大阪地方裁判所 昭和42年(わ)198号・昭41年(わ)5088号・昭41年(わ)5360号・昭41年(わ)4724号 判決
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〔判決理由〕(無罪部分の説示)
第一、被告人乾忠治関係
(一) 同被告人に対する関税法違反の公訴事実の要旨は、「同被告人が、別紙一覧表(二)記載のとおり、昭和四〇年一月七日頃から昭和四一年九月二日頃までの間、三五回にわたり、自己の経営する前記乾忠貴金属工業所において、山田信一より、他人が税関の許可を受けないで輸入した金地金合計二六三キログラムを、その情を知りながら、代金合計一六八、一七一、二五〇円で買受け、もつて無許可輸入品を有償取得した」というのである。
(二) ところで、被告人は、山田信一より金地金を有償取得した事実のあつたことは認めつつも、前記公訴事実の示す取引回数および数量を争い、かつその金地金が税関の許可を受けないで輸入したいわゆる密輸金であること、およびそのことを知つていた事実を否認しているので、以下これらの点について検討を加えることにする。
(三) まず右取引回数および数量の正確性とその金地金がいわゆる密輸入金であつたか否かの点について吟味するに、同被告人の捜査段階における司法警察員あるいは大蔵事務官に対する供述調書中には、一応前記公訴事実にそう趣旨の供述がみられるものの、これを補強し裏付けるべき証拠は乏しいうえに、その証明力には問題が多く、ひるがえつてまた、同被告人の捜査段階における右供述の真実性についても疑問をさしはさまざるを得ないのである。すなわち、
(1) 同被告人の司法警察員に対する昭和四一年一一月四日付、同月五日付、同月六日付(二通)および大蔵事務官に対する同月四日付、同月七日付各供述調書等において、同被告人は、押収にかかる金地金二一本(昭和四三年押第四七七号の一ないし二一)はすべて同人が山田信一から買受けた密輸金の一部を隠匿していたものであること、右信一からその買受けをはじめた当初に、同被告人としては、いわゆる正規金地金の割当てをより多く受けるための実績を残す必要上、右信一からの金地金の仕入状況を帳簿上明らかにしておきたい旨同人に告げたところ、同人から税務対策上の都合もあるので、どうしても記帳するのなら回収金名目として架空人から仕入れたように仮装してはどうかといわれたので、その意見に従い、仕入日記帳(前同押号の四三および三五)には、正規金の仕入れの記帳のほかに、右信一からの仕入れ分に対し、各月ごとに辻一雄等の架空人名を用い、これらの者から仕入れたかのように記帳していること、ただし隠匿金分は仕入日記帳には記載していないので、実際の仕入数量は仕入日記帳の仕入数量に前記金地金二一本分を加えたものであること。このことを前提とし、また架空領収書のあるものはこれをも参照しつつ、同被告人の記憶に頼つて実際の仕入月日や仕入数量を確定するという方法によつて右信一よりの仕入状況の一覧表を作成したものであることを自供している。そして、本件公訴事実となつている別紙一覧表(二)も同被告人が捜査段階において作成提出した一覧表にそのまま基づくものであることが一見して明らかである。
しかしながら、押収してある前記金地金二一本(以下押収金地金と称する)については、この物自体からこれが密輸金であると断定することはできないうえに、第三二回および第三三回公判調書中証人乾正文(被告人乾の養子)の供述部分によると、「これは昭和三七、八年頃に養父から、粒状、丸状、棒状等種々雑多の形状の金を渡されて、いわれるままに鋳直したもので、営業用ではなかつたので雑な仕上げ方で済ました」旨の供述がみられ、また第三三回公判調書中証人乾シゲ(同被告人の妻)の供述部分によると、「昭和二七、八年頃から昭和三六、七年頃までの間に仏壇の下の袋戸棚の中に種々の形態の金地金があり、主人が時々それを持ち出して見ていたのを知つている」旨の供述がみられ、これらの供述と第三二回公判において弁護人より提出された写真一九枚および昭和四五年一一月四日付検証調書を総合すると、押収金地金が右乾正文によつて鋳直されたものであることを一応首肯することができ、その時期の点についても右乾正文や乾シゲが被告人乾の近親者であるため事実を歪めて被告人に有利な証言をしたのではないかと一抹の疑いは残るにしても、それ以上にとくにこれらの証言を否定し去るほどの特段の根拠もみいだせないのである。
また仮りに押収金地金が全部山田信一より買受けられた密輸金であつたとしても、実際の仕入(有償取得)年月日、数量、その代金額は帳簿(仕入日記帳)上明確ではなく、被告人乾の前記供述どおり、仕入日記帳記載の仕入数量と押収金地金の数量を勘案しつつ、同人の記憶に頼つて確定されたものと認められるが、別紙一覧表(二)にみられるような三五回にもわたる仕入月日、数量、価格はとうてい正確に記憶していられるものでないことは、われわれの経則上明らかである。この種事項については、被告人の自供を裏付け補強するに足る証拠がない以上その自供を直ちに採用することは不適切というほかないが、本件ではまさに実際の仕入状況についての裏付け証拠がないに等しい状況にあるのである。
(2) 検察官は、本件の押収金地金が密輸金であることを認めるに足る情況証拠として(イ)本件取引の中心人物である山田信一が行方不明であること、(ロ)同人が本件の取引を全然記帳していないこと、(ハ)被告人乾の本件取引に関する記帳には、架空人名義を用いたり、実際の購入価格より高く記帳するという不自然さがみられること、(ニ)本件の取引価格が正規の金地金に比較してかなり廉価であること、(ホ)長期間にわたり、多量の金地金が継続して取引されていること、(ヘ)本件の押収金地金にはいずれも刻印がなかつたこと、(ト)山田信一が被告人乾から金地金を買受けていないのに同被告人に依頼して買受けたごとく架空の記帳をしていること、(チ)山田信一が本件押収金地金につき「B物だ」、「表へ出せないものだ」とか、「これ密やから注意せ」などといつたという被告人乾および被告人山田の供述がみられることを挙げている。
しかしながら、右(イ)の山田信一の行方不明の点については、同人が被告人乾との取引に関しなんらかの後めたい所為があり、その発覚をおそれて逃走したのではないかとの疑いは一応もち得るものの、それは疑いの域を出でず行方不明の原因自体必ずしも明確とはいい難いだけに、この事実をもつて押収金地金が密輸金であることの情況証拠とすることには疑問を抱かざるを得ない。
(ロ)、(ハ)および(ト)の記帳の点については、被告人乾の前記供述にかんがみると、税務対策上かくしたのではないかとも推量し得る余地があり(ただし(ハ)の価格の点については後述)、なかんずく(ロ)および(ト)については山田信一が行方不明である関係上その真意は必ずしも明確にされていない。そして(ハ)の価格の点については、第三五回および第三六回公判調書中の被告人乾の供述部分によると、同被告人が山田信一より買受けていた金の価格は一グラム当り六三五円ないし六四五円程度であつたが、分析して不純物を取除いた数量を記帳したため、純度の低かつた同人よりの買受け金については一グラム当り六六〇円ないし六八〇円程度に計上することになつた旨の供述がみられ、その記帳方法には疑問の余地も残るが、そのような記帳方法も一応考えられるし、同被告人の右供述を覆えすに足る反対証拠もとくに存しない。してみると、これらの点もまた密輸金であることの有力な状況証拠とするわけにはゆかない。
(ニ)の点については、本件当時わが国では、産金業者からの新産金(品位99.99パーセント)の売渡価格は一グラム当り六六〇円と定められていたことは本件各証拠上明らかであるところ、第二一回公判調書中の証人永井嗣久の供述部分によると、その後の卸価格および小売価格は、永井貴金属工業所が昭和四〇年一〇月頃扱つた事例では六六二円ないし六九〇円程度であつたことが認められ、これに対し被告人乾が山田信一より買受けた価格が一グラム当り六三五円ないし六四五円程度であつたとすると、その買入価格は一般の場合より相当廉価ではないかとの疑問が一応投げかけられるわけであるが、第一八回公判調書中の証人永井正人の供述部分に徴すると、金地金に刻印がない場合には値段が安くなることが普通であり、また金融のためにいわゆるダンピングをして売られる場合もあることが認められ、さらに第八回公判調書中の証人平野学の供述部分によると、純度が低いとみられる金地金については当然これを計算に入れた価格で取引されること、一グラム当り六三五円ないし六四五円という取引価格では密輸金とは断定できない趣旨の証言がみられ、第二二回公判調書中証人永井嗣久の供述部分によると、同人は、「一般の市中金にあつては、一グラム当り六〇〇円ぐらいまでなら普通であり、密輸金と判断されるのは五五〇円ぐらい以下の場合である」旨証言しているのであつて、以上の各証書を総合すると、被告人乾が山田信一より買受けた金地金の価格をもつて、それが密輸金であることの証左とすることは当を得ないものというほかない。
次に(ホ)の長期間にわたり、多量の金地金が継続して取引されていることを理由とする検察官の主張について考えるに、第二八回公判調書中証人木村一郎の供述部分、金需給安定に関する要望書(写)によれば昭和四〇年、四一年頃わが国内には年間四トンないし五トン位の回収金が流通していたことがうかがわれ、このほかに実情を把し難い退蔵金等の流通をも考え合わせると、相当量の金地金が出廻つていたことが推認できるうえに、第一八回公判調書中証人永井正夫の供述部分、第二一、二回公判調書中証人永井嗣久の各供述部分によると、乾忠貴金属工業所のほうが永井貴金属工業所よりも営業規模がやや大きいということができ、その永井貴金属工業所が昭和四〇年度中に他から買入れた金地金の数量と比較すると、被告人乾のなした取引量はそれほど多いものとはいえず(なお、双方とひも新産金を直接産金業者から買入れることのできる業者ではない)、いわんや、密輸の推測を受けるほど異常に多量であるとはいえないので、検察官の右主張も証拠上十分な裏付けがなされているものとはいい難い。
(ヘ)の押収金地金に刻印がない点については、第二三回公判調書中証人尾崎平太郎の供述記載部分、第二五回公判調書中証人山森義一の供述記載部分および第二二回公判調書中証人永井嗣久の供述記載部分を総合すると、新産金の場合でも刻印がないまま取引される場合が少なからずあり、刻印がないからといつて密輸金であると直ちに推定することは相当でないと認められる。本件押収金地金には密輸金であることをうかがわしめる外国のマークの刻印も全くないのであつて、その外観からはこれが密輸金であるとも密輸金でないとも判定できないというべきである。
次に(チ)の点については、被告人乾の司法警察員に対する昭和四一年一一月四日付供述調書中には「昭和三九年初め頃山田信一がはじめて私の家に金地金を売込みにきた際、これが業者間でいうB物(密輸金の意)であるということを告げられた」旨の記載があるが、同被告人の大蔵事務官に対する同日付供述調書中には「山田信一はB物とははつきりいわなかつたが、そのようなことをいつている」旨やや異なつた供述がみられ、さらに検察官に対する同年一〇月二八日付供述調書によると、「山田との取引の最初の頃は回収金だといつていたが、三回目位に金地金を持込んできた時に密輸金とまでははつきりいわなかつたが闇のルートがあるんだといつていた」旨の記載がみられるのであつて、右各供述相互間に微妙な喰い違い、動揺があることや、第三六回公判調書中の同被告人の供述部分等に照らすと、はたして山田信一が被告人乾に「B物だ」とか「表へ出せないものだ」などとはつきりいつたのかという点にさえ疑問が残るのであるが、仮りにそのようなことを告げられたとしても、右のような表現は、税務対策上B帳簿(A帳簿すなわち表帳簿に対する裏帳簿)扱いにすべきもの、公表できないものであることを告げた趣旨に理解し得る余地もあり、このことから直ちに本件押収金が密輸品であると断定するのは困難である。また、検察官は被告人山田孝一も山田信一から「これ密やから注意せ」などといわれた。としており、同被告人の司法巡査に対する同年一一月二八日付および大蔵事務官に対する同月一八日付供述調書中には、なるほどこれにそう趣旨の供述がみられるけれども、同被告人の検察官に対する供述調書中にはこの点についての供述記載がみられないことや、第三七回公判調書中の同被告人の供述記載等に照らすと、同被告人の右供述はにわかに措信し難いし、かりに右供述どおりであつたとしても、「密やから」という意味は必ずしも明確ではなく、このことをもつて押収金が密輸金であると断定することも相当でない。
これを要するに、検察官の挙げる前記(イ)ないし(チ)の事由は、本件押収金が密輸品ではないかと一応疑いを抱かせる情況とまではいうことができるけれどもいずれも密輸品と断定し得るほどの事実とはいえず、また、これらを総合してみてもその密輸性は明らかとはいい難い。
(3) 被告人乾は、捜査段階において、当初は、本件押収金地金は山田信一からいわゆる回収金であるといわれ、これを信じて買つたものであると供述していたが、後にこれが密輸金であることを認め、さらに公判段階において再び前記のとおり密輸金であることを否認するにいたつているが、密輸金であることを認めた供述の信用性にも問題がある。
第三五回および第三六回公判調書中の被告人乾の各供述部分によると、右のような供述の変せんにつき同被告人は、「取調べを受けた当初は否認し相手を信じて買つたと申し述べたところ、売主側は密輸金と知つて買つているといわれ、また捜査警察官の言葉からあくまでもそういい張り続けるときは子供や家内までも留置されかねず、さらには脱税の疑いで種々追及を受けるおそれがあると感ずるにいたり、かつはまた警察官か君らは直接どうこうやつているわけではないし、大したことではないではないか、という趣旨のこともいわれたので、密輸金であると述べた」旨供述しているが、そもそも本件では押収金地金が、いつ、どこで、誰が、どのようにして密輸入したものか証拠上全く不明であり、被告人乾や、山田信一がこのことを了知していた形跡も証拠上うかがわれないことや、供述調書添付の取引一覧表の作成については相当理詰めの誘導的取調べがなされたことが供述調書の内容自体からうかがえることや、何よりも上記のとおり供述内容に動揺があることを考え合わせると、公判廷における前記供述を全面的に信用するか否かは別として、少なくとも同被告人がその述べているような動機と身体の拘束から早く解放されたい欲望に敗け、あえて真相を曲げて捜査官の意に迎合し、密輸金と知つていた旨の断定的な供述をするにいたつたのではないかとの疑いは相当濃いものと判断される。
なお、山田信一から命ぜられて密輸金を被告人乾のところまで運搬し、渡した旨の被告人山田孝一の捜査段階における供述についても、後述するとおり、にわかに信用し難いもので、同被告人の供述から本件押収金地金を密輸金と断定することも、とうていできない。
(三) 以上の次第であつて、上記各証拠に照らし被告人乾が山田信一より昭和四〇年および四一年頃金地金を有償取得していた事実は認めることができるけれども、その金地金がいわゆる密輸金であることの証明は十分でなく、またその取引回数や数量も別紙一覧表(二)記載のとおりであつたとするには証明が不十分であるというほかないので、さらに密輸金であることの知情の点に立ち入つて判断するまでもなく、同被告人に対する公訴事実中、関税法違反の点は、刑事訴訟法三三六条によつて無罪の言渡をすべきものである。
なお、弁護人は、本件につき、その金地金の取引の日時、数量、金額が不確定であり、訴因が特定していないから、刑事訴訟法二五六条三項、三三八条四号によつて公訴棄却の判決をすべきである旨主張するが、いうまでもなく訴因の特定、不特定は本来起訴状の記載自体によつて決すべきものであつて、これに対する立証がつくされているか否かの点は無関係であるというべきところ、本件では起訴状の記載のうえでは、その取引年月日や数量、金額は確定されているのであるから、右主張は採用の限りでない。
第二 被告人山田孝一関係
(一) 同被告人に対する公訴事実の要旨は、「同被告人が、山田信一と共謀のうえ、昭和四〇年九月中旬頃、同月下旬頃および昭和四一年三月初旬頃の三回にわたり、東京都千代田区神田小川町二丁目一〇番地香取宝飾時計店において、東さくより、他人が税関の許可を受けないで輸入した金地金合計約22.5キログラム(毎回約7.5キログラムずつ)を、その情を知りながら、代金合計約一、四一〇万円(毎回約四七〇万円ずつ)で買受け、もつて無許可輸入品を有償取得した」というのである。
(二) そこで、まずこの点に関する被告人山田の供述を検討してみるに、同被告人の司法警察員に対する昭和四一年一一月一一日付ならびに司法巡査に対する同月一六日付、同月一七日付各供述調書によると、同被告人は同月一〇日に、密輸金地金をその自宅より乾忠治方まで運搬したという被疑事実によつて逮捕され、引続き勾留されたものであること、右逮捕直後の同月一一日にはこの事実を否認していたが同月一六日には昭和四〇年九月頃父山田信一からいわれて金塊を乾忠治方まで運搬したと自供するにいたり、さらに右自供の翌日には、昭和四〇年一〇月初め頃にも金地金を乾忠治方へ運搬した旨供述するにいたつていることが明らかである。そして同被告人の司法警察員に対する昭和四一年一一月二五日付供述調書において、はじめて本件の東さくよりの金地金買受けについて、「乾忠治方へ運搬した金地金の仕入れ先は右東で、昭和四〇年九月初め頃父山田信一にいわれて東京都千代田区神田小川町所在の香取宝飾時計店へ行き、東さくより金地金7.5キログラム位を受取り、四七〇万円位を渡して帰り、一時台所に保管しおき、それてから二、三日後父の言付けで乾忠治のところへ持つて行つて売却し、さらに、同月末頃と昭和四一年三月初め頃にも前同様東さくのところへ行き、いずれも金地金七、五キログラム位を代金四七〇万円位で買受けてきて、これを乾忠治方へ持つて行つた」旨供述している。そして、被告人山田の司法巡査に対する同年一一月二八日付供述調書中には、「昭和四〇年八月頃、乾忠治方まで密輸金を運搬するに際し、「これ密やから注意せ」などといわれたことがあり、その扱つた品物が密輸金であることは知つていた」旨の供述がみられ、同被告人の司法警察員に対する昭和四一年一一月三〇日付供述調書中には、「東さくより密輸金を買受けた時期は、第一回目は昭和四〇年九月中旬、第二回目は同月下旬、第三回目は昭和四一年二月下旬であつた、なお第三回目の分については、父が処分したので詳しいことはわからない」旨の供述がみられる。また同被告人の司法巡査に対する昭和四一年一二月五日付供述調書によると、東よりの買受け時期は、「第一回目が昭和四〇年九月中旬頃、第二回目は同月末頃、第三回目は昭和四一年三月初め頃であつた」旨訂正されており、この点同被告人の検察官に対する昭和四一年一一月二九日付供述調書では、「第一回目が昭和四〇年九月初旬頃、第二回目は同月下旬頃、第三回目は昭和四一年二月下旬か三月初旬頃であつた」となつている。さらに同被告人の検察官に対する同年一一月一九日付供述調書中には、同人が乾忠治方に売りに行つた金地金につき、それが密輸品であることを知つていた根拠として、数量が多いこと、父信一がこれを記帳しなかつたこと、価格が普通より安かつたことを挙げているが、右信一から「これ密やから、注意せ」などといわれたことについては、なんら触れられていないのである。(なお、同被告人の大蔵事務官に対する同年一一月一九日および同月三〇日付各供述調書にも東さくとの取引時期等についての供述がみられるが、ここでも前同様の時期の訂正がなされている)。
右のとおり捜査段階における被告人山田の供述には、変せんがうかがわれるが、公判段階にいたつて同被告人は、「東さくのところへ行つたのは、昭和四〇年五月と同年一一月末の二回だけであり、右五月のときは金の取引とは全く関係なく装身具の仕入れに行つたものであり、一一月末のときは、父信一に東のところから金地金を買つてきてくれといわれ、代金は見当として五〇〇万円位持つてゆき、香取宝飾時計店の応接間で金地金を受取つたが、父の単なる使いであつたし、同店を信用していたので、中味は調べずに持ち帰り父に渡した。金地金の重さは片手では持ちにくい程度の重さであつた。なお、乾忠治方へ金地金を持つて行つたのは二回で、最初は昭和四〇年八月中頃のことでその際父から、「これ密や」などといわれたことはない。二回目は同年一二月初め頃である。なお、捜査段階で右と異なる供述をしたのは、乾忠治の供述などから、同人方まで金地金を運搬したのは三回であることになつており、その頃は父信一は病気でお前がこれを仕入れている筈であるなどと追及され、早く身体の拘束状態から解放されたいと思いもあつて、捜査官からの誘導に従つて虚構の事実を認めてしまつた。」旨供述している(第三七回および第三八回公判調書中の同被告人の各供述部分)。
(三) 以上のように被告人山田の供述は激しい変転を示しており、このこと自体捜査段階における自認の信用性に疑いをさしはさむ余地を与えているものといえるが、さらに検討を進めてみると、同被告人の公訴事実にそう趣旨の捜査段階における自供は、被告人乾忠治の捜査段階での供述をもとに誘導され、これに迎合してなされた疑いが濃厚であり、その信ぴよう性にも強い疑問をさしはさまざるを得ないのである。すなわち
(1) 本件公訴事実の第一回目の買受け時期は昭和四〇年九月中旬頃となつており、被告人山田の捜査段階での供述中にこれにそう趣旨の供述があることは前示のとおりであり、また、その後間もない同月中旬ないし下旬に金地金を乾忠治方まで運搬した旨の供述のあることも既述のとおりである。しかし、第三三回公判調書中証人乾正文の供述部分、積水化工機株式会社作成名義の昭和四〇年八月二〇日付請求書(写)および四〇年度経費明細帳一冊(昭和四三年押第四七七号の三二)によると、被告人山田が乾忠治方への第一回目の運搬をした時期は、乾忠貴金属工業所の排気ダクト工事完成直後である同年八月中旬頃であつたようであり、このことは同被告人の公判廷における前記供述に符合するし、司法巡査に対する昭和四一年一一月二八日付供述調書中の前記供述とも合致するのである。しかるに捜査段階における同被告人の供述は、右二八日付供述調書を除いては、前記のとおり九月中旬ないし下旬ということで貫かれているのであつて、この間の矛盾をどう理解すべきかが問題となるが、乾忠治の司法警察員に対する昭和四一年一〇月二九日付、同年一一月四日付各供述調書や被告人山田に対する逮捕状勾留状の記載をみると、被告人山田が逮捕される段階においてすでに警察官は、と右乾の供述等から同被告人の第一回目の運搬は九月中旬と考えていたことが明らかであり、その線にそつて、右乾の供述が正しいのではないかと被告人山田を追及誘導した結果同被告人がその追及に抗しきれず、馴れない身体的拘束状態からの早期の解放を願望するのあまり、捜査官の意に迎合し問われるままの事実を肯定してしまつたのではないかと推量されるのである(本件では、検察官の取調に際しても、なお、このような心理的な圧迫状態から脱しきれないまま警察官の面前におけると同旨の供述を続けたものと推量される)そう考えると、同被告人の前記各供述調書間にみられる矛盾、動揺も十分理解できるのであつて、同被告人の公判廷におけるその旨の前記供述は、本件においては真相を伝えているとみるのが相当である。
(2) さらに、同被告人の司法警察員に対する昭和四一年一一月三〇日付供述調書をみると、これに添付されている同人作成の同日付一覧表では乾忠治に対する第二回目の金地金売却時期は昭和四〇年一〇月上旬頃と記されているのに、同調書本文六項においては同年九月下旬頃となつているのであつて、同一調書内におけるこのような奇妙な矛盾は、体験の裏付けがないために生じた誤りではないかとの疑いを抱かせるものであり、ひいては誘導的尋問を安易に肯認した結果生じたものではないかと疑せるに十分である。
(3) すでに触れた事項以外に、被告人山田が東さくより買受けた際見分したとする金地金の形状(長さ、幅、厚さ)や、乾忠治方へ売却した際の代金額に関しても、同被告人の捜査段階における供述には動揺がみられるのであつて、以上の諸点を勘案すると、同被告人の捜査段階における供述については全体的に、その信ぴよう性に疑いをさしはさまざるを得ないのである。
公訴事実中、第一回目の昭和四〇年九月中旬頃の買受け事実についての被告人山田の供述は、上記のとおり、その前提となつた(時間的にはその直後の)乾忠治方への第一回目の運搬事実についての供述そのものがすでに信用できないのであつて、とうてい直ちには採用し難く、第二回目の同月下旬の買受け事実に関する同被告人の供述についても、乾忠治の供述に基づいて誘導され、これに迎合してなされた疑いが濃いうえに、この点に関する乾の供述に信を措き難いので、右被告人山田の供述についても、にわかに措信することができない。さらに第三回目の昭和四一年三月初旬頃の買受け事実に関する同被告人の供述について考えるに、乾忠治の司法警察員に対する昭和四一年一〇月二九日付供述調書三項等に照らすと、右乾は、被告人山田が運搬してきたのは前記第一二回のほかにもう一回あるようにも思うと述べているだけで、この分については何等具体的な供述をしてはいないが、第三七回公判調書中同被告人が捜査官からこの件につき取調を受けた状況に関してなしている供述部分や、同被告人の捜査段階における供述が、前記のとおり、その買受け時期につき著るしい変転を示していることを考え合わせると、この分についても同被告人の自供が捜査官のある程度の追及ないし誘導の結果なされたのでないかとの疑問を払拭できず、これを直ちに信用することもできない。
(4) なお検察官は、同一捜査官に対し被告人東のほうは本件に関し終始否認を続けている事実から推して、被告人山田の捜査官に対する前記自供は任意性もあり、信用もできる旨主張するが、被告人東は女性ながら香取宝飾時計店のいわゆる番頭格として同店の経営を切り回しているものであつて、年令的な比較からいつても、社会的な経験や常識は被告人山田以上のものがあると推量できるし、また被告人東のほうは独身であるのに対し、被告人山田のほうは父信一が行方不明で母は病身、妻は妻は幼児を抱えている状況であつて、かつて逮捕歴もないことを考えると、逮捕、勾留による身体の拘束から受ける精神的苦痛は被告人東よりもはるかに大きかつたのものと考えるのがむしろ自然であり、捜査官の追及に対する抵抗力が弱かつたと考える余地が十分あるので、検察官の右主張をそのまま首肯することはできない。
(四) 以上のとおり、本件に関する被告人山田の捜査段階における供述はにわかに信用し難いものであるが、何よりも本件では同被告人の自供を裏付け補強するに足る十分な証拠がない。すなわち、本件の売渡人とされている被告人東さくは、捜査、公判段階を通じて終始公訴事実とされている時期に被告人山田に密輸金を売つたことはない旨事実を否認しており、本件後被告人山田が乾忠治のところまで密輸金を運搬した旨の右乾の供述もにわかに採用し難く、そのほかには、被告人山田の捜査段階における自供をとくに裏付けるべき証拠は存しないのである。
(五) かくして、被告人山田に対する本件公訴事実については、昭和四〇年九月中旬頃、同月下旬頃および昭和四一年三月初旬頃の三回にわたつて東さくより金地金を買受けた事実自体について、すでに証拠が不十分であるというほかない。もつとも、被告人山田が公判段階にいたつて、「昭和四〇年一一月末に父信一にいわれて東さくのところから金地金を買つてきたことはある」旨供述していることは前記のとおりであるが、東さくは司法警察員に対する昭和四一年一二月一三日付、同月一五日付および検察官に対する同月一六日付各供述調書中ならびに当公判廷において、「昭和四〇年一一月末頃山田信一から金地金をわけて欲しいとの注文があり、当時東京地方検察庁会計課より落札入手してあつた金地金を売ることを約し、翌日前記香取宝飾時計店に見えた被告人山田に対し、第二応接室で金地金(一キロ棒のもの)八本位を渡し、代金五〇〇万円位受取つたことがあるが、同被告人に金地金を渡したのはこの時だけである。」旨供述しており、相符合する右各供述の信びよう性をとくに否定すべき根拠もないので、その供述にそう事実はこれを肯認してよいものと考えられるが、右東さくの供述に照らすと、この際の取引が密輸金の売買であつたとみることも相当でない(東さくの供述によると、山田信一への売却価格は右落札価格よりも廉価であつたことが認められるが、その理由については右東から納得できる合理的な理由が説明されている)。本件では、仮りに三回にわたる前記買受け事実が認められたとしても、その金地金がいわゆる密輸金であつたこと、またそのことを被告人山田が知つていたことについての十分な証明もないことを付記するが、もはやこれらの点に立ち入つて詳説するまでもなく、三回にわたる金地金の取引自体の点において、すでに犯罪の証明がないというべきであるから、刑事訴訟法三三六条によつて無罪の言渡をすべきものである。
第三、被告人東さく関係
(一) 同被告人に対する公訴事実の要旨は、「同被告人が、昭和四〇年九月中旬、同月下旬頃および昭和四一年三月初旬頃の三回にわたり、前記香取宝飾時計店内において、税関の許可を受けないで輸入した金地金合計22.5キログラム(毎回約7.5キログラムずつ)を、その情を知りながら、それぞれ蔵置し、もつて無許可輸入品を保管した」というのである。
(二) しかし、同被告人は捜査および公判の各段階を通じ、終始右事実を否認しており、これに見合う有力な証拠としては、被告人山田の「右三回にわたる各時期に被告人東から密輸金を買受けた」旨の捜査段階での前記供述が挙げられるのみであるところ、その供述に信を措き難いこと既述のとおりである以上、右公訴事実に対してもこれを認めるに足る証拠がないものというほかないので、被告人東に対してもまた犯罪の証明がないものとし、刑事訴訟法三三六条によつて無罪の言渡をなすべきものである。
(永井登志彦)