大阪地方裁判所 昭和41年(わ)3151号 判決
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〔判決理由〕(判示事実を認定した理由)
本件においては、被害者は死亡している上に、事故の目撃者はなく、被告人も事故状況についての詳細な記憶を有しないため、事故発生地点、事故当時の被害者の行動等についてはすべて間接証拠によつて推認せざるを得ないので、以下間接事実によつてこれらの点を検討することとする。
第一、本件事故は判示横断歩道上で発生したかどうかの点について
(一) 被告人の事故後の停車についてこの点につき、被告人は、当公判廷において、被害者と接触後急停車し、前示道路東側の共和機械商会前から安全柵を乗り越えないで歩道に上り、南隣りの池永薬局で電話を借りて警察に電話し、その後再び右共和機械商会前から直線的に車の停車位置に戻つた記憶はあるが、池永薬局の真横で停車したのかどうかは分らない旨供述している。従つて、被告人の事故後の停車位置は正確に確定することはできないが、被告人の右供述によれば、被告人の事故後の停車位置は大凡右共和機会商会前付近であつたものと推認され、前掲実況見分調書及び検証調書によれば、前示横断歩道北端から右池永薬局前迄は三〇メートル余、右共和機械商会前迄は四〇メートル足らずの距離である。
(二)、本件事故当時の被告人の車の速度等について
この点については、被告人は、捜査段階において、終始本件事故当時の速度は約五〇キロメートルであつた旨供述しており、証人阪上文一の当公判廷における供述によるも、被告人がこの点を争つた形跡は認められず、被告人自身も、当公判廷において、検察官の取調べの際は当初から時速の点を争うことなく認めた旨供述しており、これらの事情の外、被告人が、司法巡査に対する昭和四一年四月一一日付供述調書中において、「花園町交差点を北へ越して約一〇〇メートル程進行した一つ目の信号のある交差点で信号待ちをして発進したが、前の車が遅く、事故現場へ差しかかる手前で第二車線から追越車線へ出て事故現場の約五〇メートル位手前で貨物車を追い越し、そのまま追越車線を時速約五〇キロメートル位で進行した」と供述している点等を考慮すれば、本件事故当時の被告人の車の速度は時速約五〇キロメートルであつたものと認めざるを得ない。そして、被告人も当公判廷における供述の中で認めているように、本件のような事故の際は狼狽のため通常よりも制動操作が遅れるものと考えられる上に、本件事故当時降雨中であつた点を考慮すれば、時速約五〇キロメートルの速度での制動距離が四〇メートル位迄延びることはあり得ないことではない。
(三)、被害者の本件事故当夜の行動及び被害者の平素の通勤経路等について
前掲小田暉雄及び北岡暢治の司法警察員に対する各供述調書及び司法巡査作成の「交通事故現場周辺の調査について」と題する書面によれば、被害者は、事故当夜判示交差点付近の勤務先である大阪市西成区承見橋通り一丁目七番地の洋裁業北岡暢治方で勤務していたが、残業のため午後一〇時半頃(右小田暉雄の供述調書によれば、同人は、午後一一半頃右北岡方に電話したら一時間位前に被害者が帰つたとのことであつた旨供述している)漸く勤務先を出て帰路についたこと、被害者は、平素判示横断歩道又はその約一三〇メートル南方の鶴見橋交差点の信号機のある横断歩道を渡つて通勤していたこと、被害者は、事故の約半年前長男が交通事故で負傷したことから交通事故に対し用心深くなり、そのためその後は努めて信号機の設置されている鶴見橋交差点の横断歩道を渡るようにしていたこと等の事実が認められる。そして、以上の諸事実を綜合すれば、被害者は、本件事故当夜前記勤務先で勤務していたところ、残業で遅くなつたため帰宅を急ぎ、信号機の設置されていない判示横断歩道を渡つて帰宅する途中であつたものと推認される。なお、弁護人は、本件事故発生地点は右横断歩道より北側である旨主張するが、前掲司法巡査作成の「交通事故現場周辺の調査について」と題する書面によれば、被害者の勤務先から前示交差点に出るには鶴見橋北通りを通るのが最も近道であつて、鶴見橋北通りを東進すれば判示国道二六号線との交差点が判示交差点に当たり、而も、被害者の自宅の所在場所である大阪市西成区海道町は右鶴見橋北通りよりも南側に位置しているのであるから、これらの事情からすれば、被害者が判示横断歩道よりも北側を横断する理由はなく、殊に、交通事故に対し用心深くなつていた被害者が横断歩道以外のところを横断することは特段の事情なき限り考えられないし、又判示横断歩道上を事故発生地点と認めても被告人の車の停車位置との関係では何ら矛盾を生じない。
第二、本件事故当時の被害者の行動及び衝突状況
この点についての想定は、一応次の三場合に限定される。
(一) 判示横断歩道を西から東に向け横断していた被害者が、被告人の車の先行車の通過を待つた後、更に横断を続けようとして被告人の車と衝突した場合
(二) 判示横断歩道を西から東に向け横断していた被害者が、道路中央付近で東側車線の車両の通過を待つため東向けに佇立していて、その佇立している被害者に被告人の車が衝突した場合
(三) 右(二)の場合において、道路中央付近で東側車線の車両の通過を待つため東向けに佇立していた被害者が、東側車線の車両の接近に驚いて東向けの姿勢のまま後退したため被告人の車と衝突した場合
そこで、右三場合の想定の正否につき検討するに、右(一)の場合即ち被害者が被告人の直前を横切つて横断しようとしたのであれば、被告人も当然衝突時迄に気付く筈であろうし、又被告人の車の損傷状況からしても、被告人の車の右斜前方に接触したものと推認されるから、右(一)の想定はその可能性が否定されざるを得ない。次に、右(三)の場合については、被告人の車と大体同じ進路を走つていたと認められる先行車に何らの異常も見られなかつた点から(二)の場合もその可能性が否定される。残るのは右(三)の場合であるが、右(三)の想定は、被告人の車の損傷状況、被害者の負傷の部位(右大腿骨折)、被告人の車の先行車の状況等諸般の状況に最も適合し、その可能性は極めて高く、従つて、被害者は右(三)のような状況下で被告人の車に接触したものと推認するのが相当である。
(被告人の過失の有無についての判断)
前記第二の(三)の想定の如く、被害者が東側車線の車両に驚いて後退した際被告人の車に接触したとしても、被告人の車とその先行車との車間距離が二、三〇メートルであつた点及び被告人の車の速度並びに被害者が東向けの姿勢のまま後退した点を合わせ考えると、被害者の後退は、一、二歩の程度を出ないものと推認され、その後退距離は僅少であつたものと推認される。そして、このような被害者の後退は客観的に予見可能性のある事柄であるから、被告人としては、予め早期に被害者を発見した上、被害者の後退を予見し、直ちに減速徐行するなり、或いは、被害者との間隔を十分に開けてその側方を通過するなどして衝突事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものといわなければならないところ、被告人は、判示認定のような不注意により被害者を早期に発見せず、その結果右のような回避措置をとり得なかつたために本件事故事故を惹起したものと認められるから、この点において被告人は過失を免れない。弁護人は、この点につき、およそ自動車運転者としては車道の横断者が通常の状態則ち進行方向に向つて一定の速度でそのまま横断するものと信頼して自動車を運転すれば足りるのであつて、本件の被害者のような異常な行動まで予見して運転しなければならない義務はない旨主張するが、判示国道二六号線は自動車専用道路ではなく、自動車と歩行者との共用道路であり、而も、本件被害者は横断歩道上を歩行横断中であつたのであるから、このような場合には歩行者よりも自動車運転者に対しより大きな注意義務が課せられるものと解するのが相当であり、弁護人主張のような信頼の原則はその適用がないものと解すべきである。
(訴因変更手続の必要性の有無についての判断)
弁護人は、本件公訴事実は、被告人が本件道路中央付近で佇立していた被害者に自車を衝突させたというのであり、被害者が後退したために被告人の車が衝突したとの事実は本件公訴事実としては主張されていないのであるから、若し、後退した被害者に被告人の車が衝突したとの事実を認定して被告人の過失を認めるためには被告人の防禦権の確保上訴因の変更手続が必要である旨主張するが、本件公訴事実中の被告人の過失は、要するに、被告人は前方左右の注視をおろそかにして進行した過失により、本件道路中央付近に佇立していた被害者を看過しこれに自車を衝突させたというのであり、このような公訴事実に対し、判示認定の如く被害者が後退した事実を加えて被告人の過失を認定したとしても前記公訴事実中の過失の態様自体を変更するものではないし、又本件公訴事実として記載されている過失即ち被告人が前方左右の注視をおろそかにしたとの過失に対し、被告人側が被害者の後退の事実を主張して過失を争うことは、被告人側の防禦方法として当然予想されるところであり、本件においても、被告人は、第一回公判における公訴事実に対する認否の段階から終始右被害者の後退事実を主張して過失を争つており、弁護人も亦、最終弁論において、右事実の存在を前提としても被告人に過失はない旨詳細な弁論をしているのであるから、本件においては、右被害者の後退の事実を加えて被告人の過失を認定したとしても、何ら被告人の防禦権を侵害することにはならないものと解すべきである。(角敬)