大阪地方裁判所 昭和38年(ヨ)2133号 判決 1965年4月16日
申請人 中村登
被申請人 北港パシフィックタクシー株式会社
主文
被申請人は申請人を従業員として取扱い、且つ申請人に対し昭和三八年六月六日以降一ケ月金三七、三二一円の割合による金員を毎月二七日限り支払え。
申請人のその余の申請を却下する。
申請費用は被申請人の負担とする。
(注、無保証)
事実
第一、当事者の求める裁判
申請代理人らは、「被申請人は申請人を従業員として取扱い、且つ申請人に対し昭和三八年六月六日以降毎月二七日限り金三七、三七一円を仮りに支払え。」との裁判を求め、被申請代理人らは、「本件申請を却下する。」との裁判を求めた。
第二、申請人の主張
一、被申請会社(以下単に会社という。)は、昭和三七年八月旧北港タクシー株式会社(以下単に北港タクシーという。)と旧パシフイツクタクシー株式会社(以下単にパシフイツクタクシーという。)の合併により設立されたもので、肩書住所地に本店を、福町、堂島、春日出に各々営業所を置き、従業員約四〇〇名、車一四一台を擁して旅客運送業を営む会社である。
申請人は、昭和三一年六月会社の前身である北港タクシーに運転手として入社し、同会社がパシフイツクタクシーと合併後も運転手として会社従業員の地位にあり、後記解雇の当時一ケ月金三七、三二一円の平均賃金を毎月二七日限り支払われていた。
二、会社は昭和三八年六月五日申請人に対し、会社の営業部長坂井栄一を通じて、口頭で「飲酒運転の故を以つて解雇する。」との意思表示をなした。
三、しかし、右解雇の意思表示(以下本件解雇という。)は次のいずれの理由によつても無効である。
(一)、不当労働行為
本件解雇は、申請人の正当な組合活動を真の理由としてなされた不利益な取扱いであり、無効である。
(1) 申請人の組合活動
(A) 申請人は北港タクシーに入社して以来、会社側の策動等による労働組合の弱体化が従業員の労働条件の悪化を招く実状を経験した。そこで申請人は組合の強化を決意して、昭和三六年二月組合の執行委員に立候補し、当選後は組合員に対する教育、宣伝、苦情処理を任務として活動し、右決意の下に組合の強化に努めた。
(B) 次いで、申請人は昭和三七年二月組合の書記長に選出され、意見を同じくする執行委員長申請外和泉通盛と共に精力的に組合活動を行ない、特に同年春の賃上げ斗争、夏期一時金要求の斗争に大きな成果をあげた。
(C) 北港タクシーとパシフイツクタクシーの合併後、旧両会社の労働組合も申請人らの努力により昭和三七年一〇月合併統一を達成し、名称を北港パシフイツクタクシー労働組合として発足することになつた。申請人は同月七日行なわれた合併後の第一回組合大会において右組合の書記長に選出され、以後翌昭和三八年三月一〇日までその任に当つた。
(D) 北港タクシーの組合と右合併後の組合とを通じて、申請人が組合書記長の任にある間、申請人は大巾賃上げ、退職金制度の改善、労働協約の締結を組合の主要目標とし、なお従業員の労働条件改善のために、洗車ボーイ制度の確立、営業車のプロパン車への切換に関する斗争、道路交通法に関する救済制度の要求、年末一時金の要求など組合の統一、会社との強力な団体交渉に精力的な活動を行なつた。
(E) 偶々昭和三七年一二月会社は組合員である申請外嵯峨山某に対し、同人が会社の乗車券を私的に流用したことを理由として、不当な解雇を行なつた。
申請人は右事件に関して事情を調査したうえ、組合に臨時大会の開催を提案し、召集された大会において、右嵯峨山の解雇撤回斗争の支援を決議した。
申請人はその後も右解雇の理由とされた乗車券の利用や水揚金流用についての実態調査、組合員の右解雇撤回斗争への結集など、斗争の中心となつて活動し、嵯峨山から会社に対する大阪地方裁判所の地位保全仮処分申請事件については証人の準備、公判への組合員の傍聴動員のため奔走し、本件解雇の直前である昭和三八年五月三一日とその後の同年六月二一日の二回に亘り、自ら右裁判の最初の証人として出廷し、嵯峨山に対する会社の解雇が不当である旨証言した。
(2) 本件解雇の理由について
本件解雇の理由は、申請人が昭和三八年五月二六日勤務中飲酒運転をしたというのであるが、次に述べるように申請人には右解雇理由に該当する事実が存しない。
(イ) 同日申請人は、午後六時過ぎ頃大型営業車を運転して、会社の指示で国鉄大阪駅西口から国鉄関西線湊町駅まで乗客を運び、同駅で申請人の車に乗り込んできた二名の男客の指示で、そのまま兵庫県有馬の「炭酸温泉ホテル」に向つた。
(ロ) 同日午後八時前頃右ホテルに到着したが、「午後一一時半か一二頃には大阪に帰るからホテルで夕食をして待つていて欲しい。」との乗客の指示によつて、申請人は乗客を降したあと、乗客とは別にホテル内で待つことにし、間もなく乗客の指示をうけた女中の案内で入浴し、別室で夕食をよばれた。
食事の際、女中が乗客からといつて日本酒をすすめたが、申請人は勤務中であることを考え一旦辞退した。しかし女中が再び乗客からといつてビール一本を持つて来てすすめたので、申請人も断り切れず女中と共にコツプ一杯程度を口にした。
午後九時前頃申請人が食事を終え、車に戻ろうとしていると、乗客は女中を介して申請人を乗客の客室に呼び、「用談はもう終つたから君も付き合え。」といつて執拗に同席を強い、且つビールを飲むようすすめた。しかし申請人はここでもビールをコツプ一杯飲んだに過ぎない。
(ハ) 同日午後一一時四〇分頃申請人は乗客を乗せて同ホテルを出発し、帰途に就いたが、ホテルから一〇〇米位離れた十字路にさしかかつた際、同地点の右側小路から軽四輪自動車が走り出て申請人の運転する営業車の右側中央ドア附近に接触する事故が起つた。
右事故は明らかに相手方運転手の過失に起因するものであるが、被害は車輛の破損のみに止どまり、それも双方共僅少であつた。右事故の取調べに当つた警察官は、申請人がホテルでビール少量を飲んだことを認めたが、酒酔い、酩酊運転には該当しないと問題にせず、酩酊検知器による飲酒度の測定もしなかつた。
(ニ) 申請人はその後帰社し、車を入庫後会社に右事故を報告し、同月二九日事故の相手方と話し合い示談解決をみた。しかるに同年六月一日会社の坂井営業部長は申請人に対し、「勤務中はコツプ一杯でも飲んではいけない。事故の件は何もいわないが、飲んだことについては処分を行なう。しかし君の方から退職してくれないか。」ともちかけ、申請人がこれを拒否するや本件解雇に及んだ。
このように、申請人は乗客にすすめられてわずかコツプ一、二杯のビールを口にしたに過ぎず、しかも車の運転はその後相当時間経過して行なつているのであるから、これは会社のいう就業規則の懲戒解雇事由に該当しない。
(3) 不利益取扱い
(A)、「おとり調査」右有馬温泉での出来事は、それ自体著しく作為的であり、その後申請人において調査したところ、当時の乗客及び接触事故の相手方がいずれも街頭調査員であつたことが判り、本件解雇の理由である右事実は、会社が申請人を処分すべく特に街頭調査員に依頼して仕組んだ策謀によつて惹起されたものであることが判明した。
街頭調査員とは、会社の依頼に応じて特定の運転手について不正行為の有無を調査し、不正行為を摘発することを任務とするものであるが、その目的を達するため、故意に運転手が不正、違反行為に陥るよう仕向けることが多く、所謂「おとり捜査」に類する調査を行なう。
申請人は勤務成績、勤務態度共に極めて優秀な運転手であり、本件解雇時まで約一一年間タクシーの運転手として無事故、無違反で過し、大阪府警察本部や会社から優良運転手として表彰されたこともある。
従つて、会社がこのような申請人について特に街頭調査員を用い、勤務中の飲酒行為を挑発し、摘発しようとしたのは、前記嵯峨山解雇問題を中心とした申請人の組合活動の故に、申請人を企業から排除しようと企てたものにほかならず、本件においては、申請人に特に街頭調査員を付したこと自体が不当労働行為である。
(B)、「差別待遇」会社は次の(イ)ないし(ホ)のとおり従来従業員の明白な飲酒運転に対して、時にはその結果事故を起した場合ですら、何ら処分を行なつていない。
従つて、申請人がわずかコツプ一、二杯のビールを口にしたことが、仮りに所謂「飲酒運転」に当るとしても、申請人に対する本件解雇は会社の従来の取扱例と比較して著しく不利益な差別待遇であり、実は申請人の前記組合活動を真の理由としてなされた不当労働行為である。
(イ)、昭和三八年一月二七日塚口駅前の「福来軒」で会社の藤原専務取締役と岡田営業部長及び和泉執行委員長、申請人の四名が会合した際、全員ビール、日本酒等を相当量飲食したが、散会後全員が岡田営業部長の運転する車で帰宅した。会社は右岡田の飲酒運転について何ら処分を行なつていない。
(ロ)、同じ頃、大阪市内の「清光クラブ」で組合役員と会社側との会合があつた際、全員が相当量の日本酒、ビールを飲食したが、会社の職制である岡田、坂井の両名は相当酩酊していたにも拘らず、帰途自ら車を運転した。会社は右両名の飲酒運転について何ら処分を行なつていない。
(ハ)、昭和三八年三月一三日、大阪市内の「電通会館」で組合の新役員と会社側との懇親会があつて、出席した組合役員のうち三名はいずれも当日勤務日で会合の終了後乗務に就く予定であつたが、会社の川田常務取締役は席上右乗務予定の組合役員一名に対し執拗にビールをすすめ、同人にビールをグラス三杯飲ませた。
(ニ)、現在会社に運転手として勤務している申請外井上一三は、昭和三二年秋頃飲酒酩酊運転の結果、大阪市東淀川区淡路町附近の商店街に突込み、家屋商品等に相当の損害を与えたが、会社から解雇処分に付されなかつた。
(ホ)、現在会社福町営業所の係長の職にある申請外三宅某は、かつて飲酒酩酊運転の結果、大阪市西淀川区内でダンプカーと正面衝突して車を大破し、自らも相当の傷害を負う事故を起したが、会社は同人の右事件について何ら処分を行なつていない。
(二)、解雇権の濫用
会社が本件解雇の理由としてあげる具体的事実は、前記のとおり何ら就業規則の懲戒解雇事由に該当せず、本件解雇は理由のない解雇であるから解雇権行使の正当な範囲を逸脱しており、解雇権の濫用として無効である。
四、申請人は、会社を相手取り本件解雇の無効確認、並びに解雇日以降の賃金請求の訴を提起すべく準備中であるが、資産、別途収入の途もなく、会社からうける賃金のみによつて生計をたてている労働者であつて、本案判決の確定を待つていては回復できない損害を蒙るので、本件仮処分申請に及んだ。
第三、被申請人の答弁並びに主張
一、申請人主張事実一、二は認める。
二、申請人主張事実三、(一)、(1)「申請人の組合活動」のうち、申請人がその主張のように組合役員に選出されたこと、北港タクシーとパシフイツクタクシーが申請人主張の頃合併統一され、北港パシフイツクタクシー労働組合となつたこと、会社が申請人主張の頃その主張の如き理由で組合員である嵯峨山を解雇したこと、申請人が右嵯峨山申請の仮処分事件において、証人として大阪地方裁判所に出廷し証言したことは認めるが、その余は否認する。
申請人がその組合活動として主張するものは、いずれも会社と組合との間で大した紛争もなく妥結した事柄であつて、この点について申請人の組合活動が特に会社の注目をひいたような事実はない。申請人主張の嵯峨山の仮処分申請事件における申請人の証言は、会社としては会社にとつてむしろ有利な点すらあつたと考えており、右証言と本件解雇とは何の関係もない。
三、申請人主張事実三、(一)(2)「本件解雇の理由について」のうち、申請人がその主張の日時、場所で勤務中飲酒運転をして主張のような事故を起したこと、事故の取調べに当つた警察官が酩酊検知器による測定をしなかつたこと、申請人が帰社後事故の発生を会社に報告したこと、右事故について申請人主張の日に事故の相手方と示談が成立したこと、会社の坂井営業部長が申請人に右飲酒運転を理由に退職を勧告したこと及び申請人がこれに応じなかつたことはいずれも認めるが、右事故の責任が専ら相手方にあるとの点は否認し、その余は不知。
四、申請人主張事実三、(一)(3)「不利益取扱い」の(A)、「おとり調査」はすべて否認する。
会社は合併の前後を通じ、いまだかつて運転手の勤務状況調査のために街頭調査員を利用したことはない。ただ昭和三四年頃より一時、会社が当時興信業務を行なつていた尾崎商会に、新規採用する従業員の身許調査を依頼していたことはあるが、右尾崎商会は昭和三七年六月その代表者であつた申請外尾崎昭が他のタクシー会社の役員に就任して解散している。
五、申請人主張事実三、(一)(3)「不利益取扱い」の(B)、「差別待遇」のうち、(イ)の事実は認め、(ロ)の事実については岡田、坂井の両名が酩酊していた点を除きその余を認め、(ハ)の事実については、会社は当日乗務予定の者は遠慮するよう指示してビールを提供したのであり、乗務予定であることを告げて断つている者に飲酒をすすめた事実なく、(ニ)の事実については、会社は井上一三が申請人主張のような事故を起したことを理由に当時同人を懲戒解雇しており、(ホ)の事実は否認する。
申請人は、会社が従来従業員の飲酒運転の事実を知りながら解雇しなかつた例がある旨主張するが、申請人主張の(イ)、(ロ)はいずれも営業車を飲酒運転したものではなく、又(ニ)、(ホ)の如き事実は存しない。会社は従来から営業車の飲酒運転は厳しく取締つて来ており、この点に関する申請人の主張は事実に反する。
六、(一)、近時交通事故が頻発し、旅客運送業者に対する世間の批判も極めて厳しい折柄、会社においては就業規則第八八条第一〇号に懲戒解雇事由の一として「勤務中飲酒し又は酒気を帯びて乗車勤務したるもの」を挙げ、かかる行為を厳に禁止している。
しかるに、申請人は昭和三八年五月二六日酒気を帯びたまま乗車勤務をしたので、会社はこれを理由に同年六月五日解雇予告手当を提供して、即日本件解雇を行なつた。
(二)、申請人は昭和三八年五月二六日乗車勤務前に飲酒した事実を認めながら、飲酒したのは午後九時頃で量もビールをコツプ二杯に過ぎず、しかもその後乗車勤務したのは午後一一時四〇分頃であるから、これを以つて本件解雇の理由とはなし得ない旨主張する。しかし、申請人は乗車勤務後間もなく衝突事故を起し、その事故の取調べに当つた警察官は、当時申請人が酒気を帯びていた事実を確認しているのであり、会社は翌二七日事故の相手方から直接会社に苦情が申込まれて始めて申請人の酒気帯び運転の事実を知つた。
従つて、これらの事実に徴すると、当日の申請人の飲酒量や飲酒した時間が果して申請人主張のとおりであるか否かは極めて疑わしい。
しかしこの点はしばらく措き、少くとも酒気を帯びて乗車勤務していた事実を現認され、しかもその故に会社に苦情を持ち込まれるようでは、当日の飲酒量及び飲酒後乗車勤務に就くまでの時間如何にかかわらず、前述の如き世間の批判の中で、貴重な人命をあづかる旅客運送業者の従業員としては到底許されない。
第四、疏明<省略>
理由
一、申請人主張事実一、二は当事者間に争いがない。
二、申請人は、本件解雇が申請人の組合活動を真の理由としてなされた不利益な取扱いであり、不当労働行為である旨主張するので、以下この点について判断する。
申請人が昭和三六年二月北港タクシー労働組合の執行委員に、昭和三七年二月同組合の書記長に選出されたこと、北港タクシーとパシフイツクタクシーの合併後昭和三七年一〇月旧両会社の労働組合も北港パシフイツクタクシー労働組合として統一されたこと、申請人が統一後の第一回組合大会において右組合の書記長に選出され、以後翌昭和三八年三月一〇日までその任にあつたこと、会社が昭和三七年一二月組合員である嵯峨山を同人が会社の乗車券を私的に流用したことを理由に解雇したことは、いずれも当事者間に争いがなく、申請人が右嵯峨山と会社間の地位保全仮処分申請事件について、本件解雇の直前である昭和三八年五月三一日とその後の同年六月二一日の二回嵯峨山側申請の証人として当裁判所に出廷し証言したことは、当裁判所に顕著な事実である。
そして証人和泉通盛の証言により成立を認める甲第一号証の一、証人美藤均の証言により成立を認める同号証の二、申請人本人尋問の結果(第一回)により成立を認める同号証の三、同第二号証、証人和泉通盛、同三好禎介、同永井省三、同美藤均の各証言及び申請人本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、申請人は昭和三六年二月北港タクシー労働組合の執行委員に選出されて以来、積極的に組合活動に取り組み、殊に昭和三七年二月以降は組合の書記長として、企画、立案等組合の実際的な運営面を担当し、組合三役の中心として活動していたこと、組合は昭和三七年の春斗で従業員の固定給の引上げ、運賃収入の水揚げに対する歩合給の引上げに成功し、そのほかにも職場の苦情、配車問題、新車の割当、無線車への乗換、営業車のプロパン車への切換に関する問題、道路交通法に関する救済制度の確立、会社合併の説明会開催の要求、合併条件の明示要求、洗車ボーイ制度の確立等種々の問題について会社と交渉の機会を持つたが、申請人は組合三役の一員として常にこれら実際の交渉に当つたこと、会社の嵯峨山に対する解雇に関しても、申請人ら組合執行部は直ちに執行委員会を開いたうえ、会社に同人の解雇撤回を申入れ、会社の強硬な拒否回答をうけるや、翌昭和三八年一月に組合大会を開催して同人の解雇撤回斗争の支援を決議したこと、その後も申請人ら組合三役が中心となつて会社に同人に対する生活資金の貸与方を交渉しつつ、他方右解雇撤回斗争に資するべく、解雇の理由となつた乗車券利用、水揚金流用の実態調査を行ない、嵯峨山から会社に対する当庁の地位保全仮処分申請事件については、組合員を公判傍聴に動員したこと、申請人は昭和三八年三月賃上要求に関する組合大会が流会となり、執行部が一旦総辞職した際、組合書記長の役職を辞任し、以来本件解雇に至るまで組合の代議員をしていたことの各事実が疏明せられる。
右認定した事実並びに前記当事者間に争いのない事実によれば、申請人は昭和三六年二月組合の執行委員に選出されて以来本件解雇の直前まで、或いは組合役員として、組合役員辞任後も解雇撤回斗争について、常に組合の中心的存在として活溌な組合活動に従事していたものというべく、会社も申請人の右組合活動を十分知悉していたと認めるのが相当である。
三、次に、本件解雇の理由となつた具体的事実について考えてみるに、乙第二号証のうち成立に争いのない部分、申請人本人尋問の結果(第一回)により成立を認める甲第三号証の一、二、証人坂井栄一の証言により成立を認める乙第七号証、証人菊田一男、同田所卓己、同和泉通盛の各証言及び申請人本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、申請人は本件解雇時まで一〇年以上もの間、タクシーの運転手として交通法規違反の前歴はもとより、そのほか特段の事故がなく、会社でも優良運転手と評定され、本件解雇の当時会社のハイヤー部門に所属していたこと、昭和三八年五月二六日は、申請人は大型営業車を運転して午後六時過ぎ頃会社の指示で国鉄関西線湊町駅まで乗客を運んだあと、同所で乗込んできた男客二名の指示で、そのまま兵庫県有馬の「炭酸温泉ホテル」に向い、同日午後八時頃同ホテルに到着したこと、申請人が有馬まで行くについては、乗客が「ホテルで三、四時間程度用談したら又大阪に帰るから、それまでホテルで待つていて欲しい。」と往復長時間の乗車を申出たことから、タクシー運賃の水揚が増すため、上客と考え喜んでその申出に応じたものであること、同ホテルで乗客を降したあと、申請人は間もなく乗客の指示をうけた女中にホテルに入つて食事をするようすすめられ、女中の案内で入浴し、別室で食事をよばれたこと、食事の際女中が乗客からといつて当初日本酒を銚子二本持参し、「時間があるからゆつくり飲むように」との乗客の意向を伝えたが、申請人は勤務中である旨いつて一旦これを断つたこと、しかし女中が再び乗客からといつてビール一本を持参し、「それではビールでも」との乗客の意を伝え、申請人にすすめたので、申請人もその好意をうけることにし結局女中と一緒に右ビール一本を飲んだこと、午後九時頃申請人が食事を終え車に戻ろうとすると、乗客が女中を介して申請人を乗客の客室に呼び、「用談が済んでこれから食事をするから。」といつてそこに同席させ、その際にも申請人にビールをすすめたこと、右客室には乗客のほかにホテルで待合せていたとみられる用談の相手である女性客一名が居合せていたこと、申請人はこの時は意識して飲むことを控え、乗客の相手をして雑談しながら、コツプについですすめられるビールを何回か口にするようにしては又前に置くといつた程度で、特に問題にする程の量を飲んだわけではないこと、同日午後一一時半過ぎ頃申請人が乗客を乗せて帰途に就き、ホテル附近の十字路で左側道路に左折しようとした際、右側小路から直進した軽四輪自動車と申請人の運転する車の右側ドア部分とが接触する事故が起つたこと、右事故の直後申請人と事故の相手方の両者共所轄の有馬警察署において取調べをうけたが、その際相手方は申請人が飲酒していることを指摘し、取調べに当つた警察官に対し、申請人を酩酊検知器にかけるよう再三申立てたこと、しかし警察官は結局酩酊検知器による飲酒度の測定をしなかつたこと、当日申請人は相手方と後日示談を約して帰社し、宿直の営業主任に事故を報告したうえ帰社したが、相手方は事故の翌日である同月二七日直接会社に宛て、事故発生当時申請人が飲酒運転をしていたと告げて苦情を申入れたこと、会社は同月二八日坂井営業部長と営業係長の両名が有馬に出向いて事故の状況や申請人の飲酒行為について調査し、取調べに当つた警察官から当時申請人がいくらか酒の匂いをさせていたことと、警察官はその程度が酩酊という程ではないと判断していること及び申請人が乗客がホテルで申請人に日本酒銚子二本とビール一本を飲ませた旨供述したことを聞き出したこと、翌二九日事故の相手方と申請人及び会社営業係長の三者が会合して、車輛の損害(相手方三、四千円程度、会社側七千円程度)は各自持ち別れという条件で示談が成立したこと、しかし会社は同年六月一日、坂井営業部長が申請人に対し「勤務中はコツプ一杯のビールでも飲んではいけない。事故に関しては何もいわないが、飲酒した点については何等かの処分をする。」旨いつて、先ず申請人に任意退職を勧告し、申請人がこれに応じなかつたのでその後本件解雇に至つたこと、申請人は右事故に関して刑事若しくは行政上の処分をうけなかつたことの各事実が疏明せられ、右認定を覆すに足りる疏明はない。
会社は、右事故についての申請人の責任は一応除外し、申請人の飲酒行為のみを本件解雇の理由とし、且つ会社に対し事故の相手方から申請人の飲酒運転についての苦情が申込まれた点を併せ主張する。しかし右認定した事実によると、申請人が乗客にすすめられるまま、少量のビールを飲んだことは明らかであるが、申請人はその間勤務中であることを自覚して終始控えめに行動しており、飲酒するに至つた状況にもある程度恕すべきものがないでもない。その量については、午後九時頃までに終えた食事の際女中と二人してビール一本を飲んだのはともかく、その後乗客の客室で乗客に付き合つた部分は極く少量に止どまつており、しかも実際乗務に就いたのは午後一一時半過ぎであるから、飲酒による運転上の実害は先ずなかつたと考えることができる。事故の取調べに当つた警察官が申請人に酒の匂いのあることを認めながら、酩酊検知器による飲酒度の測定をしなかつたのも、申請人の飲酒度が交通法規(道路交通法第六五条、同施行令第二七条は、身体に血液一ミリリツトルにつき0.5ミリグラム又は呼気一リツトルにつき0.25ミリグラム以上のアルコールを保有して車輛を運転することを禁止し、同法第一一八条第一項第二号はこれに違反してアルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で車輛を運転したものを六月以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する旨規定している。)に違反する状態にないと判断したからであると考えるのが相当である。
してみると、近時交通事故が頻発している折柄、飲酒運転が厳しく戒められなければならないのは勿論であるが、申請人の右飲酒行為は、懲戒解雇事由を定めた会社の就業規則第八八条第一〇号「勤務中飲酒し又は酒気を帯びて乗車勤務したるもの」の形式的文言に該当するとしても、実質的にほとんど違法性がない場合であり、右就業規則の適用上も、会社の経営秩序を維持するうえで、その故に申請人を企業から排除しなければならない程の重大な事由とはいい得ない。
四、ところで、申請人は、申請人の右飲酒行為は、会社が申請人の前記組合活動の故に申請人を企業から排除しようとして、特に街頭調査員に依頼して仕組んだ策謀である旨主張するので検討するに、申請人本人尋問の結果(第三回)により成立を認める甲第一二号証の一、二、弁論の全趣旨により成立を認める乙第九号証(後記措信しない部分を除く。)、検甲第一、二号証及び検甲第三号証のテープレコーダーによる検証の結果、申請人本人尋問の結果(第一ないし第三回)を総合すると、申請人が前記事故の相手方である申請外平井政郎の素姓に疑いを抱き、同人を尾行した結果、同人がタクシー運転手の調査業務を行なつている大阪市天王寺区舟橋町所在の事務所に出入りしているのをつきとめたこと、右事務所の借主は大阪自動車調査会会長尾崎昭の名義であること、右尾崎昭は古くからタクシー会社の依頼によりタクシー運転手の勤務状況、身許等の調査業務を行なつていた者で、昭和三七年七月タクシー会社の役員に就任する以前しばらくの間、右事務所でその調査業務を行なつていたこと、同人がタクシー会社の役員に就任するのと前後して前記平井が右事務所に出入りするようになり、現在右事務所の責任者格で前記調査業務を行なつていること、尾崎は現在でも時折右事務所に連絡をとつていること、現在右事務所に勤務している女事務員が前記有馬の「炭酸温泉ホテル」で申請人の乗客と用談していた女性客と同一人物であつたことの各事実が疏明せられ、乙第九号証及び証人坂井栄一の証言により成立を認める乙第八号証の記載中右認定に反する部分は措信しない。
右認定した事実によると、前記事故の相手方及びホテルでの女性客はいずれも所謂街頭調査員であると考えられるから、申請人の乗客となつた二名の男客も街頭調査員ないしその依頼をうけた者と解するほかはない。従つて申請人主張のように、会社が特に申請人個人を指定して調査を依頼し、調査員が申請人に飲酒を挑発したという疑いもないわけではないが、前に説明したとおり右乗客二名は、申請人が国鉄関西線湊町駅まで他の乗客を運んだあとで同所から乗り込んでいるため、同人らが予て調査依頼を受けているタクシー会社の車を待合せ、偶々申請人の車を選んだと解する余地があり、他にこの点に関し、会社が街頭調査員に対し特に申請人個人を指定して調査を依頼したと認めるに足りる疏明はない。
しかしいづれにしても、右事故の相手方とホテルの女性客及び乗客らが街頭調査員であると認められる以上、会社と同人らとの間には、それが特に申請人個人を対象に指定したものではないにしろ、少くとも運転手の勤務状況についての一般的な調査依頼は受けているものと考えるほかはなく、そうだとすれば同人らが会社に宛て申請人の飲酒行為について殊更苦情を申入れ、又会社が取つて以て解雇事由となし、時を移さず解雇をほのめかしつつ退職を迫つている等前叙説示の事実関係を総合すると本件解雇の真の理由は他に存するにあらずやとの疑念を禁じ得ない。
五、しかして、申請人が昭和三六年二月以降本件解雇の直前まで、或いは組合役員として、昭和三八年三月組合書記長を辞任後も嵯峨山の会社に対する解雇撤回斗争を支援するなど、常に組合活動の中心的存在として組合を代表し会社に対処してきたことは前に説明したとおりであるが、会社が本件解雇の理由として主張する事実は、前に述べたとおり単に懲戒解雇事由を定めた就業規則に形式的に該当するというだけで、具体的には飲酒するに至つた事情、飲酒時の状況、殊にその量が常識的にまま許容せられる程度に止どまり、道路交通法の酒気帯び運転や酒酔い運転にも一応該当しないと考えられるのであるから、これを以つて会社の経営秩序維持の必要上申請人をあえて企業から放逐すべき程の事由とはなし難い。このことは申請人が過去一〇年以上もの間タクシーの運転手として無事故、無違反で過し、会社でも優良運転手の部類に属している事実を考慮に入れるならば尚更である。
右事実に、本件解雇が前記嵯峨山の解雇撤回斗争の最中、殊に嵯峨山から会社に対する地位保全仮処分申請事件において、申請人が嵯峨山側の証人として出廷し、証言した直後に行なわれたものであること、会社が申請人の有馬での事故の相手方からの苦情申入れを、あたかも一般人からのそれであるかの如く装い、本件解雇の一事情として主張していること、会社は申請人の飲酒行為について直ちに有馬に赴いて事情を調査し、前記のようにそれが刑事上問題にされていないことを了知しながら、短期間のうちに懲戒解雇という極めて重い処分方針を決定していること、会社が当然前記のような申請人の組合活動を認識していたこと等を考え併せると、会社は、嵯峨山の解雇撤回斗争を中心とする申請人らの活溌な組合活動に対抗し、これを動揺させんがため、常にその中心となつて会社に対処してきた申請人を企業から排除しようとし、申請人の右飲酒行為に藉口して本件解雇を行なつたものと認めることができ、少くとも申請人の右組合活動が会社の本件解雇を決定する重要な動機となつていることは否定し得ない。
とすれば、会社は申請人の組合活動の故を以つて申請人に不利益な処分をしたといつて妨げないから、本件解雇は不当労働行為として労働組合法第七条第一号に該当し、無効である。
六、なお申請人は、会社が従来従業員の飲酒運転に対して何らの処分を行なつていない旨主張するが、この点に関する申請人の主張事実中(イ)、昭和三八年一月二七日会社の岡田営業部長が会合で飲酒し、そのまま帰途車を運転した事実及び(ロ)、同じ頃会社の岡田、坂井の両名が同様に飲酒したまま帰途車を運転した事実は、いずれもタクシー営業車の事例ではないから、一般乗客の人身をあづかる営業車の場合をこれと同一に論ずることはできないし、(ハ)、同年三月一三日会社の川田常務取締役が当日乗務予定の組合役員一名に会合の席上ビール少量をすすめた事実は、証人三好禎介の証言により成立を認める甲第六号証の三、弁論の全趣旨により成立を認める同号証の一、二の各書証により一応疏明されるが、その者がその故に酒気帯び運転をしたことは必ずしも明らかではなく、(ニ)、井上一三が勤務中事故を起した事実については、弁論の全趣旨により成立を認める甲第七号証によると、同人はその事故の故に当時一旦会社を解雇され、再雇傭の形式で現在も会社に勤務していることが認められ、(ホ)、三宅某が昭和三六年一二月頃勤務中トラツクとの衝突事故で負傷した事実については、事故当時同人が飲酒運転をしていたことの疏明がなく、却つて弁論の全趣旨により成立を認める乙第三号証及び証人豊田寿秋の証言によれば、当時同人は飲酒していなかつたと認められる。従つて申請人の右主張は当を得ないけれども、本件解雇が不当労働行為であるという前段説示の認定を左右するものではない。
七、申請人が本件解雇の当時会社から毎月二七日限り一ケ月金三七、三二一円の平均賃金を得ていたことは当事者間に争いがなく、本件解雇以降会社が申請人を従業員として取扱わず、且つ賃金の支払を拒んでいることは弁論の全趣旨によつて明らかであるし、申請人本人尋問の結果(第一、第二回)によれば、申請人は会社からうける賃金を生活の唯一の資としていることが疏明せられ、本件仮処分を求める必要があると認められる。
八、以上により、申請人の本件仮処分申請は、金員の支払を求める部分のうちの右金額を越える部分を除き、その余は理由があるから、保証を立てさせないで、これを認容することとし、右金額をこえる部分の申請を却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 宮崎福二 荻田健治郎 田中貞和)