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大阪地方裁判所 昭和41年(わ)5478号 判決 1972年3月14日

被告人 松尾利雄

大五・五・一七生 弁護士

主文

被告人は無罪。

理由

(公訴事実)

本件公訴事実は、

被告人は、昭和四一年五月二三日大阪地方裁判所において破産の宣告を受けこれが確定した大阪市西区北堀江御池通四丁目八七番地破産者くろがね工業株式会社の破産管財人であるが、同市北区老松町二丁目一六番地松尾利雄法律事務所において、自己の利益を図る目的をもつて、

第一  昭和四一年六月下旬、破産財団に属するギヤツプシヤーリング等の機械類八台の売得金を自己の用途に充当する目的で、浅井安に対し、秘かに右機械類を代金二五万円で売却処分し、もつて破産財団に属する前記機械類を債権者の不利益に処分し

第二、同年七月下旬頃、株式会社新光製作所代表取締役生悦住守夫等の取得した破産債権者を害する超過配当金の受領行為を被告人において否認したうえ右生悦住守夫等より返還を受けた破産財団に属する約束手形三通(各額面一五万円、額面合計四五万円)及び現金一七一、三五〇円を、秘かに、自己の用途に充当処分し、もつて破産財団に属する右約束手形三通及び現金一七一、三五〇円を債権者の不利益に処分し

第三、同年八月下旬から同年九月上旬頃までの間、株式会社東亜電気商会代理人浜川長秀の取得した破産債権者を害する超過配当金の受領行為を被告人において否認したうえ右株式会社東亜電気商会代理人浅井安より返還を受けた破産財団に属する現金一四万円を、秘かに、自己の用途に充当処分し、もつて破産財団に属する現金一四万円を債権者の不利益に処分し

たものである。

というのであり、右公訴事実は破産法第三七八条、第三七四条第一号に該当するというのである。

(当裁判所の判断)

第一、公訴事実中冒頭の事実について

第二三回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官に対する昭和四一年一二月一五日付および同月二一付各供述調書、ならびに破産事件記録(大阪地方裁判所昭和四一年(フ)第九二号、以下単に本件破産事件記録という。)を総合すると、昭和四一年三月三一日大阪市港区南境川町二丁目四三番地興和シヤーリング株式会社(代表取締役山本実)は、同市西区北堀江御池通四丁目八七番地くろがね工業株式会社(昭和三六年一月一〇日くろがね剪断株式会社として資本金一〇〇万円で設立され、同三八年一〇月一日資本金二、〇〇〇万円、同三九年一一月一日商号をくろがね工業株式会社とそれぞれ変更したもので、鋼板の剪断加工および販売等を営業目的とする。)を被申立人として、大阪地方裁判所に対し破産宣告の申立をし、同年五月二三日同裁判所裁判官志水義文は右くろがね工業株式会社を破産者とする旨の決定をなすとともに、破産管財人として被告人を解任し、その後右破産宣告の決定が確定したことは明らかである。

第二、破産法第三七八条と破産管財人たる被告人の本件行為

一、破産法三七八条(第三七四条)に規定されている詐欺破産罪の本質は、いわゆる破産原因罪であつて、支払停止、支払不能または債務超過等の破産原因をひき起こす行為の処罰を目的とするものである。

このこと、明文をもつて規定されているわけではないが、同条所定の詐欺破産罪か破産原因罪であることは、わが国の破産法の母法国たるドイツおよびフランスにおいても当然のこととして解釈されているところであり、下村末治ら作成の第四五回帝国議会委員会議事録謄本によれば、同議会衆議院破産法案外一件委員会が大正一一年三月一四日破産法第三七四条につき審議した際、作間耕逸委員の「本条の対象となる行為が破産宣告の日以前を無限に遡りうるとすれば、債務者のために甚だ気の毒な事情が生ずる。破産宣告の日より何年間までの行為というように限るつもりはないか。」という質問に対し、司法省参事官三宅正太郎は、「破産宣告と無関係の行為までも罰しようとするものではない。」旨答弁し、司法次官山内確三郎は、「破産に陥るような場合において、それを予期した上で、財産を匿して置かなければ自分の不利益であるというのが詐欺破産である。」「まつたく只今起ろうとしている破産に関係なく為した行為は、すべてこの第三七四条にはいらないというのが趣旨である。」旨述べていることが認められ、現行破産法立法当時、立案者においても破産宣告と関係のある行為のみが同法第三七四条の対象となり得ると考えていたことは明らかであり、四条が「債務者破産宣告ノ前後ヲ問ハス………左ニ掲クル行為ヲ為シ其ノ宣告確定シタルトキハ」と規定している文脈の中に、破産宣告の確定を処罰条件とする趣旨が明らかにされている以外に、「左ニ掲クル行為」と破産宣告ないしその確定との間に少なくとも事実上の牽連関係が存することを要するとする趣旨が含まれているのを読みとることができるのである。そして、同条が犯罪構成要件要素の外ことさら「詐欺破産ノ罪ト為シ」との文言をさしはさんでいるのも、同条がそこに明示的に表現している個々の要件事実の充足のみで犯罪成立に十分とせず、従来詐欺破産罪として考えられて来た犯罪類型を規定するものであることを示そうとしたとも解されるのである。

同条が「破産宣告ノ前後ヲ問ハス………」と規定し、破産宣告後の行為であつてもこれを罰するとしているのは、同条に規定される罪が破産原因罪であることを否定するもののようにみえる。しかしながら、その趣旨とするところは、破産原因は、ことがらの性質上原則としては、破産宣告前の行為に関するものであるが、例外として破産宣告後の行為であつてもいまた破産宣告の確定前において破産原因を一層強度ならしめるに至るものとしてこれを処罰する必要があるものも存することを考慮し、破産宣告の前後を問わず、破産原因を作為する行為を処罰することとしたものと解されるのであつて、同条が破産宣告後の行為をも処罰の対象としているからといつて、破産原因罪を規定するものであることを否定するわけにはいかない。

二、破産法第三七八条の行為主体に破産管財人は含まれないと解すべきである。

同条の規定する詐欺破産罪は、いわゆる破産原因罪であり、破産原因ひいては破産そのものをひき起こす行為を処罰するものであるから、破産裁判所が破産原因について審査を遂げた結果その存在を肯定し破産の宣告をした後初めて選任され、破産手続遂行の中心的機関として破産手続に関与するにいたる破産管財人がその行為主体となることは本来同条の予想しないところであると解される。また、破産管財人は、破産財団の管理処分権を専有し、財団の管理、換価および配当など、破産手続における枢要な職務を善良な管理者の注意をもつて行なうことを要するとともに、破産裁判所の監督に服するのであつて、その地位は国家機関たる性格を有するとは言えないものの、単に破産者または破産債権者等破産関係人の個々的利益を擁護するものではなく、破産目的の遂行上公正中立な立場に立ち、場合によつては、相矛盾する利害の調整に任ずべき公的性格を帯びた機関であり(破産法第三八〇条、第三八一条が破産管財人につき賄賂罪を規定するのは、破産管財人のこの公的性格に着目してのものであると解される。)、破産法上特別の地位を与えられており、同法が破産管財人に関して規定する場合(例えば、第三八〇条および第三八一条)、「破産管財人」と明記し、破産管財人と類似する民法上の法人の清算人に対する過料、商法上の株式会社の清算人等に対する特別罪等および和議法上の管財人に対する罰則についても、いずれも行為主体として明記されている(殊に商法上の株式会社の清算人等に対する罰則については、取締役等と明らかに区別されて、あるいは処罰の対象とされ、あるいは、されなかつたりしている。)のに、詐欺破産罪を定める破産法第三七四条、第三七六条および第三七八条は、破産管財人について明記していない。更に、第三七八条が「債権者及第三七六条ニ規定スル者ニ非スシテ」と規定しているのを、文字どおり債務者および第三七六条に規定する者以外の者はすべてこれに含まれると解するならば、構成要件および刑罰等すべて同じものを、債務者、その法定代理人等およびそれ以外のすべての者と行為主体をさしたる理由もなく三つに分けて規定していることになり合理性を欠くのみならず、第三七八条の前身である旧商法第一〇五二条末段が詐欺破産罪を規定した同法第一〇五〇条の規定を破産管財人にも適用する旨明記していたのにかかわらず、現行破産法においてはその旨の規定を削除しているのである。以上の諸点を総合、勘案すれば、破産法第三七八条の行為主体に破産管財人を含まないものと解するのが相当である。

被告人が本件破産事件の破産管財人であることは、訴因上も証拠上も明白であるので、被告人は同条の規定する詐欺破産の行為者とはなり得ないと言わなければならない。

三、前記のとおり、破産法第三七八条(第三七四条)の規定する詐欺破産罪は、破産原因を作為し、破産そのものをひき起こす行為を処罰するものであるから、その行為は当該破産宣告ないしその確定との間に少なくとも事実上の牽連関係があるものであることを要すると言わなければならない。

本件破産事件記録によれば、前記くろがね工業株式会社(以下単に本件破産会社という。)の破産宣告決定の公告の最終掲載日は、昭和四一年六月七日であり、右決定に対して即時抗告がなされないまま同月二一日が経過したことが認められるので、同日の経過とともに右破産宣告が確定したものと考えられる。そして、本件公訴事実第一の被告人の行為がいつなされたかは、訴因上昭和四一年六月下旬と記載されているのみであり、証拠上も必ずしも詳らかにし得ないところであるので、この点は暫らく措くとしても、公訴事実第二および第三記載の被告人の各行為が、本件破産宣告決定の確定後にされたものであることは、訴因上も証拠上も明白である。

前記のとおり、破産法第三七八条(第三七四条)の規定する詐欺破産罪を構成する行為は、当該破産宣告ないしその確定との間に事実上の牽連関係があるものであることを要し、したがつて、遅くとも破産宣告確定前の行為であることを要すと解すべきであるが、被告人の本件公訴事実のうち、少なくとも第二および第三の各行為は、いずれも、本件破産宣告確定後の行為であるから、破産法第三七八条(第三七四条)に該当しないと言わなければならない。

第三、被告人の本件各行為の不利益処分性

一、破産法第三七四条第一号の「債権者ノ不利益ニ処分スルコト」とは、破産債権の引当となる責任財産を減少させ、破産債権者が可及的多額の満足を得られる利益を害することをいう。前記のように、同条の定める罪は破産原因罪であると解すべきであるから、破産宣告確定後の不利益処分を考える余地はないが、かりに、そのように解しないとするならば、破産宣告確定後債権者にとつて不利益な処分をするとは、とどのつまり配当財団に属する財産を減少させる行為をすることである。

そして、破産宣告を受けた債務者が破産宣告の前に自己の利益を図る目的で破産財団に属すべき財産(通常は債務者の一般財産)を処分することは、常にありうる行為であり、それがいやしくも債権者の受けるべき債権の満足を減少させるおそれのあるものであり、さすれば、すべて犯罪を構成し、これに懲役刑をもつて臨むというのは、債務者の経済的活動の自由および債務者と債権者間のある意味の対立関係からみて、破産宣告を受けた債務者にとつて余りに過酷であり、おそらく法の趣旨とするところであるまいと考えられるのみならず、同号の列挙する「隠匿」、「毀棄」との権衡上からみても、右の「債権者ノ不利益ニ処分スルコト」とは、たとえば法外の廉売または贈与等のように、「隠匿」または「毀棄」にも比すべき程度に明らかに債権者に対し財産上の損害を考えるものであることを要すると解すべきである。

二、そこで、まず公訴事実第一記載の被告人の行為が破産法第三七四条第一号の「債権者ノ不利益ニ処分シタコト」に該当するか否かについて検討する。

(証拠略)を総合すると、被告人は本件破産事件の破産管財人として選任された後間もなく、大阪地方裁判所執行吏田淵博に委任し、本件破産会社堺工場(堺市三宝町七丁三六〇番地の一所在)内にあつた同社所有の本件機械類(ギヤツプシヤーリング一台、スケアーシヤーリング四台、レール付三トンホイスト一台、鉄製作業台大、小一台)に封印をなさしめ、これを保管していたものであるが、かねてより面識のあつた浅井安から右機械類の売却方を申込まれ、数度にわたる交渉の末、同人に対しこれを代金二五万円で売却しようという意思を有するに至つたこと、および昭和四一年六月下旬頃同人から現金二五万円を受取つた事実を認めることができる。そして、被告人は捜査段階においては右売却の事実を認めていたものの、公判廷ではこれを否認し、いずれ浅井に売却しようと内心では考えていたが、売買契約を締結するまでには至らなかつた旨主張する。なるほど、(証拠略)によれば、被告人は本件機械類の換価に必要な裁判所の許可を得ていないことから、これを直ちに浅井に対し売却することをためらつていたのにかかわらず、同人が前記二五万円を調達してもらつた浜川長秀から可及的速やかに右機械類の引渡を受けるようにしてくれと催促され、かなり積極的に売却方を促した結果、被告人もよやくこれに応じた態度をとつたものであり、浅井も本件機械類の売却には一定の法律的手続が必要であることを知つており、被告人に対し五万円を交付した後においても、本件機械類の搬出について被告人の承諾を求め、その承諾を得て始めてこれを搬出したこと、しかも右承諾は浅井が被告人に電話して得たというのであるが、必ずしも明確なものであつたと認められないこと、本件機械類の売買に関する契約および代金の受領を証する書面などは作成されておらず、後日被告人から右機械類の保管証明書を作成持参するよう求められるや、浅井は容易にこれに応じていること、ならびに被告人の法律事務所の事務員も右二五万円は浅井から預つた金銭であるという意識をもつていたことが認められ、これらの事実と右承諾は与えていない旨の当公判廷における被告人の供述(第九回公判調書中の証人垣内輝臣および第一〇回公判調書中の同中谷朋信の各供述部分、ならびに垣内輝臣および中谷朋信の検察官に対する各供述調書中にはこれを裏付けるような証拠もみられる。)および第二三回公判調書中の被告人の供述部分中の売買は確定的でなく、二五万円は預り金と思つていた旨の供述に照らすと、被告人と浅井間の本件機械類の売買契約は成立していないが、少なくとも被告人には右契約を締結する旨の意思を表示するという認識がなかつたのではないかとも考えられるが、第六回および第七回公判調書中の証人浅井安の各供述部分の本件機械類の搬出について被告人の承諾を得たし、最後には被告人は右機械類を譲ると言つた旨の供述と比較し、これを採ることはできない。被告人は本件機械類を浅井に対して売却したと認めるのが相当である。

そうすると、被告人の本件機械類の売却が債権者にとつて不利益であるか否かが問題となる。検察官は起訴状に対する釈明で、被告人の本件売却行為が債権者に不利益であるゆえんは、廉価で売却したことにあるのではなく、その代金を自己の用途に充当する目的で売却したことにあると述べている。田淵博の検察官に対する供述調書によれば、同人が執行吏として本件機械類を封印した際その価額を評定したが、そのとき既にこれらは錆びていただけでなく、モーターや刃物等主要部分を失つており、合計金一九万五、〇〇〇円と評価したことが認められ、右検察官の釈明のとおり、被告人がこれを代金二五万円で売却したのは、廉価売却と言えない。

そこで、被告人がその代金を自己の用途に充当する目的で本件機械類を売却したか否かについて判断する。(証拠略)によれば、被告人は本件機械類の換価について裁判所の許可を得ず、また債権者集会の決議を経なかつたのみならず、第一回の債権者集会において、貨幣有価証券その他の高価品は破産管財人名義で株式会社住友銀行梅田新道支店に寄託保管する旨決議されているにもかかわらず、本件機械類の売却代金を同支店に寄託保管することなく、被告人の法律事務所の金庫内に保管したのち、被告人の垣内輝臣に対する個人的債務の弁済に当てたこと、および破産管財人代理坂本明らが本件機械類の保管場所である前記破産会社堺工場に赴き、右機械類が無くなつているのを知り、警察署に被害届を提出するや、浅井に命じて右機械類の保管証明書を作成して持参させるなど罪証隠滅工作ともみられるような行動に出たことが認められ、これらの事実に鑑みると、被告人が本件機械類を、その代金を自己の用途に充当する目的で、浅井に売却したのではないかという推論も一応成り立つように思われる。しかしながら、(証拠略)を総合すると、本件機械類が保管されていた前記堺工場は無人で、管理が十分にできず、何者かによつて裏出入口が開けられて工場内が荒らされ、什器備品が無くなり、右機械類に附属するモーターおよび刃物等も失われていた状態であり、破産管財人たる被告人としてはこれを遅滞なく換価する必要があり、裁判所の許可を得ようとしていたのであるが、前記のように浅井から速やかに売却してくれるよう促されて、右許可を得ないまま同人に売却したものの、売却後も右許可を得ようとしたが、間もなく右機械類には住友商事株式会社の本件破産会社に対する債権のために譲渡担保が設定されているのを知り、右売却代金がそのまま破産財団に属するものであるか否かにつき疑念を生じ、右許可を得る手続を中止するとともに、住友商事株式会社と交渉のうえ、右譲渡担保の設定を解消してもらおうとしたこと、右売却代金は被告人の法律事務所の金庫内に他と識別できる状態で昭和四一年八月末垣内に対する債務の弁済に充てるまで約二ヵ月間そのまま保管していた(被告人の検察官に対する昭和四一年一二月一五日付、同月一七日付および同月二一日付各供述調書には、いずれも右売却代金二五万円は受領後一週間か一〇日間位金庫に保管した後、被告人の垣内に対する債務の弁済に充てた旨の記載があるが、第二三回および第二四回公判調書中の被告人、第九回公判調書中の証人垣内輝臣および第一〇回公判調書中の同中谷朋信の各供述部分に照らし、これを措信できない。なお、右二五万円が同年八月末ごろ債務の弁済に充てられたことについては検察官も争わない。論告要旨五枚目表末行 )こと、ならびに垣内に対する債務の弁済に充てた後間もなく事務員に命じてその旨帳簿に記載させ後日不明確にならないようにしたことが認められる。そして、被告人が浅井に命じて本件機械類の保管証明書を作成して持参させたのは、被告人の地位および立場等から、正規の手続をふまずに右機械類を売却し、そのために警察問題にまでなつたので外聞を恥じ、その場を一応糊塗するためになしたものであるとも善解し得ないではない。右のような本件機械類売却の経緯、代金の保管方法とその期間、および自己の用途に充当した後の措置などに照らすと、被告人が本件機械類を売却した時、すでにその売却代金を自己の用途に充当する目的をもつていたとするには、合理的な疑いが残ると言わざるを得ない。被告人の検察官に対する昭和四一年一二月一五日付、同月一七日付および同月二一日付各供述調書には、被告人は本件機械類を売却したとき、その代金を自己の用途に充当する目的を有していた旨の供述記載があるが、第二四回公判調書中の被告人および第二〇回公判調書中の証人河田日出男の各供述部分、ならびに医師藤本常彦作成の診断書を総合すると、被告人はかねてより高血圧症であり、弁護士として最も多忙な年末をひかえて一一日間も身柄を拘束され、ほとんど連日のように夜遅くまで取調べを受け、身体的苦痛と精神的打撃が大きく、他方事案を軽視して、たやすく起訴猶予にしてもらえるだろうと判断し、仔細な検討を経ずして供述したものと認められれ、被告人の捜査段階における右供述は、前記各証拠に照らし措信できない。

したがつて、被告人が本件機械類の売却代金を自己の用途に充当する目的で浅井に対して売却したと認めることはできず、その外に右売却を債権者にとつて不利益な処分であるとする理由も見当らないので、被告人が浅井に対して本件機械類を売却したことをもつて、債権者の不利益に処分したとすることはできない。

三、つぎに、公訴事実第二および第三記載の被告人の各行為が破産法第三七四条第一号の「債権者ノ不利益ニ処分シタコト」に該当するか否かについて検討する。

(証拠略)を総合すると、本件破産会社は業績不振のため昭和四〇年一月支払不能に陥つて倒産するに至り、その債権者株式会社東亜電気商会の代理人浜川長秀を債権整理委員長、同債権者株式会社新光製作所代表取締役生悦住守夫および同摂津電気工業株式会社取締役横山茂らを整理委員とする私的な債権整理委員会が設けられ、倒産後間もない頃から同年六月頃までの間にわたり、本件破産会社のいわゆる任意整理(私的整理、内整理)が行われ、同月右債権整理委員会に願出た各債権者に対し残余財産の分配がなされ、債権額の六・三パーセントの割合による分配金が交付されたが、右債権額の六・三パーセントの割合による分配金以外に、右浜川および生悦住は共謀の上、真実の債権額以上の額を本件破産会社に対する債権額として届出させるという方法により、前記株式会社東亜電気商会に対し金三六万一、三一九円を、前記株式会社新光製作所に対し金三一万一、八〇二円を株式会社次井商店に対し金七万円を、前記摂津電気工業株式会社に対し金一三万円をそれぞれ分配、取得させ(以下これを単に特別分配金と称する。)、右浜川は本件破産会社所有の額面四一万二、九六〇円の約束手形一通を現金化し、うち金一三万円を右摂津電気工業株式会社に対する特別分配金に充て、その残額を取得し、右株式会社新光製作所は既に消滅した本件破産会社に対する手形債権二八五万三、一六八円を存在するもののように装つて右債権整理委員会に届出し、右消滅した手形債権についても前記六・三パーセントの割合による分配金の交付を受けたこと、ならびに被告人は本件破産会社の破産管財人に選任され後間もなく右浜川および生悦住らを自己の法律事務所に呼び、右私的整理について説明を求め、保管している資料を提出させるとともに、右特別分配金等の返還を請求し、被告人の法律事務所において、特別分配金等の返還金(以下単に返還金と称する。)として、昭和四一年七月下旬頃額面各一五万円の約束手形三通(支払期日は、同年九月末日から一一月末日まで各月末)および現金一七万一、三五〇円を、同年八月下旬頃から九月上旬頃までの間に現金一四万円の交付を受け、右現金についてはその交付を受けた頃、約束手形については各支払期日まで被告人の法律事務所の机の抽出に入れて置き、支払期日の到来した分ごとに順次住友銀行梅田新道支店の被告人個人の預金口座に入れ、現金化した後間もなく、自己の用途にそれぞれ充当したことが認められる。

倒産状態にある債務者の財産の中から、他の債権者に秘して、これより特に多額の分配を受けるのは、一般債権者を害する行為であつて、破産管財人としては当然その返還を請求すべきものであり、任意に返還がなされたならば、これは破産財団に属すべき財産であることは言うまでもなく、これを破産管財人が自己の用途に充当することは、原則として許されず、債権者にとつて不利益な処分をすることになると言わなければならない。しかしながら、前記のとおり、債権者に不利益な処分とは、究極のところ配当財団に属する財産を減少させる行為であり、かつ、法外の廉売または贈与のように、隠匿または毀棄にも比すべき程度に明らかに債権者に対して財産上の損害を与えるものであることを要すると解すべきであるから、金銭または有価証券のように完全な代替性を有し、いわば価値そのものとみられるようなものを自己の用途に充当した場合、破産制度の目的に反することなく、必要な時には他の金銭をもつて確実に代替させうべき状態の下で、これを一時流用したとしても、例外的に債権者の不利益に処分したと言えない場合もあると言わなければならない。

(証拠略)を総合すると、被告人は本件破産事件の破産管財人に選任されるや直ちに大阪地方裁判所執行吏田淵博に委任して本件機械類を封印させ、昭和四一年六月二一日付報告書をもつて、本件破産会社に属する不動産の調査状況および前記東亜電気商会等の特別分配金の件についても同年五月三〇日調査を開始し、目下調査中であるが相当額回収見込である旨破産裁判所に報告し、同月二七日大阪地方裁判所に本件破産会社に属する不動産の保全仮処分の申立をなし、破産管財人代理として弁護士坂本明を選任するよう取り計らつて欲しいと依頼されるや、気安くこれに応じ、担当裁判官にその旨を申出て、従来何の関係もなかつた同弁護士を破産管財人代理として選任してもらい、その後間もなく被告人が保管していた本件破産事件の関係書類をすべて同人に引き継ぎ、破産手続の遂行をある程度自由にさせるとともに自らも特別分配金等の回収に努めたことが認められ、これらの事実に照らすと、被告人は本件破産事件の破産管財人として誠実にその職務を遂行しようとしていたこと、および右特別分配金の返還については、いずれ間もなく破産管財人代理および破産裁判所等の知るところとなることを被告人も知悉していたことが窺われ、被告人は昭和三一年法曹資格を得て大阪弁護士会に登録し、同市内で開業する弁護士であり、後記のように手持現金に不足することはあつたとは言え、経営状態が全体として行き詰まつていたものではなく、妻および娘などからなる円満な家庭をもち、平穏な生活を送つていたものであつて、少くとも社会的糾弾を浴びることを覚悟してまで本件返還金程度の額の金銭を最終的に自己のものとして費消してしまおうとしたとは到底考えられず、現に被告人の検察官に対する各供述調書を検討しても右のごとき趣旨をも認めたものとは解し難く、かえつて、右供述調書の中には、被告人が流用した金銭をいずれ返還する意向であつたことを窺わせる供述がある(被告人の検察官に対する昭和四一年一二月一五日付供述調書第一三項)ところからすると、被告人が右返還金を自己の用途に充当したのは、むしろ一時的な流用ではないかという公算が大きいと言うべきである。

そして、(証拠略)によれば、被告人は本件行為当時主たる債務だけで合計金五百数十万円、保証債務を含めると合計金六百数十万円の借金を負つていたものと認められ、手持現金に不足し、そのやり繰りに苦労していたことは否定し難いが、(証拠略)を総合すると、被告人の営む法律事務所には相当数の事件依頼者もあり、その収益も決して少ないものではない上、右債務の大部分は、親しい知人などから借りたもので、返済を猶予してもらえるものであるし、本件行為当時被告人の所有する堺市丈六三五六番地の一田一反一畝一歩を尾西繁蔵に代金約五四六万円で売却する話があり、昭和四一年九月六日被告人は内金一五〇万円を受け取り、残代金も翌年二月には受領できることになつており、右同所三七四番地に家屋約三三坪および敷地一〇四坪を有する外宅地等の不動産を所有していたこと、被告人が逮捕された直前の昭和四一年一二月一四日現在株式会社住友銀行梅田新道支店における被告人名義の普通預金口座の残高は二口で合計八四万九、三三〇円であつたことが認められ、これらの事実と弁護士として有する経済的信用をあわせ考えると、被告人資産状態は全体として必ずしも劣悪なものではなかつたと言うことができる。更に、第二四回公判調書中の被告人の供述部分ならびに押収してある金銭出納帳(昭和四二年押第九二〇号の二一)によると、被告人は右返還金受領の事実が後日不明確にならないように本件破産会社の破産管財人作成名義の金銭出納帳(昭和四二年押第九二〇号の二一)に仮受金の項を設け、事務員に記帳させていることが認められ(検察官は、右記載はその体裁および内容からみて、本件犯行後整理記入されたものであると主張するが、右記載はその文字の大きさおよびインクの色等からみて、同一の機会にすべて記入されたものでなく、その一部分は遅くとも昭和四一年一〇月中に記載されたものであると推認されるし、本件行為後まとめて記入されたものがあるからと言つて、必ずしも罪証隠滅のために記載されたと言うことはできない。)、他方第一五回公判調書中の証人坂本明の供述部分および本件破産事件記録によれば右破産手続の進捗状況は、被告人の本件行為当時まだ届出破産債権に対する破産管財人の認否も済んでおらず、昭和四四年に至つても中間配当すらなされていないことが明らかで、本件破産手続はまたその緒についたばかりであつたと言うことができ、被告人は本件で逮捕勾留され、釈放された直後、株式会社住友銀行梅田新道支店における前記の預金を払戻すことなく、前記機械類の代金および返還金に相当する金銭全額を指定銀行の破産管財人名義の口座に預金していることなどを総合すると、被告人は右返還金を一時的に流用したものの、必要な時にはいつでも破産財団に組み入れることができる状態にあつたものと言つてさしつかえなく、主観的にも被告人は前記のような社会的地位、経歴および家庭環境、ならびに本件破産事件の手続遂行の態度などからみて、右返還金を必要な時はいつでも破産財団に組み入れる意志があつたと認められ、右のような取扱いが破産管財人の職責上相当でないことはもちろんであるが、債務者の全財産を確保して総債権者の公平かつ可及的多額の満足を図るという破産制度の目的とするところと特に相反するという程のものではないと言うことができる。したがつて、被告人が本件返還金を自己の用途に充当した行為は、破産法第三七四条第一号の「債権者ノ不利益ニ処分シタコト」に該当しない。

なお、(証拠略)を総合すると、被告人は前記浜川らに対し特別分配金全額の返還を求めたが、同人らは整理委員として本件破産会社の財産の整理に当たり、費用等を要したとして一部返還の免除を求め、被告人もその点考慮せざるを得ないかも知れないと考えて、右必要経費の明細書を提出するように求めており、返還すべき金額が確定しないまま、本件返還金を受領し、公訴事実第二記載の返還金については、「仮預り証」を右浜川宛に発行し、公訴事実第三記載の返還金については、受領を証する書面を全く発行しておらず、前記金銭出納簿(昭和四二年押第九二〇号の二一)にも「仮受金」として右返還金の入金を記帳していること、ならびに公訴事実第二記載の行為の際同時に受取つた約束手形六枚について、前記生悦住が交付すべき筋合のものではなかつたとして返還を求めるや、被告人は容易にこれに応じて、返還していることが認められ、これらの事実に照らすと、被告人は本件返還金を、破産管財人が破産財団に属するものとして受取り、かつ保管すべき特別分配金等の返還金そのものと意識しておらず、返還金の額等が確定するまで一応預かつて置くものであるという程度の認識しかなかつたのではないかと思われ、被告人が公訴事実第二および第三の各行為をなした際、破産財団に属する財産を債権者の不利益に処分するという犯意を有していたとするにも合理的な疑いが残るのである。

第四、結論

よつて、本件公訴事実は罪とならないか犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

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