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大阪地方裁判所 昭和32年(ワ)3295号 判決 1962年5月07日

原告 村田カネ 外一一名

被告 国

訴訟代理人 藤井俊彦 外六名

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者双万の申立

原告訴訟代理人は、「被告は、各原告にたいし、別表最下段「本訴請求額合計」欄にそれぞれ記載した金員、および、各これにたいする、昭和三二年八月四日以降支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員、を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決をもとめ、被告指定代理人は、主文同旨の判決をもとめた。

第二、原告訴訟代理人の主張

一、(事故が発生した暗渠およびマンホールについて)

豊中市大字北刀根山字待兼山一六五番地にある通称刀根山山の池(約一、二〇〇余坪、以下山の池という)は、北刀根山部落の所有であり、桜井谷農業協同組合北刀根山支部実行組合がこれを管理し、同池の南方にある農地までのあいだに設けられた長さ一〇〇メートル巾約一四メートルの開渠を利用して通水し、古くから同池の水を附近一帯の農地のかんがい用に使用してきた。ところが、アメリカ進駐軍は、昭和二三年ごろ伊丹飛行場に進駐屯するにさいし、同飛行場および附近一帯を接収したが、さらに、軍要員ハウス四五戸を建設するなどのため、前記山の池附近で約七五〇〇〇坪の土地を必要とし、同池の南方一帯を同池の南端堤防敷地まで接収し、同堤防に接着して鉄条網を張りめぐらし、軍要員以外の者がその内部へ立入ることを禁止した。このため、従来の開渠は、右接収地域内に存在することになつたが、その後も、当分のあいだはそのまま存置され、従前どおり山の池からの水を通し、かんがい用水の水路として利用されていた。

しかし、そのごになつて、アメリカ駐留軍当局は、軍要員およびその家族の開渠への転落防止と衛生上の見地から、また、その埋立地上をも利用する目的のもとに、前記開渠を埋立てて廃止し、これにかわる用水路として、従来の開渠の西側に、長さ約一〇〇メートル直径一メートルたらずのコンクリート管を布設して暗渠(以下本件暗渠という)をつくり、昭和三〇年七月ごろ、同暗渠の山の池がわ(上流)のはしに、あらたに接続マンホール(以下本件マンホールという)を設けて、もとからある山の池と開渠とのあいだに埋められていた木管樋のはし(下流出口)と右コンクリート管とを連絡した。以上の工事は、アメリカ駐留軍当局の設計にもとづき、その直営工事として、アメリカ駐留軍要員(営繕技師)兼通訳のハリー吉田の現場監督のもとに施行されたものであり、この結果、山の池の用水はもとからの木管樋を通つたうえ、いつたん本件マンホール内に注ぎ、そこから新設のコンクリート管を通つて下流に流れる仕組となり、このようにして、従来の開渠が暗渠にとつてかわつた次第である。

二、(本件暗渠およびマンホールにたいする占有と管理の所在について)

およそ、アメリカ駐留軍が接収した地域において、その使用、運営、防衛または管理にかんし、同駐留軍が絶対的な権利、権力および権能を有すること、ならびに、軍要員以外の者が接収地域内に立入ることができないことは、当時効力を有した「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定」(以下旧行政協定之いう)第三条第一項にさだめるところである。そして、本件暗渠およびマンホールは、鉄条網で外部と区画され、軍要員発以外の者の立入りが禁止されていた、アメリカ駐留軍の占有管理する接収地域内に存在したものであり、しかも右各工作物は、前記のとおり、アメリカ駐留軍が、自己の便益のため、みずからの設計と直営工事のもとに布設したもので、工事終了後地元農業協同組合または関係農民たちがこれにたいする占有権、所有権などの移譲をうけた事実もないから、その占有および管理がアメリカ駐留軍に属したことはあきらかである。げんに、関係農民たちが後記のごとく本件マンホールにはいるにさいしても、駐留軍の命により、それぞれの駐留軍係員または検問所、あるいは担任M・Pをへて、係官の正式許司書の発行をうけたうえ、監視員つきそいのもとに現場に立入るという、まことに厳重かつ複雑な手続が必要とされたのである。

被告は、本件マンホールおよび暗渠にたいする占有と管理がアメリカ駐留軍に属さなかつたと主張し、その根拠として、駐留軍はこれを設置する義務がなく、ただ農業協同組合等地元農民がわの陳情により、人道上好意的にこれを布設したにすぎない、と主張するのであるが、旧開渠が附近の農民の農業にとり必須のものであつたことは、その性質上いうまでもなく、駐留軍が自己の駐留目的を達するためこれを廃止するにさいしては、このため永久的にこうむる関係農民の損害を補償するのが当然であり、この補償をしない以上、旧開渠にかわる水路を築造することは、入道上はもちろん法律上当然の義務というべきであるから、本件暗渠およびマンホールの設置をさして、恩恵的なものである、とする被告の前記主張は失当である。

三、(事故の発生について)

山の池からの給水は主としてかんばつ時以外にはその必要がないので、前記工事終了後もしばらくのあいだは新設備を使用することがなく、翌昭和三一年夏になつて、下流一帯の農地にたいするかんがいのためはじめて給水の必要が生じ、同年八月三日、山の池の用水樋の入口を解散したが、水は通らなかつた。そこで、関係農民は、いろいろと研究したすえ、これは本件暗渠およびマンホールの新設工事の不備に原因するものと考え、アメリカ軍当局にその旨を訴えるとともに、検問所係員を通じて新設用水路に入渠して調査したい旨申出た結果、最終責任者であるアメリカ合衆国軍隊第六〇一六空軍基地中隊中隊長空軍大佐サミユエル・エル・メイズからの入渠の許可を得、用水不通の原因を探究し、これを除去するために、昭和三一年八月四日午前八時半ごろ、

(1)  まず、村田丑松が暗渠入口の本件マンホールに長さ二間あまりのはしごをかけて下へおりたが、そのまま消息なく、

(2)  これは同人が足をすべらしたものではないかと考え、続いて村田庄太郎が「村田しつかりせよ」と呼びながらマンホール内にはいつたが、これまたたおれ、

(3)  ここにいたつて、現場に立会つていた農地開係人は、以上の事故はガス中毒のためではないか、と懸念し、ただちにアメリカ駐留軍消防員に通告して防毒マスクを借り、森田光造がこれをつけてマンホール内にはいつたが、息苦しいといつていつたん地上に出、マスクの着用を整えなおしたうえふたたび降下し、まず村田庄太郎をロープにくくり、地上の消防員および農民の手でこれをひきあげたのち、つづいて村田丑松をひきあげるべく準備中、森田もまたマンホール内でたおれてしまつた。そこで、地上の関係人がアメリカ駐留軍当局にもその旨を伝え、軍当局がわもかけつけて防毒具を着用のうえマンホール内にはいり、右森田をひきあげた。このようにして、ようやくのことで村田丑松、村田庄太郎および森田光造の三名(以下村田ほか二名という)をマンホール内からひきあげたが、同人らは、手当のかいなく、いずれもそのばで死亡し、ただちに市立豊中病院または阪大病院石橋分院に収容して手当を加えたが、ついに甦生するにいたらなかつた。

同人らが死亡した直接の原因は、本件マンホールおよび暗渠内に充満していた悪質の毒性ガスであり、同人らは、このガスのため中毒死したものである。

四、(事故発生の原因について)

アメリカ駐留軍は、本件暗渠およびマンホールの設置工事を終了するにさいし、マンホールの中に落ちこんだコンクリート廃塊十数個、石塊、砂、粘土、赤土、ごみ土などを除去せずにそのまま放置しておき、その後もこれをさらえなかつたが、これらのコンクリート堺等は、本件マンホールの底部に一メートルあまりの高さにわたつて充満し、ことに粘土は、事故発生後エヤーポンプで空気と水を注入し三〇分間にわたつて数回攪拌し、どろどろにとかして汲みあげてもなお溶解しない粘土が多量に残存するほどに堆積していたものであつて、これらのコンクリート塊や粘土などは、本件暗渠の入口を完全に閉塞していた。一方、本件暗渠およびマンホールには、マンホール内における木管樋の出口の方が新設コンクリート管の入口より約一メートル低いうえ、右コンクリート管は適当な勾配がつけれらておらず、しかもマンホールの底に泥溜りが設けられていない、という工事設計上の不備があつた。

以上のような工事施行のさいの手ぬかりと工事施行後の管理の不十分に、工事設計上の欠点があいまつて、本件暗渠およびマンホールの通水が不能になるとともに風とおしがさまたげられ、この結果、工事終了後、マンホールおよび暗渠内に有毒ガスが発生しかつ充満するにいたつた。マンホール内におりた前記村田ほか二名がこの有毒ガスのため中毒死したことは、すでにのべたとおりである。

被告は、村田ほか二名の死因が酸素不足による窒息であると主張するが、マンホール内にはいるにさいしては、マンホールの上部の蓋をとりのぞいてあつたから、たんなる酸素の不足のみでただちに死亡することはない。しかし、かりに酸素不足が死因であるとしても、酸素不足の状態が生じた原因は、右に述べたのと同じく、前記のごとき工事施行のさいの手ぬかりと工事後の管理の不十分ならびに工事設計上の欠点が暗渠およびマンホール内の通水を不能にし、風とおしをさまたげたことにある、といわなければならない。

五、(「日本国とアメリカ合衆国とのあいだの相互協力及び安全保障条約等の締結に伴う関係法令の整理に関する法律(昭和三五年六月二三日法律第一〇二号)」附則第九条、および、右法律による改正前の「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う民事特別法」第二条(以下民事特別法第二条という)にもとづく被告の責任について)

以上にのべたとおり、本件マンホールおよび暗渠は土地の工作物であり、アメリカ駐留軍がこれを占有し、管理していたものであるところ、同工作物については、前記のように、マンホールの底部に多量のコンクリート塊、石塊、砂、粘土、赤土、ごみ土等が堆積して暗渠の入口を完全に閉塞し、かつ、その工事設計上に不備があるという工作物設置上の瑕疵があつたうえ、しかも、その後右マンホール底の堆積物を除去せず、そのまま放置しておくという管理上の瑕疵があつたため、マンホールおよび暗渠内の進水が不能になるとともに、風とおしがさまたげられ、その結果マンホール内およびその周辺に有毒ガスの発生充満(または酸素の不足)をみるにいたり、このため、マンホール内にはいつた村田ほか二名が中毒死(または窒息死)するにいたつた。したがつてその死亡は、アメリカ駐留軍の占有、管理する土地の工作物の設置および管理上の瑕疵に原因するものというべきであり、被告国は、民事特別法第二条、民法第七一七条にもとづき、右各死亡によつて生じた損害を賠償しなければならない。

被告は瑕疵と死亡事故とのあいだの因果関係の存在を争い、なるほど、前記瑕疵のほかに有毒ガスめ発生充満(または酸素不足)という自然事実があいまつて、右各死亡事故が発生するにいたつたことはまちがいのないところであるが、このように土地の工作物の設置および保存上の瑕疵と自然事実が相結合して事故が発生し、損害が生じたばあいであつても、事故と瑕疵とのあいだに相当の因果関係があるということをさまたげないし、また、本来用水の流下を目的とする本件暗渠およびマン戸ールが通水不能の状態にあり、マンホール内にはいることなしにその原因を探究しこれを除去することが不能であつたので、村田ほか二名は右原因の探究と除去のためマンホール内にはいり、そこに充満していた有毒ガス(または酸素の不足)によつて死亡したのであるから、この面から考えても、前記瑕疵と右死亡事故とのあいだには相当の因果関係のあることがあきらかである。

六、(前同様の意味での民事特別法第一条にもとづく被告の責任について)

かりに、被告が民事特別法第二条にもとづく責任をおわないとしても、被告は民事特別法第一条にもとづく責任をおわなければならない。村田ほか二名の者らは、本件マンホール内にはいるにさいし、アメリカ駐留軍当局から、最終責任者である第六〇一六空軍中隊中隊長空軍大佐サミユエル・エル・メイズの許可をうけているのであるが、暗渠の継続的な閉塞により水および空気の流通がさまたげられ、右マンホール内およびその周辺に有毒ガスが発生充満し(または酸素の不足をきたし)ていた事実は、高度の科学的知識をもち、かつ、その設置工事をみずからおこなつた駐留軍当局において当然予測し得るところであり、しかも通水不能の原因の探究と除去は本来駐留軍がみずから実施すべきちのであるのを、農地関係人が代行するのであるから、入渠者が科学的知識にとぼしい農民である以上、駐留軍当局が右許可をあたえるにさいし、あらかじめ事故発生の危険がある旨注意をするなどして、事故の発生を事前に防止するにたる措置をとる義務をもつことは、社会通念上当然のことといわなければならない。しかるに、駐留軍は、このような処置をおこたり、本件事故を発生するにいたらせたのであるから、該事故の発生につき過失があつたというべきである。すなわち、前記中隊長その他の駐留軍関係者は、その職務をおこなうにつき過失によつて、本件の死亡事故を発生するにいたらせたのであるから、被告は、民事特別法第一条、国家賠償法第一条第一項にもとづき右死亡の結果生じた損害を賠償しなければならない。

なお、被告は、アメリカ駐留軍のあたえた許可は、接収地域への立入許可の趣旨にすぎないと主張するが、本件マンホールおよび暗渠にたいする占有管理はアメリカ駐留軍に属し、しかも、立入の目的が暗渠の通水不能による内部調査のためであることは、立入の許可をもとめたさいに、明確に申告し、駐留軍当局もその申立が理由あればこそ許可をあたえたのであるから、右許可がマンホール内へはいることをも許可する趣旨のものであつたことはあきらかである。

七、(事故によつて生じた損害等について)

(一)  亡村田丑松は、死亡当時の年令六六歳四ケ月、財産として家屋敷を所有し、主として自家で耕作した野菜類の行商をいとなみ、年間二〇万円以上の収入を有し、これと、原告村田源治の収入とをあわせて原告村田カネ、同村田勇および同村田浜子の同居家族を扶養していたものであるが、死亡時より生存可働年令七〇歳まで三年八ケ月の収入額七三三、三三二円から、丑松じしんの生計費二分の一を差引くと、純収入額金三六六、六六六円が得られるところ、ホフマン式計算法によつて年五分の中間利息を控除すると、その現価は金三〇五、五四七円になる。これが本件事故により同人に生じた財産上の損害額であるところ、原告村田カネ、同村田源治、同村田勇および同村田浜子の四名は、同人と別表記載のとおりの身分関係があり、それぞれ、別表記載の相続分に応じて、右同額の損害賠償請求権を相続した。

また、右原告村田カネほか三名は、夫または父にあたる村由丑松の本件事故による死亡のため、精神上多大の苦痛をこうむつたが、これを慰籍するには各金二〇万円の慰藉料が相当であり、それぞれ被告にたいし、これと同額の固有の損害賠償請求権をもつにいたつた。

(二)  亡村田庄太郎は、死亡時の年令四六歳、財産として家屋敷、田畑六反歩および山林を所有し、農業をいとなんで年間二五万円以上の収入を有し、これで原告村田キヌ、同村田正子、同村田栄子、同村田俊明および同村田シズ子の同居家族を扶養していたものであるが、死亡時より生存可働年令七〇歳まで二四年間の収入額六〇〇万円から、庄太郎じしんの生計費三六〇万円(年間一五万円)を差引くと、純収入額二四〇万円が得られるところ、ホフマン式計算法によつて年五分の中間利息を控除するとその現価は金一、〇九〇、八〇〇円になる。これが本件事故により同人に生じた財産上の損害額であるところ、原告村田正子、同村田栄子、同村田俊明および同村田シズ子の四名は、同人と別表記載のとおりの身分関係があり、それぞれ、別表記載の相続分に応じて、右同額の損害賠償請求権を相続した。

また、原告村田キヌならびに右原告村田正子ほか三名は、子または父にあたる村田庄太郎の本件事故による死亡のため、精神上多大の苦痛をこうむつたが、これを慰籍するには各金二〇万円の慰藉料が相当であり、それぞれ、被告にたいし、これと同額の固有の損害賠償請求権をもつにいたつた。

(三)  亡森田光造は、死亡時の年令四八歳、不動産を所有しないが、理髪業をいとなんで年間二五万円以上の収入を有し、これで原告森田コウ、同森田光信および同森田孝夫の同居家族を扶養していたものであるが、死亡時より生存可働年令七〇歳まで二二年間の収入額五五〇万円から、光造じしんの生計費三三〇万円(年間一五万円)を差引くと、純収入額二二〇万円が得られるところ、ホフマン式計算法によつて年五分の中間利息を控除すると、その現価は金一、〇四七、四二〇円になる。これが本件事故により同人に生じた財産上の損害額であるところ、原告森田コウ、同森田光信および同森田孝夫の三名は、同人と別表記載のとおりの身分関係がありそれぞれ、別表記載の相続分に応じて、右同額の損害賠償請求権を相続した。

また、右原告森田コウほか二名は、夫または父にあたる森田光造の本件事故による死亡のため、精神上多大の苦痛をこうむつたが、これを慰籍するには各金二〇万円の慰藉料が相当であり、それぞれ、被告にたいし、これと同額の固有の損害賠償請求権をもつにいたつた。

八、(被告の過失相殺の主張について)

被告は過失相殺を主張するが、村田ほか二名の被害者は、いずれも、科学的知識のない無知の農民であり、農業協同組合の幹部といえどもこれと同様であるのに反し、アメリカ駐留軍当局は高度の科学的知識をもつ有能の人々であるから、被害者のがわに本件事故を予測しなかつた過失があるとはいえず、したがつて右被告の主張は失当である。

九、(結論)

以上のとおりであるから、各原告は、被告にたいし、第一次的には民事特別法第二条にもとづき、第二次的には同法第一条にもとづき、前記七記載の各損害賠償義務の履行をもとめることとし、そのそれぞれにつき、別表中本訴請求額欄記載のとおりの金員、ならびに各これにたいする、本訴状送達の日の翌日である昭和三二年八月四日以降支払ずみにいたるまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払をもとめるため、本訴各請求におよぶ。

第三、被告指定代理人の主張

一、(原告主張事実にたいする認否)

原告主張の一の事実は認める。二の事実中、本件暗渠およびマンホールがアメリカ駐留軍の使用区域内に存在すること、これらの工作物は駐留軍がみずからの設計と直営工事のもとに布設したものであること、駐留軍が事前にその使用区域内への立入を許可したこと、は認めるがその余の事実は否認する。三の事実中、駐留軍当局が事前にマンホール内への入渠そのものを許可したこと、村田ほか二名の死因が有毒ガスによる中毒死であることは否認するが、その余の事実は認める。四の事実中、マンホールの底にコンクリート塊や土砂が堆積していたことは認めるが、その余の事実は否認する。五の事実中、本件暗渠およびマンホールに設置管理上のが瑕疵あつたことは否認する。かりに瑕疵があつたとしても、それと本件事故とのあいだには因果関係がない。六の事実は、駐留軍が事前にその使用区域内への立入許可をあたえた点を除き、否認する。七の事実中、村田ほか二名の年令、職業、収入等は知らない。損害の額は全部争う。

二、(本件暗渠およびマンホール設置の由来とこれにたいする占有、管理の所在等について)

山の池の堤防敷地から南方一帯の地域は、旧行政協定第二条にしたがい、刀根山DH地区として、アメリカ駐留軍家族宿舎の用地に使用されることになつた(国が土地所有者とのあいだで賃貸借契約を結んだうえ、駐留軍の使用に供した)のであるが、その後、同地区に居住する駐留軍家族の危険防止と保健衛生のため、従来同地区内にあつた開渠を埋立てることとし、昭和二九年五月ごろから、駐留軍の手によつて、その工事がおこなわれた。その後、昭和三〇年六月ごろになつて、地元桜井谷濃業協同組合の代表者が駐留軍設備事務所に来訪し、前記埋立工事のため従来利用していた山の池からの非常用かんがい用水の供給が途絶していることを告げ、適当な方法を講じてほしい旨陳情してきた。駐留軍においては、この陳情に応じるべき法律上の義務はなんらなかつた(旧行政協定第三、四条参照)がもつぱら人道的な動機にもとづき、好意的に農民がわの希望をいれることとし、農民が指摘する箇所を堀りかえしてみたところ、山の池から通じている古い木管樋が発見されたので、この木管樋と下流の既存用水施設とを新しいコンクリート管で接続する工事が始められた。そのさい、木管樋の位置は、新しいコンクリート管の位置にくらべて約九〇センチメートル低かつたので、これらの新旧両管を用水が用滑に流通するように、直径約一メートル、深さ四メートルあまりのマンホールが設けられた。これが本件マンホールである。

このように、本件マンホールは、旧行政協定にもとづく駐留軍使用区域の一部が駐留軍の必要によつていつたん埋立てられたのちに、地元農業協同組合がわの依頼により、もつぱら組合員のかんがい用便益のため、駐留軍が人道的動機から好意的に無償で工事を担当して設置した暗渠用水施設の一部であり、(げんに、その布設工事にあたつては、組合がわ代表者の立会のもとに、三回もの通水試験がおこなわれ、その満足を得たうえで工事の進行がはかられている)、工事終了後は、駐留軍において本件マンホールおよびこれをふくむ用水施設を利用したり、支配したり、管理したりするような事実関係はなにひとつなく、かつその意図もなかつたのであるから、工事終了と同時に、これにたいする占有、管理の所在は組合がわに移転しているものと解するのが相当であり、その後は、あたかも地下鉄やガス配給の地下施設のごとく、地表にたいする駐留軍の占有とは無関係に、もつぱら右組合または関係農民が本件マンホールを管理していたものというべきである。

したがつてまた、村田ほか二名の者らがマンホール内にはいるにさいし駐留軍当局があたえた許可も、用水施設の点検清掃のために接収地区内に立入ることにたいする許可にほかならず、マンホール内へはいることじたいは、許可不許可の対象にはなつていなかつたものである。

三、(事故発生の原因について)

村田ほか二名は、有毒ガスのため中毒死したものではなく、酸素不足のため窒息死したものであるが、この酸素不足をもたらしたものは、山の池と本件マンホールとのあいだにあつた木管樋中の有機体による生物学的酸素需要であり、マンホールの底に堆積していたコンクリート塊や土砂とは無関係である。すなわち、事故発生後、用水施設の清掃をしたところ、マンホールの底にコンクリート塊や土砂が堆積していることがわかつたが、これらをとりのぞいたのち、マンホールがわから山の池にむかい、木管樋を通じて高圧による通水をこころみたけれども、失敗におわり、これらの堆積物が原因して用水路を閉塞していたのではなく、古くから設置されていた右木管樋じたいがつまつているために用水の流れなかつたことがはつきりした。はたして、山の池の中にある木管樋の入口を点検したところ、そこは完全につまつており、竹竿を使つて木管の口に穴をあけ、そこからマンホールにむかい高圧ホースで注水した結果、木管樋口から泥土、苔類、雑草類がとりのぞかれ、ようやく用水路が疏通するにいたつた。前記酸素の生物学的需要は、木管樋の中に存在したこれらの泥土や苔類によるものである。したがつて、本件マンホールの底にあつた前記のごとき堆積物が本件事故発生の原因をなしていた旨の原告の主張はあやまりである。

四、(原告が主張する因果関係の存否について)

元来、工作物は、その構造、機能に応じて、それぞれの危険性を内蔵するばあいがすくなくなく、そのような危険性を有するからといつて、それがただちに当該工作物の瑕疵ということはできない。本件マンホールをふくむ用水施設は、地中深く埋設され、常時使用されるものではなく、マンホール入口には蓋があつて換気の機会もない用水のための設備であるから、このような場所において酸素不足の状態が生じることは多くみられるところであり、そのことじたいはいわば工作物に通有の自然現象というべきものである。したがつて、原告が工作物の瑕疵として主張するところも、用水路の閉塞ということに帰するのであるが、かりに、マンホール内の底にあつた前記のごとき堆積物によつて用水路が閉塞し、これが工作物の瑕疵といえると仮定しても、その瑕疵と本件事故の発生とのあいだには相当の因果関係があるとすることはできない。

かんがい用の用水路が閉塞したばあい、これによる損害としては、通常、用水路を清掃するための費用や、田畑にかんがいすることができないため作物の枯死、不作をまねいたことにより喪失した得べかりし利益などが因果関係の範囲に属するものと考えられるのであるが、本件のごとく、暗渠の点検と清掃のためにみずかちマンホール内にはいり、ついに死をまねくなどということは、もし死亡者においてつくすべき注意義務をつくし、不用意に入渠するというようなことさえしなければ、もともと発生する余地のないことであり、しかも、本件のごとき構造と用法をもつマンホールが通常酸素が不足して危険な存在であることは一般になに人においても知りまたは知り得べかりしところであるから、村田ほか二名がこの中で窒息死したことの原因は、もつぱら、同人らが危険防止に適当な措置を講ぜず、不注意にもまんぜんと入渠したことの過失に存するのであつて、それ以上にさかのぼるべきものではない。この原因をもとめて、マンホールの中にコンクリート塊や泥土が堆積していたことにいたるのは、いわゆる相当因果関係の範囲をはるかに逸脱するものである。

五、(駐留軍当局関係者の過失の存否について)

アメリカ駐留軍は、当時効力を有した「日本国とアメリカ合衆国とのあいだの安全保障条約」にもとづいてわが国に駐留したものであり、もともと、特定地域の農民のために農耕用のかんがい施設を管理するような目的をもつものではなく、ことに本件暗渠およびマンホールは、前述したとおり、刀根山DH地区の管理の必要から、同地区内の開渠を埋立てるにさいし、地元農業協同組合の熱心な陳情があつた結果、該工作物の存在は駐留軍じしんにとつてなんらの便益をももたらすものではなく、ただ地元農民の利益になるにすぎないものであるにもかかわらず、駐留軍において、もつぱら人道的動機にもとづき、好意的にその設置工事を担当したものであり、しかも、その工事終了後は、これら地元農民らの手によつて占有し管理されていたのであり、したがつてまた、マンホール内へはいることじたいについてはなんら駐留軍当局の許可不許可の対象とされていなかつたのであるから、この駐留軍当局に、あらかじめ原告主張のような注意をあたえ事前に本件事故を防止すべき法律上の義務があつたとすることはできない。

六、(過失相殺について)

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求はすべて失当というべきであるが、かりに、なんらかの理由で、被告に本件事故の結果生じた損害を賠償すべき責任があるとしても、村田ほか二名の死亡者たちは、本件マンホールの深さが四メートル以上もあること、その前年から一度も通水をしていないこと、マンホールの直径はわずか一メートルぐらいで救出の方法がきわめて困難なことなどをよく知りながら、酸素の有無を検査したり、救助索を体にまいたりするなど危険防止の措置をとることなく、前述のとおり通常酸素不足の状態が生じやすい本件マンホール内に、まんぜんとはいつて、死亡の結果をまねくにいたつたのであるから、この結果の発生について、同人らじしんにも重大な過失があつたというべきであり、したがつて、損害賠償額の算定にあたつては、過失相殺がされなければならない。

第四、証拠<省略>

理由

一、山の池から南方一帯の農地にかんがい用の水を供給するため、従来その間に存在した開渠(延長約一〇〇メートル)が利用されていたが、同開渠の所在地は、旧行政協定にもとづき、アメリカ駐留軍が使用する区域(刀根山DH地区)にふくまれることとなり、同池南がわ堤防上に設けられた鉄条網によつて外部から区画され、同区域内には、駐留軍当局の許可なしに一般人が立入ることが禁止されるにいたつた。そのごも当分のあいだは、右開渠はそのまま存置され、従来どおり山の池からのかんがい用水を通すために利用されていたが、駐留軍当局は、危険防止と衛生上の見地から、右開渠を埋立て、これにかわる用水路として、昭和三〇年夏ごろ、みずからの設計と直営工事のもとに、同区域内において、本件暗渠およびマンホールを設置した。同工事終了後翌昭和三一年夏まで右新設の用水路は使用されなかつたが、同年夏、かんがい用水を通すため地元農民が山の池中の用水取入口を開放したのに、水は流れず、調査の結果、本件マンホールの底にコンクリート堺や土砂が堆積していることが判明した。

以上の事実は当事者間に争いがなく、これに、成立に争いのない甲第一一号証(ただし、後記措信しない部分をのぞく)証人ハリー・ヨンダの証言により真正に成立したことが認められる乙第一、二号証、証人中口友二の証言により真正に成立したことが認められる乙第四号証、証人赤沢憲次の証言により真正に成立したことが認められる乙第五号証の一および二、証人小山新助の証言により、昭和三一年八月二四日本件マンホールの底からひきあげられた土砂およびコンクリート塊等の状態を撮影した写真であることが認められる検甲第一、二号証、証人ハリー・ヨシダ、同小山俊次、同小山新助、同村田伊三郎、同中口友二、同永井迪夫および同柳原勝の各証言(ただし、証人ハリー・ヨシダおよび同小山新助の各証言は、後記措信しない部分を除く)ならびに検証の結果を綜合すると、本件暗渠およびマンホールが設置されるまでの経過、その構造ならびに通水不能の原因について、さらにつぎの各事実を認めることができる。

(1)  従来、山の池から南方約一〇〇メートルまでのあいだに存した開渠は、同池の堤防の高さよりは低い土盛りの部分によつて上手と下手の二つに分かれており、いずれも池状を呈していたが、右土盛りの部分の地下には、上手の開渠の中央部附近(現在本件マンホールのあるあたり)から下手の開渠の上流がわ端までのあいだに長さ約三〇メートルのコンクリート管が設けられ、このコンクリート管が上手の開渠と下手の開渠とを連絡していた。一方、山の池の岸から約五メートルはなれた池の中に木管樋の取入口があり、そこから、同池南がわ堤防の地下をくぐり、堤防中央部(現在鉄条網のあるところ)から約五・四メートル下流のところ(現在本件マンホールがあるあたり)まで、長さ約一一メートルにわたり、直径約一五ないし一八センチメートルの木管樋が布設され、その出口は、上手の開渠の底で、下流にあたる前記コンクリート管の入口よりさらに約九〇センチメートル低い位置に設けられていた。また、下手の開渠の下流がわ端の底附近には、別のコンクリート管の入口が設けられ、このコンクリート管がずつと下流にむかつて通じていた。

したがつて、山の池中の木管樋の入口から取入れられた同池の水は、前記木管樋を通つていつたん上手の開渠門に流れこんだのち、前記連絡コンクリート管を通つて下手の開渠に注ぎ、さらに同開渠の下流端から前記別のコンクリート管内に取入れられて下流に流れていく仕組になつていた。

(2)  刀根山DH地区を使用するアメリカ駐留軍(アメリカ合衆国空軍第六〇一六空軍基地中隊)は、昭和二九年ごろになつて、危険防止と衛生上の見地から、前記開渠を上手、下手ともに埋立て、その中間にあつた前記土盛りの部分をふくめ、山の池の南がわ堤防とほぼ同じ高さになるぐらいまで地盛りをしたが、そのさい、前記既存の連絡用コンクリート管を、下手の開渠の底とほぼ平行に下流にむかつて約四五メートル延長し、前記下手開渠の下流がわ端の別のコンクリート管入口と接続し、この結果、埋立箇所の地下には、現在本件マンホールのあるあたりで、木管樋の出口より約九〇センチメートル上の位置から、下流万向にむかい、直径約九〇センチメートルの一本のコンクリート管が布設されたことになつた。しかし、右木管樋の出口とこれより約九〇センチメートル上部にあるコンクリート管の入口は離れたまま土に埋もれてしまい、両管の連絡は断たれ、山の池の水は下流に流れなくなつてしまつた。

(3)  そのご昭和三〇年六月ごろ、地元農民がわの代表者が前記空軍中隊当局をおとずれ、右埋立ての結果山の池からのかんがい用水の供給が不能になつたことを告げ、善処されたい旨申立てたので、同空軍施設将校は、これにたいし、山の池が下流に流れるように工事をすることを口頭で約束し、駐留軍の設計と直営のもとに、前記上手の開渠の埋立て部分を堀りかえし、前記木管樋の出口とコンクリート管の入口とを接続するため、マンホールの設置工事が進められ、同年一〇月ごろこれが完成し、該マンホールの上部入口に、厚さ約一〇センチメートル、縦、横各一メートル一〇ないし二〇センチメートルのコンクリート製の蓋がかぶせられて、右工事は終了した。

右工事は、同空軍中隊長および第六七設営技術隊のアーサー・ジエイ・ノーデン少佐の指揮監督のもとに、軍人や軍労務者が従事しておこなわれたものであり、工事現場には軍関係者以外の者は許可がないと立入ることができなかつたが、地元農民がわの代表者二、三名が工事現場で木管樋の出口の位置を指摘したり、工事を手伝つたりし、また、同年八、九月ごろ、マンホールが底から半分ぐらいできあがうたときに、地元農民がわの代表者二、三名立会のうえ、山の池中の木管樋口を開いて通水試験がおこなわれたところ、水がよく流れたので、右立会者たちが軍当局にたいし満足の意を表したこともあつた。

(4)  このようにして設置されたのが本件マンホールであるが、刀根山DH地区を使用するアメリカ駐留軍は、マンホールの設置そのものによつて直接の便益をうけることがなく、同マンホールは、いつたん前記開渠を駐留軍の必要から埋立てたのち、山の池の水がかんがい用水として下流に流れるようにしてもらいたい旨の地元農民がわの要請にこたえるべく、駐留軍がみずから工事を担当して、設置したものである。

(5)  本件マンホールは、直径約九〇センチメートルないし一メートル、深さ約五メートル二〇センチであつて、底の部分には山の池からの前記木管樋の出口穴が設けられ(したがつて、該部分より下になお泥溜りの設けられていないことは、原告主張のとおりである)、底より約九〇センチメートルあがつた位置に、その下端を接して、直径約九〇センチメートルの前記下流に通じるコンクリート管の入口穴が設けられている。したがつて、本件マンホールが設置された結果、旧来の木管樋入口から取入れられた山の池の水は、同樋中を通つてマンホールの底からマンホール内に注ぎ、約九〇センチメートルあがつた位置からコンクリート管に取入れられて、下流に流れる仕組になつたわけであるが、ただ、右コンクリート管の勾配が、すくなくともマンホールの近くでは、上流がわにあたるマンホールよりの方が低くなつていたため、実際は山の池からの注水は、コンクリート管の下端よりやや高い位置まで水位が上昇しないことには、下流には流れていかなかつた。

(6)  ところが、前記通水試験後工事終了までのあいだに、マンホールの底には、工事に使用したコンクリート塊十数個(大きいものはさしわたし約三〇センチメートルくらいに及ぶ)、石数個および粘着性の強い土砂が落ちこみ、これらは、一メートルあまりの高さに堆積し、木管樋の出口とコンクリート管の入口との連絡を断つていたのに、工事終了のさいにもそのまま放置され、その後も除去されておらず、本件死亡事故が発生した昭和三一年八月ごろには、右堆積物を除去するため、高圧ホースによる注水で土をとかし、遊離したコンクリート塊や泥をひきあげるという作業を数回くりかえさなければならないほどに固まつていた。

以上の事実を認めることができ、証人ハリー・ヨシダおよび同小山新助の各証言ならびに甲第一一号証の記載中以上の認定に反する部分は措信することができず、他にこれに反する証拠はない。

二、前記マンホール設置工事終了後、昭和三一年夏になつてはじめて山の池の水をかんがい用のために供する必要が生じ、地元の関係農民が同池中の木管樋の入口を開放したが、水は流れず、駐留軍当局からすくなくともマンホール所在地への立入の許可をうけたうえ、地元農民たちが、通水不能の原因を探究し、これを除去するため、本件マンホール内へはいるにいたつたことは、当事者間に争いがない。そして、証人小山俊次および同村田伊三郎の各証言を綜合すれば、地元農民たちが本件マンホール内にはいるまでの経過につき、つぎの各事実を認めることができる。

(1)  昭和三一年八月三日、山の池の水をかんがい用水として供給するため、関係農民中の月当番の者が山の池中の木管樋の取入口を開放したが、水が流れなかつたので、同日夜地元青年会館に山の池の水を利用する農民たち約二〇名が集つて対策を協議したが、このように水が流れないのは、マンホールの中などがつまつているからではないか、ということになり、これをさらえるため、桜井谷農業協同組合北刀根支部長小山俊次、村田伊三郎、村田丑松、村田庄太郎および柴田米造の五名の地元農民が右作業をおこなうように決められた。右話合いの席上では、駐留軍の手によつて障碍物の除去をうけることは話題にならず、地元の関係農民たちがみずからの手で作業をすることは当然の前提にされていた。

(2)  翌八月四日午前八時ごろ、前記五名に森田光造が加わり、合計六名の地元関係農民たちがリヤカーに棒、綱、バケツなどの道具を積んで刀根山DH地区の入口までおもむき、検問所の係員に、暗渠内を掃除したいから入れてくれと頼んだところ、同係員から、伊丹飛行場にいるM・Pの許可をもらつてこないと中へ入れられないと言われたので、他の五名をその場に残し、小山俊次が同飛行場へ行つて、前記空軍中隊のM・Pに会い、山の池の水が流れないので暗渠が悪いと考えられるからさらさせてくれ、と述べて許可をもとめ、該M・Pは、これにたいし、監視のためC・P一人がつきそう条件のもとに、口頭で許可をあたえた。

(3)  右M・Pの口頭の許可にもとづき小山俊次ほか五名の地元関係農民たちは刀根山DH地区内に立入り、本件マンホールの所在地にいたつたが、ふたたび同現場にいたM・Pから退去をもとめられたので、小山俊次がつきそいのC・Pに書いてもらつていた書面を示すなどして右M・Pの了解を得、本件マンホールの上に、持参した棒でやぐらを組立てて障碍物除去作業の準備を開始し、まず村田丑松がマンホール内にはいるにおよんだ。

以上の事実を認めることができ、証人小山新助の証言中右認定に反する部分は信用することができず、他にこれに反する証拠はない。

三、つぎに、右のようにして本件マンホール内にはいつた村田丑松が消息を絶ち、これを助けるためにはいつた村田庄太郎もそのばにたおれ、さらにこの二人を助けるためはいつた森田光造も村田庄太郎を地上にひきあげたのちマンホール内にたおれ、ようやくのことで右丑松と森田をも地上にひきあげたが、以上の三名がそのまま死亡してしまつたことは、当事者間に争いがない。

右村田ほか二名の死因について考えるに、成立に争いのない甲第七号証ならびに証人永井迪夫および同イー・エルブリツジ・モリル・ジユニアーの各証言を綜合すると、右死亡事故発生後である昭和三一年八月二〇日にマンホール内の気体の成分を検査したところ、一酸化炭素、硫化水素、メタンガス等の有毒ガスは検出されなかつたが、酸素が二・三ないし二・四パーセントの微量であるのにたいし、一二・七ないし一三パーセントの多量の炭酸ガスが含まれており、右酸素の含有量は通常の空気中の約一〇分の一、炭酸ガスの含有量は通常の空気中の約四〇〇倍に達しており、これらは本件マンホール内またはその周辺に存在した有機体の生物学的酸素需要に基因すること、およびこれより先である同月一四日にマンホール内の気体の成分を検査したときにも、有毒ガスは発見されなかつたことが認められ、他に、本件マンホール内に有毒ガスが存在したことを認めるにたらる証拠はない。これらの事情に前記三名がマンホールに入渠してたおれたさいの情況についての争のない事実をあわせ考えると、本件マンホール内にはいつた村田ほか二名の者は、右のごとき酸素の減少と炭酸ガスの増加のため窒息死するにいたつたと推認するよりほかはなく、弁論の全趣旨により真正に成立したことが認められる甲第四ないし第六号証および証人小山俊次の証言中、村田ほか二名の死因がガス中毒であるとしている部分は信用することができず、他に右の推認をさまた廿るべき証拠はない。

四、そこで、以上の各事実を前提にして検討をすすめることとし、まず本件暗渠およびマンホールをアメリカ駐留軍が占萄し、管理していたかどうかについて判断する。

旧行政協定第三条によれば、アメリカ合衆国は、同協定にもとづき同国の使用が許された区域につき、その使用、運営、防衛、管理のため必要または適当な権利、権力、権能を有したものであるところ、本件暗渠およびマンホールの所在地は、同協定にもとづき、アメリカ駐留軍(アメリカ合衆国空軍第六〇}六空軍基地中隊)が刀根山DH地区として、使用している区域内にふくまれ、鉄条網によつて外部とは明確に区別されるとともに、駐留軍当局の許可がないかぎり、地元関係農民といえどもその内部に立入ることができず、ことに、本件暗渠およびマンホールは、アメリガ駐留軍がみずからの必要のためいつたん従前の開渠を埋立てたのち、みずからの設計と直営工事のもとに、一般人の立入を禁止し、所属の軍人や軍労務者を工事に従事させて設置したものであり、工事終了後これにたいする占有または管理を地元の農民や農業協同組合に移譲したものと認めるべき資料もないのであるから、これらのことがら判断すると、本件暗渠およびマンホールは、その所在地たる地上ととも・に、もつぱらアメリカ駐留軍が占有し、管理していたものと考えるのが相当である。もつとも、本件暗渠およびマンホールは、それじたいとしてはアメリカ駐留軍に直接の便益をもたらす施設ではなく、地元農民がわが善処をもとめてきたのに応じ、もつぱら、山の池の水をかんがい用水として通水するという地元農民の便益を目途として設置されたものであるとともに、地元農民がわの代表者が工事や通水試験に立会い、また、昭和三一年八月三日、地元農民が通水不能を発見するや、駐留軍当局に訴えて点検、清掃をうけることなどは考えず、農民たちの手てこの作業をおこなうことを当然の前提とし、みずからその準備をととのえ、作業を開始しているのであるが、これらのこともいまだ前記の判断を左右する事情にはあたらず、他に右判断に反する資料は存在しない。

五、つぎに、被告国が民事特別法第二条にもとづく責任を負うかどうかについて検討する。

(一)  原告は、本件マンホールから下流に通じるコンクリート管に適当な勾配がつけられていなかつたことが工事設計上の不備である、と主張している。しかし、右コンクリート管中マンホールに続く約三〇メートルの部分は、埋立前からすでに存在し、上手の開渠と下手の開渠を連絡していたコンクリート管をそのまま利用したものであり、それより下流にあたる部分も、右既存コンクリート管の下手の開渠への出口と、下手の開渠からのコンクリート管の入口とのあいだを約四五メートルにわたつて接続するため設けられたものであるから、すくなくとも本件マンホールの附近で、右コンクリート管の勾配が、むしろ上流にあたるマンホールがわの方が低くなつていたのも、右のような工事の性質上当然生じた結果にほかならず、また、このような逆の勾配があつても、山の池の水は、従前の開渠を利用して給水していたときと同じ水位まで給水し得ることがあきらかである。したがつて、このように勾配が逆になつていたことをもつて、工事設計上の不備であるとすることはできない。

(二)  原告は、また、本件マンホールにおいて上流にあたる木管樋の出口の方が下流にあたるコンクリート管の入口より低位にあつたことをもつて、工事設計上の不備である、と主張している。しかし、もともと、木管樋を通じて上手の開渠に注いだ水は、木管樋の出口より約九〇センチメートル高位にある既存のコンクリート管入口から取入れられ、下手の開渠に流れていたのであつて、本件マンホールは、該所をいつたん埋立てたのち、右両管の出口と入口とを接続するために設置されたものであるから、本件マンホール内において、上流にあたる木管樋の出口の方が下流にあたるコンクリート等の入口より低位にあることは、右設置工事の性質上当然のことであつて、このことをもつて工事設計上の不備であるとすることはできない。

(三)  本件マンホールは、深さ約五メートル二〇センチで、その-底の部分に山の池からの木管樋の出口があり(したがつて、該部分より下になお泥溜りが設けられていた事実はない)、底から約九〇センチメートル上のところに、その下端を接して直径約九〇センチメートルのコンクリート管の入口が設けられていたものであるところ、底から一メートルあまりの高さにわたつて、コンクリート塊十数個や粘着性の強い土砂が堆積し、両管のあいだの連絡を断つていた。したがつて、かりに木管樋が疏通していたとしても、右マンホール底の堆積物をとりのぞかないかぎり、水は流れないのであるから、通水施設としての用を果たすことができず、この意味では、本件マンホールに瑕疵があつたということをさまたげない。

しかし、マンホール内から下流へのコンクリート管中には空気が十分に疏通し得る情況にあつたのに、本件マンホール内の空気の組成は前記のように変化していたのであり、しかも、マンホールから約一一メートル手前にある木管樋は本来常時しめきられているものであるから、右堆積物がなかつたとしても、ふだんはマンホール内は水が流れず、また、マンホール内およびその周辺に酸素を必要とする有機体の存在することは当然考えられろところである。したがつて、マンホールの底に前記堆積物がなかつたとしても本件マンホール内の空気の組成は、工事終了後昭和三一年夏ごろまでのあいだに、本件死亡事故が発生したときとほぼ同様の状態に変化する可能性もなかつたとはいえず、前記堆積物があつたため、前記のような空気の組成の変化が生じた旨の原告らの主張を肯認するだけの証拠は存しない。

そうすると、村田ほか二名は、本件マンホールに前記の意味での瑕疵があり、水が流れなかつたので、その原因を発見したうえ、これを除去するため、右マンホール内にはいり、その内部の空気の組成が前記のごとく人体に有害であつたという、右瑕疵とは関係のない別個の危険な状態に遭遇し、別個の危険な状態のために死亡するにいたつた、といわなければならない。ところで、民法第七一七条の占有者(または管理者)および所有者の責任は、工作物の設置、保存(または管理)の瑕疵のほかに人為や自然的事実が加わつて損害を生じるにいたつたばあいにも存在するが、いずれにしても、すくなくとも右瑕疵と損害とのあいだに自然的な因果のあとをたどれるばあいにかぎつて認められるものと解するのが相当であつて、本件のように、瑕疵の探究と除去のための行動をするにさいしこの瑕疵とは無関係の前記のごとき別個の危険な状態に遭遇し、このため損害が生じたようなばあいには、たまたま、右瑕疵および別個の危険な状態が同一マンホール内という距離的に近接した場所に存在していたものであるとしても、右瑕疵と損害とのあいだには因果関係があるとすることはできず、被害者は、同法条にもとづき、占有者(または管理者)、所有者の責任を問うことはできない。

してみれば、村田ほか二名の死亡事故につき、民事特別法第二条にもとづき被告国の責任を問う旨の原告らの請求は失当である。

六、そこで、民事特別法第一条にもとづく被告国の責任の存否について検討する。

前に判断したとおり(本件マンホールは、アメリカ駐留軍(アメリカ合衆国空軍第六〇一六空軍基地中隊)が、刀根山DH地区の一部として、その地上とともに、みずから占有し、管理していたものであるから、前記認定の経緯のもとに、同空軍のM・Pが小山俊次にあたえた許可は、右小山俊次その他の地元農民関係者が右地区内に立入ることのみではなく、本件マンホール内へはいることをも許可する趣旨のものであつた、と理解することができる。しかし、同じく右許可があたえられるまでの前記認定の経過にてらすと、右の許可は、地元農民たちがマンホール内にはいつて障碍物を除去することを積極的に是認し、勧奨するなどして、マンホールを通水設備として維持し管理している者の立場から、あたえられたものではなく、みずからの便益のため、じぶんたちの手でマンホール内にはいり障碍物を除去することを自主的に決定し、そのための準備までととのえて同地区の入口までやつてきた地元農民たちにたいし、同地区内での軍関係者の平和と安全を維持するという一般的な管理者としての立場から、平素は軍関係者以外の者が同地区内に立入り、同地区内で行動することを禁止している、その禁止を解く趣旨のもとにあたえられたものにすぎず、かつ、小山俊次がもとめたところも、このような趣旨の許可であつた、と解するのが相当である。このようなばあいに、右許可をあたえたM・Pにたいし、マンホール内の空気の組成が変化し、人体に危険な状態にあることをあらかじめ予測し、許可をもとめてきた者にたいしその旨の注意をあたえて、未然に本件事故の発生を防止すべき注意義務を課することはできない。

もつとも、アメリカ合衆国軍隊の構成員に、国家賠償法第一条第一項にいうところの過失があつたかどうか、ということは、個々の構成員がたまたま担当しておこなつた職務の内容のみから判断するだけではたらず、軍当局全体のたちばからみて過失があつたといえるかどうか、という観点から判断しなければならない、と解するのが相当であり、このような観点から、さらに検討をすすめることにする。

アメリカ駐留軍当局は、直接には地元農民の便益のためとはいえ、そのもとめに応じて、山の池の水が下流に流れるように処置することを約し、そのため、みずからの設計と直営工事のもとに、本件マンホールを設置したのであるが、工事終了の当初からマンホールの底には前記堆積物が存在し、これが障碍となつて通水機能をいとなむことができない状態にあつたのであるから、のちになつて右堆積物を除去することは、右マンホール設置工事の不備を補うことにほかならず、したがつて、小山俊次が、山の池の水が流れないので暗渠のなかをさらえたいと申立ててきたさいに、米軍当局は、これから地元農民たちのおこなおうとしていることが軍当局みずから施行したマンホールの設置工事の不備を補う趣旨のものであることを理解すべきであつた、といわなければならない。

しかし、本件マンホールは、これを設けることによつてアメリカ駐留軍じしんに直接の便益をもたらさないのに、開渠の埋立によつて流れなくなつた山の池の水をかんがい用水として流れるようにしてもらいたい旨の地元農民がわの要望をいれて設置したものであり、いつたんその施行工事を約束したとしても、前記の堆積物が存在することによる工事の不備をかならずしも軍当局みずからの手で補正しなければならないものではなく(従来の開渠にかわる用水路を設置し完成させることが軍当局の法律上の義務であるとする原告らの主張は、いまだ肯認することができない)、これによつて便益をうける地元農民たちが右作業をみずからおこなうことを申出たばあいに、その作業の実施をまかせてしまうことはもちろん許されるところである。また、本件マンホールは、夏期の渇水期にのみかんがい用水を通す通水施設の一部であつて、常時は使用されることなく、入口に蓋をかぶせて地下に埋設されているものであり、特別の必要が生じないかぎりその中に人間が立入る性質のものではないから、このような施設の性質上、これを占有し、管理する軍当局においても、平素からその内部の空気の状態までを知つておく必要がなくまた、知らなかつたとしても、そのことにつき、占有者または管理者として過失があつた、ということにはならない。ことに本件では、地元農民たちは、みずからの便益のため、みずからの手で障碍物の除去作業をおこなうことをきめ、その準備までととのえて刀根山DH地区の入口までおもむいているのであり、ただそこで立入を断わられたため、小山俊次が代表者としで、地区内での軍関係者の平和と安全の維持という観点のみからの許可をもとめてきたものであつて、しかも右の作業じたいはこれを占有し管理する者の特別の知識、経験を利用してはじめて可能になりまたは容易になる性質のものでもないから、軍当局としては、右小山俊次が許可をもとめてきたさいに、たとえ、前記のように、同人らがこれからおこなおうとしていることがみずから実施した本件マンホールの設置工事の不備を補うものであることを理解したとしても、ただ右の観点からの許可をあたえ作業の実施については農民たちが意図していたように、これらの者にまかせればすむことであり、このさいに、本件マンホール内の空気の状態にまで想いをめぐらし、それが人体にとつて危険であることをあらかじめ予見し、許可をもとめてきた者にその旨の注意をあたえるなどして、未然に本件死亡事故の発生を防止しなければならない注意義務がある。とすることはできない。

してみれば、村田ほか二名の死亡事故につき、民事特別法第一条にもとづき被告国の責任を問う旨の原告らの請求もまた失当である。

七、以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、その余の争点について判断するまでもなく、すべて失当である。よつて、本訴請求を全部棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 北浦憲二 杉山克彦 岡本健)

別表<省略>

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