大阪地方裁判所 昭和23年(行)65号の1 判決
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〔判決理由〕二、そこで、本件土地は農地でないとの原告らの主張について判断する。
(一) 本件土地が大阪市平野土地区画整理組合の地区内にあり、原告ら主張のとおり仮換地が指定されていたことは当事者間に争いがない。そして、<証拠>に弁論の全趣旨を総合すると、別紙「本件土地と周辺の状況」記載のとおりの事実が認められる。
(二) 右認定の事実によると、本件土地は付近一帯の土地とともに、(イ)宅地としての利用を増進するため、大阪市平野土地区画整理組合が、大阪府知事の設立認可をえて国の公権力の作用として土地区画整理事業をすすめ、(ロ)法律上当然にその組合員とされた英二その他の地主において、五年間の小作料免除またはこれにかわる補償金を支払つて小作関係を消滅させ、その離作返還を受け、(ハ)組合員たる地主の経済的負担のもとに、昭和一九年頃までに計画どおり区画整理の工事を完了して、面積を坪単位で表示した仮換地の指定がなされ、(ニ)この結果宅地としての利用に適するように区画および道路の整備された土地となつたのである。これに前認定の諸事情を総合すると、本件土地の仮換地は、工事完了地域内にある付近の仮換地とともに、区画整理工事の完了により、従前の耕作の目的に供される土地すなわち農地としての形態と性格を失い、住宅その他の建物の敷地に供すべき土地に転化するに至つたものと認めるのが相当である。
(三) 被告は、本件土地の仮換地が買収計画当時耕作されていたと主張する。しかし、自創法により買収の対象となる農地は、耕作の目的に供される土地であることを要し、宅地化のための土地区画整理工事の完了した土地が買収計画当時現に耕作されているというだけで、直ちにこれを農地ということはできない(最高裁昭和三二年一〇月八日判決、民集一一巻一七二六頁参照)。
(1) チの土地が区画整理工事完了後いわゆる学校農園として再び耕作されていたことは当事者間に争いがない。そして、<証拠>に弁論の全趣旨を総合すると、英二が区画整理工事完了後荒地となつていた右土地を学校農園に提供したのは、昭和一四年六月三〇日付農第三五二四号による大阪府経済部長の平野土地区画整理組合地主委員あて同組合地区内休閑地提供方御依頼の件の趣旨とするところにのつとつてしたものであり、右依頼によると、(イ)地ならし等することなく旧態のまま使用すること、(ロ)作物はそ菜等の短期作のものとし、水稲のように冠水を必要とするものを作付けしないこと、(ハ)池、井戸等を掘り、簡易建物を建てるときは事前に地主委員の承諾を受けること、(ニ)地主が右土地を必要とするときは返還請求の日から三〇日以内に大阪府知事の責任において返還すること、等の定めがなされていたこと、ならびに当初は無償で使用されていたが、その後中等学校平野農場の名義で謝礼品の名目のもとに金銭や収穫物の一部が英二に届けられるようになり、昭和二二年には七月に五円五〇銭と小麦六升五合、一〇月に甘しよ六貫五〇〇匁(反当り年一〇円強と小麦約一斗二升、甘しよ約一二貫の割合)が届けられ、その当時には阿倍野第一中学校が右土地を耕作していたことを認めることができる。
(2) ハないしトの土地については、<証拠>に弁論の全趣旨を総合すると、被告主張の田中吉次郎がその従前の土地を古くから英二より賃借して耕作し、仮換地指定後は右ハないしトの土地に移つてこれを耕作するようになつたが、その賃料は昭和六年まで反当り年米一石二斗前後であつたものが、昭和七年から五年間無年貢となつたのち、仮換地を耕作するようになつた昭和一三年に金銭で改めて約定せられ、その額も離作のための小作料免除にかえて支払われる反当り年二〇円の補償金の六割にしか相当しない同一二円の定めで、昭和一九年頃からは、その支払いにかえて、これに相当する程度の小麦や野菜が納められていたことが認められる。
(3) 殆りのイ、ロの土地についても、区画整理工事完了後かりに被告主張のような耕作関係が成立していたとしても、被告の主張によれば、耕作が始められたのは昭和一五年あるいは一八年のことで、当時すでに休閑地利用が強く叫ばれていたことは前記大阪府経済部長の休閑地提供方御依頼の件からも明らかなところであり、またその賃料も反当り年一二円と麦一斗、いも一〇貫にすぎなかつたというのである。
以上のような耕作形態や耕作開始の時期、賃料の額、支払方法等をさきに認定してきたところと総合して判断すると、これらの耕作は宅地としての利用に供されるまでの一時的な休閑地利用というべく、これをもつて本件土地の仮換地が宅地としての性格を失い、再び耕作の目的に供される土地に転化したものとするにはなお十分でない。他にこれをくつがえし、仮換地が買収計画当時すでに再び農地化していたものと認めるに足りる証拠はない。
三、本件買収計画当時に本件土地が農地でなかつたとする原告の主張は理由があり、本件買収計画には、本件土地の仮換地が農地でないのに農地であると誤認して本件土地を買収することとした違法がある。それゆえ、本件買収計画は、その余の点について判断するまでもなく、すでにこの点において違法として取消しを免れない。(前田覚郎 平田浩 白井皓喜)
〔別紙〕本件土地と周囲の状況
(1) 大阪市平野土地区画整理組合は、本件土地を含め大阪市東住吉区平野地区を中心とする百十数万坪の土地を対象として、その宅地としての利用の増進をはかる目的で、昭和五年一二月一一日に大阪府知事の設立認可をえて成立した、都市計画法一二条一項の規定にもとづく土地区画整理組合である。
その当時、地区内の土地は、大部分が低湿地帯で、わずかの降雨にも浸水するところが多く、二毛作の可能な一部の例外を除いて、古くから一毛作の水田として利用されてきていた。
組合は土地区画整理のための工事を実施するに先きだち、まず地区内の小作関係を解消することにし、地主側と小作人側との間でそのための話し合いをすすめて、昭和九年までに地区内の小作地のほとんどすべてについて離作契約が成立していた。その契約内容は、ほぼ、明渡期限を昭和一二年一一月三〇日とする、これに先きだつ五年分の小作料を免除し、工事の都合で右明渡期限前に明け渡すべき場合は、明渡期限に至るまでの期間、一年に達するまでごとに反当り二〇円の割合による補償金を支払う、という趣旨のものである。この契約にもとづいて、昭和九年一月六日頃から順次小作地の離作返還が行われ、返還された地域から次々と区画整理の工事がすすめられた。明渡期限の昭和一二年一一月三〇日には地区内の大部分の小作地の離作返還を受け終り、昭和一九年戦争のためにやむなく工事が中断されるに至るまでの間に、地区の北東、南東および南西の周辺にあるごく一部、面積にして地区内の土地の約五パーセントにあたる部分を除いて、他のすべての土地について計画どおりの土地区画整理工事を完了し、坪単位で面積を表示した仮換地の指定をすませていた。
(2) この工事の結果、従来から地区内の北部を国鉄関西本線の南側に沿つて、北西から南東に通じていた幅員一八米余り(一〇間)の奈良街道(現在の国道二五号線)を幅員三〇米に拡張したほか、大阪都市計画街路の計画に従つて設計せられた東西あるいは南北に通ずる幅員三三米ないし二五米の道路五本が新設せられ、これらの道路を中心として幅員一五米ないし六米の道路が、東西あるいは南北に、数十米の間隔をおいて整然と設けられた。これらの道路は、木製の境界抗で、これに面する仮換地との境界を明らかにしたうえ、境界線にそつて道路の両側に素掘りの溝を設け、路面も旧来のあぜや耕作のあとが残らない程度に地ならしをして、道路として車馬の通行ができる状態におかれた。もつとも、右五本の都市計画に従つた道路は、その両側の幅数米の部分が道路とされたのみで中央の部分は仮換地として指定せられたが、それは地主の負担を少しでも軽減するため、将来都市計画道路の施行者となる大阪市あるいは大阪府によつて仮換地指定部分が買収されることを期待したためである。地区の西端を流れる今川と鳴戸川、北分を流れる平野川(城東運河)の三河川には、これらの道路に適合するように二十数本の木橋がかけられた。
排水の面でも、側溝のほか、必要に応じて幅数尺の排水溝を設け、道路と交さする箇所には下水管を埋設して、前記三河川に注ぐように工事が行なわれたが、その際に農耕のための水利が考慮された形跡はない。
かつては農業に適するような区画が多く、しかもその区画がかなり不整であつた地区内の土地は、前記工事未了の約五パーセントの部分を除いて、その仮換地として、すべてこれらの道路に面し建物敷地として適切な面積と形をそなえ、排水の点でも著しく改善せられた土地が指定せられたのである。
地区の中央部にある約一万坪の白さぎ公園をはじめ、合計六箇所、約三五、〇〇〇坪の公園敷地が造成せられ、国鉄関西本線の平野駅前には数百坪の広場用地が確保せられた。前記道路やこれらの公園、広場等の公共用地あるいは工事費等にあてはめるための替地として、地主は従来の所有面積の二五ないし三〇パーセントにあたる土地を提供した。地主はこのほかにも組合の諸経費にあてるため所有地一坪につき二〇銭ないし二五銭の賦課金を負担している。
(3) もつとも右工事完了区域も、戦時中のため、直ちに建物が築造されたところはほとんどなく、雑草の繁茂するままに委ねられていた。前記各道路も、交通量が極めて少いため、中央に幅一米前後の踏みあとを残すのみで、他は雑草の生えるままに放置されているところが多かつた。食糧の不足がつのるに従い、いわゆる休閑地利用の要請が高まつて、地区内の仮換地は、次第に附近の学校の農業実習用地として耕作せられ、あるいは近くに住む農家、非農家が地主の承諾を受け、または受けないで耕作をするようになつた。本件買収計画当時には、仮換地の大部分は耕作の対象とされ、これに接する道路の一部をとり込んで耕作しているところもかなりみられたが、組合が道路の耕作を承諾した事実はなかつた。
これらの耕作された部分も、ごく一部の例外を除いて、あぜやうねは仮換地の形状にそのように設置されていて、従来の土地の形跡は全くとどめられていない。水利の関係から、水田を畑にかえ、あるいはポンプで揚水しなければ耕作できなくなつた地域もかなりあつた。
組合は昭和一九年以後も工事を中止しただけで、存続し、現在も土地区画整理法による組合としてその事業を継続している。
(4) 本件買収計異当時、組合地区の西側には、前記今川をへだてて、大阪市の市街市に連らなる人家が建てつまつており、地区の東側は古くからあつたかなり広大な平野本郷の集団住宅地に接していた。地区内にも古くからの今林町、抗全町、今川町の三部落があつたほか、地区の中央部北寄りにある西平野地区内整理組合地区には人家がほぼ建てつまつていた(もつともこれらの集団住宅地は平野土地区画整理組合の施行地区から除外されている)。
組合地区の北部には前記国鉄関西本線が通じ、地区の東はずれのところに平野駅があつた。地区内の南寄りには、南海電鉄平野線が東西に走り、地区の東はずれに平野駅(終点)、中央部東寄りに西平野駅、地区西端から約一五〇米西に中野駅があつた。(これらの路線および駅の敷地も組合地区から除外されている。)また、地区西端から三〇〇ないし五〇〇米西側には近鉄南大阪線が南北に通じており、北田辺、今川、針中野等の駅があつた。地区内の土地は、最も不便なところでも、これらの駅のいずれかから、一二〇〇米以内のところにある。
(なお、以上の駅の所在等は検乙一号証の一に公知の事実を総合して認定した。)
(5) 本件土地は、右工事完了地域内にあり、その仮換地と附近の状況は別紙図面記載≪省略≫のとおりである。