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大阪地方裁判所 昭和40年(ワ)5648号 判決 1970年5月09日

原告 堀光子

右訴訟代理人弁護士 林弘

被告 堀朝子

<ほか二名>

右被告ら訴訟代理人弁護士 佐藤武夫

同 河合宏

主文

被告らは各自原告に対して、別紙物件目録記載の土地・家屋(以下、本件土地・家屋という)に対して有する各九分の二の持分について、原告と被告らの先代茂兵衛との間の本件土地については昭和一四年八月二八日付、本件家屋については昭和三三年四月二五日付各贈与を原因とする所有権の持分移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

一、当事者の求める裁判

(原告)

主文同旨の判決。

(被告ら)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、事実関係

(請求原因)

(一)  本件土地・家屋はもと原告の夫であった堀茂兵衛(以下、茂兵衛という)の所有であったところ、茂兵衛は昭和一四年八月二八日本件土地を、昭和三三年四月二五日本件家屋をいずれも原告に書面によって贈与した。

(二)  ところが、茂兵衛は本件土地・家屋に対する原告への所有権移転登記手続をなすことなく昭和三五年一一月一二日死亡し、被告朝子は茂兵衛の実子として、その余の被告らはその養子として、本件土地・家屋に対する所有権移転登記手続をなすべき義務を相続により承継したところ、本件土地・家屋については右相続を原因として被告ら各自に九分の二の割合による持分移転登記がなされている。

(三)  よって、原告は被告ら各自に対して、右各贈与を原因として、本件土地・家屋に対して有する九分の二の持分について、持分移転登記手続を求める。

(請求原因に対する認否)

(一)  請求原因(一)の事実のうち本件土地・家屋が原告の夫であった茂兵衛の所有であったことは認めるが、その余の事実を否認する。

(二)  請求原因(二)の事実のうち、茂兵衛が原告主張の時期に死亡したこと、および被告らと茂兵衛との間の身分関係は認める。

(抗弁)

(一)仮りに、原告主張のとおり本件土地に対する贈与がなされていたとしても、右贈与における茂兵衛の意思表示は民法九三条に規定するいわゆる心裡留保に基づくものであり、かつ、原告においてもその際茂兵衛の真意を一般人としての注意を払えば知ることができたから、同条但書の規定により無効である。すなわち、

1 茂兵衛が本件土地を原告に贈与することにしたのは、異常な性格の持ち主である原告において、再三再四本件土地を贈与せよと要求したためであり、真実贈与する意思はないのに、ただ原告を安心させるため贈与する旨の書面(甲一号証)を作成したのである。

2 そして、右贈与の当時は家を尊重する傾向が強く、その結果本件土地の如き茂兵衛の重要財産はその相続人に承継させるのが当然のことであったところ、茂兵衛は昭和一二年一〇月二四日被告堀久良を婿養子に迎え、昭和一三年七月二九日その旨の届出をなしたのであるから、そのような時期に茂兵衛が本件土地を真意で贈与しないことは、原告においてもわずかの注意を払えば知りえたところである。

(二)  仮りに、原告主張のとおり本件家屋に対する贈与がなされていたとしても、右贈与は茂兵衛と原告との虚偽表示によるものであるから無効である。すなわち、

1 茂兵衛は昭和二三年六月それまで個人経営でなしていた小麦粉の卸売と小麦澱粉の製造販売業を基礎として堀茂澱粉工業株式会社を設立し、昭和二七年四月ころからはその取締役会長の地位にあったところ、同会社に対してかねてから小麦粉を供給していた日清製粉株式会社は茂兵衛が昭和三三年二月ころ高血圧で倒れたことも手伝い、同会社の日清製粉に対する取引上の債務の支払を担保するため茂兵衛所有の本件家屋とその敷地を担保に提供するよう要求してきた。

2 そこで、茂兵衛は本件家屋がその住居であることから、右要求を拒否すると共に、これからも自己名義にしておくと取引先から担保に提供するよう要求される危険があったので、茂兵衛はそのようなことになるのを回避するため原告と通謀のうえ本件家屋とその敷地を原告に贈与したかの如く仮装し、甲二号証の売渡証書を作成したのである。

(三)  仮りに、原告主張の本件土地・家屋に対する贈与が有効であるとしても、原告にはその後茂兵衛に対するつぎのような忘恩行為があったので、茂兵衛は右忘恩行為を理由として右贈与を撤回する権利を取得したところ、茂兵衛はその後死亡したので、被告らはその相続人として右贈与の撤回権を相続したから、本訴において右各贈与を撤回する。

なお、忘恩行為を理由とする贈与の撤回については、わが民法上明文の規定はないが、ドイツ民法は五三〇条ないし五三二条において忘恩行為を理由とする贈与の撤回を認めており、かつ、これが贈与の無償契約性に基礎をおくものであることを考慮するとわが法制上も条理として当然に認められるべき理論である。

1 原告は昭和三三年初めころ茂兵衛が倒れるや、甥の北林正行と共謀のうえ、原告において茂兵衛の印章を所持していたのを奇貨として、茂兵衛所有の大阪市東区材木町所在の宅地四筆を四七五万〇、〇〇〇円程で買却してその代金を領得し、また、茂兵衛所有の時価一、五六七万二、〇〇〇円相当の別紙株式目録(一)記載の株券を処分し、その代金を領得したばかりでなく、同目録(二)記載の株券を勝手に自己名義に名義書替した。

なお、原告は茂兵衛死亡後にも、茂兵衛名義の預金から二五〇万〇、〇〇〇円を勝手に引出し、時価三四四万三、〇〇〇円相当の株券を処分し、その金員をすべて領得している。

2 原告は昭和三六年七月一四日それまで茂兵衛の設立した堀茂澱粉工業株式会社の取締役支配人であった北林正行を代表取締役として、右領得した金員の一部を利用して、右会社と競争関係に立つ同一営業を目的とする株式会社丸茂商店を設立した。

3 茂兵衛は昭和三四年一一月七日重態に陥り中尾、加藤両医師の治療を受けていたが、昭和三五年八月ころから意識不明となり、同年一一月一二日高血圧と多発関節により死亡したところ、原告は茂兵衛が意識不明となった後看護婦が医師の指示により強心剤の注射をするのを阻止したり、同年九月一〇日茂兵衛の信頼していた医師加藤の治療を拒絶したりしたばかりでなく、原告は茂兵衛の食事を作るに当り、粥を黄色化させる薬品かなにかを使用し、これらが競合して茂兵衛の病状を悪化させ、その死期をはやめたものである。

以上1ないし3の事実は原告のなしたもので、茂兵衛に対する恩を裏切る忘恩行為に該当することは明らかであるから、被告らはその相続人として右忘恩行為を理由として右贈与を撤回するのである。

(四)  仮りに、右忘恩行為による贈与の撤回が認められないとしても、原告の本訴請求が認容されると原告は茂兵衛の全財産を取得することになるので、本訴請求は権利の濫用であり、許されない。すなわち、

1 原告は贈与を受けてから本件土地については二六年間以上も、また、本件家屋についても三年以上、贈与を原因とする所有権移転登記を請求することなく放置し、しかも原告は被告らと共に茂兵衛の相続人でありながら、相続税の支払の際には本件土地・家屋が贈与を受けたもので相続財産に属さない旨主張せず、被告らに本件土地・家屋の相続税をも負担させている。

2 原告は前記のとおり茂兵衛所有の宅地、株券などを処分してその代金を領得するという違法行為をなしたため、相続財産の中心は本件土地・家屋だけとなったのに、さらに贈与の履行として本件土地・家屋に対する所有権移転登記を請求するのは、中心的な相続財産をも被告らから奪うものであり、法の許容しないところである。

(抗弁に対する認否)

(一)  抗弁(一)の事実のうち茂兵衛が被告ら主張の時期に被告堀久良を婿養子としたことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告は茂兵衛と結婚し、大正一一年九月二一日婚姻届を了したが、その当時茂兵衛は大阪市都島区相生町八番地の土地と地上家屋を所有していたにすぎず、営業上の負債を相当額かかえていたが、結婚後原告の協力もあり業績は順調に上昇してきたので、昭和一〇年一二月ころ本件土地を原告のために買受け、そのことを明白にするため甲一号証の贈与書類を作成したものの、茂兵衛において営業のために本件土地を担保として利用することも考えられたので、登記名義は茂兵衛に留めておいたのである。

(二)  抗弁(二)の事実のうち茂兵衛が被告ら主張のとおりの株式会社を設立し、その取締役会長の地位にあったことは認めるが、その余の事実を否認する。

茂兵衛は原告との間に子がなく、また、養子であった被告堀久良、同義昌との間も良好にはいっていなかったので、原告の将来を案じて本件家屋とその敷地を贈与したものであり、当初は司法書士に対して本件家屋とその敷地の所有権移転登記手続を委任したが、司法書士から多額の税金を支払わねばならなくなるので、本件家屋に対する登記は後にしたらと助言を受けたので、それに応じてその敷地だけの登記をなしたのである。

(三)  抗弁(三)の事実を否認する。

贈与の忘恩行為を理由とする撤回については、わが民法に明文の規定がないから許されないものというべく、仮りに許されるとしても、撤回権は一身専属的権利であるから、その相続人である被告らにおいてこれを行使することはできない。

(四)  抗弁(四)の事実を否認する。

三、証拠関係≪省略≫

理由

一、本件土地・家屋がもと茂兵衛の所有であったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すると、原告がその主張する時に茂兵衛から本件土地・家屋の贈与を受けたことを認めることができ、≪証拠省略≫によるも右認定を左右するに足りない。

そして、茂兵衛が原告主張の時期に死亡したことおよび被告らと茂兵衛との間の身分関係については当事者間に争いがないから、被告らはその主張する抗弁が認められないかぎり、原告に対してその主張するとおりの本件土地・家屋に対する持分移転登記手続をなす義務がある。

二、そこで、まず被告ら主張の心裡留保および虚偽表示の抗弁について判断する。

(一)  まず、本件土地に対する心裡留保の抗弁について検討すると、茂兵衛が被告ら主張の時期に被告堀久良を婿養子としたことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫中には茂兵衛が本件土地を原告に贈与した後、妹の堀千代子らに対して、真実贈与する意思はないが、原告が再三贈与してくれるよう要求するので、やむなく甲一号証の贈与書類を作ったと説明していた旨の被告らの主張にそう供述があるが、このような供述が贈与を受けられなかった者の不満を解消するためによく使われるものであることを考慮すると、この供述内容が信用できるか否かについては疑が存するのであり、また、仮りに真実に基づかないものであるとしても、原告において一般人としての注意をなしたなら真意に基づかないものであることを知りえたことは本件全証拠によるも認めるに足りない。

したがって、被告らの心裡留保の抗弁は失当である。

(二)  つぎに、本件家屋に対する虚偽表示の主張について判断すると、茂兵衛が被告ら主張の株式会社を設立し、本件家屋の贈与当時同会社の取締役会長の地位にあったことは当事者間に争いがなく≪証拠省略≫によると、かねてから同会社に対して小麦粉を売り渡してきた日清製粉株式会社は茂兵衛が高血圧で倒れたことから取引上の債権の実現に不安を感じ、昭和三三年二月ころ取引上の債権の支払を担保するため本件家屋とその敷地に抵当権などの担保権を設定するよう要求してきたことが認められ、これに原告が本件家屋の贈与を受けたのがその直後であることを考慮すると、本件家屋の贈与は被告らの主張するとおり仮装のものではないかとの疑がないではない。

しかし、≪証拠省略≫を総合すると、本件家屋とその敷地に担保権を設定するよう要求してきた日清製粉に対してはその後別の不動産に担保権を設定して問題を解決したこと、被告堀久良と茂兵衛との仲も茂兵衛が倒れたころはあまり良好ではなく、また原告には子供もなかったので、茂兵衛は約四〇年間生活を共にしてきた原告の生活を保証し、自己の死亡後に相続争いが生ずるのを防止するため本件家屋とその敷地を原告に贈与しようと決意したこと、および本件家屋については、通常虚偽表示が問題となる場合になされている原告への所有権移転登記がなされていないことが認められるのであって(≪証拠判断省略≫)、右認定事実を加味すると、右虚偽表示ではないかとの疑も解消されたと云わざるを得えない。

よって、被告らの虚偽表示の抗弁は失当である。

三、そこで、つぎに原告の忘恩行為を理由とする本件土地・家屋に対する贈与の撤回の抗弁について判断する。

(一)  当事者間に贈与契約が成立した後、受贈者が贈与者を虐待し、脅迫し、侮辱し、傷害を加え、あるいは殺害したという場合に、受贈者が贈与者ないしその相続人に対して贈与契約の履行として贈与物の引渡や所有権移転登記を請求してきたのに対して、これを認容し受贈者に法的保護を与えることについては、受贈者のなした行為の動機、態様、結果などを考慮したときには場合によっては感情的かつ本能的に抵抗を感じることがあるが、このような感情を反映した法制度がドイツ民法(五三〇条~五三二条)やフランス民法(九五五条ないし九五九条)などにおいては忘恩行為による贈与の撤回として明定されているのに、わが民法には規定がないので、このような感情を保護するため受贈者の履行請求を拒否しえるか否かが問題となる。

ところで、贈与は贈与者が受贈者に対して無償で財産権を移転することを約するものであり、その動機には利他的な場合ばかりでなく、利己的な場合も多いのであるが、その基礎にはいずれの場合にも贈与者が贈与意思を形成するに当っては、贈与者と受贈者との間に存する特別の人間関係が影響を与えている場合が多いであろう。そして、特別の人間関係が影響して贈与意思が形成され、その実行として贈与がなされたような場合には、贈与者の意思としてはその人間関係を維持、発展させる一環として贈与意思を形成したのであるから、その人間関係がその履行前に受贈者の責に帰すべき背徳的事由によって解消された際には、いったん形成された贈与意思もそれに伴い解消され、贈与者において受贈者の履行請求に応じる気持になれないのも無理のないところである。

そこで、このような贈与者の意思を考慮し、贈与者が贈与意思を形成するに至った動機とその後に受贈者がなした行為の動機、態様、結果などを総合的に判断し、贈与意思を形成する基礎となった人間関係が受贈者の責に帰すべき背徳的事由によって解消されたと認められる場合には、そのような受贈者において贈与の履行を求めることが信義則に反するものとして、贈与者ないしその相続人において履行の請求を拒否しえると解するのが相当であり、被告らのなした忘恩行為による贈与の撤回の主張のなかにはこの趣旨が含まれていると思料される。

(二)  そして、前記認定の事実に弁論の全趣旨を総合すると、本件土地・家屋に対する贈与意思はいずれも原告と茂兵衛とが夫婦であるという人間関係を基礎として形成されたものであることが認められるので、つぎに、原告が贈与意思形成の基礎となった夫婦関係をその責に帰すべき背徳的事由によって解消したか否かについて検討してみる。

1  ≪証拠省略≫によると、原告は被告ら主張の時期に茂兵衛所有の別紙株式目録(一)記載の株券を処分し、また、同目録(二)記載の株券を自己名義に名義書替したことは認められるが、この処分および名義書替が茂兵衛の承諾を得ることなく、原告において勝手になしたものであるとする≪証拠省略≫はたやすく信用できないばかりでなく、この処分および名義書替の動機や処分した金員の使途ならびに被告らの主張する宅地四筆の処分についてはなんら立証がない。

2  被告らは原告が茂兵衛死亡後に、茂兵衛名義の預金を引出し、株券を処分し、あるいは茂兵衛が設立した株式会社と競争関係に立つ株式会社を設立したことをもって、茂兵衛との間の人間関係を解消する事由であると主張しているが、贈与者死亡後の事由は贈与者との人間関係を解消したか否かを判断するに当っては考慮する必要がないと解するのが相当である。

3  また、≪証拠省略≫を総合すると、原告が昭和三五年九月一〇日ころ茂兵衛の治療を担当していた中尾、加藤両医師のうち加藤医師の治療を拒否したこと、および原告が茂兵衛のために作っていた粥が黄色化していたことが認められないではないが、加藤医師の治療を拒否したことが茂兵衛の死を早める意図でなされたものであること、および黄色化させた原因が原告にあり、かつ、それが茂兵衛の死を早める機能を有しているものであることについてはなんら立証がない。

以上の1、3の認定事実によると、原告が茂兵衛名義の株券を処分したり、自己名義に名義書替したことや加藤医師の治療を拒否したことが認められるが、右認定事実をもってしても、原告が贈与意思を形成する基礎となった原告と茂兵衛との間の夫婦としての人間関係をその責に帰すべき背徳的事由によって解消したとはいえない。

(三)  そうすると、その余の点について判断するまでもなく、この点に関する被告らの主張は失当である。

四  最後に権利濫用の抗弁について判断すると、本件全証拠によるも原告のなした本件移転登記請求が権利の濫用であることを認定するに足りない。

五  以上の次第で被告ら主張の抗弁はすべて失当であるから、被告ら各自に対して、右各贈与を原因として本件土地・家屋に対して被告らの有する各九分の二の持分について、持分移転登記手続を求める原告の本訴請求はすべて理由があるから認容すべきである。

よって、訴訟費用の負担について民訴法九三条一項本文、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中山博泰)

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