大阪地方裁判所 昭和30年(行)72号 判決 1965年5月11日
原告 恵阪留蔵
被告 茨木税務署長
主文
1、原告の請求を棄却する。
2、訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方が求めた裁判
原告
「1、被告が昭和二九年四月一四日原告に対し、原告の昭和二八年度分所得税について所得金額を金四九万九〇〇〇円と更正した処分はこれを取消す。
2、訴訟費用は被告の負担とする。」
との判決。
被告
主文同旨の判決。
第二、当事者双方の主張
原告
(請求原因)
一、原告は昭和二九年三月一五日、原告の昭和二八年度分所得税について総所得金額を金三五万八〇〇円とする確定申告をしたところ、被告は同年四月一四日右所得金額を金四九万九〇〇〇円と更正する処分をした。そこで原告は同年五月一五日被告に対し再調査の請求をしたが同年七月二二日これを棄却されたので、原告は更に同年八月二一日大阪国税局長に対し審査の請求をしたが、昭和三〇年七月一四日これを棄却された。
二、しかし、原告の昭和二八年度における総所得金額は三五万八〇〇円であり被告のなした右更正決定は違法であるからその取消を求める。
被告
(請求原因に対する答弁)
一、請求原因第一項は認める。
(被告の主張)
一、原告は昭和二八年当時既製服の販売等の事業を営んでいたものであるが、原告の同年度の所得に関する主張は首尾一貫せず信頼できなかつたので、被告は原告の所得金額を次のとおり推計計算したものである。
1、総仕入金額二六一万七四五一円(うち既製服二一四万七〇二七円、生地、附属品四四万二四二四円、子供既製服二万八〇〇〇円)
仕入先別内訳
イ 岡株式会社二三〇万二五三一円(うち四三万三〇二四円は生地及び附属品その他は既製服)
ロ 昌宏衣料株式会社一二万四三〇〇円(既製服)
ハ 大黒衣料株式会社一五万三二二〇円(既製服)
ニ 伊谷産業株式会社二万八〇〇〇円(子供既製服)
ホ 小幡九一七、二〇〇円(生地、附属品)
ヘ 大阪衣料株式会社二、二〇〇円(生地、附属品)
2、棚卸金額、原告の昭和二八年度の期首及び期末における棚卸金額はいずれも三五万八三〇〇円である。
3、総売上金額、被告は原告の総売上金額を標準差益率により、次のように推計計算した。
なお既製服の差益率は〇・二三、注文服の差益率は〇・四二二、子供既製服の差益率は〇・二一である。従つて、
イ 既製服の売上金額は
214万7027円÷(1-0.23)=278万8346円
ロ 注文服の売上金額は
44万2424円÷(1-0.422)=76万5439円
ハ 子供既製服の売上金額は、
2万8000円÷(1-0.21)=3万5443円
となり、総売上金額は三五八万九二二八円となる。
4、原告の必要経費は別紙一覧表一記載のとおり合計三〇万九三一八円であつてこれ以外の経費はない。
5、従つて昭和二八年度における原告の総所得金額は次のとおり六六万二四五九円となるから被告の更正決定にはなんら違法はない。
総売上金額-総仕入金額+(期末棚卸-期首棚卸)+必要経費=総所得金額
358万9228円-261万7451円+(35万8300円-35万8300円)+30万9318円=66万2459円
原告
(被告の主張に対する答弁)
一、被告の主張第一項の1の仕入先別内訳のうちイロは認めるが、ハニホヘは否認する。
二、被告の主張第一項の2のうち期末棚卸金額が三五万八三〇〇円であることは認めるが期首棚卸金額は二六万八〇〇円である。
三、被告の主張第一項の3のうち差益率については最初被告の主張を認めたが、これを撤回して否認する。標準差益率は税務署が秘密裡に一方的に作成したものであり、これを一方的に適用することは自主申告制度に反し違法である。従つてこのような違法は差益率を適用してなした本件更正決定は当然違法である。
四、被告の主張第一項の4のうちイないしレは認めるがソのガス代は否認する。ガス代は七、三〇八円である。被告の主張する経費のほかに原告が主張する経費は別紙一覧表二記載のとおりである。なお同一覧表ハの霊山寺頼母子講の支払利息の明細は次のとおりである。すなわち原告が霊山寺頼母子を落札したのは昭和二七年六月のことであり、当時の手取り金額は一六万円、同月より二四回の月賦弁済の約定であり、一回分の元本は六六六〇円で最終回のみ六六七六円であつた。原告が毎回支払つた金額は一万一四〇〇円であり、これから元本の六六六〇円を差引いた四七四〇円が利息であるから昭和二八年一年分で五万六八八〇円となる。
被告
一、原告の差益率についての自白の撤回に異議がある。原告が自白した差益率は原告の営業の差益率であつて自白の対象となる事実である。原告の右自白の撤回は準備手続の終結後に、しかも時機に遅れてなされたものであるから許されない。
第三、証拠関係<省略>
理由
一、請求原因第一項については当事者間に争いがない。
二、(原告の総仕入金額について)
原告が昭和二八年中に岡株式会社から既製服一八六万九四〇七円、生地及び附属品四三万三〇二四円を、昌宏衣料株式会社から既製服一二万四三〇〇円を仕入れたことは当事者間に争いがない。
1、(大黒衣料株式会社からの仕入れについて)
証人高谷清市の証言及び同証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証によれば、原告は昭和二八年中に大黒衣料株式会社から一五万三二二〇円の既製服を仕入れたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
2、(伊谷産業株式会社からの仕入れについて)
証人伊谷山三郎の証言、同証言により真正に成立したものと認められる乙第四号証及び証人藤原拡の証言により真正に成立したものと認められる乙第七号証によれば、原告は昭和二八年中に伊谷産業株式会社から二万八〇〇〇円の子供既製服を仕入れたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
3、(小幡九一からの仕入れについて)
証人小幡九一の証言、同証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証及び前記乙第七号証によれば、原告は昭和二八年中に洋服生地を七、二〇〇円仕入れたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
4、(大阪衣料株式会社からの仕入れについて)
被告は原告が昭和二八年中に大阪衣料株式会社から生地附属品を二、二〇〇円仕入れたと主張する。前記乙第七号証及び成立に争いのない乙第一〇号証によれば、原告が昭和二八年一二月三〇日小切手で大阪衣料株式会社に二、二〇〇円を支払つたことが認められるが、この小切手が原告が同社から仕入れた生地、附属品の代金として支払われたものであることを認めるに足りる証拠がなく、他に被告の右主張を認め得る証拠はない。被告の主張は採用できない。
結局、昭和二八年中における原告の仕入高は既製服二一四万七〇二七円、生地附属品四四万二二四円、子供既製服二万八〇〇〇円合計二六一万五二五一円となる。
三、(期首及び期末棚卸金額について)
原告の昭和二八年末における棚卸金額が三五万八三〇〇円であつたことについては当事者間に争いがない。同年期首における棚卸金額を原告は二六万八〇〇円であると主張し、被告は期末同様三五万八三〇〇円であると主張する。
原告の右主張は原告が昭和二七年一二月二四日九万七五〇〇円の商品の盗難にあつたことから昭和二八年期首においても、通常の在庫量よりその分だけ少なかつたという理由によるものである。
成立に争いのない甲第三号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告が昭和二七年一二月二四日合ズボン二一一着冬ズボン二一七着合計九万七五〇〇円相当の盗難にあつた事実を認めることができるのであつて、右認定に反する証拠はない。右盗難と昭和二八年期首の間がわずか一週間であることからすれば、これが昭和二八年期首の在庫量に影響を及ぼしていると推認されるのであるが、一方右盗難のあつた時期が年末のいわばかきいれ時であつたことを考れば、特別の事情の認められない限り、わずか一週間とはいえ昭和二八年期首までにその在庫量がかなりの程度に補充されていたものと推認されるところ、成立に争いのない乙第二号証の二によれば原告は本件更正決定に対する再調査請求書に添付した収支計算書に昭和二八年期首の棚卸金額を三二万円、期末の棚卸金額を三五万円と記載したことが認められる。右の事実を考え合わせると、原告の昭和二八年期首の在庫量は少なくとも三二万円にまで回復していたものと認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果は信用できない。
四、(原告の総売上金額について)
原告は当初、準備手続期日に被告主張の既製服、注文服、子供既製服の差益率について被告の主張を認めたが、後の昭和三五年一二月一九日口頭弁論期日にこれを撤回して否認し、推計課税は自主申告制度に反し違法であると主張し、被告は原告の右主張の撤回は自己の撤回であるから異議を述べると主張する。
そこで原告の「差益率は認める」旨の陳述が訴訟上いかなる意味をもつかを検討することにする。そのため原告の右陳述がなされるに至つた経過を検討してみよう。
被告は昭和三一年七月二六日附準備書面(昭和三二年一月二五日の準備手続期日において陳述)において、原告の売上高の算定につき原告の仕入高を基準とし、既製服〇・二三、注文服〇・四二二なる標準差益率を使用し、仕入高を一から標準差益率で減じたもので除して売上高を算定した。
売上高=仕入高÷(1-標準差益率)
原告は、昭和三二年五月二七日附(同日提出)準備書面(後に昭和三四年三月二五日最終準備手続期日に陳述。この準備書面の釈明要求に対する応答及びこの準備書面に対する反論が、後記の被告準備書面に記載され、且つこの準備書面の一部が引用されている。)によつて、「差益率」はいかなる意義と根拠をもつかとの釈明を求め、差益率を使用した所得計算の不当を追及し、更に注文服の差益率を〇・四二二とするのは不当であるとし、原告が最近取扱つたウーステツドの背広注文服の実例を挙げ、この背広は生地原価四、七二五円、裏生地並に附属品原価三、〇〇〇円、工賃三、〇〇〇円以上原価合計一万七五〇円、売上価格一万五〇〇〇円、売上利益四、二七五円であるが、これを差益率によつて計算すると、
原価10,725÷(1-0.422)=18,555円(被告として原価と推定すべき額)
となり、実体に符合しない旨主張した。
これに対し被告は、昭和三三年四月一〇日附準備書面(同月二四日の準備手続期日において陳述)によつて、差益率は明治二〇年所得税創設以来各年毎に作成されているものであり、その作成方法は各業種ごとに地域差、規模差を考慮し普遍的に資料を収集しこれに統計的処理を加えた基本金額一〇〇円当りの標準的な差益金額の率である旨の説明をし、原告の挙げる実例に対して反論を加え、原告の計算は二点において誤りを犯しており、その一は標準差益率の計算では雇入費、工賃等は特別経費として、算出された金額から別途に控除する方式を採つているため標準差益率には折りこまれないこと、第二は裏生地及び附属品原価を三、〇〇〇円としているが、原告が使用している裏生地及び附属品の原価は二、〇七〇円であることであり、原告が例示する原告自身の取引の一部実績に基づいて差益率を計算すると〇・五四六三となり、被告が適用した標準差益率〇・四二二はむしろ控え目に計算した妥当な率であると主張した。そして、原告代理人は、次回の準備手続期日である昭和三三年六月一九日に既製服及び注文服についての差益率を認め、ついで昭和三四年三月二五日の準備手続期日(準備手続終結)において子供既製服についての差益率を認めたのである。
標準差益率とは、一般的に、課税機関が作成したものであつて、一定の業種の一定範囲の業態について、売上金額とその荒利益(雇人給料、工賃などの特別経費を除外する前の利益)について資料を収集し、これを統計的に処理して平均値を算出した抽象的な統計的数値をいうのである(原告がその売上額、仕入原価等を記載した信頼するに足りる帳簿その他の書類を備えていなかつたことは、前示認定によつて明らかである。従つて、被告が標準差益率を適用して原告の売上類等を算定したことは適法である。一般的標準差益率が、課税機関の作成したものであり、かつ公表されないものであるにしても、それは、課税庁において納税義務者につき直接に所得の実額を調査し、計算することができない場合に限つて適用されるものであり、他方経験則に従つて所得等を間接に証明すべき間接事実ないし間接証拠の一種にすぎず、公開された訴訟においてその合理性の有無が検討され得るものであるから、これをもつて、違法のものということはできない。)。さて、前述の如き経過から考えると、原告の差益率は認める旨の陳述は、単に抽象的な統計的数値(本件においては比率)としての、つまり間接事実たる一般的標準差益率が真実であると認めるという趣旨ではなく、原告の売上高を標準差益率を適用して算定すること、ひいては当然にその算定の結果自体に異議がない旨の陳述、すなわち原告の営業実績における具体的な荒利益(差益)の割合、ひいては金額(所得算定の基礎となる法律要件事実)が被告主張のとおりである旨の陳述であると解すべきである(なお、原告がその売上金額にしめる差益率を認めても、原告の他の主張が全て認められれば、原告の昭和二八年度における所得は三四万五〇二四円となり、原告の確定申告による所得金額三五万八〇〇円をやゝ下まわる金額となるのであるから原告が原告の営業における差益率を認めたことが不合理なものであつたとはいえない。)。
そうすると、原告の「差益率は認める」旨の陳述は、具体的に原告の営業実績における差益(荒利益)の割合、ひいては当然にその割合による算定の結果を、原告の昭和二八年分所得算出の基礎となる法律要件事実、すなわち被告にその立証責任がある主要事実として、自己に不利益に真実であると認めるものであり、裁判上の自白を構成するものというべきである。
ところで、被告は、原告の右自白の撤回は民事訴訟法第一三九条、二五五条により許されないと主張する。しかし、原告の右自白の撤回は、結局原告の営業における差益率の割合を争い、標準差益率による推計計算による算定の不当を主張するものである。このような主張は、既に準備手続終結前に提出された昭和三二年五月二七日付準備書面に記載されていた事項であり、且つ本件訴訟の全経過からみて未だ時機に遅れたものということはできない。
被告は原告の右自白の撤回に異議を述べるので、原告において、右自白が真実に反し、且つ錯誤に出たものであることを立証すべきところ、本件全証拠によるもこれを認めるに足らず、原告の自白の撤回は許されない。
そうすると、原告の営業において既製服販売の差益率が〇・二三、注文服販売の差益率が〇・四二二、子供既製服販売の差益率が〇・二一であることについては当事者間に争いがない。そして原告の昭和二八年度における各種目の売上高は、(昭和28年度期首棚卸高+昭和28年中仕入高)-昭和28年度期末棚卸高÷(1-差益率)=売上高によつて算出されることになる。
昭和二八年度期首における棚卸金額が三二万円、同期末における棚卸金額が三五万八三〇〇円であつたことは前記のとおりであり、昭和二八年期首における在庫が通常の場合よりも少なかつたのは、原告が昭和二七年一二月二四日合ズボン一一着及び冬ズボン一七着の盗難にあいその在庫減が十分回復していなかつたためであること前記のとおりであるから、昭和二八年期末における在庫増は既製服の在庫が増加したものと推認するのが相当であり、生地附属品及び子供既製服については昭和二八年度期首と期末においてその在庫量に変化がなかつたものと推認される。
そうすると昭和二八年度における既製服の売上高は、
(昭和28年度中仕入高-昭和28年在庫増加分)÷(1-差益率)=売上高
によつて算定され、注文服及び子供既製服の売上高は、
昭和28年度仕入高÷(1-差益率)=売上高
によつて算定されることになる。
従つて、
既製服売上高
(214万7027-3万8300円 ÷(1-0.23)=273万8606円
注文服売上高
44万224円÷(1-0.422)=76万1633円
子供既製服売上高
2万8000円÷(1-0.21)=3万5443円
となり総売上高は三五三万五六八二円となる。
ところで、原告は必要経費として盗難による損失額四、〇〇〇円を揚げている。成立に争のない甲第二一号証及び原告本人尋問の結果によると、原告は昭和二八年四月一五日紺サージズボン一着時価四、〇〇〇円(小売値)相当の盗難にあつたことが認められる。原告の前示売上高は、この盗難を参酌せずに前示のように原告の仕入高よりその差益率を適用して推計したものであるから、ほんらいは、前示仕入高から右盗難にかかるズボンの仕入値を差引いた修正仕入高から前示差益率を適用して、(修正)総売上高を推計すべきである。しかし、右盗難にかかるズボンの仕入値を認め得る資料がないので、前示総売上高三五三万五六八二円から直ちに右四、〇〇〇円を差引いた金額三五三万一六八二円をもつて、原告の(修正)総売上高と推定する(このような差引計算による修正は、原告にとつて不利益なものではない。)。
四、(原告の必要経費について)
原告が昭和二八年中に別紙一覧表一のイないしレの経費合計三〇万三八五九円を支出したことについては当事者間に争いがない。
1、(ガス代について)
証人紫田耕作の証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証及び成立に争いのない乙第一三号証によれば、原告は店舖部分と住居にそれぞれ一個のガス使用口座を持つており、店舖部分の昭和二八年中のガス料金が合計五、四五九円であつた事実を認めることができる。右認定に反する甲第一一号証は店舖部分と住居部分を区別せず、しかも昭和二八年六月から昭和二九年五月までの分であるから本件事実認定の資料となしえず、右認定を左右するに足りない。
2、(岡株式会社へ支払つた加工賃について)
本件のような更正決定の取消請求事件については、被告が所得(総収入金額から必要な経費を控除した金額)の存在について立証責任を負い、必要経費についても被告主張以外の経費が存在しないことについての立証責任を負うものと解すべきところ、原告主張の岡株式会社への加工賃五、二〇〇円が支払われていないと認めるに足りない。すなわち成立に争いのない乙第九号証(岡株式会社の売上原簿)には、成立に争いのない甲第一号証記載の「工料」五、二〇〇円に対応する記載がなく、岡株式会社に対して原告から工賃五、二〇〇円が支払われたかどうか疑問がある。しかし証人岡垣栄蔵の証言によれば、岡株式会社は原告の依頼により賃加工を引受けたことがあること、その場合岡株式会社自体が賃加工を引受ける場合と同社の下請の店に加工を斡旋する場合とがあること、後者の場合には同社の売上原簿に記載されないこと、甲第一号証に乙第九号証に記載のない工料五、二〇〇円の記載があるのは担当者が原告からの外註加工を下請けの店に斡旋した時のことをメモなどで記憶していて、甲第一号証に書き出したとも考えられることが認められる。従つて岡株式会社の売上原簿である乙第九号証に工賃五、二〇〇円の記載がないことから直ちにこれが支払われていないとは認めがたく、かえつて原告が岡株式会社に賃加工を依頼し同社がこれを下請けの店に斡旋したため同社の売上原簿に記載されなかつた可能性が強い。そうすると結局、原告主張のように岡株式会社へ加工賃五、二〇〇円が支払われたものと認めるのほかならない。
3、(島津寅治に支払つた加工賃について)
成立に争いのない乙第一一号証及び証人島津イチの証言によれば、原告は昭和二八年中に訴外島津寅治に洋服仕立の賃加工を請負わせ工賃を支払つていたことを認めることができたのであつて、右認定に反する証拠はない。
そこで原告が訴外島津に支払つていた工賃の額について検討することにする。
証人島津イチの証言により真正に成立したものと認められる甲第四号証の二(裁縫工賃月割支払表)には、昭和二八年中に訴外島津が原告から合計一四万六〇〇〇円(原告は一四万八〇〇〇円と主張するが甲第四号証の二記載の金額の合計は一四万六〇〇〇円となる)の裁縫工賃を受領した旨の記載があるが、右の記載は次のような理由から信用することができない。すなわち、
証人島津イチの証言及び原告本人尋問の結果によれば、前記甲第四号証の二は訴外島津寅治が受領金額を記載したものでなく、原告が支払金額を記載したものを訴外島津方に持参し、同人の記名押印を求めたものであり、原告は右甲第四号証の二を甲第四号証の一にもとづいて作成したというのであるが、甲第四号証の二の記載は甲第四号証の一に一致していない。又前記乙第一一号証によれば、洋服仕立職の稼働期間は九月から一二月中旬までと春の三、四月までであり、それ以外は修理がぼつぼつある程度で特に夏場は殆んど仕事がないことが認められるが、前記甲第四号証の二によれば昭和二八年五月分は一万二三〇〇円、六月分が一万二二〇〇円、七月分が一万三〇〇円、八月分が一万四〇〇円と記載されており、前記甲第四号証の一の正確性は極めて疑問であるといわなければならない。さらに、成立に争いのない乙第一二号証の一、二によれば、訴外島津は昭和二七年七月娘たみゑが病気で入院した際、生活保護法による医療保護の申請をし、同月から昭和二八年四月三〇日退院するまで医療保護を受けていたこと、右医療保護の申請の際、訴外島津は生活費月額六、〇〇〇円、収入月額四、〇〇〇円として申請していること、右医療保護の適用に当り吹田市福祉事務所長は訴外島津の収入を月額七、五〇〇円(洋服仕立収入六、〇〇〇円、間貸収入一、五〇〇円)と認定していることが認められ、右認定に反する証拠はない。右認定の事実と証人島津イチの証言によつて認められる訴外島津寅治は原告以外の店から洋服の賃加工を請負つたことがなかつた事実とを考え合わせると、訴外島津寅治は昭和二八年中原告から月額平均六、〇〇〇円の洋服仕立の賃加工を請負い、その支払いを受けたものと認めるのが相当である。そうすると、原告が昭和二八年中に訴外島津寅治に支払つた加工賃の総額は七万二〇〇〇円となる。
4、(霊山寺頼母子講の支払い利息について)
証人田中正雄、同寺西富三郎の証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、次のような事実を認めることができる。
霊山寺頼母子講は、霊山寺が講主となり二四人を一組とする頼母子講であつて、毎月一回ずつ二四回に亘つて掛金をし、霊山寺が第一回の落札者となりその後の落札者は抽せんで決めることになつていた。霊山寺は掛金をしないが、他の講員は一回一万一五〇〇円ずつの掛金をし、自己が落札した後は一万二四〇〇円ずつの掛金(掛戻金)をすることになつた。落札者の講金手取り金額は第一、二回が各一五万円、第三、四回が各一五万五〇〇〇円、第五、六回が各一六万円というように二回毎に五、〇〇〇円ずつ増加し、第二一ないし第二四回に落札した場合は二〇万円となることになつていた。そして第一回の落札金額、及び掛金額と第二回ないし第二四回の落札金額との差額は霊山寺が取得していた。原告は昭和二七年一月ごろ右頼母子講に加入し同年六月ごろ第六回目に落札して一六万円の給付を受けた。原告は昭和二七年一月から六月までは毎月一万一五〇〇円、同年七月から昭和二八年一二月までは毎月一万二四〇〇円の掛金を支払つた。原告は右頼母子講で落札した一六万円を原告の店舖の改造に使用した。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
右認定の事実によれば、右頼母子講は最終回に落札した場合を考えても、一口の掛金総額二七万六〇〇〇円に対し、落札金額は二〇万円であり残金は霊山寺への寄附にあてられるのであるから、霊山寺への寄附を主たる目的とする頼母子講であるといつてよい。しかしそれだからといつて、原告のなした掛金総額と落札金額との差額の全額が、霊山寺への寄附金であつて、利息としての性質を全く有しないものというべきではない。右差額のうちには、霊山寺に対する寄附金としての部分だけでなく、経済的目的に照らし、落札金額を早期に取得し、かつ利用する対価に当る部分、つまり「利子」に当る部分も含まれているのである。すなわち、第六回目に落札した原告の場合と最終回の落札者の場合とを比較してみると、原告の場合掛金総額二九万二二〇〇円、落札金額一六万円、その差額一三万二二〇〇円であるのに対し、最終回の落札者の場合は掛金総額二七万六〇〇〇円、落札金額二〇万円その差額七万六〇〇〇円であつて、原告の場合と最終回の落札者の場合との差額五万六二〇〇円は、原告が落札金額を早く取得して利用することに対する対価、すなわち利息としての実質をもつものといつて差支えない。そしてこの実質上の利息(利子)に相当する部分は、原告が落札した月の翌月である昭和二七年七月から昭和二八年一二月(計一八ケ月)まで均分して支払われたものといつてよいから、昭和二八年中に支払われた部分は三万七四六七円((56,200÷18)×12)となるべき筋合である。
右のように、頼母子講を早期に落札した場合、その落札金は一種の借入金としての性質を帯びるものであり、もしその落札金が原告の営業のために使用されたのであれば、これに対する利息は原告の営業の経費として扱われるべきところ、原告がこれを店舗の改造に使用したこと前記認定のとおりであるから、原告の頼母子講支払利息(利子)三万七四六七円を必要経費に算入すべきである。
5、(盗難による損失について)
原告の盗難による損失四、〇〇〇円の主張については、前示(修正前の)総売上高から右四〇〇〇円を差引き、(修正)総売上高が三五三万一六八二円となると推定したことは前判示のとおりである。したがつて、これを原告主張のように必要経費として控除する必要はない。なお右四、〇〇〇円は、原告の所得金額(後記五三万〇七四六円)の十分の一をこえるものではないから、盗難による雑損控除をすべきではない。
6、(貸倒金について)
原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第二二号証によると、原告は昭和二八年中に訴外小沢にズボン一着を二、七〇〇円で販売し、その代金を何回も請求したが支払つて貰えなかつたこと、同じく訴外白畑にフラノダブル上衣一着及びビツケズボンを合計八、六〇〇円で販売したがその代金の支払いをうけることができなかつたことを認めることができる。しかし貸倒れとは単に債権の回収がなされないというに止まらず、その債権が債務者の破産その他の理由によつて回収不能であることを要するところ、いまだこの程度では右債権が回収不能になつたとはいえない。
原告の主張は採用できない。
結局昭和二八年中に原告が支出した必要経費の総額は四二万七九八五円となる。
五、(結論)
以上認定の事実に基いて、原告の昭和二八年度における所得金額を算定すると次のとおりとなる。
総売上高 三五三万一六八二円
総仕入高 二六一万五二五一円
昭和二八年期首在庫 三二万円
同年期末在庫 三五万八三〇〇円
必要経費 四二万三九八五円
総売上高-{期首在庫+総仕入高-期末在庫-必要経費}=所得金額
353万1682円-{32万円+261万5251円-35万8300円}-42万3985円=53万0746円
従つて原告の昭和二八年度における事業所得金額は五三万七四六円となるから原告の同年度における所得金額を四九万九〇〇〇円としてなした被告の本件更正決定は適法であり、原告の請求はその理由がない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 山内敏彦 高橋欣一 小田健司)
(別紙一覧表一、二省略)