大阪地方裁判所 昭和32年(行)96号 判決 1960年9月06日
原告 竹林節治
被告 大阪郵政局長
訴訟代理人 藤井俊彦 外三名
主文
原告の第一次の請求を棄却する。
原告の予備的に退職処分の取消を求める訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は、請求の趣旨として、第一次的に「被告の前身である大阪逓信局長が昭和一八年九月一四日、原告に対してなした退職処分は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」予備的に「右退職処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として次のとおり述べた。
一、原告は、昭和三年六月一〇日から和歌山県所在の湯浅郵便局(当時の局長は原告の実父竹林兼三郎)に事務員として勤務し昭和一四年一一月一五日には通信手に任命せられていたものであるが、昭和一八年五月頃、当時原告の任免権者であつた大阪逓信局長は、原告に対し退職の勧告をなし、原告は、これに応じて同年八月一六日右逓信局長に対し退職願を提出し、同局長は同年九月一四日、原告を依願免職する旨の発令をなした。
二、然し乍ら、原告の右退職の意思表示は、左記の理由により当初から無効であるか、又は、仮にそうでないとしても、原告の取消の意思表示により失効している。
(一) 原告の右退職の意思表示は要素の錯誤がある。
原告は、湯浅郵便局に勤務中であつた昭和一八年四月から肺結核を煩い、診断書を添えてその旨届出の上欠勤していたところ、その間に大阪逓信局の業務監査が行なわれ、その際担当監査官は右の事実を熟知しているにも拘らず、逓信局長に対し、原告の欠勤は自家畑作のための業務放棄であるとの虚偽の事実を報告したため、逓信局長は右報告を真実と誤信し、原告の実父たる湯浅郵便局長に対し、右監査報告の事実を理由として、原告に退職願を提出せしめる様申入れ、もし原告が任意に退職願を提出しない場合は、郵便局長たる原告実父の地位に影響があるかも知れないと申し添えたので、原告実父は自己の地位に影響あることを虞れ、原告に対し逓信局長が退職の勧告をなすに至つた真の理由を秘し、逓信局長から、病気休暇の如きは戦時下において郵便業務の運営上著しい支障を来たすものであるから、任意退職する様との勧告があつた旨告げたので、原告は、逓信局長の退職勧告の真の理由を知ることなく、戦時下においては、仮令病気欠勤であつても許されないものと誤信して、右退職権を提出したものであるから、右意思表示はその要素に錯誤があり無効である。
(二) 原告の退職の意思表示は強迫によつてなされたもので、取消により失効した。
前述の如く、大阪逓信局長は、原告の実父たる湯浅郵便局長に対し、原告をして任意に退職願を提出せしめないときは、その地位に影響があるかも知れないと強迫し、原告実父は、原告に対し退職願の提出を促がした際に右強迫の事実をもらしたばかりでなく、退職願提出の前日頃には、大阪逓信局長は、原告実父を介して原告に対しても、もし任意に退職しない場合は免職処分にする旨通告して原告を強迫したので、原告は、実父局長に対する後難を慮り、また免職処分を受けることを虞れて、止むなく退職願を提出したものである。そして、原告は、昭和二四年五月大阪郵政局長に対し、書面をもつてさきに原告のなした右退職の意思表示を取消す旨の意思表示をなし、右書面はその頃到達したから、右退職の意思表示は、これによつて失効した。
三、右の如く、無効な又は取消により失効した退職の意思表示に基いて、大阪逓信局長がなした退職処分もまた無効であるから、第一次的にこれが確認を求め、仮に当然無効でないとしても、右退職処分は取消し得べきものであり、原告は昭和二九年
一二月頃郵便苦情処理委員会に右退職処分の取消の申立をしたところ却下されたので、同月郵便苦情処理共同調整会議に対し異議申立をなしたが翌三〇年三月却下され、更に同年六月郵政大臣に対し訴願をなしたところ、翌三一年三月却下されたから予備的に右退職処分の取消を求めるものである。と述べ、
被告の主張に対し、原告が昭和二二年八月一日、新たに田栖川郵便局に採用され、その後転勤により現在は箕島郵便局に勤務していることは認める、と述べ、
証拠として(中略)
被告指定代理人は、本案前の答弁として、「本件訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めその理由として、
第一次請求及び予備的請求の双方につき、原告の本訴請求の趣旨は、結局郵政省職員としての地位を回復することにあると見ざるを得ないが、原告は、既に昭和二二年八月一日田栖川郵便局の事務員に採用され(現在は箕島郵便局に転勤)、再び郵政省職員たる地位を取得しているから、今更それ以前の退職処分の効力を問題とする実益はなく、従つて原告の本訴請求はいずれも訴の利益を欠いた不適法のものである、と述べ、予備的請求のみについて、行政事件訴訟特例法附則第四項、日本国憲法の施行に伴う民事訴訟法の応急的措置に関する法律(昭和二二年法律第七五号)第八条但書によれば、行政庁の適法な処分の取消を求める訴は、当該処分の日から三年以内に提起すべきものと定められているのに拘らず、本訴の提起されたのは、退職処分のあつた昭和一八年九月一四日から三年をはかるに経過した昭和三二年一二月三日であるから、この点において本件退職処分の取消を求める訴は不適法である、と述べ、
次いで、本案について「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因に対する答弁として
原告主張事実中、原告が昭和三年六月一〇日、湯浅郵便局の事務員として採用され、昭和一四年一一月一五日通信手に任命せられたこと、原告が昭和一八年八月一六日大阪逓信局長に対し、退職願を提出し、同年九月一四日右願出が容れられて退職処分が発令されたことは認めるが、右原告の退職の意思表示が錯誤に基く無効のものであること、若しくは、強迫に基くものであることは否認する。即ち、原告は、昭和一八年八月一六日に逓信大臣宛に同年四月頃から肺門浸潤で三〇日余り欠勤したが、なお、静養を要し、勤務に耐えないので辞職したい旨の退職願を、同月一〇日附の和歌山赤十字病院医師日崎竜男作成に、係る診断書(同年八月一〇日現在において、原告はなお向う一ヶ月間静養を要する旨の所見記載)を添付して提出し、自らの発意で退職を申出でたものである。また、原告欠勤中の昭和一八年六月一三日から一五日にかけて湯浅郵便局の業務監査が行なわれたことはあるが、その際、監査官は、湯浅郵便局長に対し、原告が昭和一六年九月三〇日以降一年間に四五日も休んでいるのに定期昇給せしめている点を指摘して、かかる勤務状態の者は一期昇給を延伸せしめるべきであるとの注意をなし、且つ、逓信局長に対してその旨の報告をしたのみで、原告の欠勤が畑作のためであるとの報告がなされたことなどない。仮に原告が原告の実父たる湯浅郵便局長から原告主張のようなことを申し向けられたために退職願を提出するに至つたものであるとしても、右退職勧告の事由は原告の退職の意思表示の動機に過ぎず、しかも右動機は何ら表示されず、退職の意思表示の内容とされていないから、これをもつて要素の錯誤ということはできないのみならず、原告主張のような事実のみでは未だ強迫というにも足りない。仮りに強迫となるとしても、これに基きすでに退職処分がなされた後に至つて、自己の意思表示を取消すことは許されない。また原告主張の如く退職の意思表示が無効又は取消により失効したとしても、右事由は外観上明白で特別の調査や認定をまつ迄もなく容易に認識できるものとは到底いい難く、所謂明白な瑕疵に当らないから、退職の意思表示の無効が直ちに逓信局長の退職処分を無効ならしめるものではない。と述べ
証拠として(中略)
理由
第一、訴の利益について
原告が、本件退職処分発令の後である昭和二二年八月一日、再び田栖川郵便局に事務員として採用され、その後箕島郵便局に転勤し現在に至つていることは当事者間に争がない。そこで被告は、原告は右再度の採用により再び郵政省職員たる地位を取得したから、最早それ以前の退職処分の効力を問題とする実益はなく、本訴は訴の利益を欠くと主張するけれども、無効確認又は取消の対象となつている行政庁の処分自体が行政庁による取消等によつて存在しなくなつた場合は格別、本件においては、原告は昭和二二年八月一日、新たに田栖川郵便局に事務員として雇傭せられたものであつて、本件退職処分とは関係がなく、右再度の採用によつて本件退職処分が無効又は取消によつて存在しなかつたと同様の法律状態(例えば職種、職級、俸給等)が形成せられたわけではないから、原告が右再度の採用により現在郵政省職員たる地位を回復しているとの一事をもつて、当然に本件退職処分の無効確認又は取消を求める訴の利益を欠くものと断ずることはできず、被告のこの点に関する主張は採用することができない。
第二、無効確認請求について
原告が昭和三年六月一〇日湯浅郵便局の事務員として採用され、昭和一四年一一月一五日通信手に任命せられたこと、原告が昭和一八年八月一六日大阪逓信局長に対し退職願を提出し、同年九月一四日右願出が容れられて退職処分が発令されたことは当事者間に争がない。そこで、先ず右原告の退職の意思表示が錯誤に基くものであるとの原告主張についてみるに、証人竹林兼三郎の証言を以てしては未だ右主張を証することができず、他に本件全証拠によつてもこれを認めるに足りない。次に、本件退職の意思表示が強迫に基くものである旨の主張についてみるに、証人竹林兼三郎の証言その他原告の全立証によつても、原告の退職願の提出について、原告がその意思決定の自由を完全に制せられるが如き強迫行為が原告に対してなされた事実を認めることができない。
そうすれば、原告の本件退職の意思表示の失効原因は認められないから、その余の争点について判断する迄もなく、右退職の意思表示に基き大阪逓信局長のなした退職処分もまた無効原因たるべき瑕疵なきものといわざるを得ない。よつて、本件退職処分の無効確認を求める原告の第一次請求は失当で棄却すべきものである。
第三、取消請求について
本訴のうち本件退職処分の取消を求める原告の予備的請求は、行政事件訴訟特例法第二条に所謂行政庁の違法な処分の取消を求める訴であること明白であるから、その出訴期間は、同法附則第四項及び日本国憲法の施行に伴う民事訴訟法の応急的措置に関する法律(昭和二二年法律第七五号)第八条但書の規定によつて、処分のあつた日から起算して三年を経過するときは満了する。然るに、原告が本訴を提起したのは、昭和三二年一二月三日であることは当裁判所に顕著な事実であるから、本件退職処分の発令された昭和一八年九月一四日から三年を経過していることは明らかであり、従つて、原告のこの訴は出訴期間を経過してなされた不適法なものとして却下すべきものといわねばならない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 宮川種一郎 奥村正策 島田礼介)