大判例

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大阪地方裁判所 昭和23年(ワ)468号 判決

原告 小林治助

被告 平野久吉

一、主  文

被告は原告に対し、原告が被告に対し金四万七千円の支拂をするのと引換に、別紙目録記載の各物件に付所有権移轉登記手続をなし且右物件中家屋番号第二二四号の居宅を明渡すこと。

被告は原告に対し各右所有権移轉登記手続完了の日の翌日から右家屋明渡済に至る迄一ケ月金三百円の割合に依る金員を支拂うこと。

訴訟費用は被告の負担とする。

此の判決は家屋明渡を求める部分に限り、原告に於て担保として金二万円を供託するときは仮に執行することが出来る。

二、事  実

原告訴訟代理人は主文第一乃至第三項同旨の判決並に家屋明渡及金員支拂を求める部分に付担保を條件とする仮執行の宣言を求め、其の請求の原因として「原告は訴外田中潔を其の代理人として昭和二十年十一月十八日、被告から其の所有に係る別紙目録<省略>記載の物件を、代金六万円にて、同日右物件中工場一棟の引渡を受けると同時に代金内金として金一万円を被告に支拂い、同年十二月末日に代金残額五万円を支拂うと同時に右物件の所有権移轉登記手続を爲し且つ右物件中家屋番号第二二四号の居宅を明渡す約旨で買受ける契約を結び、同日右約旨に基いて右工場一棟の引渡を受け、代金の内拂として金一万円を被告に支拂つた。然るところ被告は同年十二月下旬に至り、残債務の履行期を翌二十一年一月末日迄猶予されたいとの申出があり、更に同年一月下旬に至り娘の縁談成立を理由に同年二月末迄履行期の延期方を申出たので、原告は之を承諾した。其の上原告は被告の懇請により同年四月八日金二千四百円、同年七月十九日金六百円を各代金の内拂として被告に支拂つた。然るに被告は原告の再三の請求にも拘らず其の履行をしないので、原告は被告に対し、右代金残額四万七千円の支拂をするのと引換に別紙目録記載の物件に付所有権移轉登記手続を爲すこと及び右物件中家屋番号第二二四号の居宅を明渡すこと並に右居宅は賃貸すれば一ケ月優に金三百円の家賃を收得し得べく、原告は右移轉登記後右居宅明渡の遅延により右家賃相当の損害を蒙ることを免れないから、右移轉登記の翌日から右居宅明渡済に至る迄一ケ月金三百円の割合による損害金の支拂を求める。」と述べ、被告の主張に対し「被告主張事実中、被告が其の主張の日其の主張の如き理由で金二万六千円を供託したこと及び原告が被告に対し昭和二十一年三月一日から毎月金百円を交付していることは認めるが、其の余の事実は否認する。而して前示原告が被告に対し三回に亘つて交付した合計金一万三千円は何れも手附金ではなく、單なる代金の内金に過ぎないから、被告の手附倍戻による契約解除の主張は失当である。仮りに右交付金員が手附金であるとしても、前示の如く被告は原告に工場の引渡をして、本件契約の履行に著手したから、手附倍額償還による契約の解除を爲し得ないものである。原告が被告に対し前示毎月百円を交付しているのは、本件賣買の残債務の履行期が被告の都合で延期したので、若し其の間前示引渡済の工場の敷地に付、其の所有者と之を賃借している被告との間に地代不拂の事由によつて將來紛爭を生ずるようなことがあつたら結局原告が其の損害を蒙る虞れがあるから原告の発意に因り、昭和二十一年三月一日以降原告が被告から右敷地を一ケ月金百円の割で轉借することとし、右支拂地代を被告をして右敷地所有者に支拂わして將來の紛爭を未然に防止すべく企図したものである。而して本件賣買契約当時は終戰直後であつて、経済界は未曾有の混乱状態に在り、將來物價の変動社会情勢の変化は原被告に於て既に予見していたものであり、其の上本件賣買の履行が今日迄爲されなかつたのは一に被告の不誠意によるものであるから、被告の事情変更の原則に基く抗弁は失当である。」と述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として「原告主張事実中、被告が原告に対し原告主張の日、其の主張の如き物件を代金六万円、履行期同年十二月末日の約で賣買契約をしたこと、同日原告から一万円の交付を受けたこと、同日以降原告が右物件中の工場を使用していること其の後原告から其の主張の日に金三千円の交付を受けたこと、及び被告が原告に対し右履行期の延期を再度求め、原告が之を承諾したことは認めるが其の余の事実は否認する。而して原告が右工場を使用しているのは、被告が原告に対し、右工場を賃料一ケ月金百円で賃貸したものであり、本件賣買の一部履行として原告に工場を引渡したものではない。被告が原告から交付を受けた前示金一万三千円は手附金であつて、前示合意により延期した履行期である昭和二十一年二月末日に被告より原告に本件賣買の履行をする旨申出でたが、原告が代金の提供をせず、其の後被告は十数回に亘り原告に其の履行を請求するも原告が之に應じないので、やむなく昭和二十二年七月頃前示手附金の倍額を償還して本件契約を解除する旨の意思表示をした。然るに原告に於て右償還金員を受領しないので、之を供託したから本件賣買契約は有効に解除されたものである。仮りに契約解除の効力がないとしても、本件契約締結当時と現在の物價を比較すると、実に数十倍の暴騰を來しており、建物の如きも約二十倍の價格となつている程社会情勢の変革を來しておる。斯くの如き状況に於て、二年前の契約を律に、時價の二十分の一の價格を以て其の履行を請求するのは民法第一條の信義誠実の原則に反するものであるから原告の請求は失当である。」と述べた。<立証省略>

三、理  由

原告と被告とが昭和二十年十一月十八日別紙目録記載の物件を代金六万円、履行期同年末月の約で買受ける旨契約したこと、同日原告が被告に金一万円を交付し、同日以降右物件中の工場一棟を使用していること、其の後被告が原告に対し、原告主張の如く再度右履行期の延期を申出で、原告が之を承諾したこと、及び原告が昭和二十一年四月八日金二千四百円、同年七月十九日金六百円を被告に交付したことは当事者間に爭がない。而して原告が被告に交付した右金一万円に付、原告は單なる代金の内金であると主張し、之に対し被告は手附金であると抗爭するから此の点を判断すると、証人平野なをの証言に依ると右一万円は手附金であることが認められ、之に反する原告本人の供述の一部、証人田中潔の証言(第一回)は容易に信用することが出來ず、成立に爭のない甲第二号証の一に「金六万円ノ内金一万円也預金」と記載してあるだけでは未だ右認定を覆えすに足りない。次に被告は昭和二十二年七月頃右手附金を倍額償還して本件契約を解除する旨の意思表示をし、該金員を原告が受領しなかつた爲に、被告は之を供託したから本件契約は適法に解除されたと主張するから、此の点につき判断する。本件賣買物件中工場一棟は昭和二十年十一月十八日頃から原告に於て使用して居ることは前記の通りであり証人田中潔の証言(第一、二回)及び原告本人供述を綜合すれば、右工場は原告は被告から本件賣買契約に基いて引渡を受けたものである事実を認めることが出來るから本件賣買契約の一部は既に履行されたものと謂うべきである。之に反し被告は右工場を原告が使用しているのは原告に賃貸し昭和二十一年三月一日以降一ケ月金百円宛の家賃を受領しているもので、本件賣買の一部履行でないと主張し原告が被告に対し昭和二十一年三月一日以降毎月百円を交付していることは当事者間に爭のないところであるが被告が原告に右工場を賃貸し、右金員が家賃金として支拂われたものであるとの証人平野なをの証言は前示証拠に徴し容易に信用することが出來ず、成立に爭のない乙第一号証に依ると「家賃金領收之通」と記載のある通帳に昭和二十一年三月から昭和二十二年分迄一ケ月金百円宛原告から被告に支拂つた旨の記載があり、一見右の通り家賃金を支拂つたようになつているが、証人田中潔の証言(第二回)に依ると右は地代として支拂つたのであるが、偶々地代の通帳がなかつたので家賃の通帳を代用したことを認められるから、乙第一号証を以ては被告主張事実を認めるに足りない。却つて証人田中潔の証言(第一、二回)及原告本人の供述によると前示のように原告が被告に対し毎月百円を支拂つているのは、本件賣買物件の敷地は被告が第三者から賃借しているので、原告は被告から右工場の敷地を轉借し、其の地代として支拂つているに過ぎないことが認められるから被告の右主張は理由がない。而して賣買契約に於てその一部が履行された場合は賣主が手附金の倍額を償還して契約を解除し得ないことは民法第五百五十七條の規定に依り明かであり本件賣買は既に其の一部が履行されたことは前認定の通りであるから、被告が手附倍額償還による契約解除の意思表示を爲したとしても、契約解除の効なきものであるから、被告の右主張は失当であつて之を採用することが出來ない。仍つて進んで被告の事情変更の主張を判断すると、國家が長期の戰爭に破れた後は物資の欠乏により経済界が混乱し、物價が騰貴して所謂インフレーシヨンの過程を経ることは公知の事実であり、本件契約は終戰後四ケ月目に行われたもので、当時既に終戰時より物價が全面的に騰貴の趨勢にあつたことは当裁判所に顕著な事実であつて、かかる、状況下において賣買契約を締結するに当つては何人と雖も、時日の経過により物價が將來更に騰貴するということは当然予見し得べきものである。事情の変更が契約の効力に影響を及ぼすが爲には該契約の時と履行の時の間に当事者の予見することの出來ない事情の変更があり、該契約の履行を爲さしめることが著しく信義に反し、当事者の意思に反する場合でなければならない。本件賣買について見ると、契約の日は昭和二十年十一月十八日であり、その履行期は同年十二月末であつたが、被告の都合に依り昭和二十一年二月末迄履行期を延期されて居り、其の上弁論の全趣旨及原告本人の供述によると本件賣買の履行が遷延したのは被告の事情によるものであることが認められ、之に反する証人田中潔(第二回)同平野なをの各証言は容易に信用することが出來ない。右の事実と其の他諸般の事情を併せ考慮すれば、本件契約に、当初当事者が欲した通りの法律効果を発生させても、未だ著しく信義衡平に反するものであるとは解せられないし、原告が本件契約の履行を求めることが、民法第一條の規定に違反するものと謂うことは出來ないから被告の右主張は之を採用することが出來ない。而して田中潔の証言(第一回)及原告本人訊問の結果に依ると被告は原告に対し、残代金と引換に別紙目録記載の物件に付所有権移轉手続をし、且同目録中、家屋番号第二二四号の居宅一棟を明渡す旨約した事実を認めることが出來るから被告は原告に対し、原告が被告に対して賣買代金残額金四万七千円の支拂をするのと引換に、別紙目録記載の各物件に付所有権移轉登記手続をなし且つ右物件中家屋番号第二二四号の居宅を明渡す義務がある。而して証人田中潔の証言(第一回)に依ると、右家屋を賃貸するとすれば一ケ月金三百円乃至金五百円の家賃を相当とすることを認められるから、被告が前記所有権移轉登記後右居宅を引渡さぬときは、原告は少くとも一ケ月金三百円の割合に依る損害を被ることは明かであるから、被告は右移轉登記の翌日より右居宅明渡済に至る迄一ケ月三百円の割合による損害金の支拂義務がある。

仍て原告の請求は全部正当として之を認容し、訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九條、仮執行の宣言に付同法第百九十六條を各適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 岡野幸之助)

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