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大阪地方裁判所 昭和32年(ヨ)467号 判決 1958年5月09日

申請人 田中実

被申請人 南都交通株式会社

主文

被申請人は、申請人をその従業員として取扱い、かつ申請人に対し昭和三十二年三月二十三日以降一日金千百九十七円の割合による金員を毎月末日限り支払わなければならない。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請人の主張

申請人訴訟代理人は、「被申請人は申請人をその従業員として取扱い、かつ申請人に対し昭和三十二年二月二十一日以降一日金千百九十七円の割合による金員を毎月末日限り支払わなければならない」との判決を求め、その理由ととして、次のとおり述べた。

一、被申請人(以下単に会社という)は、従業員九十七名を擁し乗用自動車三十輛を有して一般旅客運送業を営む株式会社であり、申請人は昭和三十一年一月二十六日会社に入社し、爾来タクシー運転手として勤務していたもので、同年四月本採用と同時に従業員中四十五名を以て組織する南都交通労働組合(以下単に組合又は第一組合という)の組合員となつたものであるが、会社は申請人に対し昭和三十二年二月十六日出勤停止を命じ、同月二十日就業規則第六十四条第二、七ないし十号に基く懲戒解雇の通告をなした。

二、しかしながら、申請人に対する右解雇は次の諸理由により無効である。

(一)  本件解雇は申請人の正当な組合活動を排除しあわせて会社の意思に反して組合書記長に選出された申請人を解雇することによつて組合を壊滅ないし弱体化する意図の下に行われたものであるから、労働組合法第七条第一号及び第三号に該当する不当労働行為である。

1、組合の結成と会社の組合に対する抑圧

(イ) 会社は昭和二十八年七月末組合が結成され、総評に加入すると同時に、組合結成並びに総評加入について中心的に活動した訴外杉野晶男に下車勤務を命じ、このため同人は収入が激減し退社しなければならなくなり、続いて組合結成直後、会社代表者は組合員を集めて「誰が役員になつても、如何なる組合ができても、必ず自分の思うとおりの組合にして見せる」と公言し、同年十月項から組合三役である松本秀、鈴木某、野口某をキヤバレー等に接待して饗応買収し、このため組合は結成後日浅くして全く御用組合化するに至つた。

(ロ) かかる会社の組合切崩し工作に対して組合員に不平多く、昭和二十九年八月の役員改選により前記組合三役は罷免され、あらたに馬子田二一、松本伝助、西川某が組合三役に選出され、旧組合三役の行動は組合を切崩し御用組合化したのみならず、職場秩序を乱すものであるから解雇すべきであると決議し、これを会社に要求したところ、旧組合三役が中心となつて会社の庇護の下に従業員約三十名を結集して、南都交通従業員組合(以下単に第二組合という)を結成し、第二組合の結成を契機として、会社は第一組合の団体交渉にすら応じない状態となつた。

(ハ) かかる事情のもとにおいて、会社は更に第一組合幹部の排除を系統的に行い、第一組合に対し弾圧を加えてきた。すなわち、第二組合幹部に対しては同人等が勤務時間中タクシーを預けて遊んでいてもこれを放任しながら、第一組合幹部の勤務時間中の行動を尾行し、第一組合書記長馬子田二一に対しては、同人が昭和二十九年一月中旬頃、営業用メーターを倒さないで不正に乗客を輸送したことを理由に同月下旬解雇の通告をなし、後日街頭調査会の報告により街頭調査員の誤報であることが判明したのに拘らず、右解雇を撤回せず、このため同人はその不当解雇であることを知りながら、経済的理由からこれを争うことができず、退社するの止むなきに至り、次に第一組合副委員長田中幸夫に対しては、同人が昭和三十年九月頃、元会社従業員井登某を難波から大和まで旅客として輸送した際、本人の手持金不足のため、信太山の自宅より収金してくれと頼まれたので、かかる場合、乗務員は会社に対し「本人未収」として届け出、後日収金する建前となつていたところから、同人も会社に対し「本人未収」として届出をなしたのに拘らず、会社は同人がほしいままに右運賃を費消したと称して、同人を不当解雇し、更に同人が昭和三十二年四月、訴外南光タクシー株式会社に入社するや、同社よりの問合せに対し、組合活動を行つたので解雇した旨通報して、自らその不当労働行為の意図を明らかにした。

2、申請人の組合活動

申請人は昭和三十一年四月本採用と同時に第一組合の組合員となつたが、当時組合は会社の不当な圧迫(例えば従業員の採用にあたり一切組合活動をしないという誓約をなさしめる等)により全く萎縮し、昭和三十一年の夏季手当要求、これに続く昼夜二部制実施問題及び同年末の越年手当要求等組合員の労働条件に重大な関係を持つ事項の処理についても、執行部は組合大会等によつて下部組合員の意見を求めることなく、独断で交渉し妥協する等全く御用組合化していたため、これを不満として組合脱退の意向をもらす組合員すらあつたので、申請人は志を同じくする者と図つて組合民主化のため、昭和三十二年一月二十四日の年次大会における組合役員選挙等について、申請人宅で三回の会合を持ち、右大会に備えるところがあつた。ところが事前にこれを察知した会社は、当日大会直前、従業員約三十名の前で「今度の大会の役員選挙についていろいろ劃策しているものがあるそうだが、会社としては現に今年の夏季手当も決定している程で、誰が役員になつてもいささかも態度を変えないのだから、一部の煽動分子の口車に乗ぜられて役員を決めることのないように切望する」との趣旨の発言をして組合の運営に不当な介入を行つたが、それにも拘らず、同大会において申請人等が協議した役員候補者が全部当選し、申請人が組合書記長に当選するや、急拠申請人を解雇するに至つた。

3、本件解雇の形式的な理由はその真の解雇理由ではない。

本件解雇は、次に述べるような会社の従来の従業員に対する交通違反並びに暴行事件についての取扱い例に徴し、申請人の交通違反並びに暴行事件をその真の理由とするものではない。

(イ) 従来会社の従業員で交通違反により罰金刑を受けたものは多く、むしろ一般で、単なる交通違反については、会社は何ら処分しないのが慣例である。

(ロ) 昭和二十八年一月、会社が訴外ツバメ交通株式会社を買収した除、会社従業員荒川弥六外数名とツバメ交通株式会社従業員佐竹某等との間で十名位が集団で喧嘩をし、負傷者まで出したが、これについて何らの処分もしなかつた。

(ハ) 右事件直後、右荒川弥六が会社従業員と些細なことから争い、会社社長宅裏でスコツプの柄が折れるまで、殴つているところを社長がとめたことがあつたが、これについても会社は何らの処分をしなかつた。

(ニ) 昭和二十九年十月頃、訴外中野光数、塩川勇、馬子田二一の三名が飲酒の上、大丸百貨店の配達人を殴り負傷させ、更にパトロールカーでかけつけた警察官に対し暴行を加え検挙されたことがあつたが、会社はこれに対しても何らの処分をしなかつた。

以上1、2、3、の事実に徴すると、会社は常に活動的な組合幹部に対し、事実を捏造し又は針小棒大にしてこれを排除し、組合の弾圧を行つてきたもので、本件解雇も、申請人の交通違反並びに暴行事件を形式上の理由としてはいるが、その決定的な動機は、申請人の正当な組合活動を排除しあわせて会社の意思に反して組合書記長に選出された申請人を解雇することによつて組合を壊滅ないし弱体化することにあつたものであり、現に申請人の解雇後間もない昭和三十二年二月二十四日組合が解散消滅するに至つた事実によるも、不当労働行為であることが明白であり、無効である。

(二)  本件解雇は、就業規則第六十四条第二、七ないし十号に基く懲戒解雇であるが、会社が就業規則を作成し行政官庁に届出をなしたのは昭和三十二年五月八日であつて、本件解雇当時には正規の手続を経て制定公示された就業規則はなく、本件解雇について、会社は行政官庁の解雇予告手当の除外認定も経ていないのであつて(会社は昭和三十二年五月三十日、解雇予告手当除外認定申請を取下げ、解雇予告手当を申請人に送付してきた)会社には懲戒権がなく、本件解雇は無効である。

(三)  仮りに会社に懲戒権があるとしても、会社が懲戒解雇の理由として主張するところは、左記の如く事実と全く相違しており、本件解雇は懲戒権の濫用である。

1、申請人は、昭和三十一年二月二十六日、大阪市南区日本橋南詰巡査派出所前に停車していたところ、巡査から呼び止められたことはあるが、巡査の負傷は同人が進行中の申請人運転の車のドアを後から開いたため自ら負傷したものであり、このため申請人が略式命令で道路交通取締法違反罪により罰金三千円に処せられたことはあるが、公務執行妨害罪で処罰されたことはなく、会社と警察との間に如何なる交渉がなされたかは知らない。

2、申請人は、同年九月十四日、大阪市東区淀屋橋交叉点を通行中、同交叉点交通係巡査から呼び止められたが止まらなかつたため、大阪府東警察署より二回の呼出しを受け、出頭しなかつたことはあるが、申請人は何ら交通違反を犯したわけではなく、その後出頭して取調を受けたが、何ら処分を受けなかつたのである。

3、申請人は昭和三十二年二月十四日午後十時項、大阪市北区航空ビル前における駐車違反の嫌疑で大阪府曾根崎警察署に連行され取調を受けたことはあるが、巡査に対し暴行を加えたことはない。その際多少のいざこざがあつたのは事実であるが、一運転手が警察署内の多数の警察官のいる中で警察官に暴行を加えるなどは常識上もあり得ないことであり、むしろ申請人が警察官より暴行を受けたのである。もつとも申請人は、同年五月中旬項、道路交通取締法違反罪及び傷害罪により罰金三千円に処する旨の略式命令を受けたが、全く不服であるので、正式裁判の申立をなし、現在大阪簡易裁判所で審理されている。

以上のとおりであつて、結局申請人は道路交通取締法違反罪で罰金刑を受けただけであり、しかも会社の従業員で道路交通取締法違反罪により罰金刑を受けたものは多数あるにかかわらず会社から責任を問われたものはないのであるから、右犯行を以て懲戒解雇の理由とすることは、懲戒権の濫用であり、従つて本件解雇は無効である。

三、以上のとおり本件解雇は無効であつて、申請人は依然として会社の従業員たる地位を有し、昭和三十二年二月十六日当時、平均賃金一日金千百九十七円を毎月末日限り支払を受けていたが、申請人は賃金を以て唯一の生活の資とする賃金労働者であるため、本案判決を待つていては回復し難い損害を蒙るので、右の損害を避けるため、本件申請に及んだ次第である。

第二、被申請人の主張

被申請人訴訟代理人は、「申請人の申請を却下する。訟訴費用は申請人の負担とする」との判決を求め、答弁として、次のとおり述べた。

一、申請人主張の一記載の事実、同二記載の事実中昭和三十二年二月二十四日組合が解散したこと及び会社が申請人に対し解雇予告手当を支給したこと、同三記載の事実中昭和三十二年二月十六日当時の申請人の平均賃金が申請人主張のとおりであることは認める。

二、本件解雇は次に述べるような理由に基くものであつて、申請人の正当な組合活動を排除し或は組合書記長に選出された申請人を解雇することによつて組合を壊滅ないし弱体化するためになされたものではないし、懲戒解雇の手続面についても何らの瑕疵はないから、有効である。

(一)  会社が申請人を懲戒解雇にした事由は次のとおりである。

1、申請人は、入社後間もない昭和三十一年二月二十六日、大阪市南区日本橋南詰巡査派出所前において、通行禁止の道路を進行して、同派出所前で停車していたところを、同派出所巡査に呼び止められたが、そのまま疾走したので、同巡査が申請人の自動車にしがみついて停車するよう命令したのに、これを聞入れず同巡査に治療約二週間を要する傷害を与え、そのため会社は大阪府南警察署より呼出を受け厳重なる説諭を受けた。そこで会社は申請人に対し厳重に訓戒すると共に申請人をなるべく軽い処罰で済ませてもらうため、伊藤悦良専務取締役、上田実車輛主任が同署の行武交通係長に面会し、特別寛大な処置を嘆願したところ、右係長は申請人の行為は悪質極まると憤慨したが、今回に限り公務執行妨害罪は不問に附することにしてくれ、申請人の略式命令で業務上過失傷害及び道路交通取締法違反罪により罰金三千円に処せられた。

2、しかるに申請人は、又同年九月十四日、大阪市東区淀屋橋交叉点において、駐車違反を犯し、同交叉点交通係巡査より呼び止められたのに拘らず、そのまま疾走したため、大阪府東警察署より会社に再三の出頭要求があつたので、会社はその都度申請人に出頭を促したが、申請人は出頭せず、そのため会社は厳重なる説諭を受けたので、申請人を厳重に訓戒した。

3、ところが、申請人は右の如く会社より厳重なる訓戒を受けているのに拘らず、昭和三十二年二月十四日午後十時頃、大阪市北区航空ビル前の駐車禁止区域において、駐車していたところを、曾根崎警察署交通係巡査佐藤某、槐島某、片岡某の三巡査に現認され、運転免許証の呈示を要求されたところ、これに応ぜず、そのため同署に連行され、取調にあたつた佐藤巡査に暴行を加え、これを抑制した寺岡巡査部長に全治五日間を要する傷害を与え、そのため会社の伊藤専務取締役が同署に呼び出されて、厳重なる説諭を受け、申請人は同月二十七日大阪簡易裁判所に公務執行妨害罪等で起訴された。

以上のとおり、申請人は会社より再三に亘る訓戒を受けたのに拘らず、会社の指示、命令を無視し、交通取締の警察官に三度も暴行を加えながら、何ら自己の行為を反省することなく、かかる申請人の行為を放任するときは、会社内の秩序を乱し善良な運転手に及ぼす影響が大であるので、会社は昭和三十二年二月十六日、緊急幹部会を開き、申請人の右行為につき懲戒解雇処分に附する旨の動議がなされ、そのため同日より申請人に出勤停止を命じ、同月十八日再び幹部会を開いて審議した結果、申請人の右行為は就業規則第六十四条第二号「他人に暴行を加えたとき」第七号「訓戒を受けたにも拘らず尚改悛の見込なきとき」第八号「業務上の指示、指令に従わず会社職場の秩序を紊したり紊そうとしたとき」第九号「罰金又は体刑以上の刑に処せられる犯罪を犯したもの」第十号「勤務怠慢、素行不良、又は規則、指示の違反、反抗により会社の風紀秩序を紊したり紊す虞あるとき」の各懲戒解雇事由に該当するものとして、懲戒解雇処分に附する旨決定され、同月二十日申請人に対し懲戒解雇の通告をなしたのである。

(二) 会社は昭和二十七年四月十五日設立され、元商号を世界交通株式会社と称していたが、昭和二十九年七月二十五日、現商号に変更したもので、就業規則は設立と同時に労働基準法の精神に則り従業員代表の意見を聴いた上作成し、行政官庁に届け出て、昭和二十七年四月十九日から実施しているものであり、右就業規則を適用して従業員の懲戒その他を現に実施しており、所轄阿倍野労働基準監督署長も昭和二十九年十二月二十日、従業員太田信三の、昭和三十年二月二十五日、従業員山本房次郎の各解雇予告手当除外認定をなすにあたり右就業規則を検討して認定しているのであつて、その後昭和三十年四月一日、労働者の過半数で組織する労働組合の意見を聴いた上、一部変更して行政官庁に届け出、従業員の自由に出入し見易い箇所に掲示してその周知を期しており、現に申請人入社の際も右就業規則を遵守することを誓約させて採用したのであつて、本件懲戒解雇は右就業規則に準拠してなされたものである。又右就業規則第六十二条第五号には「懲戒解雇は予告期間を設けないで解雇する。但し行政官庁の認定を受ける」と規定されているが、右は労働基準法第二十条第三項の解雇予告手当の除外認定を受ける趣旨であるから、同条第一項に従い、三十日分の平均賃金を解雇予告手当として申請人に支給した以上、解雇の手続も正当であるというべきである。

三、以上のとおり、申請人の主張はすべて理由なく、本件解雇は有効であるから、その無効を前提とする本件申請は失当である。

第三、疎明関係<省略>

理由

一、解雇通告

被申請人会社は従業員九十七名を擁し、乗用自動車三十輛を有して一般旅客運送業を営む株式会社であり、申請人は昭和三十一年一月二十六日会社に入社し、爾来タクシー運転手として勤務していたものであり、かつ同年四月本採用と同時に従業員中四十五名を以て組織する南都交通労働組合の組合員となつたものであるが、会社は申請人に対し、昭和三十二年二月十六日出勤停止を命じ、同月二十日就業規則第六十四条第二、七ないし十号に基く懲戒解雇の通告をなしたことは当事者間に争がない。

二、解雇に至る経過

証人浜内兵一の証言、同上田実(第一回)、同岡井実蔵の各証言(一部)及び申請人本人訊問の結果並びに被申請人代表者本人(第一回)訊問の結果(一部)を総合すると、次の事実が疎明せられる。

申請人は、昭和三十一年四月本採用と同時に組合員となつたが、当時組合においては、同年六月の夏季手当の要求及び同年七月から実施された昼夜二部制問題等について、執行委員長岡井実蔵等の執行部は、組合大会を開いて下部組合員の意見を求めることなく独断で会社と交渉し或は会社側から提案されて始めて組合員にはかる等の状態で、全く弱体化していて、組合員の中には、組合脱退の意向をもらすものすらあつたので、申請人はこれらのものを説得して脱退を思いとどまらせると共に、同年十一月頃から、組合の現状に不満を抱く川中藤治郎等の有志二十名位と申請人宅で三回、右川中宅で二回、秘密裡に会合し、昭和三十二年一月二十四日の組合大会に備えて、役員候補者のリストを作り組合の強化について寄々協議した。ところが、当日組合大会直前の点呼のとき、会社代表者木元忠雄は、約四十名位の従業員に対し「今日の組合大会の役員選挙について、一部の煽動分子が策動しているようであるが、その口車に乗るようなことのないように。今年の夏季手当も既に決定していることだし、誰が役員になつても会社のやり方は変らない」旨発言し、申請人等の右組合強化対策を察知して、暗に申請人等を排斥するような言動をなしたが、右大会において、川中藤治郎が執行委員長に、申請人が書記長に、その他申請人等の協議推薦した候補者が大部分執行委員に選出された。そして早速新執行部のもとにおいて執行委員会を開き、教育宣伝部等の専門部の設置、他の組合との連絡など組合の民主化と組織の確立のための新運動方針を決定し、活溌な運動を展開しようとした矢先、申請人に対する本件解雇となり、組合はその後間もない同年二月二十四日解散消滅するに至つた。(組合が解散したことは当事者間に争がない)乙第五号証、乙第十三号証及び証人岡井実蔵、同上田実(第一回)の各証言並びに被申請人代表者本人(第一回)の供述中、右認定に反する部分はにわかに信用できないし、他に右認定を覆すに足る疎明はない。

三、解雇の効力

申請人は、本件解雇は、申請人の正当な組合活動を排除しあわせて会社の意思に反して組合書記長に選出された申請人を解雇することによつて組合を壊滅ないし弱体化する意図のもとに行われたものであつて、会社の主張する懲戒解雇の事由は単に形式的な理由にすぎず、不当労働行為として無効であると主張するので、以下この点につき会社側の主張と対比しながら検討することとする。

(一)  証人田中幸夫、同馬子田二一の各証言、同上田実(第一回)、同岡井実蔵の各証言(一部)及び被申請人代表者本人(第一、二回)訊問の結果(一部)を総合すると、次の事実が認められる。

1、会社には従来労働組合が存在しなかつたが、昭和二十八年七月三十日、杉野晶男が中心となつて、従業員約八十名を以て南都交通労働組合(第一組合)を結成し、直ちに総評に加入し、当初は総評と連絡をとり、磯部営業部長の解雇要求闘争などを行つて活溌な運動をしていたが、会社は組合結成後間もなく、組合結成の中心人物であつた右杉野に下車勤務を命じ、更に執行委員長松本秀雄をキヤバレー等に饗応して買収し、このため組合は結成後半年も経過しないうちに御用組合化するに至つた。

2、そこで、これを不満とする副委員長浦川良夫は、昭和二十九年十月末開かれた組合大会において、右松本委員長の解任を要求し、あらたに右浦川が執行委員長、田中幸夫が副委員長、馬子田二一が書記長にそれぞれ選出された。そして右大会後、会社に対し右松本の行為は組合の組織を紊すものであるから解雇するよう申し入れ、団体交渉を行つたが、会社はこれを拒否した。ところが昭和三十年初項、右松本が中心となつて従業員約十四、五名を以て南都交通従業員組合(第二組合)を結成するに至つた。

3、会社は右第二組合が結成されるや、給料の前借等について第一組合員より第二組合員を優遇し、新入社員に対しては組合運動をしないことを誓わせ或は第二組合に加入することを薦めたため、自然新入社員は第二組合に加入するようになり、第二組合は結成後一ケ月位の間に五十名位に増加し、これに反して第一組合は次第に組合員が減少するに至つた。

4、昭和三十年一月頃、会社は組合書記長馬子田二一に対し、同人がメーターを倒さないで不正に乗客を輸送したことを理由に解雇を要求し、後日街頭調査会の報告により街頭調査員の誤報であることが判明したのに拘らず、同人が他に友人を助手席に乗せて運転したことを理由に解雇を撤回せず、止むなく同人は退職するに至つた。ついで同年九月頃、会社は組合副委員長田中幸夫に対し、同人が元会社従業員井登正信を大阪市難波より奈良県郡山市まで乗客として輸送した際、偶々右井登が所持金不足のため信太山の実家より収金してくれと頼まれたので、かかる場合は運転手が会社に対し「本人未収」として届出れば後日運転手の給料から右運賃を差引くことになつており、当時従業員の中にもそのようにしていたものがあつたので、同人も「本人未収」として会社に届出、後日右井登宅に収金に行つたところ、メーター料金以上を支払つてくれたので、同人は余分をチツプとして受取り、これを費消したことがあり、このことがその後再び入社して第二組合員となつた右井登より会社に伝わり、会社はこれをとらえて、料金の不正着服であるとして、同人に解雇を要求した。同人はメーター料金以上はチツプとして受取つたのであり又運賃も「本人未収」として届出た場合には給料から差引かれることになつていたから、費消したのであつて、何ら不正着服でないと抗議したが、会社は同人の言分を聞き入れず、そのため同人も止むなく退職するに至り、このため組合は全く弱体化するに至つた。

乙第十三、十四号証及び証人上田実(第一、二)、同岡井実蔵の各証言並びに被申請人代表者本人(第一、二回)の供述中、右認定に反する部分は措信しない。

以上1、ないし4、の各事実に徴すれば、会社は組合の存在を嫌悪し、常に活発な組合幹部を排斥し或は買収することにより組合を弱体化する意図のもとに行動してきたことがうかがわれるのであつて、以上の事実を考慮に入れつつ、以下被申請人の主張する各懲戒解雇事由を検討した上、本件解雇の効力について判断する。

(二)  成立に争のない甲第四号証、同第五号証、証人上田実(第一回)の証言により成立を認める乙第二号証の一、二、三、同第三号証、同第四号証に証人上田実(第一回)の証言(一部)及び申請人本人訊問の結果並びに被申請人代表者本人(第一回)訊問の結果(一部)を総合すると、次の事実が疎明せられる。

1、申請人は昭和三十一年二月二十六日、大阪市南区道頓堀筋の通行禁止道路を運転通行したのであるが、当時右道路は通行を或る程度黙認されていたので巡査に一応断つておけばよいものと考え、同区日本橋南詰巡査派出所前に停車したが、巡査が不在だつたので、そのまま立ち去ろうとして運転を始めたところ、突然同派出所森久雄巡査が進行中の申請人の車のドアに手をかけたためドアが開いて同巡査は治療約一週間を要する右大腿筋挫傷の傷害を受けるに至つた。このため申請人は同年六月九日大阪簡易裁判所において略式命令により道路交通取締法違反罪で罰金三千円に処せられたが、傷害の点は不問に付せられた。そして当時会社の伊藤悦良専務取締役より「会社からも見舞に行つておいたから、お前も行つておけ。巡査も動いている車に手をかけて阿呆やな」といつた話があつただけで、別に会社からの訓戒はなかつた。

2、申請人は同年九月十四日、大阪市東区淀屋橋交叉点を通行中、同交叉点交通係巡査から呼び止められたが止まらなかつたため、大阪府東警察署より二回に亘り呼出を受けたが出頭しなかつたところ、会社の上田実車輛主任より更に呼出を受けていることを告げられた。そこで申請人としては、別に交通違反を犯したわけではなかつたが、再三の呼出があるので、同署交通係に出頭したところ、淀屋橋交叉点巡査派出所に行くように云われたので、同所に出頭した。ところが同所巡査は「お前か。もうよいから帰れ」と云つただけで、申請人は別に処分を受けなかつたので、帰社後右上田にそのことを報告すると「そうか」と云つただけで、会社から別に訓戒は受けなかつた。

3、申請人は昭和三十二年二月十四日午後十時頃大阪市北区小松原町航空ビル前横断歩道上において、前方を進行中の車が停車信号のため停車したので、申請人も一旦停車したところ、同所に居合わせた曾根崎警察署交通係巡査佐藤、槐島、片岡の三巡査より、駐車違反の嫌疑で取調を受け、同巡査より運転免許証の呈示を求められたのにその呈示をしなかつたため、曾根崎警察署に連行せられた。同署において、申請人が運転免許証を呈示した上、呼ばれて取調室に入つて行くと、他の巡査より「貴様。誰がこんなところへ入れろと云つた。出て行け」というなりその場に突き倒されたので、昂奮した申請人が同巡査に向つて、語気を強めて反抗的な態度で、「入れというので入つた」と云つたところ、同所に居合せた四、五人の巡査より「こんなところへ来て暴れやがつて」というなり、殴つたり蹴つたりされたので、これを防ぐのに夢中となりその際佐藤巡査が治療約五日間を要する左手背挫創の、寺岡巡査が治療約七日間を要する左下腿挫創の各傷害を負つたが、申請人も亦、治療約七日間を要する負傷をした。(もつともこの件につき申請人は同年三月十九日、大阪簡易裁判所において、駐車禁止違反、佐藤巡査に掴みかかつて負傷せしめた所為ありとして道路交通取締法違反罪及び傷害罪により罰金三千円に処する旨の略式命令を受けたが、申請人はこれを不服として、正式裁判の申立をなし、現在同裁判所において審理中である)。

被申請人は、右1、の森巡査の傷害及び3、の佐藤、寺岡両巡査の傷害は、いずれも申請人の暴行に基くもので、申請人の行為は公務執行妨害罪に該当すると主張するが、前記乙第三号証、同第四号証、証人上田実(第一回)の証言及び被申請人代表者本人(第一回)の供述中、右に沿う部分は、いづれも伝聞事項の執告書または供述であつて、その内容からみても針小棒大に誇張されたかたむきがあり、現に森巡査の傷害については起訴、処罰もなかつた事実に照しにわかに信用できず、その他これを認めるに足る疎明はない。

(三)  一方、証人浜内兵一、同馬子田二一、同上田実(第一回)の各証言及び被申請人代表者本人(第一、二回)訊問の結果を総合すると、

1、会社において、従来道路交通取締法違反罪により罰金刑を受けた従業員は多数いるが、これによつて懲戒解雇されたものは一人もいないこと

2、昭和二十八年一月頃、会社がツバメ交通株式会社を買収した当時、会社社長宅で新年宴会があり、その時旧ツバメ交通株式会社の従業員と会社の従業員とが十五名位で集団で喧嘩をし、負傷者まで出したが、別に会社より処分を受けなかつたこと

3、その頃、会社従業員岡本某が同荒川弥六の時計を盗んだとかいうことで、同人等が会社社長宅裏で喧嘩をし、荒川がスコップで岡本を殴打し、社長がこれをとめたことがあつたが、同人等は別に会社より処分を受けなかつたこと

4、昭和二十九年頃、馬子田二一、塩川勇、中野光数の三名が飲酒の上、些細なことから、大丸百貨店の配達人を殴打し、パトロールカーでかけつけた警察官をも殴打したため、三日間、大阪府西成警察署に留置され、会社の伊藤専務取締役が迎えに行つたことがあつたが、同人等は別に会社より処分を受けなかつたこと

が夫々疎明せられる。

そして成立に争のない乙第一号証の一、同二十号証の一、二、被申請人代表者本人(第二回)訊問の結果により成立を認める乙第十九号証に証人南部健治の証言及び被申請人代表者本人(第二回)訊問の結果を総合すると、会社は旧商号世界交通株式会社当時の昭和二十七年四月十九日就業規則を作成し、その後昭和三十年四月一日一部変更し、会社の事務所及び点呼場に掲示して、これを実施してきたことが認められ、(尤も成立に争のない甲第三号証によれば、右就業規則は所轄労働基準監督署長に届け出てないことが認められるが、就業規則はこれを作成し、実施している以上、行政官庁に届け出てなくても、その効力には影響がない)、右就業規則によれば、第六十四条第二号には「他人に暴行を加え又はその業務を妨害したとき」、第七号には「譴責、訓戒、出勤停止、減給を受けたにも拘らず尚改悛の見込なきとき」、第八号には「業務上の指示、指令に従わず会社職場の秩序を紊したり紊そうとしたとき」、第九号には「罰金又は体刑以上の刑に処せられる犯罪を犯したき」、第十号には「勤務怠慢、素行不良又は規則、指示の違反、反抗により会社の風紀秩序を紊したり紊す虞のあるとき」と規定され、右の各場合には懲戒解雇とする旨規定されており、申請人の前記(二)1、の行為は一応右第九号に該当するけれども、前認定の犯情に照するとき、極めて軽微な犯行であり、タクシー営業の運転手として、かくの如き交通違反の絶無は期待し難い事情にあつて、会社も従来これを不問に付していたものであることは前記(三)1、の事実に徴し、窺われるのであるから、右はいまだ懲戒解雇には値しないものというべく、前記(二)2、の行為は右懲戒解雇事由のいずれにも該当しないこと明らかであり、前記(二)3、の行為も亦懲戒解雇事由に該当するものとは認め難い。仮りに申請人が前認定の如く、交通取締警察官に対し運転免許証の呈示を拒んだり或は警察官に対し反抗的な態度をとつた点が、右懲戒解雇事由のいずれかに該当するものとしても、前記(三)2、3、4、の各事実並びに被申請人代表者本人(第一回)訊問の結果により認められる申請人は平素非常に仕事に熱心でいわゆる水揚げも多く勤務成績のよかつた事実を考慮に入れると、被申請人会社のようにタクシー営業を営む会社にとつて交通取締の任にあたる警察官に対し右のような態度をとることは必ずしも看過することのできないものではあつても、解雇を以て懲戒しなければならない程重大なものとは考えられない。

そして、会社が組合結成以来、常に活動的な組合幹部を排除して組合の弱体化を企図としてきたことは前述のとおりであり、前記認定の申請人に対する本件解雇に至るまでの経過を考慮に入れると、申請人に対する本件解雇も、右の一連の措置として、申請人の組合における地位及び正当な組合活動を理由とする不当な差別待遇の意思をその真の処分原因とするものであつたと認めるのが相当であり、前記懲戒解雇事由を以て本件解雇の理由となす意思であつたとは到底考えられない。

従つて、申請人に対する本件解雇は労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為たる点において、無効であるといわなければならない。

四、仮処分の必要性

以上の次第で、被申請人の申請に対する本件解雇は、その余の点について判断するまでもなく、無効であるから、申請人は依然会社の従業員としての地位を有するところ、昭和三十二年二月十六日当時申請人が会社より平均賃金として一日金千百九十七円の支払を受けていたこと並びに申請人が本件解雇後、会社より三十日分の平均賃金を受取つていることはいずれも当事者間に争なく、賃金の支払期日が毎月末日であつたことは被申請人の明らかに争わないところであり、また、被申請会社が、不当にも解雇の有効を主張し、申請人の就労を拒否して来た関係にあることは、弁論の全越旨に照して明らかなところであるから、申請人は被申請人に対して本件解雇の翌日より三十日を経過した昭和三十二年三月二十三日より毎月末日限り一日金千百九十七円の割合による賃金を請求し得るものである。そして申請人本人訊問の結果によれば、申請人は自己の収入で両親を養いかつ賃金を以て唯一の生活の資としている賃金労働者であることが疎明され、本件解雇後その生活に困窮していることが容易に推認されるので、本件仮処分はこれを求める緊急の必要性があるものといわなければならない。

五、結論

よつて申請人の本件仮処分申請は、申請人の従業員たる地位の形成ならびに昭和三十二年三月二十三日以降毎月末日限り前認定の賃金の支払を求める限度においてその理由があるから、保証を立てしめないでこれを認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 金田宇佐夫 戸田勝 塩田駿一)

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