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大阪地方裁判所 昭和38年(わ)196号 判決 1967年5月13日

被告人 池内喜与志

主文

被告人を罰金二、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用のうち、証人中沢米太郎、同上坂計太郎、同湯谷稔、同河合俊明、同金田健一、同西川原覚市、同岡田政春、(第二六回、第二七回公判出頭の分)同吉田光男、同寺田宇之輔、同竹腰久雄(第三二回公判出頭の分)に支給した分は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、元岸和田市長室企図課に勤務する事務吏員で、同市職員をもつて構成する岸和田市職員組合(以下市職組という)の執行委員であつたものであるが、市職組はかねてより岸和田市に対し賃上げ等一六項目の労働条件の改善を要求して同市当局と団体交渉を行つてきたところ、被告人は、昭和三七年一一月二八日午後七時頃より同市岸城町一八三四番地所在岸和田市役所二階会議室において、他の市職組執行委員一〇数名と共に、同市長中沢米太郎(当時五八年)以下市理事者側八名と年末手当の増額について交渉したが、同市長が年末手当は昨年と同率以上は支給できない旨の回答をするだけでそれ以外殆んど発言しない状態であつたので同日午後八時二〇分頃に至つて遂に交渉が行き詰つてしまつた。折から同室外に待機していた市職組組合員数名が同室内に乱入したので、これを機に同市長等市理事者側の者は退場しようとしたが、右市職組執行委員等によつて制止され、再び交渉の席に戻つたものの、右市職組執行委員等は、同市長等の右態度から誠実に交渉に応じる意思が無いものと考えて口々に同市長等に対し抗議したが、被告人も憤激の余り、同日午後八時三〇分すぎ頃、同市長の左耳もと近くで所携の携帯用拡声器を通じてやにわに大声で「市長」と怒鳴りつけ、同人の左耳部に強い音響を与えて暴行を加えたものである。

(証拠の標目)<省略>

(傷害の訴因を暴行と認定した理由)

本件公訴事実は、「被告人は判示日時場所において、中沢米太郎に対し判示暴行を加えた結果、同人に対し入院加療約一〇日間を要する左耳音響性外傷の傷害を負わせたものである」というのである。そこで、判示暴行の結果右のような傷害が生じたかどうかについて検討する。

(一)、<証拠省略>を綜合すると、中沢米太郎は判示暴行を受けた後、岸和田市内所在の饗場病院に救急車で搬入され、同日午後一〇時前頃同病院で岸和田市立病院長柏村長治、同病院医師和田純一が診察したところ、中沢の左耳鼓膜に槌骨柄に沿つて第一度発赤があつたほかは同人の身体に外的異状所見は無かつたが、同人が左耳を手で押え痛い痛いと言い、耳鳴り、めまいを訴えていたことと、同人に同行してきた河合俊明秘書課長等が、判示団体交渉中に拡声器を左耳に接し大声を発せられたために急に倒れ、人事不省意識不明に陥つた旨説明したことから、医師和田純一は中沢に、一応音響性外傷が生じている旨判断したが、同人の訴を考慮すると、なお身体の他の領域に内科的疾患があるのではないかと疑われたので、精密検査のため同人を岸和田市立病院に入院させたこと、同人は同年一二月八日退院したが、その間の諸検査によると音響性外傷を推定させる症状、すなわち、左耳の聴力低下と平衡機能障害が認められたが、他の領域には異状は認められなかつたこと、又右第一度発赤というのは、最も軽度の充血で、この程度のものは外耳道や指や耳かきを挿入した場合や耳部を強くこすつたりした場合にも容易に発生するもので、特別の治療を要するものでは無く又本人も特に意に介するほどのものではなく、医学的にみても傷害とは言えず、音響性外傷とは関係の無いこと、が認められる。そうすると、医師和田純一が中沢に音響性傷害ありと判断したのは左耳の聴力低下と平衡機能障害の症状が存在し、これが河合俊明の説明によつて判示暴行によつて発生したものと判断したからであることが明らかである。

(二)、前掲証人湯谷稔、同金田健一の各供述記載中には本件発生後間もなく中沢が座つていた椅子とその前にある机との間にずれ落ち(くずれ落ち)た旨の記載があり、第二〇回公判調書中証人古江徳三郎の供述記載によると、中沢が両側から腕を支えられて会議室を出ようとしたが、出入口附近で両腕を振りはらつて頭を抱えて、うずくまるようにして、ごろつと恰も達磨を倒したように横になつたことが認められ、前示和田医師の供述記載及びカルテによると入院後行われた精密検査のうち起立試験(ローンベルグ)、マンの現象、単脚直立、斜面台検査等の平衡機能テストにおいて平衡感覚に異常のあることを示す結果が出ており、これらの事実を綜合すると中沢に平衡機能障害が起つたようにみえる。しかしながら証拠を仔細に検討してみるとはたして真実平衡機能障害が起つていたかどうか疑がある。

先ず第一に中沢が団体交渉中拡声器を左耳に接して大声を発せられたため急に倒れ、人事不省意識不明に陥つたという点は措信し難い。第七回、第八回、第一〇回公判調書中証人中沢米太郎の各供述記載によると、本件暴行を受けた前後の模様について、「吉田副委員長がテーブルを降りてやれやれと思つてうしろへもたれかかつた瞬間に左耳の方でガンときて、きりきり耳が痛くなつた。その痛さは肉体に針を刺すような痛みであつた。やられたという意識がおこつてむつとした。そしたら目の前がぼつとかすんできて黒いものがおりてきたのでうつむいてしまつた。その後のことは記憶になく足を引張るような感じがしたのでふつと気がついたら助役室のソフアーの上に寝かされていた。一寸目をあけてみたら、があがあいつており、耳がじんじん鳴り頭ががんがんいつていた。それからわあわあいつていることばかりがしばらく聞え、そのうち担架とか救急車という声が聞えてきた。担架に乗せられ、救急車に乗せられた。先生不在という声、饗場、饗場という声が聞えた。そして饗場病院へ行き柏村医師の診察を受けた。その間ずつときりきりと痛みが続いていた。柏村医師の診察を受けるに至つた経緯は知らない。」と述べ、本件暴行を受けた結果一時的失神状態に陥り意識もうろう状態が或る程度継続していたかの如く供述している。河合俊明らは和田医師にその旨の説明をしていること前示のとおりであるから、和田医師に拡声器による音響の与えた影響の甚大さについて予断を与えたものと考えられるのであるが、<証拠省略>によると、中沢は本件暴行を受けた直後、左手で左耳附近を押え、右手で後頭部を抱えるようにして一、二秒じつとし、それから痛い痛いといい出して机の上に俯伏し、いくらか頭を持ちあげて、すでにテーブルの右端に立つていた被告人の方をむいて「覚えてやがれ、お前がやつたんやな」といい、今度はテーブルの左端に座つていた河合俊明の方をみて「秘書課長、顔を覚えておけ、時間を覚えておけ」と指示し、更に右の方をみたり左の方をみたりしながら「覚えてろ、前から来るんだつたら何時でも相手になつてやるけれども、後から来るとは卑怯だ」等と口走つていたこと、金田健一助役等に抱きかかえられるようにして会議室から廊下をへだてて助役室の扉の手前で廊下にいた多数の市職組組合員の方を振り返つて「覚えてやがれ」等といつて同室内に入つていつたことが認められるのであつて、右の事実によると、中沢は本件暴行を加えた者が被告人であることを明瞭に知覚し、被告人の顔と犯行時刻とを河合俊明に確認させて後日何等の措置を執る場合の証拠保全をはかつたことが明らかであり、又その際や助役室に入る際の中沢の言辞は市長の言としては穏当を欠くけれども暴行の被害者の言辞としては十分了解可能なものであり、又饗場博美の検察官に対する供述調書によると、中沢自ら、市民病院へ連絡してほしい、官舎には柏村院長がいるから連絡してほしい旨申出たので、柏村、和田両医師を饗場病院に迎えた経緯も認められるところであり、これらの諸事情に照らすと中沢の意識は清明であつたと認めなければならない。本件暴行後、中沢は直ちに入院静養に努めたのであつて、右のような諸点についての記憶を喪失するような異常事態は何等認められないのであるから、証言を求められたのが本件後一年六月を経た後であるとはいえ、これらの事態について全く記憶を喪失してしまつたというのは極めて不自然である。してみれば被害を受けた直後から失神ないしもうろう状態に陥つたという前記中沢の各供述記載は到底信用し難い。

第二に和田医師の証言によると音響性外傷を受けると通常顔面は蒼白となるものであるにかかわらず、第一五回、第一六回公判調書中証人河合俊明の供述記載によると中沢は「誰がやつたか秘書課長覚えておけ」といつていた際、顔面紅潮し、落涙するといつた生理現象を呈していたことが認められる。第二九回公判調書中証人寺田利夫の供述記載によると中沢は激すると落涙しやすい性格であることが窺われ、前記中沢米太郎の供述記載によると、中沢は本件暴行を受けたため強い憤激の情を発したことがあきらかであるから、これら落涙、顔面紅潮という生理現象も激しい情動によつて生じたものとも考えられ、本件暴行による激痛のために生じたものとにわかに断定することはできない。第三にこのような中沢の言動を傍にいて目撃した市理事者側の人達はこれをどのように発表しているかというと、証人柏村長治の当公判廷(第三一回)における供述とカルテによると、金田健一助役は医師柏村長治の私宅に「市長が団体交渉中に耳のそばで大きな声を発せられ、激しい耳痛、頭痛を訴えて机の上に俯伏した。室外に連れ出そうとしたが人垣にさえぎられて転倒した」旨連絡し、同医師が医師和田純一とともに饗場病院に行つた際、河合俊明秘書課長は、中沢が本件暴行により人事不省、意識不明に陥つたと説明していること、又饗場博美の検察官に対する供述調書によると、秘書課の者(誰か不明であるが)が中沢を初診した医師饗場博美に「争議中に左耳の傍でスピーカーで怒嗚られ、左耳のうしろをマイクで殴られた。市長は左耳を押えて痛い痛いといつてその場に倒れた」と説明したことがそれぞれ認められ、そのほか、岸和田市助役金田健一収入役部課長一同作成名義の「おわび」と題するビラには「市長の背後より携帯マイクを左耳に押しつけて大声でわめきつけたため市長は激痛を訴えてテーブル上にぶつ倒れ、床上に崩れ落ちた」「市長は激痛を訴えつつ遂に失神状態に陥つた」旨の記載があり、又助役金田健一作成名義の「職員のみなさんへ」と題するビラには「携帯マイクを市長の左耳に押しあて大声でわめいたため、市長は左耳をおさえ、テーブルの上に俯伏し、間もなく下へ崩れおちた」「会議室出入口でもみあううちに市長は人事不省になつて床に倒れた」旨の記載があり、この各ビラが活版で早くも翌日配布されていることが認められるのであつて、これ等諸事実に徴すると、河合俊明秘書課長、金田健一助役等市理事者側の人達は本件の発生をみるや、これを利用し事実を曲げ、誇大に発表して職組に打撃を与えようとしたことが窺われるのである。

以上の如く中沢が失神もしていないのに失神したように装つていたと認められる以上、前記の椅子と机の上にずり落ちた(金田、湯谷の証言を検討するとこのような事実がはたしてあつたのかどうかも疑問なしとしない)とか出入口附近で倒れたということがあつたとしても、それがめまい、あるいは激痛のため倒れたものと速断することができず、前示中沢の証言と同様誇張して作為されたのではないかとの疑念を払拭することができない(和田医師は音響性外傷を受けてから、しばらくたつてから倒れるということは普通は考えられないといつている)。

このように前記中沢米太郎の各供述記載のうち被害事実に関する部分、及び被害を受けた後の右挙動が措信できない以上、本件暴行後同人がとつた言動、すなわち、左耳を押えて右手で頭を抱えるようにして机の上に俯伏したとか、前記証人上坂計太郎、同金田健一、同湯谷稔、同河合俊明等の各供述記載によつて認められるところの、助役室に搬入された後中沢は長椅子に横になつて目をつぶつてぐにやつとした状態であつたとか、左耳と後頭部を押えて時々痛いとかわけの判らないことを口ばしつていたとか、前記和田医師に対して耳痛、耳鳴、めまいを訴えていた言動も亦果して本件暴行の結果生じた苦痛を如実に表現するものであるかどうか甚だ疑わしいといわざるを得ない。

入院後の結果悪かつた平衡感覚テストの内容をみると目を開き又は日を閉じて両足をとじ、つま先を揃えて起立できるかとか(ローンベルグ)一方の足のかかとをもう一方の足のつま先にもつて来て直立できるか(マンの現象)とか単脚で直立できるかとかのテストであつて被テスト者の意思によつてテスト結果を悪くすることのできるものばかりであり、前記のような事情と庶眼書字法、カロリーグラム、指試験、アジヤドコキネーゼ等のテストの際はいずれも異状を発見していないことを考え合わせると、異常を示したテストの結果をそのまま真実を伝えたテスト結果として信用できるかどうかも甚だ疑わしいとしなければならない。

(三)、第二四回、第二五回公判調書中証人和田純一の各供述記載によると、中沢にみられる右聴力の低下は、中等度ないし軽度の一過性のものであり元来この程度の聴力の低下及び平衡機能障害は六〇才前後の者が神経をつかう仕事をし、心神の疲労が重つた場合には生じ易いことが認められる。そこで本件暴行当時中沢の心神にこのような聴力低下、平衡機能障害が自然に発生する可能性の有無について検討すると、<証拠省略>を綜合すると次の事実が認められる。市職組は昭和三七年九月二五日、岸和田市当局に対し前示労働条件改善の要求をし、同年一一月から同市理事者側と本格的な団体交渉に入るとともに右要求を貫徹するため、同市役所構内に赤旗をたて、鉢巻就労をするなど組合活動を盛上げてきた。同月二五日頃からは年末手当として三ケ月分プラス一五〇〇〇円の要求が交渉の中心になつたが、市当局は、大阪府下一六衛生都市長会で前年以上の率は支給しない旨の申し合せがあることと、岸和田市財政上の理由で年末手当を増額しないとの立場を堅持してきた。その間同月一九日には徹夜交渉が行われ、中沢もこれに出席したが交渉が行き詰るや待機していた市職組組合員や応援労組員が交渉の席上になだれこんできて、口々に悪口を言い、中沢をきびしく詰問し、交渉は極めて緊迫した状況で行われるという様なことがあつたほか、本件まで三ないし四回位中沢出席のもとに行われた団体交渉は、いずれも集団交渉の形式で市職組側及び市理事者側双方の緊張興奮裡に行われた。なおその間中沢は大阪府下一六衛生都市と各労働組合との統一交渉準備の市長会にも再三出席し、同月二四日夜には衛都連(市職組の上部団体)との徹夜交渉に参加し、ひきつづいて同月二六日の緊急市長会にも出席し、年末手当は前年なみで各都市で単独交渉する旨の方針をうち出す等、鋭意市職組対策に精力を注いでいたこと、又このほか岸和田市議会議員定員削減と歳費切下げの要求が町内連合会から市当局に提出されていて、中沢はこれらの問題の処理にも苦労を重ねてきたこと、本件団体交渉は当日午後七時頃から開始されたが、市理事者側は前年以上は支給しないとの堅い方針でのぞみ、出来るだけ発言をしないという態度をとつたため交渉は進捗せず、交渉開始間もない頃から双方の間に緊迫した雰囲気が醸成され、次第に市職組の交渉員の中には罵声を発し刺激的な言辞を弄する者が出はじめ、市理事者側もこれに応じて拒否的態度に出たため双方異常に興奮した状態になつていたこと、判示のとおり室外に待機していた市職組組合員数名が室内に乱入してきたので、中沢は市理事者側の者とともに退場しようとしたが市職組委員長等から制止されたので再び自席に戻つたが、今度は吉田光男市職組副委員長がテーブルの上にあがつて四つ這になつて中沢の面前に進み出て、腕を振りあげ強い口調で同人を詰問しはじめたので、同人は非常に緊張し、身体を前にのり出すようにしてこれに対抗する姿勢をとつたが、間もなく右吉田はテーブルから降りたので若干緊張を解いたもののなお他の市職組側の者から激しい詰問を受けている最中に、判示暴行を受けたことが認められる。このような状況に徴すると当時五八年の中沢は、一方議員定数削減問題等の解決や市職組との団体交渉、市長会と衛都連との統一交渉等で多忙を極め、殆んど休養をとるいとまもなく、疲労の蓄積した状態で当日団体交渉にのぞんでいたわけであるが、これに交渉の経過をも併せて考えると、中沢は本件暴行を受ける前すでに心神の疲労の程度は相当高かつたものと考えるのが相当である。してみればこのような状況下においては前示のとおり格別の刺激が無くても前記の程度の聴力低下や平衡機能障害は容易に発生するのであるから、本件暴行前すでにその症状が中沢に生じていなかつたと断定することはできない。第二四回、第二五回公判調書中証人和田純一の各供述記載及びカルテによると、入院後投薬注射を施し安静療養につとめた後の一二月四日に行つた聴力検査では、左耳は大体正常に復したとの判定を得たわけであるがそれでもなお相当の聴力低下が残存し、右耳については低音についてはむしろ入院時より聴力低下し、高音部において若干聴力上昇をみるのであるが、なお左右両耳ともかなりの聴力低下がみられるところである。この検査は入院後六日目に行われたもので、本件発生時の中沢の心身状況は検査時よりはるかに悪かつたと考えて差支えないから、一一月二九日の検査においてみられるような聴力低下が本件暴行当時すでに中沢に生じていたと推測することもあながち無理とはいいきれない。してみれば聴力の低下、平衡機能障害の症状が本件暴行時すでに生じていたものでないかとの疑を容れる余地が十分にあるものと考える。

(四)、医師和田純一は中沢の聴力低下と平衡機能障害と中沢、金田、河合等の病状の訴えを総べて真実であると信じて音響性外傷と診断したのであるが、同人らの訴えは、事実を曲げたり誇張したりしていること前示のとおりであるうえ、平衡機能障害がはたしてあつたのかどうか疑わしく、かりにあつたとしても軽度のもので本件暴行以前に聴力低下とともに存在していたのではないかとの疑を容れる余地も十分にある以上、本件暴行と右各症状との因果関係は否定されざるを得ない。もつとも、前示疲労の蓄積していた状態ですでに聴力低下、平衡機能障害が存在していた際、本件暴行により一層これらの生理機能障害が増大したということも考えられないことではないが、本件ではその確証が無い。以上の次第で、本件暴行による音響性外傷を認めることが出来無いので、単純な暴行と認定した。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法第二〇八条罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するので所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金二、〇〇〇円に処し、同法第一八条により右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により主文第三項掲記のとおり被告人に負担させることとする。

(裁判官 松浦秀寿 安藤正博 小河巌)

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