大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和29年(モ)723号 判決 1960年5月10日

申請人 三名選定当事者 永浜義博

被申請人 阪神電気鉄道株式会社

主文

当裁判所が申請人、被申請人間の昭和二五年(ヨ)第一、八四五号仮処分申請事件につき、昭和二八年一二月二五日になした仮処分決定はこれを認可する。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

申請人訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、その理由として次のとおり述べた。

第一、申請人及びその選定者(以下申請人等という)は、いずれも被申請会社(以下会社という)の従業員であり、かつ会社の従業員を以て組織する阪神電気鉄道労働組合(以下組合という)の組合員であるが、昭和二五年一〇月二四日会社は申請人等に対し、企業運営上の緊急事項に関する基本方針により退職を求めるとして、同月二八日までに辞職願を提出すべきこと、並びに右提出なき場合は同月二九日付を以て解雇すべき旨の意思表示をして来た。そして申請人等は辞職願を提出しなかつたところ、会社は右同日以降合法的に解雇されたものとして申請人等の事業場立入りを禁じ就労せしめない。

第二、しかしながら右解雇は以下の理由により無効である。

一、会社と組合間に締結された労働協約第一三条によれば「会社が従業員を解雇するときは組合の承認を要する」旨規定されており、又会社の就業規則第六三条によればその第一項で解職事由を列挙した上、第二項において「前項により解職しようとする場合は、あらかじめ組合の承認を得るものとする」と定められている。しかるに本件解雇は組合の承認なく、また組合の同意回答の以前に会社が一方的になしたものであつて、右協約、就業規則に違反する。すなわち、本件解雇に関する問題を協議するため、会社の申出により、同年一〇月二一日会社側組合側双方の委員より成る経営協議会が開催されたのであるが、その席上会社側は、拍象的言辞を連ねた「解雇に関する基本方針」を提示して申請人等を含む従業員二三名の解雇を主張し、これに対する組合の協力を求め、同月二三日までに組合より回答すべきこと、回答のない場合は非協力と認めるが、回答の有無にかかわらず提示の解雇は実施すると全く一方的申出をなし、協議的態度を示さないのみでなく「各人につき具体的解雇理由を明示せよ」との組合側委員の要求をも容れなかつた。そのため組合は会社側の回答要求に応ずることなく、越えて同月二三日、本件解雇に関しては経営協議会でなく、団体交渉を開くのが相当である旨会社に申入れたが、会社はこれを拒絶し、前記退職勧告並びに条件付解雇の通告を発したのである。

仮りに被申請人主張のように経営協議会において組合側委員が申請人等の解雇を承認したとしても、右協議会はもとより団体交渉の場でなく、組合側委員は組合のため交渉、決定する権限を有しないから、右承認は無意味であり、しかも右経営協議会の結果の報告を受けた同年一一月九日の中央委員会及び同月一七日の組合大会は承認を否決しているのである。

二、本件解雇はいわゆるレツド・パージであつて、申請人等が日本共産党員又はその同調者であることを理由になされたものであるから、労働者の信条により差別的取扱をしてはならないとの労働基準法第三条に違反し、かつ又民法第九〇条に照し無効である。

三、本件解雇に当つては申請人等に対し、具体的解雇理由が明示されなかつたから正当な解雇といえず無効である。

四、解雇の後において被申請人が挙示する具体的解雇事由なるものは、いずれも正当な組合活動の範囲内に属する行為であるから、かかる行為を解雇事由とすることは、不当労働行為であつて、解雇は無効である。

第三、以上の理由により本件解雇は無効であるが、事は労働者の生活問題に関し、本案判決の確定まで被解雇者として処遇されるときは償うべからざる重大な損害を蒙るに至る。よつて、申請人等は地位保全及び賃金支払の仮処分を求めた次第である。

被申請人代理人は「主文第一項掲記の仮処分決定を取消す。本件仮処分申請を却下する。訴訟費用は申請人の負担とする。」との判決を求め、その理由として次のとおり述べた。

第一、一、申請人等がかつて会社の従業員であり、右従業員を以て組織する申請人主張の組合に属していたこと、会社が昭和二五年一〇月二四日、申請人主張のように退職願の提出を勧告し、右勧告に応じなかつた申請人等を結局解雇したことは認める。但し退職願提出期限は組合の要求により同月三〇日に変更したので、解雇の効力が発生したのは同月三一日である。

二、しかして会社が申請人等を解雇するに至つた経過は次のとおりである。

会社は交通事業を営み、常時客貨の輸送とそれに伴うサービスを通じて、国家経済の興隆並びに国民生活の向上に寄与すべき使命を有し、その事業運営の成否は社会公共の福祉に重大な影響を及ぼすものである。しかるに終戦後一部従業員の間には、会社事業の公共事業の公共性に自覚を欠き、常に過激な言動をし、或は他の従業員を煽動して徒に事端を繁くする等、業務秩序を乱し、業務の正常な運営を阻害する如き者が多数顕在又は潜在し、これを放置するにおいては公共性を有する事業そのものに、いついかなる危険な状態を生ずるやも測りがたい様相を呈するに至つた。殊に会社従業員の間には、日本共産党の経営細胞として阪神細胞が組織されており、かかる組織が中核となつて党是の実現のため種々の手段によつて前記のような破壊的言動をほしいままにしていたのである。

このような折柄、当時わが国を占領下においていた連合国最高司令官マツカーサー元帥は、昭和二五年五月三日の声明、及び同年六月六日、同月七日、同月二六日、同年七月一八日の数次に亘る吉田内閣総理大臣宛の書簡により、日本共産党中央委員会の構成員、並びに党機関紙「アカハタ」の編集方針につき責任を分担する者を公職より排除すべきこと、及び「アカハタ」又はその後継紙の停刊に必要な措置をとるべきことを政府に指示した。右声明、書簡の指示は、その内容、形式、当時の国情、国際情勢等種々の要素を併せ判断するならば、報道機関はいうに及ばず、私鉄事業その他公共的性格を有する重要基幹産業の経営者に対して、企業内より破壊的分子を排除すべきことを要請したものであることが明らかである。又その頃会社としては私鉄経営者協会を通じて、連合軍総司令部エーミス労働課長から右同様の示唆を受けたのである。そこで会社は、一部不適格従業員を排除し、企業を破壊より守ることが、高度の公共性を有する交通事業の経営者として当然の責務であるとともに、連合国の占領管理政策にも合致するゆえんであると考え、「従業員中過激な言動をなし、或は他の従業員を煽動し、もしくは徒に事端を繁くする等法の権威を軽視し、業務秩序を紊り、業務の円滑を阻害するが如き非協力者又は事業の公共性に自覚を欠く者を排除する。」との趣旨の基本方針を樹立し、これを実行することとなつた。

右実行の方法としては、該当者を解雇するということでなく、なるべく会社の意図するところを納得させた上自発的意思による退職にまつことが妥当であり、該当者本人のためにも利益であるから、会社は各該当者に対して退職を勧告し、その勧告に応じない者についてのみやむなく解雇すること、並びに右実施については組合の協力を求めて行うこととした。そして先ず同年一〇月二一日の経営協議会において組合側に対し、前記基本方針を提示してその趣旨、退職勧告を同月二三日に行い同月二八日までに依願退職の手続をとらない者は同月二九日付で解雇すること等の具体的手続、退職給与の支払方法、該当者の人員等を説明して組合に協力を求め、同月二三日午後二時までに回答することを要請した。右協力要請に対し組合側は同月二三日の中央委員会において結論が得られなかつた旨回答したが、退職勧告を行うことについてはなんら異議を述べることもなかつたので、会社は同日申請人等各該当者に対して退職勧告の書面を発送したのである。

その後組合側の申入れにより、同月二六日、及び二七日に経営協議会を開催して、組合側の要求による退職願提出期限の延期、退職金の増額その他退職に関する諸待遇の問題について協議し、退職願提出期限を同月三〇日午後四時三〇分に延期すること、その他退職に伴う諸給与については殆ど組合の要求どおり決定し、更に同月二九日の経営協議会においては組合側委員が本件措置を全面的に諒承し、会社、組合の協議は円満に終了した。しかして申請人等は勧告に応じなかつたので、会社はやむなく同月三一日付を以て解雇したのである。

第二、一、本件解雇は前記マツカーサーの声明、書簡による指示の趣旨に基き、占領政策に対する協力行為としてなされたものであり、しかして右マツカーサーの指示は、わが政府、国民を拘束する超憲法的な法規範を設定した(占領下においては日本国民は一般私人といえども連合軍官憲から直接発せられた命令、指示等に対して法律上服従の義務を有するほか、一般に明示された占領政策に対しても、これを尊重して協力すべき義務を負担していた)ものと見るべきであるから、本件解雇は憲法その他の国内法規はもとより労働協約、就業規則等に照して効力を云々さるべきものではない。又本件解雇は前記のように企業そのものの自己防衛のためなされたものであるから企業の存立を前提とする協約、就業規則の適用以前の問題である。従つて本件解雇が労働協約、就業規則又は労働基準法等の国内法令に違反し無効であるとの申請人の主張は、主張自体失当である。

二、仮りに右主張が容れられないとしても、会社は本件解雇に際し組合の承認を得ている。すなわち前記のとおり本件解雇手続において数回の経営協議会が開催され、一〇月二九日の最終協議会では組合側委員の全面的諒承の回答を得たのである。が、その過程において、組合は組合側委員に全権(交渉権のみでなく妥結権も含む)を付託したことを発表し、組合側委員も協議会の席上右全権受託の旨を表明したのである。のみならず従来の労使交渉において、組合側委員がなんらの留保をすることなく最終の意思表示をしたときは、会社はこれを組合の意思として受領し、問題は解決されて来たのであつて、右慣行より見ても、本件において組合側委員のなした前記回答が組合の意思表示としてなされたものであることは明白である。

又前記のように経営協議会の結論が出たのが一〇月二九日、実施日が一〇月三一日という切迫した事情の下において、組合が直ちに中央委員会を開かず、一〇日も過ぎた一一月九日に至つて別の問題に関しこれを開いたに過ぎないこと、しかも右中央委員会では、本件解雇承認問題を「議案」でなく「報告」事項として、すなわち既に決定された事柄の事後的報告として取扱つていること本件解雇措置後同年末までに越年資金問題等に関し数回の団体交渉が行われており、本件問題についても組合として意思を表明する機会は幾多あつたに拘らず、その間なんらの異議の申出がなく、一二月下旬に至つて他の問題に関する交渉の席上言及されたことがあつたけれどもこれを直ちに撤回したこと等の諸事実は、経営協議会組合側委員に承認決定の権限のあつたことを裏書するものといわなければならない。

そして又右の承認は解雇の効力の発生した同年一〇月三一日以前になされたものであるから、事前の承認のない解雇ではなく、退職勧告については協約上承認を受ける必要はないから、固より承認の前後を問わずにこれを為し得るが、本件勧告についてはこれを為すについて事前に協議した結果組合において何等の異議がなかつたものである。

三、仮りに組合側委員の権限に欠けるところがあり、その故に事後組合の機関により承認を否決される等の事態が起つたとしても、善意の相手方たる会社に責任の生ずるいわれはなく、又前記経営協議会の妥結に基き、一度び形成された労使関係の秩序を組合において破壊することは信義則上許されない。

四、又仮りに、前記事後の事態により結局組合の承認がなされなかつたとしても、右は解雇該当者たる利害関係人を加えた執行委員会の無効な決定に基くもので、組合大会においても積極的な意思決定によらないもので、しかも会社に対して直ちに不承認を理由とする異議の申出もなかつたから、労使間の信義則に反するものであつて承認拒絶権の濫用であり、会社に協約上の義務違背はなく、解雇は有効である。

五、本件解雇は申請人等を共産党員もしくはその同調者として、すなわち申請人等の政治的信条のみを理由としてなされたものではなく、前記基本方針に掲げた基準に該当する別紙記載の破壊的言動のあつたことを理由に実施されたものであるから、たとい申請人等の言動がその信条に出ずるものであつたとしても、労働基準法にいうところの差別的取扱に該らないし、又公序良俗に違反するものでもない。

六、本件解雇に当つて会社が具体的解雇理由を示さなかつたことは争わないが、使用者が従業員を解雇する場合に具体的理由を明示しなければならないという法律上の義務はない。

解雇については正当な理由がなければならないとする考もあり得るが、それはなんらの理由もないのに解雇することが正当な権利行使と見られないという見解に基くものであつて、解雇理由の存否が問題となつても、理由を明示したか否かは問うところでない。そして申請人等につき前記解雇基準該当の具体的事実が存在したことは別紙のとおりであるから、本件解雇には正当な理由がある。

七、別紙記載の申請人等の具体的事実は仮りに外形上組合を通じて為した行動であつても、その実体はいずれも共産党の党是実現のための業務秩序に対する破壊的言動であつて、本来の組合活動とは全く異質な細胞活動と見るべきもので、これを解雇理由としても不当労働行為とはならない。

第三、申請人永浜は解雇当時より日本共産党関係の仕事に携つており、その間尼崎市会議員選挙に立候補したこともあり選定者浜中は回覧雑誌に関する事業を営み、選定者吉村は電気工事関係の仕事に従事しているのであつて、いずれもそれぞれ収入の途を得てなんら生活に困窮することなく十分に生計を維持している。従つて本件仮処分の必要性はないものといわなければならない。(疎明省略)

理由

第一、申請人等がもと会社の従業員であり、右従業員を以て組織する申請人主張の労働組合員であつたこと、会社が昭和二五年一〇月二四日、申請人等に対し企業運営上の緊急事項に関する基本方針に基き退職を求めるとして、同月二八日までに辞職願を提出することを勧告し、右提出なきときは同月二九日付を以て解雇すべき旨の条件付解雇の意思表示をしたこと、申請人等が右退職勧告に応じなかつたため結局会社は申請人等を解雇(その日時は後記認定のとおり)したものとして取扱うに至つたことは当事者間に争がなく、証人福西清の証言によれば、辞職願提出期限は同月二六日の経営協議会における組合側委員の要求により、同月三〇日に延期され、従つて解雇日時は同月三〇日の経過と同時(同月三一日付)であることが認められる。

第二、一、申請人は右解雇が無効である旨主張するのであるが、右主張に対する判断に入る前に、本件解雇については日本国内法及び企業内の労働協約、就業規則等の適用がない旨の被申請人の主張につき検討する。

昭和二五年五月三日以降数次に亘り、当時わが国を占領、管理していた連合国最高司令官マツカーサーが、被申請人主張のような声明を発し又吉田内閣総理大臣宛書簡を送つたことは当裁判所に顕著な事実であるとともに、その具体的内容は成立に争がない乙第九号証により疏明されるところである。そしてわが国家機関及び国民が連合国の占領政策に基く法令、指示に服従することを義務ずけられていた占領下の特殊性から見て、右声明、書簡がわが国のすべての国家機関及び国民に対し法的拘束力を有する指示であり、それに牴触する限りにおいて国内法令の適用を排除するものであつたとしても、前記一連の書簡(その内最も重要視されるのは同年七月一八日付のものである)は、新聞、放送等の報道機関についてはともかく、これをその他の私企業全般に対し、共産主義者又はその支持者の排除を要請したものと解すべき根拠はなく、右排除の措置をとるか否かは企業主体の自主的判断に委ねられていたものというべきである。従つて右マツカーサー書簡に基き本件解雇が国内法等を超えて合法化されるとの被申請人の主張は理由がない。

そして又総司令官の下部機関である総司令部労働課長の要請(いわゆるエーミス談話)なるものが、本件解雇につき法的基礎を与えるものでないことはもちろんである。

次に被申請人は、本件解雇は企業防衛のためなされたものであるから、労働協約、就業規則の適用以前の問題である旨主張するが、本件において問題となる協約、就業規則上の、解雇については組合の承認を要するとの条項につき、右のような除外例が設けられていることの疏明はなく、右除外条項のない以上、一般的に被申請人主張の理論が妥当するとも考えられないから、右主張は採用できない。

二、そこで申請人主張の本件解雇が労働協約(就業規則違反の主張もあるが、その内容は協約違反と同一であると見られるから、問題を先ず協約違反の点に限つて考える)に違反し無効であるとの点につき判断する。成立に争がない甲第五号証によれば、会社と組合間の労働協約には、その第一三条として「会社が従業員を解雇する時は組合の承認を要する。」との規定(いわゆる同意約款と同一趣旨のものと解される)の存在することが認められる。

証人小川広己の証言により成立を認める乙第二号証、第五七号証、証人石飛堅次郎、同田中正一(第一、二回)同前川三郎、同田中隆造、同福西清及び同小川広己の各証言を綜合すると、

(イ)会社は私鉄事業を営むものであるが、終戦後とみに高揚した労働攻勢に対処すべく苦慮していたところ、昭和二五年に至り前記マツカーサーの声明、書簡が出され、これを端緒として新聞、放送事業その他一般の重要産業において、いわゆるレツド・パージが行われる趨勢となり、私鉄事業に関してはいわゆるエーミス談話による示唆もあつて、共産党員又はその支持者であつて破壊的言動をなす者を、企業内から排除することを決意し、被申請人主張のような基本方針を樹立し、右方針所定の基準に該当する従業員に対しては、一応任意退職を勧告した上、勧告に応じない場合は解雇の措置をとることとしたこと。

(ロ)  会社は右方針を実行するについて、当初は必ずしも協約上組合の承認を必要とするとは考えなかつたので、当時組合より団体交渉の申入があつたにも拘らず、組合執行委員中には相当数の解雇予定者が含まれていたところから、執行委員会と交渉することを避けるために、右申入を斥げたが、ただ事を円滑に運ぶために会社、組合双方の委員より構成される経営協議会において組合の協力を求める方法を採ることとし、最初は会社の申出により、その後は組合側の開催申入れもあつて、同年一〇月二一日を始めとして二三日、二六日、二七日、二九日の五回に亘り本件解雇問題に関する経営協議会が開催され(右第二回目と第三回目の間において条件付解雇通告が発せられたことは前記のとおりである)、組合も事実上交渉の場としてこの協議会を活用応待するに至つたこと。

(ハ)  右協議会においては、会社側が前記基本方針を提示して協力を要請したのに対し、組合側委員は基準該当の具体的事実の明示、退職勧告期限の延期、エーミス談話の解釈、退職金、帰郷手当等の退職条件その他の問題を提起して協議が重ねられたのであるが、二九日の最終協議会に至つて、組合側委員より、「本問題については全面的に諒承した」との趣旨の発言がなされ、これにより、協議を終結したこと。

(ニ)  右経営協議会では、当初組合側委員より、協議会委員は団体交渉の権限がなく、解雇承認要請には応じられない旨の異議が出されたが、同月二六日に開かれた中央委員会(当時中央闘争委員会と呼称していた)は「勧告予告期間を三〇日まで延期する件、その他について経営協議会に全権を付託する」旨決定し、前記最終協議会の席上、一部組合側委員より「われわれは交渉委員の権限を与えられている」との意味の言明がなされたこともあること。

(ホ)  会社は経営協議会の妥結を以て組合の承認があつたものとして、解雇の手続を進めたのであるが、組合側においては同月三〇日の執行委員会、同年一一月九日の中央委員会、同月一七日の組合大会がいずれも経営協議会委員の報告を否決(提案、決定の形式はともあれ否定的結論を出したこと)し、同年一二月下旬に至つて右事実を会社に通告したこと。

以上の諸事実が疏明せられる。証人石飛堅次郎、同田中正一、同前川三郎の各証言中右認定に反する部分は信用せず、他に右認定を動かすべき証拠はない。

右事実によれば右経営協議会(後には実質上団体交渉の会合に変質したものと考えられる)において、その効果の点はさておき、表現された事実としては「解雇承認」の結論に達したものといわざるを得ない。

ところで申請人は、経営協議会委員は組合のために交渉、決定する権限がなく、従つて右承認は、仮りにそれがあつたとしても、組合の承認としての効力を有しない旨主張するから、以下この点につき判断する。

経営協議会は、従業員組合が使用者の経営に参加する方法として設けられたものであるから、組合側選出委員の協議会における行動は従業員の総体的意思を体してなされるものであることはいうまでもないが、もとより経営協議会は団体交渉とは本質的に異るものであるから、組合側委員は、組合を代表又は代理して組合としての意思決定をする権限を当然には有しないものといわなければならない。本件会社の経営協議会の性質も右と異るものでないことは、前示甲第五号証により認められる労働協約第五〇条「経営協議会の協議成立事項は双方の機関の承認を経たときにこの協約と同一の効力を有する。」との規定の趣旨に照らし明らかである。従つて経営協議会委員がその資格において単なる協議に応ずるに止まらず、何等かの必要に基き(例えば本件の如く事実上の団体交渉に転移した場合の如き)組合としての意思決定をなし得るためには、組合(現実には当該事項につき処理権限ある組合の機関)の特別の授権を必要とするものである。

ところで当裁判所が弁論の全趣旨に徴し成立を認める甲第一二号証(組合規約)によれば、組合には大会中央委員会、及び執行委員会の三機関が設置され、各機関の権限すなわち処理事項はそれぞれ組合規約第一六条、第二〇条及び第二一条により定められていること、右第一六条には大会の処理事項として「一、組合の運動方針、二、予算の決定及び決算報告の承認、三、上位団体への加入又は脱退、四、総罷業の決行、五、労働協約の締結及び改廃、六、一件十万円以上の資産の管理とその処分、七、一件二十万円以上の臨時支出、八、組合基金の支出、九、その他組合員に重大な影響を及ぼすべき事項」が、第二〇条には中央委員会の処理事項として「一、当面の活動方針とその対策、二、疑義を生じた規約並びに諸規則の解釈、三、一件一万円以上の臨時支出、四、組合員以外の雇傭、五、その他前各号に準ずる事項」が掲げられ、第二一条には執行委員会の権限として、執行委員会は大会及び中央委員会の決議並びに緊急事項を処理、執行するのであるが、前記第一六条、第二〇条列挙の事項については緊急処理ができない旨定められていることが認められる。よつて考えるに、前記各規定を相互に関連させ各事項の軽重を比較し、合理的に解釈するならば、解雇に関する承認は、第一六条、第二〇条所定事項以外の執行委員会の処理に適する事項といえないことはもちろんであり、又中央委員会の権限とされる第二〇条第五号の「その他前各号に準ずる事項」に該当するとすることも、同条中の同じく人事に関する第四号「組合員以外の雇傭」なる規定と対比して到底承認できず、結局第一六条第九号「その他組合員に重大な影響を及ぼすべき事項」に含まれる大会処理事項と解さざるを得ない。もとよりこのような解釈を採るときは、解雇問題発生の都度、人員の多少事案の軽重に拘らず大会の招集を必要とし、問題処理上機動性を欠く結果となるが、これを避けるためには他になんらかの方法を求めるべきであつて、規約の解釈としてはやむを得ないところである。

しかして本件においては、中央委員会が経営協議会委員に権限(授権文言中解雇承認の語句は見られないのであるから、全権といつても交渉に関する全権と解する余地もあり、示された授権の範囲そのものが必ずしも明確でない)を付与した事実があることは前認定のとおりであるが、中央委員会としては本来自己の有しない解雇承認権を他に与えることができないことは当然であるから、組合側委員のなした前記承認はたとえ当該交渉委員が、その権限の範囲及び妥結の有無につきいかような発言をしたとしても、それは客観的に権限を有しない者の行為に過ぎず、組合に対して効力を及ぼすものではないから、組合の承認ということができない。

被申請人の挙示する会社、組合間の交渉の前例(被申請人の全立証によつても、これらの若干の前例より直ちに本件労使間に一定の慣行が形成されたものとは認められない)に徴しても、本件の経営協議会に出席した組合側交渉委員が、当然に組合のための交渉妥結の権限を有していたものと認めることはできない。

被申請人の第二の三前段の主張は表見代理の法理の適用をいうもののようでもあるが、元来市民法上、必ずしも事情を詳かにしない他人との取引の安全保護のため認められる右の法理を、労働法上の法律関係に全部そのまま移して用いることは相当でなく、被申請人に相手方の権限調査の責務を免れしめる根拠とすることはできない。又後段の主張については、本件においては組合が自ら形成した秩序を自ら破壊したものとは認められず、しかも組合員各個の問題についてたとえ組合側の事後の態度が会社の予期に反する結果となり組合交渉委員の当初の言明より見て信義則違背と見られる点があつたとしても、それにより生ずべき責任の問題と、解雇承認の成否、効力の問題とは別個の事柄であるから、右各主張はいずれも失当である。

次に被申請人の第二の四の主張については、いわゆる承認(同意)拒絶権濫用の理論は、使用者の承認申入れに対して、組合が誠実な態度で協議に応ぜず、不当に承認を拒む場合において、承認なくしてなされた解雇を有効とすることをいうのであつて、権限のある交渉担当者と協議がなされておらず、(従つて未だ組合の行為の存在しない場合に該当する)その他の事情をも異にする本件においては、右主張は適切でなく採用できない。

そうすると本件解雇は申請人主張のその余の無効原因につき判断するまでもなく、組合の承認を経ずしてなされた点において労働協約の規範的効力(協約における組合の承認はいわゆる経営の権利に対する制約であると同時に、個々の組合員の労働契約の解雇要件となり、個別的契約の内容となる)に牴触し無効であると一応認定しなければならない。

三、解雇が無効であるとすれば、申請人等はその就労の可能性を有する限り、会社に対し少くとも解雇当時の金額によつて賃金支払を求める権利が一応あるものというべく、右解雇当時の賃金月額が申請人永浜については金一〇、八九五円、選定者浜中については金八、六七〇円、選定者吉村については金七、五八〇円であることは成立に争がない甲第九号証の一、二、三により疏明される。

第三、申請人等はいずれも労働者であるから、本案判決確定に至るまで被解雇者として処遇され賃金支給を止められるときは、直ちに生活上の困窮に直面し甚しい損害を蒙るであろうことは容易に首肯し得るところであり、これが推定を覆し、仮処分の必要性を否定するに足る事実を認むべき資料はない。

従つて申請人等の従業員としての地位を保全し、被申請人に右従業員としての取扱い、及び賃金の支払を命じた本件仮処分決定は正当と認むべきである。

よつて右仮処分決定を維持、認可し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮川種一郎 奥村正策 山下巖)

(別紙)

解雇基準該当の具体的事実

一、申請人永浜義博について、

永浜は日本共産党員であり、阪神電鉄細胞においては昭和二四年より組織部長となり、一方組合にあつては同年五月より一〇月に至る間中央委員、技術連合支部長、同副支部長、同教育部長をつとめ、同年一一月以降昭和二六年三月に至るまで書記長、執行委員の地位にあつた。同人は特に他の党員に比して堅固なる革命的信念を有し、細胞の中心人物であり常に党員を指導して彼等フラクシヨンの諸種の活動の中核となり、党及び組合における地位を利用して他の党員と共に党是の実現を強力に推進し、細胞の方策を組合に導入し、党の極左戦術を職場に浸透せしめ、従業員をして諸種の過激的、破壊的言動をなさしめ、しばしば組合機関紙その他の出版物にその信念を吐露し、過激な宣伝、煽動を行つたもので次の如き行為があつた。

(一) 昭和二四年尼崎における公安条例反対共同闘争に際し、公安条例反対委員会の委員長として、その具体的運営に参画し従業員をして当該運動に駆り立てるべく画策した。

(二) 同年一―六月賃金闘争問題の際、執行委員が行つた不法かつ無謀なハンガー、ストライキを側面より援助し、同年六月九日団体交渉が行われるに当つては当時組合技術連合支部長として交渉場横にて、運輸、梅田、技術三支部の合同職場大会を開かしめ、多数の従業員を煽動して喧噪混乱状態をひき起し、その場に会社中村専務を呼び寄せいわゆる吊し上げを行わしめた。

(三) 右賃金問題に関し、職場においては従業員をして共産党員の策動による時間外労働拒否、休暇戦術、職場要求等過激な職場闘争に駆り立て、業務秩序破壊の極左戦術を行わしめた。

(四) 同賃金問題に関し、乗客大衆との結合を図るため、申請外青木(共産党員にして当時組合執行委員長)等と共に、阪神乗客大会の立案に参画し、梅田駅に於て外部共産党員等と協力して当該催しを過激に行い、乗客大衆及び従業員を煽動した。

(五) 同年七月ソ連引揚者歓迎大会に共産党の指令により参加し、同志と警察官との悶着について前記青木等と共に曾根崎警察署に押しかけ、抗議を持ち込み、官憲反対闘争を行つた。

(六) 前記青木の検束事件に関し、青木が検束されるや早速他の党員と共に西淀川警察署に押しかけ、その釈放を強要する等の無謀な行為を敢てし、又一方従業員を反対運動に駆り立てるべく煽動し、組合においても不当宣伝を行わしめ又組合の名によつて救援基金カンパを行わしめる等党の施策を遂行するため猛烈な不当検束反対運動を展開した。

(七) 同年党の方針たる産業防衛運動、労働戦線統一の具体化のため、尼崎全労働組合協議会の結成を促進し、結成準備委員となつて協議会結成に尽力し、遂に阪神労組をして加盟せしめるべく策動した。

(八) 同年生活危機突破資金及び越年資金獲得闘争については他の党員と共に党の方針、細胞の決定どおりに、従業員を煽動して極左戦術を実行せしめ、特に同年一二月の越年資金問題の団体交渉に際しては、多数の組合員及び社宅の家族等約一、五〇〇名を動員して交渉場に詰めかけさせ、種々の過激な行動を行わせ、遂には喧噪、混乱の極に達して交渉を不可能ならしめた。

(九) 同年一〇月、技術支部「教育部報」No.1において従業員に対し職場要求、日常闘争等の党の方策を巧みに宣伝指導し業務秩序の破壊を示唆した。

(一〇) 同年七月以降賃金闘争に当つては、従業員をして交渉への動員、休暇戦術、時間外労働拒否、職場要求、職制に対する圧迫等の職場闘争その他共産党の方針に基く諸種の戦術をとらしめた。

(一一) 昭和二五年七月、組合機関紙「私鉄阪神」において「大衆的批判によつて組合を強化せよ」と題し、大衆の職場からの声を主体として今後の正しい勝利への進み方を決めなければならない旨述べ、大衆闘争を前進せしめ革命的な方向に向うべきことを示唆した。

(一二) 同年生活補給金要求問題に関しては、種々の極左戦術を具体化せんと画策し、会社との団体交渉に多数の組合員を動員して応援させ、過激にして常軌を逸した交渉を行わせ又従業員を煽動して時間外労働拒否、休暇戦術等の職場闘争に駆り立てた。

(一三) 昭和二四年七月以降賃金問題に関連して企業対策復興委員会なるものの設置を執行部において提案し、能率の増進冗費の節約の事項を検討するということに名を藉りて会社経理の暴露を計画した。

(一四) 昭和二五年八月組合機関紙「私鉄阪神」において「大会流会と次に来るもの」と題して、大会の流会問題にことよせ「私鉄の中で輝かしい伝統を誇る阪神労組がグラツイているときではない、○○○○○○職場の中の問題をとらえて要求に組織し、これを深く広く根を張つた強じんな闘いに盛り上げて行くべきである。」として、党是たる大衆闘争の展開を強力に主張して業務秩序を乱すべく従業員に宣伝した。

(一五) 同年労働協約闘争について、共産党の方針たる大衆職場闘争の推進を画策し、当時組合大会において闘争方針審議の際、業務秩序を乱す意図を以て職場闘争を行うことを強力に主張し決定せしめた。

二、選定者浜中信一について、

浜中は日本共産党員であつて、阪神電鉄細胞では技術班に属し組合においては昭和二四年五月より同二五年五月まで中央委員であり、その間において永浜が技術連合支部長当時、同支部宣伝出版部長及び同年内に短期間本部教育宣伝部長をつとめ、同年六月以降昭和二六年三月に至る間執行委員及び電気分会長の地位にあつた。同人は常に永浜と共に党の方針に従つて行動し、細胞においては有力な幹部であり、技術班の代表者として指導者的役割を果し、機会あるごとに過激な言動を以て従業員を煽動し、党の闘争方針、戦術を職場に導入し職場闘争を指導して業務秩序の破壊を行い、一方組合出版物を利用して従業員に共産主義思想を鼓吹し、過激にして煽動的な宣伝を行つたものであり次の如き行為があつた。

(一) 昭和二四年一―六月賃金闘争問題に際し、執行委員が行つた不法かつ無謀なるハンガー、ストライキを側面より援助し、六月九日の団体交渉が行われるに当つては、他の党員と協力して従業員を煽動し、交渉室横で運輸、梅田、技術の三支部合同職場大会を過激に行い、その場で行われた中村委員吊し上げにも協力した。又その日の模様を技術支部ニユース号外において過激に宣伝し「われわれは執行部を見殺しにできない、われわれの生活はどうなるのだ、とこの怒を爆発させて各職場より圧力をぶちつけなければならない、」として従業員を煽動した。

(二) 右賃金問題に関し技術支部宣伝出版部長として、技術関係職場の従業員を時間外労働拒否、その他の職場闘争に駆り立てた。

(三) 右賃金問題について乗客大衆との話合を図るため、共産党が計画した梅田駅における阪神乗客大会に参加し、大衆の煽動に協力した。

(四) 同年六月、技術支部宣伝ニユースNo.5において、「広島日鋼争議を見よ、暴れまわる警官隊」という見出しの下に、日本製鋼広島製作所における争議事件について、警察官の行動を暴虐として誹謗し、「われわれはこの広島事件をあくまでも正視して、血にうえた警察の暴虐に対し一致団結して闘争に起ち上らなければならない、」とアジリ、共産党の「官憲の反動弾圧絶対反対」の方針に基いてこれを従業員に鼓吹した。

(五) 同年七月前記青木検束事件につき、他の党員と共にその反対運動を画策し、従業員に対する煽動に協力した。

(六) 同年七月二九日付「宣伝ニユース」No.6において、技術支部調査部長吉村等二十数名が税務署に押しかけて反税闘争を行つたことについて、これを過激に宣伝し、「このような悪税、大衆課税に反対の闘争をあらゆる市民と提携して推し進めるようにしなければならない、」と党の方針たる反税闘争を持出して従業員に呼びかけた。

(七) 右出版物において、当時共産党の標榜する労働戦線統一の意図の下に結成されつつあつた尼崎地区労働組合協議会に関する記事を掲載し、従業員にこれを宣伝した。

(八) 同年、生活危機突破資金及び越年資金獲得闘争については、細胞において永浜と共に種々の闘争戦術を画策し、同年一二月一三日の団体交渉の際には従業員を動員して交渉場に押しかけ、その周囲で赤旗を振りかざして従業員を煽動し、激烈なデモ行進を行う等、喧噪、混乱状態をひき起し、脅迫的団体交渉の遂行に一役を果し、或は本問題に関する職場闘争を強引に指導、推進した。

(九) 同年七月以降賃金闘争に際しては、共産党の日常職場闘争の一環として電気分会において種々の要求を部長につきつけて強要し、従業員にも働きかけて職場闘争を指導し、過激な言動により業務秩序の破壊を企てた。

(一〇) 昭和二五年、世界労働組合連盟問題について、同年六月九日付組合機関紙「私鉄阪神」において「世界労連の旗の下に」と題し、右連盟加盟を強力に主張し、その内容たるや共産党の政策、イデオロギーそのままを打出し、又五月二〇日付組合教宣部より発行された「教宣レポ」No.3においても「世界労連と自由労連」と題し、岡倉古志郎氏の講演要旨を記載して、盛に世界労連加盟を宣伝し、従業員に過激思想を鼓吹した。

(一一) 同年、生活補給金要求問題について、永浜等と共に過激な交渉を行うこと、及び局長、部長に対し圧力を加えること、その他時間外労働拒否、部分スト、休暇戦術等の職場闘争を画策し、交渉に際しては多数の従業員を動員して傍聴につめかけさせ、交渉秩序を乱し常軌を逸した交渉手段をとらしめて、ことさらに事端を繁くし、一方電気分会にあつても従業員を煽動して各職場に動員をかけ、職場闘争を通じて業務秩序を乱すべく策動した。

(一二) その他職場においては少数の者の不平、不満又は意見を無批判に採り上げて職制に迫り、又は部内の機密事項を聞きただすべく、組合役員たることを盾に同僚或は上長に強要する等、党の闘争戦術を導入して職場規律上屡々トラブルを起し、又遊説に名を藉りてアジ演説を行い、従業員を職場闘争に駆り立てるべく煽動した。

三、選定者吉村圭輝について、

吉村は日本共産党員であつて、阪神電鉄細胞技術班のメンバーであり、組合においては昭和二四年以降同二六年三月に至る間引続き中央委員の地位にあり、その間同二四年五月より一〇月までは技術連合支部調査部長、ついで同支部調査復興対策部長をつとめ、同年一一月より昭和二五年三月に至る間は電気分会副分会長の地位にあつた。同人は永浜、浜中と共に影の形にそう如く、屡々細胞フラク会議にも出席し、その言動たるや党の方針に全く忠実であり、中央委員会における発言力が強く、常に党政策に則つた意見を主張し、又職場においても職場闘争その他党是の実現に尽力し、屡々職場規律を乱してトラブルを起したものであつて、次の如き行為があつた。

(一) 昭和二四年一―六月賃金問題について、同年六月九日に行われた団体交渉に際し、永浜、浜中等の党員と共に従業員を煽動して、運輸、梅田、技術の三支部合同職場大会を過激に行い、その場で行われた中村専務の吊し上げを支援した。

(二) 右賃金問題に関しては技術連合支部調査部長として、技術関係特に電気部職場における職場闘争の遂行に尽力した。

(三) 同年七月組合員二十数名と共に税務署に押しかけ、「このような税金をかけられてもわれわれは到底払えない、」として強硬に突張り、共産党独特のいわゆる反税闘争を行つた。

(四) 同年越年資金問題に関し、一二月一三日の団体交渉の際浜中等と共に従業員を動員して交渉場に押しかけ、その周囲に於て従業員を駆り立てて激烈なデモ行進を行う等、喧噪混乱の状態をひき起させ、強迫的団体交渉の支援に協力し、或は本問題に関する職場闘争に当つて浜中と協力しその遂行に尽力した。

(五) 機会あるごとに職場或は組合の諸種の会合において、党関係機関より出された過激なアジビラ、パンフレツト等を配付した。

(六) 職場における機密事項を、組合役員たることを盾に同僚或は上長に聞きただし、脅迫的態度を以て強要し、業務秩序を乱すが如き行為があつた。たとえば請負関係の書類について、上長に対しなんらその目的、用途を明らかにせずただ請負工事があつた筈であるからといつてその閲覧を強要した。

(七) 給食、作業衣その他について、職場従業員の一部の者の不平、不満、意見等を無批判に採り上げ、これを職制上の上長につきつけ、不必要にしつこくがんばり、屡々無用のトラブルを起した。たとえば被服、消耗品、給食に関し、直接係長に問題を持ちかけ、会社、組合の間で既に決定ずみの事項であるのに拘らず、上長の説明を諒承せず、強引に決定をくつがえすような手段を企てたこともあつた。

(八) 昭和二五年春の作業衣支給の際、浜中等と共に現場従業員をして、品質の悪い点を指摘し、現場に一度配付したものを、直接の業務組織に訴えることなく庶務係に文句をつけ、その支給品を投げ返す等の処置を行わしめた。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例