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大阪地方裁判所 昭和26年(ワ)263号 判決

原告 橋本トク

被告 田中佐四郎

一、主  文

被告は原告に対し豊中市麻田千四番地の二地上建設の木造瓦葺二階居宅南向一棟建坪十七坪七合二階坪九坪のうち、階下表(南側)四畳半の間のうち西北隅階段昇口半畳(縦横各三尺平方)を除く部分(但しヌレ縁並びに押入を含む)及びその西南に続く洋間(約三畳)を明渡せ。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その一を被告の負担とする。

この判決は第一項に限り原告において金四万円の担保を供するときは仮りにこれを執行することができる。

二、事  実

原告訴訟代理人は被告は原告に対して主文第一項記載の建物一棟全部を明渡せ訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、

その請求の原因として、

原告は主文第一項記載の建物一棟の所有者であるが、昭和十三年二月二日被告に対して右建物を賃料一カ月金三十円毎月末払の約束で賃貸借期間の定めなく賃貸し、その後家賃金の額は数回値上げせられ、現在一カ月金七百六十三円となつている。原告の夫は昭和十八年肺結核のため多額の負債を残して死亡したので、原告は養子訴外橋本順一と共に附近の南刀根山住宅に転宅し、その後豊中市柴原三百四十五番地の住宅に移転したが、終戦後は生活困難の為めに本件家屋の附近にあつた原告所有家屋三戸を次々と売却してその代金を生活費に当て残つていた衣類家具等の動産も売り尽す状態になつた。その頃原告は生活費を節約する為めに前記柴原の住宅に原告の親族を同居させていたところ、右親族から多額の借金をしたので、右住宅の賃借権も右親族に譲渡しなければならないことになり、住込みの職業を探した結果現在原告の勤務している池田銀行の前身池田信用組合に就職し、その豊中支所に小使として住込むことになつた。これと時を同じくして原告の養子も日本火災保険株式会社名古屋支店に勤務することになり同市に赴任した。然るに原告の勤務していた池田信用組合が池田銀行に改組せられるについて、原告の勤務するその豊中支所においても従来のような夜間女一人の留守居では不用心であるために男子の夜警を置くことになつたが、それが為めには同支所内で右夜警の居住すべき室は現在原告の居住している小使室以外になく、原告が同所に住込んでいては邪魔になるので、銀行は原告に対して右支所の小使室から早急に立退方を要求している。原告は右銀行の雇人としてこれを拒否することのできない立場にあり近々住居を失うこと確実の状態に至つている。また名古屋に勤務している息子は既に結婚して一女を挙げたが、薄給のため生活が困難であるために大阪で住宅を手に入れることができ次第前記保険会社の大阪支店に転勤させて貰い、原告と一緒に生活してその生活費を節約することが是否とも必要な状態になつている。右のような次第で、原告とその息子の一家は現在大阪市の附近で何とかして住宅を手に入れねばならない切実な必要に迫られているのであるが、原告は現在においても約金八万円の負債があるような状態で、限られた僅かな給料の外収入を得る道もないので、金員を支出して他人の貸家を借受ける資力はない。また勤先である銀行からも、同所における原告の地位や役割から云つて到底移転費用又は住宅費用を支出して貰える立場にないこと云うまでもないことである。したがつて、原告の現在の生活状況では、被告に本件家屋を明渡して貰つて、これを原告とその息子一家の住居として使用することが、差し迫つている住居を失う危険を逃れる唯一の手段である。これに反して被告はその勤務中の会社が社宅を沢山建築しているので、何時でも右社宅の提供を受けることができる地位にあり、本件家屋から容易に転出できる立場にある。右のように原告が本件家屋を自ら使用することを必要としている事情等は、原告が被告に対して本件家屋の賃貸借契約の解約申入れをする正当な事由がある場合にあたると云わねばならない。よつて原告は被告に対して再三にわたつて右家屋の明渡の交渉をしたが被告が応じないので、昭和二十五年豊中簡易裁判所に対して被告を相手方として本件家屋の明渡しを求める調停の申立をしてその賃貸借契約の解約申入れをした。右事件は同簡易裁判所昭和二十五年(ユ)第三一号として繋属したが、調停不調に終つた。そして右調停申立から既に六月以上を経過し、右解約申入の効果が発生して原告と被告間の本件家屋の賃貸借契約は終了したにかかわらず依然として被告は原告に対して右家屋の明渡をしないので、その明渡を求めるため本訴に及んだと述べ、

なお被告から原告の本件家屋の所有権を否認する旨の答弁があつたので、その点に関して、

被告は答弁書において原告が本件家屋の所有者であることを自白し、第一回口頭弁論期日においてその旨の陳述をしているから、その後の期日において原告の同意なくして右自白を撤回し原告の所有権を否認することはできない。また本件の家屋は次のような理由で原告の所有に属するものである。即ち原告は新民法施行前である昭和二十二年二月十二日に隠居して養子訴外橋本順一が原告の家督相続をして戸主となつたのであるが、これに先立つて当時原告が所有していた本件の土地家屋外一筆の土地家屋について原告とその養子である右訴外人の間で、右不動産を相続財産から除外してこれを原告の所有に留保する旨の契約ができていた。然るに原告は右隠居届の手続を豊中市役所前の代書人に依頼して履行し、その際右代書人から原告の留保財産について留保物件目録を作成して公証役場に留保手続のために出頭するように注意を受けたが、原告がその手続をすることを失念している間に、原告の隠居届は代書人の手で市役所に提出せられて、結果においては原告の養子訴外順一が原告の全財産を相続により取得し、原告は何等の財産も自己に留保しなかつた形式になつていた。然るにその後同年四月二十八日に至り、原告が前記原告所有の不動産のうちの本件の土地家屋以外の物件を担保として他から金融を受けようとした際に、右留保手続の履行せられていないことを発見したので、原告と相続人訴外順一の間で右訴外人は原告に対して一旦相続によつて取得した前記の不動産を再び原告に贈与し戻す旨の契約をして、その登記についてはこれら財産は登記簿上原告の所有名義のまま残されていたので更めて相続及び贈与による所有権移転登記手続を執ることなく、従来の登記をそのまま存続させてこれを利用することにした。その後においては、原告は屡々右不動産を担保として他から金融を受けて居り、殊に前記本件土地家屋以外の不動産一筆については原告自らの手で他に売却している次第であつて、常にこれら不動産が原告の所有に属するものとして行動しているのである。右のような次第であるから、本件の家屋は原告の隠居、訴外順一の相続にかかわらず終始原告の所有に属していたものであり、仮りに然らずとするも、前記相続人順一の原告に対する贈与によつてその時以来原告の所有に帰したのである。しかして右土地家屋についてはその登記簿上の記載においてもこれらは原告の所有名義になつて居り且右記載は現在の事実上の所有関係と一致する有効なものであるから、原告は右所有権をもつて第三者に対抗することができると補足陳述した。<立証省略>

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め答弁として、

原告が本件家屋の所有者であることは否認する。原告はもと本件家屋の所有者でその所有期間中に原告主張の日に被告との間に原告主張の賃貸借契約を結び被告が現在まで本件家屋を占有していることは認める。しかしながら昭和二十二年二月十二日原告が隠居して原告の養子訴外橋本順一が原告の家督を相続した際に、原告は確定日附のある証書によつて何等の財産も自己に留保しなかつたから右相続によつて当時原告の所有に属していた本件土地家屋を含むすべての財産は、旧民法第九百八十六条によつて右相続人訴外順一の所有に帰し、以来本件土地家屋は原告の所有に属しない。その後右訴外人が原告に対して本件家屋を贈与によつて返還した旨の原告の主張は全く虚構である。原告の主張する贈与は、被告が原告の所有権を本訴において否認したことに対する対策として案出せられたものであつてその真実性がない。若し右贈与が真実のものであれば、当然当時本件家屋についての家屋台帳の記載にも右所有権の変動に伴う変更が加えられ、更に相続税と共に贈与税の申告納付があるべき筈であるのに、本件家屋に付いては右相続以後右のいずれの手続も履行せられていない。仮りに原告の右贈与の主張が真実であるとしても、右贈与による所有権の移転についてはその登記手続が履行せられていないから、原告は右贈与によつて取得した所有権をもつて、右不動産の賃借人である被告に対して対抗することはできない。即ち隠居による家督相続の場合には、隠居者が確定日附のある証書によつて財産を自己に留保しない限り、相続開始当時隠居者の所有に属していた総ての財産は相続によつて相続人の所有に帰し、その後において被相続人である隠居者が相続人から相続財産に含まれていた不動産を贈与により返還を受けその所有権を取得しても、更めて相続及び贈与による各所有権移転登記手続を履践しなければ、隠居者は相続開始前の右不動産についての登記簿上の所有名義が相続後も依然として自己名義のまま残存しているからと云つて、これを利用して右所有権をもつて右不動産上に権利を持つ第三者に対抗することはできない。このことは売買その他によつて所有権が転々した場合にその中間の登記を省略する場合とその性質及び効果を異にすべきである。何となれば、不動産所有権が転々取得せられた場合の中間省略登記の場合は第三者はその最後の所有権移転の登記によつて所有権移転のあつた事実を知ることができ且右登記は現在の事実上の所有関係と一致しているから、右中間省略登記によつて権利を害せられる者は、自ら登記の省略を承諾した中間の不動産取得者以外にないのに反して、前記隠居者がその相続人から贈与によつて相続財産に属していた不動産の返還を受けた場合は、このような贈与による所有権の移転のあつた事実を公示するに足る外形上認識可能な表示が伴わないから、若し隠居者が相続開始前の不動産所有権に関する登記簿上の記載をそのまま存続させることによつて右贈与による不動産の取得を第三者に対抗することができるとすれば、相続のあつた事実に信頼して相続人との間に右不動産に関して法律関係を結んだ第三者はその責に帰すべき何等の事実がないのに、不測の損害を受ける事態に陥る結果となる。右の事態を許すことは結局においては隠居による家督相続の場合に、隠居者が確定日附のある証書によらないで相続財産に含まれる筈の財産を自己に留保することを許すのと事実上同一の結果となり、右のような留保を確定日附ある証書によつてのみ可能とした法律の趣旨は全く踏みにじられることになる。従つて隠居者はその相続人から贈与によつて相続財産に含まれていた不動産の返還を受けても、右贈与による不動産取得の登記手続を経ない限り右所有権をもつて第三者に対抗することができない。本件の場合原告はこのような登記手続を経ていないから本件土地家屋の所有権をもつて被告に対抗できない。以上の理由によつて原告は本件訴訟の当事者としての適格を欠き、また賃貸物件の所有者としての地位に基いて被告との間の賃貸借契約を解約して家屋の明渡を求める権利がない。更に、原告の賃貸人としての地位も右相続によつて当然訴外順一に承継取得せられ、原告は右相続以来右の地位を喪失しているのであるから、右相続後は賃貸人としての地位に基いて賃貸借契約を解約し家屋の明渡を求める権限もない。原告の請求はこの点において失当である。

仮りに被告の右主張が理由ないとしても、原告には被告に対して賃貸借契約の解約申入をする正当な事由がないから、原告の被告に対する解約申入はその効力を生じない。この点に関する原告の主張事実については被告はそのうち、原告の夫が既に死亡していること原告が南刀根山住宅地に移転し、その後更に豊中市柴原三百四十五番地に転居し、更に池田銀行の前身である池田信用組合の豊中支所に住込みで勤務するようになり、現在も右銀行支所に勤務居住していること、原告が本件家屋の近隣にあつた所有家屋三戸を他に売却したこと、原告の養子訴外順一が現在名古屋市において勤務居住していること及び原告主張の調停申立がありそれが不調に終つたことは認めるが、原告その余の主張事実は全部争う。

原告は本件の家屋を自ら使用する意思なく、仮りにその意思があるとしても原告の主観的な立場でこれを自ら使用する必要があるとしているに過ぎないのであつて、客観的な立場から見れば、現在の住宅難の折から他に転居すべさ住宅なく且これを獲得する経済的資力もない被告から、その住居を奪うことを正当にするに足る事由にはならない。即ち

(1)  原告は現在池田銀行豊中支所の小使兼留守居番として同支所に住込み勤務していて、同支所でこのような小使又は留守居番を不必要とするような事態が起る筈はないから、現在のところ解雇を受けて同支所内にある現住所から追立てられる心配もなく、一応その住居の安定を享受している。殊にその生計事情から察するに、原告にとつては本件家屋に移転してこれに居住するよりも、右支所内の現住所に寝起する方が勤務上も便宜で経済的にも負担が少くて済むのであるから、原告が本件家屋を自ら使用する意思を持つている筈はない。仮りにその意思があつても、その必要ある場合には当らない。

(2)  原告は以前本件家屋の隣に、右家屋以外に三軒の貸家を持つていたが、昭和二十一年十二月から昭和二十三年六月までの間に何れもこれを売却処分し、殊に本件家屋東隣の一戸を売却したのは昭和二十三年六月のことであつて、原告が柴原三百四十五番地に転居して後である。原告が真に住居に困つて居るのであれば、右売却した家屋のいずれかに居住できた筈であるのに、原告はこれをしなかつた点に徴して、原告は住居に困つているのではなく、被告から本件家屋の明渡を受けこれを高価に他に売却する意思である。仮りにこれに居住する意思であつても、右のように住居を獲得できる機会に自らその獲得を怠つたのであるから、その後において他の住居を奪う措置をとることはできない。

(3)  仮りに原告が池田銀行豊中支所内の現住所から退去しなければならない何等かの事情があるとしても、原告は現在全く同居家族のない一人身であるから、その身分に相応した住居を獲得することは容易な筈である。殊に原告は右支所内の現住所に転居する以前即ち昭和二十五年二月頃までは豊中市柴原三百四十五番地橋本某方に居住して居たのであるが、この家は原告の実兄(死亡)の家であつて且右原告居住当時も現在も原告の養子訴外順一の実母がその子供二人と共に居住しているのであるから、嘗つて原告が右家屋に同居していた事実から推察して、同家屋には原告が再びこれに同居することができる十分な室の余裕があり且人的な交際関係にもこれを許さぬ困難はない筈である。右のように原告には他に転居容易な家屋があるにもかかわらず、被告に対して本件家屋の明渡を求めるのは正当な事由によるものと認め難い。

(4)  原告はその養子訴外順一夫婦及びその子供と同居生活をする為めに本件家屋を自ら使用する必要があると称しているが、右訴外順一は現在名古屋市において日本発送電株式会社に勤務し、同地に居住しているのであるから、右勤務会社の必要によつて大阪に転任になつてその結果住居がないと云うのであれば兎に角、自己の希望によつて名古屋における住居を放棄し、大阪への転任を実現し、その結果被告の現住所を奪おうと企てることは原告の身勝手であつて賃貸借解約の正当な事由にならない。殊に原告の右意図は将来の計画に過ぎないのであつて、その希望通り実現するか否か不明である現在右解約の正当事由とするに足る緊急性がない。

これに反して被告には本件の家屋から容易に転居し難い左記のような事由がある。

(1)  被告の家族は被告夫婦及び一男三女合計六人であつて本件家屋からの移転先としてその家族数に相応する家屋を探し出すことは現在の住宅難の折から不可能に近く、被告は他に移転先は全然ない。殊に被告は大阪市内の大鋼物産株式会社に一会社員として勤務する一サラリーマンに過ぎず、右家族数に必要な間数の家屋を獲得する資力は到底ない。

(2)  被告と同居している被告の長男(大阪大学法学部在学中)は本件家屋において英語の家庭教師をして月収約千円を得ているが、本件家屋を失い他に移転するときは長男の右収入源を失い被告一家全体の生計事情を悪くすることになる。

(3)  被告は本件家屋の維持及び保存に必要な修繕について現在領収証のあるものだけでも合計金三万一千九百五十円の修繕費用を支出し、他にも領収証のない修繕費用の支出が約一万円ある。これらは終戦後度々の颱風によつて本件家屋が傷んだ都度原告に相談したが、原告は丸公の家賃ではとても修繕はできないからと云うので、いずれも本来ならば原告の支出すべき費用を被告が立替えて修繕を施した費用であつて、これら修繕は本件家屋の維持及び保存に絶体的に必要なもので、この修繕を怠れば本件家屋は居住に堪えない程のものであつた。被告は本件家屋に長く居住する意思があり、且原告が本件家屋を将来も被告に賃貸して呉れるものと信じていたからかかる費用を自ら支出したので、被告の右家屋維持保存に関する貢献を無視して原告が唯一方的な自分の都合だけから被告に対して本件家屋の明渡を請求するのは余りにも理不尽なやり方であつて、賃貸借契約解約の正当事由ある場合に当らない。

(4)  原告が本件家屋の一部の明渡を請求しているものとすれば、次の理由によつてそれも正当性がないと云うことができる。即ち本件建物は居間として常時使用できるものは階下四畳半、六畳、三畳、階上四畳半、六畳であるが、そのうち階上六畳は前記被告の長男が英語の家庭教師の部屋として常に使用し、又階下三畳(板間)は被告の道具類を入れる場所が他にないところから単に物置として使用している。従つて被告一家が常時使用しているのは階下四畳半六畳階上四畳半であつて、これは被告の家族六人の住居としては必要欠くべからざる広さであつて、そのうちの幾間かを原告に明渡す余地は全くないと云うことができる。

以上原告が本件家屋を使用することを必要としている程度と被告がこれを必要としている程度を比較すれば、被告の必要程度が遥かに原告に勝ること明らかであるから、被告が原告に対して本件家屋の賃貸借契約を解約してその明渡を請求するのは全く不当であると述べた。<立証省略>

三、理  由

先ず原告が当事者適格を欠く旨の被告の主張に付いて判断するに当事者適格は訴訟繋属の前提である。然るに民事訴訟においては右前提の具備していることを条件として原告は訴訟物である権利が自己に属し且これに対応する義務を被告が負担すると主張し、被告はその権利が原告に属せず又はこれに対応する義務は被告において負担せずと主張するから、裁判所の判断を要する争点を生じ、訴訟が続行されるのである。従つて訴訟物である権利が原告に属するか否かは、訴訟の本案の内容そのものであつて、原告がその名において訴えることのできる前提ではない。このことは右訴訟物である権利が物権であると債権であるとによつて何等の差異もないのであつて右訴訟物たる権利が物権であるが故に審理の結果その権利が原告に属しないときは原告は訴訟当事者たるの適格がないことになる旨の説に組することはできない。本件においては、原告は本件の土地家屋が原告に属すると主張して本訴を提起しているのであるから、その主張の当否は本件の本案そのものであつて、訴訟繋属の前提ではない。殊に厳格に云えば、原告が本件土地家屋の所有者であるか否かは本訴の訴訟物ではない。本訴においては原告が被告に対して本件家屋の明渡請求権があるか否かが争われているのであつて、右明渡請求権が訴訟物である従つて原告の所有権の有無が本訴の当事者適格の問題ではないことは極めて明瞭である。

次に本件土地家屋の所有権が原告に属するか否かが、本件明渡の請求の当否に如何なる影響を及すかについて判断する。正当事由に基く家屋賃貸借契約の解約及び右解約による賃貸借契約の終了を理由とする家屋の返還明渡の請求は賃貸人の賃借人に対する請求であつて、賃貸家屋の所有者の所有権に基く請求ではない。勿論右請求者が賃貸家屋の所有者である場合には反証のない限り所有者であると同時に賃貸人であるとの推定を受け且賃貸借契約物の消滅後においては賃貸物件返還請求権の外、所有権に基いて不法占有を理由として家屋の明渡の請求ができると云う訴訟上の便宜を享有できるものであるが、賃貸物件の所有者でなくてもその賃貸人であれば賃借人に対して賃貸借契約を解約して、その終了を理由として賃貸家屋の返還を求めることができること疑を容れる余地はない。そして所有権移転の場合はそれが売買贈与等契約に原因するものであると相続等契約以外に原因するものであるとを問わず、その物についての賃貸借契約が存続しているときは、旧所有者から新所有者への賃貸人の地位の移転を伴うのが原則であるけれども、元来賃貸人の地位は賃貸物件の所有権から必然的且直接に発生するのではなく、所有権そのものとは別個の賃貸借の契約から発生するものであるから、関係当事者の意思如何で右所有権の帰属と賃貸人の地位を切離してこれをそれぞれ別人に与えることは法律上許されることであつて、被告の主張するように所有権の移転は必然的に賃貸人の地位の移転を伴うと云うことはできない。ただ所有権の移転があつた場合には新旧所有者間に別段の意思表示がない限り賃貸人の地位もこれに伴つて移転させることに意思の一致があるものと推定せられ、且このような賃貸人の地位の移転は原則として賃借人の地位に不利益な影響を及ぼすものでないから賃借人はこれを忍受しなければならないのが原則であると云うにすぎない。従つて当事者の取りきめによつて右原則と異つて賃貸物件の所有者と賃貸人が別個の人であることは往々にしてある事象である。本件の場合原告はその弁論の全趣旨に徴して自分が賃貸人であるとして賃貸借契約の解約及び賃貸物件の返還を請求しているのであること明瞭であつて、ただ右の自分が賃貸人であることを理由付ける手段又はその立証を容易にする手段として本件土地家屋が原告の所有に属する旨を主張しているものと認むべきである。従つて本訴においては本件土地家屋が原告の所有に属する旨の主張は原告が本訴請求を理由付ける為めに必ず主張立証しなければならないことではなく、原告においてその賃貸人であることを直接に立証できるならば、右所有権の主張立証を省略しても差支えない。このことは本訴において証明せられた他の事実から又は証拠から直接に原告が賃貸人であるか否かを認定できるならば原告が本件物件の所有者であるかどうかは裁判所が必ず判断しなければならない事項ではないことを意味する。

そこで原告が被告に対する本件家屋の賃貸人であるかどうかを判断する。本件家屋がもと原告の所有に属していて、その当時原告が被告にこれを賃貸し、その後において旧民法の時代に原告が隠居し原告の養子訴外順一が原告の家督を相続したが、その際原告は確定日附のある証書で本件土地家屋を含む一切の財産について自己に財産を留保する手続をしなかつたことは当事者間に争がなく、右相続のあつて後、原告が本件家屋の東隣にあつた右相続財産に属する土地家屋を自己の名義で他に売却処分したことも被告が自ら認めて争わないところである。更に成立に争ない甲第一号証によれば、原告は右相続のあつて後に本件土地家屋に抵当権を設定して他から金融を受けたことを認めることができる。以上の認定事実と被告も認めている原告の経歴を総合すれば、原告は隠居に当つて財産所有権の帰属等について別段深い考慮を払つていたわけではなく、従つてこの問題については明確な認識を持たなかつたので、従来自己の所有に属していた財産は隠居後においても依然として自己の所有に属している積りで本件不動産その他の財産の管理処分行為をして来たものであることを認めることができる。この点に関し原告は右相続人訴外順一が被相続人原告に対して相続によつて取得した本件不動産その他の財産を贈与によつて返還する特別な意思表示をした旨を主張するが証人橋本順一の証言及び被告本人訊問の結果中には親子の間に事更めて外形的に認識可能な口頭による意思表示の形で贈与契約が締結されたと認めることのできる供述は勿論なく、その他右主張の立証はない。しかしながら証人橋本順一の証言によれば同訴外人は相続後においても原告が前記のように相続財産の一部である不動産についてそれが原告の所有に属するものとして管理処分行為したことに異論を懐いたことも表明したこともなかつたし、また同訴外人自身被告から本件家屋を明渡して貰うことを強く希望していることを認めることができる。右認定事実と本訴が原告の名で提起され右訴外人の名で提起されていない事実を総合すると右訴外順一自身も相続以来本件不動産を含むその他の財産が当然原告の所有に属しているものと考えていて、それが原告の所有に属することに異論なかつたことを認めるに十分である。このように不動産変動を目的とする明示の意思表示を欠く場合に、当事者間のその帰属に関する見解の一致があり且その見解に従つた事実上の行為が伴つただけで右見解通りにその不動産の法律上の帰属が決せられ且それが第三者に対しても効力があるかどうかは一概に決することができないが右の場合少くとも賃貸人の地位に関する限り原告と訴外順一の間に賃貸人を原告とする暗黙の意思の一致があつたと認めることができる。更に原被告本人の各訊問の結果に徴すれば、原告は自分が本件家屋の賃貸人であるとして被告からその家賃金を受取り、被告は原告が賃貸人であるとして家賃金を支払つて来たのであつて、その間本訴に至るまで原告の右賃貸人としての地位を否定するような言動は何人によつても表明されたことがないことを認めることができる。従つてこの点において被告は原告が賃貸人であることを承認していたことになる。前述のように賃貸人の地位は契約上のものであつて、賃貸物件の所有者と賃貸人となるべき第三者と賃借人の間に意思の一致があれば、それが客観的に認められる限りそれが明示された場合であると黙示された場合であるとを問わず所有者以外の第三者に賃貸人の地位を自由に創設することのできるものであるから、本件において仮りに被告主張のように訴外順一が相続によつて本件土地家屋の所有権を取得し、原告が既にこれを喪失しているとしても、右認定のように賃貸物件の新所有者である訴外順一と旧所有者である原告と更に賃借人である被告との間で、旧所有者原告がその賃貸人であることを承認し、その賃貸人として行動することを許して来た以上、原告は法律上完全な賃貸人としての地位を保有していると云わねばならない。そして原告がこのような契約上の地位に伴う権限を行使するについて所有権の登記による対抗力の問題から影響を受けることがないこと論を俟たない。右のような理由によつて原告は被告に対する本件家屋の賃貸人であつて賃貸借契約を解約する正当な事由があれば、これを解約して被告に対して家屋の返還を請求することができる。

よつて原告が被告に対して賃貸借契約の解約をすることを許すに足る正当な事由が原告に具備しているかどうかについて判断する。証人今西今治郎、同松島伊左衛門並びに同橋本順一の各証言及び原告本人訊問の結果を総合すれば原告は昭和二十四年中は豊中市柴原三百四十五番地の住宅に居住していたが、右家屋には原告の甥夫婦一家五人、兄の未亡人一家四人及び原告一家二人合計十一人が同居していて、その手狭な為めに困惑していた上に、同居者中には肺結核患者もあつて、原告等一家(当時二人)は他に住居を求めて転居し度いと考えていたが、原告には他から借家をする資力がなかつたので転居すべき家屋を直接に獲得するか又は他に借家を求める資力を捻出する為めに、本件家屋の賃借人である被告に家屋の明渡又は買取りの何れかをして貰い度い旨を人を介して交渉したが、被告がこれに応じなかつたので右交渉は打切りになつた。その後原告は池田銀行の前身である池田信用組合の豊中支所に住込の小使として勤務することになり、同支所内で住居を得ることができ、原告の養子訴外順一は名古屋市で職に就いてそこで居住することになり、一家離散の状態になつたとは云うものの、前記柴原三百四十五番地の住居から転出する希望も叶い一応住居の安定を得ることができた。しかるに原告が前記信用組合に勤務するようになつて程ない昭和二十五年春頃から、右信用組合を銀行に改組する案が進行し、右改組が実現した場合にはその豊中支所でも銀行としての営業上男の専門夜警を置く必要があるが、右支所には原告が現に使用している小使室の外に夜警の寝起する場所がない為めに、原告が同所に居住していては銀行としては支障のある事態になつた。そこで銀行の役員は原告に対して他に住宅を見付けて右銀行支所の小使室を明渡すよう申渡し、その後昭和二十六年六月右銀行改組が実現して以後は原告に対して一層厳しく右明渡の履行を督促している状態にある。然るに原告はその限られた収入では容易に他に借家を求める資力を得ることができないので、被告に対して本件家屋の明渡又は買取を要求する外ないことになり、昭和二十五年中に豊中簡易裁判所において被告を相手方として本件家屋明渡の調停申立をしてその不調となるや更に本訴に及んだものである事情を認めることができる。右認定のような事情であるから、被告は現住所を失う危険にさらされて居り、且被告に本件家屋を明渡して貰う以外に新住居を入手する資力も能力もないと認めることができる。被告はこの点について原告は本件家屋に居住する必要がない旨各種の理由を上げているが、いずれも右認定の原告の現在の住居の事情に影響のなくなつた古い事情のみであつて且右認定に反する主張であるのみならず、その立証も伴つていないのでこれを容れることはできない。

次に被告が本件家屋の使用を必要としている程度について判断するに、被告本人訊問の結果によれば、被告には家族六人がありその収入資力にも余裕が少いので、被告が右家族の員数にふさわしい他の借家を求めたり、又は他の家屋を買受けたりして、本件家屋を退去することは、経済的にも又家屋そのものを見出す点においても不可能に近い位に困難であることを認めることができる。原告はこの点について被告の勤務先に社宅のあること等の本件家屋明渡の容易である事情を主張するのであるが、原告の全立証によつてもかかる事情は認めることができない。

よつて残されるところは本件家屋に原被告同居が可能であるか否かである。検証の結果に徴すれば本件の家屋は階上六畳四畳半階下六畳四畳半、三畳の五室があつて被告一家六人にとつてその一部を明渡しても何等差支えないと云う程広いものではないが、それでもその一部を明渡せば直ちに被告一家の生活がその基本から破壊されると云う程手狭いものでもない。幸いに原告は現在単身であつてその生活に要する住居は比較的狭くても差支えないからその為めに被告が明渡すべき本件家屋の部分も一室又は二室の僅かで済むのであつて被告にとつてその程度の広さの室を明渡して自分の住居の不便を忍ぶことは先に認定した原告及び被告の住居の事情から判断して、社会共同生活上已むを得ない犠牲であつて被告の全立証によつても被告にはこれを拒否する事由があるとするに足る事情は認めることができない。ただ検証の結果によれば、本件家屋は二家族の同居には甚だ不便にできているのであるが、以上認定の同居以外に道のない原被告の住居の事情をくんで、裁判所は主文第一項のように被告明渡部分を定め、台所及便所は原告が自ら他にこれを設けることにすれば、被告にとつても酷でなく、原告にとつても我慢のできる同居の条件が具備すると判断する。よつて原告の被告に対する調停申立による契約解約の申入れは右の限度においてその正当事由を具備していて、その限度において効力を生じたのであるから、原告の被告に対する右限度の家屋明渡請求はこれを正当として認容する。

被告は本件家屋に支出した必要費を云々するが、それは本訴に大した影響はないと認めるのでその点の判断をしない。

原告は本件家屋にその養子訴外順一の一家と共に居住したいから被告に対して本件家屋全部の賃貸借契約を解約するに足る正当事由があると主張するのであるが、なるほど一家が各所に離散して生活することは経済的にも家庭的にも不幸なことであるから、原告がその養子一家と共に生活したいと願うのは無理もないことであるが、前認定の被告の住居の事情と、前記原告に住居権を認めた部分に訴外順一一家が居住すれば格別、そうでなくて被告に対して本件家屋全部の明渡しを強要し、又は右部分以上の部分の明渡を要求することは正当な態度とは認め難い。よつて原告の被告に対する賃貸借契約解約のうち主文第一項記載の部分以外の部分の契約解約は正当事由を具備しないので解約の効果を発生しない。従つて被告に対し右部分の明渡を求める原告の請求は失当であるのでこれを棄却する。

よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十二条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用し主文の通り判決する。

(裁判官 長瀬清澄)

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