大阪地方裁判所 昭和23年(ワ)423号 判決
原告 小野楠太郎
被告 山田又藏
一、主 文
被告は原告に対し金五千円及之に対する本判決確定の日から完済に至る迄年五分の割合に依る金員を支拂うこと。
原告の其の余の請求を棄却する。
訴訟費用は之を二分し、その一を被告の負担とし、その一を原告の負担とする。
本判決は原告が金千五百円の担保を供するときは、金五千円の支拂を求める部分に限り仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は被告は原告に対し金九千三百六十五円及之に対する判決確定の日から支拂済に至る迄年五分の割合に依る金員を支拂うこと、訴訟費用は被告の負担とするとの判決並に仮執行の宣言を求め、其の請求の原因として、被告は被告の肩書地に於てライオン湯と称し湯屋業を営んで居るものであるが、原告は昭和二十三年二月二十二日午後八時二十分頃入浴の爲被告方に赴き、同浴場男子南側脱衣箱中央下から三段目第二十六号に、当時着用した衣類及携帶品である別紙目録<省略>記載のものを入れて入浴したところ、入浴中に何者にか右衣類等十一点全部竊取された。凡そ湯屋業を営むものは、入浴客が浴場の脱衣箱に衣類を收納したときは、社会通念上当然受寄者としての保管の責任があるものであり、前記の如く原告の入浴中に脱衣箱に收納した衣類等を竊取されたことは、被告方使用人の過失に基くものであるから、被告は原告に対し商法第五百九十四條に依り原告の被つた損害を賠償する義務がある。而して竊取された原告所有の別紙目録記載の衣類等はその價格欄相当の時價を有し、從つて原告は合計金九千三百六十五円相当の損害を被つて居るから、被告に対し右金員及之に対する本判決確定の日から支拂済に至る迄年五分の割合に依る遅延損害金の支拂を求める爲本件請求に及んだと陳述した。<立証省略>
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告の主張事実中、被告がライオン湯と称して居る浴場を経営して居ること、原告が其の主張の日、被告方浴場で入浴したこと及その際原告から盗難にかゝつた旨の申出のあつたことは之を認めるが、其の他の事実は之を爭う。原告が盗難にかゝつたことに付被告には何等の過失がなく、却つて当時の状況からすれば、原告の責に帰すべき事由に依つて、原告は被害を受けたのであるから、被告には何等責任はない。即被告は昭和五年六月以降浴場を経営し、ライオン湯は昭和二十年三月から経営して居り、原告被害当時の浴場の設備営業の実状等は次の通りである。(一)浴場の設備。(イ)脱衣場に於ける脱衣箱は戸棚式組立脱衣箱で男女共各四十個宛で施錠をし各脱衣箱の表側扉に壱から四拾迄の番号を記載し、更に脱衣籠十二個宛を平行に置き並べ網でしばつて居る。男女脱衣室の中央部に一段高く番台を設け脱衣室の整理看視に当つて居る。脱衣箱に衣類等を入れる浴客は自己の持参した南京錠又は番台から借受けた南京錠を以て施錠し、傘は浴室に持参するか又は番台へ寄託するようになつて居た。(ロ)電燈設備、当時は一般に制電下にあつたので極度の制限を受けて居たが、浴室に男女共六十燭光各二個、男女浴室の中央部に六十燭光一個、脱衣場に六十燭光四十燭光各一個男女脱衣場中央に六十燭光一個、別に女脱衣場幼兒寝台上部に四十燭光一個を配し、停電時に蓄電式バツテリー十二ボルト、三十燭光一個宛を男女浴室に、脱衣場に六十燭光各一個、男女脱衣場中央部に六十燭光一個幼兒寝台上部に四十燭光一個を設置し、混乱又は盗難防止に勉めて居た。(ハ)從業員の配置及看視の状況。從業員山本ウタは当時番台に座り、一般男女の浴客の看視を担当し、上野勇平、高橋加代子、高橋光子は常に脱衣室に於て浴客の整理看視に、被告は専ら釜炊に從事して居た。尚平素は被告の妻も番台の補助を爲して居たが、当日は偶々大腸加答兒の爲看護婦を雇ひ医師の治療を受けて居たので浴場に出動出來なかつたので、右雇人等に一層嚴重に看視を怠らぬよう注意を與えた。被告は盗難紛失等の事故防止の爲、此の種事業として必要以上の人員を配し過誤の発生しないよう留意して居たし、右從業員等は相当深い経驗を有するものであるばかりでなく、何れも誠実に執務して居たもので、被用者の選任に関し被告には何等過失はない。(ニ)盗難防止の設備。前記(一)(イ)(ロ)以外に脱衣室の最も見易い場所に横約二尺二寸縱約二尺の厚紙に「近頃盗難頻々に就き御手数ですが錠前御持参又はフロシキ御持参二三人連で御出での方は交代なりと御入浴下さつて盗難予防に御盡力下さいます様御願ひいたします又もし錠前御忘れの方には御かしもいたします切に御願ひ申上げます主人」と書いたポスターを掲示し、更に「板場稼を発見捕えて下さつた方に千円差上げます何卒御協力下さい主人」と書いたポスターを掲げ盗難予防止に付一般浴客の注意力喚起と協力とを要請する等被告は具体的に最善の注意を拂つて來たものである。(三)一般浴客の状況。本件浴場の営業時間は午後二時から午後九時迄で、当周囲部は比較的労働者が多く、從つて浴客の大部分が労働者で一日平均千二三百人の入浴者があつて、午後七時半頃から午後九時迄が最も混雜する時刻で、混雜時には毎時約四百人位の入浴者がある。二月二十日は公休日翌二十一日は降雨で浴客が少く二十二日は附近の浴場休業の爲一層多数に達し混雜を極めて居たので、從業員に対し特別監視に当るよう注意した。思うに終戰を契機とし國民の道義地に墜ち治安極度に紊乱し強竊盗等の犯罪日を追つて激増し、社会不安の念の除去しないことは公知の事実である。本件浴場も此の影響を被り脱衣箱の施錠を次々に持ち去られ、被告が之を補充しても補充し得ない実情に在つた上戰後資材の不足と工員の整備等の爲此種錠の製作工場乏しい爲補充することが出來ない爲、己むを得ず昭和二十一年六月同業組合から各業者に対し應急措置として前記のようなポスターの掲示方を通達して來たので、被告は直に之を掲示し、浴客に対し其の注意を喚起した。被告は事業主として最善の注意を拂うべきは勿論であるが、一般浴客も最善の注意を爲し、各人が自らを守り自らを保護すべきは当然である。此のことは右のような社会状勢の最惡環境下に於て最も強く要請されて居るのである。商法第五百九十四條は通常の社会環境の下に於ける規定であつて、本件被害発生当時のような不測の最惡情勢下にあつては自ら新な観点から檢討するを相当と信ずるし、又右規定中の不可抗力とは前記の最惡環境下の社会情勢自体が不可抗力と解するのは敢て不相当ではない。從つて被告は賠償義務はない。更に原告は以上のような最惡環境下の社会情勢に際し、南京錠を持参又は番台から借受けることなく、脱衣箱は慢然自己の衣類を放置し、被告に対し寄託しなかつたことは、諸般の事情に徴し迂濶なことで、原告自ら善良なる管理者の注意を怠つて居るもので、原告が被害を被つたことは、原告自身の責に帰すべきもので、被告には責任がないと述べた。<立証省略>
三、理 由
被告が大阪市阿倍野区阪南町西一丁目二十七番地でライオン湯と称する浴場を経営して居ること、原告が昭和二十三年二月二十二日午後八時過頃被告の経営する右浴場に於て入浴したこと及原告が入浴中右浴場内で盗難にかゝつたことは当事者間に爭がない。成立に爭のない甲第一号証、証人小野マサノの証言及原告本人訊問の結果に依ると同日午後八時三十分頃原告は着用して行つた衣類携帶品(別紙目録記載のもの)を單に被告方浴場の脱衣箱に入れて入浴したところ、入浴中何者かに右物件全部を竊取された事実を認めることが出來る。然らば原告は被告経営の浴場内で特に被告に寄託しないものを盗難に依り失つたと謂うことが出來る。而してかゝる場合、浴場の主人である被告は自身又は其の使用人の不注意に因り滅失したと認められる場合は、浴場の主人である被告は損害賠償の責任があることは、商法第五百九十四條第二項の規定するところであるから、原告の被つた右盗難が被告又はその使用人の不注意に因るや否やに付判断するに、証人山本ウタの証言及被告本人訊問の結果に依ると右事件発生の前々日である二十日は公休日、翌二十一日は降雨の爲、入浴客が少かつたことと、事件発生当日は附近の浴場が休業した爲に、平素から混雜するライオン湯は、当夜は特に入浴客が多く、特に事件発生の時刻は一層混雜して居た事実を認めることが出來る。終戰後道義全く地に墜ち、治安極度に紊乱し強竊盗等の犯罪激増し、社会不安日を追つてつのり、昭和二十三年頃には治安やゝ回復して來たが、強竊盗等の犯罪は尚減退しなかつたことは顕著な事実である。かゝる社会状態に於て、前記のような入浴客の多い浴場を経営する被告は浴場内に於ける盗難防止の爲格段の注意を爲すべき義務を負うことは当然である。被告は事件発生当夜訴外山本ウタ、上野勇平、高橋加代子、高橋光子が番台及脱衣場の看視に当り、特に当日は被告の妻が大腸加答兒の爲病床にあり、脱衣場に出ることが出來なかつた爲、右使用人等に嚴重看視するように申し渡し、同人等はよくその任に当つて居たと主張するが、当夜右四人が脱衣場に在つて客の看視整理に当つて居た旨の証人山本ウタの証言及被告本人訊問の結果は原告本人訊問の結果に徴し採用出來ないばかりでなく、原告本人訊問の結果に依ると、原告が被告方へ入浴に行つた際、番台に女の人が一人居り(証人山本ウタの証言に依ると右女の人は山本ウタであることが認められる)男子脱衣場には男の使用人が一人居つたが、原告が入浴を終り、脱衣場に出た際は右の男の人は居らず、被告の使用人は番台に一人居たのみであり、原告は盗難の事実を知り、番台に居つた人に被害事実を申出でた事実を認めることが出來るから、当時四人の使用人が看視及整理に当つて居た旨の被告の主張は到底採用することは出來ない。番台に居るものは金銭の授受及男女双方の脱衣場の客の動勢の看視を爲すことを職務とすることは公知の事実であり、浴客の閑散時に於ては一人にて足る場合もあるが、前記認定の如く異状な混雜状態の際には金銭の授受のみにても相当多忙を極め、客の動勢の看視迄充分なし得ないことは容易に推知することが出來る。右のような混雜時に於ては、宜しく被告は使用人全部を動員し、客の携帶品等の盗難防止に全力を挙ぐべきである。かゝる挙に出でずに、一時的であるとは云え男子脱衣場の看視の者を配置せず番台に座る一人のみに任せたのは、被告に於て注意義務を怠つたと云うべく、又番台に居た山本ウタが、別紙目録記載のような多量にして嵩ばるものの竊取行爲を発見しなかつたのは、同人の不注意に帰因すると謂うべきである。被告は終戰後の道義地に墜ち強竊盗等の犯罪日を追つて激増し治安全く紊れた最惡環境の下に行われた本事件は、不可抗力であると主張するが、前記事情の下に行われたのであるから右のような最惡環境下の社会情勢自体が不可抗力であると謂うことは出來ない。然らば被告は商法第五百九十四條第二項の規定に依り、原告の被つた損害を賠償する義務がある。仍つて損害の数額に付判断する。前掲甲第一号証及原告本人訊問の結果を綜合すると、原告が竊取された別紙目録記載の物件の價格は同目録價格欄各記載の金額に相当することを認めることが出來るから、原告は右物件を竊取されたことに依り合計金九千三百六十五円の損害を被つたものと謂うことが出來る。然し乍ら被告本人訊問の結果及之に依り成立を認められる乙第一号証、証人谷口藤次郎の証言を綜合すると、前記のような社会情勢下に於て、浴場に於ける盗難が多くなつたが、終戰後の物資の欠乏の爲浴場の設備の完備特に脱衣箱の施錠の設備の完全を期することが出來ない事情に在つた爲、浴場組合として脱衣場に南京錠の掛る設備をすること、浴客には錠を持参して貰うこと、浴場の経営者に於ても南京錠を用意して、申出のあつた客に貸與することとすることを決議し、その旨組合員に通達し、被告に於ても右趣旨を客に周知させる旨被告主張のような注意書(乙第一号証通り)を脱衣場の見易い場所に掲出して居た事実、被告方に於ても南京錠のかゝる設備を爲して、南京錠を備えつけたが、客に持ち帰られる爲、その数は不足勝であつた事実並に原告は入浴の際南京錠を掛けずに入浴した事実を認めることが出來る。勿論右のような注意書の掲出を以て、被告が客の盗難に付その責を免れ得ぬことは商法第五百九十四條第三項の規定の趣旨に徴し明かであるが、前記のような社会情勢下に於ては、客に右のような行爲を求めることは又已むを得ないものと謂うべきである。前記のような社会情勢下に於ては浴場に於ける盗難の絶滅を期する爲には、浴場の主人、その使用人と客との協力を必要とすることは勿論である。原告が右事実を意に介せず、何等盗難防止の挙に出でなかつたことが、本件盗難の一原因となつたと認められ、此の点に於て原告にも過失があるから、当裁判所は損害額を定めるに付此の点を斟酌し、被告の賠償すべき額を金五千円を以て相当と認める。以上の理由に依り、原告が被告に対し金五千円及之に対する本判決確定の日から、完済に至る迄年五分の割合に依る遅延損害金の支拂を求める限度に於て正当として之を認容し、その余の請求は失当として之を棄却し、民事訴訟法第八十九條第九十二條第百九十六條を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 岡野幸之助)