大阪地方裁判所 昭和30年(ワ)190号 判決 1958年11月24日
原告 浪速商会こと木村繁雄
被告 花木酒造株式会社
主文
被告は原告に対し金一、五〇〇、〇〇〇円及び内金五〇〇、〇〇〇円に対する昭和三一年四月四日から、内金一、〇〇〇、〇〇〇円に対する同月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を支払うべし。
原告のその余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
本判決は原告勝訴部分に限り、原告において金六〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは仮りに執行することができる。
事実
原告は、被告は原告に対し金一、七〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三〇年一月三〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払うべし、訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、原告は昭和二七年八月頃、訴外極東貿易株式会社から、被告振出、訴外会社裏書の別紙目録(1) の約束手形の割引を依頼されたので、被告に照会したところ、右手形は被告が訴外会社から買受けた石炭代金支払のため振出交付したものである旨の回答を得たので、原告はこれを割引き、その後(1) 同様被告振出、訴外会社裏書の別紙目録(2) 以下の各約束手形を順次割引き、金利、手数料等を控除した合計金一一、七六六、三三〇円を訴外会社に交付した。ところが、昭和二八年六月三日、突然神戸銀行西郷支店から、被告が同年三月三日に振出した金額五〇〇、〇〇〇円の約束手形は偽造であるから不渡にする旨の通知があつたので、原告は驚いて調査したところ、訴外会社の代表取締役であつた訴外花木寛が被告会社代表取締役の実弟である関係上、訴外会社は金融のため、被告から別紙目録(1) 乃至(14)の融通手形の振出を受けていたが、その後被告会社内部でこれに対する非難の声が高くなつたので、被告は訴外会社に対し、右手形の決済を求めると共に、新規の融通手形の振出を停止するに至つた。そこで訴外会社代表取締役及び専務取締役であつた訴外榎本英彦は窮余、共謀して被告会社代表取締役花木孝雄の印鑑を偽造し、これを使用して、別紙目録(15)乃至(20)の約束手形を偽造し、これに裏書して原告に交付し、原告から被告が真正に振出した約束手形を詐取したことが判明した。
即ち本件について詳述すれば、榎本英彦は別紙目録(9) 、(11)及び(12)の約束手形(以下本件真正手形と略称する)の満期の直前である昭和二八年三月三一日及び翌四月一四日、前記のように被告振出名義を偽造した別紙目録(17)乃至(19)の約束手形(以下本件偽造手形と略称する)を持参し、本件真正手形の支払延期を懇請したので、原告は本件偽造手形が被告によつて真正に振出されたものと信じて、これに応じ、本件偽造手形と引換に本件真正手形を返還した。これがため原告は被告に対する本件真正手形の手形上の請求権を喪失し、他方被告は訴外会社から本件真正手形の返戻を受け、その支払義務を免れ利益を受くるに至つたのであるから、結局被告は法律上の原因なくして原告の損失において利得したことになる。よつて被告に対し本件偽造手形の手形金額の限度で不当利得金一、七〇〇、〇〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三〇年一月三〇日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだと陳述し、
被告の主張に対し、本件真正手形が融通手形であつて、訴外会社において期日前決済をなす特約が存在したとしても、訴外会社が決済をなし得ない場合は、被告は振出人として支払の責に任ずべきであるから、訴外会社との間に右特約存在の事実は何等利得の存在を否定する根拠とはならない。
また仮りに被告が本件真正手形の返戻を受けていないとすれば、訴外会社においてこれを破棄したことは明白であつて、仮りに然らずとするも、本件真正手形の満期から今日まで既に三年以上を経過し、被告の支払人としての債務は時効によつて消滅しているから、被告は将来第三者から本件真正手形の支払請求を受け、その支払を余儀なくされるが如きことはあり得ない。また本件真正手形の返還当時においても、現在においても、訴外会社は無資力であつて、原告に対し損害の賠償をなし得ないことが明らかであるのみならず、原告が訴外会社に対し損害賠償の請求をなし得ることは、原告の被告に対する不当利得返還請求権に何等の影響を与えるものでないと解すべきである。
さらに不当利得の成立するがためには、一方の利得と他方の損失との間に因果関係が存在すれば足り、その関係が直接であると間接であるとを問はず、利得と損失とが同一の事実によつて生ずる以上、その間第三者の行為が介在しても何等結論を異にするものではないと陳述し、
証拠として甲第一、二号証の各一乃至六、同第三号証を提出し、証人榎本英彦(第一、二回)、同吉田祐造、原告本人の尋問を求め、乙号各証の成立を認めた。
被告は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として被告が訴外極東貿易株式会社を援助するため、同会社に宛て、別紙目録(1) 乃至(14)の約束手形を融通手形として振出交付したこと、訴外榎本英彦が被告会社代表者の印鑑を偽造し、これを使用して擅に被告振出名義の約束手形を作成したことは認めるが、原告主張のその余の事実は不知。
一、被告は前記融通手形を訴外会社に振出交付するに当り、訴外会社は右手形の期日前に決済をなした上、これを被告に返戻し、被告には絶対に迷惑をかけない旨訴外会社と特約しており、本件真正手形も右特約に従い満期前に訴外会社において決済の上、被告に返戻せらるべきものであつたから、仮令原告が右真正手形を詐取され、被告に対する手形上の権利を喪つたとしても、被告には何等の利得なく、利得があるとしても、法律上の原因に基くものである。
二、原告が本件偽造手形を真正なものと信じ、これと引換に本件真正手形を訴外会社に返還したのであるとすれば、このような返還行為は無効であるから、原告は訴外会社に対し右真正手形の返還を求め得べく、また損害賠償の請求をなし得ること勿論であるから、原告が本件偽造手形と引換に本件真正手形を訴外会社に返還したからといつて、直ちに原告が手形金相当の損害を蒙つたとすることはできない。
三、被告は未だ訴外会社から本件真正手形の返戻を受けておらず、右手形が善意の第三者の手中にあるとすれば、右第三者は手形所持人として被告に対し、手形金の請求をなし得べく、被告はその請求に応ぜざるを得ないから、更に原告に対し不当利得返還の責を負うべき理由がない。
四、訴外会社が本件偽造手形を本件真正手形と引換えたとしても、右引換の事実は原告と訴外会社との間の事に属し、被告と何等の関係なく、且つ原告との間に訴外会社の独立の行為が介在し、原告の損失は右行為に起因するのであるから、原告の損失と被告の利得との間には直接の因果関係が存在しない。
以上の理由により原告の本訴請求は失当であり、これに応ずることができないと陳述し、
証拠として乙第一、二号証を提出し、証人林二郎、同花木寛及び被告会社代表者本人の尋問を求め、甲第一号証は被告名と名下の印は成立を否認し、その余の部分は不知、同第二号証は成立を否認し、同第三号証は不知と述べた。
理由
被告が別紙目録(1) 乃至(14)の約束手形を融通手形として訴外極東貿易株式会社に宛て振出交付したことは当事者間に争がなく、証人吉田祐造、同榎本英彦(第一回)の証言に原告本人尋問の結果を綜合すれば、訴外会社は被告振出にかゝる前記手形を原告に裏書譲渡して原告から割引を受けたことが認められる。
そして振出部分が偽造であることが当事者間に争がない甲第一号証の三乃至五、証人榎本英彦の証言の一部(第二回)、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を綜合すれば、訴外会社の専務取締役であつた訴外榎本英彦は昭和二八年四月初頃、被告振出名義を偽造した別紙目録(17)の約束手形(甲第一号証の三)に裏書して、これを原告に交付し別紙目録(9) の真正手形との交換を求めたので、原告は右手形が真正に振出されたものと信じ、これを承諾したが、(9) の手形は既に取立のため取引銀行に振込んだ後であつたので、原告は榎本に手形決済資金五〇〇、〇〇〇円を交付し、榎本に右金員をもつて、(9) の手形金の支払をなし、右手形を回収したこと、さらに榎本は同月中旬、被告振出名義を偽造し、訴外会社が裏書した別紙目録(18)(19)の約束手形(甲第一号証の四及び五)を原告に交付し、同(11)及び(12)の真正手形との交換を求めたので、原告は右手形が真正に振出されたものと信じて、これに応じ、手形金合計額の差額二〇〇、〇〇〇円から割引手数料等を控除した残金と共に右(11)及び(12)の手形を榎本に返還したことが認められ、証人榎本英彦の証言中右認定に反する部分は採用しない。
そこで原告が本件真正手形を榎本に返還し、これによつて被告に対する手形上の権利を喪つたか否かについて考えると、延期手形と旧手形とを交換した場合には、通常旧手形の手形上の債務は更改あるいは代物弁済によつて消滅するものと解すべきであるけれども、延期手形が偽造のものである場合には、右更改あるいは代物弁済は無効であつて、旧手形の手形上の債務は消滅しないものと考えるべきであるから、本件偽造手形と本件真正手形とが交換されたとの一事をもつて、原告が本件真正手形の被告に対する手形上の権利を喪つたものとなすべきではない。
そこで更に原告が本件真正手形の所持を喪うことによつて被告に対する手形上の権利を喪つたか否かについて考えると、一旦有効に手形上の債務が発生した以上、手形債権者が手形の所持を喪つても当然手形上の権利を喪うものではなく、手形債権者は、場合により公示催告手続によつて除権判決を得て手形上の権利を行使し得べく、また手形が既に手形債務者の手中に存する等の理由により、手形と引換に支払を受けないでも、これと同視し得べき場合には、手形を所持しないで、手形金の支払を請求し得るものと解する余地があるから、原告が本件真正手形を所持しないとの理由のみによつて、原告が被告に対する右手形上の権利を喪失したものということもできない。しかしながら、榎本は原告から本件真正手形の返還を受けたこと前記認定のとおりであるけれども、証人花木寛の証言、被告会社代表者本人尋問の結果によれば、その後右手形は訴外会社になく、被告にも返還されたことのないことが認められ、また榎本が右手形を破棄したことを認むべき確証もない。そして本件のように手形債権者が一旦任意に手形を裏書人に返還し、その後右手形が紛失または滅失した場合は、仮令右返還が無効の法律行為に基くものであつても、民事訴訟法第七七七条所定の紛失あるいは滅失に該当せず、また手形債権者が手形を詐取された場合も、前記法条所定の公示催告申立の要件に該当しないものと解すべきであるから、原告は本件真正手形について公示催告手続によることを得ないものといわなければならない。
また本件真正手形が被告に返還されたことなく、破棄されたこともこれを認むべき証拠のないこと前記のとおりであり、その他原告が本件真正手形と引換に手形金の支払を請求するものと同視し得べき事情の存在が認められないから、原告は本件真正手形と引換にあらずして、被告に手形金の支払を請求し得べきものでもない。
従つて原告は本件真正手形を榎本に返還したため被告に対し右手形による手形上の権利を行使することが事実上、法律上不可能となり、手形上の権利を喪失すると同一の結果を生じ、これによつて手形金合計金一、五〇〇、〇〇〇円に相当する損害を蒙つたものといわなければならない。
そこで被告が利得をなしたか否かについて考えると、前記真正手形が善意の第三者の手中に帰し、右第三者が善意の手形所持人として被告に対し手形金の請求をなした場合には、被告としてはこれに応ぜざるを得ず、被告が第三者に手形金を支払つた場合には、原告の損失において利得したということはできないけれども、被告が第三者から手形金の請求を受くることなくして、右真正手形の振出人としての手形上の債務につき手形法第七七条、第七〇条によつて定められた時効期間を経過するときは、爾後被告は善意の第三者に対しても手形金の支払をなすを要せざるに至るのであるから、本件真正手形に対する被告の手形上の債務が時効によつて消滅した日の翌日、即ち別紙目録(9) の手形については昭和三一年四月四日、同(11)、(12)の手形については、同月二一日、被告は右各手形金相当の利得をなしたものといわなければならない。(被告が右真正手形の満期後今日に至るまでの間、第三者から右手形金の請求を受けたことは被告の主張立証しないところである。) 被告は本件真正手形を訴外会社に振出交付するに当り、訴外会社との間に、同会社は右手形の期日前に決済をなした上、これを被告に返戻し、絶対に迷惑をかけない旨特約しているから、被告には何等の利得なく、利得ありとしても、法律上の原因に基くものである旨主張するけれども、原告がこのような特約の存在を知つて本件真正手形を取得したことを認むべき証拠なく、利得が存するか否か、利得が法律上の原因に基くものであるか否かは、原告と、被告との間で考慮すべき問題であつて、訴外会社と被告との間で考えるべきものではないから、仮りに被告主張のような特約が被告と訴外会社との間に存在したとしても、これをもつて利得の存在を否定し、あるいは利得について法律上の原因の存することを肯定する根拠とはならない。
次ぎに被告は原告が本件偽造手形を真正なものと信じこれと引換に本件真正手形を訴外会社に返還したとすれば、原告の返還行為は無効であるから、訴外会社にその返還を求め得べく、また損害賠償の請求も可能であるから、原告が本件真正手形を訴外会社に返還したからといつて、直ちに原告が手形金相当の損害を蒙つたとすることはできないと主張するけれども、本件真正手形が榎本に返還されて以後、その所在が不明となつたこと前記のとおりであるから、原告は本件偽造手形が偽造のものであることを知つた当時には、その返還を訴外会社に求めるも、その効がなかつたものと認むべく、また証人榎本英彦の証言(第二回)によれば、訴外会社は資産としてみるべきものを有せず、到底原告に対して損害賠償をなすが如き資力を有していなかつたことが認められるから、原告が訴外会社に対し、形式上損害賠償請求権を有することをもつて、原告に損害なしということはできない。
被告は本件真正手形が善意の第三者の手中にあるとすれば、右第三者は手形所持人として、被告に対して手形金の請求をなし得べく、被告はこれに応ぜざるを得ないから、更に原告に対し不当利得返還の責を負うべき理由がないと主張するけれども、本件真正手形が第三者に譲渡されたことは被告の主張立証しないところであつて、しかも右手形については、既に手形法所定の消滅時効が完成していること明らかであるから、被告に二重払の危険なきものというべく、被告の主張は採用し得ない。
さらに被告は訴外会社が本件偽造手形をもつて、本件真正手形と引換えたとしても、右事実は、被告の関知しない事柄であり且つ原告との間に訴外会社の独立の行為が介在し、原告の損害は右行為に起因しているのであるから、原告の損害と被告の利得との間に直接の因果関係がないと主張するけれども、不当利得の制度においては、利得と損失との間に所謂直接の因果関係が存在することを要せず、その間に第三者の行為が介在する場合においても、社会観念上、財産的価値の移動が利得者と損失者との間に行はれたものと認め得れば足るものと解すべきものである。本件についてみると、証人花木寛、同榎本英彦(第二回)の各証言及び被告会社代表者本人尋問の結果を総合すれば、被告は訴外会社に対し融通手形を発行し、訴外会社を援助していたところ、被告会社内部においてこれを非難する声が高くなつたので、被告は昭和二八年二月頃、訴外会社に対する融通手形の発行を打切り、同年三月一〇日現在において、訴外会社が決済不能の手形金八八〇万円を被告において決済したが、本件真正手形は右八八〇万円の手形中に包含されていなかつたため、榎本は右手形の決済に苦慮し、遂に本件偽造手形を偽造して、これによつて本件真正手形を回収したことが認められるから、本件偽造手形による本件真正手形の回収は、当初から被告の本件真正手形に対する手形上の義務を消滅せしめる目的をもつてなされたものと推認すべく、このような場合には、社会観念上、本件真正手形の手形金に相当する財産的価値の移動が原告から被告に行われたものと認むべきであるから、原告の損失と被告の利得との間には因果関係が存するものといわなければならない。
そこで原告が被告に対して返還を請求し得べき利得の限度について考えると、被告は本件真正手形の支払義務を免れ、換言すれば金銭債務の支払義務を免れて、利得したのであるから、その利得は現存するものと推定すべく、被告は原告に対し、本件真正手形の手形金合計額に相当する金一、五〇〇、〇〇〇円及び内金五〇〇、〇〇〇円に対する利得の日である昭和三一年四月四日から、内金一、〇〇〇、〇〇〇円に対する同じく利得の日である同月二一日から各支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払義務があることになる。(なお原告は本訴により被告の利得前から、被告に対して利得の返還を請求しているのであるから、利得の発生と同時に遅滞の責を負うべきものである。)
原告は本件偽造手形の手形金合計額に相当する金一、七〇〇、〇〇〇円とこれに対する本件訴状送達の翌日以後の遅延損害金の支払を請求するけれども、被告は本件偽造手形の支払義務なきこと明白であるから、右手形金額をもつて利得額を算定すべきものではなく、また被告が利得をなしたのは、本件真正手形について時効完成した日の翌日であること前記のとおりであるから、その以前である本件訴状送達の翌日から遅延損害金の支払を求め得べきものではない。
以上の次第であるから、原告の本訴請求は右認定の限度において正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきものとし、民事訴訟法第九二条但書、第一九六条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 岩口守夫 倉橋良寿 池尾隆良)
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