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大阪地方裁判所 昭和33年(わ)2014号 判決 1960年2月15日

本籍 鳥取県米子市大篠津町二千六百十五番地

住居 大阪府吹田市庄ヶ前千四百七番地灰井正二方

無職 狩野肇

昭和五年七月二十一日生

右の者に対する暴力行為等処罰に関する法律違反並びに出入国管理令違反被告事件について、当裁判所は、検察官中村源吉出席の上審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

本件公訴事実中、

一、暴力行為等処罰に関する法律違反の事実につき被告人は無罪。

二、出入国管理令違反の事実につき被告人を免訴する。

理由

第一、暴力行為等処罰に関する法律違反の事実について無罪の言渡をした理由。

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、谷本幸雄、大植儀三郎らによつて監禁されていた青井弘行が、昭和二十八年八月二十二日午前十一時頃、吹田市城ヶ前町千六百四十八番地所在畜産農業協同組合作業所二階より隙をみて脱出するや、直ちに同人を逮捕しようとして、右谷本、大植、松田貢らと共に、同所より同市城ヶ前町千六百七十四番地所在の吹田市立吹田第二小学校まで百数十米の間右青井を追跡し、同人をして被告人らに逮捕せられるにおいては如何なる危害を受けるかも知れない旨畏怖せしめ、以て数人共同して暴行、脅迫したものである。」と謂うにある。

そこで考えてみることにするが、被告人が当公廷において供述するところによると、当時同人は、前記協同組合作業所階下表隣りに居住する上田等と共に農業に従事していたのであるが、当日は昼食のため同人方に帰来して一服していたところ、表の方が何事か騒がしくなり、何かと思つて表え出てみると、泥棒が逃げたとかいつて数人の人が走つて行つたので、自分も右上田と共にそれについて走り、前記小学校表門附近で様子をみて後、帰宅しようとして歩いているところを警察官に逮捕されたまでで、自分としては追いかけた事実はあるけれども、それは右谷本らと共同してやつたわけではなく、不法の目的でやつたのでは更にないと云うのである。そして、被告人が追いかけたということは、当裁判所の証人上田等に対する尋問調書、中河好雄、松田貢の各検察官に対する供述調書によつても認めうるのである。そこで、被告人の青井弘行に対する追跡行為が、右谷本幸雄らと共同して不法になされたものかどおかについて以下検討を加えることにする。

本件につき取調べた証拠によると、本件は、日本出版販売株式会社大阪営業所の争議の際同争議を指導、応援のため参加していた谷本幸雄、大植儀三郎らにおいて、組合側外部応援者の一人であつた青井弘行に対し、争議の状況を警察或は会社側に密告している者ではなかろうかとの疑を抱き、その真偽を正すため、同人を同営業所内倉庫様の部屋に監禁し、暴行を加えて傷害を負わせた上、同所より前記協同組合作業所に連行して監禁を継続中、隙をみて同人が脱出した際に生起した事案であることが認められる。従つて、被告人が右争議ないし青井弘行に対する監禁行為に関係を有しているとすれば、被告人の追跡行為に不法の目的が存することを容易に認めうるのであるが、本件につき取調べた証拠を検討してみても、被告人が右争議に関係していたとの証拠はなく、また青井弘行に対する監禁行為の現場にいたことの証拠もなく、更に青井弘行が監禁されていたこと及びその事情を知つていたこと並びに事前に谷本らと共謀していたことを直接証明する証拠も存在しない。ただ、この関係において一応前記公訴事実を裏付けるに足るものと考えられるのは、被害者青井弘行がその後前記小学校に逃げ込み、同校教員に頼んで応接室にかくまつてもらい、学校からの連絡でかけつけた吹田市警察職員の保護をうけた際、三名程の男が相前後して同校応接室附近及び玄関附近にやつて来て、同校職員武田鮮及びかけつけた吹田市警察職員坂本勇に対し、右青井弘行の引渡方を要求したとの事実があり、その三名程の男の中に被告人がいたとの証拠と、被告人が右谷本らと一緒になつて即ちあたかも意思を共同しているような外観をもつて追跡して来た旨の青井弘行の供述が存在するので、これらについて次に検討を加えることにする。

まず、起訴前における裁判官の証人青井弘行に対する尋問調書、森田昭勝外二十六名に対する監禁等被告事件(以下これを旧事件と略称する)の第六回公判調書中証人青井弘行の供述記載部分、被告人に対する出入国管理令違反被告事件(以下これを新事件と略称する)の第四回公判調書中証人青井弘行の供述記載部分、新事件の第七回公判調書中証人坂本勇の供述記載部分、証人武田鮮の当公廷における供述、旧事件の第十一回公判調書中証人武田鮮の供述記載部分、武田鮮の検察官に対する供述調書、松田貢の検察官に対する供述調書には、いずれも同小学校応接室又は玄関において、他二名程と共に被告人が、同校教員武田鮮及び警察官坂本勇に対し、青井弘行を引渡してくれと要求していた旨の記載がある。そして、右の供述者らは、いずれも被告人と以前より面識があつたわけではないが、事件後逮捕された被告人を直接見たり、又は同人の写真を見て、その時の男の中に被告人がいた旨の供述をしているわけである。しかるに、被告人はそのような事実の存在を否定するところであるし、当裁判所の証人上田等に対する尋問調書にも、そのような事実がなかつたであろうことを推測させる記載と、その際、同校教員武田鮮と話をしたのは自分である旨の記載があるのである。ところで、当時青井弘行の引渡を要求した三名程の男はすべて上半身裸体であつたことが認められ、同校教員武田鮮や警察官坂本勇に対し、かなり悪どい表現で相手を侮辱するような言葉を用い、しつように青井弘行の引渡方を要求していたとの事実が認められ、右青井弘行は引渡されまいとして警察官にすがりつき、その後ろに隠れるようにしていたとの事実が認められる。従つて、まず青井弘行の前記供述については、同人の当時の異常な心理状態並びにその占めていた位置から考えその認識、記銘の正確性には疑問があり武田鮮及び坂本勇の供述については相手が一人ではなくして三名程おり而もそれがすべて特徴を捉えにくい上半身裸体であつた上、当時の異常なふん囲気及びそれに伴う心理的動揺を考慮すると、これまたその正確性には疑問があるものとしなければならない。ただ松田貢の供述については同人が青井弘行の引渡を要求していた中の一人であり而も他の一人である谷本とは旧知の間柄であるからいわば見知らぬ男の人相について比較的正確に認識しえたと考えられるのであるが、同人はその際被告人と対しておつたわけではなく、専ら坂本勇らに対して引渡方の要求などをしていたのであり、その後直ちに右谷本と共に前記作業所に引返し、被告人と行動を共にしていないのであるから、その人相を認識する機会が少なかつたと考えられる上、前記供述調書の記載からすると、被告人の写真を示されてこの男がその時の男であつたと供述しておることが認められるのであるが、その写真は上半身裸体のままの写真であり、この事件で関係者に示された写真の中で上半身裸体の写真は被告人だけであることから考えると、裸体という共通した事柄によつて被告人と当時の見知らぬ男とを誤り結びつける可能性が比較的強かつたものと考えられ、これまたその男が被告人であつたことを断定するにはなお疑問が存するわけである。なお、被告人は、その後更に応援にかけつけた警察官によつて、同小学校附近路上で逮捕されているのであるが、その警察官は前記坂本勇巡査に指示されて、同巡査に青井弘行の引渡を要求していた裸の男の立ち去つた方向を探索中、上半身裸体の被告人に出会わしこれを逮捕したとはいうものの、方向を指示されただけで、坂本巡査に引続きその男を現認した上で追跡したわけではなく、被告人が逮捕された現場附近は家が建て混んで而も路が入りくんでいるとの状況から判断して、そのことからして直ちに被告人が坂本巡査に青井弘行の引渡を要求した男であると断定するにはなお疑問が存するのである。

次に、起訴前における裁判官の証人青井弘行に対する尋問調書、旧事件の第六回公判調書中証人青井弘行の供述記載部分には、いずれも被告人が谷本、松田、中川らと一緒に自分を追いかけて来ましたとの旨の記載があり、あたかも被告人が右谷本らと意思を共同にして即ち同一の目的をもつて右青井を追いかけたがごとき事実を推測させるようである。しかしながら、右青井弘行は、いわゆるスパイの嫌疑をうけて監禁されていたところを、生命の危険をまで感じて脱出を計画し、大便にかこつけて階下に降り、監視のため付添つてきた男をその場に突きとばし、ようやくにして逃げ出しているのであるが、背後から追われることは当然予期していたであろうから、全力をあげて走り去つたであろうし、脱出の成否についての期待と不安から、極度の興奮状態にあつたことは容易に推認しうるところである。かような状況の下において、追跡者との距離の関係を問題外として、仮に後ろを振り返つて見たとしても、誰が追つて来たかということを正確に認識することはまず不可能と考えられ、ことにその数名の中に監禁の現場に居合さなかつた被告人がいたことを認識することは至難の技であろうと思われる。果して、新事件の第四回公判調書中証人青井弘行の供述記載中には、逃げた直後は無我夢中で、瞬間に振り返つたように思うが、その時誰も見えなかつたとの記載があり、むしろ当時の状況からして、この記載の方により真実性があり、前記記載は信用し難いものと考える。そして、松田貢、中河好雄の各検察官に対する供述調書には、同人らが監禁現場である前記作業所二階に寝ていると、監禁していた青井弘行が逃げたと云うので、その方を追いかけたのであるが、その際二、三人の見知らぬ男が同一方向に走つていたとの旨の記載があり、松田貢の調書には、その中の一人が被告人であつた旨の記載の信用性はともかくとして、被告人の供述などからしても、その二、三人の中には被告人がいたであろうと推認されるところであるが、右松田、中河らはいずれも最初に追つた谷本、大植らと比べると大分遅れて追いかけたと認められ、そのような時期に右松田らの全然知らぬ被告人が同一方向に走つていたとしても右松田らと共同して青井弘行を追跡したと認めるにはいささか無理が伴うと考えられ、かえつて右谷本、松田らと関係なく走つたという被告人の供述を裏付けるものではなかろうかと思われる。

かように考えてくると、被告人の青井弘行に対する追跡行為に、同人を逮捕して再び監禁状態におこうとの意図があつたことを推測させるような内容の証拠には、それを信用するのになお疑問とする点が多々存し、それらと、被告人が本件の発端となつた前記争議に関係がなく、また青井弘行に対する監禁の現場に居合せたわけでもなく、同人が逃走した際に突如として表れて来ているとの事実を併せ考えると、むしろ被告人の当公廷における供述に信を措くべきかとも考えられ、前記公訴事実についての証明は充分であることは認められないので、刑事訴訟法第三百三十六条後段に従つて無罪の言渡をする。

第二、出入国管理令違反の事実につき免訴の言渡をした理由

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和二十八年十二月上旬頃より昭和三十三年六月下旬頃までの間に有効な旅券に出国の証印を受けないで本邦より本邦外の地域に出国したものである。」と謂うにある。

そして、被告人の新事件の第十二回公判(昭和三十四年十一月十四日)における供述、被告人が暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件により勾留中のところ、昭和二十八年十一月十日付保釈許可決定に基き同日大阪拘置所より釈放されたとの当裁判所に顕著な事実、大阪入国管理事務所長より京都府警察本部長宛「日本人帰国記録等に関する照会について(回答)」と題する書面(抄本)とを綜合すると、被告人は、昭和二十八年十一月十一日から同年十二月末日までの間の某日、本邦より出国し、昭和三十三年七月十三日、本邦に帰国したものであるが、その間、引き続き中華人民共和国に滞留していたとの事実を認めることができる。

ところで、出入国管理令第六十条第二項違反の罪の刑は同令第七十一条によると一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金と定められており、同令第六十条第二項違反の行為は出国と同時に終るものと解すべきであるから、その公訴時効の期間は、刑事訴訟法第二百五十条第五項、同第二百五十一条、同第二百五十三条第一項によつて、出国の時より起算して三年である。しかるに、本件公訴の提起は、被告人が出国したと認められる昭和二十八年十二月末日より起算してすでに五年七ヶ月余経過した昭和三十三年七月二十五日になされているのであるから、本件については先ず公訴時効が完成しているかいないかについて検討を加えなければならない。

この点に関し検察官は、被告人が出国して以来帰国するまでの間、国外にいたのであるから、刑事訴訟法第二百五十五条第一項によつて、その間時効期間の進行が停止され帰国後その進行をはじめたものと解すべきである。従つて帰国後三年内に公訴の提起がなされた本件については時効は未だ完成していないと主張している。しかしながら当裁判所としては次に述べる理由によつて本件についてはすでに時効期間経過後の公訴の提起と考えるのである。即ち、

公訴時効の制度は、犯罪が行われてのち一定の期間が経過すれば、その犯人を訴追しえないとするものであるから、一定期間内における公訴権の不行使を、一つの訴訟障害としているものと解せられる。そして、その存在理由は、何事もなく経過した事実上の状態を尊重することが、犯人をも含めた社会の利益に合致するというところにあり、そこには、犯罪による社会的影響の微弱化ないしは犯人の悪性の稀薄化、証拠の散逸という種々の考慮が存すると考えられる。現行刑事訴訟法もまた、そのような公訴時効の制度を設けているわけであるが、旧刑事訴訟法におけるがごとき時効の中断を認めず、時効の停止を認めているに過ぎないことよりしても、そこには、より時効制度の本質に則り、より犯人の利益を考慮しようとの立法的推移を看取しうるのである。

ところで、現行刑事訴訟法における公訴時効の停止の事由には次の三つのものがある。即ち、その一は、「当該事件についてした公訴の提起」(二百五十四条一項)であり、その二は、「犯人が国外にいる場合」(二百五十五条一項前段)であり、その三は、「犯人が逃げ隠れているため有効に起訴状の謄本の送達若しくは略式命令の告知ができなかつた場合」(二百五十五条一項後段)である。そして、これら三つの事由を、その条文上に占める位置から考察してみると、まず一の事由は最初にしかも他のものと切り離して規定されているところから考えていわば原則的なものと認められ、二及び三の事由は一に引き続いてそれとは別に規定されているところから考えて一によりえない場合のいわば例外的なものと認められ、二と三の事由は同一条文の同一条項の中に前段と後段の関係で規定されているところから考えると、同一の趣旨に基いて設けられていると解せられるのであるが、他面それを要件の面から対比してみると、右一及び三の場合にはいずれも公訴の提起、換言すれば訴追権者による公訴権行使の意思表示の存在が要求されているのに、右二の場合にはそれが要求されていないのである。

元来、公訴時効の制度は右にもみたように、一定期間内における公訴権の不行使を一つの訴訟障害としていると解せられるのであるから、公訴の提起、換言すれば公訴権の行使を公訴時効の停止事由とするのは正当である。そして、公訴の提起は何事もなく経過しつつある事実上の状態に対する新たな事態の発生とみうるから、それを公訴時効の停止事由と認めたにしても、公訴時効の存在理由に悖るものとは考えられない。これは、あたかも民事における時効中断の第一次的事由が、「請求」にあるとされているのと一脈相通ずるものがあると考えられる。そして、右一の場合はそのような公訴権行使の意思表示が犯人に到達した場合であり、右三の場合は犯人に到達しないけれども、その理由に照して到達と同視しているとも考えられるのである。しかるに、右二の場合、即ち本件で問題となつている「犯人が国外にいる場合」には、公訴の提起が要件とされていないのに、それを時効の停止事由としているわけであるから、それが条文上に占める位置からくる前述した判断とは異つて、それのみが何らかの特殊な理由に基いて設けられているのではないかとの問題が起つてくるのである。

この点に関し、或は、罪を犯して国外にある者は、いわば裁判を逃れている者として、時効制度の利益に浴せしめないとの考慮に基いているとの考えもありうるであろうが、国内において罪を犯して国外に去つた場合はともかく、わが法制上はいわゆる国外犯をも処罰する旨の規定が存するのであるが、そのような国外において罪を犯して国外にある者に対しては、いわば逃走という観念を入れる余地のないことよりしても、右のような考慮に基いているものとは考えられない。そしてまた、犯人が国外にある場合には、捜査機関による犯罪事実ないし犯人の確知が困難であるとの考慮に基いているとの考えもありうるであろうが、この場合は右とは逆に、国外において罪を犯して国外にある場合はともかく、国内において罪を犯して国外にある場合には、犯罪事実ないし犯人の確知が、他の場合に比し時効を停止する程困難であるとは考えられないことよりしても、これまた右のような考慮に基いているとは考えられず、いずれも国内犯と国外犯との両者につき統一的な理由の発見に困難を伴うのである。ことに、前述したように、旧刑事訴訟法に比し、より時効制度の本質に則り、より犯人の利益に時効制度を理解しようとする立法的推移の認められる現行刑事訴訟法の解釈として、旧刑事訴訟法になかつた「犯人が国外にいる場合」という時効停止の事由を、右のような観点から論ずること自体問題が存すると考えるわけである。

このように考えてくると、「犯人が国外にいる場合」という時効停止の事由を、そのもの自体他の停止事由から切り離して、その立法理由を探索しようとする立場には問題が存すると考えられる。してみると、それが条文上において占める地位を、他の停止事由との関連において考察し、その立法理由の探索に努めなければならない。そして、そのためには同一条項中の後段に規定されている右三の場合の立法理由を考察し、それを手がかりとして、その前段に規定されている。「犯人が国外にいる場合」という停止事由の立法理由を考えてゆくのが便宜であろうと思われるのである。

刑事訴訟法第二百五十五条第一項後段には、「犯人が逃げ隠れているため有効に起訴状の謄本の送達若しくは略式命令の告知ができなかつた場合には、時効は逃げ隠れている期間その進行を停止する。」と規定されている。換言すると、この規定は、公訴の提起があつても、有効に起訴状の謄本の送達若しくは略式命令の告知ができなかつた場合には、時効の進行は停止しないが、その理由が犯人が逃げ隠れていることにある場合には特に停止するという趣旨である。従つて、この規定は前条第一項の「時効は、当該事件についてした公訴の提起によつてその進行を停止する」という規定をうけ、ただ刑事訴訟法第二百七十一条第二項によつて、公訴の提起があつた日から二箇月以内に起訴状の謄本が送達されないときは、公訴の起起はさかのぼつてその効力を失うとされているので、犯人が逃げ隠れしているときには時効の進行を停止する方法がないという不合理を是正するために設けられていることは明白である。即ち、有効に公訴の提起若しくは略式命令の告知をしようとしたが、犯人が逃げ隠れしているためにそれができなかつた場合を、公訴時効の停止事由としているわけである。

ところで、本件において問題となつている「犯人が国外にいる場合、時効は、その国外にいる期間その進行を停止する。」という規定は、前述せる「逃げ隠れている場合」と同一の条項の中において、しかもその前段に規定されているわけである。そして、法文の解釈上、同一の条項の中において前段、後段の関係で規定が設けられている場合には、両者が全く異質的なものであると見ることは妥当ではなく、それは少く共同一の意味を持つたものとして理解しなければならないと思われる。してみると、「犯人が国外にいる場合」というのも、やはり、刑事訴訟法第二百五十四条第一項及び同法第二百七十一条第二項との関係で設けられたものと解さなければならなくなつてくるのである。即ち、犯人が国外にいる場合にも、刑事訴訟法第五十四条によつて準用している民事訴訟法第百七十五条により、その国の管轄官庁又はその国に駐在する日本の大使、公使若しくは領事に嘱託して、起訴状謄本の送達をなしうるわけであるが、それが刑事訴訟法第二百七十一条第二項に定められた二箇月以内になしえない場合が多いと予想されたため、犯人が国外にいる場合には、時効の進行を停止する方法がなく、不合理となつてくるので、そのような不合理を是正するため、犯人が国外にいる場合を時効の停止の事由としたものと解せられるのである。従つて、この場合は、公訴の提起をしようとしたが、犯人が国外にいるためにそれが有効になしえない場合を、公訴時効の停止事由としているわけである。

さて、かような理解を前提として考えてみると、刑事訴訟法第二百五十五条第一項前段にいわゆる「犯人が国外にいる場合」というのは、ただ単に犯人が国外にいるという客観的な事実のみがあればよいというのではなく、公訴の提起をしようとしたが犯人が国外にいるためにこれをなしえなかつたという情況、換言すれば、訴追機関において公訴の提起をなし得る程度に犯人及び犯罪事実を確知していたとの事実が必要であると考えなければならない。このことは、勿論法文の中に明記されているわけではないけれども、そのものの立法理由からする合目的的な制限的解釈として承認しうるであろうし、同一の意味を持つものとして統一的に理解すべき同項後段においては、訴追機関による犯人及び犯罪事実の確知が当然の前提とされている上、同条第二項において「犯人が国外にいることの証明」という文言を使用し、あたかも犯人が国外にいる間において何らかの証明を要するか、或は、その間において作成された何らかの証明資料を要求するがごとき規定の存在していることもまた、右のような解釈を支持するものと解しうるのである。

もつとも、法が右のような事実の存在を要求しているものとすれば、前に述べた公訴時効制度における公訴の提起即ち公訴権行使の意思表示の持つ重要性から考えて、起訴状謄本の送達の要否はともかく、少く共訴追機関による何らかの意思表示ないしは処分を要するものとしたのではなかろうかと考えられ、刑事訴訟法第二百五十五条第一項後段の場合においては公訴の提起が要件とされていることよりして、なお更の感がするわけであるが、同項後段の場合においても、時効の停止は公訴の提起かあつたときからではなく、逃げ隠れした時からであるから、公訴の提起に前述した程の重要性を認めているわけではないと考えられ、専ら犯人側の事情を重視している感があり、同項後段の場合には逃げ隠れしていることを明確にするために、公訴の提起に基く起訴状謄本の送達などを要求したと考えられ、同項前段の場合には犯人が国外にいるという、いわばそのこと自体明白な事柄を要件としたために、公訴の提起を要件としなかつたものと考えるのである。

今もし、犯人が国外にいるという客観的事実のみに時効の停止を認めるとすれば、いわゆる国外犯にあつては、犯人が国外にいる限り、わが法制上はついに時効の完成をみないという、まことに不合理な、時効制度の本旨に悖る結果を招来するであろうし、国内犯にあつても、国外に逃亡した場合ならばともかく、そのような意図なくして勤務先の都合などにより一時国外に移り住んだような場合に、国外にいたということのゆえのみで、時効制度よりうけうる利益を左右されるということになれば、これまたいささか不合理であり、ことに国内にいた共犯者があつて、捜査機関に発覚することなくして無事時効期間を経過していたとすれば、国外にいたことのゆえをもつて何故に不利益をうけることになるのか、理解しがたいばかりではなく、前述せる立法的推移に徴しても承認しえないところであろうと考える。

かくして、刑事訴訟法第二百五十五条第一項前段にいわゆる「犯人が国外にいる場合、時効は、その国外にいる期間その進行を停止する。」というのは、犯人が国外にいるという客観的事実の存在のみでは足りず、訴追機関においてそのことを知つていた場合に限ると解するわけであるが、これを本件についてみてみると、刑事訴訟規則第百六十六条に基いて差し出された資料その他本件につき取り調べた証拠は、いずれも本件犯罪の時効期間経過後に作成されたものであつて、それが経過前に訴追機関において本件犯罪事実を確知し、被告人が国外にいることを知つていたとの証拠はなく、むしろ知らなかつたものと認められるから、本件については公訴時効の進行が停止しなかつたものと解すべきである。従つて、本件は時効が完成しているから、刑事訴訟法第三百三十七条四号に従つて免訴の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 網田覚一 裁判官 西田篤行 裁判官 岡次郎)

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