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大阪地方裁判所 昭和34年(タ)100号 判決 1960年6月07日

原告 張富久恵

右訴訟代理人弁護士 辻中一二三

被告 張欽明

主文

原告と被告とを離婚する。

原被告間に出生した長女張鳳英(昭和二一年一一月一五日生)並びに次女張鳳玲(同三一年七月三〇日生)の監護者を原告と指定する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、

原告(昭和三年一月二四日生)は、当時台湾人であつた被告と昭和二一年三月一日大阪で結婚の式を挙げ、同二三年七月一六日に婚姻の届出を了し、爾来夫の氏を称して今日に至つており、その間、被告との間に長女張鳳英(同二一年一一月一五日生)と次女張鳳玲(同三一年七月三〇日生)の二人の子供をもうけた。

ところで、被告は、同二二年に単身横浜に行き、同所で雑貨商を営んでいたが、当時内縁関係にあつた原告に対し、定つた送金もしなかつた。その後、同二六年被告は、病気になつたので一時大阪に帰り、原告の現住所で治療し、快癒後は再び単身にて東京に出て働くようになつたが、前記同様原告に対し送金もしなかつた。そこで、原告は、同三〇年夏頃長女を連れて東京の被告のもとに行き同居したが、生活の安定を欠き、止むなく、原告は、被告とともに二児を連れて同三一年一二月に大阪の原告の弟の家である前記原告の現住所に身を寄せるようになつた。ところが、翌三一年始め、被告は突然行方も告げず前記弟の家を去り、爾来何らの音信もなく、その生死も不明である。

以上の次第であるから、原告は二児を抱えて、何の資力もなく、内職等によるささやかな収入をもとに生活を支えている状態で、被告は原告を遺棄したものであるから、被告たる夫の本国法である中華民国民法一、〇五二条五号(日本国民法七七〇条一項二号と同じ規定)に規定する悪意の遺棄の離婚原因に該当するので、請求の趣旨第一項記載のとおりの裁判を求めるものである。

また、被告は、前記二児に対し愛情を有せず、その養育費、教育費等一切の支給を怠つてきたので、原告は一人で右二児の養育並びに教育に尽力してきたのである。

よつて、原告は、右二児の将来の幸福の為に、中華民国民法一、〇五五条(日本国民法七七一条七六六条と同旨の規定)に基ずいて、右二児の監護者を原告と指定する旨の裁判を併せ求めるため、本訴に及んだ次第である。

と述べ、

立証として、原告訴訟代理人は、甲第一号証(戸籍謄本)を提出し、証人樋口隆保並びに原告本人の各尋問を求めた。

被告は、公示送達の方法による適法な呼出を受けたが、本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面をも提出しないのである。

理由

まず、原被告の国籍及び裁判権並びに管轄について判断するに、公文書であるから真正に成立したものと認める甲第一号証に証人樋口隆保の証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すると、被告の本籍は台湾の台南県嘉義市朝日町四丁目六一番地であり、被告はいわゆる台湾人であり、戦前一七、八才の時日本の内地にきて、爾来日本に居住していること、被告は、原告の現住所を去つて後も、従来の状況から見て、日本に居住していることが窺えること、被告の最後の住所地は原告の現住所であること原告は、被告との婚姻届を昭和二三年七月一六日に、原告の当時の所在地の大阪市旭区長になし、同年八月二日右届書は同区長から、原告の当時の本籍地であつた大阪府北河内郡寝屋川町長に送付され、同町長は、原告が被告の戸籍に入籍するものとして、従前の戸籍から原告を除籍したものであること、しかし、原告の戸籍は被告の本籍地の戸籍には編入登載されておらず、結局、原告並びに右二児の本籍は現在どこにも登載されていないことが認められる。

凡そ、昭和二七年に締結された平和条約発効以前に、台湾に本籍を有し日本内地に居住する男と、日本内地に住居しかつ本籍を有する女が結婚している場合、その後、その者らがその有した日本国籍を喪失したかどうかを決定するには、台湾人たる特定の集団を指向するものであつた、日本の領有当初より内地とは別個に設定せられていた台湾身分籍を基準としてこれを決定するのが相当であり、かかる台湾身分籍を有する者は、少くとも台湾における恒常的な中華民国主権の確立された時すなわち法的な領土変更が生じた昭和二七年の平和条約発効の時に日本国籍を喪失し、中華民国の国籍を取得したものと解するを相当とする。

そうすると、前認定のとおり、被告は、いわゆる台湾人であつて、その本籍は台湾にあるから、現在中華民国籍を有するものといわねばならない。しかし、原告が被告と婚姻した当時は原被告は共に日本国籍を有していたもので、たとい原告の本籍が現在不明であるとしても、原告の戸籍は台湾にはないのであるし、原告が日本国籍を喪失したこと等特段の事情の認められない本件にあつては、原告は日本人であるといわねばならない。

そして前認定のとおり被告は、現在行方が明らかでないが、日本に住んでいることが窺われ、その最後の住所は原告の現住所であり、また、原告は日本人で、日本に住んでいるのであるから、我国に裁判権が存することは明らかである。

ところで、夫婦の氏は婚姻の効力の問題に外ならないから、夫の本国法によるべきものと解されるところ、前記甲第一号証並びに原告本人尋問の結果によれば、原告たる妻は、一応日本法を準拠法として夫の氏を取得し、そのまま張氏を称していることが認められるが、前判示のとおり、その後の夫の国籍変動により、その適否は現在の夫の本国法たる中華民国法に依拠して判定されなければならない。そして、中華民国民法一、〇〇〇条によれば、妻は原則として夫の姓を冠することになつており、従つて、婚姻した女は公式には夫妻の両姓を併記しなければならないわけであるが、同条但書によれば、「当事者に別段の定めありたるときはこの限りでない」旨規定し、自由な態度をとつているから、本件にあつては原告が夫たる被告の氏を称することも、右但書により法律上無効ないし違法とするいわれはないわけである。従つて、本件の管轄裁判所は、夫たる被告が普通裁判籍を有する地の裁判所であるといわねばならないところ、前認定のとおり、被告の住所は現在不明であるが、現在も日本に居住していることが窺われ、かつ被告の最後の住所は大阪市であるから、本件の管轄裁判所は右大阪市を管轄する当裁判所であるといわねばならない。

ところで、前記甲第一号証及び樋口隆保の証言並びに原告本人尋問の結果に前認定事実をも綜合すると、日本人である原告(昭和三年一月二四日生)は、同じく日本人であつた被告と昭和二一年三月一日大阪で結婚の式を挙げ、同二三年七月一六日に原告の当時の所在地の大阪市旭区長に婚姻の届出を了し、適法に婚姻したこと、その後、被告との間に長女張鳳英(同二一年一一月一五日生)と次女張鳳玲(同三一年七月三〇日生)の二人の子供をもうけたこと、原告は結婚後弟樋口の家で世話になり、被告は東京に行つたり原告のところにきたりしていたが同二二年に被告は単身横浜に行き、妻子への送金もしていなかつたこと、その後、同二六年頃被告は病気になつて原告のところに一時帰つていたが、再び職を求めて東京に行き、大阪に帰つたり東京に行つたりしていたこと、同三〇年、原告は子供を連れて被告のもとに行き東京都多摩郡等で夫婦は同居していたこと、その後、同三一年一二月二〇日に一家揃つて前記原告の弟樋口方に移転したこと、ところが、被告は右住所にしばらく居住していたが、同三二年一月頃東京に行くと言いおいて上京したまま、音信不通となり、原告は心当りを探したが、被告の行方は不明であること、原告は、その後、二児を抱えて、何の資力もなく、内職などして二人の子供を養育して現在にいたつていることが認められる。

右認定の事実によると、被告は、原告を悪意をもつて遺棄したものといわねばならない。

ところで、本件離婚の準拠法は、法例一六条によつて、夫たる被告の本国法である中華民国民法であるところ、右遺棄の事実は、中華民国民法一、〇五二条五号に規定する離婚原因に該当するとともに、日本国民法においても離婚原因とされている(民法七七〇条一項二号に該当する)ので、原告の本件離婚の請求は正当である。

次に、原被告間の未成年者である長女張鳳英並びに次女張鳳玲の監護者の指定について考えるに、凡そ、監護権の帰属、分配等の問題は、通常の親子関係ではなく、父母の離婚によつて特に生ずる問題であるから離婚の効力と解され、そして、一度監護権者たる親が指定されて後は、この親子の関係は一般の親子関係の規定によつてことを律するのが相当であると解されるから、右監護者の指定につき、その準拠法は法例一六条に基づき、父たる被告の本国法であるところ、中華民国民法一、〇五五条但書によれば、「判決による離婚における子の監護については、法院は子の利益のため監護人を選定することができる」旨規定されているので、当裁判所は職権により、前記認定の諸般の事情を斟酌して、長女張鳳英並びに次女張鳳玲の監護者を原告と定めるのが相当であると認める。

よつて、原告の本訴請求はすべて正当であるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 入江菊之助 裁判官 弓削孟 中川敏男)

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