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大阪地方裁判所 昭和26年(ワ)3059号 判決 1962年9月14日

原告 坂上武雄 外一名

被告 大阪市

主文

被告は原告坂上武雄に対し金三〇万円、原告坂上ハナに対し金三〇万円及び右各金員に対する昭和三一年一〇月一四日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告らその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らに、その余を被告に負担させる。

この判決は原告らにおいてそれぞれ金五万円の担保を供するときは、第一項中当該原告の関係部分につき仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の申立

原告ら「被告は原告らに対し金六〇〇万円及びこれに対する昭和三一年一〇月一三日附準備書面(請求の趣旨拡張申立書)陳述の翌日である同月一四日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決と担保を条件とする仮執行の宣言

被告 原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。

第二原告らの請求原因

一、事件の概要

原告ら夫婦の長男坂上英雄(当時曽根崎小学校五年生)は、昭和二五年二月頃(以下特に記載するものの外は年は同年を指す)胸部疾患を患い、その後一時小康をえたが、はかばかしくなかつたので、原告らは同人をして療養に専心させるため八月二八日被告大阪市の経営する大阪市立少年保養所(以下少年保養所と略称する)に入所させた。

ところが坂上英雄は、少年保養所に入所中、同所所長以下医師、看護婦、保姆らが、故意又は過失により、結核療養上の「安静」「大気」「栄養」の鉄則を破り、少年保養所事務分掌規則により夫々に課せられている医療、看護等の職責を果さなかつた不法行為により、病状を悪化させられ、さらに心臓病を併発させられ、一二月一四日頃には重態になり、英雄危篤の報に驚いて駈け付けた原告らの看護の甲斐もなく、もはや死は時間の問題になつて来ていたところ、同月二四日に至り英雄が帰宅を切望したので、原告らは自宅において息を引き取らせたい、と考え、同日夜少年保養所を退所させ、大阪市北区若松町二七番地の自宅に帰宅させたところ、同人は翌二五日早朝自宅において肺結核を主因とする心臓衰弱症により遂に死亡したものである。

二、大阪市立少年保養所の組織及び職員の構成

(一)、大阪市立少年保養所は、被告大阪市衛生局の直接監督下にあつて、主として児童の結核罹患者を入所させて治療を行うことを目的とするものであり、同所事務分掌規則によれば、所長は所務を掌理し、所属員を指揮監督する責任を有し、所属の医師、看護婦、保姆はその下にあつて診療及び看護その他患者の取扱いに関する事項を行う義務を有していたものである。

(二)、しかして、右英雄入所中の右少年保養所の所長は、広島英夫医師であり、英雄の担当医師は九月一日から一一月末までは森勉医師、一二月一日から同二四日同人が退所するまでは中村光子女医(尤も同女医が休暇をとつた一二月一五日から同月一八日までは前記森勉医師が代理担当していた)、担当看護婦は、柴田、粟田両看護婦、担当保姆は一一月一五日から一二月七日まで宮嶋ハツ保姆であつた。

三、広島所長以下少年保養所職員の不法行為

(一)、宮嶋保姆の過失行為

結核の療養には「安静」「栄養」「大気」が最も大切な鉄則である。しかるに以下に述べるとおり、宮嶋保姆は自ら「安静」、「栄養」の鉄則を破つたものである。すなわち、

(1) 、同保姆は、一一月一五日英雄の収容されていた桃太郎寮の担当保姆になるや、同寮の患者に対し当番制を定めて部屋の掃除を言い付け、また各患者に対して食事の運搬及び冷水による食器洗い、食卓の拭き掃除を強制し、これらを行わせていたものであるが、特に英雄は熱があつて体がだるく、これらを行うに耐えなかつたのに同人に対してもこれらを強制して行わせていたものである。しかも当時は冬季厳寒の候であつたにも拘らず冷水で食器洗い、食卓の拭き掃除をさせていたのであつて、その不当であることは明白である。

(2) 、英雄は一一月末頃微熱が続いており気分もすぐれなかつたので入浴をやめようとしたところ、同保姆は、同人を怒鳴りつけて入浴を強制したので、同人はやむなく入浴したところ、その結果三八度五分の高熱が出た事実がある。

(3) 、右英雄は、一二月初頃病状悪化し動けなくなつたので、シビンを使つていたところ、同保姆は、臭いからなるべくシビンは使わないように、また使つたら早く便所に捨てて来るように言い付け、右のように病状悪化した病人にシビンの後始末を強制して行わせていた。

(4) 、右英雄は一二月初頃病状悪化し、食欲不振に陥つたのであるが、同保姆はこれを知りながら、食餌を変更して滋養物を与えるように適切な処置をとらなかつたために、同人は栄養をとることができず、そのため同人の体力は極度に衰弱したのである。同保姆の以上の誤つた行為により、英雄の病状は非常に悪化し、右行為は同人の死亡に決定的な原因となつたものである。

(二)、森及び中村両担当医師の過失行為

(1) 、右担当医師両名は、原告らが、金はいくらかかつてもかまわないから、どんどん効く新薬を使つて英雄を治療してくれ、と頼んでおいたにも拘らず、十分な化学療法を施用しなかつた外、宮嶋保姆について詳述した如き労働を英雄に強いて「安静」の鉄則を破り、また英雄の食欲不振を放置して「栄養」の鉄則を破り、もつて医療上の処置を誤つたものである。

(2) 、英雄は、一二月二日検痰の結果結核菌が検出されたのであるから、当時の中村担当医師は、直ちに右に対する適切な医療処置をとると共に、看護婦や保姆に対しては同人の看護及びその他の取扱いについて適切な指示、すなわち同人が自ら食事の運搬、食器洗い、用便のため便所に行くことなどのないように看護婦及び保姆にこれらの世話をするよう指示すべきであつたのに、これらをせず、単に同月七日同人を花咲寮の個室に隔離し、食器を消毒するよう指示したのみで同月一四日同医師が帰省するまで放置しておいたので、同月一一日頃英雄の顔面等に浮腫が生じているのを看過し、また重症患者の英雄をして前記の食事運搬、冷水による食器消毒等の過酷な労働を強い、その症状を極度に悪化させたものである。

(3) 、同月一四日夜から中村医師に代つて英雄の担当医師になつた森医師は、その頃右英雄は浮腫が生じ重態に陥つたのであるが、この重大な時機に他の仕事に忙殺されて、同人に対する適切な処置をとらず放置しておいたために、時機を逸して手遅れにしてしまつた。

(三)、柴田、粟田両看護婦の過失

右両名は花咲寮の個室に移され附添人のない英雄の食事運搬、食器洗い及び消毒、便器の後始末など同人の世話をすべき義務があつたのにこれをせず、これを重症患者の英雄本人に行わせていたものである。

(四)、広島所長の過失行為

(1) 、広島所長は、英雄を収容している病室の補修ないし設備をなす義務があるにも拘らず、これを怠つたものである。すなわち、花咲寮は、重症患者を収容するところであるから十分病人の療養に適する設備を具えていなければならないのに、ジヱーン台風により破壊されたまゝの花咲寮個室の半壊の天井の下に英雄を収容していたものであり、殊に、花咲寮には冬季の煖房設備もなく、よつて英雄は裸電球を握りしめて煖をとらなければならないような悲惨な状態に放置したため、英雄の病状を悪化させたのである。

(2) 、広島所長は、原告らが英雄に附添婦をつけることを許可して欲しいと申入れたのに、何ら理由なくこれを許さなかつたものであるが、その結果英雄は前記のとおり自ら食事の運搬をはじめ過酷な労働を余儀なくされ、その結果病状悪化を来たしたものである。

四、被告大阪市の責任

少年保養所は被告大阪市の経営にかかるもので、所長以下その職員はすべて被告大阪市の被用者であり、被告大阪市はその使用者であるから、民法七一五条の規定により、その職員の不法行為につき損害賠償の責任を有するものである。

原告らは、少年保養所職員の前記不法行為により死亡した英雄の両親としてその死亡により物質的及び精神的に多大の損害を受けたので、各自損害賠償として金五〇万円、慰藉料として金五〇万円、及び被害者英雄の損害賠償並びに慰藉料請求金額各二〇万円を原告らにおいて共同相続し、これらを合せ請求の趣旨記載のとおり金六〇〇万円を被告大阪市に対し請求するものである。

第三被告の答弁及び抗弁

一、請求原因記載事実中原告らの長男坂上英雄が胸部疾患を患い、八月二八日被告大阪市の経営にかかる大阪市立少年保養所に入所し、一二月二四日事故退所(原告らの希望による退所)し、その翌二五日死亡したこと及び原告らが右坂上英雄とその主張どおりの身分関係を有することは認める。

二、被告大阪市には原告の請求に応ずる理由がない。

少年保養所の広島所長以下森、中村両担当医師、宮嶋保姆、柴田、粟田両看護婦は坂上英雄に対する医療及び看護につき最善の努力を払い、尽すべき手段を尽し、またそれらの処置を誤つたこともない。右英雄の死亡は、誠に気の毒なことではあつたが、人力のいかんともすることのできなかつたところである。なお英雄の死亡の主因はあくまでも肺結核であり、心臓衰弱はその末期においてそれに附随して生じたものである。従つて右職員らに不法行為の事実が存しないから、原告の請求に応ずる責任はない。

三、原告らの主張事実は、真実に甚だしく相違しているので、この点を明確にする。

(一)、宮嶋ハツ保姆について

宮嶋保姆は、一一月一五日から桃太郎寮の担当保姆となつていたものである。

(1) 、宮嶋保姆が患者に当番制を定め飯台の掃除等を励行せしめたという点について

宮嶋保姆がそのようなことを強制した事実はない。原告の主張は全く誇張であつて、事実の認識を誤るものである。「食事の運搬」というのは、ただ当該病棟の配膳室から自己の食事を自室に持つて来ることであり、「洗い物」というのは食後自己の食器を洗い場に持つて行つて片附けることであり、また「飯台を拭わした」というのは縦一尺巾三尺六寸の食卓(二人掛小学校低学年用の机)の上の自分の前だけを、当該机に備付けてある「ふきん」で拭うことであり、また便所へ行くことも、重症者で便所へ行くことが病状に影響を及ぼす虞のある者にはシビン等便器を用意しておつてこれに用便せしめていたのであつて、いずれも何ら病状に影響を及ぼすべきものではないから、特に止めてはいなかつたが、これを行うことを命じたりまた行うことをすすめるようなことはなかつた。勿論かかる行為が病状に影響を及ぼす虞のある児童(例えば結核性脳膜炎、急性粟粒結核または喀血等)に対しては医師から指示をするので、その児童に対しては絶対にかかる行為をさせないのである。英雄の場合には、前述の如き病型と異り、絶対的な高度の安静までは必要と認めなかつたので本人の前記の如き行為に対しては特に禁止してはいなかつた。しかし同人が花咲寮の個室に移り浮腫の徴候が見え始めた頃すなわち一二月一四日頃からはかかる行為は絶対にこれを禁止しており、前田看護婦がこれを行つていた。しかも一二月一、二日頃からは同人の希望があつたので宮嶋保姆が食事の持運び食器の取片附けを行つており、シビンを用意してこれに用便させるようにしていたが、大便は本人が便器を使うことをいやがつたので便所へ行かせていた。また個室に人つてからも同様であつた。

なお、原告らは食器の消毒を恰も英雄に対して命じたものの如く主張しているけれども、これは附添婦にはかかる指示をしたことはあるが、患者に対してそのような指示をした事実はない。附添婦のない英雄のものは前田看護婦がこれを行つていた。

右のような次第であるからこれが原因で病状が悪化するというようなことは断じてありえない。

(2) 、熱発患者に入浴を強制したという主張について

宮嶋保姆は英雄が平熱であり、特に医師、看護婦から入浴禁示を命ぜられていなかつたので一度入浴を勧誘したことはある。この時英雄は、「自分は瘠せているので恥しい」といつたが、これを慰めたところ本人が納得したので一諸に入浴して軽く拭くようにして洗つてやつた。従つて原告らが主張するような医療に矛盾して入浴を強制したようなことはない。

(3) 、栄養摂取のため適切な処置をとらなかつたとの主張について

坂上英雄は、一一月二三日頃から食欲不振となつたので健胃消化剤を投与している。なお一二月一一日からは粥食としておるのである。

(二)、森、中村両担当医師について

(1) 、右の者らは担当医師として適切な医療処置を講じており、治療を怠つたり過つたりした事実は毫も存在しない。化学療法について言えば、森医師は九月一一日からパスの投与を始め、これは八日間連続投与、八日間休止を五回繰返えすもの(一クール)で、一二月五日までにこれを了しており、さらに一二月一五日から同月二四日英雄退所までの間はストレプトマイシンの筋注を行つていた。

(2) 、検痰の結果結核菌が証明されたのは一二月七日である。医学上一般に結核菌が証明されたということは、生命が危険状態に陥つたという意味ではないので、特にこれに対する処置を講じたこともないし、その必要もないのである。なお英雄に浮腫を生じたのは同月一四日であり、中村医師は直ちに強心剤を投与している。中村医師が帰省した一五日までは英雄の病状に著しい変化は認められなかつた。また食事の運搬等(但し食器の消毒を英雄にやらせたことがないことは前記のとおりである)は一二月一四日頃までは英雄の病状に何ら影響のあるものでないので禁止はしていなかつたが、同日頃からは病状に影響があるので絶対に禁止しており、前田看護婦がこれを行つていた。しかも一二月一、二日頃からは同人の希望があつたので、宮嶋保姆が食事を持運び食器の取片附けを行つており、シビンを用意してこれに用便させるようにしていた。また個室に入つてからも同様であつた。

(三)、柴田、粟田両看護婦について

坂上英雄が花咲寮の個室に隔離された一二月七日以後、食事の運搬、食器洗いとその消毒、シビンの後始末等はすべて前田看護婦がこれをしていたことは前記のとおりである。

四、仮に、少年保養所の職員に何らかの過失があつたとしても、原告らは英雄の入所に際しては誓約書を差入れており、その誓約書には症状の経過及び転帰等本人の身上に関しては一切苦情をいわない旨誓約しているのであるから、原告らは損害賠償を請求することは許されない。

五、原告らの民法七一五条の規定に基く主張について

仮に、少年保養所の職員に何らかの過失があつたとしても、被告大阪市は、同人らの選任監督について何らの過失はないから、その損害を賠償すべき義務はない。

すなわち、被告大阪市は少年保養所の事業主として少年保養所長広島英夫並に以下医員、看護婦、保姆の選任に当つては、これら医師、看護婦、保姆等正規の資格を有しているか否か、その経歴等を被告大阪市の定めるそれぞれの機関を通じて厳密に調査検討の上採用選任するに至つたもので、この点に関し被告大阪市に何らの過失も存在しない。

ちなみに、広島所長、森医師、中村医師の選任についても、同人らはいずれも医師免許証の所持者であることは勿論、医師としての経験年数においても八月二八日までに広島所長は二二年、森医師は八年、中村医師は五年を有している優秀な医師であり、また宮嶋保姆もこれに必要な教養をもち、昭和二四年五月少年保養所の保姆に就職してから当時既に一年有余の経験を有していた者である。

また少年保養所の事業の執行に際しては監督機関をして常に厳重なる注意を払い指導監督して来たものである。すなわち広島所長は毎週三日は出勤し自ら診察を行つて全般的な監督を行つており、また森、中村両医師の上司としては猪田長義診療係長があり、診療係長は所長の指揮を受けて診療に関する監督を行つており、また看護婦保姆に対しては看護婦長、児童係長がそれぞれ適切な監督を行い、療養生活に遺憾のないように努力していたのであるから、これまた監督上の過失は存在しない。

従つて被告大阪市に対する民法七一五条に基く原告らの請求は全く失当といわなければならない。

六、さらに被告大阪市において仮に責任があつたとしても、本件は原告らとの間において既に昭和二九年三月一四日終局的に示談成立し解決したものである。

すなわち、大阪市会議員栄森一夫が仲に入り折衝を遂げ、その結果被告大阪市において金二〇万円を見舞金の名の下に原告らに交付すること、原告らはその余の一切の請求を抛棄し本件訴訟を取下げることとの示談が成立したので、被告大阪市衛生局長らは、右栄森と共にその趣旨に基き昭和二九年三月一四日原告ら方を訪問し、右示談金を交付したものである。右は終局的な示談金であつて原告らの主張する如く損害賠償の一部として支払つたものでは断じてない。

第四、被告の抗弁に対する原告らの答弁

一、被告の誓約書を差入れたことにより原告らに損害賠償請求権がなくなつた、との抗弁を否認する。

二、被告の少年保養所職員の選任監督に過失がないとの主張について被告の右主張による抗弁を否認する。

仮に被告大阪市においてこれら職員の選任に過失がないとしても、選任後のこれら職員の職務行為に故意あり過失ある場合は被告大阪市において責任を負担すべきである。

三、被告の終局的示談が成立したとの主張について

被告主張のとおり、被告大阪市の職員らが原告ら方を訪問し、金二〇万円を置いて行つたことはあるが、右金員の趣旨は見舞金名義の損害金の一部に過ぎない、被告大阪市の職員らは「これは見舞金だから賠償金は別に考慮する」と明言していたものであり、本件に関し終局的な示談が成立したものではないのである。

第五、証拠<省略>

理由

一、原告らの長男坂上英雄が胸部疾患を患い、昭和二五年八月二八日被告大阪市の経営にかかる大阪市立少年保養所に入所し、一二月二四日事故退所(原告らの希望による退所)し、その翌二五日死亡したことは当事者間に争がない。

二、少年保養所の組織及び職員の構成が原告らの請求原因第二項記載のとおりであることは被告において明らかに争わないところであるから、これを自白したものと看做す。

三、そこで進んで原告の主張するような不法行為が存在するか否かにつき判断するのであるが、その前提として坂上英雄の入所時の病状及びその後の経過並びにこれに対し少年保養所のとつた医療処置及び患者に対する看護その他患者の取扱いがいかなるものであつたかの事実を確定する必要があるので、先ず右事実から認定することとする。

成立に争のない甲第三号証、第四号証、郵便官署作成部分は成立に争がなくその他の部分は原告本人坂上武雄の尋問の結果により成立を認める甲第五号証、郵便官署作成部分は成立に争がなく、その他の部分は弁論の全趣旨により成立を認める甲第六号証、第七号証、弁論の全趣旨により成立を認める甲第八号証、第九号証、第一二号証、成立に争のない甲第一〇号証、証人友滝雅博の証言により成立を認める甲第一三号証、成立に争のない乙第一号証、証人森(幡井)勉の証言(一、二回)及び証人中村光子の証言により成立を認める乙第二号証、第三号証の一、二に、証人金森利英、山脇キクヱ(一、二回)、友滝雅博、水田コイノ、森(幡井)勉(一、二回)、中村光子、宮嶋ハツ、古林一、柴田芳枝、松田房子、広島英夫、山本信子の各証言、原告ら本人尋問の各結果(但しこれらのうち後記の措信しない部分はこれを除く)、当裁判所の検証の結果、並びに弁論の全趣旨を合せ考えると、次の事実を認めることができる。但しこれらの証拠のうち右認定に反する部分及び証人福原朝亀の証言は措信せず、他に右認定を左右する証拠は存在しない。

(一)、坂上英雄の入所時の病状

八月二八日坂上英雄が少年保養所に入所した当時の同人の病状は、先ず両肺部全体に滲出性の浸潤があり、体重は二三キログラムで体は非常に瘠せており、全身倦怠、盗汗、睡眠稍障害、肩のこりを訴えており、これにより同人は混合型でかつ成人型の肺結核であり、しかもその症状は既に重症で予後は楽観を許さないものであることが認められた。

少年保養所は、発病者の治療を主眼とするサナトリウム方式から発病を未然に防止することを主眼とするプロベントリウム方式に切り換えていたので、右の如き重症の英雄を入所させることは必ずしも適切でなかつたが、原告らの懇望があつたので入所させることにした。それ故、その予後については楽観を許さないものである旨を原告らに伝え、原告らはこれを承知の上英雄を入所させたものである。

少年保養所は、収容患者をその病状によりA、B、C、D1 、D2 、の五段階に分類し、Aを最軽症で順次重症になり、D2 を最重症とするものであるが、右英雄を最重症のD2 と指定し、同人を重症患者を収容していた花咲寮に収容した。

(二)、入所直後の病状と少年保養所のとつた医療等の処置

右英雄入所直後の九月二日いわゆるジヱーン台風が来襲し、少年保養所は花咲寮の一部が倒壊する等の被害を受け、その結果英雄は一時浦島寮に同居することとなつた。

入所直後の病状は、検痰の結果は陰性であつたが、体温は三七度三分乃至三七度四分の微熱が続き、血沈も中等価四五ミリメートルで、依然重症であることを示していた。

英雄の担当医師である森医師は、右英雄に対する医療処置として、先ずパスを一クール(毎日五グラム八日間連続投与、八日間休止、これを五回繰返し、合計四五日間投与すること)を投与することとし、これを九月一二日から開始(一二月五日をもつて一クール終了)、他にカルシユウム、ビタミン等の栄養剤を内服と注射を併用して投与していた。

少年保養所は、英雄は重症であるけれども病勢の進行状態が漫性であることなどを合せ考えて、同人の安静基準を次のとおり定めていた。すなわち、午前午後にそれぞれ二時間づゝ安静時間を設け、その時間内に床につかせて絶対安静をさせ、その他の自由時間もなるべく安静にさせるが、その間において行つてよい行為として許容していたものは、洗面、食事の病棟内の配膳室からの運搬、食事を食べる時に座ること、便所へ行くことなどであり、入浴は特に医師が許可する場合の外してはならないことになつていた。これを財団法人結核予防会制定の安静基準に照してみるならば、同基準の安静三度すなわち「短時間離床してよいが、主に横になつている」ものに略相当するものである。

(三)、小康状態

坂上英雄の病状は、右に述べたところの医療処置と安静基準の許において、九月中頃から微熱がとれ出し、同月二〇日血沈は中等価二〇、五ミリに下がり、食思、睡眠共に良好、便は一日一回正常便となり、小康状態を得て来た如くであつた。その後も概ね熱は平熱であり、一〇月一日及び六日の検痰の各結果はいずれも陰性であり、体重は同月二日二三、三キログラム、同月九日二三、五キログラム、同月一六日二四キログラム、同月二三日二四、五キログラム、同月三〇日二四、五キログラムと順調に増加を続け、血沈は九月三〇日五一、五ミリと一時的に上昇したが、一〇月一五日には再び二三、二五ミリに下がり、同月三〇日は三〇、二五ミリであり、便は一〇月九日から一三日まで一時軟便になつたことはあつたが、その他は正常であり、引続き小康状態を保つていた。

少年保養所は、右のような英雄の検痰、体重測定の結果等を綜合して認められた小康状態から英雄の病状はやや好転したものと判定し、安静度を緩和するも差支えないものと認め、一〇月三〇日同人を花咲寮よりも病状の軽い患者を収容している桃太郎寮に転室させた(桃太郎における安静基準については後述する)。

同人はその後も平熱が続き一一月六日検痰の結果は陰性、体重は同日二三、九キロ、同月一三日二四キロで、同月一四日血沈は二五、二五ミリであり、同月一六日撮影のX線写真の結果は従来に比し、著変は認められないまでも、やや浸潤が吸収されており、よい傾向にあるということができた。

(四)、病状悪化

しかるに、一一月一四日頃から再び微熱が出るようになり、同月二〇日食思不振となり、その頃便が一日三回の軟便となつたことがあり、同月二七日血沈の中等価は一三、五ミリであつたが、一二月一日頃から右英雄は気分が悪いと訴えて床に寝ているようになり、同月四日には心悸亢進を生じ、同月二日検査し同月七日判明した検痰の結果は陽性(ガフキー二)となつた。

一二月一日から英雄の担当医師になつていた中村医師は、右検痰の結果により、英雄を他の患者から隔離する必要を認め、これを桃太郎寮の二階花咲寮の個室に転室させた。

(五)、桃太郎寮における英雄に対する少年保養所の看護その他の取扱い

桃太郎寮における安静基準は、安静時間は午前午後にそれぞれ一時間づゝあり、自由時間において行つてよい行為は花咲寮において許容せられていたものの外に食後の食器の水洗いが加わり、入浴は発熱等医師が特別禁止する場合を除き週一回してよい、というもので、安静基準は花咲寮に較べ、一段と緩和されており、これは結核予防会制定の安静四度すなわち、午前午後に安静時間をとるものに略相当するものである。

一一月一五日から宮嶋保姆が桃太郎寮の担当保姆になつて、英雄ら患者の病室の清掃、患者の衣類の洗濯、患者の入浴の世話など患者の取扱いに関する事項を行うようになつたのであるが、同保姆はその頃から食卓に使用する小机の上を食後各自に雑巾をもつて拭うこと、及び食後の食器を配膳室に持つて行つて水洗いをすることを励行するように少年患者らに指示してこれを行わせており、また英雄に対して一度入浴を強いて奨めて英雄をして入浴させたことがあつた。

また同保姆は一二月初頃英雄の病状が悪化して、気分が悪いと訴えて床に寝ているようになつてから英雄にシビンを使用させたが、その際シビンを使うと臭いからなるべく便所に行くように、そしてシビンを使つたら朝早く捨てゝ来るように、と言付けたことがあり、またそのような際の英雄の食事の運搬や食器の水洗いは英雄の苦しそうな様子を見兼ねた友人の患者や時には宮嶋保姆が同人に代つてこれを行つていたものである。

なお、英雄の病状悪化後花咲寮転出までの間、森医師が一一月二四日鎮痛消化剤を同人に投与し、従来のパス、栄養剤の投与を続けた外、森医師又は中村医師は何らの医療処置をとらず、また安静基準の変更等安静に関する処置もとつていないのである。

(六)、重態と死の転帰

坂上英雄は、前記認定のとおり、花咲寮へ転室の前既に一一月一九日頃から微熱が続き、食思減退、気分不良等を来していたものであるが、さらに一二月二日検痰の結果は陽性に変じ、その後八日頃には三七度七乃至八分の発熱あり、一〇日には三八度二分に上がり、一一日には食思減退いよいよ甚しく、そのため少年保養所は同人の食事を粥食に変更し、生卵を給与したが、同人はこれを食べることができず、一二日頃からは睡眠も不良になり、遅くも一三日には顔面に相当程度の浮腫を生じていたのであるが、中村担当女医はこれを看過し、同日は僅かに同人の衰弱に対する処置としてロヂノン(葡萄糖)を、翌一四日にヂキタミン(強心剤)を各注射し、一五日から一八日まで休暇をとつたゝめに、森医師が一四日夜から同女医と交替したのであるが、同医師が交替した時には既に英雄には全身に浮腫を生じ、心臓は衰弱し、顔面は黒ずんで既に結核の末期症状を呈しており、そこで同医師は、直ちに、パス投与にも拘らず検出された耐性菌に対する処置としてストレプトマイシンの注射を始め、翌一五日からは強心剤、葡萄糖、ビタミンの注射をしたが、英雄は尿量少く、一六日には浮腫いよいよ高度、心悸は亢進し、脈膊は弱く結滞を生じ、危篤の状態に陥り、以後森医師及び一九日以降は帰省から帰任した中村女医も共に強心剤、利尿剤、催眠剤等を用いて病状に対し対症療法を施したが、危篤状態が続き、もはや回復の見込はなくなつていたところ、同月二四日英雄が自宅に帰ることを希望したので、原告らは同人の生命を諦め同人の願いを叶えてやるために同日夜同人を自宅に連れ帰つたところ、同人は翌二五日早朝肺結核を主因とする心臓衰弱により死亡したものである。

(七)、花咲寮における少年保養所の英雄に対する看護その他の取扱い

一二月一日から英雄を担当した中村女医は、同月一三日英雄の衰弱を診て(その実同日既に同人は顔面に相当の浮腫を生じていたのであるが、これを看過し)、花咲寮を担当していた柴田、前田両看護婦に対し、あらゆる意味で英雄に注意するように、と指示するまでは、英雄の病状から同人が配膳室に食事をとりに行つたり、戸外の便所へ行く位のことは病状に影響ないものと判断し、看護婦に対し特別な指示をしなかつたので、同月七日花咲寮に転室した後にあつては、英雄には附添人がなかつたから同人の生活一切について面倒を見なければならない立場にあつた柴田、前田両看護婦は、英雄本人に配膳室からの食事の運搬、食後の食器洗いと冷消毒水による消毒(四斗樽の冷消毒水に食器を入れ、一時間後にまたそれを引出すこと)、シビンの後始末をさせ、また大便には同建物から約一〇米の距離にある戸外にある便所に行かせていたものであつて、これらの行為は、一三日になつてはじめて中村女医の指示によつて担当看護婦らが面倒を見るようになつたために中止されるまで続けられていたものである。

四、そこで少年保養所職員の不法行為の有無について検討する。

本項において認定する事実の証拠は、すべて前項記載の各証拠と同一(但しそのうち右認定に反する部分は除く)であり、右除外部分を措信しないことも前同様である。

(一)、宮嶋保姆について

宮嶋保姆が、桃太郎寮の担当保姆として勤務していた当時、同保姆は、患者らに対し、従来どおり食事の配膳室からの運搬のほかに、新らたに食卓に使用する小机の上を食後各自で雑巾をもつて拭うことと、従来は患者らに任意にやらせていた食後の食器を配膳室の洗場において冷水で洗うことを今後は各自でするように患者らに対してかなり強圧的に指示して、これらのことを患者らに行わせており、坂上英雄に対しても右の一般の例によつて同様のことを行わせていたものであるが、一二月初頃坂上英雄が熱を出して寝ていた際などは時に同人に代つて食事の運搬や食器洗いをしてやつたこともあつた。また前記の坂上英雄が熱を出して寝ておるようになつてからは同人にシビンを使わせるようにしたが、その際シビンを使うと臭いからなるべく使わないように、また使つた時には早く捨てゝ来るように、と指示して、英雄をしてそのようにさせていたものである。また同保姆は右英雄が熱があつて入浴をしたくなかつた時に、医師の特別の指示がなかつたので入浴をさせてもよいと考えて、入浴をするようにしい、よつて同人を一回入浴(尤も少年保養所の定めていたとおりの体を拭く程度の方法で)させたことがあつた。

しかしながら、宮崎保姆が坂上英雄にさせた右のような行為は、いずれも、前項において認定したとおり、当時の担当医師であつた森医師が、当時の英雄の病状から判断して、英雄に一般的に許容し、特に禁止していなかつたものであるから、担当医師の指示に従つて患者を取扱うべき保姆としては、何ら担当医師の指示に違反したものではなく、従つて保姆としての職務に違反するところがあつた、と言うことはできないものである。

もし宮嶋保姆が英雄にさせていた右の如き行為が同人の病状に照しさせてはならないものであつたとするならば、右の如き行為を許容し若しくは禁止しなかつた担当医師の責任の問題が生ずるは別として、医師の指示により職務を行う保姆に責任の生ずる余地はないものである。担当医師の責任の有無については後述するところである。

なお原告らは、宮嶋保姆が、英雄の食欲不振に際し、これを知りながら滋養物を与えるための適切の処置をとらなかつた、と主張するが、既に述べたとおり、保姆の職務は、病室の清掃、患者の衣類の洗濯、患者の入浴の世話、その他特に医師から指示を受けた事項であるから、右の滋養物を与えるための処置の如きは宮嶋保姆の職務外の事項で、同人に責任の生ずる余地のないものであるから、原告らの右主張はその理由のないものである。

(二)、森及び中村両担当医師について

(1)、森担当医師について

森医師が、坂上英雄に対する医療処置として、先ず九月一二日からパスの投与を始め、この一クールが一二月五日終了したことは前記認定のとおりである。森医師は、先ずパスを投与し、それにも拘らず結核菌が検出されるときは、そのパスに対する耐性菌に対しストレプトマイシンをもつて対処する計画で、右のとおり、先ずパスの投与を始め、また同人をD2に指定し、花咲寮に入寮させ、その生活基準(安静度)を、前記のとおり結核予防会制定の安静度三度に略相当するものとしていたところ、同人は九月中旬頃から小康状態を得て来、引続き一〇月末も右小康状態が続いていたのであつて、以上の諸事実を合せ考えると、その頃までの森担当医師のとつた化学療法等の医療処置及び安静に関する処置に過失があつたとは認められず、むしろ英雄の病状の好転に鑑みるときは、それが適切なものであつたことを覗わせるものである。

森担当医師は、英雄の一ケ月余の小康状態から同人の病状は好転しつゝあるものと判定して、一〇月三〇日同人を花咲寮よりも病状の軽い患者を収容している桃太郎寮に転室させ、その安静度を一段緩和して結核予防協会制定の安静度四度に略相当するものとしたとは既に認定したところである。坂上英雄は、右桃太郎寮においても初半月程は小康状態を保つていたのであるが、一一月中頃から再び微熱を生じ、病状が悪化し始めたものであるから、結果から見れば、森担当医師のとつた桃太郎寮への転室及び安静度緩和の処置は必ずしも適切でなかつたのではないか、という疑いがないではないが、英雄は、入所以来検痰の結果は陰性であり、右転室まで一ケ月余も微熱がとれ、血沈は二〇ミリ近くまで下がつており、体重は増加の傾向にあつたのであるから、この際安静度を一段階緩和するためにとつた桃太郎寮への転室の処置は、当時としてはあながち不適切な処置であつた、と断ずることはできないところである。

坂上英雄は、桃太郎寮へ転室後も暫らく小康状態を保つていたのであるが、一一月一八日頃から再び微熱を生じ、その後一九日、二三日、三〇日には熱は三八度に達し、これらは微熱の域を越えるものではあるが、他方同人の血沈及び体重に悪化の傾向はなく、一六日撮影のX線写真の結果は、惨潤が多少吸収されて著変は認められないまでもよい傾向であつたのであるから、この時期において森担当医師が安静度を再び引締め、入浴を禁止する等の処置をとらなかつたことも、直ちに医療上の処置を過つたとか怠つたとかすることはできない。

以上要するに一一月三〇日まで森担当医師には、担当医師としての職務上過失ありと認めることはできない。

なお前記のとおり、英雄は、一一月二〇日頃食思不振に陥り、軟便があつたのであるが、これに対し森医師は、同月二四日鎮痛消化剤を与えた結果同人の便は正常に戻り、また従来どおりカルチコール、ビタミンBを投与していたのであるから、その後も引続き英雄は食思不振が回復せず、基定量の食事の半量程度しか食べられなかつたとはいえ、かかる場合結核療養上の「栄養」の鉄則に照し、担当医師としてとるべき処置がいかなるものであるかにつき、原告らは主張も立証もしないので、森担当医師にこの点に関し過誤があつたことを認めることができない。

(2)、中村担当医師について

中村医師が一二月一日板上英雄を担当するようになつた当時同人の病状は既に相当に悪化し、同人は気分が悪いと訴えて床に臥しており、同月四日には心悸亢進を生じており、同月七日判明した同月二日の検痰の結果は陽性(ガフキー二)となつていた。

中村担当医師は、一二月七日英雄を隔離のため花咲寮に転室させたのであるが、右同人は同月八日頃には三七度七乃至八分の発熱あり、一〇日には三八度二分に上がり、一二日頃からは睡眠も不良になり、遅くも一三日には顔面に浮腫を生じたのであるが、これに対し中村担当医師のとつた処置は、僅かに、一一日食事を粥食に変更し、一三日英雄の衰弱に対する処置としてロヂノン(葡萄糖)を注射し、翌一四日にヂキタミン(強心剤)を注射したのみで、一五日には休暇をとつて帰省してしまつたのである。

当裁判所は、中村担当医師は、英雄の痰の中に結核菌を発見した際にとるべき医療処置を誤つたものである、と判断する。同医師は、検痰の結果が陽性に変つても特別の処置を必要としない旨当法廷において証言しておるけれども、検痰の結果が陽性に変つたということは医学上右の様に軽視されてよいものであろうか。一般に検痰の結果が陽性に変つたということは、肺の空洞が開いたことを意味するものであり、空洞が開くときは、結核菌が気管支に出て来て、本人の他の肺部その他の体内機関及び他人に結核を伝染するおそれがあり(いわゆる開放性結核)、その医学上の意味は極めて重大であり、また空洞を閉じさせるためには絶対安静(結核予防会制度の安静基準一度で、終日何もしないで静かに寝ているもの)が必要なものと解せられているのである。更に坂上英雄の場合は、パスによる化学療法が終了したにも拘らず検出された結核菌であるから、いわゆる耐性菌であつてこれに対してはストレプトマイシンの投与を必要とするものであつたのである。右の事実は、森医師が、はじめにパスを投与するに当り、予めそれにも拘らず耐性菌が検出される場合のあることを考慮し、その際の処置としてストレプトマイシンの投与を計画していた事実、及び同医師が、一二月一四日中村医師に交替するや直ちにストレプトマイシンの注射を行つている事実からも認められるところである。

してみれば、中村担当医師は、英雄の検痰の結果が陽性であることを発見した際には、直ちに英雄に対し絶対安静に必要な措置すなわち看護婦らに対し食事の運搬等の行為を英雄にさせないように指示するなどの措置を講じ、さらに耐性菌に対する処置としてストレプトマイシンの投与をすべきものであつたのである。しかるに同医師は、漫然同人を隔離したのみで、絶対安静に必要な措置をもとらなければ、耐性菌に対し必要なストレプトマイシン投与の処置もしていないのである。右は明らかに同医師が医師として当然とるべき措置ないし処置を誤つたものであつて、この点において同医師に不法行為が存在する。

その結果、坂上英雄は、絶対安静を必要とする病状にありながら、食事の配膳室からの運搬、食器の食後の水洗い、食器の冷消毒水による消毒(食器を洗い場において冷消毒水につけ、さらに一時間後にこれを引上げる行為)、大便のために病棟から一〇米の距離にある便所への往復、シビンの後始末などを自らすることを余儀なくされ、また耐性菌に対するストレプトマイシンによる治療を受けることができなかつたのであるが、これらのことが同人の病状に悪影響のあつたことは容易に推認できるところであつて、同人のその後の病状の悪化及び死亡に対し(少くとも死期を早めるにつき)相当な原因をなしていたものと認めるべきものである。

中村担当医師は、一三日になつて漸く柴田看護婦らに対して、英雄にあらゆる意味で注意するように指示したので、同日後は同看護婦らが英雄のため食事運搬等の行為をするようになつたものである。

坂上英雄は、既に一四日夜には全身に浮腫を生じ、顔色は黒ずんで、結核の末期症状を呈しており、一六日には重態に陥つたものであるが、森医師は一四日以来ストレプトマイシンを始め強心剤、葡萄糖、ビタミン等の注射をし、一九日以降は帰任した中村女医も共に、強心剤、利尿剤、催眠剤等を用いて症状に対応した対応療法を施したが、病状はもはや回復の見込みはなくなつていたところ、英雄の希望で二四日夜同人は少年保養所を退所したのであつて、その間における森、中村両担当医師に医療上の過誤ないし懈怠のあつたことは本件全証拠をもつてするも認めることはできない。

なお、原告らの、英雄の食欲不振を放置して適切な処置をとらなかつたとの主張については、英雄が一二月一日以後も食思不振が続き、それがいよいよ甚しくなつたために、中村担当医師は同月一一日に食事を普通食から粥食に変更した外特別に従来の医療処置を変更するところはなく、英雄は粥食に添えられていた生卵を食べることができずに、これを枕許に並べていたことが認められるのであるけれども、かかる場合結核療養上の栄養学の見地から、担当医師としてとるべき処置がいかなるものであるかにつき、原告らは主張も立証もしないので、中村担当医師にこの点に関し過誤ないし懈怠があつたことを認めるに由ないものである。

(三)、柴田、粟田両看護婦について、

柴田、前田両看護婦は、英雄が花咲寮に在寮した一二月七日から同月二四日までの間の同寮の担当看護婦であつたが、同人らは同月一三日中村担当医師から指示のあるまで英雄の食事運搬、食器洗い、食器消毒、便器の後始末等をしていなかつたものである。

しかしながら、同寮の担当看護婦は、附添人のない重症患者及び特に医師の指示のあつた患者について、これらのことをするように命ぜられていたものであるところ、中村担当医師は、英雄を重症患者と考えておらず、また特に指示もしなかつたことは前記認定のとおりであるから、右看護婦らは英雄のため右の如き行為をしなかつたのであるけれども、これをもつて右看護婦らにはその職務について過失や懈怠があつたということはできない。右の理は、既に宮嶋保姆について述べたところと同様である。

(四)、広島所長について、

(1)、坂上英雄が収容されていた花咲寮の個室の天井の一部がジヱーン台風により破れていたことは認められるが、広島所長はジヱーン台風により少年保養所が受けた被害の修理を被告大阪市当局に要求していたが、なかなか思うようにいつていなかつたものであつて、本件全証拠をもつてするも、広島所長にこの点につき特に所長としての職務に背く行為があつたものとは認めることはできない。のみならず、病室の天井の破れと坂上英雄の病状悪化延いては死亡との間には相当な因果関係があるものとは通常認めることができない。

また花咲寮に煖房設備がなかつたことは認めることができるが、そのために特に英雄の病状が悪化し延いては死亡したものだと認めるに足る証拠はない。

(2)、原告らが、一〇月二〇日頃広島所長に対し、英雄の附添人に原告ハナを附けさせたい旨申入れたところ、同所長がその必要がない旨を答えたことが認められるが、当時少年保養所の方針としては重症患者を除き附添人を附けさせず、保姆、看護婦によつて患者の世話をさせており、当時英雄は小康状態にあり、重症患者ではなかつたのであるから、右の場合広島所長が附添人を附けることを許さなかつたことは何ら不当ではない。また患者の病状が悪化し、附添人を必要とするような状態になつた場合には附添人のない患者には看護婦が必要な世話をする態勢にあつたのであるから、附添人をつけることは必ずしも必要なことではなく、従つて附添人をつけなかつたこと又は附添人をつけるように直ちに原告らに連絡しなかつたことが、英雄の病状悪化延いては死亡に相当な因果関係があつたとすることはできないのである。

(五)、結論

以上要するに、原告の主張する少年保養所職員の不法行為のうち証拠により認めることができるものは、中村担当医師の坂上英雄の検痰の結果が陽性(ガフキー二)に変つた時の処置についてゞあり、その余のものについてはこれを認めることができないのである。

五、被告大阪市の使用者責任

少年保養所が被告大阪市の経営にかゝるものであり、同所の職員である中村医師が被告大阪市の被用者であり、被告大阪市がその使用者であるととは被告の明らかに争のないところであるから、被告大阪市には民法七一五条により右中村医師の不法行為につきその損害を賠償すべき義務がある。

六、被告大阪市の抗弁について

(一)、原告らが英雄の症状の経過及び転帰等について一切苦情をいわない旨誓約していたとの主張について

成立に争のない乙第七号証によれば、被告の右主張事実を認めることができる。

しかしながら、右誓約の趣旨は、病気には医師の最善の努力にも拘らず不測の事態の生ずることのあることを認め、そのような際苦情を言わない、という趣旨のものであると解するのが相当であつて、少年保養所職員の不法行為についてまでもその損害賠償請求権を抛棄するという趣旨をも含むものであるとは到底解せられない。仮りに、そのように解すべきものとするならば、その限度において右誓約は公序良俗に反し無効のものと言わねばならない。それ故、いずれにしても主張は採用することができない。

(二)、次に被告大阪市が中村医師の選任監督について過失がなかつたとの主張について判断する。

証人中村光子の証言によれば、中村医師が医師免許証の所持者であり、昭和二三年四月少年保養所の医師に採用されるまでに医師としての経験年数が三ケ年を有していたことが認められるが、右事実以外に被告大阪市が同医師の選任について相当の注意を払つたことを認める証拠はなく、右事実のみをもつてしては未だ被告大阪市において同医師の選任について相当の注意を為したことを認めることができない。

また同医師の医療処置について広島所長、猪田医務係長が十分な監督をしたとの主張についても、証人広島英夫の証言によれば、毎月一回広島所長はじめ各医局員等が集つて収容児童の治療看護について協議をしており、また年一回大阪大学の堂前教授等学界の権威を招いて協議会を開き、また所長自ら月大体二回の割合で収容患者を診察しておつたことが認められ、かつ猪田長義医師が医務係長であつたことは当事者間に争がないけれども、他に中村医師の監督につき相当の注意を為したことの証拠はなく、右諸事実だけでは未だ被告大阪市において同医師の監督について相当の注意を為したことを認めるに足らない。従つて、被告の右主張は採用することができない。

(三)、被告大阪市の示談成立の主張について

被告大阪市の職員らが昭和二九年三月一四日大阪市北区若松町の原告ら宅を訪問し、本件紛争に関し金二〇万円を贈つたことは当事者間に争がない。

しかしながら、証人西輝房、渡辺正人、広島英夫の各証言をもつてしても、原告らが右金二〇万円の授受により本件紛争を終局的に解決する意思を表示していたことを認めることができず、他に右事実を認めるに足る証拠はなく、却つて原告ら本人尋問の各結果によれば、原告坂上武雄は右金二〇万円を受領した際本件紛争の解決を留保してこれを受領したことが覗われるのである。よつて被告の右主張は採用しない。

七、損害賠償額の算定

原告らは、英雄の両親としてその死亡による物質的及び精神的損害並びに被害者英雄の物質的及び精神的損害の賠償を求めるというのであるが、右のうちその物質的損害についてはその損害額請求の基礎をなす事実を主張も立証もしないのでこれを認めることができない。

よつて精神的損害に対する請求すなわち慰藉料について判断する。

坂上英雄が原告らの長男であつたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第一号証によれば、原告らは他に一男四女があることが認められ、原告本人坂上武雄の尋問の結果によれば、英雄は死亡当時小学校六年生であつたが、よく出来る子であつたので両親は同人の将来を嘱目していたのに同人が死亡したゝめに多大な精神的苦痛を受けたことが認められる。右事実と先に認定した中村医師の不法行為の態様、程度、また英雄が入所当時既に肺結核の重症であつた事実と原告らの懇請によつて少年保養所が特別に入所を許可した事情などを合せ考えるときは、原告ら本人の精神的苦痛に対する慰藉料としては各自金二〇万円を坂上英雄の精神的苦痛に対する慰藉料としては金四〇万円をそれぞれ相当と認める。そして原告らは右坂上英雄の死亡により同人の被告大阪市に対する金四〇万円の慰藉料請求権を半額宛相続したものと言わなければならない。

しかしながら被告大阪市は前記認定のように既に金二〇万円を原告らに交付しており、証人西輝房、渡辺正人、広島英夫の各証言、原告ら本人尋問の各結果及び弁論の全趣旨を綜合すれば、右は原告ら本人に対する前記各慰藉料中金一〇万円宛を原告らに交付したものと認めるのが相当であるから、これを右の慰藉料額から控除すると、被告大阪市は原告らに対し金三〇万円宛及び本件記録に徴し昭和三一年一〇月一三日附原告提出準備書面が陳述せられた日の翌日であることが明らかである同月一四日より完済まで民法所定年五分の遅延損害金を支払うべきものと言わねばならない。

八、結論

以上のとおり、原告らの請求は、そのうち右各金三〇万円及び遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 入江菊之助 中平健吉 中川敏男)

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