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大阪地方裁判所 昭和33年(ワ)5295号 判決 1963年7月19日

判   決

大阪市東成区大今里本町二丁目一六三番地

原告

安部万一

右訴訟代理人弁護士

遠藤寿夫

布施市大字新喜多三八二番地

被告

松本次郎

同所同番地

被告

中右義武

右訴訟代理人弁護士

岡沢完治

山内円

右訴訟復代理人弁護士

三橋完太郎

右当事者間の家屋明渡請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

原告の請求は、これを棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一、双方の申立

一、原告は、被告両名は原告に対して、別紙目録記載の家屋を明渡せ、被告中右義武は金六六七円を、被告両名は連帯して昭和三三年一一月一日から右家屋明渡しずみまで、一月金二、三〇〇円の割合による金員を支払え、訴訟費用は、被告等の負担とするとの判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二、被告両名は、主文同旨の判決を求める。(以下省略)

理由

一、当事者間に争いのない事実。

原告が別紙目録記載の家屋を訴外本多梅吉から買受けて所有権を取得したこと、被告両名が右家屋に居住してこれを占有していること、原告が昭和三三年一〇月二三日到達の書面で、被告次郎に対し、無断転貸を理由に契約解除の意思表示をなしたこと、同年九月当時の右家屋の賃料が月額二、三〇〇円であつたこと、亡房次郎が被告次郎、中右輝子、亡房太郎の父であり、房次郎が昭和八年頃から同家屋を賃借し、同人が昭和二四年一〇月九日死亡し、その長男房太郎が相続により同賃借権を承継したこと、房太郎が昭和二八年八月二二日死亡し、同人の妻淑子がその後四十九日を経た頃神戸なる実家に長女礼子を伴い帰り、後復籍したこと、房次郎の遣妻にして房太郎、輝子、被告次郎の実母なる松本せいが、昭和二九年二月七日死亡したこと、同年四月一二日被告義武が、妻輝子ほか三人の女児とともに兵庫県加南郡北条町から本件家屋に転入居したこと、被告次郎が昭和三二年九月頃中嶋八千穂と婚姻間もなく宝塚市米谷字南山二の一に移住同棲し、昭和三三年一〇月末日頃再び本件家屋に妻子とともに帰り住んでいることは、当事者間に争いがない。

二、本件家屋の居住関係。

(証拠―省略)を合わせ考えると、次の事実を認めることができる。

(イ)  賃借人房次郎は、昭和八年頃本件家屋を北浦信太郎より期限の定めなく賃借し、同家屋の所有者は、同年六月中島末次郎、昭和二二年中島市蔵、本多梅吉、昭和二八年六月原告に順次交替するとともに賃貸人の地位を承継したものであつたが、房次郎は、昭和二四年一〇月九日死亡した。

この間に、房次郎の長女輝子は、昭和二二年一月被告義武と婚姻して、兵庫県加西郡北条町に移つたが、翌二三年五月離婚して実家なる本件家屋に帰住し、更に翌二四年八月再婚して北条町なる被告義武の許に帰つた。

また、輝子の兄にして房次郎の長男なる房太郎は、輝子が帰在中であつた昭和二三年八月に淑子と婚姻して本件家屋に同居した。

そこで、房次郎死亡時の家族としては、妻せい、長男房太郎にその妻淑子、長女礼子、次女純子、被告次郎の六人であつた。

(ロ)  房次郎の死亡後、原告は家賃通帳の名宛人を房太郎に改めた。房太郎は昭和二八年八月二二日死亡した。その前昭和二五年一一月、その次女純子は死亡していた。そこで、房太郎死亡時、本件家屋には、せい、淑子、礼子被告次郎が同居していたが、淑子は同年一〇月一九日神戸市灘区の実家へ、当時五才なる礼子を伴つて帰住し、本件家屋には、せいと被告次郎が常住し、次郎は間もなく大久保千代子と内縁関係に入り、同人をここに住まわせていた。他方、病弱にして婚家の親との折合のよくない輝子は、母せいを慰めかたがた、度々本件家屋に帰住していた。

(ハ)  松本せいは、長男房太郎の死に痛く落胆して、その後半歳にして昭和二九年二月七日死亡した。同年三月末輝子の夫義武が失業し、大阪に求職の必要もあつたので同年四月一二日輝子は、被告義武、当時七才、五才、二才の三女子を引きつれて本件家屋に入居した。そして、房太郎の長女礼子はその頃下小坂住田四郎方へ養女にやり(ただし入籍は翌三〇年二月)、淑子も実家なる田中の姓に復籍したので、本件家屋には、次郎とすでに同居中であつた内縁の妻大久保千代子、被告義武および同家族が同居した。

(ニ)  千代子は翌三〇年二月長男康秀が出生したので、婚姻届を為して次郎の戸籍に入籍したが、出生二ケ月にして康秀が死亡した。そして同家における千代子は、輝子や夫次郎とも折合が悪くなり翌三一年二月離婚して、この家を去つた。

(ホ)  被告次郎は昭和三二年九月中嶋八千穂と婚姻し、宝塚市米谷南山二の二へ転出して新家庭をもち、翌三三年一一月さらに右南山二の一へ転居した。これは前婚の失敗に鑑み、被告義武の家庭と自身の家庭の円満をはかり、かつ自分の勤務先の都合、転居しやすいこと等から、丁度宝塚市の知人から留守番かたがた居住してよいという住居を得たからであつた。ところが、原告から昭和三三年一〇月二三日到達の無断転貸による契約解除の通知を受領し、同月末本件家屋に八千穂、長女昌子、次女美穂子を伴い帰住した。

三、賃借権の承継。

(一) 房次郎の死亡で、本件家屋の賃借権が長男房太郎に相続により承継されたことに争いはないが、これを同人の単独承継となすのは誤りである。相続財産の分割とか、他の相続人の相続放棄ということもなく、また、原告が共同相続人等と賃貸借契約を改めて賃借人を房太郎ひとりと定めたこともない本件では、房次郎の有した賃借権は、妻せい、長男房太郎、長女中右輝子、次男被告次郎が共同相続によりこれを承継したと解すべきである。もつとも、房太郎は房次郎に代つて世帯主となつたので、同人の共同生活における主宰的地位に着目して、賃借権が同人に集約されて、あたかも単独承継したかのように取扱う考方もないではない。しかし、母せい、被告次郎等は、世帯主たる房太郎の家族、すなわち淑子、礼子と同視するわけにもいかない。共同相続人の一人が世帯主として代表的賃借権の行使を担つたからといつて、それがため、同居の他の相続人がその賃借権を喪失するいわれはなく、ただ、その者等の賃借権は、世帯主たる相続人の賃借権行使に対しては、後退、潜在化しているものと解せられるからである。しかしながら、中右輝子は、右相続の一月前に被告義武と再婚して他家に在り、本件家屋に居住の必要もなく、居住要求等の賃借権行使の表明もなかつたのであるから、すでにその取得した賃借権を賃貸人たる原告に対抗し得なくなつたものである。

(二) ところで、昭和二八年八月二二日房太郎が死亡した。同人の有した賃借権は、妻淑子と長女礼子が共同相続した。そして、母せいと弟なる被告次郎の本来承継し潜在化していた賃借権は、房太郎の死亡によつてかえつて復活する。すなわち、房太郎にかわつて、せいが世帯主的に家事をきりもりし、あたかも同人が単独承継したかのように賃借権の代表行使をなす立場となつた。それと反対に、淑子は、房太郎の死後二月位で神戸市の実家に礼子を伴い帰住し、翌二九年六月八日復籍し、礼子をその前月同年五月住田四郎等の養女とするため同人方へ転出させ、昭和三〇年二月正式に住田の養女として入籍させる等のことがあつた。淑子と礼子は、このように早くより本件家屋から離れてこれに居住の必要もなくなり、またかつて一度も居住の意思を示した実跡もないのであるから、淑子および同人の親権行使にかかつていた礼子の賃借権は、同人等の前記転出によつてこれを放棄し、最早原告に対抗し得なくなつたとみるほかない。

(三) 次いで、昭和二九年二月七日松本せいが死亡した。その賃借権は、被告次郎と中右輝子が相続承継した。そして、輝子は、被告義武が同年三月末失業し、大阪に職を求める必要にせまれていたので、夫婦、三女児の生活の根拠として本件家屋の居住が必要となつたので、被告次郎の同意のもとに、同年四月一二月家族全員の転入をなして、本件家屋に居住するようになつた。かようにして輝子は前回と異り、相続開始に近接した二個月後、すなわち相続の放棄承認の期間内に入居してきたものであるから、輝子の本件家屋居住は、その賃借権行使として許容しなければならないものであり、夫なる被告義武および三子女は、右賃借権を援用して、同居できるものである。

四、結 論

そうだとすれば、被告次郎の賃借権譲渡の有無が輝子の賃借権行使に何等の消長をきたさない筋合であるから、原告の解除の意思表示は効力がなく、その他の点を判断するまでもなく、原告の被告等に対する明渡請求はその理由がなく、また、被告等の不法占有を原因とする損害金の請求の理由がない。

よつて、原告の本件請求を失当として棄却することとし民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

大阪地方裁判所第二六民事部

裁判官 玉 重 一 之

物件目録(省略)

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