大阪地方裁判所 昭和34年(わ)164号 判決 1959年6月27日
主文
被告人を懲役壱年に処する。
未決勾留日数中百八拾日を右本刑に算入する。
本件公訴事実中強姦罪に関する部分(昭和三十三年十月二十三日附起訴状記載の事実)の公訴を棄却する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、かつて大阪市内の暴力的団体である盟友会の会員であつたが、
第一、同じく暴力的団体柳川組に所属する金尚律と共謀の上、昭和三十三年四月初旬頃大阪市北区小松原町十六番地ニユー阪急食堂前路上において、米花康次(当時二十九年)に対し、「一杯飲ましてくれ」「金がなければお前のはめている時計を質に入れ」などと申し向け、これを断るといかなる危害をも加えかねないような態度と気勢を示して脅迫し、被告人らがいずれも暴力的団体に関係のある人物で乱暴者揃であることを知つている右米花を畏怖させた上、同人の腕時計を担保に他より金借をさせ同区梅田新道のアルバイトサロン、ニユーコトブキにおいて女給四名のサービスの下にビール九本位に南京豆などの突出しの饗応(代金四千円相当)を受け、右米花をして右代金を支払わせてその支払を免れ、よつて不法に右代金額相当の財産上の利益をえ、
第二、同年六月九日頃、同市東成区大今里南之町一丁目七十六番地先路上において、三原正一こと鄭正一(当時二十三年)に対し、些細なことから腹を立て、手拳で同人の顔面を殴打し、よつて同人に約一週間の加療を要する顔面打撲症などの傷害を負わせ、
第三、同年九月二日頃、同市生野区猪飼野東二丁目六十六番地パチンコ店七福会館において、遊戯中の藤田稔こと斐承礼(当時二十年)に対し、出玉をくれと要求して断られたことに腹を立て、手拳で同人の顔面を殴打し、よつて同人に約一週間の加療を要する左眉部を主とした顔面打撲傷及び左下眼瞼部に内出血を伴う打撲傷を負わせ
たものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(法令の適用)
被告人の判示第一の事実は刑法第二百四十九条第二項、第一項、同第六十条に、判示第二、第三の各事実はいずれも同法第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、同第三条第一項第一号に各該当するところ、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから判示第二第三の罪につき所定刑中いずれも懲役刑を選択し、同法第四十七条本文、同第十条を適用して最も重い判示第一の恐喝の罪の刑に併合罪の加重をなしその刑期範囲内において被告人を懲役壱年に処することにし、同法第二十一条を適用して未決勾留日数中百八拾日を右本刑に算入する。なお訴訟費用中国選弁護人に支給した分の二分の一は被告人に負担せしむべきところ、貧困のためこれを納付することができないこと明らかであるから刑事訴訟法第百八十一条第一項但書に従つてその負担を全部免除することにする。
(強姦の事実につき公訴棄却の云渡をした理由)
本件公訴事実のうち強姦罪に関する部分の公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和三十三年十月五日午前三時三十分頃、帰宅の途中、大阪市北区堂山町の錦食堂前の通路にさしかかつた際、同食堂にうどんを注文して帰宅途中の顔見知りの甲野A子(当時十八歳)と出合い、俄かに劣情を催し、同女を強姦しようと考え、いやがる同女の左手首を右手で強く掴んで約百米離れた同町八十八番地クラブアロー南側敷地の自動車駐車場に連れ込み、同所の砂利敷の地上に同女を仰向けに倒し、その上に馬乗りになり、右手で同女の喉をおさえつけ、「声を出すな、人を殺すぐらい何とも思つてへんぞ」と脅迫し、同女の反抗を不能にした上、強いて姦淫したものである。」というにあるが、右の事実は強姦罪として起訴されたものであるから、その公訴提起が有効とされるためには、適法な告訴があつたことが必要である。しかるに、適法な告訴があつたかどうかにつき争があるので、まずこの点につき検討を加えることにする。
甲野A子の司法警察員に対する告訴調書及び同人の検察官に対する昭和三十三年十月十五日附供述調書には、いずれも被害事実に関する記載と共に被告人を処罰してほしい旨の記載とがあり、これと第五回公判調書中証人利岡正一の供述記載及び証人大槻竜馬の当公廷における証言とを併せ考えると甲野A子が司法警察員及び検察官の面前においていずれも右記載どおりの被害事実に関する供述をすると共に被告人を処罰してほしい旨の供述をなしその供述に基いて右各調書が作成されたとの事実を認めることができる。もつとも、第四回公判調書中証人甲野A子の供述記載及び同人の当公廷における証言中には、同人が司法警察員及び検察官に対し被告人を処罰してほしい旨の供述をしたことはないとの記載又は供述があるけれども、それは証人利岡正一の前記供述記載及び証人大槻竜馬の前記証言並びに証人甲野A子の当公廷における供述態度などに照し、信用しがたいものと考える。そして、告訴とは被害者その他法律上告訴権を有する者が検察官又は司法警察員に対し犯罪事実を申告して犯人の処罰を求める意思表示と解されているから、被害者甲野A子の検察官及び司法警察員に対する犯罪事実の申告と犯人の処罰を求める旨の意思表示とが一応存在する本件は、適法な告訴があつたような外観を呈しているのである。
しかしながら、告訴は、もとより法律行為であるから、告訴の意味を理解し且つそれに基いて判断をなしうる能力のある者によつてなさなければならない上、それは告訴権者の意思をそんたくするために設けられたものであるから、告訴の要件に合致した内容の表示があれば足りるというわけではなく、表示の内容に添う内心の意思の存在をも必要とすると考える。従つて有効な告訴があつたかどうかの判断をするに際しても、いたずらに処罰を望む旨の表示がなされたとの外形的事実のみに拘泥すべきではなく、告訴権者の能力及び内心の意思の探究をも怠つてはならないと考えられる。そしてそのためには、告訴権者の年令、職業、加害者との関係、告訴当時の事情など諸般の情況について判断する必要が生じてくるのである。そこで、それらの事情について考察を加えることにする。
まず、司法警察員に対する告訴の有無について考えてみる。第五回公判調書中証人利岡正一の供述記載並びに甲野A子の司法警察員に対する告訴調書を綜合すると、被害者甲野A子は、いわゆる深夜喫茶店の女給をしていた者であつて、近くの店でバーテンをしていた被告人とは店の客として顔見知りの間柄にあつたところ、昭和三十三年十月五日、夜食のうどんを注文しに行つた際、勤め先より帰宅途中の被告人と出会い本件被害をうけるに至つたというのであるが、その後被告人を怨む気持はあつたけれども、さりとて警察に届け出る程の気持もなく災難として諦めてそのまま放置しておいたところ、偶々その翌々日の同月七日、被告人が恐喝の容疑で逮捕せられ、その聞き込みに附近の店を訪れた警察官の知るところとなり、参考人として取調をうけるようになつたものであつて、その当初は被害事実の供述もしぶつていたところ、被告人が他の罪ですでに逮捕されていることを知らされ、それならばこの際申し上げますということになり、被害事実の供述をするようになつたのであるが、なにぶん被害者甲野A子は深夜喫茶店で働いている昭和十四年十二月二十八日生れの未成年者であつたところから、取調に当つた司法警察員において、親権者につき告訴をする意思があるかどうかを確めようとしたところ、被害者甲野A子より、「親に内緒で女給をしているのが知れると困る上、強姦されたことがわかると恥しいから内緒にしてほしい」との要望があつたのでこれを取り止めることにし同人について処罰を求めるかどうかその意思の有無を問うたところ、「他の罪で捕つているのであればこの際一緒に処罰してほしい」旨の供述をしたので、告訴する意思あるものとして詳細事情を聴取の上告訴調書を作成するに至つたとの事実を認めることができる。
ところで、右認定の事実によつてすでに明らかなように、被害者甲野A子の司法警察員に対する被告人を処罰してほしい旨の意思表示は、自らすすんでこれをなしたのではなく、司法警察員の質問に応じてなされたものである上、そこには親に内緒にしてもらいたいこと、被告人が他の罪で処罰されることとの二つの条件乃至は希望が附されているのである。そして、それらの事柄は、本件被害者甲野A子の真意を解明する糸口として重要な意味を持つていると考えられるのである。即ち、
まず、被害者甲野A子の司法警察員に対する告訴が自発的になされたのではないということは、そのこと自体本件告訴の適否を判断するに当つて何らの影響もないことであるが、もとより告訴は告訴権者の自由な意思に基かなければならないと解せられるところ、本件は、いわば行きずりの男に強姦されたという事案ではなく、被害者甲野A子の働いていた店の客であり且つ近く店のバーテンをしていた被告人によつて被害をうけたという事案であるから、告訴をするかどうかという点について判断するに当つても、そこに多方面に亘る配慮が要求されると考えられ、被害者甲野A子の被告人に対する被害感情も又複雑であつたと認められるのであるが、そのような事案について、当時未だ思慮未熟であつたと考えられる満十八歳の被害者甲野A子に、取調に当つた司法警察員も危惧したとおり、告訴をするかどうかにつき適切な判断をなしうる能力があつたかどうか疑問であるばかりか、そのような事情があるのに、取調に当つた司法警察員において、親権者について告訴する意思があるかどうかを確めようとしたのを、親に内緒で女給をしているのがわかると困るから知らさないでおいてほしいとの被害者甲野A子の要望を承諾して取り止めているのであるが、それは、そのこと自体本件事件処理として適切でなかつたとの非難を免れないばかりではなく、被害者甲野A子の司法警察員に対する告訴が前記認定の経過をへてなされたとの事実と併せ考えてみると、取調担当者において意識していたと否とに拘わらず、被害者甲野A子の心裡には、親に知らさないようにしてほしいため、取調官に迎合した供述をする虞が多分に存したと考えられ、被告人を処罰してほしい旨の前記認定の意思表示が、果して被害者甲野A子の自由な意思に基くものかどうか、疑問の存するところである。
次に、親に内緒にしておいてほしいということは、一つにはそのようなことが知れると恥しいという気持に基いているのであるから、親以外の人に知れてもかまわないということを意味しているわけではなく、むしろ事件が秘密裡に処理されることを希望していると解すべきであるが、元来強姦罪が親告罪とせられている趣旨は、強姦の事実が法廷において審理せられ、判決によつて確認されるなどして公けになることが、かえつて被害者の名誉その他の利益を害するに至る虞れがあるとの考慮に基いているのであるから、告訴受理権者において右のような「恥しいから内緒にしてほしい」などという供述に接したならば、告訴をすれば或は法廷に証人として召喚をうけることがあるなど如何なる事態が生じるかということの説明をなし、それでもなお告訴をするかどうかとその気持を確かめるべきものと解せられるところ、本件にあつては被害者においてそのような過程で事件が処理されることを充分認識していたとは認められないばかりでなく、証人利岡正一の前記供述記載によると、警察における取調に際し、被害者が告訴の意味を理解していないようであつたので、その説明をしたというのであるが、その際裁判の話まで出なかつたということであるし、被害者甲野A子の前記供述記載によると、むしろ被害者は秘密裡に事件が処理されて処罰されるに至ると考えていたとも解せられ、結局告訴の意味を充分に理解していなかつたようにも認められ、或はこのような事情を充分に知つていたならば前記認定のような処罰を求める旨の意思表示をしたかどうか疑問であるので、右意思表示が被害者の真意に基いているものかどうか疑わしくなつてくるのである。
更に、他の罪で捕つているのであればこの際一緒に処罰してほしいということは、これを反面からみると、強姦の事実だけであれば処罰を求めないというふうにもとれるのであるが、大切なことは強姦の事実について処罰を求めるかどうかということであるから、そのいうところの他の罪が告訴にかかる罪に比し軽微なものであつて、併合処罰されるとしてもその評価が従たるものである場合においては、果して告訴にかかる罪について真実処罰を求める意思あるものかどうか疑問になると考えられるところ、本件にあつては前記判示第一の罪が他の罪に該当するのであるが、それは恐喝罪とはいうものの犯情において軽いものである上法定刑においても強姦罪に比しはるかに軽いものであり、被害者甲野A子においてそれらの事情を知つていたものとも認められないから、告訴受理権者において被害者に対しその旨の説明をなし、それでもなお強姦罪につき処罰を求める旨の表示を得てはじめて真実処罰を求める意思あるものと考えられるところ、そのような事情の認められない本件にあつては、果して被害者甲野A子が強姦罪につき真実処罰を求めている趣旨かどうか疑問となつてくるのである。
かように、被害者甲野A子の司法警察員に対する告訴には、真実処罰を求める意思があるかどうかの点につき種々の疑問が存するのであるが、被害者甲野A子が当公廷において、かつて処罰を求めるなどと云つたことはないと全面的に否定している現状にあるので、今となつてはその疑問を解明するに由なく、その他諸般の事情を綜合してみても、真実処罰を求める意思があつたものと認めるに足るだけの証拠がないから結局、司法警察員に対する告訴はその効なきものとして不適法と断ぜざるを得ない。
そこで次に、検察官に対する告訴の有無につき考えてみる。証人大槻竜馬の当公廷における証言並びに被害者甲野A子の検察官に対する昭和三十三年十月十五日附供述調書を綜合すると、被害者甲野A子は、検察官の取調に際し、被害事実の供述をすると共に検察官の「警察で告訴をしているが、告訴とはこの種事件では相手を刑務所にやることだがどうか」との処罰意思に関する質問に対し、しばらく考えた末、「私は警察で白川という人に子供さんがあるということを聞き、あの人が一生刑務所に入れられるのは可哀そうだと思いますが、私の受けた傷は忘れることの出来ないもので憎いと思つています。ですから、こうした人は、もう二度とこんなことをしないように厳重に処罰して下さい。」と要旨右のような返答をした事実が認められるから、司法警察員に対する告訴が無効であるとしても、検察官に対して適法な告訴がなされているのではないかとの問題が生じてくる。しかしながら、同証人の当公廷における証言によると、取調に当つた検察官としては被害者の司法警察員に対する告訴が前記のような経緯でなされたこと、従つてそこには前記のような条件乃至は希望が附されていることを知らなかつたため、警察における告訴意思を確認する意味で右のような質問を発したのであつて、被害者である告訴権者が未成年者であることにつき格別の配慮をした模様もなく、もとよりその際前述のような疑問を解明した上で被害者の意思を問うたのではないことが認められ、被害者甲野A子も又、そのような条件を撤回した上で検察官に対し右のような供述をしたとも認められないので、司法警察員に対する告訴と同様、検察官に対しても又、真実処罰を求める意思あつて告訴をしたのかどうかの点につき疑問があり、これ又適法な告訴と認めるわけにゆかない。
かくして、本件については適法な告訴が存在したものと認められないのであるが、それは「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効である」場合に該当するので他の点について判断するまでもなく、刑事訴訟法第三百三十八条第四号に従つて公訴を棄却することとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 網田覚一 裁判官 西田篤行 岡次郎)