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大阪地方裁判所 昭和41年(ワ)3899号 判決 1968年1月29日

原告 谷川太郎

右訴訟代理人弁護士 吉田鉄次郎

被告 岩山花子

<ほか一名>

右被告両名訴訟代理人弁護士 豊蔵利忠

同 赤松進

主文

原告の第一次的請求および予備的請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、第一次的請求として、「被告らは、原告に対し、連帯して金一、二四八、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年九月一六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および担保を条件とする仮執行の宣言、予備的請求として、「被告らは、原告に対し、連帯して金五一五、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年九月一六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。被告らは、原告に対し、連帯して別紙目録記載の物件を引き渡せ。右物件を引き渡すことができないときは、被告らは、原告に対し、連帯して金七三三、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年九月一六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

「一、原告は、訴外○○○○、同○○○○の媒酌により、被告岩山正夫の二女である被告花子(昭和四年生)との婚約がととのい、昭和四一年二月一日、被告らに対し、結納として、金一三、〇〇〇円で買い整えた結納の印に結納金二〇〇、〇〇〇円を、白金唐草入エンゲージリング一個(購入価額金一〇、〇〇〇円)および白金台一・三カラットダイヤ入指輪一個(同金五四〇、〇〇〇円)を添えて納めた。そして、当時○○○○銀行○○支店に勤務していた被告花子は、同年三月三一日、同銀行を退職した。

二、右婚約成立後の交際期間中において、原告は被告花子に対し、次のとおり金品を贈与した。

(イ)  同年四月三日ごろ、被告花子の要求により、同女が自動車運転免許を取得するための費用として金一〇〇、〇〇〇万円。

(ロ)  同年五月上旬ごろ、女持ローレックス第六五一七時計一個(購入価額金一二五、〇〇〇円)および二連真珠ネックレス一個(同四五、〇〇〇円)

(ハ)  同月一〇日ごろ、一四金台オパールネックレス一個(同一三、〇〇〇円)、和服(訪問着、同四〇、〇〇〇円)、洋服(同三〇、〇〇〇円)および帽子(同三、〇〇〇円)

(ニ)  同月二〇日ごろ麻帯(同二九、〇〇〇円)

(ホ)  右と同じころ、新婚旅行の費用として金一〇〇、〇〇〇円

右(ロ)ないし(ホ)の各物品も、被告花子の要求により贈与したものである。

三、しかし、本件婚約は、被告らが、原告から金品を詐取するため共謀してした欺罔行為によってなされたものである。

即ち、被告らは、本件結納の授受以後は、前記のとおり原告から金品を取得することのみに終始したばかりでなく、同年二月一三日ごろ、被告らの要請により原告が被告方を訪問したところ、被告らは、「花子のために花子名義で一、〇〇〇万円の銀行預金をしてもらいたい」とくり返し要求し、原告は婚姻前のことゆえこれを断ったが、その後は、挙式費用は全部原告において負担してもらいたいなどとくり返して、原告から金品を出させようとし、これがため原告はいたく、被告らの心情に嫌気がさした。そして、同年五月三一日、原告は被告花子との約束により、新婚旅行にハワイに行くための渡航手続をするため、三井航空株式会社に行く予定にしていたところ、同日午前中、突然税務署から原告の営業上の関係について厳重な取調を受け、これがため原告は相当な精神的疲労を覚え、また被告花子と会う時間も迫っていたので、服装もかまわず、ネクタイも結ばないで急いで右航空会社にかけつけたところ、被告花子は原告の服装が乱れているのに目を着けて、同会社の従業員や顧客ら多数の面前で、「外出するのにネクタイも結ばないで出るとは何ですか」などと大声で原告を罵倒しつづけ、これがため原告は大いに面目を失った。

かくして、被告花子の右所為は、被告らが原告から、すでに取れるものは取ってしまったので、本件婚約を原告の方から破棄させようとしむけた悪質な計画的結婚詐欺であることに気ずいた原告は、同年六月三日、媒酌人を通じて被告花子に対し、本件婚約を破棄する旨通告した。

このように被告花子が原告から金品の贈与を受けたのは、被告らが共謀のうえ、被告花子においてその意思もないのに原告と婚姻するものの如くふるまい、よって、原告をして、真実、被告花子と婚姻できるものと誤信させて、本件婚約を成立させ、その誤信に基き、結納をはじめとして各金品を贈与させて、騙取したものであるから、被告らの前記一連の行為は、原告に対する詐欺による共同不法行為であるといわなければならない。

原告は、本件不法行為の結果、被告らに贈与した結納をはじめとする金員金四〇万円および本件不法行為当時における右物品の価額合計金八四八、〇〇〇円、以上総計金一、二四八、〇〇〇円相当の損害をこうむった。

そこで、原告は、第一次的請求として、被告らに対し、連帯して右損害金一、二四八、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四一年九月一六日以降右支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四、かりに、前記不法行為の主張が理由がないとしても、前述のとおり、被告らは原告から金品を詐取しようと企て、共謀のうえ、被告花子においてその意思もないのに原告と婚姻するものの如くふるまって、原告との間に婚約を成立させ、その旨誤信した原告は、前記のとおり被告花子の要求により結納をはじめとする各金品を贈与したものである。よって原告は、昭和四一年一〇月一四日午後二時の本訴準備手続期日において前記結納をはじめとするすべての金品の贈与の意思表示を取り消す旨の意思表示をしたから、被告らは右結納をはじめとする各金品を不当利得として原告に返還すべき義務がある。

また、かりに、右主張が理由がないとしても、原告が被告らに対し贈与した結納およびそれ以外の金品は、婚姻の不成立を解除条件とする贈与であるところ、前記のとおり本件婚約は解消され、従って解除条件が成就したから、被告らは前記結納をはじめとする各金品を不当利得として原告に返還すべき義務がある。

しかして、原告が被告に贈与した物品のうち、別紙目録記載の物品は、使用してもその価値は減じないが、その他の物品は一度使用すればその価値が減少するものである。

そこで原告は予備的請求として、被告らに対し、連帯して、原告が被告らに交付した金員金四〇〇、〇〇〇円および物品のうち別紙目録記載以外のものの返還にかえてその購入価額合計金一一五、〇〇〇円、以上総計金五一五、〇〇〇およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四一年九月一六日以降支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による利息金ならびに別紙目録記載の各物件の引渡を求め、もし右各物品の引渡ができないときは履行に代る損害賠償として、右各物件の本件口頭弁論終結当時の価額合計金七三三、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四一年九月一六日以降支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

被告ら訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、

「原告主張の請求原因事実中、第一項の事実は認める。ただし、結納授受の日は昭和四一年二月二三日である。同第二項の(イ)の事実のうち、被告花子が金一〇〇、〇〇〇円を受取ったことは認めるが、その余の事実は否認する。右金員は、被告花子が○○○○銀行を退職した昭和四一年三月三一日から、結婚式予定日であった同年六月二五日までの三ヶ月分の小づかいとして受領したものであり、被告花子からこれを要求したことはない。同(ロ)の事実は認めるが、その価額については知らない。同(ハ)の事実中、和服の贈与を受けたことは否認するが、その余の事実は認める。同(ニ)の事実は認めるが、その価額は金一九、〇〇〇円である。同(ホ)の事実は認める。しかし右(ロ)ないし(ホ)の各物品は被告花子が要求したものではない。第三項の事実中、原告が被告らを訪問したこと(ただし、その日は二月一三日ではなく三月二〇である。)、五月三一日午後、原告と被告花子とが三井航空に行ったこと、原告が税務署から取調べを受けたこと、原告が、原告主張の日時に、被告らに対し、本件婚約を破棄する旨申し入れたこと、原告が、その主張の日時に、贈与を取り消す旨の意思表示をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

この点に関する被告らの主張は次のとおりである。即ち、原告は、三月二〇日、その養女との間の紛争について、あらかじめ被告らに話しておくため、自から被告方を訪問したものである。また一〇〇〇万円の預金の件についても、当日被告らが要求したのではなく、原告は当時六五才の高令であり、本件結納の授受の後まもなく高血圧のため転倒したことがあり、また常時多量の飲酒をするので、将来原告に万一のことがあった場合の被告花子の生活を心配した被告清二が原告に対し、なんらかの形で将来の被告花子の生活の保障をして欲しいと懇願し、原告も快くこれを受け入れ、自ら、被告らに対し資本金一〇〇〇万円の不動産会社を設立してその株式を共有するとか、あるいは被告花子のため一〇〇〇万円の信託預金をする、などと言明したものである。また結婚式の費用についても、世間なみに原告六分、被告ら四分の割合で負担する約であった。

ところで、被告花子は六月二五日午後四時半新大阪ホテルにおいて原告と結婚式を挙げるべく、その衣裳等一式をととのえ、同月一日ごろ、その招待状を発送し、挙式の日を待っていたところ、同月三日に至り、突然原告から、何の理由も示されず一方的に本件婚約破棄の通告を受けたのであり、それ以後被告らは、たびたび媒酌人を通じて原告に対し、話し合いを申し入れたが、原告からなんらの返事もないまま今日に及んだものである。同第四項の事実中、原告が、その主張の日時に本件各贈与を取り消す旨の意思表示をしたこと、および本件婚約が解消されたことは認めるが、本件結納をはじめとする前記各贈与が、被告らの欺罔行為によるものであるとの事実、および右各贈与が婚姻不成立を解除条件とする贈与であるとの事実は否認する。本件結納をはじめとする各金品は、次の如き動機によって被告花子に贈与されたものである。即ち、原告は昭和四〇年六月、その妻と死別し、それ以後、後妻を捜すため前後十数回も見合をなし、その一七人目である被告花子とようやく本件婚約が成立したものであって、原告は○○産業株式会社の代表取締役であるほか、個人として数億円の財産を有しているなど、その社会的地位からすれば、本件結納をはじめとする各金品の贈与は、婚姻の成立を最終目的としてなされたものではなく、原告が、一七人目である被告花子との見合でかろうじて婚約が成立したことを祝し、その成立の記念ないし祝意の現れとしてなされたものであって、原告主張の如き性質のものではないから、本件婚約が解消されても被告らに返還義務はない。」

と述べ、抗弁として次のとおり述べた。

「一、かりに、本件結納等の金品が、原告主張の如く婚姻不成立を解除条件とする贈与であるとしても、本件婚約は、前記のとおり、原告がなんら正当な理由がなく一方的に破棄して、その条件を故意に成就せしめたのであるから、信義則上、右条件は不成就に確定したとみなすべきであり、従って原告は被告らに対し本件各金品の返還を請求することはできない。

二、かりに被告らの前記主張が認められないとしても、被告花子は原告に対し次のとおりの債権を有している。即ち、

(1)  被告花子は昭和四年に出生し、昭和二一年○○高等女学校を卒業後、○○女子専門学校に進学したが一年で中退して、○○○○銀行○○支店に入社し、以来昭和四一年三月三一日まで一八年一一ヶ月間勤務していたものであり、本件婚約まで結婚の経験を有しない女子であるが、本件婚約のため前記銀行を退職してからは、もっぱら結婚の準備にいそしみ、親類友人らに結婚式の招待状を出したり、新婚旅行でハワイに行く渡航手続をすませて、来るべき同年六月二五日の挙式の日を待ちわびていたところ、前記のとおり原告の理由のない本件婚約破棄によって著しい精神上の苦痛をこうむった。右苦痛に対する慰藉料は金一、〇〇〇、〇〇〇円を相当とする。

(2)  被告花子は、本件婚約のため次のとおりの支出をしたが、本件婚約が解消されたため、すべて無用の出費となり、結局被告花子は右出費額の合計金三二〇、五〇〇円と同額の損害をこうむった。

(イ)  本件婚約に伴い、原告の要求により、昭和四一年四月一一日から自動車運転免許を得るため自動車練習所に入校した際の授業料金四六、〇〇〇円。

(ロ)  結婚用の衣裳の新調に金二二〇、〇〇〇円

(ハ)  新婚旅行としてハワイに行くためのパスポート交付手数料金一、五〇〇円

(ニ)  かつら合せ代金五〇〇円

(ホ)  結納受取用の紙代金二、〇〇〇円

(ヘ)  座ぶとん購入代金五、五〇〇円

(ト)  結納本膳代金一二、〇〇〇円

(チ)  媒酌人お礼金二〇、〇〇〇円

(リ)  結納用写真代金一〇、〇〇〇円

(ヌ)  雑費金三、〇〇〇円

(3)  被告花子は、本件婚約の成立を祝した親類友人から、お祝い品を受領したが、結局右は破棄されたため、右受領したお祝い品のお返しとして金三〇、〇〇〇円の支出をなし、同額の損害をこうむった。

(4)  被告花子は、婚約成立後原告の要請により昭和四一年三月三一日前記銀行を退職し、翌昭和四二年五月一七日○○工業株式会社に再就職するまでは無職であった。

ところで、同銀行における昭和四一年三月分の給与手取り額は金四〇、七三一円であったから、同年四月一日以降、再就職した前日である昭和四二年五月一六日までの同銀行からの給与手取総額は、金五四九、七三三円であり、また慰労金は半年で手取り金一六九、〇八九円であるから、昭和四一年四月一日以降翌昭和四二年五月一六日までの慰労金合計額は、金三八〇、四五〇円となり、結局被告花子は昭和四一年四月一日から昭和四二年五月一六日まで同銀行から合計金九三〇、一八三円の収入を得べきところ、被告花子は昭和四一年七月二四日から昭和四二年三月三一日まで失業保険金として金二六一、六〇〇円を受領したので、結局その差額金六六八、五八三円が右期間における得べかりし収入である。

次に、前記銀行における定年は満五五才であり、被告花子は昭和四年六月一三日生れであるから、昭和五九年六月末日まで同銀行に勤務し得たところ、被告花子が再就職した前記○○工業における一ヶ月の収入は手取り二九、〇〇〇円であるので、前記銀行より一月当り金一一、七二一円の収入減となり、結局被告花子が同銀行に定年時まで勤務したとすれば、現在の職場を満五五才まで勤務した場合よりも、金二、三九一、〇八四円多くの収入を得べきはずであったのであり、従って被告花子は本件婚約破棄により、前記六六八、五八三円および右二、三九一、〇八四円の合計金三、〇五九、六六七円の得べかりし利益を失ったことになる。

以上のとおり被告花子は原告に対し損害賠償請求権を有しているので、以上のうち(1)および(2)の合計金一、三二〇、五〇〇円については、昭和四一年一〇月一四日午後二時の本訴準備手続期日において、(3)および(4)の合計金三、〇八九、六六七円については昭和四二年一〇月二四日午前一一時の本件口頭弁論期日において、いずれも原告の請求金額と対当額において相殺の意思表示をする。」

原告訴訟代理人は、被告らの抗弁に対し、

「被告らの抗弁事実第一項は否認する。第二項の事実中、(1)は否認する。本件婚約破棄の原因は被告らにあるものである。同(2)のうち、(イ)、(ロ)、(ヘ)については、かりに被告ら主張のとおりとしても被告らに損害は生じていない、(ハ)、(ニ)、(ホ)、(ト)、(チ)については、かりに被告らの主張どおりとしても、本件婚約破棄の原因は被告らにあるから、右出資は被告らの損害となるいわれがない、(リ)および(ヌ)は知らない。同(3)および(4)については、本件訴訟は準備手続を経由したところ、右(3)および(4)の主張は昭和四二年一〇月二四日の本件口頭弁論期日においてはじめて提出されたものであり、時機におくれたものであるから却下さるべきである。然らずとしても、右(3)は知らない、(4)については被告花子がその主張の日時に○○○○銀行を退職したことは認めるが、その余の事実は知らない。」

と述べた。

立証≪省略≫

理由

原告が、訴外○○○○、同○○○○の媒酌により、被告岩山正夫の二女である被告花子と婚約し、被告らに対し、原告主張の金品を結納として納めたことは当事者間に争いがなく、被告両名本人尋問の各結果によれば、右結納授受は昭和四一年二月二三日になされたことが認められ、他にこれを動かすに足りる証拠はない。また、被告花子が同年三月三一日に、勤務先の○○○○銀行を退職したことは、当事者間に争いがない。

次に原告が被告花子に対し、同年四月三日ごろ金一〇〇、〇〇〇円を、同年五月上旬ごろ女持ローレックス時計および二連真珠ネックレスを、同月一〇ごろ、一四金台オパールネックレス、洋服および帽子を、同月二〇日ごろ麻帯および新婚旅行費用として金一〇〇、〇〇〇円を、それぞれ与えたことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、ローレックス時計は代金一二五、〇〇〇円、二連真珠ネックレスは代金四五、〇〇〇円で原告が購入したものであることが認められ、他にこれを動かすに足りる証拠はなく、また、被告花子本人尋問の結果によれば、前記四月三日ごろに与えた金一〇〇、〇〇〇円は、被告花子が退職してから結婚するまでの三ヶ月間の小づかいとして与えられたこと、前記麻帯の価額は金一九、〇〇〇円であったことが、それぞれ認められ(る。)≪証拠判断省略≫さらに、原告が被告花子に対し同年五月一〇日ごろ、和服を買い与えたとの主張については、これを認めるに足りる証拠はな(い。)≪証拠判断省略≫

ところで、原告は、本件婚約は、被告らが金品を詐取するために共謀してしたものであると主張するので判断するのに、かかる事実はこれを認めうる何らの証拠はない。むしろ、原告が被告らを訪問したこと、五月三一日の午後原告と被告花子とがハワイへの渡航手続のため三井航空に行ったこと、原告が同日、税務署よりの調査を受けたこと、原告が六月三日、被告らに対し、本件婚約を破棄する旨申し入れたことは当事者間に争いがなく、右争いない事実と≪証拠省略≫を総合すると次の事実を認めることができる。

即ち、原告は昭和四〇年六月二四日、その妻と死別し、それ以後再婚するため十数人の女性と見合したが、いずれも縁談が成立するに至らなかったところ、同年末になって訴外○○○○の世話によって被告花子との縁談が持ち上り、翌昭和四一年一月一五日、当時被告花子が入会していた宝塚市のお茶の会の初釜において、同被告と見合いをなし、その後被告らの身元を調査したのち同年二月一二日訴外○○○○、同○○○○、同○○を通じて被告花子に対し結婚の申込をした。

一方、被告花子は、当時○○○○銀行○○支店に勤務する未婚の女性であったが、前記仲人らから、原告は食品会社の社長であって、仕事熱心なこと、その個人財産は数億円を下らないことなどを聞かされ、また被告花子自身も、当時原告が六五才の高令であり被告花子よりも約三〇年も年長者ではあったが、原告を堅実で勤勉な人柄と見込み、結局、原告と結婚することを決意した。

そして二月二三日に至り前記のとおり原告から被告らに対し結納が納められ、ここに原告被告花子間の婚約が成立することとなった。その後、三月中旬には、原被告双方の家族が、顔つなぎの意味で仲人らと共に大阪市内の料亭で会食するなどし、またそのころ原告から被告らに対し、原告の不動産中、亡妻名義の登記を被告花子名義に改めたいので、その手続のため「谷川花子」名義の印鑑を作るよう要求するなどし、結婚後の生活の準備が進められていた。

そして三月二〇日午後、原告は特に自ら被告方に赴き、財産をめぐる紛争で原告の養女が自殺を企てた話などしたが、被告らは、かねて仲人を通じて、原告が前記結納の授受の数日後高血圧で倒れたことを聞かされており、原告が当時六五才の高令であることや、原告の家庭内の紛争などの話から、被告花子の将来の生活に一抹の不安を感じた被告正夫は原告に対し、将来万一の事態が生じた場合にそなえて、被告花子のためになんらかの形で最低限度の生活保障をしてもらいたい旨懇願したところ、原告はこれを了承し、その内容については後日考える旨、返答し、結局当日は午後一〇時ごろまで歓談して帰宅した。そして三月三一日には、被告花子は原告のたっての要望により、前記のとおり○○○○銀行を退社した。ついで四月一七日には、原告は再び被告ら方を訪問し、先日の生活保障の件について、資本金一〇〇〇万円の不動産会社を設立して、その株式の半分を被告花子名義にするとか、又は被告花子名義で一〇〇〇万円の信託預金をするとか、あるいは大阪心斎橋に約二〇〇〇万円で被告花子名義の喫茶店を作るなどの話をしたが、被告らは原告に対し、右のような生活保障をすることを強要したり、あるいは結婚の条件としたようなことはなく、また原告も以上のような生活保障の方法を被告らに確約したわけでもなかった。

それ以後は原告と被告花子は一週間に一度ないし二度会って、来るべき六月二五日の挙式の日を待ち、その間原告は被告花子に対し前認定のとおりの各金品を与えた。なお結婚式は六月二五日午後四時半新大阪ホテルで行う予定で、挙式費用は原告六分被告ら四分の割合で負担する約であった。

ついで五月三一日、原告は新婚旅行としてハワイに行く渡航手続をするため、被告花子と新大阪ホテルのロビーで待ち合わせる約束であったが、同日午前中、その営業上の関係で突然南税務署の取調を受け、その応待に時間を取られて約束の時間も迫ったので、ネクタイも結ばず、頭髪も乱れたままでかけつけたところ、その様子をみた被告花子は原告に対し、「ネクタイだけは結んで下さい」とたしなめるように言い、それから二人は三井航空で渡航手続や検疫などをすませて別れた。

六月二日に至り、被告花子は結婚披露宴の招待状を発送し、その他結婚準備もほぼ終えたが、一方原告は、被告正夫から、被告花子のため生活保障をして欲しいなどと要求されたことや、新大阪ホテルにおいて被告花子から、慰めの言葉もないどころか服装の乱れを注意されたこととか、あるいは共に食堂や喫茶店に入っても、被告花子が箸を割ってくれなかったり、原告の隣りに坐らないでむかい合わせに坐るなどしたことから自分に対する愛情がうすいなどと考えて被告花子に対し嫌気がさし出し、結局、本件は被告らが原告の金銭めあてにした結婚詐欺であると思い込むに至り、ついに六月三日の夜、前記訴外○○に対し本件婚約を破棄する旨電話で通告し、同人は直ちにその旨を被告らに知らせたが、同月九日になって、右○○および前記訴外○○夫妻が被告方に赴き、正式に本件婚約が原告側から破棄されたことを申し入れたが、その具体的理由については、これを明示するところがなかった。

ところで、この通知を受けた被告らは、本件婚約破棄の原因に思い当るところがなく、原告の意図を察しかねたので、たびたび前記訴外○○らを通じて原告に会いたい旨申し入れたが、原告からはなんらの返事がないまま時は経過し、そこで被告らは一時原告に対し婚約不履行による慰藉料請求の訴訟を起すことを考えたが、これを思いとどまったところ、同年七月に至って原告側から本件訴訟が提起された。なお、原告は同年一〇月ごろ、前記訴外○○○○の世話により、もと被告花子と同じお茶の会の会員であった訴外○○某女と婚姻し現在に至っている。

以上の事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

以上認定した事実によれば、被告花子は真実原告と婚姻する意思を有していたものと認めるのが相当である。もっとも、被告正夫が原告に対し、未だ結婚生活が開始していないのに被告花子のために将来の生活保障を懇願することは、世上あまり例のないことであって、従ってそれは常識に欠ける言動であるとの誹りを免れないとしても、当時被告花子が三六才であるのに原告が六五才という高令であったことを考えるならば、娘の父としてあながち無理からぬものがあったというべきであり、原告としても、その程度のことは予測すべきであったともいい得るのである。また≪証拠省略≫によれば、被告花子は金銭に執着の強い性格であること、および本件において原告が被告花子に与えた結納を除く各金品も、むしろ被告花子からこれを要求し、原告としては必ずしも自発的にこれらを同被告に与えたものではないことがうかがわれるけれども、原告は前記のとおり数億円の財産を有しているほか、原告本人尋問の結果により認められるように原告は家賃収入だけでも一月に約五〇万円を得ている程の資産家であるのみならず、被告花子と結婚した暁には、共に一心同体となって新家庭を築くべき立場にあったものであるから、被告花子の金品の要求が、かりに強かったとしても、それはもともと将来自己の妻たるべき者からの要求であり、原告の資産からすれば、本件程度の要求が、あながち過当なものとはいえないであろう。従って、これらのことだけから、被告らが、財産めあての結婚詐欺を企てたとするのは原告の独断というべきである。さらに原告と被告花子とが喫茶店などに入っても、同被告が原告の隣席に坐らないとか、箸を割ってくれなかったとしても、見合後の交際期間も短く、また同被告が長年銀行に勤務した堅実な未婚の女性であることを考慮すれば、右のような同被告の態度はむしろ当然であり、このような同被告の態度をとらえて原告に対する愛情がないと判断した原告こそ常識を欠くものというべきである。

それ故被告らの詐欺による共同不法行為であるとする原告の本訴第一次的請求はその余の点について判断するまでもなく失当としてこれを棄却すべきものである。

そこで原告の予備的請求について判断する。

まず、本件結納をはじめとする各贈与が、被告らの詐欺にもとづくものであるとする原告の主張が理由のないことは前判示のとおりである。

次に本件結納をはじめとする各贈与が、婚姻不成立を解除条件とする贈与であるとの主張について判断するのに、本件婚約が解消され、従って婚姻が不成立に終ったことは当事者間に争いがない。

(1)  ところで、世上行われる結納とは、婚姻が成立したばあいに当事者相互間又はその一方から他方に対して授与される金品をいい、それは右婚約の成立を証し、ないしはこれに基く婚姻の成立を希念し、あるいは両家の親睦の情を高める等の目的でなされるものであって、婚約の成立を証するものという意味では証約手附的な性質を持ち、また、右婚約が解消され婚姻が成立しなかった場合には、受領者はこれを返還するのが当事者の意思に合致するという意味では条件付贈与的な性質をも有しているのである。このように結納の性質は多義的であって、古くから行われて来た慣行でありながらも、民法典の規律するところではないので、その性質を民法上の概念のいずれかにあてはめることは困難であるが、いずれにせよ結納は、婚約成立を契機とし、かつ右婚約が将来の婚姻の成立にまで発展することに関連づけられて授与されるものであって、婚約又は婚姻関係なしに授受されることはないという著しい特徴を持っていることを重視すれば、それは、一応、民法上の婚姻不成立を解除条件とする贈与に類似した贈与であると考えられる。

従って、婚姻の不成立が確定したときは、受領者は結納を返還すべきものと言うべきであろう。しかし授与者が自らの有責事由によって婚姻不成立の事態を招来したり、あるいは正当な事由もないのに婚約を破棄した場合にまでも、受領者に結納返還義務を認めることは、その旨の合意が成立したときは格別、一般には法律感情に反する。それゆえ、このような場合には信義則上、授与者はその返還を求め得ないと解すべきものであって、このような性質は結納に本質的に内在するものであると考えるべきものである。

これを本件についてみると、原告と被告花子間の婚約が不成立に終ったのは、前認定の通り原告の一方的な婚約破棄によって生じたものであり、それは原告の理由のない独断に基いてしたものであったことは前判示のとおりであるから、原告のした本件婚約破棄はとうてい正当な事由に基くものとはいえず、他にこれを正当化すべき事情の立証もない。

従って前記法理からすれば、原告は被告らに対し、本件結納として授与した金品の返還を求めることはできない筋合であり、且特にこれを返還すべき旨の約定がなされたとの主張立証もないから、結局原告は被告らに対し、本件結納の返還を求めることはできない。

(2)  次に、原告が、婚約中被告花子に与えた金品についてみると、もともと交際期間中における婚約中の男女間の金品の贈りものは、配偶者となるべき相手方に対する愛情の念から出るものであって、通常それはなんら、反対給付を予想してなされるものではなく、また後日返還を求めることのあることを予想してするものでもない、むしろ当事者は所謂貰い切り、遣り切りの積りでするのを一般とするから、特に当事者がその旨を明かにしてしない限りこの種の贈与を婚姻不成立を解除条件とする贈与とみることはできないのであり、従ってそれが履行されれば、原則として返還を請求しえないと解すべきである。しかし、また反面このような贈与は、将来自己の配偶者になるべき者という特別な地位にある者に対してなされるという特殊な契機を持つのであるからこの面から考えると、当事者間の婚約が解消された場合において、受贈者は一切返還を要しないとすることもまた、人情に反する酷な結果となることがある。それ故この場合において、その返還につき他に特別の合意がなされない限り、当該婚約解消の原因が受領者の有責事由に基く場合、又はその者の、正当事由に基かない解約によるときや、贈与された金品が、贈与者の地位収入に比して不当に高価高額であるときや、その物品を受領者の手中に残しておくことが無意味であるなどの場合においては、贈与者は受領者に対して、返還を請求し得るとすることが条理にかなうところであろう。(民法は書面によらない贈与と雖も、すでに履行の終ったものは取消返還を求めえないと規定するが、婚約者間の金品の贈与についてはその特殊性から民法の規定の適用のないものと解する。)即ち、婚約中の当事者間の贈与は、婚姻不成立の場合においても、原則として返還する必要のないものであるというべきである。

これを本件についてみると、原告が被告花子に贈与した各金品は、前記の法理により、その返還を求め得ない筋合のところ、その例外事由を検討してみても、まず本件婚約は原告から破棄されたところ、前判示のとおり、その破棄を正当とすべきなんらの事由もないうえ、贈与された金品の合計額は四四五、〇〇〇円であって、原告の前認定の地位収入からすれば、不当に高額とはとうていいい得ず、また贈与された物品は前記のとおりすべて女子用の衣裳装身具であって、被告花子において直ちに使用し得るものであるから、これを同被告の手中に残しておいても無意味とはいえないことは明らかである。

従って、原告において、右が婚姻不成立を解除条件とする贈与であったとの立証もなく、他に返還に関する特別の合意がなされたとの主張立証もない以上、原告は被告花子に対して本件贈与の返還を求めることはできない。

次に、原告が本件結納を除く各金品を被告正夫に与えたとの主張については、これを認めるに足りる証拠は存しない。

以上の次第で、原告は被告らに対し、本件結納をはじめとする各金品の返還を求めることはできないのであるから、その余の原告の主張について判断するまでもなく原告の予備的請求もまた失当としてこれを棄却すべきものであるので、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 喜多勝 裁判官 佐藤栄一 安藤正博)

<以下省略>

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