大阪地方裁判所 昭和42年(わ)2316号 判決
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〔判決理由〕4 さらに弁護人は証人藤田弓子、亀田弘子、大野睦恵の供述は、子供等の供述を内容とした伝聞証拠であるから証拠力なく、また、証人藤田裕司、亀田耕治、大野裕之は三才ないし四才の幼児であるから、同人等は証言能力がない。仮りに証言能力があつても他人の言動に影響されているから信憑性がないと主張する。先づ前段主張の点について考えるに、親権者その他の監護者が、幼児から報告された事実を証言した場合に、その証言は伝聞証拠に該当し、証拠能力を欠くものであるか否かは諸説あつて検討を要するところであるが、当裁判所は、伝聞供述そのものを証拠としているのでなく、子供等から報告を受けた時刻、場所その他の状況を証拠として採用しているのであるから、この点について深く立入るまでもなく弁護人の主張は理由がない。次ぎに後段の点について考えるに、弁護人指摘の証人中大野裕之は昭和三九年三月二四日生、藤田裕司は昭和三七年一二月一八日生、亀田耕治は昭和三八年八月一八日生れであつて、本件事故発生当時の年令は、裕之は二年六月、裕司は四年、耕治は三年四月であることが明らかである。
ところで我国の刑事訴訟法には証人の証言能力について特別の規定は存在しないから、経験を認識する能力を有し、かつ経験事実を発表する能力を有していれば十分であつて、年少者特に幼児であるというだけで証言能力がないと画一的に制限することはできない。即ち証人として尋問を受けた場合に、自己の経験した事実の如何なる事柄について質問を受けているかを理解し、それに応じた経験事実を答弁表現し得る能力さえあれば十分であり、その供述にどの程度の証拠価値があるかは、裁判官の自由心証に委せられているというべきである。もとより幼児に対し、詳細にわたり或は幼児の知能では理解し難い事項について供述を求めることはできないからその範囲については証言能力を否定すべきであるけれども、本件における前記三名に対する質問は、被害者裕之本人に対し、または同人の遊び友達であるその余の二名の幼児に対し、「裕之ちんが何処で、どんな自動車に轢かれたか」と言う極めて簡単な事柄であるところ、右各証人は、いずれも質問の趣旨を理解し、「バックして来た自動車に轢かれた」と言う趣旨の供述をしていることが認められる。被害者の本人自身はもちろん、平素自己と親しく接している者が、自動車事故で受傷した現場に居合わせ、これを目撃するが如きは容易に経験できないだけに、それによつて受ける認識ないし印象は何人にも強烈であつて、幼児と雖もその例外でないこと経験則上明白であるから、前記三名には証言能力があるとともに、その供述は十分措信し得べく、弁護人主張のように同人等の供述が親権者その他の者の言動によつて影響を受けていると疑うべき特段の事情も見当らない。
以上の次第で弁護人の主張はいずれも当裁判所で採用しない。(太田実)