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大阪地方裁判所 昭和41年(タ)162号 判決 1969年9月17日

原告 吉野一郎

右訴訟代理人弁護士 江谷英男

被告 吉野ミサ子

右訴訟代理人弁護士 鈴木正一

右訴訟復代理人弁護士 真柄政一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は、「被告と亡吉野一和との間の昭和三九年七月一〇日鹿児島県加世田市長受理にかかる届出でした養子縁組は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め(た。)≪以下事実省略≫

理由

一、≪証拠省略≫によると、被告と吉野一和との間の養子縁組届が、昭和三九年七月一〇日鹿児島県加世田市長によって受理されていることを認めることができる。

二、原告は、右届出による縁組は無効であるとして種々主張するので、以下これらの点を審究する。

≪証拠省略≫を綜合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告(大正九年九月一二日生)は吉野一和(明治二九年一〇月七日生。昭和四〇年一一月二四日死亡)とイト(大正一四年二月二八日死亡)夫婦の間の独り子であり、被告(大正一〇年三月三〇日生)は父が一和の異父兄にあたるところから、一和とは叔父姪の関係にある。

(二)  一和は、大正末年頃から高槻市において建築請負業(大工)を始め、内縁の妻松田サチと同居生活を続けていた。原告は小学校卒業後郷里鹿児島から父一和のもとにひきとられて成長したが、戦後一和の許をとび出して長崎県の○○炭坑で働いていたことがあり、この間女と同棲したり、一和が連れ戻しに行っても帰らなかったりして、数年後同人の依頼をうけた近隣の者が迎えに行って、やっと戻ってくるという状態であった。それでもなお一和は、その後原告によい妻を迎えてやろうとして、郷里の鹿児島県加世田市へ原告の嫁さがしに帰り、遠縁にあたる東サヨの紹介で吉田(旧姓)京子に白羽の矢を立て、種々奔走した結果、昭和二八年に原告を右京子と結婚させるに至った。ところが半年位にして、一和の大工の跡を継ぐことをきらった原告が、当時自動車運転手をしていた会社の勤務上の関係などから、原告夫婦は右会社の社宅に移り住んだが、この転宅は一和の願望に副うものではなかった。原告夫婦は、サチが死亡した昭和三三年一月三〇日以後も、一和と別居したままであったが、その後一和の要請で、同人方から二〇〇メートル程離れたところにある同人所有のアパートに住むようになり、また一和は孫である原告の二子(長男順一昭和二八年一二月二七日生、二男順吉同三三年八月一一日生)に対しては、物を与えたり、人に孫自慢をしたりしていた。しかし一和は、頑固で几帳面な性格であって、原告に自分の仕事の跡継ぎをさせることを強く望んでいたものの、原告がその期待にこたえないことなどから、死に至るまで原告に満たされない気持をいだいていた。

(三)  被告は、昭和二一年に永野大吉と結婚し(届出は同二二年二月一五日。なお同三〇年一一月二五日協議離婚)、その間に長女安子(同二二年二月二日生)、及び長男哲(同二五年三月六日生)の二子を儲けたが、右大吉は同二九年頃勤務先の自衛隊を退職して行方不明になってしまった。そこで被告は、爾後の身の振り方について考慮せねばならぬ立場にあったところ、丁度その頃一和方では前記のように原告夫婦がすでに家を出ており、一和の内妻サチは一和よりも七才位年長の高令者で、何かと人手が足りない状態であったので、一和やサチの希望とも合致した結果、同年終り頃被告は長男哲と共に一和方に身を寄せ(長女安子は二年程後にひきとる)、家事や建築請負業の事務の手伝に従事することとなった。一方サチは、昭和三一年八月頃路上で自転車をよけようとして転んで負傷し、床に臥す身となったが、その傷が治らないまま、病を得て同三三年一月三日に死亡した。サチが負傷して床につくようになって以後は、被告は熱心にサチの看護に当ると共に、一和方の家計を取り仕切ることとなり、その死亡後も被告は依然二子と共に一和との同居生活を続けた。

(四)  昭和三九年二月頃、一和は高血圧症と急性胆嚢炎のため、建築請負業ができなくなったので、郷里にある祖先の墓や土地の整理をしようとして加世田市に帰ったが、同年三月頃同地において高血圧で倒れた。その療養中一和は、それまでサチや自分が長い間世話になったことの謝意と、自分の死後における吉野家の先祖及び自身の祭祀を被告に託したいというかねてからの意図のしるしとして、被告に自己の財産を贈与することを決意し、被告の知合いで同市の司法書士東明義に相談したところ、同人から税金対策や手続上からみて生前贈与や遺贈よりも養子縁組の方が難点が少ないという趣旨の示唆をうけて、結局その道を選ぶこととし、被告もまた一和の意思に従って養子縁組に同意するに至った。かくして、東明義は右両名からの依頼により、縁組届書を整えて、同年七月一〇日加世田市長にこれを届け出、受理されたのである。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

三、≪証拠省略≫によれば、一和も被告もこの縁組について、別段親族や縁者に披露したことはなく、またことさら養親子然と振舞ったこともなく、原告なども一和の死亡(届出昭和四〇年一一月二四日)後、始めて二人の縁組を知った位であったこと、及びサチの死後一和が特定の者に対して被告を指すのに家内と呼んだことがあったり、被告が近隣の者達から奥さんと呼ばれたりしていたことが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。更に右各証拠に被告本人尋問の結果の一部を綜合すれば、一和は前示のとおり頑固で几帳面な性格の反面、女性関係にはややゆるいところがあったこと、被告は一和方に同居して間もなく、住込の職人今村某にいたずらされ、一和の知るところとなったこと、被告はこれを契機に二階から階下四畳半に寝床を移し、一和とサチの寝所である六畳間と隣りあわせになったこと、サチは夜ひとり映画を見に行くことがあり、且つ足を負傷した後しばらくして二階に床をとるようになったこと、住込職人東光一はサチの負傷前、一和と被告とが階下六畳間で同一のふとんに寝ていることを目撃したこと、及びサチ自身、その負傷後懇意の大谷アサノに、一和と被告とが夜分階下で一緒になっている確かな証拠を押えたと述べたことがあることが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

しかし、以上の事実が認められるからといって、一和と被告とをめぐる年令、身分関係、生活事情等が前記のとおりの本件においてはこれらを以て一和に縁組意思はおろか、届出意思すらもなかったことの反証とするには足りない。また、さきにみたところから、一和の縁組意思の中に、被告への財産の贈与という比重が重きを占めていることは明瞭であるが、それは直接的表面的な動機にすぎず、真意は財産を贈与するという行為を通して、原告ならぬ被告を、自己及び自己の先祖の祭祀を司る者と定めることにあったことも、容易にうかがわれるところである。そうである以上、一般に縁組意思とは、親子関係を成立させる意思と言い得るけれども、その親子関係は社会通念によって決するのほかなく、社会通念は、当事者の年令、境遇、職業その他によって、親子関係の核となる標識を多様化する、たとえば本件の一和と被告の如く、かなりの高年令者間のいわゆる成年養子縁組にあっては、親子らしい情愛の交流を軸とする生活実態よりも、永世への願望を秘めた養親側の財産ないし祭祀の養子側への承継を以て、親子関係の標識として、より素直に受容することが、当代における社会通念というべきである。この場合、たとい縁組当事者間に情交関係が存在したとしても、ただそのことによって、当然に縁組意思まで否定されねばならないとする推論も成り立たなければ、事実上の牽連関係も認められない(この点は公序良俗違反との関係で更に後に触れる)。従っていずれにせよ、本件縁組届出に当り、一和と被告の双方に縁組意思の欠缺を認めることはできない。

最後に、縁組当事者間に届出による縁組意思が認められるが、当時情交関係が存在した場合には、その縁組が公序良俗違反として無効とならないかを検討する(かような場合に、およそ身分法には民法総則は適用されないから、民法九〇条による有効無効を論ずることは意味をなさないとの説もあろうが、同条を適用ないし準用することを一概に排斥するのは疑問であるので、ひとまず論をすすめることとする)。先ず、もしいかなる態様にせよ情交関係が存在しさえすれば、当然絶対的に縁組が公序良俗違反の評価をうけるべきものとすることの相当でない所以は、情交の事実がたまたま一回の過ちにすぎなかった場合を想定すれば直ちに首肯し得るところであろう。それ故問題は、当事者間の情交関係の存否ではなくてその態様であり、更に言えば、そのことによって特徴づけられる両者の生活関係自体なのである。即ち、もしそれが、そこに養親子関係(但しさきにみたように、その標識は多様である)の成立を認めるならば、強い反倫理的感情を一般人に催させる程度のものである場合は、縁組自体まさに公序良俗違反として無効とされねばならない(或いはさかのぼって縁組意思自体の欠缺を認め、民法八〇二条一号に則って無効とすることも可能なこともあろう)が、その程度に達しない場合には、一概にそこまでの帰結を導くのは相当でないというべきである。蓋し、養親子関係、とりわけ成年者間の縁組によるそれは、嫡出親子関係を創出するけれども、所詮擬制されたものであって、そこに自ら一定の合理的な型があるとはいえ、多様な目的による多様な生活関係を必然的に容認するものであり、従って右の程度に達しない情交関係の存在によっては、かげりを与えられても死を意味しない場合があるからである。これを本件についてみると、一和と被告との年令、被告が一和のもとに同居し、これを継続した事情、縁組の目的と縁組に至るまでの両者の生活態様等は前認定のとおりであって、成程一和と被告とは叔父姪の間柄にあり、その情交関係もたまたま一回のあやまちということではないことが窺われるけれども、他面反復継続してはばからないといった類いのものとは異り、むしろ叔父と姪という間柄からくる自制の面がおもてに出て、一和死亡に至るまで、養親子然たる振舞もなかったかわりに、事実上の夫婦然たる生活関係も遂に形成されなかったことが、本件にあらわれた全証拠及び弁論の全趣旨を綜合した帰結と断じ得る。以上を勘案すれば、一和と被告との右の如き情交関係の存在を以てしては、本件縁組が一般人に強い反倫理的感情を催させるものとはいい難く、未だ公序良俗違反として無効とするには至らないものというべきである。

四、以上のとおりであるから、原告の本訴請求は理由がなく、棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条を適用した上、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高野耕一 裁判官杉山伸顕、裁判官吉田昭は転任のため署名捺印できない。裁判長裁判官 高野耕一)

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