大阪地方裁判所 昭和33年(ヨ)341号 判決 1962年4月20日
申請人 中井公平 外三名
被申請人 京阪神急行電鉄株式会社
主文
本件申請は、いずれもこれを却下する。
訴訟費用は、申請人等の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
申請人等の求める裁判
「被申請人会社は、申請人等をその従業員として取扱い、且つ、別紙賃金表に基く賃金を支払わねばならない。」
との判決。
被申請人の求める裁判
「本件各申請は、いずれもこれを却下する。訴訟費用は、申請人等の負担とする。」
との判決。
第二申請人等の事実上の主張
一、申請人等は、いずれも被申請人会社(以下会社と略称する。)の従業員であつたところ、昭和三二年一二月二三日、会社よりいずれも「駅勤務における乗車券の取扱その他に関する不都合な行為」があると言う極めて抽象的な理由で同月二一日付で懲戒解雇する旨の通告を受けた。
二、しかし、申請人等は、会社が懲戒事由として主張する如き行為をなした覚えはない。
三、仮に会社の主張する如き行為が申請人等にあつたとしても、後記の理由から、申請人等の解雇は無効である。
(一) 即ち、会社の就業規則(以下就業規則と略称する。)第九八条は極めて詳細に懲戒の種類及び原因を定め、又その付則三には懲戒処分に付する手続が詳細に定められているにも拘らず、会社は申請人等の解雇にあたつて一方的形式的調査をなしたのみであり、又、その事由につき、前述の様な不明確な表現をとつたのみで、就業規則に定められた懲戒事由のいずれに該当するか具体的に指示することなしに一方的押し付け的に懲戒解雇したのであるから、本件解雇は右就業規則及び付則に反し無効である。
(二) 又、仮りに右の解雇事由の不明確な表現が、就業規則第九八条第七号並びに会社と京阪神急行電鉄労働組合(以下組合と略称する。)間に締結された労働協約(以下労働協約と略称する。)第三五条第四〇条第七号に言うところの、「職務又は権限を利用して、不正な手段により、自己又は他人の利益を謀つたとき」にあたるとしても、右規定の定める懲戒は、原則的には最高を降職又は転職とし、例外的には同条但書に定める如く「特に悪質な手段を伴つた場合、又は不正に取得した利益が多額である場合」に限つて「懲戒解雇又は諭旨解雇とすることがある。」のにも拘らず、申請人等については、その取得した不正利益の金額の多少、その取得方法の悪質か否かにつき考慮することなしに、突如として例外的場合でしかも最も重い懲戒解雇としたのは、明らかに不当であり就業規則及び労働協約の前記条項に違反するから無効である。
四、申請人等は、従つて依然として会社の従業員の地位を有しており、会社を相手取り解雇無効確認の本案訴訟を提起すべく準備中である。
又、申請人等は、申請人大谷重雄については昭和三二年一〇月七日、その他の申請人等については同年九月一一日の直前には、会社から別紙記載の月額の賃金を得ていたが、夫々右の日以降会社はその賃金を支払わない。よつて申請人等は夫々同日以後右月額の賃金請求権を有するところ、申請人等はその日稼ぎの労働者であるから、本案訴訟による解決をまつていたのでは、その前に生活が行き詰り償うことのできない損害を蒙ること必至であるので、本件申請に及んだものである。
第三被申請人の答弁
一、申請人等主張の一の事実は認める。但し会社は同月二一日すでに懲戒解雇の意思表示をしていることは、後記三のとおりである。
二、同二の事実は争う。申請人等の解雇については、次の如き事由がある。
(一) 申請人等の不正行為発覚の端緒
昭和三一年頃から会社の一部駅勤務者(改札、出札、乗継精算等の各係員)が、後述の如き種々の悪質な手段によつて、不正に金銭を領得している事実が投書、申告、調査等により探知されるに至つた。同年一月頃、会社線西宮北口駅で乗車券取扱の不審行為を発見された某改札係が、駅長の調査を拒み駅長を殴打するに至り、会社は此種不正行為摘発を決意し、同年三月二七日、会社神戸線運転課長は自粛の要望書を発し徹底的な調査を行つた結果、申請人等の不正行為が発覚した。会社は、申請人等以外にも昭和三二年六月一三日に六名、一二月五日に五名、申請人等と同時に申請外新居茂を此種不正行為を理由に解雇したのである。
申請人等は、数々の不正行為を常習とし且つ他の従業員をも誘惑強要し、これが発覚し多くの証拠が挙げられながらも頑強に否認し、少しも改悛の色を見せなかつたので、会社も止むなく申請人等の処分の手続をとつたのである。
(二) 申請人等の不正行為
1 申請人等其他の不正行為の手段方法は、
(1) 入鋏済乗車券(廃札)再発売の方法(通称タライ廻し)
三名以上共謀し二駅相呼応して行う方法で、甲駅集札係が乗客より回収した入鋏済の乗車券を廃札箱に入れずに運搬者(隠語で運び屋と称する。)に交付し(同じくこれを、買わせる、と称する。)、運び屋は、右乗車券を発行駅まで運搬しその改札係に交付し(同じくこれも、買わせる、と称する。)、右改札係は、甲駅行の乗客が改札口を通る際入鋏を受ける為提示した新乗車券を巧みに前述の廃札とすりかえ、廃札を右乗客に交付し、右乗客の提示した新券は右改札係の手許に残し、之を後に払戻を受け又は出札口で再度発売する等の手段で代金を着服する方法を言う。右のすりかえの際改札係はパンチの音だけさせてあたかも入鋏した如くみせかけ(これを隠語で、「空パンチ」と称する。)、又、すりかえずに廃札にアイロンをかけ入鋏跡を消して新乗車券に偽装して出札口で再度発売する手段もあり、さらに、夜間等の出札係の退社後に行われる立改(改札口で改札係が出札業務をも兼務すること)時において、乗客に空パンチを使用して廃札を再発売する方法も行われていた。
(2) 同一駅内で乗継精算所と改札係間で行われる方法(通称タライ廻し)
乗継精算所係員と集札係が共謀して行う方法で、乗継精算所では精算済の乗客に入鋏ずみの新券を交付し、右乗客は右新券を集札係に交付して出るのであるが、右集札係は右新券を廃札箱に入れるべきであるのに、之をなさずして精算所係員に交付し、右係員は之を再度発売してその代金を着服する方法を言う。
(3) 乗継金現金着服
乗客が運賃不足分の金員を直接集札係に交付して出口を通つたとき、右現金を乗継金収納箱に乗客の面前で投入せずに着服する方法を言う。
申請人等は、常習として、これ等の手段の一部又は全部を用いて金銭を不正に領得し因て会社に対し多額の損害を与えたものである。詳述すれば、以下の通りである。
2 申請人中井公平は、
(1) 昭和三二年三月頃、七区乗車券を不法に所持し、
(2) 同年二月一六日から五月一五日までの間、継続的に西灘駅神戸駅東口間で廃札タライ廻しが行われた際、西灘駅でその一翼を担つた。
(3) 昭和三一年一一月一六日より昭和三二年二月一五日までの間、継続的に神戸駅改札係一原正博(同年一二月五日懲戒解雇)申請人嶌田政治と共謀し、廃札の交換売買を行つた。
(4) 同年五月一六日から六月一五日までの間、継続的に神戸駅東口で集札係と精算所間におけるタライ廻しを行つた。
(5) 同年一月頃、梅田駅勤務中、廃札多数を神戸線某改札係に買わしめた。
(6) 梅田駅勤務中、継続的に廃札多数を収集した上、自己の勤務の代務を同僚に依頼して之を神戸駅に運搬した。
(7) 昭和三〇年一〇月一二日、梅田駅勤務中、六区乗車券五枚を不法に所持していた。(これは当時同駅助役に発見され厳重説諭されたが、処分は保留された。)
(8) 神戸駅国鉄連絡改札口勤務中、継続的に、一区乗車券の廃札を発売し空パンチを使用した。
3 申請人嶌田政治は
(1) 昭和三一年八月一六日から一一月一五日までの間、神戸駅東改札口勤務中、継続的に従業員某に七区乗車券の廃札多数を買わしめ、
(2) 同年一一月頃、梅田駅勤務の申請人中井公平等と共謀して廃札のタライ廻しを行い、
(3) 昭和三二年二月一六日から五月一五日までの間、継続的に神戸駅東集札口と同駅東乗継精算所間のタライ廻しに指導的役割を果し、一日約三、〇〇〇円を着服し、
(4) 神戸駅東乗継精算所に勤務中、継続的に厚紙を屏風折にし、その間に多数の廃札を隠匿しながら之を発売し
(5) 多数の廃札を、継続的に国鉄線連絡口出札係員に発売せしめ、その売上金を着服し、
(6) 当時、「解雇は覚悟の上だ」と放言して右不正行為を自認している。
4 申請人大谷重雄は
(1) 昭和三二年一月頃、伊丹駅で、出札係に廃札を発売させて、(空パンチを使用する方法を用いている)不正の利益を得、
(2) 梅田駅等から塚口、武庫之荘駅等に廃札を運搬配布して、その買上を強要し、
(3) 某従業員を自己の代りとして梅田駅周辺の指定場所で廃札の取引をさせ、
(4) 他の従業員に廃札収集を依頼し、
(5) その外、廃札再発売、運搬等の不正行為を積極的に教唆、煽動、強要、又は指導し、
(6) そして自ら、「勤務を代行させて廃札運搬をやつている。」と公言し、不正行為を自認している。
5 申請人桜井政司は、
(1) 昭和三一年一一月一六日から昭和三二年二月一五日までの間、梅田駅勤務中、継続的に、申請人中井公平と共謀して廃札収集の上、神戸駅勤務中の一原正博とタライ廻しを行い、
(2) 昭和三二年一月頃、梅田駅勤務中、神戸駅某改札係に直接七区券の廃札多数を買わせ、
(3) その他梅田駅勤務中、右以外にも盛に廃札を収集し、
(4) 昭和三二年二月一六日から四月頃にかけて、継続的に、梅田駅六甲駅間に当る六区券廃札多数を、六甲駅山側改札口に持参し、某改札係に交付し、
(5) 同年三月頃、西宮北口駅在勤の某改札係に、梅田駅で収集の廃札の買取をたのみ、
(6) 昭和三〇年一月以前、夙川管区内で勤務中、継続的に不正行為を行つた。
(三) 被申請人会社の就業規則第九八条に詳細な懲戒事由及び方法が定められていることは、申請人等主張のとおりであるが、就業規則第九三条但書(「運輸部に所属する社員については、『運輸従事員賞罰規程』の規定する事項については、その規定に従う。」)、就業規則付則三(運輸従事員賞罰委員会について規定する)労働協約第三五条但書(「当該組合員の所属各部において特に協定せられた賞罰規程がある場合は、その規程する事項については、その規定に基いて協議決定する。」)により、運輸部に所属する社員である申請人等の賞罰については運輸従事員賞罰規程及び運輸従事員賞罰委員会規程(右労働協約第三五条但書により、会社運輸部長杉村正三郎と組合運輸協議会議長中村繁雄との間に協定せられたもの)が適用されるところ、申請人等の前記不正行為は、同賞罰規程第八条懲戒基準第一表第四号の「会社の金銭を着服したとき」に該当するので、会社は、後述のとおり賞罰委員会の審査決定を経て、申請人等を懲戒解雇したのである。従つて、本件解雇につき懲戒事由が存在しないとの申請人等の主張は理由がない。
三、申請人等主張の三の事実は否認する。
会社は、右に述べた申請人等の不正行為を知り組合に対し、運輸従事員賞罰委員会規程に従つて、申請人等の懲戒につき賞罰委員会の審理を求め、昭和三二年九月一八日第一回委員会で申請人等の不正行為事実を提示説明したが、同委員会は、申請人等の頑強な否認もあることとて、慎重を期し、一〇月一七日、一二月五日、同月二一日の計四回に亘つて審査し、その間組合側賞罰委員においても組合側の立場から申請人等の無実を証すべく、会社側証人の証言に作意誘導又は圧力の跡がないか調査すると共に右証言の反証となるべき証人を申請人等に訊ねその証言を求め或いは申請人等の職場の同僚等の供述を求める等の努力を払つたのであるが、右の努力は徒労に帰したばかりか却つてその不正行為を明かにし、結局同委員会で前述の如き申請人等の常習的積極的な不正行為及び之を他の従業員に誘惑教唆する等不正者間で指導的役割を果して来た事実が認められるに至り、遂に右最終の委員会において、申請人等が前述の運輸従事員賞罰規程の条項に該当する行為をなしたかどにより、右条項に定められた懲戒解雇とするを相当とする旨満場一致で決定されたのである。そこで会社は、同日神戸線運転課長をして申請人等に対し、神戸線賞罰委員会において全員一致で申請人等をその主張の理由の下に懲戒解雇する旨決定したので即日解雇する旨、通告させ、同日右同旨を記載の書留内容証明郵便を申請人等宛発送したのである。従つて、本件解雇は、申請人等の主張する如く、懲戒事由のいずれに該当するか明らかにせず一方的形式的調査のみで押し付け的になされたものでは決してない。
又、運輸従事員賞罰規程第八条懲戒基準第一表第四号に定められた「会社の金銭を着服したとき」に該当する者の懲戒は、懲戒解雇と諭旨解雇のみである。この様に、運輸従事員に特に厳格なのは、運輸交通事業においては零細な乗客運賃の集積が会社経営の基礎となるからであり、又、監督者同僚の眼を離れて独り孤立して勤務する場合も多く会社と従業員間に高度の信頼関係が要求されねばならないからである。そして、従前から、駅勤務者の金銭上の不正行為の懲戒は、すべて懲戒解雇とされている。会社は、同種事例と同様、「(イ)不正行為が一時の出来心でなく常習的である。(ロ)不正行為を行うに際し、積極的であり他の従業員を教唆煽動し不正のグループに捲き込み、不正行為者の指導者的立場にあつた。(ハ)改悛の情なく運輸従業員として更生の見込がない」等の基準に照し、申請人等を企業内部にとどめることは企業の存立上又他戒の意味からも許し難いと認めて、申請人等を懲戒解雇としたのであるから、右解雇は何ら労働協約、就業規則に違反せず、適法かつ当然の措置であつて決して重きにすぎるものではない。
四、申請人等主張の、四の事実中、その主張の日以降賃金を支払つていないとの点は認めるが、その余はこれを争う。
就業規則第一〇〇条、労働協約第四一条によると、会社は、懲戒に該当する疑のある行為があつた社員(労働組合員)に対し、業務の性質によつて懲戒決定前に必要がある場合は、一月以内の就業制限を命ずることができ、右期間は賞罰委員会の議を経て延長することができること、就業制限中の待遇については、会社は該行為が業務上の事故(業務遂行上の過失の意味)の場合には、基準賃金の一〇〇パーセントを支給し、その他の場合には基準賃金の六〇パーセントを基準として決定すること、会社が右により就業制限を命ずる場合並びに就業制限中の待遇を決定する場合、組合の同意を得て行うこと等が定められている。そして、労働協約に関し労使間に交わされた協約第四一条に関する覚書第一二によると、会社が、就業制限を命じる為、又は、就業制限中の待遇を決定する為、組合の同意を求めた場合、組合は、公正に審議判断して同意を与えること、同覚書第一三によると、就業制限中の給与は業務上の事故(業務遂行上の過失の意味)以外の場合、基準賃金の六〇パーセントを基準とするとの協約条項は、基準賃金の〇パーセントの場合も含むと定められている。
会社は、右各規定に従つて、組合に対し、申請人大谷重雄について昭和三二年一〇月七日から、その他の申請人等について同年九月一一日から夫々就業制限の措置をとり右の期間中の賃金は支払わない事の同意を求め之を得て、就業制限の措置をとり、その後解雇に至るまで、賞罰委員会の議を経て、一月毎にその期間を延長し、最終の右委員会においていわゆる業務上の事故によらない場合として就業制限中の賃金は支給しない旨の前記同意を確認する意味の決定がなされたので、会社は、これに従い就業制限中の賃金を支給しないものである。
右就業制限は、一種の条件付出勤停止処分であるが、従来から降職、解雇に該当する様な重大な有責事故を起した者に対し、処分確定までそのまま勤務させることによつて本人が精神的に動揺し或いは圧迫感を受け又は上司同僚から白眼視されない様にし因て事故の誘発拡大を防止しようとする目的をも有し、懲戒ではあつても、多分に予防措置的要素を含んでいる。この点からすると、就業制限は事故発生又はその発見後速かに行われなければ実効なく、賞罰委員会開催前にこの措置がとられるのはこの為である。一方、日々の零細な運賃収入を経営の基礎とする運輸交通事業の特殊性からして、申請人等の本件金銭着服行為に対して金額の多少に拘らず断固たる処置をとる必要があるが、会社としては事件の全貌をつかみ確信を得るまで公にする事を避けていたのである。しかも、就業制限が長期間に亘つたのは、申請人等の望む証人の調査等組合側の意向を容れて処分の手続に更に慎重を期したからである。要するに、かかる意味合の就業制限であるから、職場秩序を乱し企業を害した申請人等に対し、その期間中の賃金を支払ういわれはない。そして、就業規則制定以来、本件の如き悪質な事例については賃金が支払われないのが慣行となつている。右に述べた如く、本件就業制限は申請人等の責に帰すべき事由による休業で、使用者の責に帰すべき事由によらないものと言うべきであるから、労働基準法第二六条所定の休業手当支払の義務はなく、又、申請人等の就労もないから、同法第九一条にも牴触しない。
以上述べたように、申請人等に対する本件解雇は適法有効で申請人等は最早会社従業員としての地位を有せず、又、申請人等は就業制限後の賃金請求権を有しないから、その本件仮処分申請は被保全権利を欠き失当である。
第四疎明関係<省略>
理由
一、申請人等は、いずれも、会社の従業員であつたところ、昭和三二年一二月二三日会社より「駅勤務における乗車券の取扱その他に関する不都合な行為」ありとし、同月二一日付で懲戒解雇に付する旨の意思表示を受けた事は当事者間に争がなく、右懲戒解雇の通告は同月二一日口頭でなされた懲戒解雇の意思表示を明確にするため、重ねてなされたものであることは後記認定のとおりであり、又懲戒事由の告知も右認定のとおりであれば、不明確な表現として懲戒解雇の意思表示を無効ならしめるものとは解し難い。
二、ところで申請人等は被申請人主張の懲戒事由を争うので、先ずこの点につき判断する。
証人中森孝の証言により成立が認められる乙第四号証、第八号証の一ないし一五、第一三号証、証人松尾二三夫の証言により成立が認められる乙第一七号証、証人中森孝、井上昌三、岡晴男、松尾二三夫の各証言によると次の事実が疎明される。
昭和三〇年中頃から、会社の改出札業務に関する金銭着服行為の拡大ないしは組織化の風評が流布され始め、現に不正行為が再三監督者の目にも触れるに至つたので、会社もその対策に意を用い、風評の収集分析更に進んで証言を求める等不正行為の具体的事実不正行為組織の概況の把握等に努めた結果、不正行為者数十名及びそのうち特に悪質常習的であつて、しかも他の従業員を教唆誘惑煽動し指導し他の管区の不正行為組織と連絡する等中心的指導的立場にある者が申請人等を含め十数名あることが判明した。
右不正行為者等の不正行為の手段の概要は、被申請人主張の第三、二、(二)1、に記載のとおりで、「たらい廻しし」と通称される入鋏済乗車券再発売の方法乗継金現金着服の方法等であるが、申請人等は右の各種の方法の一部又は全部を常習的に使用して乗客運賃を不正に領得する等の行為に出、因て会社に少からぬ損害を与えたものである。具体的に見ると、
申請人中井公平は、昭和三一年一一月一六日から昭和三二年二月一五日までの間、梅田駅勤務中、神戸駅改札係一原正博、梅田駅勤務の申請人桜井政司、神戸駅東改札口勤務の同嶌田政治等と共謀して、梅田駅神戸駅間の「たらい廻し」を行い、自ら廃札を集め、または梅田駅集札係等より神戸駅発行の廃札を収集し、その大部分を申請人桜井政司と共に神戸駅に運搬し(その間自己の職務は同僚に代務させる。)、前記一原正博その他の同駅改札係に売却又は配布の上これを前記の如く新券にすりかえ再発売させる等して会社の乗客運賃を不正に領得し、又は之を教唆し、同年二月一八日以後西灘駅在勤中は、同駅、六甲駅及び神戸駅東口の駅員等と共謀して、神戸駅在勤中は、同駅及び西灘駅の駅員等と共謀して、夫々各駅間で通称「たらい廻し」を行い不正に会社の金銭を領得し、同年五月一六日より六月一五日までの間、神戸駅東口国鉄連絡口精算所の駅員と共謀して右各所間で同様「たらい廻し」を行い、前記の如く廃札回収新券取得再発売等の方法により会社の乗客運賃を不正に領得し、同駅国鉄連絡口改札係勤務中、かねて入手の一区乗車券廃札を通称「空パンチ」を使用して乗客の新券とすりかえ、之を再発売して乗客運賃を不正に領得したものであり、なお昭和三〇年一〇月一二日梅田駅勤務中、会社の金銭を領得する手段に供する目的で六区乗車券五枚を所持していたところを同駅助役に発見、厳重に説諭され、処分保留になつていたものである。
申請人嶌田政治は、昭和三一年八月一五日から一一月一五日までの間、神戸駅東口勤務中、数回に亘り、同駅西口勤務の大西昭二に対し七区乗車券廃札多数を売却し同人の会社金銭不正領得行為を幇助し、同年一一月頃、同駅東口勤務中、梅田駅勤務中の申請人中井公平等と共謀して、右両駅間で前記の如く通称「たらい廻し」を行つて多額の会社の金銭を着服し、昭和三二年二月一五日から五月一五日までの間、神戸駅東口精算所勤務中、同駅東口国鉄線連絡口の出改集札係員等と共謀の上、右改集札係員をして精算所等発行の廃券を集めさせ、二つ折りの厚紙に狭む等して隠匿の上再発売し、或いは再発売に見合う新券を抜取り出札係員に発売させる等して得た金銭を、その五割ないし七割を右出札改札集札係員に分配し残余を取得して会社の金銭を着服し、
申請人大谷重雄は、昭和三一年一月以降塚口管区特に伊丹駅に改出札係として勤務中、梅田駅塚口管区各駅々員と共謀の上、かねて梅田駅集改札係員に収集させておいた、主として塚口管区各駅発売の乗車券廃札を、出勤途中連日の様に梅田駅附近の指定場所で同駅々員から受取り、或いは駒田擁造をして受取りに行かせる等して廃札を収集し、これを、伊丹、武庫之荘駅等主として塚口管区各駅の出改札係員に自ら配布し又は運搬役の乗務員をして配布させ、右出改札係員等をして再発売させて金銭を得、又、前述のとおり収集した廃札を右係員等をして新券とすりかえさせた上之を再発売させて現金を得、自らも、昭和三二年一月頃伊丹駅で廃札を女出札係に発売させ自らは改札係として空パンチを使用する等の方法で現金を得、その一部を各実行分担者に分配の上残りの金銭を着服し、
申請人桜井政司は、昭和三一年一一月頃から昭和三二年四月頃までの間、梅田駅勤務中、前記の如く、申請人中井公平、一原正博等共謀し或いは単独で、通称「たらい廻し」を行い、連日の如く同駅集札係に収集させた六、七区間(六甲駅―梅田駅間、神戸駅―梅田駅間に相当)等の乗車券廃札を集め、その発行駅まで運搬し、出改札係に一枚一〇ないし一五円で売却して同人等の不正行為を幇助し、或いは右一原を通じて右各駅出改札係に配布し額面の二割程度の手数料を支払つて新券と交換し、之を出札係をして発売させて会社の金銭を着服したものである。
三、右認定に挙示した疎明資料によると申請人等がいずれも会社運輸部に所属することは明らかであるが、成立に争のない乙第一、二、三号証によると、会社の就業規則第九三条但書は「運輸部に所属する社員については『運輸従事員賞罰規程』の規定する事項については、その規定に従う」旨定め、又、労働協約第三五条第一項但書は、「当該組合員の所属各部において、特に協定せられた賞罰規定がある場合は、その規定する事項については、その規定に基いて(賞罰委員会が賞罰の可否及びその程度を)協議決定する。」旨定め、右就業規則の規定に基き定められた運輸従事員賞罰規程第八条所定の懲戒基準第一表四号は、「会社の金銭を着服したとき」その行為をなした者は懲戒として諭旨解雇又は懲戒解雇に付する旨定めていることが明らかである。そうすると、前段認定の申請人等の各所為については、就業規則第九八条第七号労働協約第四〇条第七号ではなしに、運輸従事員賞罰規程第八条懲戒基準第一表四号に関する規定が適用され、右各所為はその規定する「会社の金銭を着服したとき」に該当するものと言わねばならない。
四、成立に争のない乙第二、三号証によると、懲戒手続として、労働協約第三五条第一項は懲戒の可否程度を協議決定するため会社、組合各々を代表する委員によつて構成される賞罰委員会の設置を定め、同条第二項は同委員会の規定は別に労使間で協定する旨定め、之に基き会社運輸部と組合間に運輸従事員賞罰委員会規程が協定されていることが明かである。そして、成立に争のない甲第一号証の一ないし四、乙第三号証、証人中森孝の証言により成立の認められる乙第四号証、証人鈴木勇の第一回証言により成立の認められる同第六号証、証人松尾二三夫の証言により成立の認められる同第一七号証、証人井上昌三、中森孝、鈴木勇(第一、二回)、岡晴男、松尾二三夫、中田大三の各証言によると、会社は申請人等の不正行為につき調査しほゞ確信を得た上で、申請人大谷重雄を除く他の申請人等については昭和三二年九月一〇日、申請人大谷重雄については同年一〇月七日に、前記規程に基く会社神戸線賞罰委員会にその懲戒の審査を求め、同委員会は同年九月一八日、一〇月一七日、一二月五日及び同月二一日の四回に亘つて審査し、第一回期日(申請人大谷重雄については一〇月一七日、その他の申請人については九月一八日)には会社側から申請人等の懲戒事由が述べられると共に会社側調査の証人聞取書が提出され、これに対し組合は右期日外で反証として及び申請人等の望む証人等を数十名調査し、その為同委員会は三回に亘つて続行されたが、組合側の調査によつても申請人等の前述の懲戒該当行為を明かにしこそすれその存在の確信をゆるがせるに至らず、最終期日において会社側からなされた申請人等を運輸従事員賞罰規程第八条所定懲戒基準第一表四号により懲戒解雇としかつ就業制限中の賃金及び退職金は支給しないとの提案を同委員会は満場一致で可決したこと、そこで会社は同日神戸線運転課長をして申請人等に対し同日付で懲戒解雇する旨意思表示をさせ、更に申請人等に対し同日付の内容証明郵便により右懲戒解雇の趣旨を明確にしたことが疎明される。そうすると本件懲戒解雇は就業規則労働協約の定める手続に従つてなされた手続的には瑕疵のないもので、一方的形式的調査のみで強圧的になされたものと言うことはできないと言うべきである。
五、被申請人会社がその主張の如き運輸交通事業を営むことは申請人等の明かに争わない事実であるところ、かかる企業に於ては零細な乗客運賃収入が経営の基礎であり之を従業員が業務上不正に領得する行為は経営の基礎をゆるがせるものであつて、従業員は監督者同僚の眼を離れ孤立して勤務する事も多く又現金を取扱う為高度の信頼関係が要求されるところ、前述の申請人等の不正行為の範囲態様手段他の従業員に与えた影響等を考えると、被申請人において申請人等を会社企業内部にとどめることはその存立上からも、経営秩序維持の為からも、はたまた他戒の目的からも許し難いものとして、懲戒解雇処分に付したことを以て、あながち過酷な不当な処分とはいい難く、また本件に現われたすべての疎明資料によつても、申請人等主張の如く、申請人等のみを特に重く処分したという偏頗な事情も窺えないのであるから、本件懲戒解雇を以て、労働協約、就業規則の適用を誤つたものとはいい難く、これを無効とする申請人等の主張は採用し難い。
六、次に就業制限中の賃金請求権の存否につき判断する。
申請人大谷重雄を除く他の申請人等の昭和三二年九月一一日以降、申請人大谷重雄の同年一〇月七日以降の賃金を会社が支払つていないことは当事者間に争がない。そこで、右各日以降懲戒解雇迄の間の申請人等の賃金請求権の存否について判断する。
成立に争のない乙第一、二号証、証人鈴木勇の第二回証言によると、就業規則第一〇〇条、労働協約第四一条は、懲戒に該当する疑のある行為があつた従業員に対し、業務の性質によつて懲戒決定前に必要がある場合は、会社は、組合の同意を得て一ケ月以内の就業制限(その性質は後述)を命じることができ、又、賞罰委員会の議を経てこの期間を延長することができること、右期間中の待遇については、該行為が業務上の過失によるときは、基準賃金の一〇〇パーセントを支給し、その他の場合には、組合の同意を得て、その六〇パーセントを基準として決定されること等を定め、更に右労働協約締結の際労使間で意見の一致を見た覚書第一三において、右の「基準賃金の六〇パーセントを基準と」するとは、「基準賃金の零パーセントの場合をも含む」意味と了解されていることが疎明される。そして、四に挙示の各疎明資料によると、会社は、右の各規定に従つて、本件不正行為の疑のある申請人等について業務上必要と認めて、労働組合の同意を得て、申請人大谷重雄を除く他の申請人等に対し昭和三二年九月一一日以降、申請人大谷重雄に対し同年一〇月七日以降夫々就業制限に付し、以後一月毎に神戸線賞罰委員会の議を経てその期間を延長しかつその間事実上賃金の支払を停止して来たが、同年一二月二一日同委員会は申請人等の懲戒解雇と共に就業制限中の賃金は全額支給しない旨の会社側委員の提案を満場一致で可決したので、会社は右決定に従い就業制限中の賃金を支払つていないことが疎明される。右各疎明に反する疎明資料はない。
七、ところで、証人鈴木勇(第二回)、松尾二三夫、中田大三の各証言並びに弁論の全趣旨によると、就業制限とは、懲戒に該当する疑のある行為をなした従業員に対し、懲戒につき決定がなされるまでの期間事情調査の為の証拠湮滅懲戒該当行為の再発並びに事故の発生を防止する目的で使用者の命じる出勤停止で、懲戒未確定期間中の暫定処置であつて本来の性質は懲戒そのものではないことが窺われる。いま、この就業制限の適否について按ずるに、会社が就業規則、労働協約、またはこれに基く覚書において、従業員の就労を拒否しうる場合を定めることは、従業員の就労請求権を認めるか否かにかかわらず、何ら強行規定に違反するものではないが、右就業制限に伴い賃金の支給を零パーセントとすることができるという一般的な規定を設けることは、労働基準法の賃金支払保障の強行規定に反し無効であるというべきである(従来零パーセントの取扱が慣行的になされてきたからといつて有効になるわけでない。)。けだし、使用者が労働者の就労を拒否し、なお賃金債務を免れうる場合は、その就労拒否が使用者の責に帰すべからざる事由に基くときに限定されるのは、民法第五三六条第二項、労働基準法第二六条に照して明白というべく、また右使用者の責に帰すべからざる事由の存否は個々の具体的事情に応じて判定せらるべきものであり、ある従業員に懲戒事由に該当する行為があつたとの疑を生じ、懲戒手続開始の運びに至つたからといつて、会社が就業制限の理由として挙げるような事故発生、不正行為再発、証拠湮滅等のおそれまたは危険性が常に具体的に生じるものとは考えられず、またこれらのおそれまたは危険性は別途にこれを除去する方策もあるのであるから、就業制限を以て使用者のやむをえない処置であり、その責に帰すべからざるものとして賃金債務を免れるものとすることはできないからである。従つて前記労働協約に基く覚書が有効なものとして通用するのは、会社の就業制限がその責に帰すべからざる事由に基くものと認められる場合に限られるのであつて、単に右覚書のみを根拠にして賃金責務の免責を得たものとする、被申請人の主張は採用し難い。そして本件では、改札係(成立に争のない乙第一四号証によつて明らかである)の申請人等が懲戒事由ありとの嫌疑をかけられたことのため事故発生のおそれを生ずるに至つたものと認められる疎明資料もないし、また申請人等において不正行為の嫌疑を受けながらこれを敢行するおそれあることを認めしめる資料もない。さらに証拠湮滅のおそれがあるとしてもそれを防ぐために就業制限を必要とする状態にあつたことを窺わしめる資料もないのであるから、前記就労制限を以て会社の責に帰すべからざる事由に基くものとして賃金債務の支払を拒否することはできないものといわなければならない。
ところで、成立に争のない甲第五号証の一ないし四によると、申請人等の平均賃金の月額は、申請人中井公平が二三、五九七円、同嶌田政治が二三、四八五円、同大谷重雄が一四、三二八円、同桜井政司が二五、四二九円であることが疎明されるから、会社に対し就業制限中の賃金として、申請人大谷重雄は昭和三二年一〇月七日以降、その余の申請人等は同年九月一一日以降いずれも同年一二月二一日までの、右割合による賃金債権を有するものというべきである。
八、そこで右賃金債権につき本件の如き仮の地位を定める仮処分をする必要性があるかどうかにつき検討するに、右賃金債権は将来長期に及ぶ継続的なものではなく、過去の僅か二箇月あるいは三箇月余の賃金のみに関し、その額もさほど多額でないし、さらに申請人等本人尋問の結果により明らかな如く、申請人大谷は独身で親と同居し家業の酒類小売商を手伝い、生活に困窮していないし、他の申請人等はいずれも賃金労働者であるが、すでに他に雇われて収入を得ている事情を併せ考えるとき、いまたゞちに右賃金支払の仮処分を得なければ申請人等に著しい損害が生ずるものとはいい難く、他に右認定を覆し、本件仮処分の必要性を認めしめるに足る疎明はない。
九、そうであれば、申請人等の本件仮処分の申請は、被保全権利または保全の必要性を欠き失当であるから、いずれもこれを却下すべきものとし、訴訟費用の負担について民訴法第八九条、第九三条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 金田宇佐夫 荻田健治郎 野田殷稔)
(別紙)
賃金表
氏名
一箇月賃金
支払日
賃金未払の期間
中井公平
二三、五九七円
毎月二五日
昭和三二年九月一一日以降
嶌田政治
二三、四八五円
〃
〃
大谷重雄
一四、三二八円
〃
同年一〇月七日以降
桜井政司
二五、四二九円
〃
昭和三二年九月一一日以降