大阪地方裁判所 昭和40年(ワ)452号 判決
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〔判決理由〕一、被告会社が昭和二七年四月倉庫営業を目的として設立されたこと、原告が右設立以来同会社の営業担当常務取締役の地位にあつたが、昭和三八年一一月一四日右取締役を辞任し、以後毎月二五日限り月額六万三、〇〇〇円の報酬を受ける約定で嘱託として被告会社に勤務するようになつたこと、被告会社が原告に対し昭和三九年五月二二日付内容証明郵便をもつて懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがなく、かく被告主張の右内容証明郵便が遅くとも同年同月二五日原告に到達したことについては原告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。
二 ところで、被告は、原告と被告会社間における本件嘱託契約の法律上の性質は委任契約であつて、その解約につき何らの制限がないから、本件嘱託契約は委任契約の解約と評価すべき本件懲戒解雇の意思表示によつて終了した旨主張し、原告がこれを争うので、この点について判断する。
昭和三八年四月から六月ごろの間において被告会社取締役寒作誠三が檜山崎証券株式会社に対し被告会社発行済株式総数の過半数にあたる原告および寒作誠三所有の被告会社株式を売却して被告会社を乗取らせることを目論んだこと、被告会社が檜山崎証券株式会社から、同会社が買占めた被告会社株式を一、七〇〇万円で買受けたことは当事者間に争いがなく、右争いない事実と、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
被告会社は、大蔵省近畿財務局に勤務していた寒作誠三を中心とする大蔵省出身者が、国から払い下げを受けた倉庫施設を利用し同省を退職した者に安定した職場を確保するため、資本金二五〇万円でその設立を目論んだものであつて、設立の際における株式引受や設立後の取締役も主として大蔵省関係者によつて占められるなど、同族的経営の性格が強い会社として発足、維持されてきた。
そして、被告会社発足後の経営は、小松末夫が同会社設立前から株式会社共栄社を経営していたため非常勤の代表取締役として被告会社に就任したこともあつて、専務(代表)取締役寒作誠三を中心に行われたが、小林末夫の推せんによつて右設立と同時に常務取締役に就任した原告も、営業担当取締役として寒作誠三とともに被告会社経営の中心的役割を果していた。
ところで、寒作誠三は、被告会社取締役として勤務するかたわら、昭和三六年四月建築材料の販売を目的とする進和商工株式会社を設立し、代表取締役としてその経営に当たつていたが、同会社の経営は不振であつて次第に赤字が累積したため、右会社は昭和三八年四月末日には被告会社を保証人として第三相互銀行から三五〇万円を借り受け、(右は争いのない事実)、その立て直しに努めたが、その再建のためにはさらに多額の資金を早急に必要とした。そこで寒作誠三は、被告会社の右保証の件につき取締役会の承認を受けるにあたり、同会社に担保として差し入れることになつていた自己所有の被告会社株式を他に売却して右資金を得ようと考え、同年五月ごろ大蔵省勤務当時の上司であつた山崎国蔵に右売却方を相談したところ、被告会社株式は市場性がないため、寒作誠三所有の株式だけを処分したのでは高価に売却することはできないが、被告会社には多額の含み資産があるので、同会社を乗取ることが可能な発行済総数一万〇、六〇〇株の過半数を集めると高価に売却することができることを知つた。そこで寒作誠三は、被告会社の大株主であつた原告に対し、発行済株式総数の過半数を集めて売却することについて協力を求めたところ、原告もこれに同意し、寒作誠三に対し先きに譲渡証書を付して交付していた原告所有の被告会社株式二、一〇〇株の処分を任せたので、同年五月一八日および二五日原告とともに山崎国蔵を訪ね、右売却方についてさらに協議を重ねた。その結果、寒作誠三は同年六月一三日檜山崎証券株式会社に対し被告会社株式五、四〇〇株(原告所有の株式二、一〇〇株と寒作誠三所有の株式三、三〇〇株の合計)を五、一三〇万円で売却する旨の契約を締結し、原告も右契約を了承したので、その履行として、右契約成立当時寒作誠三所有の株式一、〇〇〇株を引渡すのと引換えに六〇〇万円を受取り、次に同年同月二二日ごろ同じく寒作誠三所有の株式一、〇〇〇株を引渡すのと引換えに六〇〇万円を受取り、なお同年七月一日ごろ残り三、四〇〇株のうち取りあえず原告所有の株式一、一〇〇株(原告および中野哲太郎名義)を引渡し、その代金は後日全株式の引渡が完了したときに残代金全部と一緒に支払をうけることとし、結局三、一〇〇株を引渡した。ところが同年六月下旬ごろ、前記原告所有株式二、一〇〇株のうち一、〇〇〇株を占有していた被告会社嘱託中川国雄が、原告および寒作誠三に対し被告会社乗取り計画に反対し、その引渡を拒んだので、右計画の実現は極めて見込み薄となつたため、原告も右株式の売却に難色を示しはじめた。
一方、被告会社は、中川国雄から被告会社取締役原邦道を介して右乗取り計画を聞知したので、これに対抗するため、同年七月一二日の取締役会(原告欠席)において、寒作誠三を除くその余の取締役の賛成により公募による九、四〇〇株の新株発行を決議したが、同年同月二五日寒作誠三らの申請により新株発行差止め仮処分を受けたので、右対抗策も挫折した。
そこで、山崎国蔵が中心となつて、前記売買契約を解消する方向で示談が試みられた結果、同年八月二九日寒作誠三、檜山崎証券株式会社(代理人山崎国蔵出席)および被告会社(代表取締役小林末夫ら出席)の三者間において、寒作誠三に資金が乏しいので、被告会社が代つて檜山崎証券株式会社との後始末をすることとし、前記売買契約上の地位を被告会社が寒作誠三より引継いだ上、被告会社は檜山崎証券証券株式会社に対し会社の資金をもつて一、七〇〇万円を支払い、これと引換えに同会社が寒作誠三から引渡を受けた前記被告会社株式三、一〇〇株のほかに被告会社株式五〇〇株を加えた合計三、六〇〇株を譲り受けて、前記売買契約を解消した。
なお、右示談の際、寒作誠三は被告会社に対し右三、六〇〇株のうち、原告提供の株式一、一〇〇株については未だその代金を受領していないから、原告に返還されるべき旨要求したが、被告会社は右一、七〇〇万円の代金額が三、六〇〇株全部の代価としてもすでに高額すぎるとして右要求に対し一顧だにしなかつたので、右株式一、一〇〇株を原告に返還することはついに示談の内容にならなかつた。
ここに寒作誠三の企てにはじまる被告会社乗取り計画は一応の解決をみたので、被告会社では同年一〇月ごろの取締役会において右計画を共謀した寒作誠三および原告の責任が追求された結果、寒作誠三は被告会社の取締役を辞任したが、原告は、前記一、一〇〇株は寒作誠三が原告に無断で処分したものであつて自己が右計画に加担した事実はない旨強く主張し、取締役を辞任することに応じなかつた。しかしながら被告会社取締役間では、原告が右計画に加担した疑いが濃厚であつて、株主総会にかけて取締役を解任すべきであるとの強硬な意見も出たが、当時その確証がないとしてさらに調査をするかたわら、しばらく原告の動静を観察するとの方針に落着き、当面の問題として原告をそのまま取締役の地位に留めておくことだけはとうていできないとの考え方が支配的であつたので、小林末夫がさらに原告の取締役辞任を勧告することになつた。そこで小林末夫は原告に対しさらに右辞任方を勧告するとともに、右辞任後も原告を嘱託として被告会社に勤務させ、報酬などについては取締役当時と同様に待遇する旨約したので、原告はこれを承諾して同年一一月一四日取締役を辞任し、以後期限の定めがない役員待遇の嘱託として被告会社に勤務するようになつた。従つて、原告はその後も本件懲戒解雇の意思表示を受けるころまで被告会社に出勤していたが、一般従業員のように出勤簿によつてその出、退社時刻が記録されることなどもなく、以前の取締役時代と同じ勤務状態であり、仕事の面では、被告会社取締役間で原告に対する不信感が強く、同人が取締役当時担当していた職務を取締役中野英俊に引継がせるとともに、原告に経営の相談をかけることもなかつたので、次第に格別の職務を担当することがない状況になつた。
以上の事実を認定することができ、これに反する甲第三、一一、二七、二九号証の各記載部分、ならびに証人津田陽の証言および原告本人尋問の結果の各一部は信用することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない、そうだとすると、被告会社においては当時原告が被告会社乗取り計画に加担したことについてその責任を明確にしたい意図を有していたが、原告がそれを極力否定したため、証拠不十分とした一方、当面する問題として取締役の地位をはずさせるため、原告に対し役員待遇の嘱託たる地位を約束したのもであり、その後原告が嘱託として被告会社に勤務したが、その内容は、以前の常務取締役当時の勤務状態の範囲を出るものではなかつたことが明らかであるから、本件嘱託契約の法律上の性質は常務取締役当時の原告と被告会社との法律関係と同様のものと解すべきである。
そして、原告は入社当初から営業担当常務取締役として寒作誠三とともに被告会社経営の中心的役割を果していたものであつて、当時被告会社の使用人たる地位を兼ねていたと認めるべき情況も特にないので、常務取締役当時の原告と被告会社との法律関係はもつぱら準委任契約関係であり、従つて原告と被告会社との本件嘱託契約の法律上の性質は労働契約ではなく、準委任契約であると解するのが相当である。それ故被告会社が原告との本件嘱託契約を解約するについては、役員待遇の嘱託たる原告に就業規則たる社則の適用はなく、準委任契約の解約として律すべきものである。ところで、本件嘱託契約は有償委任契約であるが、期間の定めがないものであり、かつ株主総会の決議による取締役の解任について商法第二五七条は同法第三四三条による特別決議を要するものとしてその手続を慎重ならしめているものの、解任の事由および時期については、一定の場合に当該取締役により損害賠償請求を許すのみで、解任の自由を原則としていることにかんがみ、本件嘱託契約の解約については民法第六五一条により得るものと解するのが相当である。
以上のとおりであつて、本件嘱託契約の終了を目的とした本件懲戒解雇の意思表示は、その実質は民法第六五一条による準委任契約の解約であつて、右意思表示が原告に到達した昭和三九年五月二五日限り解約によつて本件嘱託契約は終了したものといわざるを得ない。(成立に争いのない甲第五号証によると、本件懲戒解雇の意思表示は昭和三九月五月二〇日限り原告を懲戒解雇する旨の内容になつているが、右意思表示が原告に対し到達する以前に解約の効果が発生するものでないことは多言を要しないところである。)
原告は、原告と被告会社との本件嘱託契約は労働契約関係であつて、被告会社が原告を懲戒解雇するについては社則所定の懲戒事由が存することを必要とするとの前提において、その懲戒事由がないから本件懲戒解雇の意思表示は無効である旨主張するが、原告の右主張は前述の理由にてらし失当である。
(岩本正彦 高山健三 木村奉明)