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大阪地方裁判所 平成9年(ワ)8809号 判決 1999年3月25日

アメリカ合衆国・ニュージャージィ・ローウェイ・イースト

リンカーンアヴェニュー 一二六

原告

メルク エンド カンパニーインコーポレーテッド

右代表者

ポール・ディ・マトウカイティス

右訴訟代理人弁護士

品川澄雄

中島和雄

右補佐人弁理士

川口義雄

大阪市淀川区西中島五丁目一三番九号

被告

共和薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

杉浦好昭

右訴訟代理人弁護士

安田有三

小南明也

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、平成一四年六月一一日までの間、別紙物件目録記載の医薬品を製造し、販売し、販売の申出をし並びに宣伝広告をしてはならない。

2(主位的請求の趣旨)

被告は、前項の医薬品の製造に対し薬事法一四条に基づき厚生大臣が被告に与えた平成六年三月一五日付製造承認につき、厚生省薬務局長宛に製造品目廃止届書及び承認整理届書を提出せよ。

3(予備的請求の趣旨)

被告は、別紙物件目録記載の医薬品の製造につき薬事法一四条に基づき厚生大臣が被告に与えた平成六年三月一五日付製造承認を、薬事法施行規則及び関連の厚生省薬務局長通知に定める手続及び方式に従って原告に無償譲渡せよ。

二  請求の趣旨に対する答弁

(本案前の答弁)

1 請求の趣旨1項中、「平成一一年一二月一二日以降平成一四年六月一一日までの間」との請求部分に係る訴えを却下する。

2 請求の趣旨2項に係る訴えを却下する。

(本案の答弁)

原告の請求をいずれも棄却する。

第二  事案の概要

一  基礎となる事実(いずれも争いがないか弁論の全趣旨により認められる。)

1  原告の特許権

原告は、次の特許権(以下(一)の特許権を「本件特許権(一)」、(二)の特許権を「本件特許権(二)、両者を併せて「本件特許権」という。)を有している。

(一) 発明の名称 抗高血圧剤

優先権主張 一九七八年一二月一一日 米国特許出願九六八二四九

特許出願 昭和五四年一二月一一日特願平一-二三八三二九

(昭和五四-一五九八六九の分割)

出願公告 平成四年一二月一七日 特公平四-八〇〇〇九

特許登録 平成五年一〇月一四日 特許第一七九二三八五号

特許請求の範囲

本件特許権(一)の特許出願の願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載は、別紙特許請求の範囲目録の1記載のとおりである(以下、右記載の特許発明を「本件発明(一)」という。)。

(二) 発明の名称 抗高血圧剤としてのアミノ酸誘導体

優先権主張 一九七八年一二月一一日 米国特許出願九六八二四九号

特許出願 昭和五四年一二月一一日 特願昭五四-一五九八六九

出願公告 平成三年一月一七日 特公平三-二八七八

特許登録 平成四年一〇月二七日 特許第一七〇五六三四号

特許請求の範囲

本件特許権(二)の特許出願の願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載は、別紙特許請求の範囲目録の2記載のとおりである(以下、右記載の特許発明を「本件発明(二)」という。)。

2  本件特許権の存続期間

本件特許権の存続期間は、いずれも、平成一一年一二月一一日をもって満了する。

3  被告の行為

(一) 被告は、医薬品の製造販売等を目的とする会社であるが、別紙物件目録記載の医薬品である商品名「エナラート錠5mg」(以下「被告医薬品」という。)の製造につき、薬事法一四条に基づき厚生大臣に対して平成四年九月二九日に製造承認申請を行い、平成六年三月一五日付にて製造承認を得た。

(二) 被告医薬品は、いわゆる医療用の後発医薬品に属するものであるところ、その製造承認の申請書には、次の資料を添付することを要する(薬事法施行規則一八条の三、甲15)。

(1) 物理化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料として、規格及び試験方法に関する資料

(2) 安定性に関する資料として加速試験に関する資料

(3) 吸収、分布、代謝及び排泄に関する資料として生物学的同等性に関する資料

(4) 当該有効成分の毒性、薬理作用、吸収、分布、代謝、排泄及び臨床試験等に関する文献等のリスト及びその内容概要並びに評価結果の資料

(三) 被告は、(二)の資料を得るために、本件特許権の存続期間内に、被告医薬品を必要量製造して、各種試験(以下「本件試験」という。)に使用した。

4  被告医薬品と本件特許権の関係

被告医薬品は、本件発明(一)及び(二)の各技術的範囲に属する。

二  原告の請求及び請求原因

本件は、原告が、被告に対し、被告医薬品は本件発明(一)及び(二)の各技術的範囲に属するとして、主位的に本件特許権(一)に基づき、予備的に本件特許権(二)に基づき、次の請求をした事案である。

1  被告は、本件特許権の存続期間満了日である平成一一年一二月一一日以前に被告医薬品の製造販売をするおそれがあるとして、

(一) 特許法一〇〇条一項に基づき、平成一一年一二月一一日までの被告医薬品の製造販売等の差止め(請求の趣旨1項の一部)を、

(二) 特許法一〇〇条二項に基づき、侵害の予防に必要な行為として、厚生省薬務局長宛に製造品目廃止届書及び承認整理届書を提出すること(請求の趣旨2項)を、

各請求する。

2  被告は、本件特許権の存続期間満了後直ちに被告医薬品を製造販売するおそれがあるところ、右満了日の翌日から二年半を経過する期間内に被告医薬品を製造販売する行為は、原告に対する不法行為を形成するとして、

(一) 主位的に特許権侵害予防請求権に準じる侵害予防請求権に基づき、予備的に不法行為自体の効果としての差止請求権に基づき、本件特許権の存続期間満了日の翌日である平成一一年一二月一二日から平成一四年六月一一日までの被告医薬品の製造販売等の差止め(請求の趣旨1項の一部)を、

(二) (一)の主位的請求原因に付帯して、特許権侵害予防請求権の場合に準じて、厚生省薬務局長宛に製造品目廃止届書及び承認整理届書を提出すること(請求の趣旨2項)を、

各請求する。

3  被告は、本件特許権を侵害して被告医薬品の製造承認を得たのであるから、被告が被告医薬品の製造承認を得たことは不当利得を構成するとして、1(二)及び2(二)の予備的請求として、右製造承認の原告への無償譲渡(請求の趣旨3項)を請求する。

三  争点

1  本件医薬品の製造販売等の差止請求(請求の趣旨1項)について

(一) 本件特許権の存続期間満了前に被告が被告医薬品を製造販売するおそれがあるか。

(二) 本件特許権の存続期間満了後の被告医薬品の製造販売を差し止める請求に訴えの利益があるか。

(三) 特許権侵害予防請求権の拡張解釈又は不法行為に基づいて、本件特許権の存続期間満了後の被告医薬品の製造販売を差し止めることができるか。

2  製造品目廃止届書及び承認整理届書の提出請求(請求の趣旨2項)に訴えの利益があるか。

3  被告の製造承認取得は不当利得を構成するか(請求の趣旨3項)。

第三  争点に関する当事者の主張

一  争点1(一)(特許権の存続期間満了前の被告医薬品の製造販売のおそれ)について

【被告の主張】

被告は、被告医薬品の製造承認を得たが、本件特許権の存続期間中に、被告医薬品を製造販売することを全く予定しておらず、保険医薬品として販売するのに必要な薬価基準収載申請もしていない。

したがって、被告が本件特許権の存続期間内に被告医薬品を製造販売するおそれはない。

【原告の主張】

以下の理由により、被告が本件特許権の存続期間内に被告医薬品を製造販売するおそれがある。

1 被告は、争点1(三)の原告の主張のように、本件特許権の侵害を行った前歴があり、しかもその侵害の態様は、被告医薬品の製造承認申請という、将来に向けて被告医薬品の製造販売を行うという明確な意思の表明を包含する侵害態様である。とりわけ本件においては、本件特許権が平成一一年末まで存続するにもかかわらず、早くも平成六年三月には被告医薬品の製造承認がなされている事実を軽視すべきでない。かかる本件の場合においては、本件特許権の存続期間中に被告医薬品を製造販売するおそれは切実なものと受け止められなければならない。

2 薬事法七四条の二第三項二号は、「承認を受けた医薬品・・・を、正当な理由がなく引き続く三年間製造し・・・ていないとき」、厚生大臣はその承認を取り消すことができる旨を規定している。

ところで、被告が被告医薬品につき厚生大臣より製造承認を受けたのは平成六年三月一五日であるところ、同九年同月同日をもって三年間が経過した。そしてこの間被告は引き続き被告医薬品を製造も輸入もしていない。したがって、このまま推移すれば、被告が折角取得した被告医薬品についての製造承認はいつにても取り消され得る状態にある。

なお、本件特許が存在することは、被告が製造又は輸入しないことの正当な理由とはなし得ない。なぜなら、平成六年一〇月四日付厚生省薬務局審査課長通知「承認審査に係る医薬品特許情報の取り扱いについて」(薬審七六二号)の記3は「・・・同一有効成分の医療用医薬品の製造(輸入)承認申請を行う者は、当該有効成分に係る物質特許の有無及び物質特許がある場合には承認後速やかに製造又は輸入販売できることを示す資料を添付すること。」としているところ、右記3の資料の該当例を示した平成七年二月九日付厚生省薬務局審査課発日本製薬団体連合会宛事務連絡「医薬品製造(輸入)承認申請時に添付する特許情報について」は、「特許期間が終了するまでは製造又は輸入を行わない旨を示すことのみでは、『承認後速やかに製造又は輸入販売できる』とは解せないことにご留意ください。」としているところからみて、前記薬事法七四条の二第三項二号の「正当な理由」の有無も、右と同一基準により判断されると解されるからである。

したがって、被告がその主張する本件特許権存続期間満了後に製造販売する場合の法的前提として、被告がかって得た製造承認をそれまで確実に保持し続けるためには、被告は現在直ちに、その製造を開始しなければならない法的立場に置かれているといえるのである。かかる立場におかれている被告は、すなわち、「侵害するおそれのある者」にほかならない。

3 なお、被告は、被告医薬品については、現在まだ薬価基準収載申請を行っていないと主張するが、薬価基準収載は、被告医薬品が保険医療に採用され得るための条件ではあっても、医薬品の製造販売それ自体のための条件ではない。また、被告医薬品の製造承認がすでに与えられている以上、薬価基準収載申請そのものを随時なし得る状況にあり、その申請行為をも販売活動の一環とみるならば、被告はいつにても販売活動を開始し得る立場にあるともいえるから、いずれにせよ、現に「侵害するおそれ」が存在するとみるべきである。

二  争点1(二)(特許権の存続期間満了後の差止請求の訴えの利益)について

【被告の主張】

被告は本件特許権の存続期間満了後の被告医薬品の製造販売を予定している。しかしながら、期間満了後の市場の情況によっては右製造販売をしないこともあり得る。かかる趣旨で被告による被告医薬品の製造販売は未確定である。

したがって、予め請求を為す必要はなく、右期間の請求について訴えの利益がなく却下されるべきである。

【原告の主張】

被告は、本件において、本件特許権の存続期間満了後は、被告医薬品の製造販売を随時行う意向であることを表明しており、訴えの利益はある。

三  争点1(三)(特許権の存続期間満了後の差止請求の可否)について

【原告の主張】

1 被告医薬品の製造承認取得の違法性

本件被告医薬品は、被告も認めるとおり、本件特許発明の技術的範囲に属する医薬品である。

ところで、被告医薬品は、本件特許権の実施医薬品である「レニベース錠5」と、「同一医薬品を同一量含む同一剤形の製剤で、用法用量が先発医薬品と等しい医薬品」であって、薬事行政上いわゆる「後発医薬品」とされる医薬品である。後発医薬品については、その製造承認申請に当たって、先発医薬品の場合のごとき広範かつ膨大な資料の添付は要しないが、それでも、規格及び試験方法、加速試験及び生物学的同等性に関する各資料の添付が必要とされている。したがって、被告は、被告医薬品につき「後発医薬品」の場合に必要とされる右各試験を行いその試験結果の資料を添付して製造承認申請することにより、前記製造承認を得たことになるところ、当然のことながら、右試験を行うためには相当量の被告医薬品を確保していることが前提となるから、被告は、右試験に先立ち、右試験用の被告医薬品を自ら又は第三者に委託して製造したか若しくは輸入したはずである。また、被告が右試験を行ったことは、被告医薬品の使用そのものである。

そうだとすれば、被告は、右試験前及び試験中を通じて、本件発明につき特許法二条三項一号の「実施」をしたことになるが、右実施は、被告の事業目的のためのもので、単に個人的あるいは家庭的な実施ではないから、特許法六八条にいう「業として」の特許発明の実施に該当することとなり、したがって、被告の行った右業としての実施が別途特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するのでない限り、被告は本件特許権の侵害行為を行ったことになる。

特許法六九条一項が試験又は研究のためにする特許発明の実施に特許権の効力が及ばないことにしたのは、技術を次の段階に進歩せしめることを目的とするものであり、特許権の効力をこのような実施にまで及ぼしめることはかえって技術の進歩を阻害することになるという理由に基づく。したがって、同規定の適用を受け得べき試験研究とは、特許性調査、機能調査、改良・発展を目的とする試験等に限られるべきであって、いたずらに拡張解釈すべきものではない。そして、後発医薬品の製造承認申請のための試験は、試験とはいえ、先発医薬品との同等性を簡易な方法で証明するだけのものにすぎず、先発医薬品の開発研究のように技術進歩に貢献するところは全くない。また、後発医薬品の製造承認申請のための試験結果は一般に公表される。

以上によれば、被告が本件医薬品の製造承認申請のため行った前記試験は、特許法六九条一項に該当せず、したがって、被告は、本件特許権を侵害する違法な行為によって、被告医薬品の製造承認を取得したことになる。

なお、被告は、製造承認申請のための資料を得るためにのみ被告医薬品を製造し使用したにすぎないから、本件発明(一)の用途である「抗高血圧剤」として製造し使用したものではないと主張するが、被告医薬品は、それにつき抗高血圧剤として製造承認を得るための試験用として製造され、右目的のための試験用として使用されたものにほかならないから、被告は、マレイン酸エナラプリルを含有する錠剤を抗高血圧剤として製造し、使用したことになる。

2 本件特許権の存続期間満了後の製造販売行為の不法行為性

右のとおり、被告は、本件特許権を侵害する違法な行為により被告医薬品につき製造承認を得たものである。そして、被告医薬品のごとき、後発医薬品の製造承認を得る場合ですら、申請用の試験に着手してより承認を得るまでには少なくとも二年半は要するから、被告が本件特許権存続期間満了後二年半内に被告医薬品の製造販売を行うとすれば、それは、被告が本件特許権存続期間中に本件特許権を侵害して違法に取得した前記製造承認に基づくほかはないことになる。

ところで、被告が被告医薬品の販売を開始するとなれば、いずれにせよ、それだけ原告が有効成分を供給し、訴外萬有製薬株式会社が製造販売している本件特許権の実施医薬品(「レニベース錠5」)の市場が侵食され、原告はその分得べかりし利益を喪失することになる。すると、被告が本件特許権存続期間満了後二年半内に製造販売を開始する場合には、被告は、原告の本件特許権を侵害して違法に取得した製造承認に基づくことによりはじめて右製造販売をなし得た上に、その結果として原告の得べかりし利益が喪失する、という因果の連鎖が生ずることになる。しかも、これらの因果の流れには別段事態の予想外の進展といったものではないから、被告の違法な製造承認取得行為と原告の蒙る損害との間に相当因果関係が成立する。そして、被告の違法な製造承認取得行為は故意又は過失に基づくものであるから、少なくとも被告の違法な製造承認取得行為が原告に対する不法行為を構成することは、明らかである。

このように見れば、全体的考察においては、被告の製造承認取得行為とこれに基づく製造販売行為は、一連かつ一体不可分の行為といえ、製造承認取得から製造販売に至る全体としての一連の行為が不法行為を構成すると解すべきである。

3 特許権侵害予防請求権の拡張解釈による差止請求権(主位的請求原因)

前記のように、特許権を侵害して違法に取得した製造承認に基づき当該特許権存続期間満了後早々と製造販売を開始する行為が不法行為を構成するとすれば、この場合の不法行為は特許権侵害に準ずる不法行為とみるべきであるから、特許法一〇〇条一項による侵害予防請求権を拡張解釈することにより、同条の侵害予防請求権に準ずる差止請求権を認めるべきである。

本件のごとき後発医薬品の製造承認申請用の試験なるものは、事柄の性質上極秘裏に行われるのが常態であり、特許権者としてその試験の進行過程中にその本来有する差止請求権を発動しようにも、その機会が定型的に失われており、その製造承認内容の現実化としての特許権の存続期間満了後の早期製造販売を差し止めることを認めるのでなければ、特許権者がかかる違法な試験行為に対して本来有すべき差止請求権の趣旨を没却することになることが明らかであるからである。

4 不法行為に基づく差止請求権(予備的請求原因)

不法行為の効果に関する民法の規定は、差止請求の可否について触れるところがないが、不法行為による妨害の状態が継続し、被侵害利益が差止めを命じなければ回復できないような性質のものである場合には、不法行為に基づく差止請求権を認めるべきである。

工業所有権の侵害の場合は、仮の地位を定める仮処分による救済が求められる場合が多いように、差止めを命じなければ回復できないような性質の被侵害利益の場合に該当し、また、本件のごとき特許権存続期間満了後の不法行為の場合においては、特許権に基づく本来の差止請求権を補完すべきものとして、不法行為自体の効果としての差止請求が認められる場合に該当するというべきである。

5 被告は、特許権の存続期間満了後に特許権者に保護されるべき利益はないと主張する。しかし、侵害者が特許期間の満了前に早期に侵害行為を行うことにより、それだけ早期に顧客の獲得ができたといったような市場早期参入利益を獲得していたなら、侵害者は特許期間の満了後の販売についても責任があるというべきである。また、その場合には、早期市場参入利益を実現するための期間満了後の販売行為は不法行為と解されようから、そうした行為に対しても、不法行為に基づく差止めが認められてよいはずである。

【被告の主張】

1 被告の被告医薬品の製造承認取得のための試験の実施は、本件発明(一)の実施に該当しない。

本件発明(一)は、「抗高血圧剤」に関する発明であり、本件特許権(一)の優先権主張日の前から公知の物質であったマレイン酸エナラプリルの用途発明である。しかし、被告が過去に被告医薬品を製造したのは、厚生省に対する製造承認申請のために必要な資料を得るためであって、抗高血圧剤という特定の用途に用いるために製造したものではなく、右用途に使用したものでもない。

2 被告の被告医薬品の製造承認取得のための試験の実施は、特許期間満了後の実施に向けた準備行為であって、本件特許権侵害(不法行為)を構成しない。

(一) 特許権者はいうまでもなく特許発明に属する技術を独占的に行使でき、第三者が特許発明を利用して市場に参入することを防止できる。しかし、第三者が特許期間中に市場に参入しない限り、他製品の開発のために試験又は研究をしたり、独占期間終了後の実施に向けて各種の準備行為をしたとしたとしても、特許権者は法が授与した権利を何ひとつ侵されてはいない。特許法六八条及び六九条は、業としての実施でなければ、又は試験若しくは研究目的の実施であれば、特許権者の市場における独占という利益が少しも損なわれることがないことに基づく規定であり、いわば特許制度に内在する当然の事柄を規定したにすぎない。

(二) 何人も特許期間満了後における発明の実施は自由である。満了直後から市場への参入をするために、その準備行為をしておくことは当然である。このような準備を認めずして、期間満了後は実施自由であるといっても意味のないことである。

特に医薬品の製造販売の場合は、製造行為には薬事法上の製造承認という行政手続が必要であり、薬事行政の実態が事実上、製造承認申請までに約一年、申請から承認まで約一年半を要するのが実情であるから、原告主張の如く、期間満了前の準備行為を違法視するならば、実質的に特許権の存続期間がそれだけ延長されたのと同一の効果を作出する。しかし、昭和六三年から先発医薬品に関する特許について特許期間の延長制度が設けられた(特許法六七条二項)のであるから、新薬に関する特許取得後も薬事法上の製造承認が得られるまで事実上実施できないことに対する特許権者の利益保護の問題はすでに制度的に決着している問題である。

このような準備行為が違法でないことは、平成六年改正特許法附則五条二項の趣旨、医薬品を製造販売するには製造承認を得ることが行政法規の上で定められた義務であることに照らしても明らかである。

(三) 準備行為は特許法六八条にいう「業としての実施」ではない。

特許法六八条は、「特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有する」と規定する。この趣旨は、個人的、家庭的な実施のように「業としての実施」に該当しない行為は、市場において特許権者と競業関係に立たず、権利者の独占の外に位置せしめても権利者に何らの損害を与えないからである。

一方本件のごとく製造承認申請のための準備行為もそれにより特許権者に何らの損害も与えない。すなわち、将来の「業としての実施」に備えて必要とされる行政目的上の行為に過ぎないのである。

この趣旨は、<1>特許法六七条二項が医薬品等の特許を取得しても薬事法上の行政処分(製造承認)が得られるまでは、事実上特許発明の実施ができないことから定められた存続期間の延長登録制度の規定であり、当然に準備行為が「業としての実施」に含まれないことを前提にしていること、<2>平成六年改正特許法附則五条二項が、改正法公布前に「発明の実施である事業の準備をしている者」に対し法定の通常実施権を認めていること、<3>同じく法定実施権を認めた特許法七九条も、出願前に「発明の実施である事業をしている者」又は「その事業の準備をしている者」に先使用権を認めていることからも明らかである。

(四) 準備行為は特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当する。

特許法六九条の「試験又は研究」に該当するか否かを技術の進歩を目的にしているか否かで分けることは、その基準が極めて不明確であり正当ではない。

したがって、特許法六九条は「試験又は研究」の目的が奈辺に存するかを問わず、一律にこれを権利の及ばない範囲として定めているものというべきである。そしてこのように解しても、権利者には何らの損害を与えることなく、また技術の進歩にも資するものなのである。

特に製薬産業における後発会社が行う準備行為は、たとえそれが製造承認申請に向けてのものであったとしても、自ら製造し将来市場に出そうとしている製品の内容、性状、機能などを調べるものであるから、まさに典型的な試験行為である。そして、現に後発会社が先発品とその薬効成分を同一にする製剤を製造するに当たっては、単に承認申請目的のみをもって製造するだけではなく、製剤化するに当たって、服用し易いように剤型を工夫したり、安定化を図ったりするなど諸々の研究や試験を行うのであり、その過程で、製剤化に関する新たな技術が開発されることも少なくない。したがって、これら準備行為をもって特許法六九条に定める「試験又は研究」の概念から除外する理由も必要も全くない。

(五) 実質的違法性の欠如

前記のとおり特許権者が独占の利益を享受するのは、権利存続期間中における市場競争の場においてである。権利存続期間中に被告医薬品の製造や使用がなされても、それが製造承認に向けた準備行為に止まり、市場で原告製品と競合することがなければ原告に何らの損害が生じないことは明白である。なるほど特許権存続期間中に準備行為がなされたため、満了と同時に後発品が市場に出ることになれば、二年半後に出るより権利者が得られる利益は少なくなるであろう。しかしながらそれは現行法下での損害ではない。競業者が出現したために独占していた時代より利益が減ったというだけのことであって、決して損害と観念し得ることではない。

したがって、特許期間中の準備行為は、実質的違法性が欠ける。

3 仮に右試験が違法であるとしても、期間中の被告医薬品の試験と、右試験結果を添付して製造承認申請をなし、同承認を得るという行政行為は別であるから、右製造承認取得行為は特許発明の実施には当らないし、さらに、承認取得行為は、被告の申請に対する厚生大臣の行政処分であって、違法とすることはできない。

しかも、右製造承認取得行為と、本件特許権の存続期間満了後の被告医薬品の製造販売行為は別であって、一連かつ一体不可分ではない。右両行為間に論理的条件関係があるとしても、両行為は別のことであるから、前者の違法性を仮定しても、後者が違法性を有するものとはならない。

4 そもそも、特許権の存続期間満了後は、何人も自由に実施できることが例外のない原則である。原告は期間満了前の行為の違法を主張するが、期間満了前に被告がどのような行為を行っていようと、権利期間満了後において差止請求権が消滅することには何ら影響を及ぼすものではない。

原告の主位的請求原因である「特許権に基づく侵害予防請求権の趣旨を拡張して解釈する」との主張は、詰まるところ、本件特許権の存続期間が平成一四年六月一一日まで延長されるという解釈である。しかし、右のような拡張解釈は許されない。存続期間が満了して、特許権そのものが消滅した段階で、「特許権に基づく差止め」を請求すること自体矛盾撞着を免れない。

また予備的請求原因である不法行為は、特許権が存在しその侵害行為があって初めて議論されるべきことであって、特許権消滅後の行為が特許権侵害という不法行為を構成するということ自体これまた背理である。

四  争点2(製造品目廃止届書及び承認整理届書の提出請求の訴えの利益)について

【被告の主張】

薬事法七四条の二第三項二号は、「承認を受けた医薬品…を、正当な理由がなく引き続く三年間製造し…ていないとき」、厚生大臣はその承認を取り消すことができる旨を規定している。

しかし、取り消すか否かは、厚生大臣の裁量行為であり、かつ同人の専権事項であって、私人が製造品目廃止届書及び承認整理届書を提出したとしてもこれにより取消しの効果が発生するものでもない。

また、製造品目廃止届書及び承認整理届書については厚生省の通知により規定されているところであるが、一般に、一定の法律効果(本件では製造承認の取消し)の発生を目的とする行政庁の行為につき、法律がその要件、手続及び形式を具体的に定めている場合(同薬事法七四条の二)には、同様の効果を生ぜしめるために法律の定める手続、形式以外のそれ(同右通達)によることは原則として認めない趣旨であると解すべきであるから、製造品目廃止届書及び承認整理届書の提出によって何らの法的効果が生じるものでもない。

したがって、請求の趣旨第二項の請求については、その法律効果を生ずべき実定法がなく、原告には訴えの利益がない。

【原告の主張】

昭和五四年に追加規定された前記薬事法七四条の二は、それまで承認の取消し等の明文の規定がなかったのを明確化したものであるが、それ以前からも承認の取消し等はいわゆる行政行為の撤回としてこれをなし得るものと解され運用されて来た。しかし、取り消すのが適当であるような場合には、厚生大臣の取消し行為を待つまでもなく、承認取得者の自発により承認を整理させることが望ましい。そこで、行政手続上は、医薬品について今後製造(輸入)することがない品目については、製造(輸入)品目廃止届を提出し、同時に承認の整理届を提出することとされている(昭和四六年六月二九日付薬発五八八号厚生省薬務局長通知「医薬品の製造等の承認の整理について」、平成七年五月二五日付薬審五九七号厚生省薬務局審査課長通知「医薬品等製造業許可権限等の都道府県知事への委任等に伴う製造(輸入)許可事務等の取扱いについて」)

前記品目廃止届及び承認整理届の提出は、被告の取得した被告医薬品についての製造承認の効力を将来に向かって消滅させる行為であり、特許法一〇〇条二項の本件特許権侵害の予防に必要な行為といえるから、原告は、被告に対し、右各届の厚生省薬務局長宛提出を求め得ると解すべきである。

なお、右製造品目整理届及び承認整理届提出請求権は、被告が厚生省薬務局長宛に一定の意思表示をなすべきことを求める債権であるから、債務名義の確定・成立をもって法による意思表示の擬制が認められる場合と解されるし、仮にそうでないとしても、少なくとも代替的作為債権として代替執行の対象となり得るものであるから、強制執行も可能である。

したがって、品目廃止届及び承認整理届の提出には訴えの利益がある。

五  争点3(製造承認取得の不当利得性)について

【原告の主張】

1 不当利得の要件たる「利益を受けること」とは、権利といえなくとも、財産的な利益というだけの価値のあるものを取得することで足りる。医薬品製造承認は、これを取得したことにより当該医薬品を製造販売して経済的利益を収め得る基礎をなすものであり、かつ薬事法施行規則二一条の六及び二七条により、制度上譲渡可能でもあるから、優に財産的利益といい得る。

この場合、被告の右利得のみによっては原告にまだ現実的な損害が発生したとはいえないかも知れないが、不当利得にあっては、「甲の取得した利益が原則として乙の被った損失になる」と解すべきである。

そして、被告は、争点1(三)に関する原告の主張のとおり、原告の財産権たる本件特許権を無断実施して製造承認申請に必要な試験を行うことにより製造承認を得たものである。財産的利益が権利によって特定の人に割当てられている場合に、その割当内容に含まれる利益を他人が享受することは、権利者の意思又は法律による是認がない限り、許されないから、被告が被告医薬品の製造承認申請用の試験のために本件特許権を無断実施したことは、法律上の原因欠如の要件を充たしている。

以上より、被告による被告医薬品の製造承認の取得は原告に対する不当利得を構成する。

2 不当利得の返還は、できる限り、利得した現物をもってなすべきである。前述のとおり、本件においては、被告が被告医薬品につき取得した製造承認そのものが利得であり、かつ現にその利得たる製造承認が現存しているから、被告は原告に対し、右製造承認を無償譲渡することにより返還すべきことになる。

なお、仮に被告の利得とは製造承認申請用の試験そのものとみる場合には、右試験に基づく製造承認取得はその果実とみられるから、悪意の利得者であることの明らかな被告は、やはり被告医薬品につき得た製造承認を原告に対し無償譲渡して返還すべき義務を負うことになる。

【被告の主張】

原告は、被告の得た製造承認を原告に譲渡すべき理由として、不当利得による原物返還請求権を論じている。このような主張は原告の有していた原物、本件では原告が取得した承認を、法律上の原因なく被告が承継した場合に論ずることは可能であろう。しかし、原告は右承認を得たこともないし、また被告は右承継もしていない。

したがって、原告の主張は、不当利得による救済の前提を誤っている。

第四  当裁判所の判断

一  特許権の存続期間満了前に被告が被告医薬品を製造販売等するおそれの有無について(争点1(一))

1  前記基礎となる事実、後掲各証拠及び弁論の全趣旨からすれば、次の事実が認められる。

(一) 被告医薬品は、本件発明の技術的範囲に属するところ、被告は、その旨を本件訴訟において全く争っていない。

(二) 被告は、平成六年三月一五日、厚生大臣から被告医薬品の製造承認を得た。

(三) 原告は、被告に対し、同年九月一六日差出にかかる内容証明郵便にて、被告医薬品の製造販売は本件特許権を侵害する旨の警告をした(乙1)。

これに対し被告は、同年同月二六日差出にかかる内容証明郵便にて、本件特許権の存続期間中は被告医薬品の製造販売を開始する意図を有していない旨回答した(乙2)。

(四) 被告代表者は、平成九年一〇月二九日付けの陳述書(乙4)において、本件特許権の存続期間の満了前には被告医薬品の製造販売を開始する予定がなく、その後に市場の情勢を見て製造販売するか否かを判断するが、具体的には、平成一二年の春に薬価基準収載を申請し、同年夏ころから製造販売を開始すると予測している旨陳述している。

(五) 現在のところ、被告は、製造承認に基づく製造販売をしておらず、薬価基準収載の申請もしていない。

(六) 本件特許権の存続期間は、平成一一年一二月一一日をもって満了する。

2  以上の事実によれば、本件特許権の存続期間内に被告が被告医薬品の製造販売をするおそれがあるとは認められない。

これに対し原告は、<1>被告が製造承認を得たのは本件特許権の存続期間が満了するはるか前であること、<2>被告医薬品は製造承認を受けた日から三年を経過しているから、速やかに製造販売を開始しなければ薬事法七四条の二第三項二号により製造承認を取り消される状況にあることを指摘する。

しかし、前記のように、被告は当初から被告医薬品が本件発明の技術的範囲に属することは明確に認めており、少なくとも本件特許権の存続期間中に被告医薬品の製造販売をすればどのような事態が生じるのかについて十分認識していると認められる上に、製造承認から約四年八月が経過し、本件特許権の存続期間満了まで残り約一年と迫った現時点においても、なお製造承認を取り消されず、薬価基準収載の申請も行っていないことからすれば、原告指摘のような事情を考慮してもなお、被告が本件特許権の存続期間中に被告医薬品の製造販売を開始するおそれがあると認めるには足りない。

なお、原告は、被告が争点1(三)の原告の主張のように、本件特許権の侵害を行った前歴があることも、被告が本件特許権の存続期間内に被告医薬品を製造販売するおそれがあることの根拠として挙げているが、右の侵害行為の態様は、被告医薬品の製造承認申請のための試験用としての被告医薬品の製造や使用をいうものであるところ、後記三において判断するとおり、被告の右行為は、特許法六九条一項により本件特許権の効力が及ばないから、被告が過去にした右行為をもって原告主張のおそれを裏付ける侵害の前歴とはなし得ない。

3  したがって、請求の趣旨1項のうち、本件特許権の存続期間満了前の被告医薬品の製造販売等の差止めを求める部分は、理由がない。

二  本件特許権の存続期間満了後の被告医薬品の製造販売を差し止める請求に訴えの利益があるか(争点1(二))について

特許権の存続期間満了後の被告医薬品の製造販売を差し止める請求は、いわゆる将来の給付の訴え(民事訴訟法一三五条)に属するが、前記一1(六)で認定した事実によれば、本件特許権の存続期間の満了まで残存期間が少ない上、被告は、本訴において、右期間満了後には被告医薬品の製造販売を予定している旨表明していることが認められ、このことに照らせば、特許権者である原告にとっては、あらかじめ右請求をする必要があるということができるから、右請求に訴えの利益があること自体は肯定することができる。

三  特許権侵害予防請求権の拡張解釈又は不法行為に基づいて、本件特許権の存続期間満了後の被告医薬品の製造販売を差し止めることができるか(争点1(三))について

1  特許権侵害予防請求権の拡張解釈に基づく請求について

特許法一〇〇条一項は、「特許権者…は、自己の特許権…を…侵害するおそれがある者に対し、その侵害の…予防を請求することができる」旨規定し、さらに特許権侵害行為によって被った損害については民法七〇九条に基づく損害賠償の請求をしやすくするための規定を特許法に置いて(同法一〇二条ないし一〇五条)、特許権者が「業として特許発明の実施をする権利を専有する」こと(同法六八条本文)に実効性を持たせているところであるが、他方で、特許法は、特許権の存続期間を限定し(同法六七条一項)、その期間の経過後は、何人も自由に当該特許発明を実施・利用し得ることとすることにより、「発明の保護」と「利用」(同法一条)の調和を図っているものである。そして、通常の存続期間の設定では発明の保護に欠け、特許権者に酷であると考えられる場合には、別途、存続期間の延長登録制度(同法六七条二項)を設けることにより、対世的な公示の点にも手当をした上で、発明の保護と利用の特別の調整を図っているものである。

このような特許法の趣旨からすれば、存続期間経過後は特許権は消滅し、何人も特許発明を自由に利用し得るという原則は厳格に解すべきであり、特許一〇〇条一項は、あくまで特許権が存続することを前提にする規定であるから、特許権消滅後についてまでそれを拡張解釈して被告医薬品の製造販売等を差し止めることはできないと解すべきである。

したがって、その余について判断するまでもなく、特許権侵害予防請求権の拡張解釈に基づき、本件特許権の存続期間満了後の被告医薬品の製造販売等の差止めを求める請求(主位的請求)は理由がない。

2  不法行為に基づく差止請求について

(一) 前記基礎となる事実によれば、被告は、本件特許権の存続期間内に、製造承認申請のために被告医薬品を製造し、各種試験のために使用したことが認められる。

ところで、本件発明(一)は「抗高血圧剤」に関する特許であるところ、右の被告医薬品の製造及び使用は、被告医薬品が抗高血圧剤としての効能を有するか否か等を確認するためになされたものであるから、特許法二条三項の「実施」(一号)に該当するものといえる。

そして、被告は、医薬品の製造販売等を目的とする会社であり、被告医薬品の製造及び使用は自らの営業活動のために行ったものであるから、被告は、業として本件発明(一)を実施したものというべきである。

(二) そこで、被告の右行為が、特許法六九条一項所定の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するか否かについて検討する。

(1) 特許法六九条は、業として特許発明を実施する場合であっても、例外的に特許権の効力が及ばない範囲を定めたものであるが、発明の保護を通じて発明を奨励し、産業の発達に寄与するという観点(特許法一条)からすれば、特許権の存続期間内に業として特許発明を実施する者には全面的に特許権の効力が及ぶものとするのが本来望ましいところである。しかし他方、発明を発明者に独占させるだけでは技術の発達は望めないのであり、発明された技術は、それが種々の意味で利用されて初めて社会全体の技術水準が向上し、またそれに基づいて新たな技術が開発されていくものであって、このような観点から発明の利用を図り、それによって産業の発達に寄与することもまた特許法が目的とするところである(特許法二条)。特許法は、このような二つの目的を調整するために種々の規定を置いているが、六九条もその一つであり、一方では、たとえ特許権の存続期間中であっても、特許にかかる技術の価値や利用可能性等を第三者が理解したり、当該技術を踏まえて更に新たな技術を開発するためには、当該技術を実施して試験研究を行うことが必要不可欠であること、他方では、試験研究のためだけであれば、特許発明を実施しても特許権者が独占すべき市場利益を奪うこともないことから、試験研究のためにする特許発明の実施には特許権の効力が及ばないこととされたものであると解される。

このような理解からすれば、特許法六九条一項に該当するためには、当該試験研究が技術水準の向上や技術の開発につながり得るような性質のものであるとともに、特許権者が独占すべき市場利益を奪うような性質のものでないことが必要である。

(2) 本件において被告は、前記基礎となる事実3(二)記載の各資料の作成のために薬事法上求められる各種の試験を行ったものであるが、薬事法において、有効成分、分量、用法、用量、投与経路、効能及び剤型等が既存の先発医薬品と異ならない後発医薬品についても、右各資料の提出が求められるのは、次のような理由によると解される。すなわち、先発医薬品の製剤化の具体的な内容は企業秘密として公開されないのが一般である(乙12、弁論の全趣旨)から、後発医薬品の製造業者としては、自己の有する知識、技術及び経験を用いて試行錯誤を行って後発医薬品を製造することとなる。しかし、医薬品においては、有効成分や剤型が同一であっても、製剤化(製剤の処方、製造方法)が相違すれば、有効性及び安全性が異なることがあり得る(弁論の全趣旨)ことから、右のようにして製造された後発医薬品が必ずしも先発医薬品と品質、有効性及び安全性において同等である保証がないため、それらを確保するために、前記資料の作成及び提出が求められるのである。

そして本件においても、先発医薬品たる訴外萬有製薬株式会社の「レニベース錠5」の具体的な製剤方法が公開されていたと認めるに足りる証拠はなく、また、本件特許権(一)の特許公報(甲2)によっても製剤方法が十分に明らかにされているとはいえないから、被告は、先発医薬品と同等の結果を得るべく、製剤化方法について独自の知識、経験や技術を使って被告医薬品を製造し、その同等性の確認のために本件試験を実施したものと推認される。したがって、被告は、本件試験を実施することにより、どのような製剤方法を採れば先発医薬品と同等の品質、有効性及び安全性を確保できるのかについての独自の知見を得たものといえる。

もとより、甲34及び弁論の全趣旨に照らすと、このような試験によって得られる知見は、先発医薬品を開発するときに得られる知見と比較すれば、技術の進歩に寄与する程度としては低いことは否定できない。しかし、(1)で述べたところからすれば、特許法六九条一項が適用されるための技術水準の向上や技術の開発につながり得る試験というためには、それ自体が特許性を有するような高度の発明を得られるものに限定されず、何らかの点で技術開発の要素を持っているものや、技術水準を向上させる要素を持っているものも含まれると解すべきであるから、本件試験も同条の試験たり得るというべきである。

(3) また、先に一で述べたところからすれば、本件試験は、本件特許権の存続期間満了後の製造販売を意図して実施されたものであり、特許権者が独占すべき市場利益を奪うような性質のものでないと認められる。

この点について原告は、被告は本件試験を行って本件特許権の存続期間満了前に製造承認を得たことによって、そうでない場合よりも右期間満了後早期に市場から利益を得ることができるようになったのであるから、それだけ特許権者が独占できていたはずの市場利益を奪ったものであると主張する。しかし、先に1で述べたところからすれば、特許権者が独占できる市場利益は、特許権の存続期間中のものに限定されているのであり、それを確保するために種々の規定が置かれているのであるから、原告の右主張は特許法が認める以上の利益を特許権者に与えることになるものであって、採用することができない。

(4) 以上によれば、本件における被告の被告医薬品の製造及び使用は、特許法六九条一項の適用を受けるものであるから、被告の行為は不法行為を構成せず、右によって取得した製造承認に基づいて本件特許権の存続期間経過後に被告医薬品を製造販売する行為も、不法行為を構成しない。

したがって、不法行為に基づき、本件特許権の存続期間満了後の被告医薬品の製造販売等の差止めを求める請求(予備的請求)は理由がない。

(三) 以上の理は、本件特許権(二)に基づく予備的請求についてもそのまま妥当するものである。

三  製造品目廃止届書及び承認整理届書の提出請求について

1  製造品目廃止届書及び承認整理届書の提出請求(請求の趣旨2項)は、特許法一〇〇条二項に基づくものであるところ、前記のとおり、同条一項に基づく差止請求はいずれも理由がないから、それに付随して認められるにすぎない右二項に基づく右請求も理由がない。

2  なお、右請求の訴えの利益(争点2)について検討するに、甲11、甲12及び乙3によれば、製造承認を受けた医薬品について今後製造することがない品目については、製造品目廃止届を提出し、同時に承認の整理届を提出することとされており、その根拠は、昭和四六年六月二九日薬発第五八八号厚生省薬務局長通知にあるものと認められるところ、医薬品の製造承認は、厚生大臣が行う行政処分であるから、このような届出が行われただけで直ちに右許可の効力が失われるというわけではない。しかし、これらの届出が所管官庁である厚生省になされた場合には、少なくとも当該医薬品の製造販売の事実上の制約になることは否定し得ないところであり、もともと特許法一〇〇条二項は、事実上の効果しか有しないものを含めて「侵害の予防に必要な行為」を請求できるものとしているのであるから、本件において右各届が侵害の予防に必要か否かという点については議論の余地があるとしても、訴えの利益において欠けるところはないものというべきである。

四  不当利得返還請求について(争点3)

先に二で述べたところからすれば、被告が被告医薬品の製造承認を得たことは、何ら不当利得を構成するものではないというべきである。

第五  結論

以上によれば、原告の請求はいずれも理由がないから、主文のとおり判決する。

(平成一〇年一二月一〇日口頭弁論終結)

(裁判長裁判官 小松一雄 裁判官 高松宏之 裁判官 水上周)

物件目録

一錠中、左式で示されるN-(1-(S)-エトキシカルボニル-3-フェニルプロピル)-L-アラニル-L-プロリン・マレエート(一般名「マレイン酸エナラプリル」)を5mg含有する抗高血圧剤

(商品名「エナラート錠5mg」)

<省略>

(別紙)特許請求の範囲目録

(式中、Rはヒドロキシまたは低級アルコキシである。R1はフエネチルである。R3はメチルまたは4-アミノブチルである。R6はヒドロキシである。ただし、R3が4-アミノブチルのときは、Rはヒドロキシである。)を有する化合物および製薬上認められるそれらの塩の製薬上有効な量からなることを特徴とする抗高血圧剤。

(式中、RおよびR6は同一または異なるものであつて、ヒドロキシまたは低級アルコキシである。R1はフエニル低級アルキルである。R3はメチルまたは4-アミノブチルである。)を有する化合物および製薬上認められるそれらの塩。

<省略>

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