大阪地方裁判所 昭和26年(ワ)200号 判決
原告 松本勇次郎
被告 玄義雄 外一名
一、主 文
被告玄義雄は原告に対して大阪市西成区鶴見橋通五丁目十二番地上家屋北向一棟のうち東側一戸のうち北側表道路に面している店の間の東北角から間口七尺二寸奥行二間半の部分を明渡さねばならない。
原告の被告玄義雄に対するその余の請求及び被告吉岡喜久三に対する請求はこれを棄却する。
訴訟費用は原告と被告玄義雄との間に生じた部分は四分し、その一を原告の負担とし、その三を被告玄義雄の負担とし、原告と被告吉岡喜久三との間に生じた部分は全部原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、被告等は各自原告に対して、大阪市西成区鶴見橋通五丁目十二番地上家屋北向一棟のうち東側一戸のうち北側表道路に面している店の間の東北の角から間口七尺二寸奥行二間半の部分を明渡さねばならない。被告等は各自原告に対して昭和二十六年二月四日以降右家屋部分の明渡済みに至るまで一ケ月金二百八円の割合による金員を支払わねばならない。訴訟費用は被告等の各自負担とするとの判決及び仮執行の宣言を求め、
その請求の原因として、
原告は昭和二十年三月十八日請求の趣旨第一項記載の家屋一戸全部を当時その所有者であつた被告玄義雄から賃料一ケ月金五十円で賃貸借期間の定めなく賃借し、以来右家屋一戸を占有し、請求の趣旨第一項記載の店の間の部分を除く部分を原告の住宅兼店舗として使用しているものであるが、右賃貸借契約成立の際原告は右被告玄に対して右家屋一戸のうち請求の趣旨第一項記載の店の間の部分を賃料一ケ月金二十円賃貸借期間は同被告が右店の間の部分を当時配給統制下に置かれていた種子類の配給所として使用する必要のある期間とする約束で転貸した。原告が右のように一旦家屋一戸全部を被告玄から賃借しながらその一部を再び同被告に貸戻した理由は同被告の経営する種子類配給所は一地域に一ケ所と限定せられていて他地域に設けることを許されず、且同被告は当時右配給所を設けることを許された地域内では本件の家屋以外に配給所を設けるに適当な家屋を入手することができないから右家屋の前記店の間の部分を一時使用させて貰い度い旨同被告から原告に申入れて来たので、原告は本件の家屋を将来商業の営業場所として使用する意図であつたので家屋の全部を賃借する必要があつたが右必要は当時差し迫つたものでもなかつたので一時のことであればその一部を同被告に貸戻しても差支えないと考えて前記のように原告から被告に対する転貸借契約を結んだのである。従つて右転貸借の期間は被告が右転借部分を配給所として使用する必要のある期間に限られ、同被告が右店の間の部分を配給所以外の目的に使用することは許されず、また同被告が他にその営業をするに適当な場所を入手することが出来るようになつた際も当然に期限到来によつて転貸借関係は消滅するものである。しかるに種子類の配給統制は終戦後程なく昭和二十年中に撤廃せられたので、以来被告玄は右店の間を配給所として使用していなかつたのみならず、昭和二十五年九月中に右家屋一戸を相被告吉岡喜久三に売渡し且つ自己の占有使用していた前記店の間の部分を右相被告の使用に供する為めに明渡す旨を相被告に約束して、右部分を自ら使用する意思及び必要のないことを明らかにした。従つて原告から被告玄に対して前記店の間の部分を転貸した賃貸借契約は、当初の契約の約旨に従つて同被告が右部分を種子類の配給所として使用する必要のなくなつた種子類の配給統制撤廃と同時に消滅し、遅くとも被告が右部分を自ら使用する意思のないことを表明した右九月中に消滅している。以来原告は本件家屋一戸全部の賃借人として右全部について使用収益する権限を持ち、被告玄は前記転貸借契約の終了によつてその目的物である前記の店の間の部分を原告に返還する義務と右家屋全部の賃貸人として原告に右全部の使用収益をさせる義務を負担するものである。
よつて原告は右店の間の部分の賃貸借契約の消滅原因となる事実の既に発生していることを知るや、遅滞なく昭和二十五年十一月十七日附の書面をもつて被告玄に対して右契約の終了を理由として一週間以内に右店の間の部分の占有を原告に引渡すように請求し、同書面は翌十七日同被告に到達したが、同被告はその後右店の間の部分の占有を続け、昭和二十五年十一月三十日に至つて相被告吉岡喜久三に右占有を譲渡し、賃貸借契約終了の際の賃借人の賃貸借目的物返還義務を履行しないので同被告に対して右義務の履行として右店の間の部分の明渡を求める。
被告吉岡喜久三は昭和二十五年九月相被告玄から本件家屋一戸を買受け、その所有権を取得し、右家屋について原告に対する前記賃貸借契約の賃貸人たる地位を相被告玄から承継し、右家屋一戸全部の賃借人である原告に対して、その使用収益をさせる義務を負担するに至つたものであるところ、同被告は前記のように昭和二十五年十一月三十日以来自ら右家屋のうち前記店の間の部分を占有使用し、原告の右部分の使用収益を妨げているので原告は賃借権に基いて賃貸人たる被告に対し右部分の明渡しを求める。
仮りに原告と被告玄間の前記店の間の部分の賃貸借契約が前記のような期限の到来によつて消滅しなかつたとするも、被告玄の被告吉岡に対する本件家屋の前記店の間の部分の占有の譲渡は賃貸人たる原告の承認を受けないで右部分の賃借権を譲渡した場合にあたるから、被告吉岡は右部分に対する賃借権を取得せず不法に右部分を占有しているものである。よつて同被告に対し右部分の明渡しを求める。
しかして被告両名は右のように原告の前記店の間の部分の使用収益を妨げ原告に対して右部分の家賃金相当の損害を蒙らせているところ、右部分の家賃金は契約当初一ケ月金二十円であつたが、その後値上げとなり、本訴提起以前から既に一ケ月金二百八円となつていたので、右被告等各自に対して本件訴状送達の翌日から前記店の間の明渡済みに至るまで一ケ月金二百八円の割合による損害金の支払を求める。
と述べ、被告の抗弁を否認した。<立証省略>
被告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求め、
答弁として、
原告主張事実のうち本件家屋一戸が被告玄義雄の所有であつて同被告が原告に対して原告主張の日に右家屋のうち原告主張の店の間の部分を除くその余の部分を賃貸し、以来原告が右賃借した部分を占有使用して来たこと、被告玄が右除外した部分を賃貸借契約締結当時から占有使用して来たが、昭和二十五年九月中被告吉岡喜久三との間に本件家屋の売買契約を締結し、同年十一月三十日前記店の間の部分の占有を被告吉岡喜久三に譲渡し、以来現在に至るまで右被告吉岡が右の部分を占有使用していること及び右吉岡占有の部分を現在賃貸するとすれば、その家賃金が一ケ月金二百八円に相当することは認めるが、原告その余の主張は全部否認する。
被告玄は、原告に対して、本件の家屋一戸全部を賃貸したことなくただ原告主張の店の間の部分を除く部分を賃貸したに過ぎない。従つて右店の間の部分について原告が同被告からこれを一旦賃借して更に同被告に賃貸した事実はない。元来被告玄は昭和二十年二月末頃から訴外沢井つねと共同で本件家屋に種苗商を営んでいたところ、空襲が激化して右訴外人が田舎に疎開したので人手不足となり、原告の妻を右種苗店の手伝に雇入れ、これと同時に本件家屋のうち右営業に使用していない部分を原告に賃貸したのであつて、営業に使用する部分は被告玄個人の使用しているものではない点から見てもこれを原告に貸す筈はない。右賃貸借契約後被告玄は原告主張の店の間の部分の家賃金を原告に支払い、原告は本件家屋一戸全部の家賃金を被告玄に支払う行為を繰返しているが、右のようにしたのは、右賃貸借契約の際原告が被告に対して一戸の家屋の一部を賃借していては電話局の課長として体面が保てないので外形的には原告が本件家屋全部を借り受けてその一部を被告玄に貸戻した体裁にして貰い度い。右のような形式をとつておけば本件の家屋は将来代用官舎に指定される可能性がある旨を告げたので、被告玄は右原告の言を信じて原告と通謀の上原告の申入れた通りの二重の賃貸借契約を仮装したものであつて、実質においてこのような複雑な契約が成立したものではない。実質においては店の間の部分を除いた部分を被告玄から原告に賃貸したに過ぎず、右除外部分を原告から被告玄に貸戻す契約など勿論なかつたから、原告の被告に対する賃貸借終了を理由とする右部分の明渡の請求は理由がない。
被告吉岡喜代三は、被告玄から本件家屋一戸の所有権の移転を受け、被告玄の原告に対する右家屋の賃貸人たる地位を承継したことはない。なるほど被告両名の間に本件家屋の売買契約が成立し被告吉岡から被告玄に右売買の手附金を入金した事実はあるが、右契約において本件の争議を予想して所有権の移転は右家屋の現実の明渡が完了した後所有権移転登記手続と同時に発効する旨の特約を為したところ本訴の争訟を生じたため右登記手続を留保しているので、未だ所有権移転の効果も生じていないし、従つて被告吉岡は賃貸人としての地位も承継していないので、同被告に対して賃貸人としての義務の履行を求める原告の請求は失当である。
と述べ、
抗弁として、
仮りに被告玄と原告間の本件家屋に関する賃貸借契約が原告主張のように原告が同被告から本件家屋一戸全部を一旦賃借して再びその一部である店の間の部分を同被告に貸戻す契約であつたとしても、右の場合被告玄は右店の間の部分について賃貸人としての権利義務があると同時に賃借人としての権利義務があるので、右両契約による権利義務は混同によつて消滅し、右店の間の部分については何等の賃貸借契約がなかつたと同様の結果となる。したがつて右店の間について原告から被告玄に貸戻しの契約のあつたことを前提とする原告の本訴請求は総て失当である。
と述べた。<立証省略>
三、理 由
昭和二十年三月十八日本件家屋の所有者であつた被告玄義雄が原告との間に右家屋に関して賃貸借契約を締結したこと及びその後昭和二十五年十一月三十日まで右家屋の原告主張の店の間の部分は被告玄義雄がこれを占有使用し、その他の部分は原告が占有使用して来たことは当事者間に争がない。よつて右賃貸借契約の内容について按ずるに成立に争ない甲第一号証の一乃至六証人白山岩次郎の二回に亘る証言、原告本人訊問の結果を綜合すれば右契約において、原告は一旦右家屋一戸全部を被告玄から賃料一ケ月金五十円で賃貸借期間の定めなく賃借し、改めて右家屋のうち原告主張の店の間の部分を賃料一ケ月金二十円でその賃貸借期間を被告玄がこれをその営業に使用する必要ある間とする不確定期限附期間の約束で同被告に貸戻す旨を約束したのであつて以来原告は被告玄から右店の間の部分の家賃金を受領した後これに自己の占有使用する部分の家賃金を加えて右家屋一戸全部の家賃金を被告玄に支払つて右二重の賃貸借関係のあることを明らかにして来たことを認めるに十分である。右認定に反する被告玄義雄本人訊問の結果はこれを措信しない。(但し原告は本件家屋を当初から営業に供する意図で賃借し右原告から被告に対する貸戻契約の賃貸借期間は被告玄が種子類の配給所として使用する必要ある期間であつたと主張するが、右主張の趣旨に添う証人白山岩次郎及び原告本人の供述部分は措信し難く、他に被告玄が配給所以外の営業に前記店の間の部分を使用することを禁じた趣旨の特約があつたことを立証するに足る証拠はない。)
よつて右契約の効果について按ずるに契約はその内容が特殊異常なものであつても契約当事者は出来得る限り契約の趣旨に従う義務があり、その特殊異常なことを理由としてその義務を否認することはできない。被告等は右認定のように賃借人が賃借物を更に賃貸人に貸戻した契約においては先の賃貸借契約の賃貸人としての権利義務と貸戻契約の賃借人としての権利義務が混同によつて消滅し先の賃貸借契約も後の貸戻契約も存在しない状態になると主張するが、賃借人がその賃料より高い賃料で自己の賃借期間より短い賃貸期間の定めで賃借物を賃貸人に貸戻すことは法律上可能であつて、先の賃貸借契約と後の貸戻契約の間に賃貸借の諸条件に相違があれば両契約上の権利義務が混同して両契約が消滅するようなことはない。本件の場合においても前認定の契約内容によれば被告玄の原告に対する前記店の間の部分に関する賃貸条件と原告の被告に対する右部分の貸戻条件の間には他の点においては同一であるけれどもその賃貸借期間に相違あること明瞭であるから両賃貸借が共に存続している期間中は両契約から生ずる当事者間の権利義務が互に相消されて両契約のなかつた場合と同一の状態にあるが、一方の賃貸借期間が満了すれば、他の賃貸借のみが通常の賃貸借契約によるものと同一の効果をもつて残存することになると解すべきである。従つて被告玄が右店の間の部分を自ら使用する必要がなくなつたときは原告から同被告に対する右賃貸は期限の到来によつて賃貸期間満了し、同被告は原告に賃借物を返還する義務があり、また同被告から原告に対する家屋全部の賃貸の効果として原告が店の間の部分を占有使用するのを許さねばならない。それ故に被告玄が原告の要望を抑えて被告吉岡喜久三に右店の間の部分の占有を譲渡し、同被告にこれを使用させた行為は前記契約上の義務に違反するものである。
よつて原告の被告吉岡喜久三に対する右店の間の部分の明渡の請求について判断するに、家屋の賃借人は同人が賃借家屋を占有していた場合には賃貸借契約後右家屋について新に物権を取得した者に対して賃借権をもつて対抗することができるから、新に賃借家屋の所有権取得者から右家屋の占有を奪われた時は占有回収の訴によつても、賃借権に基く賃借物の引渡の請求によつても、その占有の回復をすることができるが、家屋の賃借人が賃借家屋を占有していなかつた場合は、占有回収と云うことのあり得ないのは勿論のこと、新所有権取得者に対して賃借権をもつて対抗できないから、賃借権に基いて家屋の明渡を求めることもできない。本件の場合、前認定の両賃貸借契約の成立以来被告吉岡が本件の家屋の店の間の部分を占有し始めるまで、被告玄が右店の間の部分を事実上占有使用し、原告は右家屋の他の部分のみを事実上占有使用して来たことは原被告間に争がない。原告は右被告玄の占有は前記貸戻契約の賃借人である被告玄が原告に代位して右店の間の部分を占有していた場合にあたるから、右被告玄の占有期間中も右部分について原告の法律上の占有があつた旨の主張をしているように思われるが元来借家法第一条に云う占有とは右法条の趣旨から当然賃借権の存在を第三者に認識させるに足る占有の意味であつて、本件の場合のように賃借人が賃借家屋の所有権者に賃借家屋を占有使用させた場合には、右所有権者の占有を法律上賃借人に代位する占有であると解する余地があつても右占有関係自体から第三者が右家屋について賃借権の存在を認識することはできないから、このような所有権者の賃借人に代位する占有を右法条に云う賃借人の占有に当ると解することはできない。本件の場合、原告は本件の家屋のうち前記店の間の部分を除く部分を占有していたけれども、右占有のみによつて、右除外部分についても原告に賃借権のあることを第三者に認識させるに足りないから結局原告は本件店の間の部分については前記法条に云う占有をしていなかつたことになり、仮りに被告吉岡が原告主張のように既に本件家屋の所有権を取得しているとしても、原告は同被告に対して右部分についての賃借権をもつて対抗することができない。従つて原告は右賃借権に基いて被告玄に対し右部分の明渡請求を求めることはできない。原告の右請求は被告吉岡の所有権取得の有無について原告主張の通りの関係にあると仮定しても失当である。
念の為めに附加すれば仮りに被告が主張するように被告玄と被告吉岡の売買契約中に被告吉岡の所有権の取得を所有権移転登記手続の時まで留保する旨の特約があつて被告吉岡が未だ本件家屋の所有権者でないとすれば、原告が本件店の間の部分を占有していたのに被告吉岡がその占有を奪つた場合であれば占有回収の訴によつてその占有を取戻すことができ、原告が右占有をしていなかつた場合でも被告吉岡が占有する権限なくして右部分を占有しているときは、原告は賃借権に基いて賃貸人被告玄に代位して被告吉岡に対して右店の間の部分の明渡を請求することができる。しかし本件の場合には前認定のように従来被告玄が右店の間の部分を事実上占有していてその占有を被告吉岡に譲渡したのであるから、右被告玄の占有が原告に代位した占有であつたとしても、被告吉岡の占有取得はその違法性のない点で占有の侵害行為に当らない。従つて原告は同被告から占有回収の訴によつて右占有を取戻すことはできない。また被告玄は前記売買契約の約旨によつて被告吉岡に対して右占有を許さねばならない立場にあるので、原告が被告玄に代位して行使すべき被告玄の被告吉岡に対する明渡の請求権もない。なお、原告がその主張する本件家屋の所有関係を前提として占有回収の請求をする場合も、右認定と同様の結果となる。結局本件の場合、被告吉岡の本件家屋に対する権利について原被告の主張するいずれの法律関係があると仮定しても、被告吉岡に対する原告の家屋明渡請求はその理由がない。
次に被告玄に対する家屋の明渡の請求について判断するに、被告玄が原告に対して本件店の間の部分の占有を移転しなければならない契約上の義務を負担していること前認定の通りである。もつとも右部分を現在事実上占有しているのは被告吉岡であつて、被告玄でないことは原告の自認するところであり、また、原告の主張するように被告吉岡は既に本件家屋の所有権者であるとすれば同被告は自己の所有権に基いて右部分を占有していることになるから、被告玄は右部分について観念的な占有もないことになる。従つて原告の主張事実自体によつても現在の法律関係では被告玄が前認定の契約上の義務を履行することは法律上不能になつている。また被告等の主張によれば被告吉岡は本件家屋の所有権を未だ取得していないが、被告等の間の売買契約の約旨によつて本件の店の間の部分を占有しているのであつて被告玄は被告吉岡に対して右占有を許さねばならぬ義務があり、被告玄に被告吉岡から右占有を取戻す権利はないから、現在の法律関係では原告に対して右部分の占有の移転義務を履行することは不能の状態にある。しかしながら、特定物の給付の請求において給付義務者が現在その義務を履行することが不能な状態にある場合であつても、右履行が事実上絶対不能の場合や社会通念上義務者の履行しようとする誠意にかかわらず不能と認められる場合を除いて、給付請求権者は契約を解除して損害賠償を請求する手段をとらないで、契約をなお有効に存続するものとして維持し、義務者に対しその誠意ある努力によつて給付義務を履行することを求めることができる本件の場合、給付の目的物たる店の間の占有は被告玄と被告吉岡の間の交渉次第では被告玄においてこれを回復して原告に移転することが全く不能でない状態にあることは被告等の主張自体に徴して明瞭であるから、原告の被告玄に対する前認定の契約に基く右店の間の部分の占有引渡義務の履行を求める請求はこれを正当なものとして認容することができる。
最後に被告等に対する損害金の支払請求について判断するに、原告主張のように被告吉岡が本件家屋の所有権者であるとすれば原告は被告吉岡に対して本件店の間の部分についての賃借権をもつて対抗することができないこと前認定の通りであるから、原告の右賃借権が同被告に対しても効力のあることを前提として、同被告に対し賃貸借契約の不履行又は賃借権の不法侵害による損害の賠償を求める原告の請求はその理由がない。被告玄は前認定のように右店の間の部分の占有を原告に移転すべき契約上の義務があり、且その履行期限は、右認定の契約内容によれば被告玄が右店の間を自ら使用する必要が無くなつて相当期間の後と解すべきであるから、少くとも同被告が被告吉岡に本件の家屋を売渡し、右部分の占有を引渡す旨の契約をした後に、原告から被告玄に対して右部分の明渡期限として通告した日であることを被告等において争わない昭和二十五年十一月二十五日の経過後においては被告玄は右明渡を履行すべき義務があつたのである。従つて原告は同被告に対して右契約履行期後の履行遅滞による損害金を請求出来る筈であるが、本件家屋の所有関係を原告主張の通りであるとすれば前認定のように原告は右店の間の部分の賃借権をもつて被告吉岡に対抗することはできないから、原告の同被告に対する右部分の家賃金の支払義務は存在していないので、原告には右家賃金に該当する損害は生じていない。被告主張のように本件家屋がなお被告玄の所有に属する場合においても、原告は同被告が右店の間の部分の占有使用を原告にさせなかつたことによつて同被告に対して右部分の家賃金の支払義務を負担していないので、原告は右家賃金にあたる損害を蒙つていない。しかして原告は被告玄の契約上の義務履行遅滞による損害の賠償について右家賃金に該当する損害金以外には請求も主張も立証もしていない。また原告主張のように原告が右店の間の部分の家賃金も含めた本件家屋一戸全部の家賃金を供託して支払つたとしても、それは無い債務を弁済したまでで、(仮りにその事実があつたとしても)その返還を損害金の支払いとして請求することはできない。従つて原告の被告玄に対する店の間の部分の家賃金相当の損害金の請求も失当である。
よつて原告の被告玄義雄に対する本件店の間の部分の明渡請求を認容し同被告に対する損害金の請求及び被告吉岡喜久三に対する全部の請求を棄却し、民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用して主文第三項のように訴訟費用の負担を定め、仮執行の宣言の請求については主文第一項は既に判断したところから即時履行の不能であること明瞭であつて、仮執行の宣言を附するに適しないのでその宣言をしない。
(裁判官 長瀬清澄)