大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和37年(行)25号 判決 1967年2月21日

姫路市飾磨区今在家七四九番地

原告

植田金属工作所こと 植田庄吉

右訴訟代理人弁護士

段林作太郎

復代理人弁護士 林田崇

大阪市東区大手前之町

被告

大阪国税局長

高木文雄

右訴訟代理人弁護士

千森和雄

右指定代理人大蔵事務官

松本定義

大木輝夫

右当事者間の昭和三七年(行)第二五号物品税審査決定取消請求事件につき、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

被告が原告に対してなした昭和三七年二月二四日付審査決定のうち別表一認定欄記載金額を超過する部分を取消す。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、申立

(原告)

被告が昭和三七年二月二四日付で原告に対してなした

(一)  姫路市飾磨区妻鹿町二二番地製造場の製造にかかる物品の昭和三三年一一月および一二月分につき、課税標準額を別表一、被告主張欄記載金額とする審査決定のうち同表原告主張欄記載金額を

(二)  姫路市南畝町四四三番地製造場の製造にかかる物品の自昭和三四年一月分至昭和三五年三月分につき、各月分の課税標準額を別表一被告主張欄記載金額とする審査決定のうち同表原告主張欄記載金額を

各超過する部分はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

(被告)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二、主張

(原告の請求原因)

一、原告は、昭和三三年五月、姫路市豊沢町二四二番地に所在する工場を製造場として訴外姫路税務署長(以下訴外署長という)に申告のうえゴルフ用具ヘツド(以下ヘツドという)の製造を開始し、同年一一月さらにゴルフ用具クラブ(以下クラブという)の組立を計画し、右製造場のほかに、姫路市飾磨区妻鹿町二二番地訴外本庄正信方をクラブ製造場として、訴外署長に申告し、右本庄に依頼してクラブの製造を開始したところ、同年一二月本庄が前同市南畝町四四三番地に移転したので爾来右同所にクラブ製造場所を変更し、訴外署長にその旨申告して製造を継続したところ不況のため昭和三四年三月四日訴外署長に右クラブ製造廃止届をなした。

二、しかるに訴外署長は昭和三五年一二月二四日原告に対し、ゴルフ用具物品税として

(1) 同市飾磨区妻鹿町二二番地製造場の製造にかかる物品(以下妻鹿町分という)の昭和三三年一一月および一二月分につき課税標準額および税額を別表二決定欄記載金額

(2) 同市南畝町四四三番地製造場の製造にかかる物品(以下南畝町分という)の自昭和三四年一月分至昭和三五年三月分につき、各月分の課税標準額および税額を別表二決定欄記載金額

とする物品税法(当時施行のもの、以下同じ)第八条第三項の規定による賦課決定をした。

三、しかしながら、原告は右決定を不服として昭和三六年一月一八日訴外署長に再調査の申立をしたところ、右申立は審査請求とみなされ昭和三七年二月二四日被告は(1)、については原処分を維持し、(2)につき原処分を一部取消し、課税標準額および税額を別表一被告主張欄記載金額とする審査決定をなし、同月二八日その旨原告に通知した。

四、しかしながら、右審査決定中

(1) 妻鹿町分の昭和三三年一一月分課税標準額二六、〇〇〇円、税額一三、〇〇〇円、同年一二月分課税標準額三九、〇〇〇円、税額一九、五〇〇円、右合計課税標準額六五、〇〇〇円、税額三二、五〇〇円

(2) 南畝町分の昭和三四年一月分課税標準額一四九、六〇〇円、税額七四、八〇〇円、同年二月分課税標準額一七八、四〇〇円、税額八九、二〇〇円、同年三月分課税標準額二九一、〇〇〇円、税額一四五、五五〇円、右合計課税標準額六一九、一〇〇円、税額三〇九、五五〇円

を超える部分は過大に認定した違法がありまた自昭和三四年七月分至昭和三五年三月分については原告においてクラブを製造移出したことがないから右各月分の課税処分は違法であるのでその取消を求める。

(被告答弁と主張)

一、請求原因一ないし三の事実は全部認める。

二、同四の事実は全部争う。

三、主張

(一) 原告は、昭和三三年一一、一二月の二ケ月間は前記妻鹿町製造場で、昭和三四年一月から同年三月までの三ケ月間と同年七月以降は前記南畝町製造場で、それぞれ自己の前記豊沢町製造場で製造したアイアンヘツド(以下ヘツドという)、他から仕入れたシヤフトおよび補助部品を材料として、ゴルフアイアンクラブ(以下クラブという)を組立て販売移出していたが、右クラブは物品税法第一条第二種第二号掲記のゴルフ用具に該当する(同法施行規則第一条別表参照)から、原告がクラブを各製造場から移出したときは、その品名、数量および価格を記載した申告書を移出した月の翌月一〇日までに所轄税務署長たる訴外署長に申告し、且つ、納税する義務を有している。

(二) しかるに原告は、昭和三三年一一月および一二月には前記妻鹿町製造場より、昭和三四年一月から三月までおよびクラブ製造再開後の同年七月から昭和三五年三月までの各月に前記南畝町製造場よりそれぞれ別表一被告主張欄記載のごとくクラブを移出し(但し昭和三四年三月分のクラブ二〇八本中の七九本とシヤフト二三五本、ヘツド六四個は昭和三四年三月四日のクラブ製造廃止申告時に製造場内に在庫品として有していたもので物品税法第一二条第三項、第七条第一項第四号により製造場より移出したものとみなされ課税対象となる)ながら別表二申告欄記載のとおり過少申告をし、又は全く申告しなかつた。

(三) よつて訴外署長は昭和三五年一二月二四日原告主張(二)のごとき内容の賦課決定をしたところ、原告から不服の申立があつたので被告は昭和三七年二月二四日右決定の一部を取消し、原告主張(三)のごとき審査決定をしたものである。

(四) しかして右審査決定の根拠は左のとおりである。

(1) 原告の昭和三三年三月以降昭和三五年三月までの間のクラブの原材料の仕入、クラブ製造および移出の状況は次のとおりである。

(イ) シヤフトについて

(a) 仕入数量は別表三シヤフト仕入数表被告主張欄記載のとおりである。

(b) シヤフトのまま移出した数量は別表四シヤフト移出数表被告主張欄記載のとおりである。

(c) 昭和三五年三月末日現在のシヤフト在庫数量はシヤフトのままのもの九三本、クラブに組立てずみのもの五四本合計一四七本である。

(ロ) ヘツドについて

(a) ヘツドの原材料たる鋼材の仕入数量は別表五鋼材仕入数表記載のとおりである。

(b) 原告は右(a)の鋼材を鍛造業者に委託して別表六鍛造品受入数表被告主張欄記載のとおり半製品(以下鍛造品という)を製造せしめこれを受入れた。

(c) 原告は右鍛造品を豊沢町製造場で仕上げ、ヘッドを製造していたのであるが、ヘツド製造作業中の出来損いのため別表七鍛造品廃棄数表被告主張欄記載のとおりの鍛造品を廃棄した。

(d) 原告は前記鍛造品のうち一、〇一九個を昭和三四年三月に訴外東亜ゴルフこと寺岡義雄に販売した。

(e) 原告は鍛造業者から受入れた(b)の鍛造品を豊沢町製造場で仕上げをしてヘツドを製造していたが、原告が製造したヘツドのうち昭和三三年五月一日から昭和三五年三月末日までの間にヘツドのままで販売移出したものおよび販売先から返品を受けたものは別表八ヘツド販売移出数表および別表九ヘツド返品受入数表被告主張欄記載のとおりである。

(f) しかして原告がクラブ製造開始時(昭和三三年一一月一日)までに販売したヘツドの総数(販売数から返品数を差引いた個数)は一、八六七個である。

(g) 原告のクラブ製造開始時における鍛造品およびヘツドの手持在庫数量は一、二四〇個である。

すなわち、右は前記鍛造品総数三、二八一個から、その間の廃棄数一七四個とヘツドのまま販売移出数一、八六七個とを差引いた個数である。

(h) 原告の昭和三五年三月末におけるヘツドの手持在庫数量はヘツド一八四個クラブに組立てられたヘツド五四個以上合計二三八個(本)である。

(ハ) 補助部品仕入数量は別表一〇補助部品仕入数表記載のとおりである。

(2) 被告は右のごとき毎月の各材料の出入数量に基づき、原告が一旦昭和三四年三月五日南畝町製造場におけるクラブの製造廃止申告をなし、その後同年七月一日に再び同製造場におけるクラブの製造開始申告をしている事実を勘案して原告がクラブの製造を開始した昭和三三年一一月一日から原告のクラブの製造移出および在庫品等につき被告が調査した昭和三五年三月末までの間に少なくとも別表一被告主張欄記載の数量のクラブ(一本あたりの課税標準額は一、一〇〇円)シヤフト(一本あたりの課税標準額は三四〇円)ヘツド(一個あたりの課税標準額は五五〇円)を移出し、もしくは移出したものとみなして本件審査決定におよんだものである。

(3) 特に、原告が昭和三四年七月にクラブの製造を再開した後に移出したクラブの数量を九一本と認定した根拠は次のとおりである。

原告は昭和三四年三月に一旦クラブの製造を廃止した後においても訴外中務精管工業所より同年五月に一〇〇本、六月に九〇本のシヤフトを仕入れている。

また原告は前記クラブ製造廃止時に在庫シヤフト三一四本を所持していた。

よつて同年七月一日のクラブ製造再開時における原告の手持シヤフトの数は合計五〇四本であつた。

原告はクラブ製造再開後さらに訴外中務精管工業所より同年七月に一〇〇本、八月に一二〇本、合計二二〇本のシヤフトを仕入れている。

しかるに、原告はその後同年九月に、前記シヤフト七二四本のうち三〇七本をシャフトのまま訴外山村ゴルフおよび同寺岡義雄に販売した。

よつて原告がクラブ製造に使用したシヤフトの数は差引四一七本である。

一方被告の調査によると昭和三五年三月末の原告の在庫シヤフトの数はクラブに組立ずみの五四本を含めて一四七本であつた。

それゆえ被告は原告が昭和三四年七月一日クラブの製造を再開した時から昭和三四年三月末までの間に原告が製造して移出したクラブの数量は右四一七本から右一四七本を差引いた二七〇本の範囲内で九一本と認定したものである。

しかるに右九ケ月間の各月における原告のクラブ製造および販売実績に差異を認めるに足る資料がなかつたので各月の製造移出数量は略々各月相均しいものとして別表一被告主張欄記載のとおり認定したのである。

なお、シヤフト以外の材料すなわちヘツドと補助部品については、別表一〇、一一記載のとおりであり、原告は昭和三四年三月の製造廃止時における相当数の手持在庫に加えて、その後においても新たに仕入れ、あるいは返品を受けているので、同年七月以降昭和三五年三月に至る間にクラブ九一本を製造移出するに足る材料は十分に所持していたのである。

また、たとえ被告が本件審査決定において認定した月別各移出本数が実際の月別各移出本数と多少の差異があつたとしても、本件係争の全期間を通じての合計移出本数の認定に誤りがないかぎり原告に何らの不利益をおよぼすものではないから取消原因にはあたらない。

(被告主張事実に対する原告の認否と反論)

一、被告主張三の(一)の事実は、原告が昭和三四年七月以降南畝町製造場でクラブを組立て、これを販売移出したとの事実を除き、その余の事実は認める。なお原告が昭和三四年七月一日にクラブ製造再開申告をなしたのは後記((二))のごとく、先に移出したヘツドの返品を原材料免税で受入れるためであつて、クラブを製造移出するためではない。

二、同三の(二)の事実中、原告が被告主張のごとき数量のクラブを移出したとの事実および昭和三四年三月四日のクラブ製造廃止申告時に製造場内に存した在庫品がクラブ七九本、シヤフト二三五本、ヘツド六四個のみに限られないとの事実は争いその余の事実は認める。原告が移出したクラブの数量、および右製造廃止時の在庫品として移出したものとみなされるクラブ、シヤフト、ヘツドの数量は別表一原告主張欄記載のとおりである。

三、同三の(三)の事実は認める。

四、同三の(四)の事実について

(一) 同三の(四)の(1)、原告の昭和三三年三月以降同三五年三月までの間のクラブの各材料の仕入、製造および移出の状況について、

(1) シヤフトについて

(a) 仕入数量は別表三シヤフト仕入数表原告主張欄記載のとおりであり被告主張のうち右に反する部分は否認する。

(b) シヤフトのままの移出数量は別表四シヤフト移出数表原告主張欄記載のとおりであり、被告主張のうち右に反する部分は否認する。

(c) 昭和三五年三月末日現在の在庫数量がシヤフト九三本、クラブに組立てたもの五四本、合計一四七本であることは認める。

(2) ヘツドについて

(a) ヘツドの原材料たる鋼材の仕入数量が別表五記載のとおりであることは認める。

(b) 原告が右(a)の鋼材をその主張の鍛造業者に委託して鍛造品を製造せしめ、これを受入れたことは認めるが、その数量は別表六鍛造品受入数表原告主張欄記載のとおりであり、被告主張事実中、右に反する部分は否認する。

なお被告主張にかかる三月一五日の一五個は前記寺岡義雄に納入されたものである。

(c) ヘツド製造中における鍛造品の廃棄数は別表七鍛造品廃棄数表原告主張欄記載のとおりであり被告主張事実中右に反する部分は否認する。

(d) 原告が前記鍛造品の一部を昭和三四年三月に前記寺岡義雄に販売したことは認める。しかしながらその数量は有償のもの一、〇一九個、無償ではあるが型の整つたもの四一九個、合計一、四三八個で他にも型のくずれたものが若干あつたのである。

(e) 原告が製造したヘツドのうち昭和三三年五月一日から昭和三五年三月末日までにヘツドのままで販売した数量(但し月別個数)については被告主張(別表八記載)を認める。

(f) ヘツドの返品数については被告主張(別表九記載)事実を認める。尤も被告主張事実中、昭和三三年一一月の七五個同年一二月の二七七個、右合計三五二個は廃棄したものである。

しかして、原告がクラブ製造開始時(昭和三三年一一月一日)までに販売したヘツドの数量(販売数から返品数を差引いた個数)が一、八六七個であることは認める。

(g) 原告のクラブ製造開始時における鍛造品およびヘツドの手持在庫数量は一、一一九個である。

(二) 原告が昭和三四年三月四日に一旦クラブ製造廃止申告をしながら、同年七月一日に再び製造開始申告をしたのは、前記廃止時以前に原材料免税で移出したヘツドが返却になつたが、クラブ製造廃止申告のままではこれを非課税で受入れることができず、課税品として受入れねばならないのでやむを得ず再開申告をしたのであり、新たにクラブを製造するためではない。

(三) 尚又右再開後に受入れたヘツド返品数量中、使用可能のものは一七〇個である。

また前記廃止申告時の在庫高は前記(1)(c)のとおり、クラブ七九本シヤフト二三五本、ヘツド六四個であつたが、右はいずれも課税ずみである。

(四) 被告が原告のクラブ製造移出数量等を誤認し本件審査決定をするに至つたのは、

(1) 訴外本庄正信は原告以外の多数の得意先より依頼をうけて、ゴルフ用品の組立業を営む者であつて、原告はその組立を請負はしたにすぎないのに、原告が訴外本庄方を一時製造場として申告したため被告は訴外本庄が原告以外の者から依頼を受けて組立てたクラブ等をも原告の製造にかかるものと誤認したこと

(2) 訴外本庄が訴外中務精管工業所から仕入れたシヤフト九五〇本を原告が仕入れたものと誤認したこと

(3) 昭和三四年七月以降昭和三五年三月までクラブを製造したことがないに拘らずこれを製造したと誤認したこと

(4) その他原告および関係人の帳簿等を十分調査しなかつたこと

等に基因するものである。

(五) ところで原告製造にかかる昭和三三年一一月および一二月分のクラブ一本の課税標準額は一、三〇〇円であり、昭和三四年一月ないし三月分のクラブ一本の課税標準額は少なくとも一、一〇〇円以上であり、また同年三月に在庫していたシヤフトおよびヘツドの課税標準額は被告主張のとおりである。

第三、証拠

(原告)

甲第一号証の一ないし四、同第二号証の一ないし三、同第三、四号証の各一、二、同第五号証、同第六号証(写)を提出し、証人本庄正信(第一回)、同新田重夫(第一回)、同寺岡義雄の各証言および原告本人尋問の結果を各援用し、乙第一、二号証、同第一一、一二号証の成立を認め、同第一〇号証につき原本の存在成立とその写であることは不知、その余の乙号各証の成立は不知。

(被告)

乙第一ないし三号証、同第四号証の一、二、同第五ないし八号証、同第九号証の一、二、同第一〇ないし一二号証を提出し、証人本庄正信(第一、二回)、同新田重夫(第一、二回)、同水谷祥三、同宮崎昭治、同西本清康、同西原優、同前崎与吉、同島田清道の各証言を援用し、甲第一号証の一ないし四、同第二号証の一ないし三の成立は認め、甲第六号証につき原本の存在、成立およびその写であることは不知、その余の甲号各証の成立は不知。

理由

一、請求原因一ないし三の事実は当事者間に争いのないところである。また被告主張三の(一)ないし(三)の事実は原告が被告主張(別表一参照)のごとき数量のクラブを移出したか否かの点および昭和三四年三月四日のクラブ製造廃止申告時に製造場内にあつた在庫品がクラブ七九本、シヤフト二三五本、ヘツド六四本のみであつたか否かの点を除き当事者間に争のないところである。

二、被告は原告の昭和三三年三月以降昭和三五年三月までの間のクラブ原材料の出入、補助部品の出入状況等から見て原告の昭和三三年一一月から昭和三四年三月までおよび同年七月から昭和三五年三月までのクラブ製造移出数量ならびに昭和三四年三月のクラブ製造廃止申告時の在庫高が別表一被告主張欄記載のとおりであると主張するのでこの点について判断する。

A  ゴルフ用具の製造移出数量を定めるにはまずその前提であるその原材料、補助部品等の出入数量が重大な要件であるから、この点から考察することとする。

(一)  シヤフトについて、

(1) シヤフト仕入数量

シヤフト仕入数量のうち、原告が訴外国華金属株式会社(以下国華金属という)より昭和三三年一一月に五〇本、同年一二月に五〇本、訴外黒沢製作所(以下黒沢製作所という)より同年一二月に一〇〇本、訴外中務精管工業所(以下中務精管という)より昭和三四年五月に一〇〇本、同年六月に少なくとも九〇本、同年七月に一〇〇本を各仕入れたことは当事者間に争いがなく、以下争いある部分(別表三参照)につき判断する。証人新田重夫(第一、二回)、同本庄正信(第二回)の証言を綜合すると、昭和三三年一〇月初旬ごろ、原告からクラブの組立製造委託(下請)を受けた本庄は原告の代理人として中務精管を訪れて今後シヤフトを仕入れたい旨を申出て、その承諾を得、その際代金先払いで黒皮シヤフト(未メツキのシヤフト)一〇〇本を購入して姫路市豊沢町所在の原告工場宛への送付を依頼したところ、中務精管は右依頼に応じてこれを送付したこと、さらに同年中に同様の注文を受け一〇〇本ないし一三〇本を原告に送付したことが認められる。

また証人西原優の証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証、証人前崎与吉の証言により真正に成立したものと認められる乙第四号証の一、二、証人島田清道の証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証に右各証言および証人新田重夫(第一、二回)、同本庄正信(第一、二回)、同寺岡義夫の各証言を綜合すると、中務精管は訴外姫路合同運送株式会社を通じて、(イ)昭和三四年一月一四日に木箱の梱包でシヤフト一八キログラム、(ロ)同月一九日に前同様シヤフト三〇キログラム、(ハ)同年二月三日に前同様シヤフト一六キログラム、(ニ)同月一三日に前同様シヤフト五〇キログラム、(ホ)同月二〇日および二八日に前同様シヤフト各二〇キログラム、(ヘ)さらにクラブ製造再開後の同年八月一三日に前同様シャフト二〇キログラムをいずれも原告あてに売渡し(ただし、(イ)ないし(ホ)につき荷受主は植田金属工業所内本庄正信宛)、同人から各代金を受領していること、およびアイアンクラブに使用されるシヤフト(黒皮)の一本あたりの重量は一三〇グラムないし一三五グラムであり(パターおよびキヤツシングパター用のシヤフト(黒皮)の一本あたりの重量は一一〇グラムないし一一五グラムであり)右シヤフト一〇〇本を梱包するための木箱の重量は約四キログラム、同二〇〇本を梱包するための木箱の重量は約七キログラムないし八キログラムであることが各認められる。しかして今かりに右シヤフト一本の重量を最大の一三五グラム、梱包はすべて木箱によるものと仮定して右シヤフトの数量を推認すると、少なくとも(イ)は一〇〇本、(ロ)は一七〇本、(ハ)は六〇本ないし七〇本、(ニ)は三〇〇本、(ホ)は各一二〇本、(ヘ)は一二〇本となり、被告主張事実中右認定を超えるシャフト仕入数量部分を認めるに足る証拠はなく、また右認定に反する甲第三号証の二(成立は本庄正信の証言および原告本人尋問の結果によりこれを認める)、証人本庄正信(第一回)の証言および原告本人尋問の結果の各一部はこれを採用せず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

よつて原告のシヤフト仕入数量は別表三認定欄記載のとおりとなる。

(2) シヤフト移出数量

シヤフトのままの移出数量中、昭和三四年二月に国華金属に一一本を返品したことおよび移出時期はともかくとして同年五月ないし九月(すなわち被告は九月と主張し、原告は五月ないし八月と主張する)に訴外山村ゴルフに三〇〇本を移出したことは当事者間に争いがない。被告はさらに同年九月寺岡義雄に七本を移出したと主張するが、この点は被告主張本数が原告主張本数を上廻り原告のクラブ製造移出本数の算定につき原告にとり不利益な結果をもたらすものではないから右七本は移出されたものとみなすこととする。

そうすると、原告がシヤフトのまま移出した数量は別表四認定欄記載のとおりとなる。

(二)  ヘツドについて

(1) 鋼材仕入数量

ヘツドの原材料たる鋼材の仕入数量(別表五記載)については当事者間に争いがない。

(2) ヘツド鍛造品の受入数量、原告がヘツドの加工委託先から受入れたヘツド鍛造品の受入数量は昭和三三年四、五月分、同年一一月分、昭和三四年三月分の受入個数を除いて当事者間に争いがない。よつて右各月分の受入数量につき検討するに、証人宮崎昭治の証言により真正に成立したものと認められる乙第六号証と同証言により被告主張どおりと認められる。(別表六被告主張欄参照)

(3) 鍛造品廃棄数量

鍛造品の廃棄については昭和三三年九月に一二一個を廃棄したか否かの点を除き当事者間に争いがなく、本件全証拠を検討するも右廃棄を認めるに足る証拠は全くない。よつて廃棄数は別表七認定欄記載のとおりである。

(4) 鍛造品販売数量

鍛造品のままの販売については原告が昭和三四年三月に寺岡義雄に少なくとも一〇一九個のヘツドを販売したことは当事者間に争いがなく、原告はさらに四一九個を右寺岡に販売したと主張するので判断する。証人宮崎昭治、同寺岡義雄の各証言により原本の存在成立およびその写であると認められる乙第一〇号証と右各証言を綜合すると、昭和三四年三月に原告が寺岡に販売した鍛造品は一〇一九個のみであつたことが認められ、右認定に反する甲第五、六号証ならびに証人寺岡義雄の証言および原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用せず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

(5) ヘツドのままの販売移出および返品受入数量

右数量が別表八、九記載のとおりであることは当事者間に争いがない。原告は昭和三三年一一月に七五個、同年一二月に二七七個を訴外銀座ゴルフ商会から返品され、これをすべて廃棄したと主張するので判断するに証人水谷祥三の証言により真正に成立したものと認められる乙第七号証と同証言および原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると右七五個は不良品で原告がこれを廃棄したことが認められるけれどもその余の二七七個は銀座ゴルフが個人経営から会社組織(有限会社銀座ゴルフ用具製作所)に組織変更するにあたつて一旦右個人から原告に返品され後日改めて右会社が原告から受入れたことが認められ原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用せず、他に右認定に反する証拠はない。

(6) 原告クラブ製造開始時までに販売したヘツドの数量

また、原告がクラブ製造開始時までに販売したヘツドの総数が一、八六七個であることは当事者間に争いがない。

(7) クラブ製造開始時のヘツドおよび鍛造品の在庫高

しかして原告のクラブ製造開始時(昭和三三年一一月)における鍛造品およびヘツドの手持数量につき、被告は一二四〇個であると主張し、原告は右のうち一二一個は昭和三三年九月に廃棄したと主張するが右廃棄の事実が認められないことはすでに認定したとおりである。

そうだとすると右クラブ製造開始時の鍛造品、ヘツドの在庫数量は一二四〇個というべきである。

(三)  補助部品について

補助部品仕入数量が別表一〇記載のとおりであることは原告が明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなす。

B  よつて原告が昭和三三年一一月から昭和三四年三月までに製造移出したクラブの数量につき検討する。

原告が昭和三三年一一月のクラブ製造開始時にシヤフト一五〇本を所有していたこと、同年一二月にシヤフト二八〇本を、昭和三四年一月にシヤフト二七〇本を、同年二月にシヤフト六一〇本を各仕入れたことは前記認定のとおりであり、同年二月にシヤフト一一本を国華金属に返品したことは当事者間に争いのないところである。そうすると、昭和三三年一一月一日から昭和三四年三月四日までの間に原告がクラブ製造に使用しえたシヤフトの数量は一二九九本となる。(別紙一二参照)

また原告が昭和三三年一一月のクラブ製造開始時にヘツドおよび鍛造品一二四〇個を所有していたこと、同年一一月に鍛造品八二六個を受入れたことは前記認定のとおりであり、同年一二月に三五二個を、昭和三四年一月に七四二個を、同年二月に一〇二個を受入れたことは当事者間に争いがなく、同年三月に一五個を受入れたことは前記認定のとおりであり、また昭和三三年一一月にヘツド二〇個を、同年一二月にヘツド六個を、昭和三四年一月にヘツド二三二個を、同年二月にヘツド一二七個を、同年三月にヘツド四一八個および鍛造品一〇一九個を各移出したこと、昭和三三年一二月に鍛造品四二個を、昭和三四年二月鍛造品二九八個を各廃棄したことは当事者間に争いがなく、昭和三三年一二月にヘツド二七七個の返品を受けたことはすでに認定したとおりである。このようにしてみると、昭和三三年一一月から昭和三四年三月までの各月末におけるヘツド在庫高は別表一一記載のとおりとなる。そうすると、昭和三三年一一月一日から昭和三四年三月四日までの間に原告がクラブ製造に使用しえたヘツドの数量は一三九二個となる。(別表一一参照)また補助部品は別表一〇記載のとおりであつて昭和三三年一一月から昭和三四年三月までに原告がクラブ製造に使用しえた補助部品の数量はトツプ一二四〇個、ソケツト一、三〇〇個、グリツプ止め一一〇〇個である。

しかして右シヤフト、ヘツド、補助部品の数量はいずれも被告主張の昭和三三年一一月から昭和三四年三月までのクラブ製造移出数を上回ることとなる。

右事実に証人本庄正信の証言(但し後記信用しない部分は除く)を綜合すると、結局本庄は原告がクラブの製造を開始した昭和三三年一一月から右クラブ製造を廃止した昭和三四年三月まで姫路市南畝町の原告倉庫においてシヤフト(シヤフトの購入は原告の名において、計算は本庄においてなされている)およびヘツドを原告から支給され、他の補助部品を原告の名と自らの計算において購入した上、クラブ一本の製作委託費用として六〇〇円を受領する契約(但し原告がシヤフト代金を購入先に支払つているので右からさらにシヤフト代金を差引く約定)の下に、専ら原告のためにクラブの組立をなし少なくとも昭和三三年一一月には一〇〇本を、同年一二月には三〇〇本を、昭和三四年一月には一五〇本を、同年二月には二〇〇本を、同年三月には二〇〇本を組立て、これを原告に引渡し、同人が右クラブを移出(但し同年三月分の二〇〇本中七九本はクラブ製造廃止申告時に在庫したので移出したものとみなされたもの)したことが認められる。被告主張事実中右認定を超える数量を認めるに足る証拠はない。また証人寺岡義雄の証言および原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用せず他に右認定を左右するに足る証拠はない。(そして右の期間中、本庄が自己又は原告を除く他の者のためにシヤフトを仕入れクラブを組立てたことを認めるに足る証拠はない。)

C  さらに原告が昭和三四年七月一日以後に(被告主張のごとき数量の)クラブを製造移出したか否かの点について検討する。

原告が昭和三四年三月四日に一旦クラブ製造廃止申告をしながら同年七月一日訴外署長にクラブ製造再開申告をなしたことは当事者間に争いがなく、原告は右申告はさきに移出したヘツドの返品を原材料免税で受入れるためであつてクラブを製造移出するためのものではないと主張し、原告本人尋問の結果中には右主張に副う供述も存するけれども右供述は成立に争いない乙第一号証、証人本庄正信の証言等に照して俄かに採用しえないし原告が昭和三四年七月一日以降昭和三五年三月までにクラブを製造移出したことは以下認定のとおりである。

(一)  原材料補助部品の出入数量について

(1) 昭和三四年三月四日クラブ製造廃止時のシヤフト在庫高

右廃止時に原告が少なくともクラブ七九本、シヤフト二三五本の在庫品を有しており、これがすべて製造移出とみなされて課税対象となつたことは当事者間に争いがなく、被告は、さらに、当時原告がシヤフト七九本(在庫合計三一四本)を有していたと主張する。原告が昭和三三年一一月ないし昭和三四年三月までに仕入れたシヤフト一三一〇本から右期間内のクラブ製造(みなし移出として課税されたものを含む)に使用された九五〇本と国華金属へのシヤフト返品数一一本を差引くと昭和三四年三月のシヤフト在庫数は三四九本となる。

ところで原告がシヤフトを廃棄したり、前記認定以外にシヤフトを移出したと認めるに足る証拠はないから別異に解すべき特段の事由のない本件においては昭和三四年三月の製造廃止時には前記のごとくシヤフト三四九本が在庫していたものと認めるべきである(尚かりに昭和三三年一一月から昭和三四年三月までの間に被告主張のとおり一〇二五本のクラブが製造移出((移出とみなされたものを含む))されたものとしても右クラブ製造廃止時のシヤフト在庫数は二七四本となる)。

(2) 昭和三五年三月末現在のシヤフト在庫高

また昭和三五年三月末日現在の原告のシヤフト在庫高がクラブに製造ずみのもの五四本、シヤフトのままのもの九三本、以上合計一四七本であつたことは当事者間に争いがない。

(3) 昭和三四年三月四日クラブ製造廃止時のヘツド在庫品

右廃止時に原告が少なくともクラブ七九本、ヘツド六四個の在庫品を有しており、これがすべて製造移出とみなされて課税対象となつたことは当事者間に争いがなく、被告は、さらに当時原告がヘツド三七八個(在庫合計四四二個)を有していたと主張する、昭和三三年一一月一日現在のヘツドの在庫が一二四〇個であることは前記認定のとおりである。しかして右数量に昭和三三年一一月ないし昭和三四年三月までの鍛造品の受入数二〇三七個廃棄三四〇個ヘツドのままの移出一八二二個(寺岡への販売一〇一九個を含む)ヘツド返品数三五二個および前記クラブの組立に使用された九五〇個を加減すれば、昭和三四年三月のヘツド在庫高は五一七個となる。しかし、そのうち七五個が昭和三三年一一月に廃棄されていることはすでに認定したとおりである。しかして前記認定以外に他に右ヘツドを廃棄したり移出したと認めるに足る証拠はないから別異に解すべき特段の事由なき本件においては昭和三四年三月四日の製造廃止時には四四二個のヘツドが在庫したものというべきである。(尚かりに昭和三三年一一月から昭和三四年三月までの期間に被告主張のとおり一〇二五本のクラブが製造移出されたものとしても右クラブ製造廃止時のヘツド在庫数は三六七個となる。)

(4) 昭和三五年三月末現在のヘツドおよび鍛造品在庫数

成立に争いない乙第二号証および証人宮崎昭治の証言によると少なくともヘツドのままのもの一八四個、クラブに組立てたもの五四個、合計二三八個であることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  しかして原告が昭和三四年三月のクラブ製造廃止時にシヤフト三四九本を所持していたことは前記認定のとおりであり、また同年五月にシヤフト一〇〇本、同年六月にシヤフト九〇本、同年七月にシヤフト一〇〇本を中務精管から各仕入れたことはすでにのべたごとく当事者間に争いがなく、さらに原告は同年八月に中務精管から一二〇本を仕入れていたことは前記認定のとおりであるから、同年七月一日のクラブ製造再開時における原告の手持シヤフト数は合計五三九本、同年八月一日のそれは六三九本、同年九月一日のそれは七五九本となる、しかるに原告は同年九月に右シヤフトのうち三〇〇本を山村ゴルフに、七本を寺岡義雄に各販売したことは前記認定のとおりである。一方昭和三五年三月末現在のシヤフト在庫数はクラブに組立てずみの五四本を含めて一四七本であつたことは当事者間に争いのないところであるから、昭和三四年七月一日から昭和三五年三月末日までに原告がクラブ製造に使用しえたシヤフトの数量は三〇五本となる(尚かりに前記被告主張のとおりとすれば昭和三四年七月一日から昭和三五年三月末日までに原告がクラブ製造に使用しえたシヤフトの数量は二三〇本となる)。

次に原告が昭和三四年三月のクラブ製造廃止時にヘツド四四二個を所持していたことは前記認定のとおりであり、その後昭和三四年七月にヘツド一二〇個、同年一〇月にヘツド五〇個の各返品を受入れたことは当事者間に争いがないところであるから、同年七月一日のクラブ製造再開時における原告の手持ヘツド数は四四二個、同年八月一日のそれは五六二個、同年一一月一日のそれは六一二個となる。一方昭和三五年三月末現在のヘツド在庫数はクラブに組立てずみの五四個を含めて二三八個であることはすでに認定したところであるから昭和三四年七月一日から昭和三五年三月末日までに原告がクラブ製造に使用しえたヘツドの数量は三七四個となる(尚かりに前記被告主張のとおりとすれば昭和三四年七月一日から昭和三五年三月末日までに原告がクラブ製造に使用しえたヘツドの数量は二九九個となる。)

また右期間内に原告がクラブ製造に使用しえた補助部品は少なくともトツプ八〇〇個、ソケツト一一九〇個、グリツプ止め八〇〇個である。

そうだとすると右のごとくクラブ製造再開当時の手持原材料数、その後の仕入数、原材料のままの移出数ならびに昭和三五年三月末のクラブおよび原材料在庫高等からみて、クラブないし原材料の廃棄又は製造の失敗等、これを別異に解すべき合理的な理由の存しないかぎり三〇五本(前記被告主張とおりとしても二三〇本)のクラブが右期間内に製造移出されたものと推認せられるべきところ、右特段の事由なき本件においては右期間内の製造移出本数を前記範囲内で九一本と認定したことは相当であり、さらに右九ケ月間の各月における原告のクラブ製造規模、能力、方法、販売実績等につき著しい差異を認めるに足る証拠のない本件においては各月の製造移出数量を略々各月相均しいものとして別表一被告主張欄記載のとおりクラブ移出数量を認定したことも亦相当というべきである。原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用せず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

三、ところで原告は、被告が原告の製造移出と認定したクラブの中には本庄正信が自己の名において中務精管から仕入れたシヤフトを用いて、原告以外の得意先から依頼を受けて製造したクラブも含まれていて、被告の審査決定にはこの点において違法があると主張する。なるほど前掲乙第四号証の一、二、証人本庄正信(第一回)同新田重夫(第一、二回)の証言の各一部によると本庄が中務精管から本庄の名においてシヤフトを仕入れていた事実および前記寺岡等のためにクラブを組立てていた事実は認められるけれども、右各証拠自体によつても明らかなとおり右組立および右組立の材料たるシヤフトの仕入はいずれも本庄が原告のためのクラブ組立の下請を罷めた昭和三四年三月以降のことであり右期日以前においては、本庄は原告のためにクラブ組立をなしていたこと前叙のとおりであるからこの点に関する原告の主張も亦理由がない。

また原告は右の原材料中には昭和三四年三月の製造廃止時にすでに課税ずみのものがあり、これを用いて製造したクラブにさらに課税することは二重課税というべきであると主張する。なるほど原告が昭和三四年七月以降に製造したクラブの原材料中にはすでに同年三月に課税されたシヤフト、ヘツドが含まれていたことは認められるが、右製造にかかるクラブは右シヤフト、ヘツドとは別個の課税物品であるからこれを移出したときに課税対象となることは物品税法上当然のことであり、原告の右主張は理由がない。のみならず右製造廃止時に移出されたものとみなされ課税対象となつたシヤフトおよびヘツドをクラブ製造再開申告後再びクラブ製造に用いるときは一旦移出したものとみなされたシヤフトおよびヘツドを同一製造場に戻入したことになるから、所定の手続をとることにより右シヤフトおよびヘツドにかけられた物品税に相当する金額の控除又は還付を受けえた(物品税法第九条第一、二項)ものであり、かりに原告が右手続をとらなかつたことによつて課税上不利益な取扱を受けたとしてもその責は原告自らが負うべきものであつて、前記クラブに対する課税を違法ならしめるものではない。

四、叙上のとおりであるとすると、昭和三三年一一月ないし昭和三四年三月、同年七月ないし昭和三五年三月までに原告が製造移出し又は移出したものとみなされるクラブ、シヤフト、ヘツドの数量は別表一認定欄記載のとおりとなる。

しかして右クラブ一本の移出価額(課税標準額)が被告主張の一、一〇〇円又は少なくとも同価額を上回ることは原告において自ら認めるところであり、さらに右シヤフト一本の移出価額が三四〇円、ヘツド一個の移出価額が五五〇円であることは当事者間に争いがない。

従つて、前記期間内に原告が製造移出し又は移出したものとみなされるクラブ、シヤフト、ヘツドの課税標準額および税額は別表一認定欄記載のとおりとなる。

五、そうだとすると被告の審査決定中右認定を超える部分は違法となり原告の本訴請求は右の限度で理由があるから右審査決定中右認定を超える違法な部分はこれを取消し、原告その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石崎甚八 裁判官 長谷喜仁 裁判官 福井厚士)

別表1

<省略>

別表2

<省略>

別表3 シヤフト仕入数表

<省略>

別表4 シヤフト移出数表

<省略>

別表5 鋼材仕入数表

<省略>

別表6 鍛造品受入数表

<省略>

別表7 鍛造品廃棄数

<省略>

別表8 ヘツド販売移出数表

<省略>

別表9 ヘツド返品受入数

<省略>

別表10 補助部品仕入数量

<省略>

別表11

<省略>

別表12

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例