大阪地方裁判所 昭和30年(ワ)3302号 判決
三和銀行大阪駅前支店
認定の事実に徴すれば、原告は、原告と被告銀行との間に本件当座勘定取引預金契約を締結する意思であつたことは明らかであるが、右意思は遂に原告よりその代理人として契約締結を委託された訴外進藤から、被告銀行に伝えられなかつたもので、訴外進藤は自ら原告の氏名を偽称し、しかも自己との間の契約締結を被告銀行支店に申込み、被告銀行の中井支店長は右契約の相手方を右進藤(その氏名の如何に拘らず)と信じて、右申込を承諾したものと認めない訳には行かないから、結局本件当座勘定取引及び預金契約(前後二回共)は被告銀行と和田東市と偽称する訴外進藤との間に成立したものというべきである。そしてその他に、原被告間に本件当座勘定取引預金契約が締結されたことの証拠は見当らないから(原告は、原告の真正な約定申込書と進藤の偽造した申込書とがすり替えられたのは銀行内部の行為に基くものであるから、原告との契約成立を妨げないと主張するけれども、前認定の通り、原告の真正な申込書を進藤が受取つたのが銀行構内乃至はカウンターの内部であつたとしても、原告の立場からは、進藤はあくまでも原告の代理人と見られていたのであるから、進藤が明らかに被告銀行員として行動した事跡が認められない限り、右原告主張の事実のみからは、原、被告間の契約成立は認めることができない。)本件契約が原、被告間に成立したことを前提とする原告の第一次的請求は理由がない。
次に原告の予備的請求原因たる不法行為の主張につき審按する。先ず原告は、(1)被告が訴外進藤の預金払戻請求を、原告の払戻請求と誤認して、その払戻に応じ同訴外人に払戻したことは、原告の預金百二十万円に対する過失による不法行為であると主張するが、原告主張の預金百二十万円が、訴外進藤と被告銀行との間の預金契約に基き預入れられたものと認めざるを得ないこと前段認定の通りであるから、被告銀行がその預金債権者である訴外進藤に対し、その払戻請求に応じてこれを支払うことは当然であり、……右原告の主張は、その過失の有無を審理するまでもなく理由がない。次に原告は、(2)被告が原告の契約申込を訴外進藤の行為と誤認したことは、同訴外人の原告に対する預入金詐取の不法行為に協力加担した過失による不法行為であると主張するので、この点につき審究する。
前段認定事実によれば、訴外進藤は、被告銀行を犯行の舞台として、原告の金員を自己(進藤)の預金として銀行に預入れしめてその支配を失わしめ、自己の預金(債権)としてこれを取得することにより、その詐欺行為を達成しようとしたものであることは極めて明白であるから、右不法行為に協力乃至加担したというがためには、被告銀行において、原告が自己の金員を自己の預金として預入れることが、その真の意図であることを認識しながら、又は認識すべきであるに拘らず、過失によつて認識せずして、これを訴外進藤の預金として受け入れた点に、その責任原因が存するものでなければならないところ、まず原告が、自己の代理人として、右預金の前提たる当座勘定取引契約の締結のために被告銀行に派遣した訴外進藤が、被告銀行において自らその本人たる原告の氏名を僣称して契約締結の申込をした際、被告が右代理人(進藤)を本人(和田)と誤認した点に過失が存するか否かにつき按ずるに、原告は被告銀行支店長中井が訴外進藤の本名を一旦了知しながらこれを失念したと主張するけれども、前記措信し難い証人西園寺謙次郎の証言を除いてはこれを認めるに足る証拠はなく、却つて、前記認定によれば、被告銀行中井支店長は訴外進藤の真の氏名を、同人を紹介した訴外西園寺からも、また進藤本人からも明示されたことはなく、中井支店長が進藤に名刺を要求しても、右進藤は之に応ぜず名刺を交付しなかつたため、本件契約当時には遂に取引の相手方が進藤であることを知ることができなかつたものであるから、同人の本名失念についての過失は到底認めるに由なく、又従つて取引名義との不一致を看過した点の過失も認められない。次に、原告は、被告が右進藤の氏名確認を怠つたと主張するけれども、一般に銀行が、本件の如き単に預金だけで貸出を行わない当座勘定取引を開始せんとする場合において、その相手方の自称する氏名につき格別の不審疑念の存しないにもかかわらず、その真否を一々調査確認することは、取引相手方に対してもその義務に属するものとは思われず、いわんや当事者以外の他人に対する一般的注意義務とは認められないから、まして確実な紹介者の存した本件の如き事情のもとにおいて、中井支店長が取引の相手方として申出でた進藤の本名を確知する格別の手段を講じなかつたとしても、同支店長に過失があるものとは断じえないから、同人をその自称する原告和田と信じて契約した点につき過失もない。次に原告は、預入当時の原告及び進藤の両者の行動により、取引の真の相手方を覚知しえた筈であると主張するが、原告が本件契約の際、原告署名押印に係る当座勘定約定書及び印鑑届を同支店窓口より、同支店係員に提出したことのないことは前記認定の事実に照し明らかであり、原告が当座勘定入金通帳に現金百万円を添えて同係員に提出し、金百万円の預入れを記帳した入金帳(当座小切手帳が同係員から直接原告に交付された事実もない)の交付を受ける間、訴外進藤が中井支店長の側の椅子に腰を掛けていたとの事実もこれを認めるに足る証拠は存しないから、中井支店長及び同支店の係員が契約の相手は原告であつて訴外進藤ではないことを感得し得ず、右書類が偽造のものであることを看破し得なかつたものとしても、これを以て直ちに中井支店長及び同支店の係員に過失があるものとはいい難く、又、原告の真正な契約申込書等を一旦被告銀行係員が受取つた上、これを訴外進藤に交付したとの事実もこれを認むべき証拠がないから、この手続の点につき過失を認めるに由なく、また、原告は、右進藤が原告署名押印に係る当座勘定約定書及び印鑑届を隠匿したのを発見できなかつたことは中井支店長及び同支店係員に過失がある旨主張するので考えるに、右約定書及び印鑑届が原告より右進藤に渡された際に、同人が右書類を自己の物入れに隠匿したことは前記認定のとおりであるが、右隠匿行為が相当の注意を用いれば発見し得る状況にあつたことについては何等の立証もない上に、中井支店長は、本件当座勘定取引預金契約の相手方は訴外進藤であつて、原告は右進藤の使者であると信じていたものであり、右書類が同支店の係員を通じて右進藤に渡されたものでないことも前述したとおりであるから、右進藤が秘かに敢行したと推認される右隠匿行為を発見できなかつたことを目して、同支店の支店長及び係員に過失があるものとはいい得ない。次に原告は、当座勘定約定書及び印鑑届は訴外進藤より直接中井支店長に渡されていながら、現金百万円及び当座勘定入金帳の授受は原告と同支店の係員との間に行われており、かかる異例の取扱をしたことは中井支店長及び同支店の係員に過失がある旨主張するので検討すると、当座勘定約定書及び印鑑届が訴外進藤から直接中井支店長に渡されていること、現金百万円が原告より同支店の係員に預入れられ、金百万円の預入れを記帳した入金帳が同係員から原告に交付されている(但し当座小切手帳が同係員から直接原告に交付された事実はない)ことは既に述べたとおりであるが、中井支店長は本件当座勘定取引預金契約の相手方は和田東市と称する訴外進藤であると信じていた(この点に過失のないことはさきに認定した通りである)ものであること、また右契約に際しては右進藤はその場に現金を持合わせておらず、後刻使者が現金を持参するとのことであつたので、中井支店長は現金受入れのため、右進藤と共に、使者の来るのを持つていると、間もなく使者(実は原告)が現金を持参して来たので、右進藤は支店長にその旨告げ、同支店長より交付を受けていた入金帳を携えて原告の許に赴き、原告に入金して呉れるよう申向け、右入金帳を原告に渡したものであることは前記認定のとおりであるから、以上の事実よりすれば、右支店長は勿論、右窓口の係員においても原告が取引の相手方である右進藤のために現金を持参したものと思い込み、同係員において進藤の使者たる原告より現金百万円を受入れ、金百万円の預入れを記帳した入金帳を交付したものと考えるのが相当であり、また一般の銀行においても、かかる場合、取引者と使者、又は、支店長と窓口の係員との間に連絡さえあれば、かような取扱がなされうることも、鑑定人河田竜介の鑑定の結果により明らかであるから、かかる取扱をなしたからとて、必ずしも中井支店長及び同支店の係員の異例の取扱ということはできず、固より過失があつたものとなすことはできない。
更に原告は、右預金の払戻について、(1)訴外進藤に対し入金前に小切手帳を交付したこと、(2)同訴外人に対し取引開始日に小切手帳を続いて二冊交付したこと、(3)同訴外人のその後の再交付請求の際、受取証に依らずに更に一冊を再交付したこと、(4)同訴外人がさきに紛失届をした小切手帳用紙を用いてなした小切手による払戻請求に応じたこと、(5)取引相手方の使用人と誤認した原告にも直接小切手帳を交付したことに、訴外進藤のなした原告に対する金員騙取行為に協力加担した不法行為の責任原因があると主張するけれども、右主張事実のうち(3)及び(5)の事実についてはこれを認めるに足る何等の証拠はなく、右(1)(2)の事実についても、すでにさきに述べた通り、原告の金員を訴外進藤の預金として受入れたことにつき、被告銀行として何等原告に対する不法行為責任を負うべき原因が認められない以上は、被告銀行が正当に預金者として認めた右訴外進藤に対し右預金を払戻すに際し、その払戻手段となるべき小切手帳を交付することは当然であり、それが入金前になされたこと、同日に二冊交付されたことによつて、これによる払戻が何等原告に対する不正払戻に転化するものでもない。又さきに自ら紛失届を提出した小切手帳に基く小切手用紙を用いた払戻請求に応じたことも、その振出人が預金者和田名義の進藤であり、その預金受取人が進藤であると認められる以上、被告銀行としては、単にその預金者に預金を払戻した結果を招来したのみであつて、その払戻も何等不正のものとはいえない。原告に対する関係において、これらの行為が不法性を帯びるためには、右預金について、預金者を装う訴外進藤に非ざる別の権利者乃至被害者が存在することを被告銀行において認識していたこと、又は認識すべくして認識しなかつた過失があつたことの前提要件が存しなければならない(払戻以前又は払戻の際に)ところ、かかる事実の存在については原告の何等立証するところがないので、右払戻手続に関する過失による不法行為の主張は、爾余の点につき判断するまでもなく理由がない。