大阪地方裁判所 昭和38年(ワ)59号 判決 1966年1月18日
原告 甲野大郎(仮名)
右訴訟代理人弁護士 狩野一朗
右訴訟復代理人弁護士 松元基
被告 乙野次郎(仮名)
被告 丙野花子(仮名)
右被告両名訴訟代理人弁護士 白井源喜
主文
原告の主たる請求及び予備的請求はすべてこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は主たる請求として「被告等は原告に対し各自金二八六、五〇〇円及びこれに対する、被告乙野次郎は昭和三八年二月七日以降、同丙野花子は同年同月六日以降いずれも完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、予備的請求として「被告丙野花子は原告に対し、金一四〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三八年二月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うとともに、別紙目録第二記載の物件を引渡せ。若し、右引渡ができないときは引渡しに代えて金四九、〇〇〇円を支払え。訴訟費用は被告丙野花子の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その主たる請求の原因として
一、原告は昭和一一年三月七日父訴外A、母同B間の三男として出生し、同三〇年○○県立○○○高等学校を卒業して後同三五年六月四日訴外Cの養子となり、他方被告丙野花子(旧姓乙野花子、以下同じ。)は同一二年一〇月一五日訴外亡Dの長女として出生し、○○県立○○高等学校を卒業していたものであるところ、いずれも原告の親戚である訴外E、同F両名の仲介の結果、同三六年一〇月三〇日右原、被告間に婚姻予約が成立し、そのため原告は同日右訴外人両名を代理人として、古来の慣習に従い結納として別紙目録記載の金員及び物件(以下本件結納という。)を被告丙野花子の代理人同乙野次郎に交付した。被告乙野次郎は被告丙野花子の実兄で、同人等の父前記Dの死亡後これに代り世帯主として被告丙野花子の面倒を見ていたものであるが、本件結納の授受に際し原告代理人である前記訴外人両名に対し被告丙野花子をして前記婚姻予約を履行させる旨の約束(以下本件特約という。)をした。
二、しかるに、被告丙野花子は本件婚姻予約にも拘らず、昭和三七年一〇月一四日訴外Gと結婚式を挙げ、もって本件婚姻予約を一方的に破棄した。また、被告乙野次郎は本件特約にも拘らず、被告丙野花子に対し訴外Gとの結婚を勧め、或はこれに同意を与えて同被告をして本件婚姻予約を一方的に破棄せしめ、もって本件特約を履行不能ならしめるとともに、原告の本件婚姻予約に基く期待権(以下本件期待権という。)を不法に侵害した。従って、被告丙野花子は本件婚姻予約不履行により、同乙野次郎は本件特約不履行ないし本件期待権侵害の不法行為により、原告が被った有形無形の損害を賠償すべき義務があるものというべきである。
三、ところで、原告は被告丙野花子の本件婚姻予約不履行及び同乙野次郎の本件特約不履行ないし本件期待権侵害の不法行為(以下単に被告等の債務不履行ないし不法行為と略称する。)により次の損害を被った。
(一) 財産上の損害 金一八五、五〇〇円原告が被告丙野花子に対し本件結納を交付したのは、本件婚姻予約が真実履行されるものと信じたためでありそのため原告は別紙目録記載のとおり金一八五、五〇〇円を支出したが右は原告と同被告との婚姻の成立を前提としてなされた出費であるというべきところ、被告等の債務不履行ないし不法行為により右婚姻の不成立が確定したから、右支出はその本来の目的を達することができず、全く無用の失費となり、原告は同額の財産上の損害を被った。
(二) 慰藉料 金一〇〇、〇〇〇円
原告は被告丙野花子との婚姻が真実成立するものと信じ、母及び親族一同にもその結婚式への列席方を求めていた程であるから、被告等の債務不履行ないし不法行為によって右婚姻が不成立となったことにより被った精神的苦痛は大きく、その慰藉料は金一〇〇、〇〇〇円が相当であると思料する。
四、よって、原告は被告等に対し各自右損害金二八五、五〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である、被告乙野次郎に対しては昭和三八年二月七日以降、同丙野花子に対しては同年同月六日以降いずれも完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。
と述べ、その予備的請求の原因として
一、前記のとおり昭和三六年一〇月三〇日原告と被告丙野花子との間に本件婚姻予約が成立し、同日原告が同被告に対し本件結納を交付したところ、同三七年一〇月一四日被告丙野花子が訴外Gと結婚式を挙げるに至ったため、右原、被告間の婚姻は不成立と確定した。
二、ところで結納なるものは、婚姻予約の成立を確証し、あわせて婚姻の成立より生ずる親族関係の情誼を厚くする目的で授受される一種の贈与であり、従って結納を取交した後婚姻が成立をみないで終った場合には、結納はその目的を達せず当然に贈与の効力を失うので、それを受けた方は相手方に返すべき筋合のものである。
三、よって、被告丙野花子は本件結納を法律上の原因なく原告の損失において利得しているものであるから、原告は同被告に対し別紙目録第二記載の結納品の返還並びに同目録第一記載の結納金一四〇、〇〇〇円及び、これに対する本件訴状送達の翌日である昭和三八年二月六日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求め、もし別紙目録第二記載の物件の引渡ができないときは、これに代るものとして右物件の時価相当の損害金である金四九、〇〇〇円の支払を求める。
と述べ、主たる請求原因に対する被告等の抗弁に対する答弁として
被告等の抗弁事実中、被告等主張の日に原、被告両家の間に結婚式は同三七年三月一日原告家で行う旨約定が成立していたところ、原告が右挙式予定日の一〇日前になって被告家に対しては勿論、養母訴外C(以下原告の養母という。)等に対しても理由を告げることなく家出をし、その後も被告家に対して何らの連絡もしなかったことは認めるが、その余の部分はすべて争う。すなわち、
原告の養母は原告と被告丙野花子との婚姻に幾分不満であり右原、被告の合意に基いて結納を取交すことが決られた後になってからも原告に対し右縁談を解消するように勧めたので原告としても同女の養子である関係上強くこれに逆うこともできず、やむをえず同意し、一旦は被告等に対し前記仲介人等を介して右縁談を解消して貰いたい旨を申し入れた。ところが被告家は意外にも右申し入れを、そのままには受入れてくれず却って結婚準備に多額の出費をしたと強弁し、その賠償金の支払を請求する等事の外強硬な態度を示し、原告の養母や前記E等が再三再四被告家へ足を運んで右申し入れの承諾方を懇請したが、遂に被告等の受入れるところとならなかったので、事態の収拾に難渋した原告の養母はようやく前記Fの進言を容れ、右縁談取止めの申し入れを撤回し改めてこれを進めることに同意した。そこで、右原、被告間に本件婚姻予約が成立するとともに本件結納が授受され、かつ挙式予定日も本決りとなった。しかしながら原告は養母の前記一連の態度から被告丙野花子との結婚に対する養母の不満を観取し、同女の許での新婚生活がそのため円満を欠くに至るであろうことを憂慮した挙句、養母と別居の上新婚生活に入ろうと決意し、その準備のためには多少挙式が遅れることになってもやむをえないと考えて、挙式予定日の一〇日前に養母方を出て、大阪の友人訴外Hの賃借している○○市所在の○○○荘なるアパートに転居した。しかして原告は被告丙野花子との新婚生活を一日でも早からしめんとして、二人のための新居借入資金を調達するためにせっせと貯蓄に励んでいたところ、被告丙野花子は同乙野次郎の勧告ないし同意の下に、原告には一言の挨拶もなく訴外Gと結婚式を挙行したのである。勿論、原告としても、挙式予定日を間近に控えて養家を飛出し久しく音信をしなかった点に過失はあるが、被告等は原告が○○市○区○町○丁目○○会計事務所に勤務していることを知っていたので、その気になれば勤務先を通じて容易に原告の居所を探し出し、原告に本件婚姻予約を履行する意思があることを確知しうる状態にあったものであり、かつ本件婚姻予約後、再三の交際を通じて原告が被告丙野花子との婚姻を熱望していることを熟知していたので原告が単に行先を告げずに養母宅を出たことをもって婚姻予約を破棄する意思によるものでないことは容易に推察できた筈であるから原告の勤務先に問合わせる等して原告の本意を確め、右婚姻予約を誠実に履行すべき義務があるというべきであるのに、早計にも何ら誠意ある態度に出ることなく前記のとおり訴外Gと結婚式を挙行し、ないしこれを挙行させた過失により本件婚姻予約ないし本件特約を履行不能ならしめ、更に被告乙野次郎は、右過失により不法にも原告の本件期待権を侵害したものであるから、被告等は右債務不履行ないし不法行為により原告が被った損害を賠償すべき責を免れることはできない。
なお、原告の養母は突然の原告の出奔に驚いて、無思慮にも原告に無断で被告丙野花子に本件婚姻予約を解消する旨申し入れたものであるが、養母は原告から何らの権限も授与されていなかったのであるから、右申し入れは原、被告間において何らの効力をも有しない。
と述べ、予備的請求原因に対する被告の抗弁事実を否認し、立証≪省略≫
被告等訴訟代理人は原告の主たる請求及びその予備的請求に対してはいずれも請求棄却の判決を求め、主位的及び予備的請求の原因に対する共通の答弁並びに抗弁として原告主張の請求原因事実中、原、被告の各身分学歴関係、原告主張の日時に本件婚姻予約が成立し、被告丙野花子が原告主張の結納を受領したこと、及び被告丙野花子が原告主張の日に訴外Gと結婚式を挙げたことは認めるが、その余の事実はすべて争う。
一、本件婚姻予約は被告丙野花子と訴外Gとの結婚式挙行以前において原告により一方的に破棄されたものである。
原告と被告丙野花子との縁談は訴外Eの仲介で進められ、見合後数回交際したところ双方の意見が合い、右原、被告間に同年一〇月一日に結納を取交す旨の約定がなされた。そして原告の養母から嫁入道具について注文があったので、被告家では思惑外の調度品を拵え、被告丙野花子は来るべき結婚式を待ちつつ嫁入仕度に励んでいたところ、同年九月二五日になって原告家から被告家に対し右縁談は取止めたいとの申し入れがあったので、被告家ではその理由不明のままやむなくこれを了承した。
ところが、その後原告の養母と訴外Fが被告家に来り、詫びを入れた上右縁談取止めの申し入れを撤回し改めてこれを進めることを申し入れてきたので、被告家では一度結婚の約束をしたことでもあるので、原告が真実結婚する意思があり、原告とその養母との仲も良いものと信じて右申し入れを承諾した。その結果、同年一〇月三〇日原告主張の本件婚姻予約が成立して、本件結納が授受され、かつ原、被告両家の間に結婚式は昭和三七年三月一日原告家において行う旨の約定が成立した。
然るに、右挙式予定日の七、八日前被告家は突然前記Fより原告が家出し行方不明であるとの通知を受け、更に原告の養母及び右Fから原告が行方不明であるから本件婚姻予約を解消してほしい旨の申し入れを受けた。被告家としても、原告から一向に何等の連絡もないうえ、本件婚姻予約成立に至るまでの前記事情や原告の右家出の事実に照して原告には本件婚姻予約を履行する意思がないものと判断したので、やむなく同年三月一〇日頃、原告側の前記申し入れに同意した。
そうして当時すでに満二六才に近い女性として婚期を無視できない被告丙野花子は、原告との結婚の望みもなくなったので兄の被告乙野次郎等家族の勧めを受けて縁あって結ばれた訴外Gと同年一〇月一四日結婚式を挙げるに至ったものである。
従って、本件婚姻予約は原告の前記家出及び原告の養母の前記申し入れによって少くとも昭和三七年三月一〇日頃までに一方的に破棄されたものというべきであるから右婚姻予約の終了後において訴外Gと結婚式を挙げ、あるいは右結婚をさせた被告等の所為が債務不履行ないし不法行為に該当するいわれがない。
二、ところで、本件結納は奈良県下において授受されたものであるから、本件のように挙式ないし夫婦関係開始の以前に婚姻予約が解消した場合の結納の帰属については同地方の慣習に従うべきところ、奈良県下においては婿方から嫁方に結納が納められ婚姻予約が成立して後、婿方が正当の事由なく右婚姻予約を破棄したときは、婿方は右結納の返還を求めることができない旨の慣習が存在する。しかるに本件婚姻予約は原告が一方的に破棄したものであるから右結納の返還を請求する権利を有しない。
三、従って、原告の主たる請求には勿論その予備的請求にも応ぜられない。
と述べ、
立証≪省略≫
理由
第一、主たる請求に対する判断
原告及び被告丙野花子が原告主張のような身分関係及び学歴を有するところ、原告主張の訴外人両名の仲介の結果、昭和三六年一〇月三〇日、右原、被告間に本件婚姻予約が成立しそのため、原告は同日右訴外人両名を代理人として、古来の慣習に従い原告主張の結納を被告丙野花子の代理人である被告乙野次郎に交付し、その後間もなく挙式を翌三七年三月一日に原告方で行う旨の約定まで成立していたにも拘らず、被告丙野花子は同三七年一〇月一四日訴外Gと結婚式を挙げたことは当事者間に争がない。
しかして、原告は、被告丙野花子はGと結婚式を挙げたことにより、本件婚姻予約を破棄し、被告乙野次郎はこれにより相被告丙野花子をして右婚姻予約を一方的破棄せしめたものであると主張するに対し、被告等は、本件婚姻予約は少くとも昭和三七年三月一〇日頃までに原告により一方的に破棄されて終了したと主張して抗争するので、まず、この争点について考えてみる。
ところで、原告が前記挙式予定日の一〇日位前である昭和三七年二月二〇日頃、被告家に対しては勿論、原告の養母等に対しても理由を告げることなく家出をし、その後も被告家に対して何等の連絡もしなかったことは当事者間に争がなく、≪証拠省略≫を総合すれば、更に次の事実が認められる。すなわち、
原告家は原告のほか養母Cと祖母との三人家族で、田畑各二反位を主として養母が耕作し、原告は大阪の○○株式会社へ自宅から通勤していたもの、被告乙野家は被告両名と母および兄弟二人の五人家族で農地六反位を耕作するかたわら高級婦人服のボタンを製造販売しているものである。そして、原告と被告丙野花子との縁談は、昭和三六年四月頃から訴外Eの仲介で始められ、見合の後数回交際を重ねるうちに双方の意見が合い、同年一〇月一日に結納を取交す旨の約定が両家間に成立したが、同被告の背が低かったことや、同被告が百姓仕事を嫌っていた事が原告の養母の案ずるところとなり、同女が間もなく右縁談に反対するに至り、原告は、養子である関係上これに強く逆うこともできず、同女の意見を容れたので、同年九月二五日頃原告家から被告家に対し右縁談取止めの申し入れがなされた。
しかし、被告家では、前記約定を信頼してその準備としてすでに嫁入道具類を調達していたので、原告家の一方的な縁談取止め申し入れに反対し、すでに調達ずみの嫁入道具類の買取を要求して容易に収拾がつきそうになかったため途方に暮れた原告の養母は、原告の叔母である訴外Fの勧告を容れ、ようやく前記申し込みを撤回して、更に右縁談を進めることを被告家に要請した結果同年一〇月三〇日前記仲介人両名の仲介により右原、被告間に本件婚姻予約が成立するとともに本件結納が授受され、かつ翌三七年二月五日頃には原、被告両家の間に、結婚式を同年三月一日原告家で行う旨の約定が成立した。その間、原告および被告丙野花子は同年正月には互に先方の家庭を訪問したり連れ立って京都奈良見物等に赴く等し交際を続けていたが原告は養母の前記一連の態度から、被告丙野花子との結婚を養母が必ずしも乗気でないものと思いこみ、同女の許での新婚生活が早晩、円満を欠くに至るであろうことを憂慮した挙句、前記約定された結婚式から逃避して時間を稼ぎ養母から離れて新居を営む先を自力で準備した上で、右被告と新婚生活に入ろうと秘かに決意し右計画に反対されるのを虞れるのあまり、両家の関係者には何の相談もすることなく、突如家人あてに簡単な書置を残して前記のとおり右挙式予定日の一〇日前にその養母方を出て大阪の友人訴外○○の賃借している○○市所在の○○○荘なるアパートに転居し、その後間もなく勤務先を○○印刷株式会社から原告主張の○○会計事務所に変更した。一方原告の右家出を知って驚いた原告家では、従来の勤務先をはじめ方々心当りを探したが原告の行方は全くわからず、原告をして本件婚姻予約を履行させる見込も立たなかった。そこで原告家は右挙式予定日の七、八日前、とりあえず被告家に対し原告家出の事実を連絡し、その後数日してから、原告に代って事を処理していた原告の養母は仲介人である前記E、同F等とともに被告家を訪れ、原告家出の事情を説明するとともに本件婚姻予約の解消を申し入れ、本件結納の返還を懇請した。ところが、被告家としては、多額の出費をして嫁入道具類を調達したことでもあるので、原告の養母からの本件結納の返還要求には応じかねたが、本件婚姻予約成立までの前記事情や原告の右家出の事実等に照らして、原告にはもはや本件婚姻予約を履行する意思がないものと判断したので急遽前記予定の結婚式を取止めたうえ同年三月一〇日頃やむなく原告の養母の本件婚姻予約解消の申し入れに同意した。そして、当時満二六歳に近く結婚適令期にあった被告丙野花子は、原告との結婚を断念し、後に縁あって結ばれた訴外Gと同年一〇月一四日に結婚式を挙げるとともに、本件結納をはじめ原告との結婚のため準備した諸道具を、そのまま持参して右Gと同棲生活に入り、同三八年一月一五日頃右婚姻届をもすませた。ところが、同被告が右G方へ嫁ぐことを知った原告の養母は勝手に原告名義を使用して○○家庭裁判所○○支部に対し、被告乙野次郎を相手方として結納返還請求の調停申立を行うとともに、前記Hを説き伏せて原告の居所を探し出し、原告を伴って昭和三七年一〇月中旬頃右調停期日に出頭したが、調停は不調に終った。そして、原告は、家出後当初の予定に反し別居資金も容易に用意することができず、かといって養母や被告家に連絡することは当初の決意に反するので、それもせず、日を送っているうちに右の如く養母に見つけ出されたものであったが、前記調停期日において初めて関係者に対し家出の事情を打明けて本件婚姻予約を履行する意思を有していたものであることを明らかにした。
以上の事実が認められ、以上認定に反する証拠はすべて信用しない。
そこで考えてみるに、およそ結婚式は婚姻しようとする男女及びその親族がその婚姻することを社会の前に公表してその裁可祝福を受けるとともに、その婚姻によって生ずべき親族上の権利義務を確認し合うための儀式であって、家庭の最大行事であるのは勿論、婚姻の当事者にとっては、第二の人生の門出ともいうべき重要な意義を有するものであるから、その挙式については、右当事者両家の間において日どりの選択その他について綿密な打合わせが行われ、ひとたびその合意に達すれば、万障繰合わせ合意どおり無事これを行おうとするのが常であり、またそうすべきことが社会一般の常識であるということができる。
しかるに、前記事実によると原告は、かかる重要な意義を有する結婚式を後一〇日に控えて、被告家に対しては勿論その養母等に対しても理由を告げることなく家出をし、行方をくらませて予定の挙式を不可能にしたのであるから、これにより被告花子を含めて被告側が原告との結婚を断念し原告の養母や仲介人よりの予約解消の申し入れに同意する等前記認定の経緯の下に訴外Gと結婚するに至ったのは真に已むを得なかったものといわなければならない。そうだとすれば原告家出の真意が奈辺にあれ他に特段の事情の認むべきもののない本件においては原告は自らの責に帰すべき事由により本件婚姻予約を一方的に破棄したものと解するのが相当であって原告の前記主張は理由がない。
なお以上争点に関して原告は、被告等は原告主張のその勤務先を知っており、その気にさえなれば容易にその転居先を探しえた筈であるから、当然、かかるてだてを尽すべき義務があるにも拘らず、これを怠って原告には一言の挨拶もなく訴外Gとの結婚式を挙行した点に過失があると主張するけれども、婚姻予約は両性の自由な精神的合意を基盤とするものであるから挙式を目前に控えて事情も告げずに所在をくらました相手方を探索すべき義務を他方が負担するいわれがないうえ、原告の養母等がその心当りを方々探してさえ、原告の行方はようとしてわからなかったことは前記認定のとおりであるし、そもそも原告が養母Cの態度から被告花子との結婚生活に不安を抱くに至った経緯は推察するに難くないが、それならば原告は卒直に養母に、その旨を打明けて疑念を晴らす方途を講ずべきものであり、その結果、なお疑念を残すような場合には、被告花子に対し、誠実に事情を説明し、改めて、相手方に自由な判断をくだす機会を与えるべき責務があるというべきである。しかるに原告は自己の立場のみを考えて右のような方途を尽すことなく、軽卒にも結婚式の直前に家出をして行方をくらませ挙式を不可能ならしめて本件婚姻の予約を一方的に破棄し、被告両名は勿論、両家の関係者に相当の財産的損害および精神上の苦痛を被らせたことが明らかである一方、被告両名の側には右婚姻予約の破棄について格別の落度があったことを窺うに足る資料は何もないので原告の右主張も採用できない。
してみると本件婚姻予約が被告両名の債務不履行ないし不法行為によって破棄されたことを原因として損害賠償を求める原告の請求はその前提において理由がない。
第二、予備的請求に対する判断
原告主張の日、原告と被告丙野花子との間に本件婚姻予約が成立し、同日原告が同被告に対し本件結納を交付した後、原告が一方的に本件婚姻予約を破棄したことは前記認定のとおりである。
そこで、かかる場合に、被告丙野花子はその受けたる本件結納を不当利得として原告に返還すべき義務があるか否かについて考えてみる。
そもそも結納なるものは、婚姻予約が成立した場合に、その事実を確認すると同時に、その誠実な履行による婚姻の成立を希念して、金員布帛等を授受するわが国古来の慣行にしてその慣行の内容たるや、極めて区々であり、その時代、その地方によりそれぞれ異っているのが実情であるということができる。従って、結納の法的性質についてはこれを一義的に割切ることは許されないので、まず第一に、それが授受された当時におけるその地方の慣習によるべきであるところ本件結納の授受された土地である奈良県下の慣習については≪証拠省略≫によるもこれを適確に判定することができず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
そこで本件結納の性質は、本来の目的等からそれを授受した当事者の意思を合理的に解釈して決定するほかないところ、一般的にみて結納は婚姻の成立を前提としてなされるものではあるが、その後婚姻が不成立に終った場合にその前提を失ったからといって、常に不当利得の法理により必ず返還すべきものとも解することができない。むしろ、結納は婚姻予約の成立を確証し、その誠実なる履行を誓い合い、併わせて将来、婚姻の成立により生ずる親族間の友誼を厚くするための精神的結合の印として儀礼上授受されるものであるから、婚姻予約が、合意により解除せられた場合等は格別として、前記認定のとおり破約の原因がもっぱら結納を交付した原告の側にある本件においては、破約に対する制裁として、原告は結納の返還を請求する権利を有しないものとすることが、信義誠実の原則等に照らし本件結納を授受した当時における原、被告の意思に合致するものということができる。
してみれば、被告丙野花子に対し不当利得を原因として本件結納の返還を求め、また本件結納中別紙目録第二記載の物件の引渡の執行不能を条件として、その損害賠償を求める原告の予備的請求も理由がない。
第三、結論
よって、原告の主たる請求及び予備的請求はすべて失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 三谷武司 裁判官 滝口功 松尾政行)