大阪地方裁判所 昭和40年(わ)2906号・昭40年(わ)2905号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕(被告人若林に対する無罪の理由)
被告人若林に対する本件公訴事実は、
「同被告人は、昭和三一年四月大阪府箕面町長となり、同年一二月同町の市制施行と同時に箕面市長に就任、同三五年四月再選、更に同三九年四月一二日施行の同市長選挙に当選したものであつて、市長として同市を統轄してこれを代表し、市有財産の管理、収入及び支出の命令、会計の監督並びに同市の行政事務一般を管理し、これを執行しているものであるが、
第一、昭和三九年四月一三日箕面市箕面五四一番地所在の法林寺において、大阪府都市競艇組合管理者にして豊中市長である藤戸翼、同組合常任副管理者にして豊中市助役である西川喜一郎及び同組合議会議長加茂政次郎らより、同人らが同年三月一二日箕面市長である被告人若林との間でモータボート競走法に基づき箕面市が施行する競艇による事業収益中、その純益の六分の一に相当する金員を昭和三八年度以降において毎年箕面市から同組合に対して支出交付する旨の協定を締結して貰つたことに対する謝礼、並びに将来とも同配分金の支出交付に好意ある取扱いを受けたい趣旨で供与するものであることの情を知りながら、現金三〇万円を貰い受け、
第二、同年八月二一日大阪市東区本町四丁目二七番地所在の大阪会館において、大阪府下の柏原、河内長野、羽曳野、和泉、大東、河内、枚岡、松原の八市で構成する八市財源獲得協議会の会長にして柏原市長である被告人早川良祐、河内長野市長小柴竹虎ら右八市の市長より、同市長らが同年五月一三日箕面市においてモーターボート競走法に基づき施行する競艇による事業収益中、売上額の千分の五に相当する金員を昭和三九年度以降において毎年箕面市から右八市に対し支出交付する旨決定してもらつたことに対する謝礼、並びに将来とも同配分金の支出交付に好意ある取扱いを受けたい趣旨で供与するものであることの情を知りながら、現金一〇〇万円を貰い受け、もつて自己の職務に関し賄賂を収受したものである。」
というのである。
一右公訴事実中第一の事実について
右第一の事実中、公訴事実記載の日時場所において、被告人若林が大阪府都市競艇組合管理者藤戸翼より現金三〇万円を貰い受けた事実は、被告人若林においても争わず、本件証拠上も全く疑いを容れない事実である。
そこで、右金員(以下本件三〇万円という)が公訴事実記載のような賄賂の趣旨で贈与されたものであるかどうかについて、以下判断する。
(イ) まず、本件証拠によると、次の事実を疑いを容れる余地のない事実として認めることができる。
(一) 本件三〇万円贈与に至る経緯
大阪府下の豊中、布施、岸和田、高槻、堺、八尾、吹田、守口、枚方、茨木、貝塚、池田、泉佐野、寝屋川、泉大津、富田林の一六市は、昭和二七年に地方自治法に基づく一部事務組合として大阪府都市競艇組合(以下単に組合という)を設立し、大阪市内の住之江競走場を使用して競艇を実施してきた。箕面市もまた一市単独で競艇開催権を持ち、同じ住之江競走場を組合と交互に使用して競艇を実施していた。ところで、競艇の開催日数についてはモーターボート競走法、同施行規則により 二以上の施行者の使用する競走場については各施行者の開催日数の合計が一ケ月間に一四日を越えない範囲に制限されていたので、組合と箕面市は、同三二年五月一五日付覚書(昭和四一年押第八八五号の一)により、開催日数の割振りを年間を通じて組合「八」、箕面市「六」の割合とし、右割合は同三二年四月より同三三年三月までの期間に限る旨の協定をしたが、その後、両者間の協議が行なわれないまま、二、三年間は右八対六の割合がそのまま維持されていた。ところが、競艇による収益が増加するにつれて同三五年頃から組合側は箕面市に対して右開催日数の割振りを組合「九」、箕面市「五」に変更するよう要求するに至り、当時の組合管理者らが箕面市長であつた被告人若林に対して右要求に応じるよう交渉してきた。右組合の要求の論拠は、前記覚書による箕面市が開催権を持つ「六」のうち「一」は一年間だけという約束で組合が譲歩したものであるから、最早これは組合に返してもらうべきものだということ、組合は一六市で構成し、その総人口は二〇〇万人であるのに対し箕面市は人口四万人に過ぎず、その箕面市が一市で「六」もの開催権を打つのは、競艇収益の配分が極めて不公平になるということ等であつた。これに対して被告人若林は、箕面市の既得権であり、また箕面市も独立の施行者として組合を構成する市の多少にかかわらず、組合と対等の権利があると主張して一歩も譲らず、両者間の対立が続いたまま、交渉は進展せず、数年を経過した。
そして、同三八年七月、当時の豊中市長藤戸翼が組合管理者に就任し、被告人若林との交渉を継続したが、同被告人は依然強硬な姿勢を崩さず、妥協の余地も見出されなかつた。そこで、藤戸は全国モーターボート競走会連合会長笹川良一に右交渉の仲介斡旋方を頼んだところ、同人が被告人若林をいろいろ説得してくれ、その結果、同被告人は、組合との交渉をこれ以上長びかせては、自治省の介入を招き、施行者が一本化されて箕面市が一六市と一つの組合を構成することになり、箕面市の収益が激減する等、結局箕面市の既得権が大きく失われることになりかねないと判断して、この際多少の譲歩をすることが結局は箕面市のために得策であると考えるに至つた。そして、同年三月一二日被告人若林は、組合との間で、箕面市の競艇による収益中その純益の六分の一に相当する金額を同三八年度以降毎年箕面市より組合に配分交付する旨の協定(以下単に協定という)を締結し、こゝに永年にわたる組合、箕面市間の紛争にも一応の結着がつけられた。
ところが、その頃藤戸や組合常任副管理者西川喜一郎、組合議会議長加茂政次郎らの間で、被告人若林に組合から四〇万円を贈与しようという相談が出来、これが組合の全員協議会に提案され、その資金を議長及び管理者の交際費として予算計上するという提案とともに、全員協議会で承認された。そして、右金員は最初、当時被告人若林が箕面市長選挙の運動期間中であつたので、その陣中見舞として贈ろうという話が出ていたが、結局そのような具体的実行については管理者らに一任することになつた。ところがその後、前記交際費に計上した四〇万円のうち一〇万円が急拠他の用途に使用され、これが補われることなく、被告人若林に対する贈与金は三〇万円に減額されることとなつた。
右のように実行を一任された藤戸は、弁護士としての経験も長かつたので、右三〇万円を陣中見舞として贈与することは法に触れる虞れがあると判断し、被告人若林の当選祝として贈ろうと考えた。
(二)、本件三〇万円贈与の実行
かくして藤戸は、被告人若林の市長当選が確定した同年四月一三日、前記西川喜一郎、豊中市秘書課長山田忠和を伴つて、折から被告人若林の当選祝賀会が行なわれていた公訴事実記載の法林寺に赴き、被告人若林と会い、当選祝いの挨拶をした後、用意してあつた現金三〇万円入りののし袋(これには、上部に「御当選御祝」、その下に藤戸翼、西川喜一郎、辰己佐太郎(常任副管理者)、岡本義雄(前同)、加茂政次郎、岸田雅春(議会副議長)の名が連記しあつた)を同被告人に手渡した。
(ロ)、右(二)の事実によると、本件三〇万円は、少なくとも表面的には被告人若林に対する当選祝いとして贈与されたものであることが明らかであるところ、検察官は、右当選祝いというのは名目であつて、その実質は、「協定を締結して貰つたことに対する謝礼並びに将来との配分金の支出交出交付に好意ある取扱いを受けたい趣旨」のものであると主張する。これに対して被告人若林やその弁護人は、これは名実ともに当選祝いであると主張する。
そこで、まず、検察官の主張にそう証拠を検討してみると、西川喜一郎、加茂政次郎、奥野幸一(組合事務局長)、南出正(組合議会議員)の各検察官調書には右検察官の主張にそう供述記載があり、また、贈与者が協定締結によつて利益を受ける組合の構成メンバーであること、本件三〇万円という金額が従来の市長当選祝いの慣例からみて相当の高額であること、贈与の時期が協定締結間もないこと、前記組合の全員協議会における相談、決議は、被告人若林に四〇万円を贈与することを眼目とするものであり、いかなる機会にどのような形で贈るかは管理者に一任され重要視されていなかつたこと、同年四月三〇日組合が被告人若林を箕面市の競艇関係者や笹川了平(笹川良一の弟で共に協定締結に尽力した者)とともに、料亭松楓閣に招待して酒食を供していること(なお被告人若林の検察官調書中には、右宴席で藤戸が「永年の懸案が解決して感謝にたえない」と挨拶した旨の供述記載がある。)、等の諸事情に照すと、検察官主張のような見方をすることも不可能ではないかのように思われるのである。
しかしながら、前記西川、加茂、奥野、南出の当公判廷における各供述によると、当時組合関係者においては、協定締結についてこれを専ら笹川良一の尽力のお蔭であると考え、同人には感謝していたが、被告人若林に対しては、永年にわたり理由のない主張を固持して組合の要求を全く聞入れず、そのため組合の正当な要求の実現がいたずらに引延されたとして、腹の虫が治まらないという感情を抱いていたぐらいであつて、本件三〇万円の贈与は同被告人に対する協定締結の謝礼の気持から出たものではないというのである。それでは一体、本件三〇万円は、いかなる事由に基づいて被告人若林に贈与されたというのであろうか。その点について、前記各供述によると、組合と箕面市は同一の競走場を使用する施行者同士であるから、協定も成立した以上、従来の対立関係を解消し、今後は互いに協力して競艇の運営(例えば競走場の借上料引下げの問題等)に当らなければならない、そのためには、従来感情的にも対立していた被告人若林に対して組合の方から和睦の手をさし伸べる必要があると考え、そのような気持を表わすため、同被告人に陣中見舞や当選祝いを贈ろうということになつたのである、というのである。
そこで右各供述の信用性について考えてみるに、前記(イ)の(一)の事実(金員贈与に至る経緯)等に徴すると、組合の箕面市に対する要求は、同一競走場を使用する施行者間の開催日数の割振りに関するものであり、しかも一応昭和三二年五月一五日付覚書によつてその割合が定まつていたものの、それは同年度分に限られるもので、翌年度以降の分については再び協議して定めることになつていたのであるから、単に箕面市の好意や恩恵を期特するという性質のものではなく、またその要求内容も「一」だけの移譲を求めるものであつて(組合を構成する一六市と箕面市一市との対比を考えると、箕面市の既得権を考慮しても一応無理からぬ要求と考えられる。)、組合関係者において右要求を正当な要求と考えたのももつともなことと思われる。これに対して被告人若林は、数年にわたる交渉にもかかわらず、一歩も譲歩せず、妥協の余地もなかつたというのであるから、組合関係者間に同被告人に対する反感が生じ、同被告人と感情的に対立するに至つたとしても不思議ではない。そして、このような経過を経た後、笹川良一で仲介に入つて初めて協定締結に至つたことを考えると、これを同人の尽力のお蔭と考え、同人には感謝したが、被告人若林に対しては全く感謝の念を持たなかつたという組合関係者の心情も、これを全く虚偽のものとは考え難い。
右のような事情に加え、本件証拠によつて認められる組合が笹川良一に対して協定成立に関する謝礼として贈つた一〇〇万円と比較して本件三〇万円が相当少額であること、前記のとおり、被告人若林に対して陣中見舞を贈ることは法に触れると考えて慎重にこれを取りやめた藤戸が、本件三〇万円については、人目の多い当選祝賀会の会場で公然と被告人若林に手渡していること等の諸事情に照すと、本件三〇万円には協定締結のお礼等賄賂の趣旨が含まれていないとする前記西川らの当公判廷における供述、藤戸の供述を一概に虚偽のものとして排斥することはできないといわねばならず、前記西川、加茂、奥野、南出の各検察官調書中の供述記載はこれを直ちに信用することができない。
なお、藤戸翼の検察官調書中の供述記載には、本件三〇万円の贈与の趣旨につき、「協定成立の謝礼」であることを認めるかのような供述部分があるが、一方被告人若林の気持を推量して「(同被告人は)協定が成立したため今後とも仲良くよろしくという意味で呉れるのだということはよく判つたはずです。」とする供述部分もあり、また協定成立について被告人若林には感謝していなかつた自己の気持を強調していて、これを全体として考察すると、本件三〇万円に被告人若林が協定を締結してくれたことに対する謝礼の趣旨が含まれていることを真に自認しているのかどうか疑わしく、また本件三〇万円の趣旨として「今後の協定が誠実、円滑に実施されて行くようお互いに仲良く行くため」とする供述部分があるが、これも検察官が主張する「将来とも配分金の支出交付に好意ある取扱いを受けたい趣旨」といつたような、特定された被告人若林の職務行為を期待する趣旨を自認するものとまでは言い難く、結局藤戸の検察官調書中の供述記載は全体の趣旨において前記西川らの当公判廷における供述と大差ないものと考えられる。
そして、本件三〇万円という金額については、組合を構成する一六市の一市当りの金額にすると二万円足らずであり、右金員が組合と箕面市間の永年の紛争が解決した機会に今後の協力関係を期待して贈る当選祝いであるとすれば、それが不相当に高額なものとも言い難い。
また、組合が被告人若林を他の箕面市競艇関係者とともに松楓閣に招待して酒食を供したという点については、藤戸の検察官調書中の供述記載によると、これも今後の競艇運営について協力を期待する趣旨のものであり、宴席においても右趣旨にそつた挨拶をしたというのであり、右供述記載を一概に虚偽のものとして排斥するに足りる証拠はなく(右宴席で藤戸が「永年の懸案が解決して感謝にたえない」旨挨拶したとする被告人若林の検察官調書中の供述記載は、前記藤戸の供述記載と対比して極めて簡単なものであつて、藤戸の挨拶の趣旨をどこまで正確に要約したものか疑問であり、これのみをもつて右挨拶に関する藤戸の供述記載を虚偽のものと断じうるものではない。また仮に藤戸が協定締結について謝意を表したとしても、右席上には協定成立について尽力した笹川了平もいたことであり、直ちに被告人若林に対する謝意の表明とは解し難い。)右招宴の事実から直ちに組合関係者に被告人若林に対する謝意があつたものと推認することはできない。
以上検討してきたように、本件三〇万円の趣旨は、純粋に被告人若林の市長当選を祝う趣旨だけのものとは言い難いとしても、検察官主張のような協定締結の謝礼または将来配分金の支出交付につき好意ある取扱いをしてもらいたいという趣旨ではなく、組合関係者において、協定成立を機会に従来の組合と被告人若林との間の感情的対立を解消し、今後同じ競走場を使用する施行者同士として協力して競走場の運営に当りたいと願い、その目的のために贈つた当選祝いではないかという合理的疑いがあり、これを払拭するに足りる証拠がないといわねばならない。
二前記公訴事実中第二の事実について
被告人若林が右公訴事実記載の日時場所において被告人早川より一〇〇万円を貰い受けた事実は、被告人若林においても争わず、本件証拠上も疑いを容れる余地のない事実である。そして、本件一〇〇万円が、被告人早川、共謀者塩野庄三郎、同横田磯治、同川口房太郎、同小柴竹虎ら贈与者の意思においては、被告人早川の判示第二の事実(罪となるべき事実欄記載)のとおり、千分の五の配分金支出交付に関する謝礼及び将来も好意ある取扱いを受けたい趣旨で贈与されたものであることも本件証拠上認めざるを得ないところである。
したがつて、被告人若林に対する公訴事実第二の収賄罪の成否は、本件一〇〇万円に右のような謝礼等賄賂の趣旨が含まれていることを被告人若林において金員受領の際に認識していたかどうかにかかつているわけである。
ところで、被告人若林は、検察官に対して右賄賂の認識があつた旨を自白しているのであるが、当公判廷においてこれを覆し、本件一〇〇万円は自分がアカデミー賞を受賞したことに対する祝いとして貰つたものであり、勿論賄賂の認識はなかつた旨を供述している。そこで、右検察官に対する供述と、当公判廷における供述のいずれが信用に値するかが問題となるわけであるが、右の判断にあたつても、本件一〇〇万円贈与に関する客観的な情況証拠や被告人若林の人柄、性格等の検討が何よりも必要であると思われるのでこれらの諸事情を十分考慮したうえ次のとおり判断する。
(一)、本件証拠によると、贈与者が箕面市において千分の五の配分金の交付を議決した当の相手の八市協議会であること(百万円を包んでいたのし袋にも八市財源獲得協議会と明記されていた)、一〇〇万円という金額が、従来大阪府下の市長が各種表彰を受けた際に贈られる祝い金の慣例的金額に比較して相当に高額であること(右一〇〇万円を八市に分割して一市当り一二万五、〇〇〇円としてもまだ高額である)、本件一〇〇万円の受領時期が前記配分金交付の議決時より三ケ月後であり、余り日数が経過していないこと、しかも、その間に被告人若林は同年七月二二日八市協議会から箕面市議会議員らとともに料亭北大和に招待され(判示第一の一の機会)、被告人早川から前記配分金交付について謝意を表されて感謝状を貰つたばかりでなく、右招宴の前に被告人若林は、同早川より、同市議会議員とともに被告人若林にも何か「お礼」をしたいと言われ、「市議会議員には少額の品物を贈つてほしいが、自分は貰うわけにはいかない」と答えているので、被告人若林は同早川において自分にお礼をしたい気持を持つていることを知つていた筈であると考えられること等の諸事情が認められ、これらの事情を総合すると被告人若林において、表面的にはアカデミー賞のお祝いであると言つて贈与された金ではあるが、本件一〇〇万円の賄賂性を未必的にしろ認識していたものと認めても差し支えないかのようにも思われるのである。
(二)、しかし本件証拠によると、被告人若林は、本件一〇〇万円の受領に先立つ昭和三九年六月一五日国際アメリカン協会なる米国法人(その機関は聖デニス修道会なるキリスト教宗教団体)よりアーカデミー賞という賞を受賞していたところ、同年八月中旬頃被告人早川よりアカデミー賞受賞のお祝いをしたいから大阪会館にご足労願いたいという連絡を受け、日取りを打合せて同年八月二一日大阪会館に出向き、そこで被告人早川及び同行の小柴河内長野市長(八市協議会メンバー)、山崎庄武郎(九市競輪組合事務局長)と、一般人が自由に出入りできる食堂で昼食を共にし、その間同人らに対し持参してきたアカデミー賞の賞状、勲章を披露し、専ら同賞受賞の原因やその喜びを語つたが、昼食後その席で被告人早川より「これは受賞のお祝いです。」と言われて、「お祝い、八市財源獲得協議会」と表記したのし袋入りの現金一〇〇万円を手渡され、「それでは、将来受賞記念事業を行なう際の資金の一部にでも充当させていただきます。」と述べてこれを受取つたこと、当日に八市に対する配分金交付の話は全く話題に上らなかつたことが認められる。
(三)、右の一〇〇万円授受の客観的事情のほか、特に考慮しなければならないのは、被告人若林が、アカデミー賞のお祝いとして贈られた本件一〇〇万円はこれを受けとつているのに、その前に被告人早川より前記配分金交付のお礼をしたいと言われた際にはこれを拒絶している事実である。本件証拠によると被告人若林の右拒絶は、真意に基づかない単なる儀礼的なものではなく、「自己の立場上そのような金は貰うわけにはいかない。」としてこれをきびしく拒絶したものであることが認められる(すなわち、本件証拠によると、被告人早川は、八市協議会の会長としてその決議に基づく自己の職責として一〇〇万円の「お礼」を被告人若林に贈らねばならない立場にあつたのに、遂にこれを「お礼」だとして同被告人に贈ることができなかつたばかりか、本件一〇〇万円贈与の際にも被告人若林の拒絶をおそれて配分金交付のことを話題にも上しえなかつたことが認められ、右事実からすると、被告人若林の拒絶が単に儀礼的なものであつたとは考え難いのである。)。そうだとすると、被告人若林が「お礼」を拒絶したという前記事実から、少なくとも同被告人が賄賂に対してはこれをきびしく拒絶する態度の持主であることを窺うことができ、更に、本件一〇〇万円についてもこれに「お礼」の趣旨が含まれているという認識がなかつたからこそ、受領したのではないか(かかる認識があれば拒絶したはずである)と推定することも可能である。
(四)、次に、被告人若林の過去の政治生活から看取される同被告人の人柄、性格並びに同被告人がアカデミー賞受賞をいかに喜んでいたかということを検討してみよう。本件証拠によると、被告人若林は、昭和一三年一二月から約二年間敦賀市長を勤め、その後黒住教総務等の役職を経た後、同二一年四月衆議院議員に当選、約七年八ケ月間同議員を勤めた後、同三一年四月箕面町長に就任し、同年一二月市制施行と同時に箕面市長となり、以後本件に至るまで引続き同市長の地位にあつたもので、長い政治生活であるが本件当時においても住居として使用していた宅地八〇坪、建物(建坪一六坪)、株券三、〇〇〇株のほか特別の資産もなく、清廉な政治家として終始し、国会議員、市長時代を通じ特に青少年の健全育成等文教方面に力を注いできたものであり、裏面的駆引や政治的策略を弄して自己の保身や栄達、蓄材を図るといつたところのない政治家であることが認められ、また同被告人が自己の信念の披れきにおいても、また感情の表現においても、極めて卒直であることは、都市競艇組合との開催割合に関する交渉経緯等本件証拠に顕れた諸般の事情や当公判廷における同被告人の態度からも窺えるところである。
また、本件証拠によると、同被告人は、アカデミー賞受賞について、自己の青少年育成に尽してきた業績が海外にまで認められたものと考え、また日本の政治家では岸信介に次ぐ受賞であつて、もとより市長としては初めてということで、ことのほかこれを名誉に心得て喜び、将来右受賞記念事業として遊園地等の青少年のための施設を作り、アカデミーコーナーと名付けたい等と考えるに至つたことが認められ、同被告人が本件一〇〇万円受領当日賞状と勲賞をわざわざ持参して被告人早川らに披露したのも右被告人若林の強い喜びの表現であると考えられる。また、本件証拠によると、被告人若林は本件一〇〇万円を受領後、これを銀行に預金し(自己と長男名義の二口五〇万円づつに分けているがこれは税金の関係と認められる)、その後の自費海外旅行の際にも手をつけず、将来の前記記念事業の資金としてとつてあつたことが認められる。
以上情況証拠を検討した結果、(二)の受領時の客観的状況、(三)の被告人若林が「お礼」を拒絶したこと、(四)の同被告人の清廉な人柄、アカデミー賞受賞の喜び等を考慮すると、(一)のごとき事情があるにしても、なお次のような疑いがある。すなわち、同被告人は自ら卒直で裏面的駆引のできない人柄の故に、本件一〇〇万円の趣旨を被告人早川の言葉通り卒直に受取り、受賞祝い以外の趣旨が含まれている裏の意味を認識できなかつたのではなかろうか、同被告人の清廉な人柄からするといやしくもそのような趣旨を認識していたとすれば、前に「お礼」を拒絶したときと同じように本件一〇〇万円もその受領を拒絶したのではなかろうか、そしてアカデミー賞に対する自己評価があまりにも大きすぎ、かつ記念事業の計画まで脳裡にあつたため、一〇〇万円という金額が受賞祝いとしては高額にすぎる等ということは考えなかつたのではないか、という疑いが強く、右疑いを払拭することができない。
最後に被告人若林の検察官に対する自供調書の信用性について検討すると、前記各情況証拠や同被告人の当公判廷における供述に照してみると、同被告人が本件一〇〇万円の賄賂性の認識あつた旨自供している部分については、あまりにももつてまわつた理くつつぽい表現であり、果して同被告人の供述するところをありのままに録取したものかどうか極めて疑わしく、検察官が自己の思考過程を同被告人に理詰めで押しつけ、同被告人の弁解を容易に聞き入れず、遂に同被告人が自分の言い分を録取してもらえないものと諦め、検察官のいう通りにしてくださいと言うや、検察官において自己の思考した内容をあたかも同被告人が供述したごとく調書に記載したのではないかという疑いが強く、このような疑いのある供述記載はとうてい信用することができない。
以上の次第で、本件一〇〇万円の贈与については、その賄賂たる趣旨を被告人若林において認識していたという点につき前記のような合理的疑いがあり、これを払拭するに足りる証拠がないといわねばならない。(松浦秀寿 中根勝士 黒田直行)