝部に労災等級表第一四級一〇号にそれぞれ該当する後遺障害を残して症状固定し、上記後遺障害は、症状固定後五年間残存すると認められるから、原告は、その労働能力を症状固定日の翌日から五年間にわたり一四%喪失したものと認めるのが相当である。
そこで、前記(三)の年収四六七万九〇七八円を基礎として、症状固定日の翌日から五年間の中間利息を新ホフマン方式によって控除すると、次の計算式のとおり二八五万八七二九円となる(原告主張額五一三八万〇九五五円)。
(計算式)
4,679,078×0.14×4.364=2,858,729(円未満切り捨て)
(五) 慰謝料 合計三一〇万〇〇〇〇円
<1> 入通院慰謝料 九〇万〇〇〇〇円
原告の傷害の内容、程度、入院の期間、治療の内容等本件弁論に現れた一切の事情を考慮して上記金額をもって相当と認める(原告主張額四五〇万円)。
<2> 後遺障害慰謝料 二二〇万〇〇〇〇円
原告の後遺障害の内容、程度等本件弁論に現れた一切の事情を考慮して上記金額をもって相当と認める(原告主張額二四〇〇万円)。
(六) 過失相殺後の損害額
上記の損害額から、過失相殺としてその八割を控除すると、残額は、入院雑費一万〇一四〇円、休業損害三二万〇四八四円(円未満切り捨て)、後遺障害逸失利益五七万一七四五円(円未満切り捨て)、慰謝料六二万円となる。
(七) 損害のてん補
前記争いのない事実記載のとおり、原告は、被告の任意保険会社から七〇万円、自賠責保険から二四万円、労災保険休業補償給付として四六二万七八〇八円、労災保険障害補償一時金として四〇一万〇四八七円の支払を受けているから、休業損害に対しては休業補償給付を、後遺障害逸失利益に対しては障害補償一時金を、入院雑費及び慰謝料に対しては、任意保険会社からの支払金及び自賠責保険金をそれぞれ控除すると残額は〇円となる。
(八) 弁護士費用 認められない
以上のとおり、原告が被告に請求しうる損害は、てん補済みであるから、弁護士費用の請求は理由がない。
第四結論
以上のとおり、原告の請求は理由がない。
(裁判官 吉波佳希 齋藤清文 三村憲吾)