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大阪地方裁判所 昭和42年(わ)812号 判決 1975年3月17日

本籍

韓国(済州道旧左面東金寧里一四九二)

住居

大阪市天王寺区勝山通二丁目一四八番地

飲食店経営

西条公章こと

金基彦

大正一五年三月一六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件につき当裁判所は検察官桐生哲雄、弁護人瞿曇竧、同林弘各出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役七月および罰金九〇〇万円に処する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用のうち証人脇田香、同畑山昌三、同広原芳弘、同荒川トミ子、同古居一男、同水野勝利(二回分)、同佐藤文子、同片山啓一、同大谷雄次郎(二回分)に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、朝鮮料理店を経営するなどしていたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、

第一  昭和三八年分の所得金額が二八四二万七八三九円、これに対する所得税額が一四三五万六六八〇円であるのに拘らず、売上収入の一部を除外するなどの不正行為により、右所得金額のうち二六二七万八八八九円を秘匿したうえ、昭和三九年三月一四日大阪市北区所在北税務署において、同署長に対し、同年分の所得金額が二一四万八九五〇円、これに対する所得税額が三三万三六八〇円である旨過少に虚偽記載した所得税確定申告書を提出し、よって同年分の所得税一四〇二万三〇〇〇円を免れ、

第二  昭和三九年分の所得金額が三一三八万四六〇七円、これに対する所得税額が一六一一万七五六〇円であるのに拘らず、前同様の不正行為により、右所得金額のうち二八二七万三五〇七円を秘匿したうえ、昭和四〇年三月一五日、前記北税務署において、同署長に対し、同年分の所得金額が三一一万一一〇〇円、これに対する所得税額が六三万〇一一〇円である旨、過少に虚偽記載した所得税確定申告書を提出し、よって同年分の所得税一五四八万七四五〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

(注) 甲の四公供=第四回公判調書中甲の供述記載部分、四一・一・一=昭和四一年一月一日付

判示全事実につき、

一、被告人の当公判廷における供述

判示第一、第二の各事実につき、

一、被告人の検察官に対する供述調書(五通)

一、大蔵事務官作成の被告人に対する質問てん末書(一二通)

一、被告人作成の上申書(三通)、嘆願書(四〇・一一・二九)、嘆願書訂正願(四〇・一二・九)、御願書(四〇・一二・二〇)

一、証人大谷雄次郎、同木村英の当公判廷における各供述

一、証人木村英の五公供、六公供、七公供、同脇田香の一三公供、同広原芳弘の一三公供、同荒川トミ子の一四公供、同古居一男の一四公供、同水野勝利の一五公供、同福永春生の二五公供、同大谷雄次郎の三〇公供、同片山啓一の三二公供

一、証人龍本いくゑに対する(更新前)裁判所の尋問調書

一、村田十三男、脇田香、荒川トミ子、水野勝利の検察官に対する各供述調書

一、北邨源蔵、中川薫各作成の各供述書

一、北邨源蔵、川西カネ子、中川薫、井上律子(坂本精肉店)前河勇次郎各作成の各確認書

一、株式会社大阪読売広告社作成の昌慶苑台帳写(送付書に同封されたもの)

一、株式会社サンライズ社作成の昌慶苑売掛金明細(リコピー用箋三枚のもの)

一、わきた商店関係仕入一覧表

一、荒川ホルモン店関係仕入一覧表

一、大阪市水道局業務部扇町営業所、大阪瓦斯株式会社北営業所長、関西電力株式会社扇町営業所料金課各作成の各調査事項照会回答書(各調査事項照会書と一体となっているもの)

一、次の大蔵事務官作成の各調査てん末書

大谷雄次郎(四一・六・一、四一・七・三〇、四二・三・一〇)、片山啓一(四〇・九・一三-二通、四〇・九・一七、四〇・一〇・六、四〇・一一・二-三通、四〇・一一・一一-三通、四〇・一一・一八-八通、四一・四・四-三通、四一・四・六-六通、四一・四・二五-二通、日付なきもの一通)、広原芳弘(四一・九・一〇)、倉中要三(四〇・一二・一五)、片山啓一ほか一名(四〇・一二・一三)

一、押収してある次の証拠物(昭和四二年押第一、〇三〇号)

現金出納控(昭和三九年度)一冊(符号1)、売上集計表八枚(同2)、銀行勘定帳三冊(同3)、支払明細表綴一綴(同4)、給料支給明細綴一綴(同7)、給料支給明細書綴一綴(同11)、銀行勘定帳(昭和四〇年分)一冊(同12)、銀行勘定帳(昭和三九年分)一冊(同13)、売掛帳(昭和三九年分)一冊(同14)

判示第一の事実につき、

一、証人畑山昌三の一三公供、同鄭相銘の二〇公供、同西原武男の二一公供、同玉川桂協の二二公供、同谷山善助の二三公供、同金井聰治の二三公供、同金炳錫の二六公供、同康禎順の二七公供、

一、中尾登、井畑たつ江各作成の各供述書

一、朝日麦酒株式会社大阪支店長、味の素株式会社大阪支店長、家氏新、畑山建築設計室各作成の各確認書

一、大阪市水道局今里営業所、大阪瓦斯株式会社上本町営業所長、関西電力株式会社今里営業所長各作成の各調査事項照会回答書(各調査事項照会書と一体となっているもの)

一、大蔵事務官広原芳弘作成の調査てん末書(四〇・一二・一一)

一、北税務署長認証の昭和三八年分所得税申告書写および承認申請書写

一、押収してある次の証拠物(昭和四二年押第一、〇三〇号)未収金額表二枚(符号5)、税金関係領収証(昭和三八年度)一綴(同10)、徳寿宮売上メモ四通(同19)

判示第二の事実につき、

一、証人真山輝子の二〇公供、同佐藤文子の二一公供、同金煕範の三一公供

一、株式会社サンライズ社作成の昌慶苑売掛金(コクヨ用紙一枚のもの)

一、近畿相互銀行天下茶屋支店作成の捜査関係事項照会回答書(捜査関係事項照会書と一体となっているもの)

一、矢野一二三作成の電話聴取書

一、検事加藤保夫作成の捜査関係事項照会書(写)およびこれに対する福徳相互銀行玉出支店長作成の回答書

一、大蔵事務官広原芳弘作成の調査てん末書(四一・四・二八)

一、北税務署長認証の昭和三九年分所得税申告書写

一、押収してある次の証拠物(昭和四二年押第一、〇三〇号)

振替入出金伝票綴(昭和三九年分)一二綴(符号6)、領収証請求書綴一二綴(同8)、税金関係領収証一綴(同9)

(犯則所得額の認定について)

本件において、検察官は、被告人の犯則所得額は昭和三八年分につき四一八七万七八三九円、同三九年分につき三二四二万四六〇七円、である旨主張し、他方、弁護人らは、(イ)いわゆる簿外仕入(検察官の主張に加え、昭和三八年分約一三七五万円、同三九年分約一三五三万円)、(ロ)簿外諸経費(検察官の主張に加え、昭和三八年分一四五三万円、同三九年分八〇八万円)、の各存在のほか、(ハ)被告人は貸金を業としていたところ、これに関して昭和三八年に九三〇万円の、同三九年に計三四三〇万円の、各貸倒れが生じた旨主張して、これらを修正控除した被告人の昭和三八年分の犯則所得額は約四二九万円、同三九年分のそれは零(欠損)であるとしている。当裁判所は、前掲各証拠を検討のうえ、弁護人ら主張の一部につきこれを採用して判示各認定に至ったので、その理由を簡単に説明することとする。

1. 被告人の現金資金

弁護人らは、前記のように多額の簿外仕入、簿外諸経費の存在を主張しているので、その有無、程度を判断する前提として、被告人にこれに見合う資金が存在したかどうかを検討する必要があると思われる。

弁護人らは、(a)本件において、検察官は損益計算方式による立証を行っているが、その正確性の担保となるべき資産増減方式による結果を明らかとせず(最も作成の容易な貸借対照表すら提出しない。)、両者の間に不突合が生じていることがうかがわれるのに、この点を充分解明していない、(b)本件では、査察段階でも銀行調査等の結果、相当額の解明不能の出入金が存在するとされているが、これは現金として、簿外仕入、簿外諸経費の支払にあてられたものであるし、被告人には当時、頼母子講からの入金、貸していた金員の返済による入金などがあって、これらは、手持現金として簿外仕入等の資金となっていた、(c)(d)で説明した現金は、被告人において特段の記帳等をせずに管理していたから、(解明不能出入金は別としても)資金として収入段階でこれを明らかにする帳簿類が存しないし、支出段階においても、被告人が直接支払うか、木村英らをして保有せしめ、使用分をメモにより確認していたにすぎない(メモはその都度廃棄)ので、これを直接明らかにする帳簿等は存しない、旨主張している。関係証拠によると、右(a)の点は、基本的には弁護人ら主張のとおりである。商法上はさておき、税法上の所得計算方法としては損益計算方式が原則であり、二重帳簿その他商人としての義務に違反した嫌疑者に対する脱税査察事犯においては、所得の直接把握も困難であるが、資産の把握も困難であって、場合によっては適確な貸借対照表の作成自体不可能といえることなどの事情を考慮してみても、本件において、査察段階で一応作成された筈の貸借対照表が提示されず、いわゆる不突合部分の解明が充分なされていないことは不適切な措置として批判されるべきである。そして、これを念頭におく限り、(b)の点についても、そのような現金の存在を全面的に否定することは理論的に困難である(すでに査察段階においてすら、収入、支出両面において帳簿類等の物的資料が存在しないにも拘らず、被告人の供述等に依って徳寿宮ホステスに対する給料支払分五五〇万円を認容しているのであるから、他にも査察段階で未把握の現金の資金等が存在した可能性は否定できない。)。

もっとも、それが弁護人ら主張の簿外仕入、簿外諸経費の資金に見合うほど多額なものであったかどうか、又、その管理状態が前記(c)で主張するとおりであったかどうか、は別の問題である。以下、2.3.において個別的に検討するところであるが、少くとも、もし、その資金が主張どおりの多額のものであれば、被告人は何故それを査察段階の当初において説明せず、簿外仕入等の資金に銀行預金が使用された旨、極めて具体的かつ詳細に、資料の偽造までして(偽造資料が査察当局に、直接提出されることを予定した訳ではないとしても自己の依頼した税理士に対し使用されたことは否定できない。)主張したのかの疑問が生ずるのであって(例えば、頼母子講関係については、現実にこれを掛け、又、落した被告人側において、当初から適確な主張と説明を行えば、相当部分の資料保全も容易であったと推認されるところであるが、被告人らはこれを行っていない。)、「嘆願書」(昭和四〇年一一月二九日付)の記載(資金部分)の虚偽を追及されたのちに至って、貸付金の利息入金や返済入金が資金である旨主張する(「御願書」昭和四〇年一二月二〇日付)など、その供述態度は極めて不自然で、作為的である。又、その管理に関する主張においては、被告人個人の直接支出は別として、木村らを介しての間接支出については、相当の疑問があると思われること後記のとおりである。

付言するに、弁護人は、右銀行預金を資金とした旨の被告人の供述や資料作成の態度は、当時査察当局が把握した売上高と仕入高の比率(以下、便宜、原価率という。)が経営者としての被告人の経験的認識と著しく異っていたことから、その修正、再検討を願うあまり、つじつまを合せようと努めたために生じたもので、心情において理解されるべきである旨主張するのであるが、当裁判所としては到底賛同できないところであって、被告人は、原価率と関係のない簿外諸経費についても、当初、極めて多額の支出を具体的に主張し、その資金源を供述しながら(「嘆願書」参照。)、のちに支出額を激減させたり(「嘆願書訂正願」昭和四〇年一二月九日付)、新たな事項の支出を主張したり(「御願書」参照。)、前記のように資金源の説明を変更するなどしているのであって、理解に苦しむ点が多い。要するにその主張、供述の当否は、個別的に、関係資料と対比して、検討することとなるが、全体としては、容易に措信しがたいものと評価せざるをえないのである。

2. 簿外仕入

弁護人らは、多額の簿外仕入について、その品目(カルピ、米、野菜など)、と数量、金額、さらに(昭和三九年につき)仕入先、などを極めて具体的に主張している。

証拠を検討すると右具体的部分(第一二回公判陳述のもの)の大部分は、被告人が「嘆願書」において、その資金の出所などと併せて主張したものと同一と解されるのであるが、その数量、金額等の正確性については、被告人も木村英らも何ら根拠を示しえず、明快な説明をしていないのであって、極言すれば、一見もっともらしい数額ながら、それ自体はでたらめなものというほかないのであり、弁護人らの主張するところは、結局のところ、(a)簿外で取扱う必要性――いわゆる裏帳簿類である現金出納控(昭和四二年押第一〇三〇号の1)や支払明細表などにも記載できず、領収証などの確保もできなかった理由――のある仕入が存在したこと、(b)簿外で取扱うことのできる現金とその管理体制が存在したこと、(c)検察官主張の本件原価率は、法人化したのちの昌慶苑の原価率(昭和四一年一二月以降の三期分――平均約五七パーセント、最低約五四パーセント)に比べても異常に低く(昭和三八年約三九・七パーセント、同三九年約四一・六パーセント)、これは多額の簿外仕入を看過しているためであって、同業者のそれもこれほど低くはないこと、などを理由として、少くとも原価率が、法人となった昌慶苑のそれと同程度になるまで、これに見合う簿外仕入を認容するべきである、というにあると解される。

しかしながら、前記現金出納控を精査すると、これには、昌慶苑における日々の売上金(現金)の管理を中心としながら、売掛金(現金)、電話料、廃品売却代金などその他の現金収入も記載されており、その使途として、本名、仮名の預金のほか、現金仕入、現金支払の諸経費、さらに店主勘定名下の多額の現金支出(その中には社長立替金の支払まである。)、被告人の出張(又は、個人的旅行)の旅費支払、従業員やその家族への慶弔や土産のための支出などが、極めて詳細に記載されているのであって、少くとも昌慶苑において木村英が管理する現金については、その全てが記載されているものと解するのが相当である。被告人らは、右とは別に、被告人から三日ないし一週間毎に二、三〇万円の現金が木村に渡され、同人が簿外仕入等に支払っていて、その精算はメモのみで行っていた旨説明しているが、一方で多額の売上金をわざわざ本名、仮名に分けて預金としながら、他方でこれとは別の現金を仕入等のためにあてるということは、全く不合理であり、この点について銀行の信用云々などの被告人らの説明は理解をこえるところであるし、木村に対し、一方で詳細な現金出納控を記帳させ、自ら割り印までして厳格な管理を行っている被告人が、他方では、これを木村にさせずメモにとどめたというのも不自然であって、弁護人ら主張の(b)の点については、現金の管理に関してそのようなことをうかがわせることが困難である。又、(a)の点について被告人らが主張するところも、例えば、その日限りの行商人やあるていど定期的に出入する行商人(いわゆる「西成のほーさん」など)からの仕入にせよ、荒川ホルモン店ほかからの仕入にせよ、これを裏帳簿(そもそも第三者への開示を予定しておらず、当事者間の確認、記録化のために作成されたものである。)に記載できない理由がなく、(豆腐二丁の領収証がとれて出入行商人から何らの証がとれない筈はないし、それがないときは一方を浮かせて割印することもあったというのであるから、)被告人らのこの点についての説明も全く不自然であって、納得できない。もっとも、査察段階においては、簿外仕入が月二二万三〇〇〇円、年間二六七万六〇〇〇円認容されているのであって(検察官がこれを簿外諸経費として認容したといっているのは誤りである。)、右は、いわゆる解明不能の出金が仮名普通預金中に年間二九〇万円余り存在したことから、その範囲内で、しかも、仕入の主たる担当者である木村英が査察段階の当初に進んで供述した金額をそのまま採用して認容したものと解される(第四三回公判の木村の証言参照。)。これまで検討したところに従うと、右認容自体の妥当性には疑問がない訳ではないが(解明不能出金はその他の経費として、被告人個人が直接支出したものと理解すれば足りる。)、当裁判所は、審理の経過にかんがみ、敢えて、これを削減することは妥当でないと考え、そのまま認容することとしたものである。百歩ゆずって、簿外仕入が絶無でないとしても、その額は担当者木村が査察当初に進んで供述した右金額をこえていないと認めるのが相当である。何故なら、同人がこの段階で、わざわざ簿外仕入の存在を認めてもらいたいとしながら、その額を少くなく申述する理由は全くないのであって、この点についての同人の公判廷での供述は極めて不自然で、納得できるものではないからである。

最後に(c)原価率について検討する。法人化した昌慶苑の昭和四一年一二月以降の三期の確定申告書によって、売上高、仕入高、たな卸高を把握し、その原価率を算出すると本件昭和三八年、同三九年のそれに比べ、相当に差異のある数値となることは、弁護人指摘のとおりである。しかしながら、右確定申告書の記載が全面的に正確といえるかどうかの問題は別としても、その記載によれば、右三期のうち昭和四一年一二月からの期、同四二年一二月からの期はいずれも欠損の申告をなしている期であって、同四三年一二月からの期を含め三期とも営業が不振であるとされ、その理由が説明されている(とくに、同四二年一二月からの期については、値上が困難であったことを売上高の少なかった理由としている。)状態であり、本件当時と仕入、売上の態様が同一であったかどうか相当に疑問である(被告人はその旨供述するが、容易に措信できない。原価率が売上高と仕入高の比率である以上、比較的短い特定の年度をとって考えると、仕入単価が値上りしていないのに売上単価を値上げしたり――例えば、一皿二〇〇円から二五〇円に金額面で値上して、内容を、変えない場合、逆に一皿二〇〇円のままであるが、その量をへらしたり、質をおとしたりすることによって実質的値上をはかる場合が考えられる。後記物量計算の点でふれるように、木村らの実験を前提としてみても、同一であるべき一皿の内容量が盛りつけのつど、意識的でないのに相当ちがってくることのあることがわかるのである。――、仕入単価が値上りしているのに売上単価を値上げしないなど、仕入、売上のいずれかに、又は双方に変動が生ずることにより、差異が生ずることが明らかであって、現に、同一年度の昌慶苑と徳寿宮の原価率に著しい差異があるのは、主として後者がホステス、シヨーなどによって売上高を伸ばしたからと推認されるし、関係者の供述中には、主材料たる肉の値段は本件当時と昭和四〇年以降とで大分変っている旨の指摘もあり、売上単価を値上げできるかどうかが周辺類似店との競争の必要性によっても異なることは、昭和四二年一二月からの期の確定申告書の記載自体からもうかがえるところである。)。その他、同業者の供述や「中小企業の経営指標」中のデータは、一つの参考資料にすぎず(前者については、その店の場所、規模、時期、経営方法等と関係なく原価率を云々することはできないし、後者も、その対象企業が抽象化されていて、しかも少数であり、経営規模による差異が著しいなど、統計的にも重要視できない。)、結局、弁護人指摘の(c)の点は、本件簿外仕入の存否判断に際し、有力な資料とはいえない(なお、弁護人らは、いわゆる物量計算によっても、本件検察官主張の原価率の異常性が明らかである旨指摘するが、同一であるべき一皿の原料量自体に、もりつけ方やロス部分の除去方法次第で相当の差異が生じうることは証人木村自体が認めざるをえないところであるうえ、本件昌慶苑などにおける販売商品の多種、販売方法の多様、ロス部分の季節的差異などを無視することはできないから、査察段階において適確な検査をなしえなかったとする査察官片山の供述も不自然とはいえず、木村らが実施したとする物量計算の結果についても、それが原価率を正確に反映するものであるとか、さらに簿外仕入の存在をうかがわせる有力な資料であるとか、いうことができないことは明らかである。)。

結局、いわゆる簿外仕入に関する弁護人らの主張は採用できない。

3. 簿外諸経費

弁護人らが主張する簿外諸経費については、前記現金出納控に詳細な現金支出が記載されていることや支払明細表綴(押証符号4)等に詳細な小切手支出等が記載されていることなどから考えると、その存在自体に疑問がない訳ではない。しかしながら、本件では、前記のとおり、被告人が相当額の現金を貸付金回収分、頼母子講入金分などとして所持、管理していたことを全面的には否定できないと考えられるのであるから、当裁判所は、被告人その他関係者の供述のほかに何らの物的な資料の存在しない右主張についても、これら供述内容を検討し、さらに、現金出納控等に記載されている類似支出の内容、額等をも参酌したうえ、別紙(一)のとおり若干の簿外諸経費を認容することとした。その際主として考慮したのは、(a)その金額および経費の性質上、経営者である被告人のいわゆるポケツト・マネーから直接支出されたものとして不自然でないこと(木村英を介しての現金支出については、前記理由により、簿外ということが原則としてないと解されるので、その旨の供述しかないものは除外したし、小切手等で支払われるのが通例で現金支払が極めて不自然と解されるものも除外された。)、(b)徳寿宮関係については、仕入額に比べて売上額が極めて多く、その主な原因としては、前記のように、検察官もすでに認容しているホステスのほか、ショーなど料理以外のサービス等による単価の高額化が考えられること、(c)関係者の供述が具体的であり、一貫していて重要な点でくいちがっていないこと、(d)その金額、経費の性質上、供述を裏付ける物的証拠(帳簿類への記載や領収証等の存在)の欠如が不自然でないこと、(e)検察官において、被告人の主張を直接、間接に弾劾、排斥する証拠の提出が比較的容易であると解されるのに、それがなされていないこと、などの諸点であって、弁護人らの主張をそのまま認容した事項のうち、別紙(一)番号1ないし4、7、8は、主として右(a)(c)(d)の理由によるもの、同11、17、24は、主として右(b)(c)(d)の理由によるものである。

弁護人らの主張を部分的に認容した事項について説明を加えると、別紙(一)番号5、6については、いわゆる幹部会の存在そのものはうかがえるものの、昌慶苑(番号5)の回数については、木村の供述と被告人の供述とがくいちがっているなど不明確な点があるので、必要開催回数を徳寿宮同様月一回と解したうえ、関係者の供述と現金出納控等によりうかがえる当時の物価に照らすと、仮に真に一回二万円の支出がなされていたとしてもこれを全面的に必要経費と解するのは相当でなく、うち必要経費分は一回一万円であったと認めたものである。番号9は、関係者の供述により認められる当該支出の具体的内容と現金出納控によりうかがえる昭和三九年度の三回の旅行会等の旅費その他の支出金額の合計額(約五万六〇〇〇円)に照らし、年間六万円の限度で相当と認めたものであり、番号12は関係者の供述にも拘らず、前記番号7の一般慶弔費用の単価や現金出納控によりうかがえる慶弔費用の額に照らし、事業上の必要経費としては一人当り金二万円(計四万円)が相当と認めたものである。さらに番号16については(仮にその主張どおりの支出があったものとしても、)、関係者の供述に照らし、これを全面的に宣伝費その他の必要経費と解すべきではないうえ、その一部である贈答品の点でこれを裏付けるに足る物的証拠の提出が比較的容易と思われるのにそれがなされておらず、その理由も説明されていないところから、結局必要経費としては一五万円の支出があったものと認め、番号22については、関係者の支出額についての供述があまりに具体性に乏しく、現金出納控等によりうかがえる九州方面への旅費、宿泊費等の金額に照らして、その一部年間二〇万円を認めたものである。

次に、弁護人らの主張を全面的に排斥した事項についてであるが、番号10は、前記(a)(d)と逆の意味で、そのような支出が簿外でなされたことが極めて疑わしいうえ、水野自身の供述もないこと、同13は、関係者の供述に具体性が極めて乏しいこと(仮に、東京、名古屋等にある他の店まで出掛けたとしても、そのために多額の金員が必要であったとは解されないし、他店から引き抜いた従業員が存在するのであれば、より直接的、具体的な立証が容易と考えられるところ、それがなされていない。)、がそれぞれの主な理由である。又、番号14、15については、仮にそのような支出があったとしても、当裁判所としてはこれを事業遂行上の必要経費として取扱うべきではないと考えたものである。番号18ないし21ついては、関係者の供述に措信できない点が多く(例えば、金煕範の供述と被告人の公判廷での供述さらに「御願書」中の説明を比較すると、韓国内でのホステス募集を誰がどのように行ったのか、そのために借りた金員を被告人は金煕範に返済したのか、その時期はどうかなどの点で明らかにくいちがっている。)、そのような事実はなかったと解される(なお、番号19、20についてはその必要経費性にも疑問がある。)。番号23について、被告人は当公判廷で、月一〇〇万円の支出があったのであるが、査察当局と種々交渉の結果やっと、月五〇万円の限度で認容してもらったのである旨供述しているところ、これは関係証拠とくに「御願書」中の記載に照らし、虚偽と解される。すなわち、被告人は、自らの意思で(他の査察当局がほとんど認容していない事柄を一緒に)、ホステスの給料は月五〇万円位であり、簿外から支出したものである旨説明したのであって、査察当局も、徳寿宮にホステスのいたことが確認されたため、被告人の申述するままこれを認容したものと解されるのである。被告人が右段階でことさら自己の簿外支出を過少に申述すべき理由はなく、公判廷における関係者の供述もこれと矛盾するものではないから、結局、この点につき追加認容すべきものは存在しない。

4. 貸倒金損失

本件審理の経過にかんがみると、被告人が当時副次的ながら貸金を業として行っていたことは検察官も敢えて争わないところと解されるし、関係証拠によっても、多くの貸借関係の存在そのものおよびその事業性につき、疑わしい点があるとはいえ、これを全面的に否定することは困難なので、この点を前提として、本件各年度において主張されている具体的な貸借関係につき、その事実があったかどうか、さらに貸倒れの事実があったかどうかの二点を検討することとする。

(a)  宮本こと鄭相鎔関係

鄭相鎔は、被告人との貸借関係発生の経緯、内容、その後の事情等につき比較的詳細かつ具体的に、しかも被告人に不利ともいえる事実(例えば、主観的には同人自身借金返済の意思を有していたし、被告人も時々さいそくしていたこと、倒産するまでは相当額の利息を被告人に支払っていたことなど)を含めて卒直に供述しているものと解され、その供述中には虚偽の点があれば検察官においてこれを弾劾することが比較的容易と思われる事柄も少なくないにも拘らず、検察官からそのような措置がとられていないことをも考慮すれば、被告人と鄭との間には昭和三八年を弁済期とする計金九三〇万円の貸借関係が存在していたことがうかがえる。検察官は、鄭の債務は同人が大口債権者である富士観光に対する分につき土地、建物を提供するなどして解決した結果被告人に対する分のみとなったものであり、同人自身弁済の意思を有したし、その能力もないとはいえず、被告人もこれをさいそくしているのであるから、要するに、弁済期が延期されているにすぎず、貸倒れの要件が具備されているとはいえない旨主張する。しかしながら、鄭は、当時、結局全財産を富士観光等にとりあげられたうえ、多額の債務のためもあって約六年間にわたり富士観光で働いていたと解されるのであるから(被告人がそのうちもうけて返せとの発言をし、鄭もその意思を一応有していたとしても、それはいわゆる出世払いの域を出ず)、客観的には昭和三八年五月頃の倒産時点又はその後の同年九月頃の債務整理の方向が一応定まった時点において、回収不能になったものと解するのが相当であって、弁護人らの主張は理由がある。もっとも被告人は同年中に貸金業として相当額(被告人自身の供述によれば四八五万円位とも解される。)の利息収入をえていた筈であって、これを犯則所得として追加認定することも可能と思われるが、本件管理の経過にかんがみ、検察官が積極的に訴因変更の手続をとらない現段階において、訴因変更を命じてこれを認定することは相当でないと考え、その措置をとらないこととした。

(b)  佐藤文子、真山輝子、平山敏子関係

平山敏子の所在は不明であり、佐藤文子、真山輝子がいずれも証人として供述するところは相当に抽象的であって、一応これと合致するが如き被告人の供述を含めて、相互にくいちがいやあいまいな点が少なくない。例えば、佐藤と被告人との間の貸借関係の唯一の物的証拠ともいうべき手形の所在について、被告人は、当初査察官に対し、これを佐藤に返却した旨述べながら、明確にくいちがう同人の供述があったのちは、返却しなかったが、どうしたかわからない、破棄したと思う旨変更いているし(弁護人はこれを単なる思いちがいであるとするが、佐藤、被告人双方にとって極めて重要なこの点につき思いちがいがあったとは解せられない。)、佐藤が取引関係があったと供述する銀行については、そもそもそのような銀行支店が実在しないか、佐藤との取引がなかったことが明らかとなっている(弁護人は、佐藤の本名での取引があった訳ではない旨弁解するが、佐藤の右供述の前後関係からはそのようには理解できないうえ、右弁解は前者についての説明とはなっていない。)、さらに、被告人は、当初の「嘆願書」において、佐藤文子の倒産が平山敏子の倒産の原因であった旨説明しているが、佐藤、真山はこれと逆に所在不明の平山の倒産を佐藤ら倒産の原因としているし、佐藤に対する貸付開始の時期についても被告人が「嘆願書」で説明するところと、佐藤、被告人の公判廷での供述はくいちがっているのである。そして、より基本的な問題としては、鄭のような一つの事業を行っている者に貸付ける場合は別として、佐藤、真山、平山は、いずれも単なる金融業者であって、被告人が、いかに同女らを信頼したからといって(被告人の主張どおりとすれば、)、すでに昭和三七年、三八年と相次いで多額の貸倒損失を生じたのちにおいて(真山の場合)、あるいは信用関係不明の第三者の手形によって(佐藤に対する大口貸付の初期の場合)、元来担保なしで貸すということはめったにないと自認したことがあり(谷山善助の供述参照。)、金に関してはうるさいといわれている(西原武男の供述参照。)被告人が、とればとれたと思われる担保その他債権確保の措置もとらずに、しかも自らが借金までして、極めて多額の貸付をしたであろうかという疑問が存するのである。要するに被告人が貸付けた旨供述し、佐藤、真山が借受けたが倒産して返済できず許してもらった旨供述するのみで、少くともいずれか一方において存在するのが通例である帳簿類、銀行関係控、手形、証書が当初からないか、破棄等されたとされている本件においては(被告人がこのような貸倒れを主張したのは昭和四〇年一一月であって、貸倒れがあったという時期からわずか一年余りしかたっておらず、この種証拠の保全が不可能であったとは解されないのである。)、被告人はじめ関係者の供述が不自然で措信できない以上、(佐藤、真山らが倒産したかどうかは別として)被告人が同人らに多額の貸付金を有したとの点はこれがなかったものと認めるのが相当であり、貸付金の存在を前提とする弁護人らの主張は理由がないものというべきである。

5. 結論

以上検討したとおり、弁護人ら主張のうち、簿外諸経費として昭和三八年分の四一五万円、同三九年分の一〇四万円、貸倒損失金として昭和三八年分の九三〇万円は、いずれもこれを認容するのが相当であるから、当裁判所は、検察官が主張し、前掲各証拠により認められる犯則所得額から、昭和三八年分一三四五万円、同三九年分一〇四万円を減額することとし、所定法規に従って、その脱税額を算出し、判示のとおり認定したものである。脱税額算出の詳細は別紙(二)脱税額計算書のとおりである。

(法令の適用)

1. 構成要件 いずれも昭和四〇年法律第三三号附則第三五条により昭和二二年法律第二七号(旧所得税法)第六九条第一項

2. 刑種決定 いずれも懲役刑と罰金刑を併科

3. 併合罪処理 刑法第四五条前段、第四七条本文、第一〇条、第四八条第二項(懲役刑は判示第二に加重、罰金額合算)

4. 執行猶予 (懲役刑につき)刑法第二五条第一項

5. 労役場留置 刑法第一八条

6. 訴訟費用 刑事訴訟法第一八一条一項本文

(量刑事由)

本件各犯行の動機、態様、結果(とくに、そのほ脱税額-合計二九五一万余円およびほ脱税率-平均約九六・八パーセント)、犯行後の事情、被告人の経歴、その他の諸事情を考慮した。

よって、主文のとおり、判決する。

(裁判官 堀内信明)

別紙(一) 簿外諸経費に関する弁護人らの主張と裁判所の認定、判断

(注) (昌)=昌慶苑関係、(徳)=徳寿宮関係、結論欄の○=主張を全部認容したもの

同△=主張の一部を認容したもの 同×=主張を排斥したもの

別紙(二) 脱税額計算書

昭和38年分

昭和39年分

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