大阪地方裁判所 昭和34年(ワ)695号 判決 1962年9月14日
判 決
大阪市東区南本町二丁目一三番地
原告
近畿鋼材株式会社
代表取締役
浅田稔
右訴訟代理人弁護士
千田専治郎
同市北区曾根崎上四丁目四八番地
被告
株式会社大阪銀行
代表取締役
田中泉
右訴訟代理人弁護士
高坂安太郎
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告会社訴訟代理人は次のように述べた。
第一、請求の趣旨
被告は原告に対し金五一、一九二円とこれに対する昭和三四年三月一八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払いせよ。
との判決と仮執行の宣言を求める。
第二、請求の原因事実
一、訴外株式会社増田鍛工所は昭和三三年一〇月一八日、いづれも受取人を白地にし、金額金一二万五、〇〇〇円支払地大阪市、支払場所被告銀行今里支店、振出地、布施市、支払期日(一)昭和三三年一二月三〇日及び(二)昭和三四年一月三〇日という要件の約束手形二通を振出した。
原告会社は訴外原田某から右各手形を白地のまま譲受け、各手形の受取人欄に原告会社名義を補充し(一)の手形を訴外共英伸鉄株式会社に(二)の手形を訴外共英製鋼株式会社に夫々裏書譲渡したところ、右各訴外会社はこれらの手形を各取引銀行を通じて呈示したがいずれも不渡になつた。
二、ところ被告銀行は、右株式会社増田鍛工所との間で当座勘定取引契約を締結し同会社振出の手形小切手などについて受託支払をしていた。従つて被告銀行としては同会社の寄託金ある限り有効な手形を所持しそれを適式に呈示した第三者に対しその手形金額を寄託金から支払はなければならない義務を負担している。
手形法上支払場所の記載は手形要件になつていないのに一般に手形振出人は通常当座勘定取引契約を締結した銀行を指定して振出す商慣習があるが、それは、指定された銀行が振出人の預金若しくは担保力がある限り、手形の適式な所持人に対し無条件に支払うことになつているからである。これによつて手形取引の流通と信用が維持せられるのである。
三、それだのに被告会社は株式会社増田鍛工所の預金があるのに、同会社からの申出によつて右各手形を不渡にしてしまつた。
被告会社としてはこのような場合右申出事実について手形所持人の意見も聴いて調査すべきは勿論のこと右事実が不明のとき、民事上の責任を免れるには慣習上の不渡処分をとつて同会社を取引停止処分にするか、同会社との当座勘定取引契約を解除すべきであり、又被告銀行には自分の債務を免れるため民法四九四条後段によつて手形金額を供託する方法もあつた。それにも拘らず被告銀行は、何等右のことに想を到さないで、ただ漫然と株式会社増田鍛工所の一方的申出を軽信して右各手形を不渡にしたもので、その結果適式な手形の所持人は被告銀行から右各手形金の支払をうけることができなくなつた。それによつて原告会社は次の損害を被つたがそれは被告銀行が株式会社増田鍛工所の預金がありながら、同会社の一方的申出により故意又は過失によつて右手形を不渡にしたことによるものである。
四、(一)原告会社は、右各手形が不渡になつたため支払を拒絶された日の翌日夫々その所持人から手形金額を支払つて受戻す結果になつた。
そうして、原告会社は振出人である右株式会社増田鍛工所と次の和解契約を締結した。
(1) 同会社は原告会社に対し金二五万円の支払い義務のあることを認める。
(2) 同会社は昭和三四年一二月二五日までに金二〇万円を支払つたときは、原告会社は残額金五万円を免除する。
(3) 同会社が同日までにその支払をしなかつたときは、金二五万円を即時に支払う。
同会社は約束り支払いをしたので、原告会社は金五万円の支払いをうけることができなくなつた。
現行の訴訟進行事情のもとでは最高裁判所の確定判決をうるのに数年の月日が必要であることは顕著な事実であるから、原告会社は、裁判終結をまつて年六分の金利の支払をうけるよりも減額してでも今その元金の支払いをうけた方が得策であると考えて右和解で右免除をしたものである。右和解は被告銀行が右各手形を支払えば原告会社は応ずる必要のないものであるから右金五万円は被告銀行が賠償すべきである。
(二) 原告会社は右各手形が不渡になつたため金二五万円を支払つて受戻したので、その金員を他の商行為に使用することができなくなつた。
原告会社はこれを原告会社の営む営業に使用すれば最少限月一分五厘の純利益を挙げることができた。
右各手形金額金一二万五、〇〇〇円に対する支払期日の翌日である昭和三三年一二月三一日と昭和三四年一月三一日から、右和解による金員の支払われた日の前日である同年一二月二四日までの間夫々月一分五厘によつて計算した金額金二万二、二三一円と金二万〇、三一四円の合計金四万二、五四五円がすなわちそれであつて、原告会社は被告不法行為によつて同額の得べかりし利益を喪失した。
五、そこで、原告会社は被告銀行に対し右の合計金九万二、五四五円のうち金五万一、一九二円とこれに対する本件訴状が被告銀行に送達された日の翌日である昭和三四年三月一八日から支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第三、被告銀行の答弁に対する反駁
一、被告銀行の答弁中二の事実は認める。
二、しかし大阪手形交換所交換規則は銀行間における手形上の決済を事務的に速かに処理するために定められた銀行間の準則であつて、一般私人を何等拘束するものではない。
三、仮りに拘束があるとしても手形取引即ち手形行為については、手形法だけが適用されるべきで、手形法は強行法規である。ところで、右交換規則五六条五九条によると信用に関しないものと認めたときは被告銀行は手形を不渡にできるようになつているが、手形法では、そのような手形原因関係によつて支払を拒絶できないことを明定している。従つて強行法規である手形法に反する右交換規則五六条、五九条の規定は無効である。
四、仮りに有効であるとしても、右に信用に関しないというのは、当該手形が偽造で手形の所持人が仮令善意無過失でこれを取得しても、振出人がその手形の支払いを拒みうるような場合を指すと解すべきであるから本件のような理由はこれに該当しない。
被告銀行訴訟代理人は次のように述べた。
第一、請求の趣旨に対する答弁
主文同旨の判決を求める。
第二、請求の原因事実に対する答弁
一、原告会社主張の請求の原因事実中、原告会社主張の株式会社増田鍛工所振出にかかる約束手形二通を被告銀行が不渡にしたことと被告銀行は同会社と当座勘定取引契約を締結し同会社振出手形の支払の委託をされていることは認める。
二、同会社は、被告銀行に対し右各手形は訴外井本哲一との間にニツケル鋼の納入をうける約束をしその代金の前渡金として振出したが同訴外人がその納入をしないので契約不履行として支払を拒絶するようにと申出て右各手形の支払を拒絶するように求めたので被告銀行は、大阪手形交換所手形交換規則五六条五九条によつて契約不履行として右各手形を不渡にし、同交換所に手形金額に相当する現金を提供したので、同会社は取引拒絶の処分を猶予された。
三、被告銀行が加入している大阪銀行協会が手形交換の便宜のため手形交換規則を制定し、手形交換について、種々の制度を設けている。被告銀行はその制度を利用して同会社の支払委託の取消にもとずき右各手形を不渡にしたまででそのことは原告会社に対し何等の不法行為も成立しない。右各手形を適式に呈示したものがこれら手形の善意の取得者で同会社はその所持人に対し右原因関係を理由に支払を拒絶できないことは手形法の明定するところであつても、被告銀行としては支払委託の取消しがあつた以上右各手形を不渡にする外ないのであるから、このため被告銀行には、何等の責任がない。
証拠関係<省略>
理由
一、訴外株式会社増田鍛工所が原告会社主張の約束手形二通を振出したこと。被告銀行は同会社と当座勘定取引契約を締結し、同会社振出の手形について支払の委託をうけていること。及び被告銀行が同会社から被告銀行主張のような理由で右各手形の支払を拒絶するよう申出をうけたので、大阪手形交換所手形交換規則五六条五九条によつて契約不履行として右各手形を不渡にし同交換所に手形金額に相当する提供金を差出したことは当事者間に争いがない。
二、銀行が取引先から受入れた手形、小切手を一々直接取立てる煩雑さと危険さを避け、一定の場所でこれらを互に交換することによつて、おびただしい数と金額の手形、小切手を能率的に決済する経済上の必要が手形交換制度を生み出し、大阪手形交換所(以下単に手形交換所と略称する。)も明治一二年(一八七九年)一二月に設立され、同交換所の交換事務を円滑に運営するため訴外社団法人大阪銀行協会は、大阪手形交換所交換規則(以下規則と略称する。)を制定して自主的規制をしている。手形交換所で手形交換を行う者は同協会所属の社員銀行に限られ(例外客員銀行規則三七条、交換加盟銀行規則三七条の二)従つて、それらの者だけが直接規則の適用をうけることになる。
ところで、一般私人は取引銀行と当座勘定取引契約を締結して自分の振出す手形の支払担当者をその取引銀行とし、又そのような手形を取得して自分の取引銀行にその手形の取立委任をするのが、現今取引界の通例であるがそのような場合それら銀行は受入れた手形を全部手形交換所の交換に付すことが義務づけられているため(規則三五条)一般私人はそれら銀行を通じて規則の適用をうけることになる。一例を挙げると規則六〇条は、「社員銀行は信用に関する不渡手形を出したため手形交換所から取引拒絶処分をうけた者とは三年間当座勘定及び貸出の取引をすることができない。」と規定し、社員銀行にそのような義務を課することを通じて、その反射的効果として当該被処分者に対し強い経済的制裁を加えている。従つて規則によつて拘束されるのは社員銀行でしかなく、一般私人は全くそのらち外にあると断ずるわけにはいかない。
そうして、規則によつて明文化され制度化された手形交換のための種々の制度は右述のとおり長年月を経て取引界の必要と便宜のため確立された私的自治法で手形交換に関する商慣習法と解するのが相当である。勿論慢習法は強行法規に反してその存在が許されないから、その規定の大部分が強行法規である手形法に反する手形交換規則の存在が許されないことは多言を必要としない。
三、そこで原告会社は、規則五六条五九条は手形法に違反し無効であると主張するので考究すると、
「手形交換所で交換した手形のうち不渡のもの即ち支払に応じ難いものがあつたときは受方銀行(支払銀行)は、その手形に不渡の事由を付記して一定の日時までに渡方銀行(持出銀行)に持参して現金又は預り証と引きかえるいわゆる不渡返還の手続をとることができる。」という趣旨のことが規則五六条に規定されているが、受方銀行(支払銀行)が手形の支払を拒絶する場合の理由について規則は勿論のこと法的に何等の規定がない。しかし慣習的取扱方法によつて確定された事由の主なものは、
(一) 信用に関するもの……預金不足、資金不足、取引解約後、当座取引なし、取引なし、
(二) 信用に関しないもの…契約不履行、被詐取、盗難、紛失、印鑑盗用、印鑑相違、偽造、変造、などで、資金があつても右事故により支払人(預金者)が銀行に依頼して支払を拒絶するもの。である。(昭和二四年一一月二九日右銀行協会総会決議、昭和三二年一月一日改正参照)
そうして(一)の信用に関する事由で不渡返還をうけた渡方銀行(持出銀行)は必ず手形交換所に不渡届を提出しなければならないが(規則五七条)(二)の信用に関しない理由による場合でも不渡届を提出することができる。しかし後者の場合不渡返還の事由が(二)の事由であるのに(一)の事由と同様に経済界からの追放にも等しい取引拒絶処分(取引停止処分)を支払人(預金者)にうけさせることは余りにも苛酷であり不合理であるとの考えにもとづき、受方銀行(支払銀行)は不渡処分の猶予を求めることができる制度を設けた。これが異議申立制度で規則五九条に規定されている。即ち受方銀行(支払銀行)は、(一)その不渡が信用に関しないことを認めた場合、(二)不渡は資金が不足して不渡をしたのではなく充分その支払人(預金者)に信用のあることを立証するため手形金額と同額の提供金を差しだして、(三)手形交換所に異議申立書を提出したとき、手形交換所は取引拒絶処分(取引停止処分)を猶予することにした。
そうすると、右規定による限り本件のように支払人である株式会社増田鍛工所が原因関係を事由にその手形の支払の拒絶を申出たとき被告銀行は、それを「契約不履行」と認めてその手形の支払を拒絶することができるわけで、そのことが手形は原因関係と遮断され、原因関係は人的抗弁になるに過ぎないという手形法理と真正面から衝突するように見える。しかし、支払銀行としての被告銀行が同会社の払出した手形の支払いをするのは、同会社と当座勘定取引契約を締結して、同会社から、同会社振出手形の支払の委託をうけているからである。従つてその支払義務は、右契約から発生した同会社に対して負担する義務であるといえても、同会社振出手形の所持人に対して負担する義務であるとするわけにはいかない。被告銀行は、同会社振出手形の支払担当者にすぎず、手形所持人に対し支払義務を負担しているのは手形法上は飽くまで振出人である同会社である。そうして、同会社は、被告銀行に対し契約不履行を理由に本件各手形の支払をしないよう申出たので被告銀行はこれに応じたもので、右は本件各手形の支払委託の合意解除と解するのが相当である。これによつて、被告銀行の同会社に対し負担していた右各手形の支払義務は消滅したのであるから、被告銀行としては、同会社のいう契約不履行の事由が人的抗弁にすぎず、手形所持人に対し同会社は手形を支払はなければならないと判断しても、右各手形の支払を拒絶する外ないことになる。もつとも手形振出人は、原因関係を理由に手形支払担当者との間で手形支払委託契約を解除することができないという規定があれば別論であるが、そのような法規はどこにも見当らない。
以上の次第で、規則五六条五九条は手形法と抵触し無効であると断ずるわけにはいかない。
四、被告銀行は、同会社から契約不履行の事由を告げられたとき「契約不履行の事由による手形返却依願届」を徴したことは成立に争のない乙第二、同第三号証によつて認められるが、しかしこのような場合、被告銀行がその事由の真偽を一々調査することは、困難であるばかりか、当事者の民事紛争に巻き込まれる虞があるわけであるから、被告銀行としては同会社の一方的申出に従つて事を処理するのが銀行の業務内容からいつて至当であり、そのような事由は、不渡になつた手形の所持人が振出人を相手どつて裁判所に提訴したとき裁判所が審理判断すべき問題である。
しかし社員銀行が支払人の申出た契約不履行の事由が、全く虚偽のものでただ手形の支払を免れるためにするものであることを知悉しながら敢えて右申出をうけて該手形を不渡にしその結果手形所持人などの利害関係人に損害を加えたときは、社員銀行は支払人と共同不法行為上の責任を負担すべきである。本件では原告会社は何等そのようなことを主張立証しているわけではない。
従つて、被告銀行には、原告会社主張のような右申出の調査義務がないから従つてその義務違反もない。
五、原告会社は又右申出の事実が不明の場合被告銀行には、不渡処分をとるか当座勘定取引契約を解除するか、民法四九四条後段によつて手形金額を供託して自分の債務を免れる義務があると主張しているが、不渡処分をとるのは被告銀行ではなく渡方銀行(持出銀行)であり、被告銀行は規則五六条五九条によつて処理できるのに全部の当座勘定取引契約まで解除したりする義務は勿論のことその必要はどこにもないし、被告銀行は支払担当者にすぎず、自分の名前で手形金額を支払う立場にある者ではないから民法四九四条後段によつて供託することはできない筋合であるから、原告会社のこの主張も失当である。
六、原告会社は、規則五六条五九条によつて手形を不渡にすることができるのは信用に関しない事由でなければならないが、契約不履行の事由はこれに該当しないと主張しているが、信用に関しない事由とはいわゆる手形の事故を指称するのであるから、契約不履行もこれに含まれると解するのが相当である。従つてこの主張も採用しない。
七、そうすると、被告銀行は株式会社増田鍛工所から契約不履行を理由に本件各手形の支払拒絶の申出をうけ規則五六条によつて同手形を不渡にしたもので、そこには原告会社が主張するような義務違反はどこにもないから原告会社に対し何等の不法行為も成立しない。
そうしてみると原告会社の本訴請求はその余の判断をするまでもなく失当であり棄却を免れない。そこで民訴八九条を適用して主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第三九民事部
裁判官 古 崎 慶 長