大阪地方裁判所 昭和36年(ワ)4212号 判決 1964年10月15日
原告 西村信治
右代理人弁護士 高坂安太郎
被告 井神次男
被告 沢田量
右代理人弁護士 黒田喜蔵
同 黒田登喜彦
被告 東井松吉
<外四名>
右被告五名代理人弁護士 もと嘉雄 高田英明
右復代理兼被告東井代理人弁護士 溝淵春次
主文
本訴は訴の取下により終了した。
昭和三八年九月五日付による原告の口頭弁論期日指定申立後の訴訟費用は原告の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、取下の無効について
取下書を検討してみると、その本文として左の記載がある。
「右当事者間の登記抹消請求事件について示談解決したから原告は訴全部を取下げします。」
そして弁論の全趣旨によれば取下書中少くとも右本文および、
「原告代理人高坂安太郎」
の署名押印の部分は、原告の委任ある右代理人弁護士高坂安太郎の自筆による作成と認められる。
ところで原告代理人は取下書が示談契約の履行を条件として作成されたものであるところ、その履行がなかったから効力を生じない書面であるとか、被告らに騙取され、提出されたから取下が無効であるとか、主張する。
しかしながら、訴の取下は、もともと裁判所に対する原告の一方的な単独の意思表示を内容とする訴訟行為であること、そしてまた確定的であることを要し条件を付するを許されない行為であること、などの諸点から考えても、条件云々による書面作成乃至交付(被告らが交付を受けて提出する行為は、取下書の性質上、原告の手足としての履行補助者の意味を出ない。従ってその間に条件が介在する余地もない)のいきさつに関する効力の有無の論自体採用できないところである。
またかりにそのいうところが、本件訴の取下が被告有田二郎の詐欺行為に基いてなされたから無効である、との主張と解して検討してみよう。
一般私法上においてもひとたび表示された行為はなるべく効力を与えて維持しその行為の上に相関的に築かれて行く社会の法律関係を保護して行くのが法律行為の原則であるが、特に訴訟行為は前後の行為が密接に関連しつつ合目的に積みあげて行かねばならないから、その効力を覆えす事由は極めて制限的に解すべきで、特に訴訟係属の存否にかかわる訴の取下のような重要な行為については民事訴訟法第四二〇条第一項第五号前段のような特別な場合に限るべきである。
従って取下に条件を付するを得ない点は既述のとおりであり、かりに原告が内心示談契約の履行を前提として取下に及んだとしても効力に影響を及ぼさない。また取下の前提となった示談契約についてかりに被告有田二郎の不履行があったところで、その債務者としての責任を問うは格別、直ちに詐欺行為(所謂前述民訴第四二〇条第一項第五号前段にあたるものとして)とはいえないし、その他本件記録を精査しても、取下の効力に消長をきたすような特別の事由は認められない。
二、取下の対象の特定について
なお取下書によれば、事件の特定表示としての被告欄の記載が
「被告井神次男外五人」
となっていて、本件訴の取下が被告七名のうち一名を除外し、被告井神に対する訴を除いてはその特定に欠けているような臆測の余地を残す嫌いがないでもない。しかしながら、
(1) 本文が前示のとおり訴全部の取下をうたっている、
(2) 本指定申立書によっても原告代理人は右書面が被告一名を除いた訴の取下として作成されたことを主張していないし、却ってその縷々たる文脈の前後から、被告全員を対象にした訴の取下を前提とした主張と解される、
(3) 取下書の前示被告らの記載が個々の被告を列記しない概括的な記載である、
(4) 取下書の欄外に訂正用とみられる原告代理人の所謂すて判がある、
(5) 原告代理人は本件取下まで特に特定の被告に対する異った訴訟行為に及んでいない、
など、弁論の全趣旨にかんがみて、右記載は、
「被告井神次男外六人」
の誤記と認められる。従って被告ら全員に対する本件訴全部の取下ということができる。
三、取下の効力完成
そして取下書末尾記載の井神を除く被告らの同意書により同被告らに対する訴は取下書受理と同時に、また被告井神の昭和三九年七月一四日付準備書面による同意書の提出により同被告に対する訴は同日、それぞれ訴訟終了をみたことが認められるから、本訴は訴の取下により全部終了したものというべきである。
四、取下の撤回について、
もっとも被告井神に対する訴に関しては、取下書受理(昭和三八年七月二日)後、また被告井神に対する取下書の送達も、被告井神の同意もなかった間である同月四日、原告西村から取下の撤回を求めるかのような上申書の提出があるので、この点について付言する。
訴の本質は裁判所に対する審判の請求にあって直接被告に向けられた行為ではないから、原告の訴訟行為としての訴の取下は、その意思表示が裁判所に到達することにより一応完了するものとしてよい。(かりに、これで訴訟が終了するものとしてもこの訴訟手続内に関するかぎり被告の不利益はない。ちなみに訴訟費用については原則として原告敗訴と同視されて負担が定められる。)ただ、民訴第二三六条により相手方の同意(擬制同意をふくむ)を得なければ訴訟終了の効力を生じないとしたのは、取下に当って、応訴を余儀なくされた被告の保護と、社会的な訴訟経済の立場からも、同一訴訟手続を利用する機会を与えるため、しばらく、訴訟係属の終了を留保した政策的な規定にすぎない。(取下書の送達もすでに右限度内で附随的な手続の一環とみるべきである。)
従って一項で触れた訴訟行為の本質からして、徒らに訴訟係属の帰趨に紛議を招かないため、ひとたび訴の取下の意思表示が裁判所に到達した以上、訴訟係属はなお残るとしても、右同意に関する規定の趣旨からも訴の当否についての判断に向う本来的な訴訟進行の状態は一時停止された制限的な状態と解すべきである。そうして、被告が裁判所に対する意思表示乃至これに代る訴訟追行の行為により同意を拒絶して、原告の取下の効力が失われ、本来的な訴訟進行の状態が復活しないかぎりは、原告は訴訟追行の権能を一種凍結のかたちで停止されていて、自ら訴訟進行の状態の復活をはかることは許されないものとすべきである。
そうすると一項で説示した範囲での取下の効力の有無を論ずるはともかく、取下の撤回は許されないとするのが妥当である。
五、結び、
以上の次第で、三項の結論に変りはないので終局判決により訴訟終了を宣することとし、期日指定申立後の訴訟費用は民訴法第八九条第九五条により申立人である原告の負担とした。
(裁判官 舟本信光)