大阪地方裁判所 昭和25年(レ)18号 判決
控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。
被控訴代理人は請求の原因としてつぎの通り述べた。
「訴外橋本圭右はその所有する池田市城南町三百十五番地上、木造瓦葺平家建住家二戸一棟の内、北向き西側の一戸、建坪約二十五坪を控訴人に賃貸していたが、被控訴人は昭和二十三年十月十日右訴外人よりこれを買受け、翌昭和二十四年八月二十七日所有権移轉登記を受けてその所有権を取得するとともに控訴人に対する賃貸人としての地位を承継した。ところで、被控訴人は昭和二十四年九月十二日つぎのような正当の事由に基いて本訴において控訴人に対し解約の申入をしたから、右賃貸借契約はその後六ケ月の経過により昭和二十五年三月十二日終了したものである。即ち
被控訴人はもと池田市宇保町百九十番地に居住していたがこの居住家屋は狹ますぎるのでほかに移轉したいと思つていたところ、たまたま訴外寺林卯之松より、本件家屋を買い取れば賃借人である控訴人は一ケ月後には任意に明渡すことになつている、と聞いたのでこれを信用して、同訴外人の仲介により前記のように本件家屋を買受け、宇保町の被控訴人の居住家屋は昭和二十四年三月第三者にこれを賣却し、同月末日買受人に任意明渡したのであるが、控訴人が本件家屋を明渡してくれないので、被控訴人はやむなく親族である訴外荒木正樹方に、控訴人より本件家屋の明渡を受けるまでという約束で一時同居した。この訴外荒木方の住居は本件家屋に隣接し、三帖の玄関と四帖半、五帖半の居間二室しかなく、これに訴外荒木の家族と被控訴人の家族と合計十一人が起居している状態であり、ことに被控訴人方には被控訴人夫婦のほかに、二十二歳の長女と二十一歳の長男の年頃の子女があるから右のような状態の同居生活には到底堪え難いのである。これに反して控訴人の居住する本件家屋には八帖、六帖、六帖、二帖の合計四室があり、これに控訴人の家族四人だけが十分の余裕をもつて居住し、家主である被控訴人一家の因窮状態を日日冷視しながら被控訴人の明渡の交渉に應じないものであつて、このことはまさに借家法第一條の二にいわゆる自ら使用することを必要とする場合に該当する。
よつて控訴人に対し賃貸借契約の終了を原因として本件家屋の明渡を求めるものである。」
控訴代理人は答弁としてつぎの通り述べた。
「控訴人は昭和十三年五月十日本件家屋を当時その所有者であつた訴外清滝幸次郎から賃借して今日までこれに居住しているものである。被控訴人が家族四人連れで現に控訴人の隣家である訴外荒木正樹方に居住していること、訴外荒木方及び控訴人方の間取りが被控訴人主張の通りであることは認めるが、被控訴人主張のその余の事実は否認する。被控訴人は本件訴訟を自己に有利に導くため、本件家屋を自ら使用する必要があるように僞装しているにすぎない。かりに、眞実被控訴人主張のような事情があるとしても、それはつぎの理由によつて借家法第一條の二にいわゆる自ら使用する必要ある場合には該当しない。即ち
一、借家法第一條は、とくに建物の賃借権を物権化することにより、建物の所有者の変動によつては賃借権が破られないことを規定するものであるが、同法第一條の二は、建物の賃貸借成立後当事者に予見し得なかつた著しい事情の変更が生じ、そのため賃貸借を存続せしめることが社会的に見て不当である場合に、特に例外的に賃貸人より一方的に解約することができる旨を定めた趣旨であると解すべきところ、被控訴人は控訴人が現に賃借居住中であることを知りながら、ことさらその明渡を求める目的で本件家屋を買受け、控訴人に対する賃貸人たる地位を取得したのであるから、被控訴人主張のような自己使用の必要は右借家法第一條の二による保護に値しない。
二、被控訴人は以前池田市宇保町において本件家屋より廣い家屋に居住していたが、本訴提起後これを他に賣却して現在の狹い住居(荒木方)に轉居したものであり、現在の困窮状態は自ら招いたものであるから、その不利益を控訴人に轉嫁しようとすることは許さるべきものではない。又被控訴人はその頃右の住宅とともにその所有する中流家庭向住宅四戸を百万円以上で他に賣却しており、その程度の資産のある者であるから、強いて控訴人より本件家屋の明渡しを受けなくても、他に適当な住居を得るのに事欠かないものであるのに対し、控訴人は貧困であつて現在の借家事情では他に住居を得ることは殆んど不可能であるから、この点からしても被控訴人の解約申入は失当である。」
<立証省略>
三、理 由
原審証人藤原千子の証言によれば控訴人は昭和十三年五月十日被控訴人主張の本件家屋を当時の所有者訴外清滝幸次郎より賃借して今日までこれに居住しているものであることを認めることができるところ、官署作成部分については成立に爭がなくその余の部分については当裁判所が眞正に成立したものと認める甲第一号証及び原審証人橋本圭右の証言によれば、訴外清滝は昭和二十三年三月本件家屋を訴外橋本圭右に、訴外橋本圭右は同年十月十日これを被控訴人に賣渡し、昭和二十四年八月二十七日中間省略の方法により訴外清滝より直接被控訴人に所有権移轉登記されたことが認められる。從つて被控訴人は本件家屋について右所有権移轉登記の日に訴外清滝の控訴人に対する賃貸人たる地位を承継したわけである。そして被控訴人は昭和二十四年九月十二日本訴において控訴人に対し右賃貸借契約について解約の申入をしたものである。そこでこの解約の申入が正当であるかどうかについて考えてみよう。
被控訴人が現にその家族三人とともに控訴人方の隣家である訴外荒木正樹方に同居していること、同訴外人の住居は三帖、四帖半、五帖半計三室であること、控訴人方の住居は八帖、六帖二室、二帖計四室であることは当事者間に爭なく、原審証人藤原千子の証言によれば、控訴人方は家族四人であることが認められるところである。從つて現況においては、まさに控訴人の住居は被控訴人のそれに比し若干余裕があるものといわなければならないであろう。たゞしかし、このような現状の比較だけから直ちに右の論点の結論を見出すべきであろうか。当裁判所はこの点についてさようには考えないのであつて、これに結論を下すには、右のような現状の比較のほか、少くとも、さらにこれに至つた事情の経過、当事者が新たにほかに住居を得ることの難易などの諸事情を参照する必要があるものと考えるのである。そもそも賃貸家屋について賃貸人に「自らこれを使用する必要」を生じたとしても、本來賃借人が有したるべきこれを「使用する必要」には毫も消長を來さないことは当然であり、借家法第一條の二はむしろ賃借人が本來有するこの「必要」を保護するための立法であつて、同法條は「賃貸人は自ら使用する必要ある場合その他正当の事由ある場合」と規定することによつて賃貸人に存する「必要」にも正当性を要求しているものとみるべきであるから賃貸人に存するこの「必要」の程度が賃貸人の「必要」を著しく超過する緊切なものであつて、それにも拘わらず解約することができないとすることが、賃貸人がその家屋について有する本來の権利(多くの場合に所有権)を否定するに等しいような場合でなければ賃貸人に解約権はないものと解すべきであるからである。
ところで被控訴人は、賃借人である控訴人から明渡を受けて自らの住居に供するために本件家屋を買受けたと自ら主張するのである。かように当初から自用に供する目的で他人の賃借居住する家屋を買受けた場合については「物権は債権を破る」との傳統的な原則を排除している借家法第一條の規定に対する関係からして、前記の正当性の認定について特に考慮すべき点のあるべきは当然ではあるけれども、一般的に直ちにこの場合には買受人に解約権はないと論断することではできないのであつて、この場合においても買受人に眞実自用のための必要があり、賃借人がかような場合を見越して予め賃貸人に、眞実、かような場合には買受人に明渡すべき旨を表明している場合とか、賃借人が賃貸借の目的である住居としての必要の限度を超えて、或は何等か他の目的をもつて賃借家屋を保持しているような場合には、買受人からする解約の申入には正当性があるものと考えるべきであろう。
しかしながら本件において、被控訴人は当時自らの住居が狹隘であるため自用に供するために本件家屋を買受けたと主張して本訴を提起しながら、控訴人が極力これを爭い容易に明渡を受け得る見込のないことを明瞭なるべき原審繋属中その所有する自らの住居を他に賣却したものである(このことは被控訴人の自ら主張するところである)事実に徴し、被控訴人は本件家屋を買受ける当時到底自らこれを住居に供する必要のあつたものとは認められないのみならず賃借人である控訴人が予め明渡の意思を表明していたとか、控訴人が自用以外の目的で保持しているというような前に示した事実を認めるべき証拠はなく、又現に被控訴人に自用の必要ありとしても、前認定の当事者双方の現住居の関係に被控訴人がことここに至つた前來挙示の諸事実を考え合わせ、被控訴人に解約権を認めるべき正当性は到底ないものと断ぜざるを得ない。
よつて被控訴人の本訴明渡の請求は失当であつて、これを認容した原判決は不当であるから民事訴訟法第三百八十六條を適用して原判決を取消し、被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき同法第八十九條、第九十五條を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 浜本一夫 鈴木敏夫 坂井芳雄)