大阪地方裁判所 昭和38年(ワ)1771号 判決
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【判決理由】そうすると原告は被告岡崎が代理人であることを知らずして賃貸借契約を締結し、敷金および前払家賃金を支払つたというべきである。
ところで訴外河野は本件文化住宅を営業として賃貸していたのであるから、本件家屋の賃貸行為は商法五〇二条第一号により商行為となるものと解せられ、しかるときは被告岡崎による代理は商行為の代理として同法五〇四条の「商行為の代理人が本人の為めにすることを示さざるときと雖も其行為は本人に対して其効力を生ず。但相手方が本人の為めにすることを知らざりしときは代理人に対して履行の請求をなすことを妨げず」との規定により律せられることになるところ、この規定の解釈として、相手方は当該行為が代理行為であることを知らなかつたときは、知らなかつたことについての過失の有無にかかわらず代理人に対して履行を請求できるとの説があり、この説によるときは、本件における原告は被告岡崎が代理人であることを知らなかつたのであるから、当然被告岡崎に対し賃貸借契約上の義務履行を請求できることになる。
しかしながら、商取引の特殊性を考慮にいれても、周囲の状況上自ら代理行為であると知ることができるのに過失によつてこれを知らなかつた相手方に対し代理人に対する履行請求を許すことは過ぎたる効果であると考えられる(代理人の側よりこれをみると、代理人は相手方がたまたま代理関係の存在を認識し得なかつた以上はその者にどのような過失があろうとも常に履行責任を負担することになるのであつて、場合によつては代理人に極めて酷な結果となろう)し、また商法五〇四条にいう商行為は本人のために商行為であれば足りるとされているから、相手方にとつては当該取引が商行為であるとは限らず、純然たる民事取引と殆ど差のない場合があるから(本件のような家屋賃貸借がこれに属するであろう)、当該取引が本人にとり商行為であることを基点として有利な取扱を受ける者の範囲を画すると場合により甚だ衡平でない結果を来たすのである。それ故前記のような解釈は相当でなく、商法五〇四条の規定は、相手方より代理人に対する履行請求の許否に関する限りでは民法一〇〇条但書の規定と趣旨において同じであり、「本人の為めにすることを知ることを得べかりしとき」はその行為の効果は本人についてのみ生ずる(即ち相手方において代理人が本人のために行為していることを知ることを得べかりしにかかわらず過失によつて、これを知らなかつたときは代理人に対して履行の請求をすることができないが、ただ立証責任の点で差異があり、民法上の代理では、顕名主義により、当該意思表示をなした者(代理人)に対し法律効果が帰属するのが原則であるから、代理人に対し効果が帰属しないことを主張する者(代理人)において相手方の有過失を立証するを要するに反し、商法上の代理では、非顕名主義により、本人に対し法律効果が帰属するのが原則であるから、本人以外の者である代理人に対し効果が帰属することを主張する者(相手方)において、自らの無過失を立証することを要する旨を規定したものと解するのが相当である。もつとも右のように解すると、相手方が代理人に対して履行を求めようとする場合、立証責任の点で商事の方が不利益なことになるが、民法では代理人に対して履行請求できる場合は本人に対して履行請求できないとされているに反し、商法では本人に対しては常に履行請求が可能なわけであるから(これと反する解釈は採らない)、全体としては商法上の代理の場合の方が相手方の保護が厚いことになり、均衡を失することにならないと考えられる。そうすると本件において、原告が被告岡崎が代理人であることを知らなかつたことは前記のとおりであるが、その知らなかつたことについての過失の有無が問題となり、原告に過失がなかつたことになつてはじめて被告岡崎に対し本件契約上の義務履行を請求し得ることになる。
ところで「本人のためにすることを知ることを得べかりし」ときと言うも、どの程度の注意義務を前提にしてそう言うのであるかが次に問題とならざるを得ないところ、私的自治の原則の下では表意者自身に対して法律効果が帰属するのが本則であり、常態であつて、この点についての一般の信頼は概して保護せらるべきであるから、相手方に対し高度の注意義務を科するのは相当でなく、一般人に対し通常当然に要求されている程度の注意義務を求めれば足るものと考えられる。しかるときは「本人のためにすることを知ることを得べかりしとき」とは、当該の具体的事情の下において、通常の注意を払つたならば周囲の状況上自ら代理関係の存在を知りうる場合を指すものと解するのが相当である。
以上の見解に基き、前記認定の事実関係に則して原告の過失の有無を検討してゆくに、本件賃貸借契約締結および保証金二五万円支払の場合、原告が周到な注意を払つておれば、手附金の仮領収証の名前「岡崎」を心に留めていたであろうし、標札の「岡崎慶太郎」にも気付いたと思われ、契約書や保証金領収証の名前「河野」との差異を発見し得た筈で、被告岡崎に代理関係をかくす意図は格別なかつたのであるから、一言この点をただすことにより被告岡崎が代理人であることを知り得たと考えられ、また原告が本件文化住宅の所有者名義を調査した事実も認められないので、原告に全く落度がないとは言い難いのであるが、しかし他方において原告は被告鴨田に賃貸借契約の斡旋を依頼していた者であつて、一般に不動産仲介業者に賃貸借の仲介を依頼する者は、業者の知識、経験、尽力に期待して家屋の所有者名義等につき格別の調査をしないのが通常であるし、契約は当該文化住宅内の家主と称せられる人の部屋内で行なわれるのであるから、原告が所有者名義を深く心に留めずに契約の場に臨んだとしてもさしてとがめるにあたらないと考えられると共に、契約の場で被告嶋田の事務員よりこの方が家主であると言われ(同事務員も被告嶋田と同様被告岡崎を家主と信じていたものと推認される)、被告岡崎が保証金領収証に家主河野の名を直接に自署し河野の印形を押捺するのを目前に見、しかも同被告より河野の名前の記載ある賃貸借契約書を交付されたのであるから、原告が被告岡崎を以て賃貸人本人であると信じたとしても無理からぬところであると考えられ、通常の注意義務を前提とする限り、原告に過失があるということができない。そうすると本件賃貸借契約の締結および保証金受領は、被告岡崎に対してもその効力を生じたもので、原告は被告岡崎に対し、訴外河野に対すると同様の法的効果を主張できる(被告岡崎は訴外河野と不真正連帯の関係において原告に対し履行の責に任じる)ものと言わなければならない。(今中道信)