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大阪地方裁判所 昭和43年(わ)121号 判決 1979年9月20日

目  次

主文

罪となるべき事実

証拠の標目(略)

証拠に関する主な問題点について

一 被告人多田の検察官に対する供述調書について

二 被告人多嶋の検察官に対する供述調査について

三 沢春藏の検察官に対する供述調書について

四 被告人関谷その他関係人の検察官に対する供述調書について

五 大阪タクシー協会の総会議事録、同理事会議事録について

事実の認定に関わる諸問題点について

別紙のとおり

法令の適用

別紙

事実の認定に関わる諸問題点について

第一 被告人らの経歴等

一 被告人らの経歴

(一) 被告人多嶋

(二) 被告人多田

(三) 被告人関谷

(四) 寿原正一

二 被告人らの間の関係

第二 大阪タクシー協会、同好会、全国乗用自動車連合会

一 大阪タクシー協会(同好会、LPG委員会を含む)

二 全国乗用自動車連合会

第三 本件の背景

一 石油ガス課税問題の発端

(一) LPガスの開発使用

(二) LPG車の普及率

二 石油ガス税法案の立案、審議、法案成立の経過の概要

三 LPガス課税によつて受ける打撃、被告人らのLPガス課税に対する反対とその理由並びに被告人関谷、寿原に対する期待

(一) LPガス課税によつて受けるタクシー業者の打撃

(二) 被告人らのLPガス課税に対する反対とその理由

(三) 被告人多田、同多嶋の被告人関谷、寿原に対する期待

第四 本件犯行に至る経緯(課税反対運動の経緯を含む)

(上中メモについて)

第五 本件犯行

一 被告人多田、同多嶋らの謀議について

1 被告人多嶋、同多田の供述

(1) 被告人多嶋の検察官に対する供述調書

(2) 被告人多田の検察官に対する供述調書

(3) 被告人多嶋の公判廷における供述

(4) 被告人多田の公判廷における供述

2 (右の検討)

3 (結論)

二 実行行為について

(一) (準備行為について)

(二) 金封の表書

(三) 寿原正一に関する金員供与について

1 (準備行為について)

2 金封授受の状況について

3 (被告人多田が寿原に金封を手交した際の同多田、寿原らの言動)

4 (寿原が受取つた一〇〇万円の措置)

(四) 被告人関谷に関する金員供与について

1 金員授受のときの状況及びその後の事情についての証拠関係

2 本件金封は被告人関谷に手渡されたのか、或は大タク協にもち帰られたのかについて

3 (被告人多田が同関谷に金封を手交した際の同多田、同関谷らの言動および同関谷が受取つた一〇〇万円の措置)

(五) (後援会に対する献金をいう被告人多田らの供述について)

三 その余の金員供与計画の一部取り止めについて

(一) 原健三郎議員に金員の受領を拒まれ、注意を受けたということについて

(二) 右(一)の事実を被告人多田らが知つていたこと、そのために、その後における金員供与を計画どおり遂行しなかつたことについて

第六 本件金員の賄賂性について

一 被告人関谷、寿原の職務権限について

二 被告人関谷、寿原に対する請託について

三 金員供与の趣旨について

1 課税反対意思

2 本件金員供与が行われた時期

3 国会審議の動向に関する認識と対応

4 本件被供与者の人選と金額の決定

5 昭和三九年年末の金員供与計画との関係

6 資金関係

7 伝票、出張命令簿の記載

8 同好会、理事会等における発言

(1) 六月二一日の同好会

(2) 六月二八日の臨時理事会

(3) 八月五日の同好会

(4) 八月九日の理事会

9 金員授受の状況

10 被告人関谷、寿原の受領した金員の措置

11 本件金員供与の趣旨に関する証言

(1) 証人口羽玉人の証言

(2) 証人沢巌の証言

12 本件金員供与の趣旨に関する検察官に対する供述調書

(1) 被告人多嶋の供述調書

(2) 被告人多田の供述調書

(3) 沢春藏の供述調書

(4) (その余の関係人の供述調書)

13 結論

四 被告人関谷、寿原の認識

1 被告人関谷について

2 寿原について

五 被告人関谷に関し、いわゆる第三者供賄罪が成立する余地があるかどうかについての検討

以上

被告人 関谷勝利 外二名

主文

被告人多嶋太郎を懲役八月に、被告人多田清および被告人関谷勝利を懲役一年に各処する。

但しこの裁判確定の日から被告人多嶋太郎に対し一年間、被告人多田清、被告人関谷勝利に対し二年間いずれもその刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人山岸敬明および証人平野明彦に各支給した分は、被告人多嶋太郎、被告人多田清の連帯負担とし、その余の各証人に支給した分は、被告人多嶋太郎、被告人多田清および被告人関谷勝利の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人多嶋太郎は、大阪府下のハイヤータクシー業者約一一四社をもつて組織する大阪タクシー協会会長、被告人多田清は、同協会理事で、相互タクシー株式会社代表取締役社長、被告人関谷勝利は、衆議院議員として法律案の発議、審議、表決等をなす職務に従事していたものであるが、

第一  被告人多嶋太郎および同多田清は、前記大阪タクシー協会理事でハイヤータクシー業を営む会社の役員である沢春蔵、坪井準二、口羽玉人およびハイヤータクシー業を営む会社の役員である高士良治並びに大阪タクシー協会専務理事井上奨と共謀のうえ、

一  昭和四〇年二月一一日内閣から衆議院に提出され、当時衆議院大蔵委員会で審査中であつたタクシー等の燃料に用いる液化石油ガスに新たに課税することを内容とする石油ガス税法案について、かねてより、廃案、或いは税率の軽減、課税実施時期の延期等ハイヤータクシー業者に有利に修正されるよう、同法案の審議、表決並びにこれらにつき他の議員を説得勧誘するよう被告人関谷勝利に依頼してきたところ、昭和四〇年八月一〇日、東京都千代田区永田町二丁目衆議院第一議員会館三一五号の被告人関谷勝利の事務室において、右同様の依頼をなし同法案についてのこれまでの尽力をうけたことおよび今後も同様の尽力をうけたいことに対する謝礼の趣旨等のもとに、被告人多田清において、現金一〇〇万円を供与し、もつて、被告人関谷の職務に関し賄賂を供与し、

二  前同日、同区霞ヶ関三丁目七番地グランドホテル三一二号の寿原正一の事務室において、法律案の発議、審議、表決等をなす職務に従事していた衆議院議員の同人に対し前同様の依頼をなし、前同趣旨のもとに、被告人多田清において、現金一〇〇万円を供与し、もつて、寿原正一の右の職務に関し賄賂を供与し

第二  被告人関谷勝利は、かねてより前記石油ガス税法案について、廃案或いは税率の軽減、課税実施時期の延期等ハイヤータクシー業者に有利に修正されるよう同法案の審議表決に当つて自ら同旨の意思を表明し並びに同様の意思表明につき他の議員を説得勧誘するよう被告人多田清らから依頼を受けてきたものであるが、前記第一の一の日時、場所において、右同様の依頼を受け、右法案についてのこれまでの右尽力および今後の同様の尽力に対する謝礼の趣旨等のもとに供与されるものであることの情を知りながら、被告人多田清から現金一〇〇万円の供与を受け、もつて、自己の前記職務に関し請託を受けて賄賂を収受したものである。

(証拠の標目)(略)

(証拠に関する主な問題点について)

一  被告人多田の検察官に対する供述調書について

弁護人らは、要旨、検察官は、(1)本件で被告人多田を取調べた全過程を通じ被告人多田に対し供述拒否権を告知せず、(2)取調べに当つて被告人多田を睨みつけ、睨み合いを強要して被告人多田に心理的圧迫を加え、(3)昭和四二年一一月二九日夜、大阪拘置所の取調室において、自白しなければ来年の桜の花が咲くころまでここを出られないといつて脅し、(4)取調べに当つて手錠をかけて拘置所と大阪地検の取調室を一日三回往復させると脅し、(5)同年一二月八日か九日夜大阪拘置所の取調室において、被告人多田の机の上においてあつた湯呑み茶わんをとつて一杯入つた湯茶を被告人多田の足もとに放り捨て、お前のような横着な奴は、と大声で叫びながら被告人多田の肩を鷲掴みにし五、六回左右に大きく振り、さらに被告人多田の腕をつかんで取調室の前の薄暗い廊下に引つ張り出し、被告人多田の意に反し同所廊下を約二〇メートル位の間往復させ、(6)勾留後一〇日か一一日たつたころ、本件金員の趣旨が被告人関谷、寿原に対するお礼であることを否認する被告人多田に対し、気をつけ、姿勢を正せなどと大声で怒鳴りつけたと主張し、被告人多田の取調の過程にかかる人権侵害の事実があつたとして被告人多田の検察官に対する供述調書の任意性を争つている。

証人河田日出男(被告人多田に対する取調検事)は公判廷において、弁護人らが主張している右の(1)ないし(6)の各事実についてすべてこれらを否定する趣旨の証言をしている。即ち同証人の証言によると、供述拒否権の告知に関しては、被告人多田の在宅取調をはじめた前同年一〇月一八日の取調の冒頭に被告人多田に告知しており、さらに被告人多田を逮捕して取調をした同年一一月二四日にもその取調の冒頭において、いいたくないことはいわなくてもよい、という形で告知していること、被告人多田の取調べに際して睨みつけたり睨み合いをしようといつたことはなく、取調中被告人多田の机の上に湯のみ茶わんはおいておらず、湯茶を被告人多田の足もとに投げ捨てたことはないし被告人多田の身体に手をかけてゆすつたり、被告人多田を廊下に連れ出して歩かせたり被告人多田と一緒に歩いたこともないこと、自白しなければ来年の桜の花が咲くころまで拘置しておくとか、被告人多田に対して気をつけ、姿勢を正せなどということは言つていないこと、被告人多田は、任意取調の当初から検察官の質問に対して終始慎重にかまえ、メモを利用するなどして慎重に供述し、供述調書の作成に当つても検察官が用いる文言について神経をとがらせ、主張すべき点の主張は通し否認すべき点は否認していることが認められる。さらに、被告人多田の検察官に対する供述調書を検討すると、被告人多田が否認し、自己の主張を通そうとしている部分については問答の形式で被告人多田の供述がそのまま記載されておりこの問答の部分をみても、被告人多田が否認しようとしている点については検察官にその旨を強く主張し、自己の供述を曲げておらず、検察官の重ねての質問に対してもこれに迎合したり、誘導にたやすくのるようなことはなく、ことに、右証人の証言によつても、また右の供述調書によつても、被告人多田は自己の信念だといつて主張しているところは、これを曲げようとすることはなかつたことも認められる。さらに、被告人多田の検察官に対する供述調書によると、被告人多田は在宅取調当時検察官に対し、被告人関谷、寿原に対し自ら金封を手渡した旨の供述をしていた(前同年一〇月二八日付供述調書)のに、勾留中の取調に際しては、右の供述をひるがえし、自分が被告人関谷、寿原に対し金封を手渡したと検察官に供述したこともない旨の供述をしているのであつて(前同年一二月一四日付(四)供述調書)、これらの事実を見ても被告人多田の言い分が素直に調書に記載されていることが認められる。しかも被告人多田としては自己が検察官に対して供述したことで、ことに自分が金封を直接被告人関谷、寿原に対して手渡したという供述をしたことにより、被告人関谷、寿原に対し捜査の手がのびることを非常に懸念していたこともうかがわれるのである。叙上の諸事実にかんがみると、被告人多田が作成している「検事は供述拒否の告知をしない」、「手錠で引廻しの件」、「にらみ合いを強要」、「検事取調べ中の暴行」、「気を付け、姿勢を正せ」、「忘備録」(二通)の各書面の記載内容およびこれと同旨の被告人多田の公判廷における供述は、いずれも措信できないというべく、他に被告人多田の検察官に対する供述調書の任意性に疑いをいだかしむる事情も存しない。

二  被告人多嶋の検察官に対する供述調書について

弁護人らは、弁護人と勾留中の被告人多嶋(但し、当時被疑者。以下同じ)との接見交通に制限が加えられたといつて、そのことを理由に、被告人多嶋の勾留中における検察官に対する供述調書は適正手続の保障に違反して作成されたものであり、また、その任意性も否定されるべきであると主張する。

被告人多嶋は、本件の被疑者として、昭和四二年一一月二四日大阪地方検察庁で逮捕され、同年一二月一五日釈放されるまで大阪拘置所に勾留されて検察官の取調をうけたことは関係証拠により明らかである。

検察官原清作成の昭和五三年九月一六日付「被疑者多嶋太郎と弁護人との接見状況について(報告)と題する書面および証人土肥孝治(被告人多嶋に対する取調検事)の証言によると、被告人多嶋が逮捕、勾留されて取調を受けていた右の二二日間に被告人多嶋の弁護人河合宏が同年一一月二五日午后零時三〇分より午後零時四五分までの間、同平田奈良太郎および同松本武裕が右同日右に引きつづき午后零時四五分より午后一時までの間、同植垣幸雄が同一一月二八日午後一時二〇分より午後一時三五分までの間、同年一二月六日午後二時五〇分より午後三時五分までの間、同年一二月一二日午前一一時一五分より午前一一時三〇分までの間の各一五分間ずつ同多嶋と大阪拘置所で接見していることが認められる。ところで、被告人多嶋の右弁護人らの右の接見が個別的指定にかかるもので、しかも事前に一回につき一五分間に限る旨の指定がなされたものであることは接見に関する「指定書」が個別的に発付されていることやその「指定書」の記載により推認するに難くなく、また、右証人の証言によると、当時弁護人と被疑者との接見時間は大体一五分間とされていたことが認められ、検察官が弁護人に指定した右の各接見時間を大阪拘置所長作成の「被疑者の取調時間等の照会について(回答)」と題する書面に添付されている「検察官の取調時間について」の表中の被告人多嶋太郎の取調時間の記載に対照してみると、右の一二月六日の場合を除く一一月二五日、一一月二八日、一二月一二日のいずれの場合にも接見を指定された右の各時間の前後に検察官が被告人多嶋の取調べをなしていない時間があることは明らかであつて、検察官が弁護人の接見時間をこのように一五分間に限つて指定しなければならない捜査上の必要があつたことは認められない(刑訴法三九条三項にいう「捜査のため必要があるとき」につき最高裁判所昭和五三年七月一〇日第一小判決参照)。弁護人は、さらに、検察官に対し接見のための日時等の指定を求めても、検察官はその日のうちの日時は指定せず、数日後の日時を指定したと主張し、右証人土肥孝治に対する証人尋問の中で、同証人に対し当時本件の捜査の全般的指揮をとつていた当時の大阪地検特捜部部長検事がそのような扱いをしていたのではないかという尋問をしているが、同証人は、弁護人から接見の申出がある都度よほど現在被疑者の取調中で困るというように捜査に具体的な支障を生じない限り、弁護人に被疑者との接見をしてもらうという措置をとつていた筈であつたと証言し、他に弁護人の右の主張に副う証拠は存しない。

前記認定のように、被告人多嶋の取調中であるなどの捜査上の必要がなかったのに、弁護人の被告人多嶋に対する接見を、事前に、一五分間だけに限つて許可するとした検察官のこの措置は、弁護人の接見交通権に対する違法な制限であるといわなければならない。しかしながら、弁護人の接見時間が一五分間と指定されるにいたつたいきさつや、一五分間に限られたことにより弁護人或いは被告人多嶋がこうむつた格別の不便や不利益についてこれを詳らかにみる証拠はないし、弁護人においてこの接見の回数や時間に関し救済を求める措置を講じた形跡もうかがわれないことから、当時弁護人としてこのような回数と時間を指定されたことにより到底甘受し難い不利益をこうむつたものであるとにわかに断ずることもできないといわねばならない。そして、被告人多嶋が身柄を拘束された翌日の一一月二五日、三人の弁護人が合計三〇分間被告人多嶋と接見し、その後においても被告人多嶋の勾留期間中に、弁護人は三回に亘り一五分間ずつ被告人多嶋と接見しているのであるから、叙上の事実にもかんがみ、前記認定の検察官がとつた違法な措置は、未だ、弁護人に対して接見交通権を保障した趣旨を没却させるほどに重大な違法であるとは到底認められないのであつて、被告人多嶋の勾留中における検察官に対する供述調書を証拠から排除することを相当と認めうる事由はないといわねばならない。また、弁護人の接見に関し検察官がとつた前記認定の措置を参酌しながら関係証拠を検討してみても右の措置が任意性に影響を及ぼしたことは未だ認められず、また、証人土肥孝治の証言によると、被告人多嶋は、終始素直な態度で取調べに応じ、慎重に記憶を喚起しながら事実についての供述をしていたこと、取調べに当つて、被告人多嶋をおどしつけたり、偽計を用いたり、利益誘導をしたことはないこと、被告人多嶋が供述していない事実や否認にしている事実を押しつけたり、質問に対して返答に窮しているのに供述したかのごとく供述調書に記載したことはないこと、本件金員の趣旨に関する供述についても、在宅取調当時からすでに謝礼の趣旨であることを認めていたものであること、ただ逮捕に際しての弁解の録取の際と勾留中の前同年一一月二九日検事に提出した上申書中において本件金員の趣旨について否認、弁解をしたが、検察官がそれまで謝礼である旨認めていた趣旨に関する供述をこのように否認するに至つた事情や理由を問い質した際、被告人多嶋は本件金員の趣旨につき賄賂である趣旨の供述をすれば被告人関谷、寿原らに迷惑が及ぶことを懸念したからである旨自ら供述しており、検察官が被告人多嶋に対しこのような否認、弁解をする理由を問い質した際にその質問の方法が強制に亘るものであつたことは認められないし、もとより同多嶋を叱責したこともないこと、その後において、同多嶋は従前のように本件金員の趣旨が謝礼であることを認める供述をくりかえしたことがそれぞれ認められ、右認定に反する被告人多嶋の公判廷における供述は採用できず、他に被告人多嶋の検察官に対する供述調書の任意性に疑いをいだくべき事由は存しないのであつて、結局、被告人多嶋の検察官に対する供述調書につき、その任意性は認められるというべきである。

三  沢春藏の検察官に対する供述調書について

沢春藏は、本件の被疑者として昭和四二年一一月二四日大阪地方検察庁で逮捕され、同年一二月一五日釈放されるまで大阪拘置所に勾留されて検察官の取調をうけたが、日頃から肝臓、腎臓、心臓が悪く身柄拘束後四日目ごろから一〇日間位下痢になやまされ、身柄を拘束されて取調べをうけることは非常に苦痛で一二月一五日釈放されたときは体も非常に弱つており八六キログラムあつた体重も一五キログラム減つて、七一キログラムになつてしまい、釈放されてあらためて医者の診察をうけた際直ちに入院するようにすすめられたと証言している(第二四回公判)。

しかし、他方、同人の証言によれば、身柄拘束中の二二日間のうち、身体の調子が特に悪いときは毎日拘置所の医務室で医師の診断をうけ、身体の調子が悪くないときでも隔日には医務室で医師の診断をうけており、通じて七、八回位は医師の診察をうけており、下痢についても投薬治療をうけ一週間位で下痢も止つたこと、一日の取調時間は短いときで二時間余り、長いときでも四、五時間程度で、午後一一時ごろまで及んだこともあつたが、それも三、四回程度にすぎず、同人も身体の調子が思わしくないことを理由に取調時間についての配慮を申出たこともないこと、釈放後、直ちに日本交通株式会社社長として、多忙な年末の執務に当り、入院することもなかつたことが認められ、さらに証人稲田繁司(沢春藏の取調検事)の証言(第八一回公判、第八三回公判、第八七回公判)によると、沢春藏は、当時六六歳のかなり高令であつたうえ、神経痛の持病があり、左足も不自由であつたので、同人は、高血圧症、動脈硬化、心不全、肝臓疾患などは特にないと言つていたものの、同人の健康状態については、終始充分に配慮していたこと、同人は取調に当り身体の苦痛を訴えたことは全くなかつたこと、同人は終始温厚な態度で取調べに応じ、質問に対しては記憶を喚起して供述しており、取調に際して検事の方から供述を押付けたり強い誘導はしていないことが認められ、さらに沢春藏の前記証言によると起訴猶予にする旨告知されたのは同人に対する取調がすべて終つた昭和四三年一月二〇日のことであつて、取調中に検察官から起訴猶予にするなどという利益誘導をうけたことはないことが認められるのであつて、証人稲田繁司の証言にかんがみ、沢春藏の取調に際し同人の供述の任意性に疑いをいだかしむる事由もうかがわれない。したがつて、沢春藏の検察官に対する供述調書中の供述記載について、供述の任意性に疑いをさしはさむ余地はない。

四  なお、被告人関谷、寿原正一、坪井準二、辻井初男、井上奨、吉村良吉、高士良治、大山貞雄、飯原敏雄、谷源治郎、山岸敬明、沢巌、江間孝三郎、安永輝彦の検察官に対する各供述調書につき、それぞれ、関係証拠を仔細に検討するも、いずれもその供述の任意性について疑いをいだかしむるに足る事由は存しないというべきである。

五  大阪タクシー協会の総会議事録、同理事会議事録について

大阪タクシー協会の定款によると、総会の議事録を作成して備付けることとされており、その記載すべき事項も規定され、議長および出席会員二名以上がこれに署名して保管するものとされている。また、理事会の議事録については、定款上は、その作成は要請されていないが、大阪タクシー協会では、従来より理事会のもようをできるだけ正確に会員会社に知らせるため、必ず理事会の議事録を作成しており、その記載方法や内容については総会の議事録に準じて理事会が開催された日時、場所、議題出席理事の発言、意見などを記載し、その都度、会員会社に配布してきていたものである。総会の議事録および理事会の議事録の作成に当つては、大タク協創立当初は辻井総務課長或いは上中業務課長が、その後は同協会職員の森中年春、次いで木田泉(旧姓桜井)が、総会、理事会の席に終始臨席し、総会、理事会のもようや発言者、発言内容を詳細にメモにとり、その後これを整理してその原稿を作成し、これを専務理事、会長が順次、その記載に誤りがないかどうかを審査し、訂正すべきところは訂正するなどして決裁したうえ、印刷して議事録として作成し、これを協会に備え付けるとともに必ず会員各社に配布していたものである。

叙上の事実にかんがみると、大阪タクシー協会の総会議事録および理事会議事録は、いずれも業務の過程の中で作成されたもので恣意の介在する余地もきわめて少ないものであることが認められ、結局刑訴法三二三条三号にいう「特に信用すべき状況の下に作成された書面」に該当し、その証拠能力は認められるとともにその内容についても信用を措くことができるというべきである。

(事実の認定に関わる諸問題点について)

別紙のとおり

(法令の適用)

被告人多嶋、同多田の判示第一の一、二の各所為は、刑法六〇条、一九八条一項、刑法六条による昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、被告人多嶋、同多田につき、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上の各罪は刑法四五条前段の併合罪なので同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人多嶋を懲役八月に、被告人多田を懲役一年に処する。

被告人関谷の判示第二の所為は、刑法一九七条一項後段に該当するので、その所定刑期の範囲内で同被告人を懲役一年に処する。

被告人多嶋、同多田、同関谷の各執行猶予の言渡につき刑法二五条一項を、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を各適用し、主文のとおり判決する。

なお、被告人関谷が収受した一〇〇万円については関係証拠によれば、その後安永輝彦が大阪タクシー協会(以下大タク協)に持参し、とりわけ、第六一回公判調書中証人辻井初男の供述記載によれば大タク協では、「仮出金戻る」の伝票処理(預り金、仮受金という特別の指示のない場合の処理)をして大タク協名義の通知預金にしていたことが認められるところ、被告人関谷がこの一〇〇万円について大タク協に保管させるように安永輝彦に指示して伝達させたことを認めるに足る証拠はなく、しかも、被告人関谷に返されたことをうかがう証拠もないのであるから、被告人関谷が収受したこの一〇〇万円は大タク協に預けられたものであると認めることはできず、大タク協に返されたものになるといわざるをえない。してみると、この一〇〇万円は刑法一九七条の五により被告人関谷から没収することはできず、またその価格を追徴することができる場合にもあたらないと解すべきであつて、この一〇〇万円の没収ないし追徴に関しては、刑法一九条によることになる。そこで、刑法一九条によるとこの一〇〇万円を通知預金にしている大タク協は、同条二項但書にいう情を知つてその物を取得したいわゆる第三者に該当するということができるけれども、右の返された一〇〇万円は、大タク協において通知預金にしたとき現物性を失つて価値に転換しており、同条一項により没収することはできないし、また同法一九条ノ二によりその価格を追徴することは相当でないというべきである。

以上の次第であるから被告人関谷が収受した本件一〇〇万円については、これを没収することもまたその価格を追徴することもできないので、没収の言渡も、またその価格の追徴の言渡もしないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 井上武次 谷口敬一 市川正巳)

別紙

(事実の認定に関わる諸問題点について。)

(以下、括弧内に挙示した証拠は、関係証拠中、就中、主なものを示す。)

第一被告人らの経歴等

一 被告人らの経歴

(一) 被告人多嶋は、大正一二年八月鉄道省東京鉄道局に採用され、その後鉄道省、運輸逓信省、運輸省に勤務し、昭和二五年七月神奈川県陸運事務所長を最後に依願退職した。そして同年八月東京都内のタクシー会社に常務取締役として、次いで同二九年四月旅客自動車研究会に専務取締役として勤めたものの、いずれも辞め、同三〇年三月東都乗用自動車協会並びに日本乗用自動車連合会の専務理事となつたが、同三五年七月右専務理事を辞任し、同年一〇月社団法人大阪旅客自動車組合の書記長に就任し、その後同組合がその名称を社団法人大阪旅客自動車協会(以下大旅協又は旧協会と略称する)と変更したのにともなつて同協会の専務理事となつた。同三八年四月大旅協から相互タクシー株式会社をはじめとする大手業者が脱退して新たに大阪タクシー協会(以下大タク協と略称する)を創立したのにともない同被告人も大旅協を退職して大タク協の専務理事に就任するとともに、全国乗用自動車連合会(以下全乗連と略称する)の常任理事に就任し、同三九年一一月二四日大タク協の会長、同四〇年四月全乗連副会長に各就任し、主として、大タク協会長として、同協会を代表し、その業務等を掌理する地位にあつたものであるが、本件起訴後の同四五年七月に大タク協会長および全乗連副会長を辞任するとともに、その後は同協会の顧問に就任し、現在に至つている。

(二) 被告人多田は、昭和九年大阪の相互タクシー株式会社の代表取締役に就任し、同一三年京都相互タクシー株式会社、同二〇年七月相互林業株式会社を、同三〇年一〇月神戸相互タクシー株式会社を各創立して、その各代表取締役に就任した。同三八年四月それまで会長をしていた大旅協を脱退し、他の大手業者とともに大タク協を創立し、同協会の理事に就任したが、同四五年七月被告人多嶋の大タク協会長等の辞任にともない大タク協会長および全乗連副会長に各就任し、現在に至つている。被告人多田が代表取締社長をしている相互タクシーは、本件当時、車輛台数約六七〇台を所有し、大阪府下最大のタクシー会社である。

(三) 被告人関谷は、愛媛県立松山中学校卒業後、家業であつた建設業を営み、昭和一四年ごろから終戦直後にかけては愛媛県の海運を一手に掌握する愛媛汽帆船運送株式会社の社長や松山市内で港湾運送、港湾作業を営む会社の社長をしていたが、同二一年四月施行の衆議院議員総選挙に愛媛県から立候補して当選し、同二四年一月施行の衆議院議員総選挙に愛媛県第一区から立候補して当選し、以来同四七年一二月施行の同選挙まで連続一〇回当選した。同五一年一二月施行の同選挙に際して政界を引退し、現在に至つている。被告人関谷の衆議院議員歴は約二九年八ヶ月に及んでいるのであるが、その間、衆議院においては運輸委員会の委員をしていた期間が長く、就中、同二五年から同二六年にかけて運輸政務次官を務め、同三九年一二月二一日開会の第四八国会以降第五四国会(同四一年一二月二七日解散)までの間衆議院運輸委員、同四二年二月一五日開会の第五五国会においては、同年一二月六日辞任するまで衆議院内閣委員長を務めており、自民党内においては政務調査会交通部会に所属していた期間が長く、就中、同三八年八月から同三九年七月まで同交通部会長を務め、同年八月から同四二年一二月まで同交通部会に所属し、同三八年一〇月から同四〇年九月までおよび同四一年一一月以降同党政務調査会税制調査会委員を務め、同四一年八月から同四二年二月まで同党総務に所属していた。

(四) 寿原正一は、北海道の尋常高等小学校を卒業し、自動車運転手や自動車修理工をし、通信教育で専修大学会計学本科を修了し、その後の昭和二八年ごろタクシー部を併設している東京寝台自動車株式会社の代表取締役となり、次いで、東京都内に在る中央自動車交通株式会社、新宿交通株式会社、札幌市に在る大和交通株式会社、つばめ自動車株式会社などのタクシー会社数社の社長や会長などの各役員に就任し、その間の同三五年一一月、次いで同三八年一一月各施行の衆議院議員総選挙に北海道第一区から立候補していずれも当選して衆議院議員を二期務めたが、同四二年一月施行の衆議院議員総選挙に同区から立候補し、落選した。その間、衆議院において終始運輸委員会委員を務め、自民党内においては終始政務調査会交通部会に所属し、同四一年九月から同年一二月までの間においては同交通部会副部会長を務めた。

二 被告人らの間の関係

被告人関谷は、運輸行政に関する諸問題について造詣が深いことを自負しており、いわゆる古参議員としてその発言の他議員に及ぼす影響は少なくなく、これらのことは本件以前かねてより被告人多田、同多嶋ら大タク協、幹部らもよく知悉しており、タクシー業界に関する問題について同関谷の議員活動に期待するところは大きいものがあつた。また、被告人関谷はかねてより同多田、同多嶋と親しく、その他大タク協幹部の者らとも付き合いがあり、同三九年一一月二四日同多田、同多嶋ら大タク協幹部らが中心となつて同関谷の後援会松山会関西支部を結成した。

寿原は、自らがタクシー事業の経営に参画していることもあつて、運輸行政に対する熱意も大きく、いわゆる二年生議員とはいうものの行動力に富んでおり、これらのことは本件以前から被告人多田、同多嶋ら大タク協関係者もよく知悉するところであるうえ、寿原とかねてより同じ業者仲間以来の付き合いがあつたこともあつてタクシー業界に関する問題について寿原の議員活動に期待することころは大きいものがあつた。

被告人多田は、関西タクシー業界における最大手会社の社長で、業界の運営に関し発言力も大きく、同多嶋は大旅協に勤務していた当時同多田を大旅協の会長として迎え同被告人の下で専務理事を務め、同多田は大手業者が大旅協を脱退して大タク協を創設した際、同多田に懇望されて大タク協の専務理事、さらには会長に就任し、同多田の支持支援の下で各業務を遂行してきた。

第二大阪タクシー協会、同好会、全国乗用自動車連合会

一 大阪タクシー協会

(一) 大阪タクシー協会(大タク協)は、昭和三八年四月大阪旅客自動車協会(大旅協)から脱退した大手のタクシー業者を中心に創立され、本件当時、大阪市南区谷町八丁目一〇番地の二光昌会館内に事務所を置き、大阪府下のタクシー会社約一一〇社(車輛台数約九、〇〇〇台)で組織された任意団体で、会長には同三九年一一月二四日より本件当時を含め同四五年七月まで被告人多嶋(同三九年一一月二三日までは専務理事)が就任して、その業務を掌理し、議決機関として、総会、理事会、役員会があり、執行機関として会長の下に専務理事(同三九年一一月から井上奨が就任し、同四〇年七月から佐藤敏雄が専務理事待遇となり同四一年三月より同人も専務理事に就任)、総務課(課長辻井初男)、業務課(課長上中善雄)等がある。

(二) 大旅協の運営に当つて、ことを決する会員会社の議決権がすべて一会社一議決権であつたことや、保有車輛が少ない新規免許取得業者が多いことから、これらいわゆる小業者の発言力も強くなり、会員会社に対する増車割当配分や協会役員の選出等の問題について、保有車輛が多く事業経験を積んでいた大手業者と保有車輛が少なく事業経験の少い新規小業者との間で意見や見解が対立することが多くなつてきたことから、会員の議決権の数は会員の所有する車輛数に比例してもつべきことや会費の負担は保有車輛数の割合によるべきこと、さらには増車の配分は経営規模を尊重して割当てることなど協会の運営に当つては会員会社の保有車輛や経営実績によるべきが合理的であると主張する被告人多田やこれに同調した国際興業株式会社副社長兼大阪支店長坪井準二、阪急タクシー株式会社社長口羽玉人、都島自動車株式会社社長高士政郎、日本交通株式会社社長沢春藏らのいわゆる大手業者らは前記のように昭和三八年四月大旅協を脱退して新たに大阪タクシー協会を創設し、大阪タクシー協会定款にも会員の議決権につき「会員の議決権は、一会員の免許車輛五〇台迄の会員は一個とし、五〇台を越える五〇台毎に議決権一個を加える」(一一条本文)と規定し、協会の運営には、会員会社から徴収する会費(同定款一〇条二項)、負担金(同条三項ないし五項。駐車場を使用する会員から徴収する駐車場負担金、理事会社が月々納付する理事負担金、協会の運営上特に必要とする場合に限り理事会の決定により会員から徴収する特別負担金)、使用料、手数料が当てられているが、会費の徴収につき「会費は一車割単位に定め、会員の免許車輛数に乗じた額を徴収する」(同条二項)と規定されている。

(三) 大タク協の定款によると、大タク協の総会についてはその議事録を作成して備え付けなければならない旨規定され(同定款二七条)、この議事録には議案並びに議事の経過とその結果などを記載することとされており(同条二項)、理事会(定例理事会、臨時理事会)については、同定款上はその議事録の作成は義務づけられてはいないものの、理事会の結果やそこでの決定を明確にし、これらを会員に知らしむるため、各理事会ごとにその議事録を作成することとされ、その議事録の作成およびその記載事項については、総会の議事録に準じ、出席者名、協会側、各理事、各種委員長らの報告した事項、出席理事らが発言した主な意見、審議や決議の内容などを記載することとし、作成された総会、理事会の議事録は、その都度、会員会社に配布されている。

(四) 同好会

同好会は、大タク協の中につくられている数あるタクシー業者の集りの中の一つで、相互タクシー株式会社(以下相互タクシーという)社長多田清、国際興業株式会社(以下国際興業という)副社長兼大阪支店長坪井準二、阪急タクシー株式会社(以下阪急タクシーという)社長口羽玉人、都島自動車株式会社(以下都島自動車という)社長高士政郎、日本交通株式会社(以下日本交通という)社長沢春藏、近鉄タクシー株式会社(以下近鉄タクシーという)社長畑平二郎の大タク協内における大手六業者で構成している親睦団体の一つであり、その開催は定期的なものではなく年に数回寄り合つて親睦をはかるものであるが、右構成員がいずれも大手の社長(代理出席も認められている)で大タク協の理事でもあることから同好会の席上に大タク協会長である被告人多嶋を招き或いはその席上で直面している業界の問題や大タク協内の問題についても意見の交換を行うこともあつた。

(五) LPG委員会

大タク協においては、会員会社が自動車用燃料に石油液化ガスを使用しはじめたため、大タク協創設後間もなく、専門委員会の一つとしてLPG委員会が設置され、同委員会は、液化石油ガス使用にともなう指導や危険防止対策やその設備の研究、開発指導の活動をはじめたが、後記に詳述するように自動車燃料用液化石油ガスに対する課税問題がおこり、業界をあげてその課税に反対する運動に取り組むようになつてからは、大タク協においては、各専門委員会の中では右のLPG委員会が全乗連との連携協力や課税反対運動の推進を担当することになつた。右LPG委員会委員長には、昭和三八年九月一七日から同四〇年四月一九日までが南海交通株式会社社長の飯原敏雄、同四〇年四月二〇日以降はそれまで同委員会副委員長であつたトンボ交通株式会社社長の谷源治郎が就任し、同副委員長には阪急タクシー社長の口羽玉人が就任していた。

二 全国乗用自動車連合会

全国乗用自動車連合会(全乗連)は、全国各地のハイヤータクシーの協会の中央団体であり、大阪タクシー協会も創立と同時に加入し、被告人多嶋、同多田は全乗連政策審議会委員である。全乗連には昭和三九年八月一二日内部組織としてLPガス課税反対特別委員会を設置して委員長には川鍋秋藏全乗連会長が就任するとともに、その専門委員会(小委員会)LPG対策特別委員会を置き、大日本交通株式会社社長の海田健次がその委員長(以下海田LPG対策特別委員長と略していう)に就任し、全乗連傘下の全国各地の協会が行うLPガス課税反対運動の企画、立案をなし、全国各地の協会も専ら全乗連の統括の下でLPガス課税反対運動を展開していた。

第三本件の背景

一 石油ガス課税問題の発端

(一) LPガスの開発使用

タクシー業界では、政府の公共料金抑制の政策のためタクシー運賃は値上げを制限されて低額におさえられていたうえ、人件費が高騰し、経営が悪化し、その打開の方策に苦慮していたところ、燃料費を節減して収益をあげるため、昭和三七年初めごろ高価なガソリン(一リツトル約三八円)や軽油(一リツトル約二八円)に代わる自動車燃料として、非課税で且つ、ガソリンや軽油よりも安価な液化石油ガス(以下単に石油ガス又はLPガス或いはLPGという。一リツトル約一七円)の使用を研究開発し、同年後半期にはまず大阪においてこれを自動車燃料として実用化することに成功し、以来逐次LPG車に転換しはじめ、東京業界においても大阪業界に数ヶ月遅れガソリン車を逐次LPG車に転換するようになり、その後神戸、京都、名古屋、福岡など全国主要都市に急速に普及していつた。

(二) LPG車の普及率

昭和三九年一二月末現在におけるLPG車への転換率は、全国平均では約三七パーセント、東京におけるハイタク総数では約四六パーセント、就中タクシー総数では約五九パーセントであるのに対し、大阪においては約七二パーセントで、かなり高い率を示していることが認められる(第七八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、全国乗用自動車連合会作成名義の昭和四〇年五月六日付各協会殿とした「LPガス車の増加予想台数に対する御照会について」と題する書面添付の表二葉)。

また、同三九年一一月三〇日現在における大タク協加入業者のLPG車への転換率は、平均約七五パーセントであるのに対し、同好会加入六社については約八五パーセントで、就中、被告人多田が代表取締役をしている相互タクシーにおいては約九〇パーセントという高い率を示していることが認められる(第七八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、LPG統計書類綴中、二枚目乃至四枚目のLPG保有台数一覧表)。

二 石油ガス税法案の立案、審議、法案成立の経過の概要

(一) 関係証拠により明らかな如く、LPG車が普及するにともない、ガソリンの消費が減り、税収入が減少するに至つたことから、政府は昭和三八年ごろからLPガスに対する課税問題を検討したことがあつたが、その徴税の方法などに問題があつたため、課税の問題は一時立ち消えになつていたところ、同三九年夏ごろから自動車用燃料に使用されているLPガスに対する課税問題が再燃し、大蔵省、自治省において、同三九年九月ごろから、揮発油税、軽油取引税との税制体系上の均衡と道路整備財源確保のため、昭和四〇年度(昭和四〇年四月一日)からLPガスに対し新たにトン当り二万六、〇〇〇円位を課税したいとの方針を打ち出し、その課税案の検討をはじめた。

(二) そして、総理府税制調査会(なお同調査会小委員会としての案は同年一二月二日ごろすでに決定されていた。)は同三九年一二月一七日内閣総理大臣に対し昭和四〇年度の税制改正に関する答申を行つたが、その中に、自動車用燃料として消費される液化石油ガス(LPガス)について揮発油等自動車用燃料に対する課税との権衡及び道路整備財源確保の緊急性等にかえりみ新たにトン当り一万七、五〇〇円(一リツトル当り一〇円)の課税を行うこと、これらを国税として行うか地方税として行うかについては道路整備財源との関連において政府で検討することが適当であると答申されていた。

(三) 他方、自由民主党の政務調査会税制調査会(会長坊秀男衆議院議員、委員原田憲衆議院議員ら)は、同三九年秋ごろから昭和四〇年度税制改正の検討に着手し、大蔵省、自治省など関係部局の意見を聴取し、これらと総理府税制調査会の審議の状況などとをみあわせながら検討を加え、同三九年一二月一四日ごろ、前記政務調査会税制調査会小委員会(委員長山中貞則衆議院議員)において昭和四〇年度税制改正要綱案をとりまとめ、同月一六日の同調査会でこれを承認したが、LPガス課税については、昭和四〇年度(昭和四〇年四月一日)からトン当り一万七、五〇〇円を課税するというものであつた。そして、同三九年一二月一八日自民党政務調査会政策審議会はLPガス課税について自民党税制調査会の案を原案どおりに採決したが、同日午後の自民党総務会では、LPガス課税案をめぐつて異論が続出し、反対意見も強く、そのため副総裁および党三役による話し合いももたれ、その結果LPガスに対する課税率をトン当り一万七、五〇〇円、課税時期を同四一年一月一日より実施することとし、同日夜再開された総務会において、LPガスに対する課税時期を九ヶ月延期した同四一年一月一日からとする旨の修正をしたうえ、LPガス課税を含む昭和四〇年度税制改正要綱を決定(自民党の党議決定)した。

(四) 石油ガス税法案は、自民党の党議決定のなされた右の税率、課税時期を骨子として大蔵省主税局で立案され、同四〇年二月九日閣議決定を経て、同月一一日内閣から衆議院(第四八回国会)に提出された。右の第四八回国会(同三九年一二月二一日開会、同四〇年六月一日閉会)における石油ガス税法案(以下本件法案という)の審議の状況は、同四〇年二月二三日衆議院大蔵委員会に付託され、同月二六日同委員会において政府委員から提案理由の説明がなされ、同年四月一三日同委員会において只松社会党委員の質疑が行われ、同月一六日同委員会において藤井勝志自民党委員の質疑が行われるなどしたが、第四八回国会では継続審査となり、次いで第四九回国会(同四〇年七月二二日開会、同年八月一一日閉会)においては、同年七月三一日の大蔵委員会で小山自民党委員の質疑が行われたが、結局第四九回国会においても本件法案は継続審査に付された。そして、第五〇回国会(同年一〇月五日開会、同年一二月一三日閉会)においては本件法案に対する審査は行われず廃案となつたが、第五一回国会(同年一二月二〇日開会、同四一年六月二七日閉会)において、本件法案は再び内閣から衆議院に提出されて同四〇年一二月二七日衆議院大蔵委員会に付託され、同日同委員会で審査されたが、その際、自民党大蔵委員山中貞則外三八名により三党(自民、社会、民社の三党)共同提案による修正案(昭和四一年一月一日よりの施行を同年二月一日よりの施行に改め、暫定軽減税率として、昭和四一年一二月三一日までトン当り五、〇〇〇円、昭和四二年一月一日から同年一二月三一日までトン当り一万円とするもの、)が提出され、同委員会において同修正案のとおり修正表決し、同月二八日衆議院本会議の可決を経て、同月二九日参議院大蔵委員会に付託、次いで参議院本会議でも可決され、成立した。

(五) その後、石油ガス税法の一部を改正する法律案(暫定軽減税率トン当り一万円が適用される期間を二年間延長することを骨子としたもの)は、自民党の党議を経、閣議決定を経て、同四二年四月三日衆議院に提出され、同年六月二二日衆議院大蔵委員会で表決され、同月二三日衆議院本会議、次いで同年七月五日参議院本会議で、いずれも可決されて、成立した。

三 LPガス課税によつて受ける打撃、被告人らのLPガス課税に対する反対とその理由並びに被告人関谷、寿原に対する期待

(一) LPガス課税によつて受けるタクシー業者の打撃

1 タクシー業者は、非課税で安価なLPガスがガソリンにかわる自動車用燃料に研究開発されると、運賃の抑制と人件費の増大などにより悪化してきていた経営の行き詰まりを打開するため、こぞつてLPG車への転換をはかり、ようやく経営を立て直してきていたところ、前記第三、二、(一)ないし(四)に認定したように、そのLPガスに対し、新たに、トン当り二万六、〇〇〇円ないし一万七、五〇〇円という課税の検討がはじめられ、昭和四〇年度からその課税を実現しようとする方針が打ち出されたうえ、昭和四一年一月からトン当り一万七、五〇〇円を課税することを内容とした本件法案が自民党の党議をえて立案され、国会において審議されるに至たのであるから、当時LPG車への転換をすすめ、或いはLPG車への転換をしようとしていた全国のタクシー業者は、LPガスに対するかかる課税が実現されたときの経営の行く末を慮るとき、LPガス課税問題をまさに業者死活の問題であると考え、業界をあげて強力且つ早急に反対運動を行う必要性を痛感していたことは、関係証拠によりこれを優に認めうるところである。

2 また、昭和三九年秋ごろ、タクシー業者はLPG車一台の使用する燃料LPガスにつき、年間で、二〇万円程度の課税額になるのではないかと考えていたことは、とりわけ第一〇回公判調書中の証人口羽玉人の供述部分、第二〇回公判調書中の証人沢春藏の供述部分、全国乗用自動車連合会会長川鍋秋藏作成名義の昭和四〇年三月付液化石油ガス課税額軽減に関する陳情書により認められるところであり、この額は、タクシー一台の年間の水揚収入(月二四万円ないし二五万円程度)の約六パーセント乃至七パーセントにも相当する額にあたることや、タクシーの全収入額に対する燃料費の占める割合は九パーセント程度である(第一〇回公判調書中の証人口羽の供述部分)というのが従来の実績であるのに、LPガスに課税されるようになると、燃料費が一躍倍近くかかることとなり、燃料費の収益に対して占める割合が極めて過大なものになりかねないうえ、価格と走行効率を総合的に比べてみた場合、自動車燃料としてLPガスがガソリンよりも二分の一程度安価につくことに着眼し、タクシー一台につき約七、八万円もの費用を投じてガソリン車からLPG車に改造し、早急にこの改造費用の回収をはかりながら、ガソリン使用ではあげえなかつた営業利益をあげようとしていたタクシー業者にとつては、LPガス課税の問題は、重大な関心事であつたことも関係証拠により認められるところである。

3 ことに、前示LPG統計書類綴中のLPG車保有台数一覧表からみとめられる昭和三九年一一月三〇日現在の大タク協会員会社のLPガス使用のタクシー台数をもとに、一台当りの年間課税額を前記のとおり約二〇万円として課税負担額を算出すると、大タク協の会員会社全体では年間約一三億三、八〇〇万円(大タク協の総認可台数八、九二二台中、LPG車は、六、六九〇台)、被告人多田が社長の大阪相互タクシーでは年間約一億一、〇〇〇万円(認可台数六五一台中LPG車は五八八台)という巨額な負担となり、また坪井準二が副社長をしている国際興業大阪支店(市域LPG車四五九台)、口羽玉人が社長をしている阪急タクシー(市域LPG車四四台、郡部LPG車二七三台)、高士良治が副社長をしている都島自動車(市域LPG車一二七台、郡部LPG車一四台)、沢春藏が社長をしている日本交通(市域LPG車一六七台、郡部LPG車五三台)の各社においても、LPガス課税によつて受ける打撃が極めて大きいことは明らかに認められるところである。

4 全国乗用自動車連合会作成名義の昭和四〇年五月六日付各協会宛のLPガス車の増加予想台数に対する御照会についてと題する書面添付のLPガス自動車増加予想台数表二葉の記載によると、昭和四〇年一月当時におけるLPG車の予想保有台数は、東京が一四、七八五台で全国の都道府県の中で最も多く、大阪はこれに次いで一〇、〇四五台の多数にのぼり、前記のようにLPG車一台に対する年間の予想課税額が二〇万円程度であることよりして、計算上東京の業者は年間約二九億円、大阪の業者は年間約二〇億円という莫大な額の税金を負担すべきこととなるところ、LPG車の増加傾向からみて、昭和三九年夏或いは初秋ごろにおいても、東京と大阪が全国の都道府県の中でもLPG車に転換したタクシーの台数やLPG使用のタクシー業者の数の点において、他に抜きんでていたであろうことは容易に推認しうるところであつて、そのため同三九年初秋ごろ、東京と大阪のタクシー業者がLPガス課税反対運動の中心となつて同運動を押しすすめることとし、LPガス課税によつて受けるタクシー業界の打撃が大きいことから、この課税反対運動を最も効果あらしむるため全国規模の運動にたかめることとし、東京に全国組織の全乗連の本部を設け、関係官庁や国会議員に対する陳情活動の便をも考慮し、全乗連が反対運動を統括してその中心となり、反対運動の企画立案をして地方各協会に指示し、協力を要請するなどして課税反対運動をすすめることになつたが、大タク協としても、全乗連の傘下の下で、全乗連の企画、立案により、その指示、要請に応じて課税反対運動を行うことにしたことは関係証拠により認められるところである。

5 被告人多田の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書によると、被告人多田は、昭和三九年八月ごろ自動車用燃料に使用するLPガスに対し大蔵省と自治省の間で新しく課税する動きがあることを知るとともにこの大蔵省と自治省で検討中の課税予定額はタクシー業界死活の問題となるほどの多額な課税額であると思つていたこと、同年秋ごろ検討されていたLPガスに対する課税額は、まさに、当時の四ヶ年分の春闘の賃上げ分に匹敵する額であり、これを新たに税金として負担しなければならないのであるから、業界の重大関心事であつたこと、被告人多田は、同年八月上京し、被告人多嶋とともに国際自動車本社で同社社長波多野元二(昭和四〇年五月全乗連会長就任)および海田健次全乗連LPG対策特別委員会委員長らと会つてLPガス課税問題について話合つた結果、同人らとの間で、LPガスに課税されるようになると業者の死活問題であるので、東京、大阪のみならず、全国のタクシー業者が一緒に協力しあつて課税反対運動をすすめていかねばならないという結論になつたことがいずれも認められる。

また、被告人多嶋は、同三九年夏ごろには、LPガス課税問題について、東京、大阪各業界は課税に反対であるという意向を知り、また個々に被告人多田ら大タク協会員らの課税に反対する意見をきき、前記認定のLPガスを使用するに至つたいきさつ、LPガス使用業者の実情、LPガス課税によつてタクシー業者が受ける打撃の重大性を認識し、自らはタクシー業者ではないが大タク協会長として、会員業者らとともに、LPガス課税反対運動に立ち上ろうと決意をしたものであることは関係証拠により優に肯認しうるところである。

(二) 被告人らのLPガス課税に対する反対とその理由

1 被告人多田をはじめとして大阪のタクシー業者のみならずLPガスを自動車燃料に使い、使おうとしていた全国のタクシー業者および被告人多嶋は、政府がLPガスに対する課税の方針であることを知ると、<1>自動車燃料に低額で無課税のLPガスを使用して、運賃が低額に抑制され、人件費が増大して危殆に瀕していた経営のたて直しを図り、図ろうとしている矢先にLPガスに課税されることになると、再び経営難に陥り、タクシー事業の壊滅を招来することになること、<2>ガソリン車をLPG車に転換するためやLPガスの貯蔵タンクや専用スタンド設置に多額の費用をかけているのに、これらぼう大な費用の回収が未だすんでいないこと、<3>LPガスの需給関係が不安定でLPガスが値上りの状況にある下での課税であること、<4>プロパンとともにLPガスの混合ガスであるブタンガスはもともと廃棄されていたものであつて、LPガスの使用は、まさに廃棄されていた資源の再開発ともいうべきものであるうえ、LPガス車の排気ガス中の一酸化炭素の排出量はガソリン車に比べて約三分の一であり、LPガス車の運行はまさに大気汚染の防止に役立つているのであつて、政府はこのような有効有益なLPガスの開発育成を援助し、その使用を保護奨励すべきであること、などの理由をかかげてその課税に反対をとなえていたことは、関係証拠とりわけ被告人多田、同多嶋らの公判廷の供述及び関係供述調書により明らかに認められるところである。

2 被告人関谷は、かねてより長年に亘つて衆議院運輸委員会委員をし自民党交通部会に所属していて、運輸業界ことにタクシー業界の実情に精通していたことから、大蔵省が総理府の税制調査会に答申を求めていた昭和四〇年度の税制要綱案の中にLPガスに対する課税問題が折り込まれていることを知り、更に同三九年九月ごろ政府がLPガスに対する課税を強行しようとしていることを知り、物価抑制政策の煽りを受けてタクシー料金を低額に押えられているタクシー業者が経営難を打開する糸口として無課税のLPガスを使用し、ようやく経営をつづけている実情にかんがみ、今LPガスに対し課税をすることは、タクシー業者にとつて余りにも過酷でタクシー業者を死地に追い込むことになりかねないし、ひいては、運輸行政上も黙過しておけないと考え、さらにタクシー燃料のLPガスに課税することは、タクシー料金をできるだけ低額に押えておこうという物価政策に反し、大衆課税にもつながる問題であるとし、さらにLPG車はガソリン車よりも排出する一酸化炭素の含有量が少ないことから公害対策上もLPG車の利用を奨励すべきであることなどよりして、自ら、いち早く、LPガスに対する課税に反対することを決意し、LPガス課税問題に関する意見を述べる機会があるときは、タクシー業界の経営の苦しい実情を説明し、LPガスに対する課税はタクシー業者にとつて過酷であることを話し、LPガスに対する課税には反対であるという意見をのべていたことは、被告人関谷の検察官に対する供述調書や公判調書中の被告人関谷の関係供述部分により認められるところである。

3 寿原正一は、自ら東京や北海道でタクシー業を経営するいわゆるタクシー業者であつたことから、LPガスに対する課税はタクシー業者死活の問題になることを身をもって痛感し、政府にLPガスに対する課税の意向があることを察知するや、直ちに自己の為に且つタクシー業界のためにLPガスに対する課税に反対する決意を固めたが、自ら衆議院議員であるため、業者の利益だけを強調して課税に反対をとなえると、同僚、先輩議員らからかえつて反撥を受けることを慮り、タクシー業界の経営難の実情やLPガスに対する課税によりタクシー事業の壊滅を招くことのほか、LPガスに対する課税は必然的にタクシー料金の値上げに連なり、政府の物価抑制の政策に反するとともにタクシー料金の値上げを招くことによりさらに大衆課税に連なること、大気汚染の防止をはかるためにはガソリン車よりも一酸化炭素の排出の少ないLPG車の使用を奨励すべきであり、LPガスに対する課税は、従来廃ガスとして捨てられていたブタンガスから研究関発しようやくLPガスとして自動車燃料に使用しうることに成功したタクシー業界の怒力を無にするものであつて、政府の施策としても妥当を欠くことなどの理由を表に掲げて、機会あるごとにLPガスに対する課税反対を強く主張したことは関係証拠、就中、寿原の検察官に対する昭和四二年一二月二二日付供述調書により認められる。

(三) 被告人多田、同多嶋の被告人関谷、寿原に対する期待

被告人多田、同多嶋は、同三九年当時においても被告人関谷、寿原と付き合いの関係にあり、相互タクシーにおいては同関谷の後援会二十日会に対し昭和三三年ごろから、また寿原の後援会寿政会に対し、昭和三八年ごろから衆議院議員総選挙に際して政治献金を行い、沢春藏ら大タク協幹部や大タク協会員会社の社長の中にも同関谷、寿原と知り合いの関係にあるものもあり、大タク協としても昭和三八年一〇月、同四二年一月のいずれも衆議院議員総選挙に際して同関谷の後援会である二十日会、松山会、寿原の後援会である寿政会に政治献金をし、また同関谷に対しては前記のように同三九年一一月大タク協会員会社をあげて後援会松山会関西支部を結成して月々の会費を出捐し、同関谷、寿原の政治活動を支援してきていた。このように大タク協としても、また同多田、同多嶋としても、同関谷、寿原に対し、タクシー業界に関する最もよき理解者であるとして常々親密感を抱き且つその政治活動を支持後援してきていたところから、政府筋がLPガスに対する課税の意向をもつていることを知るや、同関谷は、衆議院議員の経歴が長く、ことに運輸行政に関しては造詣が深いといわれていたことから、タクシー業界に発生した問題に関し他の国会議員に対する発言力やその影響力も大きいものと思い、また寿原は同じ業界の出身で、しかもタクシー業を経営していて利害に相通じており、議員活動において行動力や実行力があるといわれていたことから、同関谷、寿原はLPガス課税案を直接検討する自民党財政部会に所属しておらずまたLPガス課税法案を直接審議する大蔵委員会の委員ではないとはいうものの、タクシー業界一般の問題を含む運輸行政を所轄する自民党の交通部会に所属し、衆議院運輸委員会の委員であるうえ、衆議院本会議において法案の審議、表決権を有しているので、同関谷、寿原自らがLPガス課税に反対することはもとより、自分らが所属する交通部会所属議員や運輸委員会の委員を説得し、さらに財政部会所属議員や大蔵委員会の委員にタクシー業界の経営の苦しい実情を説明し、LPガスに対する課税には反対するように働きかけ、またその余の一般議員に対してもLPガスに対する課税がタクシー業者にとつて極めて苛酷であることを説明するなどして、LPガスに対し課税がなされないよう、もし課税されるようなことがあつても税額或いは課税時期の点などで少しでもタクシー業者に有利な内容のものになるように期待し、同関谷、寿原に対し、その旨尽力方をお願いすることにした。そして、同多田、同多嶋は、同関谷、寿原に面接した機会には、LPガス課税に関する自民党内の動きや国会内における同法案の審議のもようや将来の見通しなどを尋ね、同関谷、寿原としても同多田、同多嶋らに対し、LPガス課税問題に関する自民党内の動きや同法案の国会における審議のもようや将来の見通しについて説明し、LPガス課税問題について自分として努力していると話していた。以上の事実を覆すに足る証拠はない。

第四本件犯行に至る経緯(課税反対運動の経緯を含む)

1 昭和三九年七月ごろ、LPガスに対して課税しようとする問題が再燃してきたところ、このLPガス課税問題が大タク協の理事会で初めて取り上げられたのは、同三九年七月二一日の第二八回定例理事会においてであり、その席上口羽玉人大タク協LPG委員会副委員長(以下口羽LPG副委員長という)が、「全乗連の海田LPG対策特別委員長に問合せたところ、同委員長は、総理府税制調査会でLPガスにも課税すべきであるという結論がでている、この課税については、大蔵省、自治省が積極的であり、運輸省、科学技術庁は時期尚早の意見であり、通産省石油課は課税はやむをえないという意見であるといつている。大阪の場合は、課税反対の運動をLPガス使用業者を含む全業者でやつてはどうか。」という旨の提案をし、その際、出席理事らは一様にLPガスに対する課税の問題が現実化しつつあることに困惑しており、理事の中から「タクシー業の経営のための窮余の一策がLPガスなのだから、課税は困る。」、「東京の動きもみて、次回の理事会で検討してみてはどうか。」などと活発な発言が相次ぎ、LPガス課税反対につき具体的に検討して次回の理事会に提案することおよび大タク協事務局が東京と連絡をとり情報を集めることが提案され了承された。なお同理事会の席上、口羽LPG副委員長から、全乗連作成のLPG課税反対陳情文-要旨は時期尚早である-の朗読披露がなされた。同理事会には被告人多嶋は専務理事として、市田実二郎は被告人多田の理事代理として、出席していた(関係証拠、就中、第一〇回公判調書中の証人口羽の供述部分、大阪タクシー協会第二八回定例理事会議事録、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月二九日付供述調書((但し被告人多嶋についてのみ)))。

2 同三九年八月四日の大タク協第二九回定例理事会において、飯原敏雄大タク協LPG委員会委員長(以下飯原LPG委員長という)から、東京旅客自動車協会(以下東旅協という)がLPガス課税反対のため自治省、税制調査会、通産省、科学技術庁等の関係筋に陳情するとともに一輛当り五〇〇円を運動費として拠出することを決めすでに約半数が集つているということを報告するとともに、LPガス課税問題は東京だけの問題ではないので、全国的な問題として全乗連で取り上げるべき旨の提案をし、その際口羽LPG副委員長から、海田LPG対策特別委員長の話では東京では暫くの間課税を待つてほしいということで反対運動をすすめているということであるという報告もあつたが、同理事会において、出席理事全員が賛成して「LPGの課税は絶対反対である。全乗連の政策審議会でもこの問題をとり上げてもらうようにする。」旨の決定をした。同理事会には、被告人多嶋は専務理事として、同多田は理事として出席していた(第一〇回公判調書中の証人口羽の供述部分、第四六回公判調書中の証人飯原の供述部分、大阪タクシー協会第二九回定例理事会議事録、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月二九日付供述調書((但し被告人多嶋についてのみ)))。

3 被告人多嶋および同多田は、同三九年八月一〇日上京した際、都内の赤坂にある国際自動車に同多田がかねてより昵懇にしていた同社の波多野元二社長を訪ねたが、その際、同多嶋および同多田は、波多野とともに、同人が招いていた海田健次東旅協LPG委員会委員長に会つて、同委員長からも、同人らがLPガス課税反対のため、関係官庁などに陳情しているほか、国会関係者にも声をかけていることや同人が業界のためにLPガスに対する課税を何とかくい止めたい強い意向をもつていることをきき、問題の重大さと深刻さに対する認識を深め、同多田と波多野は、課税には絶対反対をしなければならず、そのための運動には協力を惜まず、業界をあげて反対運動に積極的にとり組んですすまなければならない旨の意思を表明し合つた(多嶋日記中の昭和三九年八月一〇日の記載、第七八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月二九日付供述調書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書)。

4 同三九年八月一二日、全乗連の政策審議会(専ら全乗連の活動方針を決めるもの)が開催され、被告人多嶋も政策審議会委員として出席したが、同審議会において、LPガス課税反対問題も取り上げられ、LPガス課税反対運動を全乗連で一元化して統一して行うことを決定し、全乗連の内部組織としてLPガス課税反対特別委員会を設置して同委員会が全乗連傘下の各地方協会を統括して課税反対運動の中枢をになうこととし、海田健次が同委員会専門委員会委員長に就任し、課税反対運動を進めていくこととなつた(第四三回、第四四回公判調書中の証人海田健次の各供述部分、第七八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分)。

5 同三九年八月下旬、大タク協では、被告人多嶋が編集発行人となつて会員に配布している協会報八月下旬号に「LPガス課税問題とガソリン・デイーゼル・LPG三車の経済性比較」、「LPガス課税反対のための要望書まとまる」と題して、それぞれ三ページに亘る資料とLPガス課税に反対する理由などを掲載し、全乗連を中心として、全国的に課税反対運動を展開することになつた旨を各会員に周知させた(大タク協会報八月下旬号、第七八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分)。

6 同三九年九月五日の大タク協第三一回定例理事会において、海田LPG対策特別委員長がLPガス課税問題の経過、全乗連としての課税反対陳情の状況、今後の運動方針について説明し、大タク協側の協力を要請したが、その際、通産省は課税はやむをえないという態度であるが、自治省、大蔵省が課税に積極的でかなり具体的な案をたてているようで、事務当局の段階で課税をつぶしてしまうことは難しい状況に立ち至つており、運輸省、科学技術庁の示唆もあるので、課税時期を先に延してほしいという線で陳情することとしてその旨の陳情文を作成しているが、今後は自民党所属の国会議員らに対し課税反対の陳情をする必要のある段階に来ている趣旨の説明をし、飯原LPG委員長も右海田委員長の説明を受けて、事務当局に対する反対陳情だけでは課税は防ぎきれないのではないか、したがつて或る程度の政治資金が必要になるのではないかと言つて、課税反対のためには政治活動とそのための活動資金が必要である趣旨の発言をした。また、右理事会における議事終了後同理事会に出席していた被告人関谷がタクシー運賃問題やLPガス課税問題について、「LPG課税については、昨年はどこで税を徴収するかに問題があり、課税はお流れとなつたが、本年は九月初め税制調査会に諮問されており、自治、大蔵両省ではガソリン税との均衡上課税が適当だといつている。LPガス税は重量税でありながら、車にかけるとなると税の性質が変わり均一課税となる。又課税したとしても三〇億程度で大きな財源とはいえず、いま無理して課税する必要もなかろうと思う。課税については業界の意向もよく承知しているので課税反対のため援助していきたい。」という趣旨を述べ、被告人多嶋は、同関谷の右の話が終るに当り、大タク協専務理事として、出席理事を代表して、同関谷に対し、「何分の御尽力をお願いしたい。」と述べた。なお同理事会には、被告人多嶋のほか、同多田、坪井準二、口羽玉人、沢春藏らが理事として出席していた(大阪タクシー協会第三一回定例理事会議事録、第一〇回公判調書中の証人口羽の供述部分、沢春藏の検察官に対する昭和四二年一二月二日付供述調書、飯原敏雄の検察官に対する供述調書、被告人多嶋の検察官に対する四二年一〇月二九日付、同年一二月六日付各供述調書)。

7 同三九年一〇月六日の大タク協第三三回定例理事会において、被告人多嶋(大タク協専務理事)から、免廃問題やLPガス課税問題などに関して報告があつたが、LPガス課税問題については、「全乗連としては、課税反対のために関係一六団体で税制調査会に反対陳情しており、自民党の税制調査会(会長坊秀男、和歌山選出)にも陳情することとなり、会長出身地である近畿に対し応援してほしいという連絡があつたので、飯原理事を通じ連絡をとりつつある。また自民党交通部会部会長田辺国男)にも税制調査会から照会があると思われるので交通部会長にも渡りをつけている。」趣旨の報告をした。また免廃問題というのは、内閣総理大臣の諮問機関である臨時行政調査会が同年九月に発表した答申の中でタクシー業について現在の免許制を廃止ないし緩和すべきであるという趣旨の意見が出されたことから、タクシー業界において、もともとタクシー業が免許制となつているため過当競争を免れえて、適正な経営が出来ているのに、これを廃止せよという右の答申は、まさにタクシー業の基盤を根底から揺り動かすものであるとして全乗連においても直ちに重大視し、問題として取り上げようとしていたのであるが、右理事会の席上、被告人多嶋は、この免廃問題について、「一〇月二日に東京で行われた全乗連主催の専務理事会議に出席したが、この専務理事会議で、先般行政調査会が答申した『ハイヤータクシー事業の免許制度に関する答申』の問題が取り上げられ、その答申の骨子が『免許、増車等は現行のような一率の、しかも厳重な規制はつとめて緩和することが必要で、自動車運送業に対する規制は局地的な事務で現地の実情にあわせることが適当であるので、一般的な処理基準を明示するとともに必要な指導援助の措置を講じて実施事務は都道府県知事に機関一任すべきである』としているようであるが、この答申が採用され、タクシー事業が都道府県の行政に委せられると、いわゆる一時の自由競争に逆戻りすることとなり、業界の混乱が予想されるので、改めて全乗連の政策審議会において協議することになつたが、この答申については全面的に反対してゆきたいので、地方でもその心積りをしておいてほしいという要請であつた。」と報告した。なおこの大タク協第三三回理事会には、被告人多嶋のほか、被告人多田、坪井準二、口羽玉人らの各理事、理事代理として高士良治、沢厳らが出席した(大阪タクシー協会第三三回定例理事会議事録、第四六回公判調書中の証人飯原敏雄の供述部分)。

8 同三九年一〇月一五日午後、たまたま来阪した被告人関谷を大タク協会に迎え、被告人多嶋が同関谷に対しLPガス課税問題について業者の意向を詳細に説明してお願いをしたところ、同関谷も努力する旨の意向を明らかにした(多嶋日記中の昭和三九年一〇月一五日の記載、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一二月六日付供述調書((但し被告人多嶋についてのみ)))。

9 同三九年一〇月二七日の第三四回定例理事会において、同月二三日ごろ上京し、北村博文大日本交通株式会社専務取締役(以下北村大日本交通専務取締役という。)と共に田辺国男自民党交通部会長兼自民党財政部会員に対しLPガス課税反対のための陳情をしてきた口羽LPG副委員長がその際の陳情の模様につき、「田辺先生は陳情の趣旨をよく了解されて今後協力し、交通部会を業界の意向に添うようにもつて行きたいので、資料を出して貰いたいといわれ、また建設部会の方にはよく説明しておくといわれた」旨の報告をし、被告人多嶋は「坊先生に対して予定していた陳情は先生が和歌山に帰られなかつたので和歌山での陳情は出来なかつたが、東京で全乗連の方から同趣旨の陳情をしている。」と報告した(被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月二九日付、同年一二月六日付各供述調書)。

10 被告人多嶋は、同三九年一〇月終りごろまでに、すでに、全乗連からの知らせにより、総理府の税制調査会のみならず自民党の税制調査会においても自動車用燃料のLPガスに対し課税すべきであるという意向であり、ことに総理府の税制調査会では、税率としてトン当り二万六、〇〇〇円の案を準備していることを知つており、またそのころまでに、全乗連では大タク協に対して地元選出国会議員に対する陳情が最も効果的であるので、大阪府選出の自民党所属の各国会議員に対し、LPガスに対する課税に反対されたい旨陳情するよう指示してきていたと供述している(第七八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分)。

11 同三九年一一月五日の大タク協第三五回定例理事会において、同年一〇月二八日東京で行われた全乗連緊急理事会に出席した畑平二郎理事(近鉄タクシー社長)が、右全乗連緊急理事会のもようについて、「同理事会には関谷勝利(被告人関谷)、永山忠則、田辺国男、寿原正一の各代議士が来賓として出席して激励のあいさつをし、右各代議士らを中心とした議員団をつくり、免廃問題、LPガス課税問題などに対する反対運動をすすめていくことに決定したこと、当時問題になつていた免許制維持、LPガス新課税反対、自動車取得税対策、営業用自動車の物品税撤廃等の諸運動に必要な諸経費を捻出するため緊急対策運動資金三四、二一三、三四三円の負担方について諮られ、大タク協に対しては一車当り四二五円の計算で三、三六二、五一五円の割当案を示されたこと、北村大日本交通専務取締役からLPガス課税反対に関し、これまで内閣の税制調査会に陳情を重ねてきたが、課税案をつぶすことができなかつたので、今後は国会で課税の実施時期の二年間延長を求めて陳情する以外に方法はないこと」などの報告があつた。そして同大タク協理事会においては、同年一一月一〇日日比谷野外音楽堂で開かれる自動車取得税創設、LPG税創設、自動車物品税増税反対のための全国大会は、LPガス課税反対の大会でもあるので、大タク協LPG委員全員(九名)の出席を決定し、また免許制問題は業界の浮沈に関する大問題であるとして大タク協に免許制対策特別委員会を新たに設置するとともにその委員長に被告人多田、副委員長に坪井準二、沢春藏、畑平二郎を、委員に理事のうちから八名を選出して決定し、さらに全乗連から要請されている緊急対策運動資金として大タク協各会員は会費一ヶ月相当分を負担することを決定した。同理事会には被告人多嶋のほか、被告人多田、坪井準二らの理事が出席した(大阪タクシー協会第三五回定例理事会議事録、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付、同年一二月六日付各供述調書)。

12 同三九年一一月一七日の大タク協第三六回定例理事会において、被告人多嶋(専務理事)は、「免許制維持問題およびLPG税、自動車取得税、物品税問題で重大な段階となつているので、全乗連緊急理事会で決定した運動資金の拠出については前回の理事会で決定したが、当大タク協としても、地元においてそれぞれ関係方面に積極的に働きかけ、中央、地方の両面作戦でつぶしてかかる必要がある。」と報告して地元運動資金の拠出方を要望し、前回決定した全乗連分に地元運動資金分一、九四七、五一五円を加え、あらためて会費の一・五月分を緊急対策特別負担金として拠出することを決定し、飯原LPG委員長が同月一〇日東京で開かれたLPG等の課税反対等の全国ハイタク業者大会の模様を報告した。同理事会には、被告人多嶋のほか被告人多田、口羽玉人らの理事が出席した(大阪タクシー協会第三六回定例理事会議事録、第七八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月三〇日付、同年一二月六日付各供述調書((但し被告人多嶋についてのみ)))。

13 同三九年一一月一九日被告人多田、同多嶋は、坪井準二、沢春藏、畑平二郎ら大タク協理事と共に小佐野賢治国際興業社主の案内で大蔵省にLPガス課税の所管の大蔵大臣で自民党内の屈指の実力者であつた田中角栄を訪ね、小佐野から「LPガス課税で業者のみんなが困つているようだから、大臣力添えして下さい。」と紹介してもらい、被告人多田が田中大蔵大臣に対し「関西のタクシー界の代表です。LPガス課税問題で陳情にきました。」、「課税を直ちに実施されると経営も脅かされるし、いましばらくお待ち願いたい。」などと述べて陳情した。そして、その後引きつづき、被告人多田、同多嶋らは、議員会館に被告人関谷を訪ね、同被告人から課税問題をめぐる情勢をきいたが、その際同被告人は「このガス税の問題はなかなか難しい。つぶすのは無理だから延期以外に手がない。」旨話し、被告人多田、同多嶋らも同関谷に対しLPガス課税反対に関して一層の御尽力をお願いする趣旨で「今後ともよろしくお願いします。」と述べた。ことに坪井準二は、公判廷において被告人関谷はかねがね、運賃を上げないでLPガスに課税すると業者はつぶれてしまうと言つており(第一三回公判)、この一九日の日には同関谷に対して陳情書を出してLPガス課税反対の陳情をした趣旨の証言をしているのである(一八回公判)。

そして、被告人多田、同多嶋らは、同関谷に案内をしてもらつて運輸省に自動車局長を訪ね、免許制緩和と地方委譲問題やLPガス課税問題につき、反対の旨の陳情をした(多嶋日記中昭和三九年一一月一九日の記載、坪井準二の検察官に対する昭和四二年一二月一一日付供述調書、第七八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、第九四回公判調書中の被告人多田の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書)

14 右同日、被告人多田は、右の陳情に先立ち、東京築地の有明館に被告人多嶋らが集合した際、同被告人らに対し「東京では自民党に一億五、〇〇〇万円の献金をする予定があるので、関西でも自民党に一億円の献金をしたい。」と話し、被告人多嶋らもこれに賛同した。

被告人多田が同多嶋らに自民党に対する一億円献金をしようといいだしたのは、同日川鍋秋藏全乗連会長、藤本威宏全乗連総務委員長が右有明館に被告人多田を訪ねてきて、タクシー業界にはLPガス課税問題、免許制撤廃問題、物品税等諸税増徴問題、運賃改定問題などの問題が山積しているのに、いずれも行き詰り状態にあるので自民党政府に対し業界は一人前の発言権をもつようにしたいので、ハイタク業界の献金運動をやりたいといわれたことが直接の発端となつているのである(被告人多田の検察官に対する昭和四二年一〇月二八日付供述調書(二))。

この献金の趣旨について、被告人多嶋は公判廷においては「ハイタク業界の安定と発展のためには現在の政治体制を維持しなければならないが、そのためには現在の与党である自民党を支持する必要があるからである」という趣旨の供述をし(第一〇二回公判調書中の被告人多嶋の供述部分)、同被告人の検察官に対する供述調書中には「当時業界にはLPガス課税問題、免許制の緩和、自動車取得税の新設、物品税の特別措置の廃止といつた経営をゆるがす問題が起つてきており、就中LPガス課税問題は当面の大問題で業界をあげて課税反対、少なくとも課税時期の延期、税率の軽減を望んで陳情を重ねてきていたので、このような業界の要望をききいれてもらいたいがために自民党に献金しようとしたものである」旨の記載(昭和四二年一〇月三〇日付供述調書)がある。また被告人多田は公判廷において「自民党に対する献金については川鍋全乗連会長から誘われるより以前から考えていたことで、川鍋全乗連会長が免廃問題、LPガス課税問題、運賃問題、自動車諸税の問題が行き詰つているので政治力をもたねばならないといつたことが動機の一つにはなつているが、このような目前の業界の利害もさることながら、展望的に自民党に対する今後の政治的発言権の増大をはかろうと考えたからである」という趣旨の供述をし(第九九回、第一〇三回各公判調書中の供述部分)、同人の検察官に対する供述調書中には「当時タクシー業界には、免許撤廃問題、LPガス課税問題、運賃改定問題、物品税の引上げ問題など難問が多々あり、このようなタクシー業界の重要な利害問題について、自民党政府や自民党所属の国会議員にその時その時の利害問題に耳をかたむけ、業界の要望を真から聞いてもらえるよう一人前の発言権をえて交渉できるようにしたいという考えからである。当時LPガス新課税問題はタクシー業界として重要な利害問題であつたので、献金とこの問題が関係があつたことは事実である」という趣旨の供述記載(同四二年一一月二日付供述調書)や右の供述記載を訂正して「自民党に対する一億円の献金については私らが中心になつてこの献金運動を行ないました。自民党支持を表明することと自民党の選挙公約である中小企業育成に活眼を開いてもらいたいからでした。」、「私は本年一一月二日取調べを受けた際同日付の供述調書のなかで、この一億円献金とLPガス課税反対運動との関係について関係があるとだけ答えてそのように記載されていますから、本日特に間接的な関係であるということを附加します。関係があるかないかと問われればむしろ関係がないんだと答えます。」との供述記載がある(同四二年一二月八日付供述調書)ことが認められる。この点については後記66の項において検討を加える。

15 同三九年一一月二〇日の東京のヒルトンホテルで開催された全乗連主催の免許制維持権限委譲反対全国業者大会に大タク協から被告人多嶋らが出席し、同大会では免許制緩和問題が論議されたが、当面のLPガス課税問題も論議され、来賓として招かれて出席していた寿原正一は挨拶の中で「今まで捨てていたガスを研究開発して自動車用燃料として使つているのだから、政府はタクシー業者に対しむしろ奨励金を出すのが当然であつて、課税すべきではない。」と強調した。大会終了後、陳情班が結成されて、衆議院運輸委員会、同大蔵委員会、自民党交通部会、税制調査会所属の国会議員らに対し、免許制緩和地方委譲反対、LPガス課税反対などの陳情を行つたが、被告人多嶋は、川鍋全乗連会長、服部音五郎大旅協副会長、大山貞雄兵乗協会長らと一緒に免許制緩和反対とLPガス課税反対の二つの陳情書を持参して自民党三役のところへ陳情に訪れ、中村総務会長に面会し、川鍋全乗連会長において代表して「かねて申している免廃問題、LPガス課税問題は業者必死の問題なので、地方からの上京者ともどもお願いに来ました。」と述べ、それに合わせて被告人多嶋ら同行者においても「よろしくお願いします」と述べて陳情した(多嶋日記中の昭和三九年一一月二〇日の記載、第一〇回公判調書中の証人口羽の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書)。

16 同三九年一一月二四日の大タク協臨時総会において、飯原LPG委員長がLPG課税問題をめぐる経緯と全乗連および大タク協が行つてきた課税阻止運動の経過を説明し、被告人多嶋(専務理事)は、「業界は免許制維持問題、LPガス税新設等経営の根幹を覆すような大きな問題を抱えており、全乗連では、この際政治的活動における以外に打開の道はないとして一〇月二八日の全乗連緊急理事会で運動資金の拠出を決定した。当協会でも一一月一七日の理事会で慎重に検討した結果、全乗連からの負担要請額三、三六二、五一五円は拠出すべきである。地元での運動諸費として一、九四七、五一五円を拠出することを決定した。これの合計は、五、三一〇、〇三〇円で、月額会費の一・五ヶ月を拠出していただくことになる。」と述べて大タク協第三六回定例理事会で決定されたLPG課税等に対する緊急対策特別負担金拠出の決定のもようについて報告し、右総会で承認を得た。なお、同総会において、被告人多嶋が大タク協会長に、井上奨が同専務理事にそれぞれ選出されて就任した。同総会には被告人多田も出席した(多嶋日記中の昭和三九年一一月二四日の記載、大阪タクシー協会臨時総会議事録、第七九回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の昭和四二年一〇月三〇日付供述調書((但し被告人多嶋についてのみ)))。

17 前同日、大タク協臨時総会終了後、国際ホテルで、関谷代議士(被告人関谷)を後援する松山会関西支部の創立総会が開かれた。この松山会関西支部をつくるについて就中積極的且つ熱心であつたのは被告人多田らであり、被告人多田、同多嶋、沢春藏らが発起人となり、大タク協会員を中心として結成したもので、同多嶋は会員の参加呼びかけに奔走し、大タク協内で松山会関西支部の事務を取り扱うこととし、同多嶋が支部長に、辻井初男大タク協総務課長が経理担当者になつたことが関係証拠により認められる。そして松山会関西支部結成の趣旨目的については、被告人多嶋の公判廷における供述によれば「業界として御指導をうるために関谷先生の政治活動を後援するという意味で作つたものであり」(第一〇二回公判調書中の被告人多嶋の供述部分)、「関谷先生は運輸行政に造詣が深く、タクシー業界の事情に精通しており、長い間のつき合いもあるので、その政治的手腕や力量に期待し政治活動を大いにやつていただくために後援会を組織したものである。」(第九五回公判調書中の被告人多嶋の供述部分)、検察官調書によれば「昭和三九年八月ごろよりハイタク業界の事情に通じておられる関谷先生の政治活動を一層活発にして貰いハイタク業界のためにもお骨折り願いたいということで東京でも関谷先生の後援会として松山会をつくるという話が起り、大阪にも呼びかけがあつて、多田社長をはじめ大タク協の幹部達の賛成も得、関西における松山会発足の運びとなつたものである。」(昭和四二年一〇月二九日付供述調書中の記載)と、それぞれ供述していることが認められる。また、右創立総会において被告人関谷が同多田、同多嶋らの後援会員らを前にしてした挨拶について、被告人多嶋は公判廷において、関谷はタクシー業界が直面している運賃問題、免許制の問題、地方委譲の問題などについて言及し、できるだけ力を貸してあげると言つたが、その際同関谷がLPガス課税問題についてふれていたかもしれないが憶えていない、当時LPガス課税問題は相当煮詰つてきており大タク協にとつて非常に大きな問題ではあつたが、同関谷としてもこの問題についてはよく承知していたので、同多嶋ら大タク協関係者が陳情したり依頼をする必要もなかつたし、また陳情も依頼もしていないと供述するのであるが(第七九回公判調書)、同多嶋の右の公判廷における供述自体からみて同多嶋は同関谷がLPガス課税問題に言及したという点の供述を避けようとしている口吻がうかがわれることや前に認定したように関係証拠から認められる当時の客観情勢就中当時タクシー業者にとつて免廃問題とともにLPガス課税の問題が差迫つた重大事態となつていたこと、これに副う同多嶋の検察官に対する供述調書中の「関西でこういう後援会が出来たことを喜ばれ、関谷先生はみんなの前で、当面する免許制緩和反対、LPガス課税反対については出来るだけ業界のために協力致します、と挨拶され、我々参会者からも先生によろしくお骨折り戴くようお願いしました。」との供述記載(昭和四二年一〇月三〇日付供述調書)にかんがみると、関谷被告人が右創立総会の席上の挨拶でLPガス課税問題に協力する旨言及していると認めることができる。

18 大阪選出の国会議員に対してLPガス課税反対の陳情をするようにという大タク協に対する全乗連の指示にもとづき、被告人多嶋は、同月二七日、井上奨大タク協専務理事、飯原LPG委員長、口羽LPG副委員長らと共に上京し、まず、開催中の東旅協のLPG委員会を傍聴し、海田LPG委員長から、LPG課税問題に関し、自民党交通部会、商工部会所属の議員に陳情を重ねた結果、業界の主張に同調する議員も増え、大勢は課税反対の方向に向いて有利になつている旨の話を聞いたあと、衆議院議員会館に大阪選出の大倉三郎、和爾俊二郎、原田憲、古川丈吉の各議員を訪問し、それぞれ要望書を渡してLPガス課税反対の陳情をした。その際、自民党建設部会に所属し衆議院建設委員会委員である大倉議員は「それは困るだろう。しかしこれは原田憲議員が専門だから、わしからも話しておく。」と言い、自民党では税制調査会委員をし衆議院大蔵委員会委員であつて、かつてはLPガス課税について強硬意見の持ち主であつたが業者の度重さなる陳情で業界に同情的な見方をするようになつてきたときいていた原田憲議員は「課税を二年も三年も待つわけにはいかない。税制の建前上これは課税されるべきものだと承知しておいてもらいたい。実情は判つており、気の毒だとは思つているから出来るだけのことはしてあげる。折角地元の人が訴えてきているのだから考慮して上げましよう。」と言い、自民党税制調査会委員をしている古川議員は「諸君の話はよく理解できる。そういう相談をする機関があるので君達の主張のあるところを伝えてあげよう。」と言つた(多嶋日記中の昭和三九年一一月二七日の記載、井上奨の検察官に対する昭和四三年一月一〇日付供述調書、第七九回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書)

19 同三九年一一月二八日の大タク協LPG使用事業者集会において、被告人多嶋がLPガス課税問題の経過報告をした後、被告人多田が「東京からの呼びかけもあつて自民党に対する政治献金を考えている。東京では自民党に一億五、〇〇〇万円献金するといつているので、関西からも同党に一億円の献金をしたい。LPガス課税問題が有利に決まれば、大タク協だけでなく旧協会、京乗協、兵乗協も恩恵を受けるのだから、関西として一億円集めるとすれば、大タク協六、旧協会一、京乗協一、兵乗協二の割合で一億円集めたい。大タク協だけでも六〇〇〇万円を集めることになる。来年の参議院選挙に結びつけて献金したい。」という趣旨のことを発言した(多嶋日記中の昭和三九年一一月二八日の記載、第七九回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書、第一〇三回公判調書中の被告人多田の供述部分)。

被告人多田がこの自民党に対する一億円献金をすることについて非常な熱意をもつていたことは前示関係証拠により明らかなところであり、被告人多嶋の検察官に対する右の供述調書および多嶋日記中の右の記載部分によると、被告人多嶋が同多田に対して同月二七日の上京報告をしたところ、同多田は自民党に対する一億円献金の相談をするためLPガス使用事業者のうちLPガス車一〇〇台以上を有している大タク協の大手会社(一二、三社)の幹部を至急集めるようにとの意向を示しこの同多田の意向にもとづいて同月二八日午後四時から右のLPG使用事業者集会を開いたことが認められ、さらに、多嶋日記中の昭和三九年一一月二八日の欄に「多田さんに東京の情勢を報告。中央の情勢に合わせてLPガスの課税問題を処理しなければとの意向で、急にLPガスを使用している業者中一〇〇台以上の会社を四時に召集する……」との記載部分、被告人多嶋の検察官に対する右の供述調書中に「この献金は前に申し上げた理由でするわけで、LPガス課税問題を業界に有利に運ぼうとするためのものですから結局献金はLPG使用業者の負担ということに落ちつきそうだつたので、あらかじめ負担額の多くなる大手業者に集つてもらつて賛同を得たいというのが多田社長の気持だつたと思われます。」、「多田社長は献金したLPガスは課税されたでは困るので結論が出てから参議院選挙に結びつけて献金したいといわれたと思います」の各記載を総合し、さらに被告人多田がその場でその提案にかかる一億円献金実行についての同意書代りに出席している各社の負担額にみあう額の手形を預らせてもらいたいと提案した事実をも参酌すると、被告人多田としては、当時タクシー業界が直面していた諸問題、就中、当時業者の大きな関心事として緊迫していたLPガスに対する課税問題をタクシー業者に有利に打開進展をはかるための一方策として自民党に対する一億円献金を大タク協会員業者に提案したものとみるべきである。

20 同三九年一一月三〇日の大タク協第三七回定例理事会(この理事会では一億円献金問題を協議決定することから、特に大タク協監事およびLPG車を使用している会員若干名の出席を求めて開かれたもので、被告人らは拡大理事会と呼んでいる)において、飯原LPG委員長らから同月二七日上京した際の東京での状況の報告やLPG課税問題に関するそれまでの経過の報告がなされ、その報告内容については関係人の供述からは必ずしも明らかではないが、同理事会議事録中にその報告内容として「まもなく総理府税制調査会から政府に対しLPG課税案が答申されることになつており、今後は、この案に基いて自民党税制調査会で論議されることになるので、今後の反対運動はこの方面に向ける必要がある。そのため、全乗連ではこれら自民党の関係部会に陳情し、地元の国会議員には地元から陳情するのが効果的であるとし、このことを全国に連絡し、大阪においても一一月二七日急拠会長並びにLPG正副委員長が上京し、原田憲氏ら地元関係六議員に陳情した。」趣旨の記載があり、これに反する特段の証拠もないところから、出席会員を前にして飯原委員長らがなした報告の内容は、大綱において同趣旨のものであつたと認めることができる。そのあと、同理事会において、再度自民党に対する一億円献金問題について協議し、前記LPG使用事業者集会で決定したとおりのことを承認するとともに、直ちに京乗協、兵乗協、旧協会に対して協力を求めこの一億円献金の実現に取り組んでいくことを確認し合つた。

当日のこの理事会の模様につき、被告人多嶋は日記(同三九年一一月三〇日欄)の中で「きよう、あしたの理事会をくりあげて開く。もつぱらLPガスの創設対策に当てる。」と記し、同理事会議事録には自民党に対するこの一億円献金問題について全く記載されていないが、右議事録中「以上の報告のあと、情勢分析を行い本課税問題がいよいよ政治段階に入つたことを確認、積極的な反対運動を押し進めることに意見が一致した。」との記載がなされており、しかも、被告人多嶋は、この献金問題が表沙汰になると具合が悪いので理事会議事録には記載しなかつたもので、この一億円献金問題を協議決定した趣旨を表わすため議事録には右のごとき記載をしたものである。」と供述(多嶋の検察官に対する供述調書)しており、井上奨も「この自民党に対する一億円献金の理由はLPガス課税をされないためのものであり、与党に献金でもすると与党の首脳部もハイタク業界の言うことを聞いてくれるだろうという考えがあつたものと思います。」と供述(井上奨の検察官に対する供述調書)していることにかんがみると、被告人多田、同多嶋らが実現に強い熱意を示していた自民党に対する一億円献金問題は、当時タクシー業界が早急に打開の方策をとらねばならない免廃問題、LPガス課税問題、運賃値上げ問題などの経営をおびやかす重大問題を抱えていたこともさることながら、なかでもかねてからの懸案であつて当時早急に解決すべく重大視されていたLPガス課税問題に関し、その反対運動の一環として企画、推進されたものであることが認められる。同理事会には、被告人多嶋、同多田、井上奨、坪井準二、口羽玉人らが出席していた。(以上について大阪タクシー協会第三七回定例理事会議事録、多嶋日記中の同三九年一一月三〇日の記載、飯原敏雄の検察官に対する供述調書、井上奨の検察官に対する昭和四三年一月一〇日付供述調書、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付、同年一二月七日付各供述調書)。

21 同三九年一二月一日被告人多嶋、飯原LPG委員長らが京乗協(京都乗用自動車協会の略称)に赴き(多嶋日記の同日欄には「大阪協会できめたLPガス課税反対対策に同調してもらうため」と記載されている。)粂田晃夫同協会長に対し、LPG課税問題に関してこれまでの経過を話し、課税問題が業者側に有利になれば京都も同じ恩恵を受けることになることなどを話し、自民党に対する一億円献金に同調協力方を依頼し、同月二日、飯原LPG委員長らが兵乗協(兵庫乗用自動車協会の略称)および大旅協(大阪旅客乗用自動車協会の略称)に赴き、右各協会会長らに対し、前同様のことを話し、同調協力方を依頼した(多嶋日記中の同三九年一二月一日の記載、第八〇回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書)。

22 同三九年一一月末ごろ、総理府税制調査会が近くLPガスに対する課税の答申(昭和四〇年度の税制改正に関する答申)をすることや、自民党の税制調査会もLPガスに対し課税する強い意向で総理府税制調査会の動向を注視しながらLPガス課税問題を検討中で、近々その答申も出される状況になつていたことが大タク協理事らの間にも話題になつていたことから、同年一一月二八日に開かれた前記大タク協LPG使用事業者集会や同月三〇日の理事会において、出席した理事らから、大タク協幹部の大手業者もいま一度上京して関係筋に陳情しLPガス課税反対の最後の詰めをすべきだという意見が出され、またそのころ全乗連の正副会長らからも被告人多田らに対し上京して陳情するよう要請してきていたこともあり、さらに同年一二月二日ごろには総理府税制調査会小委員会では同四〇年四月一日よりトン当り一万七、五〇〇円課税するという案が出されていた折でもあつて被告人多田、同多嶋、坪井準二、沢春藏らは、大蔵大臣ら関係筋にLPガス課税問題について課税反対や課税時期の延期など業者側の望む有利な方向に取り扱われたい旨の陳情をするために、川鍋全乗連会長らに対し関西業界における自民党に対する一億円献金運動の進捗状況を報告することをも兼ねて、同年一二月三日上京した。

そして、同日午後、被告人多田、同多嶋、坪井準二、沢春藏らは、同多田が上京の際の常宿にしている東京築地の有明館(以下有明館という)において、川鍋全乗連会長や藤本威宏全乗連総務委員長と会い、同多田において右川鍋会長に対し、関西のタクシー業界においては自民党に対し一億円献金をすることに決つたことおよび京乗協、兵乗協もこれを一応了承していることを話し、かねて同会長が提案してきた東京における一億五、〇〇〇万円の献金の進行具合を尋ねたところ、同会長は東京では右の献金の話は進展しないので困つていると答えただけでそれ以上の明言はせず、右藤本総務委員長は東京ではその実行はなかなか困難であるといつていた(多嶋日記中の同三九年一二月三日の記載、第八〇回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の昭和四二年一〇月三〇日付供述調書)

多嶋日記中の同日欄に「沢さん、坪井さんも既に来合わせていて東京の川鍋さんと話合つているところだつた。LPガスをぶつつぶすために関西業界のとつた計画を東京にもという多田さんの心だつた。考慮しようと約束して川鍋さんの帰つたあとに藤本さんが姿をみせた。」と記載されていることや被告人多嶋の昭和四二年一〇月三〇日付供述調書中の右の関係供述記載によると、LPガス課税反対のためにその運動の一環として計画した自民党に対するこの一億円献金の完遂にかける被告人多田、同多嶋らの当時の意気込みは大きいものであつたことはこれを推認しうるところである。そうすると、多嶋日記中の「関西業界のとつた計画」というのは「一億円献金のこととは関係がなく、同年一一月二八日の同好会で協会幹部が上京して政界の実力者と懇談してみようという企画を指すものである。」という被告人多嶋の供述(第一〇二回公判)は採用できない。

23 翌一二月四日早朝被告人多田は、坪井準二、沢春藏らとともに、小佐野国際興業社主の案内で田中大蔵大臣を訪ね、同大臣にLPガス課税実施を少なくとも二年間延期されたい趣旨の陳情をした(第九四回公判調書中の被告人多田の供述部分)。

24 そのあと、同日、被告人多田、同多嶋は、坪井準二、沢春藏らと東京霞ヶ関のグランドホテル三一二号室に寿原正一議員を訪ね、同議員に対し、「LPG課税問題が重要な時期にさしかかつたが、もしこのとおり課税されるとなると業界の死活にかかわるので、例え一年でも二年でも延期になるよう先生の御尽力をお願いする。」趣旨のことを述べたところ、同寿原は、「御趣旨はよくわかつた。これまでにもあなた方業界の陳情を受けて交通部会の先生方に業界の実情を話して働きかけ、交通部会では反対決議をしてもらうところまでこぎつけたし、さらに商工部会にも働きかけている。これからもできる限り努力するつもりでいる。」、「旧大野派は反対の申し合わせをしている。」などという趣旨のことを話し、被告人多田、同多嶋らは「このうえとも何分の御尽力をお願いします」などといつた(寿原正一の検察官に対する昭和四二年一二月二五日付供述調書、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書、坪井準二の検察官に対する昭和四二年一二月一一日付供述調書)。被告人多嶋は公判廷において、右同日寿原議員に対して陳情はしておらず、寿原議員からLPガス課税問題のその後の進展状況についての情報をきいたにすぎないという趣旨の供述をしているが(第八〇回公判)、被告人多嶋の右供述は、同日寿原議員の居室で同議員に対してLPガス課税問題で陳情したという被告人多田の供述(第九四回公判調書、同被告人の昭和四二年一〇月三〇日付供述調書)に照らしても採用できない。

25 そのあと同日、被告人多田、同多嶋、坪井準二、沢春蔵らは、郵政省に沢春藏が後援会長となつている旧大野派に属する徳安実藏郵政大臣を訪ね、LPガス課税問題について、「大分煮詰つてきているようですが、もうなんとかならないでしようか。」といつて業界がLPガス課税問題で非常に困つていることや自民党税制調査会の中では坊秀男議員、原田憲議員、山中貞則議員が依然として課税に強い賛成意見を有していることなどを話して旧大野派に属する議員に対する働きかけを期待し、原田憲議員に対しては同大臣から陳情の趣旨を伝えてもらう確約を得、山中貞則議員に影響力をもち同議員に対する説得を期待できる議員として村上勇議員の紹介をうけ、直ちに、衆議院第一議員会館に郵政大臣や建設大臣の経歴があるときいていた村上勇議員を訪れ、「LPガス課税問題で業界が非常に困つてるのでなんとかしていただきたい。」旨話して陳情し、徳安郵政大臣から紹介をうけたことを話してLPガス課税問題に関して業者の立場を理解してくれるよう山中貞則議員に対する口添えを依頼してその承諾を得、さらに村上勇議員の居室に来合わせた原田憲議員に対し、村上勇議員の口添えをえたうえ「よろしくお願いします。」といつてLPガスに直ちに課税されると非常に困るという業者の立場を理解してほしいという趣旨で陳情をし、そのあと、LPガスに対する課税を主張していた自民党建設部会の部会員田村元議員を訪れ、LPガスに対する課税を延期していただきたいと言つて陳情した(第八〇回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書)。これらの事実に見ると、被告人多田、同多嶋らがつてを求めて次々と大物議員や課税賛成議員に陳情したり、原田、山中両議員に対する説得をたのんで歩いており、当時被告人多田、同多嶋らのLPガス課税反対の意思は強かつたと認められる。

26<1> 同三九年一二月三日、被告人多田は、外二名とともに衆議院第一議員会館内の被告人関谷を訪れて陳情したが(被告人多田の昭和四二年一二月八日付供述調書)、その際、同関谷は、被告人多田らに対し、LPガス課税に関する自民党税制調査会所属の議員の考え方、動き、交通部会や商工部会所属の自民党議員の考え方などについて話し、ことに商工部会と交通部会の議員はLPガス課税問題についてタクシー業界の実情によく理解を示し課税は時期尚早論になつていると話した(検察官作成の「面会証の写真撮影について」と題する報告書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書、大タク協第三八回定例理事会議事録)。

<2> なお、検察官は、被告人多田、同多嶋は、坪井準二、沢春藏らとともに、同年一二月四日議員会館内の被告人関谷を訪れたが、その際、同被告人から「LPG課税案が税制調査会だけで決まらないように、政策審議会、総務会でもませて党三役までもつていきたいと考えているので、関係各議員にも課税反対の陳情をするように指示し、自分も交通部会を通じて十分働きかけておく。」と話し、同多田、同多嶋らは「何とか先生たのみます。」とのべて尽力方を依頼し、同関谷もこれを了承した、と主張し、証拠として、多嶋日記10、坪井準二の検察官に対する昭和四二年一二月一一日付、沢春藏の検察官に対する同月八日付、被告人多嶋の検察官に対する同年一〇月三〇日付各供述調書を挙げている。これに対し、弁護人らは、被告人多田、同多嶋らは右の一二月四日には被告人関谷を訪問した事実はなく、したがつて、検察官が主張するが如き同関谷の話もきいていないし、同関谷に対し陳情依頼をした事実もない、と主張する。そこで証拠を検討するに、

被告人多嶋の前掲一〇月三〇日付供述調書中には、「この時陳情に行つた先は寿原代議士、運輸省坪井自動車局長、徳安実藏郵政大臣、村上勇代議士、田村元代議士それから関谷勝利代議士のところです。」と記載され、次いで寿原代議士、徳安実藏郵政大臣、村上勇代議士および原田憲代議士、田村元代議士の順に陳情の状況に関する詳細な記載がなされ、そのあとに、「次に関谷先生の部屋を訪れました。」と記載され、つづいて被告人関谷の居室での検察官の前記主張に副う事実に関する同多嶋の供述が記載されている。

また、坪井準二の前掲供述調書中の関係部分には、「その日も私達は関谷先生とそれからやはり運輸委員をしている寿原正一先生の所にも寄つて情勢を聞いたり、何とか先生頼みますといつて一層の御尽力をお願いしました。」との供述記載、沢春藏の前掲供述調書中には、「そこでその頃一番われわれ業界のためLPG課税問題について積極的に動いてもらつていた関谷先生、寿原先生のところにお願いに行つたのですが、その時の両先生のお話では一生懸命がんばつているがなかなか難しいというお話でありました。」との供述記載がそれぞれ存する。

さらに、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書には、寿原正一議員(「当日上京組が揃つてグランドホテルで寿原先生に陳情しました。」)、徳安実藏郵政大臣(「それから郵政省に安徳先生を訪問しました。」)、村上勇議員(「それで徳安先生のお引合わせで議員会館で村上勇先生に会いました。」)と順次右三名および村上勇議員の居室における原田憲議員に対する各陳情のもようが記載され、そのあとに、「関谷先生にも上京した際会つており……」との記載につづいて右<1>の認定した被告人関谷の話が記載されている。

被告人多田(第九四回公判)、同多嶋(第八〇回公判、第一〇四回公判)、証人坪井準二(第一三回公判)は公判廷においていずれも一二月四日の日には被告人関谷の居室を訪問していないと供述し、証人沢春藏は公判廷(第二〇回公判)において、同日被告人関谷を訪問したかどうかについてははつきりした記憶はないと供述している。

ところで、多嶋日記中の昭和三九年一二月四日欄には、「十時有明館にゆく。多田、沢、坪井、吉村のみなさんと同行してトヨタ自販に神谷社長を、グランドホテルに寿原代議士を、運輸省に坪井自動車局長を、そして郵政省に徳安郵政大臣、議員会館に村上勇代議士、最後に国際自動車に波多野社長を訪問する。」と記載されており、右日記の記載は当日或いは遅くとも数日内に記載されたものであるというのであるから、まず客観的事実の存否に関するその記載は信用性が高いと認められるところ、右記載中には、当日被告人関谷を訪問したという記載はないし、またその余の部分を精査しても当日同関谷を訪問した旨の記載はなく、記載内容やその文脈にかんがみ、当日訪問した人に限つてその氏名とその順序を記載したものと認められ、殊に被告人多嶋にとつて当日同関谷を訪問したことを隠したい事情も全くうかがわれないのであるから、右多嶋日記の右の記載から同多田、同多嶋らが同日同関谷を訪問していない事実を推認しうるというべきである。さらにまた、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一二月八日付供述調書によると、大タク協会員らに大タク協内における出来事などを知らせるため大タク協でそのころ発刊された協会報昭和三九年一二月下旬号中の事務局の動き欄には「一二月四日多嶋会長、多田、沢、坪井各理事グランドホテルに寿原代議士を、郵政省に徳安郵政大臣を、議員会館に村上勇、田村元、原田憲各代議士を訪問、LPG課税延長方について懇願」と記載されていて、同日同関谷を訪問したという記載がないこともうかがいしることができるのである。

そのうえ、坪井準二の前掲供述調書には、当日寿原正一を訪問して陳情した際の模様がかなり詳しく供述され、沢春藏の前掲供述調書中には、当日徳安実藏郵政大臣に陳情依頼をした際の模様が詳しく供述され、村上勇、原田憲各代議士に陳情依頼をした模様についてもかなり詳しく供述されているのに、同関谷を訪問した模様については、坪井準二も沢春藏も、いずれも前掲のごとく、同関谷に対して「何とか先生頼みます。」と言つたとか、同関谷が「一生懸命がんばつているがなかなか難しいと言つた。」という程度の僅かでありきたの供述しかしないのであつて、当時同関谷から、検察官が主張しているような「LPガス課税案が税制調査会だけで決まらないように政策審議会、総務会でもませ、党三役までもつていきたいと考えている。」などという自ら辣腕をふるうつもりでいることを聞いたのであれば、徳安実藏郵政大臣、寿原正一、村上勇、原田憲ら各議員の話とは明らかに趣きを異にしているのであるから、当時LPガス課税阻止や実施期日の延期のための運動に躍起になつていた坪井準二や沢春藏にとつて深く記憶に残り検察官の取調べの際に供述しているであろうと思われるのに、右発言内容について一言半句も触れていないのであつて、かかる事情がみとめられることや坪井準二および沢春藏が公判廷において被告人関谷を訪問した事実を否定し、或いは否定する趣旨の証言をしていることにかんがみると、同人らの右の各供述調書中の前示供述部分に信を置くに、なお、ためらいを感じざるをえない。

また、被告人多嶋は、前記のように当日被告人関谷を訪問したことはないと供述し、検察官に対し同関谷を訪問して前示のごとき話をきき、尽力方を依頼した趣旨の供述をしたのは、記憶違いによるものであると供述しているところ、同多嶋の検察官に対する供述は約三年経過した後になされたものであるうえ、当時同多嶋はLPガス課税反対の陳情のため再三上京して国会議員に対して陳情し、全乗連や東旅協の幹部らから課税問題をめぐる情勢や自民党交通部会や税制調査会の動きをきき、この一二月四日以外にも寿原正一や被告人関谷に面談し課税問題に関し、これを阻止する方策や関係議員の動きをきいていたのであるから、当時の情勢を考えるとき、その際、それと同種或いは類似のことが幾度か話題にのぼることがあつたであろうことは推認するに難くないことにかんがみると、前記検察官に対する供述記載(昭和四二年一〇月三〇日付の記載部分)は時、場所、或いは人を異にする記憶違いによる供述であつたという同多嶋の公判廷(第八〇回、第一〇四回)の供述をたやすく排斥することもできない。

ところで、被告人多田の前記供述調書(昭和四二年一〇月三〇日付)中の前示掲記の供述記載によると、同多田は「関谷先生にも上京した際会つている」というのであるが、同多田は一二月三日に上京しているのであるから右の文言自体から同多田が同関谷に会つたのは同月四日であるとにわかに断じ難いうえ、検察官作成の面会証の写真撮影報告書によると同多田は外二名の者(この外二名の氏名は証拠上確定できない)と同月三日関谷に面会していることが認められ、同多田の検察官に対する供述調書を検討してみても、同多田が同月四日に同関谷を訪問したことはうかがえない。

そうすると、被告人多田、同多嶋らが一二月四日同関谷を訪問し、課税反対の為の尽力方を依頼したという趣旨の検察官の主張事実をうかがわせる証拠として、被告人多嶋、坪井準二、沢春藏の前掲各供述調書の関係部分が存し、ことに被告人多嶋の供述調書中の供述記載は詳細で一顧に値いしないわけではないが、被告人多嶋、坪井準二、沢春藏がいずれも公判廷において一二月四日同関谷を訪問したことはないと供述し、右各供述に副う多嶋日記中の一二月四日欄の記載が存し、これと同旨の記載のある大タク協の協会報一二月下旬号も存在するとうかがい知れるし、さらに右の各供述調書について前記において認定説示した事情の存する下では、なお、同多田、同多嶋らが同三九年一二月四日議員会館に同関谷を訪問し、LPガス課税反対について尽力方の依頼をなし、同関谷もこれを了承したという事実を認めるには、なお、合理的な疑いが存するというべきである(なお、大阪タクシー協会第三八回定例理事会議事録によると被告人多田が第三八回定例理事会の席上、「一一月三〇日の理事会の意向をくんで東上、田中大蔵大臣に課税延期を訴えるとともに、徳安、関谷、寿原、村上等の各代議士に会いお願いしてきた。」趣旨の報告をしていることが記載されているが、面会証の記載と同多田の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書にもとづいて、本項<1>に認定したごとく、同多田は他二名と共に一二月三日同関谷を訪問し、同関谷から同掲記の話をきいたのであるから、いずれにしても同多田は同関谷を訪問しているのであつて、右の議事録の記載は前記認定を左右するに足りず、また、同三九年一二月九日の近畿ハイタク協議会に関する上中メモの中に、被告人多嶋の報告として「12/3・4多田、沢、坪井、多嶋が大蔵大臣に会つた、その他関谷氏外二、三の代議士に会つた、関谷氏の話では自民党内の交通、商工部会は反対決議をしている、建設、財務、地方行政は徴税したい立場が強いから陳情の要あり。」とメモ書きされているが、既に認定したように同月三日被告人多田が同関谷と面談して自民党内の各部会の動きをきいていること、同多嶋は翌四日同多田らと終日行動をともにし前記各議員を訪れて課税反対或いは課税時期の延期の陳情をし、或いは課税賛成、反対議員らの動向を話し合つていること、右メモの被告人多嶋の報告内容に挙つている被告人関谷の話の内容は同多田が同月三日同関谷からきいた話と同様或いはそれの域を出るものではないことも認められるので、かかる事情の下では、未だ前記認定を左右する資料にもなり難いというべきであり、従つて、また、右の多嶋日記の同月四日欄の前記記載および、協会報一二月下旬号の事務局の動きの欄の前記記載並びに大阪タクシー協会第三八回定例理事会議事録中の前記記載を総合すると一二月四日当日被告人多嶋らが同関谷に直接会つて陳情したことに間違いないという趣旨の被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一二月七日付供述調書中の供述もまた、たやすく採用できないというべきである。)。

27 同三九年一二月九日ホテル紅葉で開催された近畿ハイタク協議会の席上、被告人多嶋は、LPガス課税問題に関し、同月三日および四日に同多田、坪井準二、沢春藏らと上京し、同被告人らが田中大蔵大臣に陳情したもようや同関谷、寿原正一議員らの話を報告し、さらに、政党献金に関し、「正面からの陳情攻勢と裏面からの運動も必要だという考えから来年の参議院選挙に結びつけて政治献金を考えている。」ことなどを報告し、さらに今後の課税反対運動の進め方につき協議した(昭和三九年一二月九日近畿ハイタク協議会に関する上中メモ、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書((但し被告人多嶋のみ)))。

28 同三九年一二月一五日午前中に行われた自民党税制調査会小委員会において、大蔵省原案どおりLPガスに対し同四〇年四月一日より屯当り一万七、五〇〇円を課税するということが決定されたが、同日午後開催された同税制調査会総会において、税制調査会委員の被告人関谷やLPガス課税に反対し或いはLPガスに課税することに疑問をもつ同委員の中から、タクシー運賃の値上げを許さないでおいて燃料のLPガスに課税することには反対である趣旨の意見が述べられ、これに同調する議員も増え、同総会は流会となり、つづいて、翌一六日に開かれた同総会においても、課税するにしても課税実施時期をさらに延期すべきだとする意見が増え、総会としての意見がまとまらず、同党政務調査会政策審議会で審議されることになつた。被告人多嶋、同多田らは、当時、全乗連側からの情報で、かねて課税に強行な意見をもつていた原田憲議員らも直ちに課税すべきであるという意見は表面には出されなくなつたことから業者側の窮状に理解を示すようになつたものと受取つており、また、東京の北村大日本交通専務らからの連絡によつて同月一五、一六日の税制調査会総会の右の模様を知り、同総会において同小委員会が取り決めた課税原案に対して異論が出たうえ同原案よりも課税実施時期をさらに延期すべきであるとの意見まで出て、同総会としての意見がまとまらなかつたのは、同多田、同多嶋ら大タク協会員らが或いは全乗連をあげてかねてより被告人関谷、寿原正一らに陳情し尽力方をお願いしてきたことからその意を体した同関谷や寿原正一が、税制調査会委員や関係議員らに業者側に有利な線できまるように働きかけ、或いは説得してくれたことによるからであると思つていたことはこれを認めるに充分である。(証人坊秀男に対する当裁判所の尋問調書、多嶋日記中の昭和三九年一二月一六日欄の記載、大阪タクシー協会第三八回定例理事会議事録、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書)。

29 同三九年一二月一七日、被告人多嶋は、井上専務理事らと共に上京し、翌一八日、日比谷公会堂で開かれた全乗連主催のLPG新課税反対全国ハイヤータクシー業者大会に出席した。この当時は、LPガス課税の問題が自民党の党議にかけられていわば最後の詰めともいうべき段階で、しかも課税の有無および実施時期に関し業界全体として重大な関心をもつていた時期でもあつて、この大会のために東京においてだけでも約六、〇〇〇人を動員し、大阪においては大タク協から六五人、旧協会から七、八人のタクシー業者らが出席した大きな規模のものであつた。同大会の席上、来賓として出席した被告人関谷は、「自分達も皆さんの立場がよくわかるので、国会でできるだけの努力をしている。あなた方の問題なので、熱意と誠意で頑張つて下さい。皆さんのことを理解する先生方も増えてきている。」旨の激励の挨拶をし、その後、来賓として出席していた寿原正一らの国会議員も同趣旨の激励の挨拶をした。同大会後、出席者らは手分けをして関係先に陳情し、同多嶋は、川鍋全乗連会長、藤本全乗連総務委員長、大山兵乗協会長らと共に院内で中村梅吉自民党総務会長に会つてLPガス課税問題で陳情した。そのあと同多嶋は、ヒルトンホテルに設けられたLPG対策本部に行き、当日開かれた政策審議会の様子をみてきた寿原正一から政策審議会では課税実施時期を多少延期するという空気になつてきているが議論が続出して紛糾し、総務会に結論が託されたことなどの審議の状況をきき、総務会の審議の状況や結果をきくため第一議員会館に同関谷を訪ね、総務会の模様をみに行つてきた同関谷から「総務会での話によると、一年間の課税実施延期と同じような効果があるもので、税体系を乱さないような範囲で案をきめるような話がすすんでいるようだ。まだ話し合いがすすめられている。」という話をきいたが、その際同関谷は同多嶋に対し、「どんな空気になるか心配だつたので部屋に入つて話を聞いていた。個人個人にもしつかり頼むぞと頼んでおいた。」などと話した。そして同関谷は同日大阪にいる同多田に電話をかけて、総務会での審議状況について、「いろいろ努力したが、この程度になつたから我慢してほしい。」という趣旨の連絡をし、そ際、同多嶋は同関谷に対し、「ご苦労さんでした。」と謝辞を言つた。

なお、同日夜、自民党は幹事長、総務会長、政調会長に副総裁を交えた会談の結果、課税時期を大蔵省原案より九ヶ月延期することをきめ、総務会もこれを了承し、ここに自民党は、その党議により、LPガス一トン当り一万七、五〇〇円を課税し、その実施時期を昭和四一年一月一日とすることを内容とする昭和四〇年度税制改正要綱を決定した。

そして、被告人多嶋、同多田らは、翌一九日の新聞報道並びに全乗連に問合わせて、LPガス課税案が自民党の党議で、課税時期を原案より九ヶ月延期した右の内容のものに決定されたことを知つた(多嶋の日記中の同三九年一二月一八日欄の記載、吉田富士雄の検察官に対する供述調書、第一〇回公判調書中証人口羽の供述部分、寿原正一の検察官に対する昭和四二年一二月二二日付供述調書、第八一回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書、被告人関谷の検察官に対する昭和四二年一二月九日付供述調書)。

なお、検察官は、寿原正一が一二月一五日および一六日の両日、税制調査会総会の入口において、入場する税制調査会委員に対し、「頼むぞ、頼むぞ。」と言つて、課税反対ないしは実施時期の延期等の意見に同調するように勧説した、と主張し、これに副う証拠として被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書を挙げているのであるが、同調書中の同多嶋の供述を検討すると、同多嶋が同関谷から「寿原先生はよくやつてくれましたよ、税調の議員が会議場に入る時に入口に頑張つていて頼むぞ頼むぞと言われていましたと聞いたというものであるが、同関谷のこの話は、同関谷と寿原正一が同席した酒席の場で同人らの労をねぎらう同多嶋、同多田らを前にして、お互いに相手の努力を同人らに誇示していた際の発言の中の言葉にすぎないし、他にこれに副う証拠はなく、寿原正一の検察官に対する昭和四二年一二月二五日付供述調書によると、同人は会議場の入口に頑張つて各議員に頭を下げて頼んだことはないし、又そのように会議場の入口で頼むということは政治家としての品位にもかかわることであるからそのようなことはする筈がなく、ただ、政策審議会が開かれた際、業者が会議場の入口でそれぞれの議員によろしくお願いしますと頭を下げていたのは記憶している、と供述しているのであつて、これらの事情の存する下では、被告人多嶋の前記供述だけでは寿原正一が前記税制調査会の開かれた会場の入口で自ら税制調査会委員に対して頼むぞ頼むぞといつて同委員を勧説したと認めるにはなお疑問が存するものというべきであるが、ただ、業者らが前記政策審議会が開かれた会場の入口に集つて同審議会の委員らに対し「よろしくお願いします。」などと言つて頭を下げていた際に、寿原正一としても業者に対する配慮からその場に顔を出したことがあつたという程度の事実は認められるというべきである。

寿原正一の検察官に対する昭和四二年一二月二二日付供述調書によると、寿原正一は右の総務会の席に傍聴に行き、課税を主張する意見が強かつたため、課税反対意見を陳述しようとしたところ総務会長から制止されたこと、その席上、総務会長から呼ばれて課税時期をいくらかでも延ばせば君も気がすむのではないかと言われたが課税絶対反対の線でお願いしますと答えたこと、党三役らの話合いにより課税時期を九ヶ月延期することで課税案がまとめられたとき、特に政調会長から呼ばれ、了承してほしいといわれ、業界から期待を寄せられて努力した結果、原案よりも課税実施時期が九ヶ月延期になつたのであるからそれで了承すべきだと思つたことが認められるのであつて、寿原正一が自ら供述している右の各事実によつても、同人のLPガスに対する課税に反対する熱意は極めて強く、業者から期待を寄せられているという自覚をもつて少しでも業者側に有利な課税案になるように極めて積極的な活動をし、同人としてもその尽力の結果に満足できるものではないにしても、党議の段階においては自分を頼りにしてきている業者側にとつて一応の有利な結果を勝ち得たと考えていたものと思料できるのである。

被告人関谷は、かねてよりLPガス課税に反対をして再三陳情をくり返して当日の総務会の審議結果に強い関心を寄せ、少しでも自分らに有利な案ができることに強い期待をしながら心待ちにしている同多嶋や同多田の心情を察し、総務でもないのに、わざわざ総務会に傍聴に行き、直ちに、その審議の状況や結果の見とおしのみならず、審議中の総務に対し課税に反対している業者にとつて有利な案にするように頼み自分としても努力をしたことを知らせているのである。

そして、被告人多嶋は、同関谷から総務会の模様やみとおしをきいた際の心情について、「先生に深く労を謝して外に出る。一応これで長い間すつたもんだしてきたこの問題も業界の強力な運動と関係者の理解のもとに所期の目的の達成とはいかないまでもヤレヤレといつた結果を得たことはほんとによかつたと思う。新橋の寿司屋で陳情に加わつた相互の人たちといつしよに杯をあげる。」と日記(多嶋日記中の一二月一八日の欄)にに記しており、また被告人多田は同月二二日開催された大タク協の理事会の席上、出席理事らに対し、九ヶ月延期が決定したことにつき、「関係代議士に非常な努力を願つた。」旨報告しているのであつて(大阪タクシー協会第三八回定例理事会議事録)、これらの記載や被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付供述調書中の関係部分の記載、その他関係証拠によると、同多嶋および同多田らが原案よりも課税時期が九ヶ月延期されたという業者にとつて有利な結果が得られたことには、同関谷や寿原正一の尽力が大きな一因となつていたと評価していたことは、疑いを容れる余地もなく認められるところである。

30 同三九年一二月一九日の同好会

前記のとおり、同月一八日、自民党総務会でLPG課税の時期が九ヶ月延期されたが、被告人多田の提案で口羽玉人、沢春藏、坪井準二、高士良治らは、帰阪した同多嶋を交えて、大阪市南区の料亭「初勢」に集つて同好会を開いたが、その席上、被告人多田は、課税九ヶ月延期の決定について、かねがね中小企業育成を旗印としている自民党においては、せめて課税時期を一年くらいは延長して中小業者の立場を充分配慮してくれるものと考えていたのに、九ヶ月延期にとどまつたところから、この程度では中小業者の立場に理解を示したことにはならないといつてかねて計画していた一億円献金の問題に対する協力を渋る業者もでてくるのではないかと慮り、かかる事情を右の出席者らに話し、一億円献金運動を再検討すべきかどうかについて計つたところ種々の意見も出た結果、同好会出席者の意見としては、当初の、課税反対、それが不可能な場合は課税の二、三年延期という目標からいうと九ヶ月程度の課税延期では不満足ではあるが、大蔵省原案より実施期日が九ヶ月延期され、税率もトン当り二万六、〇〇〇円から一万七、五〇〇円にと業者に有利になつたことも事実だから、献金する意向で今後の話をすすめようではないかという意見に一応落着いたが、それでも同好会としてはこの問題は同好会の会員だけで決めるべきではなく、大タク協の理事やLPG車使用事業者を集めて会議を開いて決定すべきであるという結論になつた。以上の事実は、前掲の関係証拠により認められる。

ところで、検察官は、右の同好会において、「被告人多嶋、同多田の提案により右課税延期及び税率軽減等に尽力してくれた国会議員に対しても、その謝礼の趣旨で、金銭を贈与することを話し合い、贈与すべき国会議員の人選と金額の案を決定した。」と主張し、弁護人らは、右の事実を否定し、右の同好会の席で国会議員の個人後援会に対する献金の話はもち出されていないと主張し、被告人多嶋、同多田、証人沢春藏、同高士良治は、いずれも、公判廷において、検察官の主張する右の事実を否定し、弁護人らの右の主張に副う供述をしている。

ところで、多嶋日記中の同年一二月一九日欄の記載中この同好会に関する部分としては、「新内君の出迎えをうけたが、三時から九左右衛門の初勢で同好会があるので出席してほしいとの連絡があつたとの伝言にはうんざりする。しかし、東京の情勢を待ちわびている気持もわからないわけではなかつた。例によつてのメンバーの集りの中で一応この問題を今日の結果に持つてきた以上、この処理をしなければなるまいとの意見を出したところ、そのことのためにこそ、きようの同好会の目的があつたのだとの多田さんの説明を聞いてなるほどそうならばと九時すぎまで会議をつづける。」と記載されており、右の記載そのものからは、検察官が右に主張しているような事実があつたかどうかについては、いずれとも断じ難いというべきである。右の同好会の席上において、被告人多嶋や同多田が同月一八日の東京の業者大会の模様や九ヶ月延期に決定するまでのいきさつについての報告をしたことは関係証拠により認められるところであるし、証人口羽玉人は、公判廷において、「とりあえず九ヶ月延びたということは私共にとつて朗報であつた。」、「皆さん同じ気持であつたと思います。」と証言(第九回公判)しており、さらに、その同好会の席上で、「その情景は記憶が薄いんですが、まあ抽象的に覚えておりますのは、かねて考えておりました政党に対する献金やら、それから、合わせて個人の先生方の後援会に対する献金とか、そういうことを実行したいんやというような相談があつたんではないかと思います。あつたように思います。」と証言(第九回公判)し、さらにそのような話を切り出したのは「おそらく多田さんが中心だつたと思います。」、その話の内容については「個人の先生方には一応下話としての金額やなんか話合いになつたと思います。」、「下相談程度のものであつたと思います。」とそれぞれ証言(同公判)し、さらに、これに異論のある者はなく、もちろん被告人多田、同多嶋も異論はなく、口羽玉人も賛成であつた旨の証言(同公判)をしており、同証人の右の点に関する証言に対してはこれを左右するに足る証拠はみいだしえない。証人坪井準二は、一方では、右の同好会の席上、自民党に対する「献金の話は出たが、お礼の話はでなかつたように思います」と証言(第一三回公判)するとともに、他方では右の同好会の席上、後援会に対する献金の話は出たという旨の証言(第一七回公判)をしている。ところが、被告人多嶋、坪井準二、沢春藏、高士良治の検察官に対する供述調書中には、いずれも、右の同好会の席上、被告人多嶋や同多田が同関谷や寿原正一らの関係先生(国会議員)らのお骨折りでかかる九ヶ月延期の結果をみることができたといつたことおよび同多田がこのようにお世話になつた関係先生方にお礼を差上げてはどうかといつて、お礼を差上げることについてはかつたこと、その結果同関谷、寿原正一らにいくら差上げるかなどに話がおよんだが、それは下話程度のことで、次の理事会ではかることにしたことなどの供述記載がある(被告人多嶋の昭和四二年一〇月三一日付、同年一二月八日付各供述調書、坪井準二の同年一二月一日付、同月一一日付(一)各供述調書、沢春藏の同年一二月四日付(一)供述調書、高士良治の同年一一月三〇日付供述調書)。

これらの証拠を総合してみると、この一二月一九日の同好会の席上で、課税九ヶ月延期の自民党の党議についての評価をめぐる過程の中で或いはこの評価をめぐる話合いにつづいて、九ヶ月延期の討議がなされたことについて尽力してくれたと考えていた被告人関谷、寿原正一ら関係議員の後援会に対してか或いは議員に対し、金員を贈ろうという話が被告人多田から言い出されて同多田、同多嶋ら出席者の間でその下話をし、同好会としては、その決定を理事会に委ねることとしたことはみとめられるというべきである。

31 同三九年一二月二一日、被告人多嶋は、井上専務理事と辻井総務課長に指示し、大旅協、兵乗協、京乗協に対し、かねて申入れをし話し合つてきているとおり一億円献金運動をすすめることに同調してほしい旨申入れさせたところ、兵乗協と京乗協はこれに同調する意向であることが判つたが、大旅協だけはLPガス課税問題は全国的な問題であるから全国業者が平等に負担すべき筈のものであるのに大阪の業者だけが何故かかる多額の負担に甘受しなければならないのかといつて当初の予定分一、〇〇〇万円の負担に応じることは困難であるといいだしたため、被告人多嶋は大旅協のかかる態度に驚きを禁じえなかつた(被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付供述調書、多嶋日記中の昭和三九年一二月二一日欄の記載。就中、被告人多嶋は、同日記中の右欄に「こうしたことは、それはそのとおりであるが、他はとも角として京阪神の業者がみずからの防衛のために立上つた動機は尊重さるべきものだし、よしんば京阪神の業者だけで負担したところで、今日あのような好結論を得たことを思えば充分にその犠牲は賄えている筈、とかく目的が決すると、人間欲が出てきたなくなる。」と記載し、大旅協のとつている態度は余りにも勝手すぎるとの驚きを吐露した記載をしている。)。

32 同三九年一二月二二日午前中のLPG使用業者報告会

同年一二月二二日午前中、大タク協会議室で開催したLPG使用事業者報告会において、出席した六、七〇名位のLPG車を使用している事業者を前にして、まず飯原LPG委員長がLPG課税反対運動の経過やLPG課税の九ヶ月延期が自民党で決つた経過等について報告したが、同飯原は、九ヶ月延期の決定に不満で今後も国会における法案審議の機会に国会議員に対し課税反対のための運動を継続したいと考えていたところから、「関谷、寿原両先生らの工作によつて課税時期が九ヶ月延期されるに至つたものの、昭和四一年一月からのトン当り一万七、五〇〇円の課税については、引きつづき対策を考えていかなければならない。」などと発言し、今後はタクシー運賃値上げの問題についても考えねばならないことにも触れた。次いで、被告人多田も、それまでの陳情の経過、被告人関谷、寿原正一、徳安実藏らに協力を求めてきたことや自民党総務会における陳情の経過などについて話し、関東側と自民党に一億円献金をして自民党の上層部を動かすというタクシー業界初めてのことをやることを協議したが、大阪だけでもやろうという話になつているが、一年延期の目的が達成されなかつたので(同好会において)献金をどうするか諮つたところ、今後の問題もあるので袖にすべきでないという意見があり、本日の理事会で決定する。」などの発言をし、一億円献金に対する協力を求めた。そして、同多田は、さらに、「東京では終戦処理に三、〇〇〇万円使うといつている。」、「大阪は約一、〇〇〇万円を終戦処理に使いたい。」などと述べた。この終戦処理という言葉の意味について、被告人多田は、代議士個人先生に対する献金、職員の時間外手当(LPガスの課税反対運動に当り協会事務職員にも忙しく時間外に働かせたのでこれに幾らかでも手当を出すこと)、協会の経費のカバー(LPガス課税反対運動で協会職員ばかりでなく協会の大衆業者が上京しておりその旅費や宿泊費などの通常の協会の経費が足りなくなつているであろうからこれを補うためのものである)の三つを指しているが、終戦といつてもLPガス新課税反対運動は終つたのではなく尚どんどん続いているのです、と供述しており、被告人多嶋は、同多田の終戦処理という言葉をきいて、その意味は個々の政治家に対する政治献金という名のお礼のことを指しているものだと思つたと供述している(上中善雄作成のLPG使用事業者報告会(39 12 22、10・50)と題するメモ、多嶋日記中の昭和三九年一二月二二日欄の記載、飯原敏雄の検察官に対する供述調書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一一月二九日付(二)供述調書、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付供述調書)。

(上中メモについて)

同三九年一二月二二日午前中の右のLPG使用事業者報告会と題するメモ並びに同日午後の大阪タクシー協会の第三八回定例理事会議題という書面に記載されたメモは、いずれも上中善雄が右各会議に臨席して発言者の発言をその場で聞きながらメモしていつたものであることは第五三回、第五四回公判調書中の証人上中善雄の各供述部分、上中善雄の検察官に対する昭和四二年一〇月一九日付、同月二八日付、同年一二月一九日付各供述調書の抄本により認められているところであり、就中、右検察官に対する各供述調書の抄本によると、同人は、このメモをとるときは、速記のようなわけにはいかないが、かなり詳しく書いており、多くの人の発言を書くときはメモが途切れるときもありまた誤字、脱字、あて字もあり、又詳しく書いてある場合とそうでない場合とがあるが、同人が発言内容をきいて理解できるところは詳しく記載し、ことに業界の実力者である被告人多田の発言は興味があるので詳しく筆記するようにつとめた、会議が終つた後にメモしたものはなく、すべて会議中の発言者の発言をききながらメモしたものばかりであり、メモしたあとでこれを読みかえしたことはなく、あとでメモに手を加えたことはない、という趣旨の供述をしている。そして、上中は、この種の業務に経験の浅い一介の事務職員ではなく、大タク協の業務課長の地位にあり、それまでにも大タク協理事会に臨席して議事録作成のために発言者の発言などのメモをとつた経験もみうけられるのであつて、このような事実にかんがみ、上中が作成したLPG使用事業者報告会と題するメモおよび第三八回定例理事会議題という書面に記載されているメモの中に記載されている発言者の発言や、発言内容については、聞き落としたため記載もれになつている部分はないとはいいきれないにしても、発言のないことや勝手に作りだしたことまでをも記載したという事情はうかがえないのでメモ中に記載されている発言者と発言内容はその場で、その発言者からなされた発言を記載したものであると認めることができる。そして、LPG使用事業者報告会に関する右のメモがLPG関係綴(昭和38年~同39年)の中に、また第三八回定例理事会に関する右のメモは理事会関係綴(同38年~同39年)の中に、いずれもとじ込み業務に関する文書として大タク協に保管されており、さらに、右の第三八回理事会に関するメモは、「諸先生へのお礼の問題」に関する部分を除いて大阪タクシー協会第三八回定例理事会議事録と要旨、大綱において符合しているし、飯原敏雄は右のLPG使用事業者報告会に関するメモに記載してあるとおりのことを同人が同報告会で発言したことは間違いないと供述(飯原敏雄の検察官に対する供述調書)しており、被告人多嶋も右の報告会で飯原敏雄や被告人多田から同報告会に関する右メモに記載されている発言があつたことは間違いないと思う旨供述(被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一二月八日付供述調書)していることに照らすと、上中が作成した右の各メモは、被告人多田や飯原敏雄らがLPG使用業者報告会や大タク協第三八回定例理事会において発言した事柄を記述したものであるという点において、さらにその信用性を肯認することができるのである。右各メモ中の被告人多田の発言内容は当時の客観的事実に反するので同多田は当時そのような発言をする筈がない、上中は、同多田が発言していないことを記載しているとか、上中はLPG使用事業者報告会における発言と第三八回定例理事会における発言を混同してメモしているという被告人多田の供述は措信できないし、被告人多田の供述にもとづき右上中メモの記載は信用できないという弁護人の主張も採用できない。

33 同三九年一二月二二日午後の大タク協第三八回定例理事会

同日午後二時から、奈良県富雄の「百楽荘」で開催された大タク協第三八回定例理事会において、飯原LPG委員長がLPG課税等に関する経過報告をした後、被告人多田は、九ヶ月延期に至る経過等について説明したが、その際同多田は、田中大蔵大臣、徳安郵政大臣、被告人関谷、寿原正一ら各議員に対する陳情や、九ヵ月延期の決定をみたのは、同関谷、寿原正一議員など陳情してきた関係議員らに非常な努力をしていただいたことによるものであると述べ、さらに「業界は少なくとも一年延期を考えて運動してきたのに九ヵ月延期にとどまつたのであるが、自民党に対する一億円献金をどうするか。」と審議を求め、議長をつとめていた同多嶋において、「延期九ヵ月を成功とみるかどうか。」と諮つたところ、理事らは、「陳情もせずに黙つていればこうはならなかつた、いろいろ費用も使つたが、関係代議士先生のお力添えがあつたからこそこうなつたのだ。先の理事会で決めた党献金は行おう。」と発言し、一応九ヵ月延期を成功とみることについては異議はなく、党献金はかねての計画どおり実行することに決定し、大タク協で負担する六、〇〇〇万円のこの資金の拠出につき、LPG車のみの負担とするか、或いはガソリン車も含めた全認可車輛の負担とするかについて理事の間から種々意見も出されたが、結局、会費未納会員がでることを慮り、恒例のとおり右六、〇〇〇万円の一割増の約六、六〇〇万円の目標で計算し、LPG車に限り一台当り市域一〇、五〇〇円、郡部六、五〇〇円の割合で、各社とも負担することをきめ、そのあとで、同多田から申出のあつた大タク協に対する一、〇〇〇万円の寄附を受けることもきめた。次いで、同多嶋は、同多田が提案した関係国会議員に対し金銭を贈るという案をはかつたところ、出席理事らより議長(会長被告人多嶋)に一任するといわれたため、同多嶋は同好会の会員と大タク協の各グループの代表とで選衡委員会を構成して決定することの承認をえた。そして別室で、被告人多嶋、同多田、沢厳(沢春藏代理)、坪井準二、口羽玉人、畑平二郎、高士良治(高士政郎代理)の同好会会員或いは会員代理、宝上熊之進(親交会)、秋山誠作(交友会)、谷源治郎(タクシー協同組合)、増木義一(大阪自動車クラブ)の各グループの代表らが協議し、同多田が理事会の席上五〇〇万円から一、〇〇〇万円の範囲できめたいといつていたこともあつて、被告人関谷、寿原正一に対し各一〇〇万円を供与することを含め、五議員を対象として各一〇〇万円、六議員を対象として各五〇万円をそれぞれ供与することを決定したうえ年末の挨拶を兼ねて上京持参することとし、その資金はとりあえず同多田が社長をしている相互タクシーから借りることとした。

そして、同多嶋は、右理事会を終るに当り、理事らを前にして、「今回のLPG課税反対運動についての事後処理の問題は解決したが、課税時期までに一年間あるので、デイーゼルの三年間課税延期の例もあるので、LPG委員長、わたくしともども今回の運動のコネを利用し、課税実施延期の運動をしてゆきたい。」という趣旨の意見をのべた(第三八回定例理事会議題メモ((上中作成))、大阪タクシー協会第三八回定例理事会議事録、多嶋日記中の昭和三九年一二月二二日欄の記載、第九回公判調書中の証人口羽玉人の供述部分、飯原敏雄の検察官に対する供述調書、坪井準二の検察官に対する昭和四二年一二月一日付(一)、同月四日付、同月一一日付各供述調書、高士良治の検察官に対する昭和四二年一一月二五日付、同月二七日付各供述調書、井上奨の検察官に対する昭和四三年一月一〇日付供述調書、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付供述調書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一一月二九日付(二)、同日付(三)各供述調書)。

(A) なお、被告人多田は、第三八回定例理事会議題と題する書面(上中メモ)中に記載されている多田発言の部分について(イ)、冒頭部分には「一年延期を考えていたが九ヵ月延期になつたので約束した党献金をどうするか、また前理事会以降の経過を報告し、了解を得られれば各先生のお礼をきめたい」とあり、さらにその後の部分にも、「諸先生のお礼の問題をどうするか協議されたい」、「関係先生へのお礼と人選について」などと記載されているが、お礼というような言葉は使つていない、(ロ)、当日の理事会では、まず懸念していた一億円政党献金の問題をはかり、これに賛同がえられたので感激し、協会に対する一、〇〇〇万円の寄附の申出をなし、これが受入れられることがきまつてからはじめて、諸先生方の後援会に対する年末献金をしてはどうかと切り出したものであつて、冒頭から後援会に対する話はしていない、(ハ)、一億円献金の話が決定していないうちから「関係先生には五〇〇万ないし一、〇〇〇万の処でしたい」とか「諸先生のお礼等の問題をどうするか審議されたい」などと言つていないし、そのようなことを言う筈もない、などを理由に、上中はそのメモに事実に反する出鱈目な記載をしているといつて同人を非難し、右メモに記載されていることは間違いが多く信用できるものではないと供述している(第一〇三回公判調書中の被告人多田の供述部分)。

右上中のメモは、前に認定説示のとおり、被告人多田の発言を一言一句をそのとおりに筆記したものではないのであるから、発言された言葉のうちに一部欠落があつたり、完成された文脈になつていない部分もあるが、それでも上中としては同多田の発言しないことを記述したり、上中の恣意によつて記述したものではないことよりして、メモ中に記述してあることや文言は同多田の発言をできるだけそのままの文言で記述されているものであるということはいえる。「お礼」という文言にしても、一ヵ所にだけ記載されているのではなく「各先生のお礼」、「諸先生のお礼」、「お礼と人選について」というように個人に対する場合に三ヵ所に亘つて記述されており、同メモ中に一億円献金の場合には「党献金」という文言で記述されているくらいであつて、同多田が献金といつているのに殊更に或いは誤つて「お礼」と記載したものとは言えない。ことに前記認定のように、同月一九日の同好会の席上ですでに一億円献金のほかに「後援会に対する献金」或いは「先生に対するお礼」という言葉使いそのような話がでており、さらに、当日の午前中に開かれたLPG使用事業者報告会においても被告人多田は集つている多数の会員業者を前にして「終戦処理に一、〇〇〇万円を使いたい」と話し、同多田自身この言葉は後援会に対する献金をも含む意味で用いたものであることを自陳しているくらいであつて、同メモの多田発言の冒頭に前掲のように「党献金をどうするか」「了解がえられれば各先生のお礼をきめたい」という記載がある以上、その記載位置からみても、同多田が冒頭にそのような発言をしたことは認められるところである。そして、その後同多田は九ヵ月延期に至る経過報告に絡ませ、東京の情勢、同人の意見、希望を折りまぜながら発言をつづけていつたものと認めることができ、同メモの記載やそれに記載されている内容、順序は、いずれもそれなりに首肯できるものであつて、一億円献金問題が正式に決定されたあと、後援会に対する献金を思いついて提案する気になつたのだから、一億円献金問題の決定がなされるまで、そのような提案をする筈もないといつて同メモの作成者である上中を非難し、その記載内容も出鱈目であり信用できるものではないという同多田の前記供述は採り難いというべきである。

(B) 次に、弁護人らは、検察官が、右の理事会で決定した年末贈与と主張しているものは、関係代議士の後援会に対する献金であり、その趣旨とするところは、平素から大タク協及び会員業者と親密で馴染の深い諸先生の政治活動を後援するため、年末の挨拶をかねて政治献金を行おうとしたものであつて、LPG課税反対運動に対する尽力や九ヵ月延期の決定がなされたことに関する尽力に対する謝礼の趣旨を含むものではない、と主張している。

飯原敏雄、坪井準二、高士良治、井上奨、被告人多嶋の前掲の各検察官に対する供述調書によると、同人らは、右の理事会の席上被告人多田が「先生に対するお礼をきめたい。」ということを提案し、これを受けて被告人多嶋が出席理事らに対し「諸先生に対するお礼と人選をどうするか。」とはかつたとのべ、さらに被告人多田、同多嶋はもとより出席理事らも右各一〇〇万円はLPG課税問題や九ヵ月延期の決定がでたことにつき同関谷、寿原正一らに尽力してもらつたお礼の趣旨を意味するものであることが判つていた旨の供述をしているが、同人らは、公判廷において、証人或いは被告人(多嶋のみ)として、理事会の席上同多田は「後援会に対する献金」という文言をはつきり言つていたと証言或いは供述をし、被告人多田は公判廷においてはもとより検察官の取調(検事調書の記載)においても後援会に対する献金という文言を使つたものであつて、前掲の上中メモの中にお礼と発言したように記載されているのは上中が間違つてそのようにメモしたものか或いは当時演説や説明に夢中になつていたため、ついそのように口がすべつてしまつたものに違いないと供述しているところ、右金員の趣旨は当時の諸状況を併せ考えて決定すべきである。

ところで、大タク協としては、それまでに選挙時以外の時に国会議員の後援会に対して献金をしたことは全くないし、本件の場合は、被告人多田、同多嶋やその他の協会幹部らが中心となつて取り組み陳情をしてきていたLPガス課税の問題に関してその課税の時期が大蔵省の原案よりも九ヵ月延期されたという自民党の党議決定のあつた翌日の同好会の席上で、まず、同多田が同人らの呼称するこの年末献金をはじめてもち出し、その三日後に開かれた右理事会の席上、飯原LPG委員長のLPガス課税反対運動に関する経過報告につづいて、同多田が課税時期を九ヵ月延期するという自民党の党議決定に至るまでの経緯や、この九ヵ月延期の決定がなされるに際し被告人関谷、寿原正一ら関係議員らに非常な努力をしていただいたことなどの報告をするとともにこの九ヵ月延期の決定を課税反対運動の成功とみてかねて予定していた自民党に対する一億円献金を右成功を条件に実行するかどうかの審議を求め、一億円献金を実行することを決定したあと、同多田が同人らの呼称するこの年末献金をしたい旨の提案をし、その場で選衡委員会をつくつてその人選と金額をきめたものであるから、同多田のいうこの年末献金は、自民党の九ヵ月延期の決定があつたことを契機として、これを運動の成功と評価するなかで提案されて決定されたものであることは明らかに認められるところである。そして選衡委員会における関係議員の人選とその金額の決定に当つては、同多田と同多嶋が中心となつて選衡決定し(証人坪井の第一三回公判における証言、証人口羽の第九回公判における証言)、その対象として選ばれた関係議員は自民党に所属する一一名で、そのうち一〇〇万円口として被告人関谷、寿原正一ほか三名の各議員、五〇万円口として六名の各議員であり、<イ>当時被告人関谷、寿原正一は、いずれも自ら課税反対を強く標榜するとともに議員の中で同多田、同多嶋らとも古くから付き合いがあつて比較的親しかつたうえ、同関谷においては長年運輸委員会委員をしていたことから、また同寿原においては自はタクシー業者であることから、両名ともタクシー業界の実情にくわしく、同人らに対しては被告人多田、同多嶋としても殊更に陳情という形式ばつた行動をとるまでもなくタクシー業界の経営の苦しい実情とLPガスに対する課税に反対している業者の心情をききいれてもらえるとして同関谷、および寿原正一に対しては課税阻止の為にその実行力に最も強い期待を寄せていたのであり、同日の前記理事会で自民党において九ヵ月の課税延期の決定がなされたことを報告した際に同関谷、寿原正一の名前をあげて同人らの功によるところが大きいことを称賛しているのである。<ロ>その他の一〇〇万円口のうちの一人の議員は大タク協幹部の一人である沢春藏が後援会長をしている議員で、被告人多田、同多嶋らは、LPガス課税反対の陳情をした際、同議員から、特に課税に積極意見をもつ税制調査会の委員の一人に対しこの陳情の趣旨を口添えしてもらう約束をとりつけるとともに課税に積極的な他の税制調査会委員に対する説得を期待しうる議員の紹介をうけたものであり、一〇〇万円口の他の二議員は、被告人多田が代表取締役をしている神戸、京都の相互タクシーが大手会員となつている兵乗協、京乗協にとつて顧問であるといつている京都、兵庫選出の衆議員議員であつて、当時、右の各協会の役員らが再三LPガス課税反対の陳情をくりかえしてきていたし、さらに自民党に一億円献金をするにつき、右両協会に対して一、〇〇〇万円或いは二、〇〇〇万円という多額の負担の協力を求めることをきめていた。<ハ>五〇万円口の六名の議員中二議員はいずれも当時税制調査会委員で同委員会の委員の中でも課税強行論者といわれていた三名の議員の中に入つていたが、自民党の右の党議決定がなされた当時においては業者の立場にも理解を示す発言をするようになつており、業者らは全乗連や地元業者らの再三に亘る陳情が次第に効を奏してきたものと考えており、そのうちの一議員に対しては被告人多田、同多嶋らもそれまでに陳情していた。五〇万円口の他の四議員中、一議員は、被告人多田、同多嶋らにおいてLPガス課税反対の陳情をし、税制調査会委員の課税強行意見をもつ一議員に対する口添えを頼んだ議員、一議員は、LPガス課税反対の方針を打ち出していた交通部会の当時の部会長で大タク協LPG委員らもこれに陳情をしていた議員、他の二議員は地元選出の衆議院議員であつて、地元選出議員に対しその地元業者が陳情するのが陳情の方法として最も効果的であるという全乗連の指示にもとづいて大タク協LPG委員らにおいて課税反対の陳情をしてきた議員であつて、いずれもLPガス課税について業者の利益に関わりのある人々であることが認められる。被告人多田、同多嶋らは、その人選と金額の決定は大タク協会或いは会員会社やその関係者らと親疎の程度によつて決定したものであると供述し、殊に同多田はこの選衡に当つては選衡委員に一切を任せて口出しはしておらず、同多嶋らが中心になつて決定したもので、同関谷、寿原正一、沢春藏が後援会長をしている議員に関する各一〇〇万円については判つているが、その余の議員に関する分については選衡に当つた選衡委員が自分と親しい議員を推挙してきめたものである旨の供述をしているところ、同多田や同多嶋らが同関谷、寿原正一と親しい関係にあつたことや沢春藏が同人が後援会長をしている議員と親しい関係にあつたことは前示関係証拠により認められるところであるが、右の選衡委員会には沢春藏は出席していなかつたし、同人の代理として出席した沢厳が、沢春藏と同人が後援会長をしている右の議員とが親しい関係にあることを主張して一〇〇万円を相当とするという意見をのべた形跡は証拠上全くうかがえないし、右の三議員を除くその余の議員を人選するについて、大タク協或いはどの選衡委員とどのような交誼があり、どの選衡委員がどの議員に対する献金を主張したのかについてもこれをうかがいしる証拠はなく、同多田、同多嶋もこれを確定しうる供述はしておらず、またそのようなことが人選と金額を決定する際に基準の一つとして話題にされたことをうかがい知る証拠もなく、右各議員の後援会にかかる多額な金員を急拠献金する合理的理由もみいだし難いのであり、前記認定のようにその人選と金額の決定は同多田と同多嶋が専ら中心になつて決定したという事情も存するのであつて、同多田、同多嶋の前記供述(親しい議員を推挙した)は措信できないというべきである。そして、当時、被告人多田、同多嶋をはじめとし、大タク協関係者らとしても、自民党党議で決定された九ヵ月の延期に決して満足していたわけではなく、今後はこれが法律案となつて国会審議の場で審議されることになることやその際、さらに、業者側に有利な内容をもつ法案として成立しうる余地のあることも知悉していたことは疑いを容れる余地のないところである。

したがつて、金員を贈ることを決める際に被告人関谷、寿原正一、沢春藏が後援会長をしている議員らと同多田、同多嶋、沢春藏ら大タク協会員らとの交誼の深さも考慮され、兵乗協、京乗協が自民党に対する一億円献金運動に協力することを約束してくれたことから右両協会やその幹部らの顔をたてることも考慮されたことはいずれもこれを推し測りえないわけではないが、それでも、前に認定した諸事情の存するもとでは同多田、同多嶋らとしては、LPガスに対する課税について九ヵ月延期という業者側に有利な自民党党議決定がなされたことに対し同関谷、寿原正一に対して前記金員を贈ることを決めたもので、その金員の趣旨には同関谷、寿原正一ら前記議員らに対する主として、LPガス課税に関する尽力などに対する謝礼の趣旨が含まれているものと認めるべきが相当であり、この点に関する飯原敏雄、坪井準二、高士良治、井上奨、被告人多嶋の前掲供述調書中の記載は右認定に副い信用しうるものというべきであり、弁護人の前記主張は採用しがたいものである。

34 同三九年一二月二五日、被告人多田、同多嶋、沢春藏、坪井準二らは、被告人関谷、寿原正一ら前記国会議員に対する金員贈与のため、前日大タク協が相互タクシーから借りた現金を送金準備して、有明館に集合したが、その際、大阪の市田実二郎相互タクシー専務から「大阪府警捜査二課からの連絡によると、大旅協のものが大阪府警に行き、大タク協は年末に代議士に献金を考えているようだが、そんなことをするなら、国会で質問してもらうと言つている。」との趣旨の連絡があつたところから、同多田、同多嶋らは、協議の結果、これをとり止めることにし、とりあえず、大蔵省に田中大蔵大臣を、郵政省に徳安郵政大臣をそれぞれ訪問して挨拶し、翌日右金員を大阪に送り返し、同月二九日相互タクシーに返した。この点について、被告人多田の警察官に対する供述調書中には、「このさいはいつそよそうか、とりやめようときまつたのです」(一〇月二九日付、但し被告人多田についてのみ)、「そして翌年に延ばすことに皆で話して決つたのです。大体協会には金がなくて私の方から貸出しているぐらいですからこの時期にこれを使わないで済めば皆助かるわけです。それでこれが翌年の八月一〇日盆の時期まで延びることになつたのです。」(一一月二九日付(三)、被告人多田についてのみ)、「しかし、年末の時期には取止めてこれを翌年に引延ばすことにしたので、この一、〇〇〇万円は協会から返して貰つている筈です。」(一一月三〇日付(二)、被告人多田、同多嶋について)との各供述記載があり、被告人多嶋の検察官に対する供述調書中には「今回は代議士先生方に金を渡すことは取り止めということになりました。」(一〇月三一日付、被告人多嶋についてのみ)との供述記載がある。

35 右同月二五日夜、被告人多田、同多嶋、沢春藏、坪井準二らは、東京赤坂の料亭「近松」に被告人関谷および寿原正一を招待し、LPガス課税問題に関しお骨折りいただいたことなどについてお礼をのべたが、その宴席において、同多田、同多嶋らは、同関谷および寿原が互いに相手を讃え合い、「寿原先生が実際によくやつてくれましたよ。税調の議員が会議室に入る時入口にいて頼むぞ、頼むぞといつていました。」という話を同関谷からきき、「こういう結果をみたことについては田辺、関谷先生が非常に苦労されました。党三役、税制調査会長のところへ行つて非常に懇願されたのですよ、大変な努力でしたよ。私が働けたのも関谷先生といろいろ相談してこれたからです。ここまでこれたのが精一杯だつたのだが、運賃も上つていないので、業界としても大変なことだろう。LPガス課税法案はやがて上程されるだろうから業界としてやつていける線のところまでなんとか協力してやりたい。」という話を寿原正一からきいたが、これに対し、同多田、同多嶋らは、このような話をした同関谷、寿原正一の両名に対し、「よろしくお願いします。」と善処方依頼した(多嶋日記中の同三九年一二月二五日欄の記載、寿原正一の検察官に対する昭和四二年一二月二二日付、同月二五日付各供述調書、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付、同年一二月八日付各供述調書)。

36 同四〇年一月七日の大タク協第三九回定例理事会において、被告人多田は、前回理事会以降の諸情勢について説明し、京乗協および兵乗協においてはいずれも一億円献金の負担分について特別負担金として会員会社が拠出することに決つた旨報告し、大タク協においても前回の理事会で決定したLPG車一台当り、市域一〇、五〇〇円、郡部六、五〇〇円の特別負担金の拠出につきあらためて協力を要請する旨のべ、さらに、「今回のLPG課税問題に関連し、特別負担金の中から協会職員になにがしかの志をしたい。」旨提案した。そして同理事会において、LPG車一台当りのこの特別負担金市域一〇、五〇〇円、郡部六、五〇〇円は同三九年一一月末日現在のLPG車の台数を基準として各社に割当て、各社は支払期日を同四〇年三月末日とする約束手形を大タク協に宛て振出して支払いを負担することを正式に決定した(大阪タクシー協会第三九回定例理事会議事録、第八四回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付供述調書((被告人多嶋についてのみ)))。

37 同四〇年一月一九日の大タク協第四〇回理事会

口羽LPG副委員長は、同理事会において、同年一月中旬ごろ海田LPG対策特別委員長からLPガス課税法案が国会に上程されてしまうとこれを修正することが非常に困難だという連絡があつたため、今後の運動方針を協議するため同月一六日上京して全乗連に行き、右海田委員長とともに自民党税制調査会委員の村山達雄議員に面談して税額をトン当り一万七、五〇〇円とした理由につきただしたところ、ガソリンを使うより安い差額だけ税金でとろうという考え方のようだとの回答だつたので、全乗連から大蔵省に対し、LPGを使用することのメリツトの調査方を働きかけることになつたことを報告した。

同理事会においては、経営安定のための基本的態度などを協議し、運賃委員会に新しく専門委員を増強し、運賃改定作業にとりかかることを決定した(第八四回、第九七回公判調書中の被告人多嶋の各供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付供述調書、第七四回公判調書中の証人沢厳の供述部分、多嶋日記中の昭和四〇年一月一九日欄の記載)。

38 同四〇年一月二五日の全乗連第一三回理事会(於伊東市ハトヤホテル)

(1) 同三九年一二月一八日自民党でLPガス課税九ヵ月延期の決定が出されたことに関し、全乗連の幹部の中にもまた業界の一般業者の中にも右党議決定は課税反対運動の大成果であるという意見が多かつたが、山岸敬明全乗連広報委員長ら全乗連在京幹部の中には、法案の国会審議の場でさらに反対運動をつづけていきたいという意向を示すものもあり、海田LPG対策特別委員長としても課税時期を九ヵ月程度延長するという程度の自民党党議では満足できなかつたので、同四〇年一月ごろ右海田委員長らは、課税反対議員であつた被告人関谷、寿原正一らに対し今後も課税反対運動をすすめていきたいと陳情したところ、そのときは同調を得られなかつたため、自民党所属の代議士らから今直ちに表立つた課税反対運動に協力を求め難いことを知り、反対運動をはじめる時期および運動の方法を今一度検討すべきであると考えていた。このような情勢下において、全乗連の第一三回理事会が開かれたものである。同理事会の後、同年二月ごろ社会党筋がLPガス課税は大衆課税に連なるとして反対する意向であることを知り、全乗連としても今後は国会審議の場で反対運動をすすめることとし、その目標を税額の軽減に向けることとし、同年三月二六日全乗連の政策審議会、免許制対策特別委員会、LPガス課税反対特別委員会の合同会議を開催し、LPガス課税反対運動に関する今後の運動の方針として、税額を「トン当り六、〇〇〇円以下に減額すること」を決定した(第四三回、第四四回、第四五回各公判調書中の証人海田健次の供述部分)。

(2) 被告人多嶋は、井上奨らとともに全乗連の右の第一三回理事会に出席した。席上、川鍋会長の挨拶の後、右海田委員長が課税延期決定に至るまでの反対運動の経過について説明し、さらに、「昨年一一月一八日自民党総務会において昭和四〇年一二月末日まで課税延期が決定し、一応の成果を収めたが、課税額のトン当り一七、五〇〇円については到底納得できないので、今後の運動方針として課税額の引下げと実施時期を更に延期すること等について今直ちに運動するのが適当かどうかについて、今後これが具体的な運動の方針、目標等について早急に意見を取りまとめ今後の運動を展開したい。」趣旨の説明をし、この説明は満場異議なく了承された(証人海田健次は第四五回公判廷において、全国乗用自動車連合会会長川鍋秋藏名義の昭和四〇年三月一五日付各協会長宛書面添付の全国乗用自動車連合会第一三回理事会議事録を示され、右の趣旨の説明をしたことは間違いない旨証言している。)(全国乗用自動車連合会会長川鍋秋藏作成名義の昭和四〇年三月一五日付各協会長宛の第一三回理事会議事録送付についてと題する書面添付の全国乗用自動車連合会第一三回理事会議事録、全乗連の「第一三回理事会会議次第40・1・25午後1時於伊東市ハトヤホテル」と標題のある書面及び添付の「資料第六」のゴム印押捺のある書面、第四三回、第四四回、第四五回各公判調書中の証人海田健次の供述部分、第八四回、第九七回公判調書中の被告人多嶋の各供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付供述調書)。

39 同四〇年一月二九日大タク協は第一回運賃委員会を開催し、沢春藏運賃委員長のもとで、運賃改定作業に着手し、原価計算資料や運賃査定の基礎問題などの検討をはじめた(多嶋日記中の昭和四〇年一月二九日欄の記載、第七四回公判調書中の沢厳の供述部分)。

第七四回公判調書中の証人沢厳の供述部分によると、同三八年九月に久しぶりに大阪市域のタクシー運賃が約一八パーセント値上げ改定されたが経済情勢が悪くまた運転手不足もあり、実収入も思うにまかせず、同四〇年になると値上げ後二年になるので、何とかして同四〇年の年内に運賃値上げについて見通しをたてたいとの決心の下で運賃改定作業にとり組んだことが認められ、また多嶋日記中の同年一月二九日欄には、「運賃改定には少なくとも一年や二年もかかるとみなければならないので、いまからその準備をしてゆこうという理事会の決定によつて出発した運賃委員会だつた。」と記載されているのであつて、当時の経営の困難な実情に加えてこのままいけば同四一年一月から燃料のLPガスに対する課税も実現されることが予想されるので、大タク協あげて運賃の早期改定を強く望んでいたが、従来の運賃改定の経緯からして、早急な実現を期待することは困難であつて、当時の見込みとしてはその実現までに、まず一年や二年はかかる状況にあつたことをおもんばかつていたことも認められる。

また、同四〇年二月二日の大タク協第四一回定例理事会において、同年一月二九日の右の運賃委員会の討議内容が報告され、同年一二月二〇日の通常国会招集の一ヵ月半位前までに運輸省に運賃改定申請書が届く必要があるので、したがつて、運賃改定に必要な資料の収集を同年六月末までに完了し、同年九月末までに認可申請書を提出する、という運賃改定作業の目標が発表された(大阪タクシー協会第四一回定例理事会議事録)。

40 前記同四〇年二月二日の大タク協第四一回定例理事会において、かねて寿原正一から要請のあつた北海道冷害義捐金について、大タク協として二〇万円を拠出することを決定し、同月八日来阪した寿原正一に右義捐金二〇万円を手渡したが、被告人多田、同多嶋ら同好会会員らは、同日夜、大阪北浜の料亭「つるや」で歓迎の席を設けて寿原正一および同伴者らを招待したが、寿原正一は、その宴席での挨拶の中で、「運賃の問題については、大阪は水揚げが悪い。お困りのことと思う。何とかしなければならないと思つている。当面の問題としてはLPガスの課税問題がある。昨年の暮、ああいうふうにきまつたが、到底一遍に支払うことは困難であるから、出来るだけ先へもつていきたい。近く国会でLPG課税法案の審議が始まることだから、何とか業界ががまん出来るような線にまでもつていくようにしたい。」と言い、同多嶋も、出席者一同を代表して挨拶をし、その中で、「先生昨年暮、LPG問題で大変お骨折りいただいてありがとうございました。」、「大阪は水揚げが悪くて困つており、この上にLPガスに課税されては業者が成りたつていかない。」、「LPG問題はこれから国会にかかりますが先生の御尽力をお願いします。」と言つたことが認められる。そして同多嶋は、挨拶の中で「大阪の水揚げが悪くて困つている。」とか「この上LPガスに課税されては一層業者が成り立つていかない。」と言つたのは、寿原正一が東京の業界出身者であるので、大阪の実情が東京と異ることを話したのであると供述している(多嶋日記中の昭和四〇年二月八日欄の記載、寿原正一の検察官に対する昭和四二年一二月二五日付供述調書、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一二月一日付、同四三年一月一七日付(一)各供述調書)。

41 同四〇年二月一一日(同日石油ガス税法案は国会に提出される)被告人関谷が来阪したため、同日午後三時半ごろから、大阪コクサイホテルにおいて、松山会関西支部主催で同関谷を囲む懇談会を開き、被告人多田、同多嶋をはじめとして多数の会員業者が出席したが、同関谷は、その席上における挨拶の中で、「税調で簡単にきめられるとそのまま政調会の案になつて修正が困難になるので、税調、政審、総務会ともませて党三役のところまでもつて行くのに髄分骨を折つた。ああいうふうにきまつて皆様の十分な期待に添えなかつたことは残念に思つている。業界は最初から絶対反対、少くとも二年は待つてほしいという意向であり、今後もそういう方向の運動を続けられるでしようが、それについての援助は惜しまない。しかし、なかなかむつかしい問題だから、業界としては、よほど運動しなければ駄目だ。時期、方法についてよほど注意しないと裏目が出るようなことになる。」、「やがてLPガス課税法案が国会に上程され、大蔵委員会で審議される。自分も努力するから業界もしつかり陳情するように。」と言つたが、その際被告人多嶋らは、同関谷に対し「よろしくお願いします。」といつた(多嶋日記中の昭和四〇年二月一一日欄の記載、沢春藏の検察官に対する昭和四二年一二月二日付供述調書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付、同年一二月九日付、同月一四日付供述調書)。

なお、同多田、同多嶋らが、LPガス課税法案が当日国会に上程されたことを当日のうちに知つたことを認めるに足りる証拠はない。

また、同日の懇談会の席上、同関谷は同多田、同多嶋らの出席者に対し「タクシー運賃の値上げ申請は、時期をもつと早くしなければ、来春値上げは技術的に困難になる。具体的には四月一五日ごろまでに申請書を提出すべきだ。」と助言した(大阪タクシー協会第四二回定例理事会議事録)。

42 同四〇年二月一一日石油ガス税法案(以下、本件法案)が国会に上程され、同月二三日衆議院大蔵委員会に付託されたことは、いずれも、そのころ、全乗連から大タク協に対して連絡があつた(被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付供述調書)。

43 同四〇年二月二五日日本交通本社で運賃委員会を開き、原価計算等について検討し、同年三月二日の大タク協第四三回定例理事会において、運賃委員会の検討結果の報告がなされ、運賃改定申請を急ぐことが申合わされた(多嶋日記中の昭和四〇年二月二五日欄の記載、大阪タクシー協会第四三回定例理事会議事録)。

44(1) 前記のように、九ヵ月延期の自民党党議が出された後においても、全乗連の在京幹部の中には、課税時期を大蔵省の原案より九ヵ月延期という程度では不満であるという意見もあり、ことに、これまで課税反対運動の中枢となつてきた海田LPG対策特別委員長らは、国会審議の場でもさらに課税反対運動をつづけたいという強い熱意をもつており、そのため、前記のように被告人関谷、寿原正一らにその旨陳情してみたものの、同被告人らから今ただちに表立つた反対運動には同調し難いと受け取れる趣旨のことをいわれ、寿原正一から社会党の方でやつてもらえよといわれたこともあつて同人から社会党所属議員の紹介をうけ、その社会党所属議員に陳情し意向を打診したところ、社会党としては、自動車用燃料のLPガスに対する課税は大衆課税につながるとして反対の意向であることを知り、石油ガス課税法案の内容を国会審議の場で更に業者に有利な内容に修正してもらうための反対運動をすすめるためには、自民党所属議員のみならず、社会党や民社党議員に対しても課税反対運動に対する理解と協力を求めるのが至当な方法であるし、またその協力を得られる見とおしもついたと受取つたことから、全乗連在京幹部の間で、今後は課税額を軽減してもらうことを目標に反対運動をすすめる方針を打ち出し、さらに税額をトン当り六、〇〇〇円以下に軽減してもらいたいという要望も高まつてきたが、このような情勢のもとで、当時業界の大きな問題となつていた免許制維持問題、運賃改定問題、LPガス不足の問題とあわせて、このLPガス課税問題についても全乗連の正式機関で審議することとした。

(2) そして、全乗連は、同年三月一〇日、川鍋会長名義で各協会長宛に、同月二六日東京赤坂のプリンスホテルで、第一一回政策審議会、免許制対策特別委員会、LPガス課税反対特別委員会の合同会議を開催する旨の通知書を送付した。

(以上、第四三回、第四四回、第四五回各公判調書中の証人海田健次の供述部分、全国乗用自動車連合会会長川鍋秋藏名義の昭和四〇年三月一〇日付各協会長宛の文書)。

45 被告人多嶋、口羽玉人LPG副委員長、井上奨専務理事、辻井初男総務課長は、同年三月二六日の全乗連の前記第一一回政策審議会、免許制対策特別委員会、LPガス課税反対特別委員会の合同会議に出席した。その席上、免許制維持対策問題、運賃改定問題、LPガス新課税対策問題、LPガス不足対策問題などが議題とされて審議されたが、LPガス課税対策については、今後の運動方針につき、課税額をトン当り一七、五〇〇円から六、〇〇〇円に減額することを要望して大蔵省などの関係官庁やこの課税法案を現に審議している自民党、社会党、民社党などの与野党議員に幅広く陳情することが決定され、その旨の陳情書が作成、配布され、さらにその席上、海田LPG対策特別委員長から、「寿原先生の言われるところでは、与党だけの話では業界の意図が達成出来ないので、どうしても野党に声をかけなければならない。とりあえず、社会党に話をするということだ。」との報告がなされた(多嶋日記中の昭和四〇年三月二六日欄の記載、昭和四〇年三月「液化石油ガス課税額軽減に関する陳情書」、第四五回公判調書中の証人海田健次の供述部分、井上奨の検察官に対する昭和四三年一月一〇日付供述調書、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付、同年一二月一日付各供述調書)。

46 同四〇年三月一六日の大タク協第四四回定例理事会において、運賃委員会副委員長より、大タク協と大旅協の合同の運賃委員会を開催したこと並びに同年六月一〇日を目標に運賃改定申請書を提出できるように三月決算会社の資料にもとづいて、改定運賃にかかる原価計算作業を行うことを決定した旨の報告がなされ(第七四回公判調書中の証人沢巌の供述部分、大阪タクシー協会第四四回定例理事会議事録)、同年三月二二日大タク協の会長および運賃委員長名で会員会社に対し、同年六月末日を目標に運賃改定の認可申請を行うための作業をすすめることを通知し(第七四回公判調書中の証人沢厳の供述部分、昭和四〇年三月二二日付「運賃料金改定問題について」と題する書面)、同年三月二五日の大阪タクシー協会第三回定時総会において同協会会長の被告人多嶋は、挨拶の中で、「今年の業界をとりまく経済、社会の情勢は厳しいものがあり、その中で、運賃改定、労働問題等と取り組んでゆかねばならない。」旨述べた(大阪タクシー協会第三回定時総会議事録)。

47 同四〇年四月六日の大タク協第四五回定例理事会において、被告人多田は、政党献金について、大タク協ではほとんど予定額を徴収しえたと報告した(第八五回公判調書中の被告人多嶋の供述部分)。

なお、その際同多田は、近日中に上京して全乗連と打合わせてきたい旨発表した(この事実は被告人多嶋についてのみ認める。被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付供述調書の右の事実に副う部分は、被告人多田、同関谷に対しては検察官の取り調べ請求がなされていない。)。

48 同四〇年四月八日、被告人多嶋は、谷LPG委員長、口羽同副委員長、上中業務課長、辻井総務課長らとともに、東京の千代田公会堂で開催された「LPガス課税軽減、確保及びガソリン軽油対策全国ハイヤータクシー業者大会」に出席し、同大会では専らLPガスの需給問題、課税額軽減問題がとりあげられ、来賓として出席していた小川半次、原健三郎、被告人関谷、寿原正一ら多数の国会議員らが次々と激励の挨拶をしたが、その挨拶の中で、被告人関谷は、LPガス課税問題にもふれ、「公共料金はストツプだといつて運賃値上げを逃げ、そのため業者は燃料に無税のLPガスを使つたのに、これに課税しようというので反対したが、四一年一月から課税されることになつた。実施に当つては減税にあらゆる努力したい。」などと言い、寿原正一は、「大蔵省に対し大いに業者の結束を示せ。ガラスの一枚くらい割るくらいの気持で行け。」などと言つて、それぞれ激励した。同大会では「一、LPガス課税額の軽減、二、LPガス、ガソリン、軽油の低廉且つ安定的供給確保のための石油生産調整の即時停止、を国会並びに関係行政当局に対し強く要望する。」旨の決議を行つたあと、出席者は全乗連の作成した陳情先の割当に従い、政府、自民党、社会党、民社党の議員や地元出身の議員らに対し右の決議文を持参して右の趣旨の陳情をしたが、被告人多嶋は、川鍋全乗連会長らとともに、院内に自民党総務会長、政調会長、副幹事長を訪ね、同大会の右の決議の趣旨を伝えて陳情した(昭和四〇年四月八日付全国ハイヤー業者大会の決議と題する書面、同日付陳情先一覧表、多嶋日記中の昭和四〇年四月八日欄の記載、第四五回公判調書中の証人海田健次の供述部分、第一〇回公判調書中の証人口羽玉人の供述部分、第八五回公判調書中の被告人多嶋の供述部分の一部、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付、同年一二月一日付各供述調書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書)。

49(1) 翌四月九日、被告人多嶋および同日上京してきた同多田は、沢春藏、坪井準二らとともに、東京築地の有明館において川鍋全乗連会長および藤本全乗連総務委員長と会い、大阪側では政党献金の準備ができていることを伝え東京側の準備の状況をきいたところ、東京側ではその見とおしが立つていないといわれたため、予定の献金は関西側だけで実行することとした(第八六回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書)。

(2) 右同日午後、被告人多嶋は、上京の挨拶に行くという同多田とともに衆議院第一議員会館に同関谷を訪れ、同多田が同関谷に上京の挨拶をしたが、その際、同関谷は、「早く運賃申請を出しなさいよ。時期がなくなりますよ。」と言い、さらに「LP課税の問題は、どうせ一度はきまらないかん問題だ。あくまで課税反対というのは相当問題があり、多田さんもよく意向を考えてくださいよ。自分もせいぜい努力しておりますが。」といい、また、同多嶋が同関谷に対し「先生、運輸委員会の方にも話しおきあるでしようね。」と尋ねたところ、同関谷は、「そりや、やつていますよ、大蔵委員会の先生方は業界の実情をよく判つておられないので、どうしても業界のことに詳しい運輸委員会の方から業界の実情を説明してやらねばならない。」と言い、同多嶋、同多田らも「よろしくお願いします。」と言つたことが認められる(被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一二月一日付、同月一四日付各供述調書)。

なお、被告人多嶋らが同関谷を訪問した際の右状況について、被告人多嶋は、公判廷(第八六回公判、第一〇五回公判)において、一方では同多田は同関谷を訪問しておらず、また同関谷は右に認定したような話をしておらず、単に挨拶を交しただけであると供述し、他方、被告人多嶋の右に掲げた検察官に対する各供述調書中の右の認定に副う各供述記載について、「記憶違いによる供述というのではなく、取調検事の質問には否定したものの、問い詰められると、反論できなくなり、それに乗じて取調検事が勝手に右の供述調書に書いたものである。」と、また当公判廷(第一二二回公判)においては、取調検事からいろいろと追及され、「想像して供述した。」、「自分でつくつたことを話した。」と弁疎しているところ、同多嶋の右の弁疎自体の間に明らかに矛盾が存するうえ、右の同多嶋の検察官に対する供述が日数を隔てて二度に亘つてなされたものであると認められること並びに同多嶋自身記憶違いによる供述ではないと自陳していることに加えて第一一八回、第一一九回公判調書中の証人土肥孝治(被告人多嶋の取調検事)の証言に照らすと、右の検察官に対する各供述調書中の右の各供述記載部分は信用しうるものというべきであつて、被告人多嶋の公判廷における供述はたやすく採用できず、同日の同関谷に対する面会証の記載は右認定を覆すに足りず、他に右の認定を左右するに足りる証拠はない。

50 同四〇年四月一三日、衆議院大蔵委員会において、社会党所属議員の質疑に対し通産省側が充分な答弁ができず、その為審議が紛糾したが、当時、大タク協側は運賃改定問題に取り組み、課税反対運動には積極的に取り組む姿勢を示していなかつたため、課税反対運動を強力に押し進めていた全乗連の在京幹部は、このような大阪側の態度を憂慮し、国会審議の場においても、野党の協力により業者に有利な修正案を期待することもできるし、場合によつては廃案或いは継続審議にもち込み、課税時期を延ばすこともできることなどを説明し、東京側とともに課税反対運動に積極的に取り組むように大阪側に要請するため、同月一四日海田全乗連LPG対策特別委員長が来阪したが、同委員長は、大阪の国際ホテルでの新旧LPG合同委員会の席上、被告人多嶋やLPG委員らを前にして本件法案の審議経過等について報告したが、その中で、「自民党の態度としては、大蔵委員会では石油ガス税法案を早急に通過させて本会議にまわすという情報が入つた。業界としては、今後運動をつづけて税率軽減などを考えていたのに、簡単に法案が通過しては大変であるから、自民党の方はすでに党議を経た政府案のことなので、急いで修正の方向に向けることもむつかしいだろうから、社会党の国会議員に働きかけて大蔵委員会での審議を紛糾させ、審議未了ないし廃案に持ち込みたいと考え、社会党議員に会つてお願いした結果、四月一三日の大蔵委員会で、全乗連幹部も傍聴していた中で、通産省の鉱山局長に対し社会党議員らが質疑を行なつて追及し、そのため鉱山局長が立往生し、委員会は流れた。今月一杯引張ることが出来たら審議未了に持ち込めるのでなんとかして引張りたい。関谷、寿原両先生も、他の国会議員に対し法案が廃案になるよう頼んでくれている。」趣旨の説明をした。また、同日、食事の際、被告人多嶋は、右海田委員長から、「寿原先生は、本会議で法案をひつくりかえせるといつておられる。」ということをきかされた。

なお、右四月一三日の大蔵委員会における社会党議員の質問状況については、同月二〇日付文書で、全乗連から各協会長宛に通知され、被告人多嶋は、同月二五日これを受領している(全国乗用自動車連合会名義の昭和四〇年四月二〇日付各協会長宛の「内閣、大蔵各委員会議録送付について」と題する書面、多嶋日記中の昭和四〇年四月一四日欄の記載、第四三回、第四四回、第四五回各公判調書中の証人海田健次の供述部分、第一〇回公判調書中の証人口羽玉人の供述部分、第八六回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付、同年一二月一日付、同月一四日付各供述調書)。

51 同四〇年四月一九日、大タク協は、大阪市北区の料亭「なだ万」に、兵乗協、京乗協の大山、粂田各会長や幹部を招き、大タク協からは被告人多嶋、同多田ら幹部が出席し、政党献金の実行に関する協議をしたが、その席上、同多田は、同月九日上京して川鍋会長らと話し合つた結果を報告し、兵乗協、京乗協側から、今後のことは大タク協に一任する旨の申出もなされ、同席上では、政党献金は関西だけで行うことを確認した(第八六回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書((被告人多嶋について)))。

なお、同日午後二時から大タク協LPG委員会が開催された(多嶋の大型ノート中の昭和四〇年四月一九日欄の記載)。

52 同四〇年四月二〇日の大タク協第四六回定例理事会において、口羽LPG副委員長が前記四月一四日の新旧LPG合同委員会のもようやその席上海田全乗連LPG対策特別委員長からきいた話並びに同人から大タク協に対し全乗連のLPG課税反対運動に積極的に協力してほしい旨の要請があつたことを報告し、畑理事が政党献金に関し四月九日の東京側との話合いや同月一九日の兵乗協、京乗協の各会長らとの話合いの状況につき報告し、被告人多田が大旅協において寿原正一の後援会寿政会結成の動きがあることを説明するとともに大タク協内には会員会社をあげて加入している被告人関谷の後援会松山会関西支部があるので、さらにこの上大タク協として会員会社が寿政会に加入する方針を出すことになれば会員会社の負担が増大することになるので、大タク協の態度としては、会員会社をあげて加入する方針は出さないこととし、特に寿政会に入会して寿原正一に協力したい意思のある会員会社は各個の判断で随意入会の申込みをすることとしてはどうか、という意見をのべ、出席者はこの同多田の意見を了承した(第一〇回公判調書中の証人口羽玉人の供述部分、第八六回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書((被告人多嶋について)))。

53 大旅協では、政党献金について、かねてより自民党だけでなく、社会党、民社党にも同時に献金したい意向を大タク協に表明し、大タク協としても大旅協に対し大旅協の右の意向を尊重する旨伝えていたが、同年四月二六日大旅協の山口会長から大タク協の井上専務理事に対し、大旅協としても大タク協とともに政党献金を実行したい旨の回答が寄せられた。なお、同年五月一日、大旅協から、その負担分の一、〇〇〇万円の現金が大タク協に届けられた(第八六回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の昭和四二年一一月一日付供述調書((被告人多嶋について)))。

54 同四〇年四月二七日、被告人多嶋は、辻井総務課長と一緒に、東京のヒルトンホテルで開かれた全国副会長会議に出席したが、同日夜、同多嶋および右辻井は、松山会事務局長安永輝彦にすすめられ、日頃松山会の世話をしている同多嶋(関西支部の責任者)と右辻井(関西支部の会計担当)の労をねぎらいたいという被告人関谷や同日の副会長会議に同席していた全乗連の総務委員長で松山会幹事長の藤本威宏が東京赤坂の料亭「新富田」に設けた酒席に招かれたが、その席上、同関谷は、「党内には、一旦きめたものだけに業者の言うことは虫がよすぎるが、運賃を上げてやつていないので、そういうことも判らないではないし、やり方をどうするか、もう一度、考えてやる必要があるのではないかという空気がでてきている。」と発言し、同多嶋は「今後の御尽力をおねがいします。」といつたことが認められる(多嶋日記中の昭和四〇年四月二七日欄の記載、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一二月一日付、同月九日付各供述調書)。

なお、被告人多嶋は、公判廷(第八六回公判、第一〇五回公判)において、右「新富田」における酒宴の席で、同関谷が右認定のような内容の発言をしたことはないと供述し、他方、被告人多嶋の右に掲げた検察官に対する各供述調書中には、同関谷の発言として右の認定に副う供述記載が存するところ、被告人多嶋は右の検察官に対する供述調書中の記載に関し、取調検事から執拗に思い出せ、思い出せといわれたので、他の日に、海田全乗連LPG対策特別委員長から「被告人関谷は業界は虫がよすぎるといつている。」ということを聞いたことがあつたので、取調検事にそのように話したところ、取調検事がこれを当日のこととして前示のような供述記載の調書を作成したものであると供述し、また、同多嶋の記憶違いによる供述であつたと供述しているが(いずれも第一〇五回公判)、同多嶋が弁疎しているこの供述自体の中に矛盾がうかがわれるし、また、被告人関谷は「その当時大蔵委員とか税制調査会委員或いは交通部会会員らの間で運賃を上げてやつていないので業者の言い分もわからないわけではない、従つて、税率、課税時期などの点で考えてやる必要はあるのではないかという業者に対する同情論は出ていたかもわからない、当時業者に対して同情すべきような状態であつた。」と供述している(第一二三回公判)ことから、前記認定のような話が出てくる土壌があつたことは十分首肯しうるところであり、さらに第一一八回、第一一九回公判調書中の証人土肥孝治(同多嶋に対する取調検事)の証言からは、同多嶋が供述していないことを供述したかの如く供述調書に録取したり曲げて録取したことはうかがわれないのであつて、このような事実の認められるもとでは、前記認定にかかる同多嶋の供述が二度にも亘つている(一二月一日付供述調書と一二月九日付供述調書)ことにもかんがみるとき、同多嶋の検察官に対する前記供述調書中の前記認定にかかる供述記載部分は十分信用できるものであり、被告人多嶋の右公判廷における弁疎はいまだ右認定を覆すに足るものでない。

55(1) 同四〇年五月六日の大タク協第四七回定例理事会において、被告人多田が、政党献金につき大旅協の協力が得られたこと、大旅協の意向として自民党のみならず、社会党、民社党にも献金したいこと、そのため、自民党に一億円、社会党に六〇〇万円、民社党に四〇〇万円とし、いずれも大タク協、大旅協、兵乗協、京乗協の連名で献金をすることの報告をし、理事会としてこれを了承した。そして、さらに、同理事会において、来る参議院議員選挙時に、大タク協として、地元の代議士が所属する自民党、社会党、民社党の各大阪府連に合計一〇〇万円(自民党五〇万円、社会党三〇万円、民社党二〇万円)の献金をすること、およびこの一〇〇万円の拠出分担方法について一輛当り市域一三〇円、郡部一〇〇円とすることを決定した(第七八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、第一〇六回公判調書中の被告人多田の供述部分)。

(2) 被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書によれば、右の理事会において、自民党、社会党、民社党の各大阪府連に対する右の献金を諮つた際、同多嶋は「先般のLPガス問題で協力願つた経緯もあり、地元の先生方にもこの際つながりをもつことが大切であるとの判断から御協力を願いたい。」旨発言していることが認められる(被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書。ただしこの部分は被告人多嶋についてだけの証拠である。)。

56 同四〇年五月一〇日、大タク協運賃委員会は、運賃改定に際して必要な原価計算の記入方についての説明会を開いた(多嶋日記中の昭和四〇年五月一〇日欄の記載)。

57 同四〇年五月一五日、被告人多嶋は、東京の北村大日本交通専務取締役から電話で川鍋東旅協兼全乗連会長の後任として国際自動車の波多野元二が同会長を引き受けたこと、石油ガス税法案を審議している衆議院大蔵委員会が五月一七日に開かれることになつたが、審議未了にもち込むよう努力する旨の連絡を受けた(多嶋日記中の昭和四〇年五月一五日欄の記載、第八七回、第一〇五回各公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書((被告人多嶋について)))。

58 同四〇年五月二一日の大タク協第四八回定例理事会において、沢巌より運賃改定作業について報告がなされ、運賃改定の認可申請書を六月中に提出することおよびこの認可申請の運賃改定率は三二パーセント程度とすることを確認した。なお、同理事会において、昭和四〇年度事業計画および予算について審議承認がなされたが、その主な事業計画として、運賃料金改定促進、免許制維持対策、需給調整の確立、第二種運転免許者充足対策、LPガス税対策、自動車用燃料の低廉且つ安定的供給確保対策、交通事故防止対策等があげられている(大阪タクシー協会第四八回定例理事会議事録)。

59 全乗連在京幹部は、昭和四〇年四月、五月ごろには自民党議員(被告人関谷、寿原正一も含め)や社会党議員に対し再三LPガス課税反対の陳情をしていた(第四三回、第四四回、第四五回各公判調書中の証人海田健次の供述部分)。

60 同四〇年五月二四日、全乗連の要請で、地元出身の自民党の大蔵委員に陳情することになり、大タク協から口羽LPG副委員長が上京したうえ、同日海田全乗連LPG対策特別委員長と共に、大阪府出身の大蔵委員である原田憲議員、和歌山県出身の大蔵委員である坊秀男議員らに課税反対のための陳情をした(第四五回公判調書中の証人海田健次の供述部分、第八七回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書((被告人多嶋につき))、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書((被告人多田につき)))。

61(1) 同四〇年五月三一日の大タク協のLPG委員会において、口羽LPG副委員長が、去る五月二四日の陳情の状況につき報告し、「全乗連の海田委員長らと共に大蔵委員の原田議員、坊議員に会つて陳情したが、原田議員は、『本会議では審議しないだろう。税額は考えなおす余地がある』と言われ、坊議員は、『党の税制調査会長として政府案の内容をきめたのだから自分だけの意見でこれを変えるわけにはいかない。みんなが直すというのであれば同調はする。現状では、課税問題は流れる公算が強い。』といわれた」旨報告した(被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付、一二月九日付各供述調書)。

(2) 同日の午後、被告人多嶋は、東京の北村大日本交通専務取締役から、電話で、「LPガス税法案が大蔵委員会で審議未了となり、課税額を引き下げるとの了解のもとに継続審議となつた。」旨の連絡を受けたので、同被告人は、当日開かれていた前記大タク協LPG委員会での右の連絡があつた事項を報告した(多嶋日記中の昭和四〇年五月三一日欄の記載、第八七回、第一〇五回各公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書)。

62(1) 同四〇年六月一日の大タク協第四九回定例理事会(被告人多田は出席していない)において、口羽LPG副委員長は、「社会党は廃案にしようとし、自民党は継続審議にもち込もうとし、社会党より課税額を引き下げるという条件で継続審議しようとの提案があつたとの連絡を受けているが、次の臨時国会で審議されるようであり、全乗連として課税額引下げ運動をしているが、原案のトン当り一七、五〇〇円を六、〇〇〇円にということで、運動し陳情を続けている。」旨報告した(大阪タクシー協会第四九回定例理事会議事録、第八七回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書)。

(2) 同理事会において、井上専務理事より、運賃改定資料の原価計算書の提出について、未提出の会社に対し、早急に提出するよう要請された(同理事会議事録)。

63 同四〇年六月一日、全乗連は、各協会長宛に波多野元二会長名義の「石油ガス税法案の国会審議経過報告について」と題する文書を送付し、同月四日、被告人多嶋はこれを受領したが、右文書には、「石油ガス税法案は本年四月一三日衆議院大蔵委員会に初めて提案されてから数回にわたつて審議が行なわれたが、その間、在京役員並びに関係議員の地元代表者による昼夜をわかたぬ猛烈な運動の結果、会期終盤の昨五月三一日開催の大蔵委員会において継続審議に決定し、反対運動の効を奏し、今国会においては不成立となりましたので御報告申し上げます。これ偏えに関係各位の御協力によるもので御同慶の至りに堪えません。しかしながら、次の臨時国会或は通常国会において再び審議されることは必定であり楽観は許されませんので、また、その際には、課税および税率の低減について検討し、再び運動を展開することになりますので其の節には特段の御協力をお願い致します。」旨が記載されていた。なお、全乗連としては引きつづき今後も陳情をつづける計画であつた(全国乗用自動車連合会会長波多野元二名義の昭和四〇年六月一日付各協会長宛の「石油ガス税法案の国会審議経過報告について」と題する書面、第四三回公判調書中の証人海田健次の供述部分、第八八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分)。

64 被告人多田の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書中には、「昭和四〇年五月下旬に大阪タクシー協会のLPガス委員口羽さんらが代表して上京している筈です。和歌山からも代表が上京している筈です。これはやはり全乗連からの依頼で原田憲先生らに陳情していると思います。東京に行つた代表が中央の情勢や国会における審議状況、見とおしなどの情報を入手して帰つてきて報告を受けている筈です。同年六月初ごろ、国会で審議未了となり、次の国会に継続審議となつたことを市田専務からききました。昭和四〇年六月一日付全乗連会長波多野元二より各協会長宛の『石油ガス税法案の国会審議経過報告について』と題する書面は、直接私は見ておりませんが、全乗連から協会長宛にこういう審議経過だということを知らせ、次の国会では再び審議されることが必定であるからその際には再び運動を展開するので、御協力を願うという伝達であります。各協会長の許で全乗連と密接な連絡をとりつつ進めていたものです。協会長は協会の会合の際にこういうことを報告して会員に知らしめ、全乗連の方からの呼び出しがあれば応援にゆけるようにしてくれと他の協会の理事らに連絡をとつて進めていたものです。」との供述記載があり(この部分は被告人多田のみの証拠である)、右供述調書の信用性を損う事由は見出しえない。

65 被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一〇月三一日付供述調書によればその中には、昭和四〇年一月ごろの状況として(右供述調書中の関係部分の前後の文脈からみて同四〇年の一月ごろの状況についての供述であることは明らかである。)、「ハイタク業界としては、昭和四一年一月一日よりトン当り一七、五〇〇円のLPガス課税について、一応九ヵ月延期になつたので、運動の成功とはみておりましたが、決してこれで満足していたものではなく、こういうことがきまつたあとでもすぐに業界でトン当り一七、五〇〇円の課税となると立当り一〇円ということになり、これではガソリンを使つているのと変りがなくなつてしまいます。従つて、なんとか運動を続けて課税実施期日をもつと延して貰うなり、あるいは、いきなり一七、五〇〇円の額にもつていくのではなく、漸増的に、即ち、段階的に増していくという方法即ち税率の軽減を計つて貰いたいという考えを持つていたわけです。」旨の供述記載(被告人多嶋、同多田、同関谷についての証拠)があり、他に右供述調書の信用性に疑いをいだく事情もうかがわれないのであつて、これと前に認定の関係事実を併せ考えると、被告人多嶋、同多田らをはじめとして、大タク協関係者らの間には、大蔵省原案よりも課税時期を九ヵ月延期する旨の業界にとつて有利な自民党の党議決定がなされたことから、この九ヵ月延期の決定を反対運動の一応の成功として評価し、自民党政府の下では終局的にも右の党議決定のとおりの法案となつて成立するのではないかとの懸念もあつて、今後の方針としては実質的に実のある運賃改定問題にとり組むこととしたものの、未だ法案として成立してしまつたわけではなく、国会審議の場でもさらに業者に有利な修正も期待しえないわけではないところから、今後いかなる方法で課税反対運動をすすめていくかはとも角としても、課税反対運動を全面的に止めてしまう意志はなく、法案がさらに課税実施時期の延期なり、税額の軽減など業者により有利な内容となることを期待しており法案が成立するに至るまで反対運動をつづけていきたいと考えていたことは認められるところである。そして、被告人多嶋の検察官に対する同年一二月一日付供述調書によればその中には同四〇年四、五月ごろの状況として(同供述調書中の関係部分の前後の文脈からして同年四、五月の状況に関する供述であることは明らかである)、「大阪タクシー協会では、LPG委員会が課税反対問題を専ら扱いました。この運動は全乗連が中心となつておりますが、たえず全国の各協会とも連絡をとつて行つてきたことであり、全国の業者が一丸となつて行つてきた運動であります。従つて、全乗連からは文書で国会の審議経過を知らせてきておりましたし、また運動を行う上において地方の業者の協力が必要なときには地方の協会に連絡してきていました。こういう全国的な運動ではありましたが、大阪の場合、LPG車の発祥の地であり、それに使用台数も多かつたので、特にこのLPガス課税反対運動について積極的でありました。更に一点付加えていただきたいのですが、大阪の業者がこの運動に熱心であつたのは、今申した理由の外に、東京と比較して大阪の水揚げが悪いのに課税は全国平等になされるので、大阪の業者に与える打撃が一層強いということから大阪の業者がより一層LPガス課税反対なり、課税軽減を願つて運動することになつたものです。」旨の供述記載(被告人多嶋、同多田、同関谷についての証拠)があり、他に右の供述の信用性を害すべき事由は見出しえない。

66 被告人多田、同多嶋らは、政党献金を行う日を同四〇年六月一〇日とすることを決め、大タク協においてその旨を大旅協、兵乗協、京乗協に伝達し、六月一〇日、大タク協から同多田、沢春藏、井上専務理事らが上京し、大旅協山口会長、兵乗協大山会長、京乗協粂田会長らとともに、右四協会連名の形で、自民党に一億円、社会党に六〇〇万円、民社党に四〇〇万円をそれぞれ右各党の党本部に献金した(第八八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、第一〇六回公判調書中の被告人多田の供述部分)。

ところで、自民党に対するこの一億円献金の趣旨について検討してみるに、被告人多嶋、同多田は、この一億円献金を行おうと考えるに至つた事情とLPガス課税問題との関係について前示第四の14の項に掲げているように、いろいろの趣旨に解しうる供述をしており、ことに被告人多田、同多嶋の公判廷における供述だけからしては、LPガス課税反対運動を業者側に有利にすすめたい意図の下に実行されたものであることを直ちには肯認し難いようであるし、同被告人らが関西業界として自民党に対する一億円献金を行うことを決意するに至つた時期や大タク協理事会で同四〇年六月ごろの参議院議員選挙時にこれを行うことを決定した当時において、業界で反対運動をしていたLPガス課税問題が、衆議院大蔵委員会での法案審議が紛糾し、同四〇年五月末ごろに審議未了、継続審議となり、LPガスに対して課税する法律が成立しないであろうなどということは到底予測し難いことであつたし、また、自民党は中小企業の保護育成を旗印しに掲げていながら、その下にある政府が運賃値上げを抑制していたうえ、LPガス課税問題や免許制緩和問題を提起するなどしたため、経営難にあつたタクシー業者らにしてみれば中小企業の保護育成をとなえている自民党の意図が理解できないとして、自民党に対し、中小企業といわれているタクシー業界の存在を印象づけて示し且つタクシー業界に存在している諸問題に対する行き届いた配慮をうながすため、他の業界におけるように、より強い発言権を得たいためにこの一億円献金を行おうとしたことも認めうるところではあるが、それでも、一億円献金をしようと決意し、理事会でその決定をするに至つたのは、免許制維持問題とともにLPガス課税問題がおこつてきたことが直接の契機となつていること、当時タクシー業界に存在していた諸問題の中でもLPガス課税問題が当面の最も重要な問題であり、大タク協を含めて業界をあげてその反対運動を激しく展開していたさ中に献金が計画され、この反対運動が引きつづき行われているさ中になされた、LPガス課税の実施時期を九ヵ月延期する自民党の決定を成功と見ることによつて献金実施の決定をなしたことの各事実が認められること、さらに自民党に対する一億円献金と課税反対運動との関連を断ち切る合理的理由はむしろこれをみいだし難いことや、前示14以下の項の中に見られる一億円献金運動に関する話し合いやその際の同多田、同多嶋の発言内容等に前示14の項に掲記した同多田、同多嶋の各供述を加えてこれらを総合すると、一億円献金が行われた数ある趣旨の中には、このLPガス課税問題を業者側に有利にしたいという意図、趣旨もその一つとして含まれており、しかもそれがかなり大きな部分を占めていると認めることができる。

67 同四〇年六月一〇日、全乗連は東京ヒルトンホテルにおいて、全国ブロツク代表者会議を開催し、副会長、常任理事らの定員およびこれらの選出問題や、組織の合理化などについて協議がなされたが、LPガス課税対策についての協議もなされ、席上、海田LPG対策特別委員長から、LPガス課税の経過報告がなされ、「去る五月三一日衆議院大蔵委員会において継続審議となり一応の成果を得たが、今後臨時国会、通常国会が開催され再び審議されることになるので、今後の基本方針についてきめてほしい。」旨の提案があり、協議した結果、現段階においては、課税時期をいつまで延期したらよいか、また、課税額引下げの線もはつきり出すことができないので、廃案においこむことに意思を統一して運動をすることとし、陳情書作成、運動の方法については、東京と大阪に一任し、最終の詰めについては、会長に一任することに決定した。そして、この右会議の状況や決定した右の結果を記録した「ブロツク代表者会議議事録」は全国乗用自動車連合会会長波多野元二名義の昭和四〇年六月二二日付各協会長宛の「ブロツク代表者会議議事録送付について」の文書とともに送付され、大タク協は同月二四日これを受領し、被告人多嶋は、直ちに、その写を大タク協各会員に配布した(全国乗用自動車連合会会長波多野元二名義の昭和四〇年六月二二日付各協会長宛の「ブロツク代表者会議議事録送付について」と題する文書並びに添付のブロツク代表者会議議事録、第四三回、第四五回公判調書中の証人海田健次の各供述部分、第八八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一二月一日付供述調書((被告人多嶋について)))。

そして、証人海田健次の証言(第四五回公判)によると、右の全国ブロツク代表者会議において、このように今後の反対運動の方法を東京と大阪が協議して決定することに委せられたのは、東京と大阪が大都市であるし東京は関東の、大阪は関西の、それぞれの指導者的立場にあり、LPG使用自動車の台数が他の地域よりも圧倒的に多いという理由によるものであつたことが認められる。

68 同四〇年六月一五日の大タク協役員会において、被告人多田は、運賃問題について、「セミハイヤー問題について日本タクシーの坂本氏と話し合いをもつた。運賃のそれぞれの柱の問題で値上げ幅は前回の運賃値上げ幅で出願し、山間、深夜割増、セミハイヤー営業所、無線ハイヤー等割増運賃は一割ということになるのではないか等につき意見の一致をみた。」趣旨の報告をした(大阪タクシー協会役員会議事録((昭和四〇年六月一五日)))。

69 同四〇年六月一六日、谷LPG委員長、口羽LPG副委員長は、東京のヒルトンホテルでの全乗連在京幹部との打合せ会議に出席したが、本件法案の国会審議の現況につき話合い、今後の運動方針等について協議した。席上、海田全乗連LPG対策特別委員長が、去る六月一〇日の全国ブロツク代表者会議の決定を報告したあと「波多野会長からLPG課税反対問題で課税反対の意思を統一してもらいたいと要望されている。次期国会は七月二五日から二〇日間くらい開かれ、同国会でLPガス課税法案が審議されることになるが、早く手を打たないと間に合わないという意見もある。陳情書の内容および運動の方法等につき協議したい。」旨の提案をし、同委員長、谷大タク協LPG委員長、中川東旅協税務委員長らが交々発言して協議したが、明確な結論は得られなかつた(第一〇回公判調書中の証人口羽玉人の供述部分、第四三回公判調書中の証人海田健次の供述部分第四七回公判調書中の証人谷源治郎の供述部分の一部、谷源治郎の検察官に対する昭和四二年一一月二八日付供述調書)。

70 同四〇年六月二八日午後二時五〇分から大阪コクサイホテルで開かれた大タク協第四回定時総会において、被告人多嶋は、大タク協会長として冒頭に挨拶をしたが、その中で、「運賃改定問題、免廃問題、個人タクシーの免許申請問題など業界は正に多種多事である。更にはLPG課税は時間の問題となつていることからみて、当業界の当面の問題は事業の安定策をおいて他にない。そこで積極的には運賃の改定が必要であつて、また他面には事業の合理化によつて営業成績をあげるための方策をとらなければなるまいと考える。一層の御協力をお願いしたい。」旨述べ、来賓として招かれた被告人関谷、寿原正一、波多野全乗連会長、二宮大阪陸運局自動車部長、綾田大阪府警交通部長、藤本全乗連総務委員長らは、順次、挨拶を行い、被告人関谷は、その挨拶において、免廃問題、LPG問題、運賃問題、欧米の視察報告にふれ、LPG問題については、「LPGの課税は来年度まで延期されたが、次回の国会で議案が通過するようであれば、過日審議未了にした意味がなくなるので、寿原氏と共々手を打つて行きたい。」と述べ、運賃問題については、「参議院選挙が終れば、国鉄の旅客運賃が値上げされる。更には公務員給与の引上げがいわれているときにタクシー料金だけが据置きという事はないと思う。私は常に、運賃は適正な利潤を生むものでなければならない、と主張し、これに同調するものが多く、党の政策から公共料金の抑制ははずした。此様な時期をのがさず、運賃値上げ申請の準備に急がれるのが適切だと思う。」と述べ、寿原正一は、挨拶の中で当面するLPG課税、運賃値上げの問題について業者の結束を強調し、特に、LPG課税については「結束による協力があれば阻止できる。」と強調し、波多野全乗連会長は、会長の就任挨拶につづき、「LPG課税、更にはLPG価格値上げに直面する昨今、業界全体が一致団結してこれの阻止に当るべきである。」と述べたが、来賓の挨拶が全部終つたあと、井上専務理事が大タク協を代表して、簡単に、「ありがとうございました。今後ともよろしく御指導並びに御配慮願います。」と答礼した(大阪タクシー協会第四回定時総会議事録、多嶋日記中の昭和四〇年六月二八日欄の記載、第一〇回、第一二回公判調書中の証人口羽玉人の供述部分、第四〇回公判調書中の証人高士良治の供述部分の一部、高士良治の検察官に対する昭和四二年一一月二五日付供述調書、谷源治郎の検察官に対する昭和四二年一一月二八日付供述調書、寿原正一の検察官に対する昭和四二年一二月二五日付供述調書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書、第八七回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付、同四三年一月一七日付(一)各供述調書)。

71 同四〇年六月二八日大タク協第四回定時総会終了後、同総会に出席した波多野全乗連会長、富田副会長、藤本総務委員長、小沢専務理事の全乗連幹部、被告人関谷、寿原正一を料亭「大和屋」に招待し、大タク協側からは、被告人多嶋、同多田、同好会のメンバーや各グループの代表らが出席した。宴席では被告人多嶋をはじめ、同関谷、寿原、波多野全乗連会長らが挨拶等をのべた(多嶋日記中の昭和四〇年六月二八日欄の記載、寿原正一の検察官に対する昭和四二年一二月二五日付供述調書、第一〇回公判調書中の証人口羽玉人の供述部分、第一〇八回公判調書中の被告人多田の供述部分、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書、第八八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分の一部、被告人多嶋の検察官に対する昭和四三年一月一七日付(一)供述調書)。

そして、右の各証拠によると、被告人多田、同多嶋ら大タク協幹部らが、波多野会長をはじめ大タク協の総会に出席した全乗連幹部並びに被告人関谷、寿原正一を招宴したのは、いずれも、同人らが、大タク協の招きに応じて快く大タク協総会に臨席してくれたことに対し敬意を表わし、その労をねぎらうため、これまで大タク協総会のあと恒例となつている宴席を設けたにすぎないことが認められる。

72 同四〇年七月六日の大タク協第五一回定例理事会において、運賃委員長は、運賃値上げ問題について、原価計算資料にもとづいてその準備状況を報告し、原価計算に当りLPガス課税分を折り込むとともに、LPガスの予想値上り分をも考慮していることを報告した(大阪タクシー協会第五一回定例理事会議事録、第七四回、第七五回各公判調書中の証人沢厳の供述部分、第九八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分)。

73 同四〇年六月下旬から七月上旬にかけ、全乗連としては、第四九回臨時国会(同四〇年七月二二日から同年八月一一日)で本件法案が審議されることが予想されたが、もし同国会で再度継続審議になれば、いわゆる日韓条約の批准をめぐる日韓国会である次の第五〇国会では審議できないであろうとの情報があつたことから、結局廃案にもち込める可能性もあるとして、早急に、与党、野党を問わず、全国会議員に陳情することを決め、直ちに、陳情書を作成したうえ、地方協会にその協力を指示し、この陳情書を右の事情や経緯を説明した波多野会長名義の昭和四〇年七月一二日付「LPガス新課税に関する反対陳情について」と題する文書とともに大タク協をはじめ各協会長宛に送付するとともに、全乗連の在京幹部は、陳情先の割当表を作成しそれにもとづいて手分けをして陳情に努めた(全国乗用自動車連合会会長波多野元二作成名義の昭和四〇年七月一二日付各協会長宛の「LPガス新課税に関する反対陳情について」と題する書面、全国乗用自動車連合会会長波多野元二作成名義の昭和四〇年七月「液化石油ガス新課税反対に関する陳情書、第四三回公判調書中の証人海田健次の供述部分)。

74 同四〇年七月一六日、被告人多嶋は、全乗連からの前記七月一二日付文書を受領したが、それは、「次の国会で法案が再び審議されることは必至であり、全乗連としてもまた猛運動を展開すべくその対策につき準備中であるが、各諸先生方は目下帰郷中であるので、この際、地元業者からも地元選出の国会議員に対し陳情するのが最も効果的であるので、同封した陳情書により陳情されたい。」という趣旨のものであつた。そこで、大タク協は大旅協とともに翌七月一七日新旧合同のLPG委員会を開き、地元国会議員に対する陳情の打合せを行つた(前掲の昭和四〇年七月一二日付「LPガス新課税に関する反対陳情について」と題する書面、前記掲記の昭和四〇年七月「液化石油ガス新課税反対に関する陳情書」、第四七回公判調書中の証人谷源治郎の供述部分、第八九回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の昭和四二年一一月一日付供述調書((被告人多嶋について)))。

75 同四〇年七月一四日に開催された近畿ハイタク協議会において、輸送力の需給問題、運賃改定問題等の討議がなされた。

同月一四日、一五日、一六日の新聞で大阪のタクシー会社は三〇パーセントの運賃値上げの申請を準備している旨の報道がされた(多嶋日記中の昭和四〇年七月一四日欄の記載、昭和四〇年七月一四日付の朝日新聞、同月一五日付の日本経済新聞、同月一六日付のサンケイ新聞の各記事、第九八回公判調書中の被告人多嶋の供述部分)。

76 同四〇年七月二〇日の大タク協第五二回定例理事会において、谷LPG委員長がLPG新課税に関する反対陳情につき、「全乗連と相談の結果、今月二〇日から二三日に国会が開かれるので、大阪においては、国会開催直後に陳情した方がよいということになつたので、理事会の承認をえて陳情時期をきめたい。」旨の報告をし、そのあと、井上専務理事が全乗連から送つてきた陳情書の要旨について説明したが、それは「大阪ではLPG課税についてあくまでも統一した反対意見をもつことであり、また、陳情については、地元業者より地区選出の国会議員に対して陳情するのが、最も効果的で、理事諸氏もその点かたがたお願いする。」というものであつた(大阪タクシー協会第五二回定例理事会議事録、第四七回公判調書中の証人谷源治郎の供述部分の一部、谷源治郎の検察官に対する昭和四二年一一月二八日付供述調書、第八九回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書((被告人多嶋について)))。

77 同四〇年七月二二日、第四九回臨時国会が開会され、本件法案は同日付で衆議院大蔵委員会に付託されたが、同月三一日の同委員会において、自民党所属の大蔵委員が本件法案に賛成の立場で質疑を行つた(第四九回国会衆議院大蔵委員会議事録第一号((抄本)))。

78 同四〇年七月三一日東京の北村大日本交通専務取締役から被告人多嶋に電話連絡があつたが、その際、同多嶋は、右北村専務から同日の衆議院大蔵委員会の状況を聞くとともに、「今後の戦術協議と陳情のため、来る八月二日に全乗連で会合を開くので、大阪からも上京されたい。」旨の要請を受けたので、直ちに谷LPG委員長、口羽LPG副委員長、井上、佐藤両専務理事、上中業務課長らを上京させる手配をした(多嶋日記中の昭和四〇年七月三一日欄の記載、第八九回公判調書中の被告人多嶋の供述部分、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書((被告人多嶋について)))。

79 北村大日本交通専務からの全乗連の右の要請により、同四〇年八月二日、大タク協の谷LPG委員長、口羽LPG副委員長、秋山誠作、岸下常一各LPG委員および井上、佐藤両専務理事、上中業務課長らが大旅協のLPG委員らと共に上京し、右LPG委員らは、東京赤坂のプリンスホテルで開かれた全乗連、東旅協の理事会に出席したが、席上、波多野全乗連会長が新課税反対の統一運動方針を示すとともに、海田全乗連LPG対策特別委員長が、「自民党は今の国会で法案をぜひとも可決成立させたい意向であり、八月八日ごろが山場になるので、八月二日から四日まで陳情を行ない、更に八月八日に再度陳情したい。」旨本件法案審議の情勢を説明したうえ、この陳情に対する協力を要請したので、この日上京した右の大タク協関係者は、地元出身の衆議院大蔵委員に対し、それぞれ全乗連作成のLPG課税反対の陳情書を交付して陳情し、全乗連在京幹部らにおいても与野党の国会議員に陳情した(全国乗用自動車連合会会長波多野元二作成名義の昭和四〇年八月「液化石油ガス新課税反対に関する陳情書」、多嶋日記中の昭和四〇年八月二日欄の記載、第一〇回公判調書中の証人口羽玉人の供述部分、第四三回、第四五回公判調書中の証人海田健次の各供述部分、第三八回公判調書中の証人佐藤敏雄の供述部分、被告人多嶋の当公判廷(第一二二回公判)における供述、第八九回公判調書中の被告人多嶋の供述部分の一部、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書)。

80(1) 検察官は、同四〇年八月三日、被告人多田、同多嶋らは、帰阪した佐藤、井上両専務理事から上京報告をきいたが、被告人多田は、波多野全乗連会長との間で今後の課税反対運動方針及び国会議員に対する金銭供与の件を協議すること等のため、翌四日、急拠上京することになつた、と主張する。

(2) 被告人多嶋が、同日、帰阪した井上、佐藤両専務理事から同月二日の全乗連と東旅協の理事会の状況やその席上での波多野全乗連会長や海田LPG対策特別委員長の前記掲記の説明や課税反対運動に関する方針について報告を受けていることは、多嶋日記中の昭和四〇年八月三日欄の記載や同多嶋、井上、佐藤の大タク協における会長と専務理事という立場にかんがみて、認められるところである。

(3) 被告人多田が右同日井上、佐藤両専務理事から右の上京報告をきいていたのではないかということや上京して波多野会長と会つて今後の運動方針や国会議員に対する謝礼の問題を話し合つたのではないかということに関係する証拠としては、多嶋日記中の昭和四〇年八月三日、同四日各欄の記載、被告人多嶋の昭和四二年一一月一日付、同年一二月一一日付各供述調書中の各記載、被告人多田の昭和四二年一一月一日付供述調書中の記載が存する。

(4) しかしながら、多嶋日記中の右の各記載によると、被告人多嶋は同月三日のうちに同多田が翌四日に上京することになつていることを知り、同多田が右四日に上京するに際し新大阪駅で見送つたことおよび同多嶋としては同多田の上京の目的の中に波多野全乗連会長と面談することも含まれているであろうと思つていたことは認められたものの、同多田が同月三日井上、佐藤両専務理事から上京報告をきいたということも、また同多田が右三日或いは四日の日に波多野全乗連会長と今後の課税反対の運動方針や国会議員に対する謝礼の問題を話し合うことを同多嶋に話したことはこれを認めるに足る証拠がなく、被告人多嶋の前記一一月一日付供述調書によると、同多嶋が同多田の上京目的について、「波多野全乗連会長と今後の運動方針や国会議員に対し金を贈る問題について打合せをするために上京したのではないかと思います。」という旨の単なる同多嶋の推測をのべたものにすぎず、また、一二月一一日付供述調書も、八月五日の同好会の席上において同多田がなした報告に関するものにすぎない。また同多田の前記一一月一日付供述調書は上京して波多野全乗連会長や同関谷に会い、同関谷から国会審議の模様をきいたということに関するものであつて、同供述調書により同多田が同月三日或いは四日に井上、佐藤両専務理事に会つたこともまた同多嶋に上京の目的を話したことも全くうかがわれないのである。そのうえ、被告人多田は、公判廷(第九五回公判)において、佐藤、井上両専務理事や谷LPG委員長らが同月二日上京したことやその上京中の行動については同月五日の同好会の席上できいたと供述しており、検察官も同多田に対し同被告人が八月三日井上、佐藤両専務理事からその上京報告をきいたことがあるのかどうか、或いは同日同多嶋に対し、上京して波多野全乗連会長と今後の運動方針や国会議員に対する謝礼の問題について協議してみると話したことがあるかどうかについては、具体的供述を求める質問もしていない。

(5) 右(4)に説示認定した諸事実の認められるもとでは、前記(3)掲記の証拠によつても、被告人多田が同月三日佐藤、井上両専務理事から上京報告をきいたことおよび同多田が、同人らの右の報告をきいたことにより、波多野全乗連会長と課税反対運動に関する今後の方針や国会議員に対する謝礼の問題を協議する気持になり、そのことを同多嶋に話したことは、いずれもこれを認めることはできないというべきである。

81 同四〇年八月四日、被告人多田は、市田実二郎(大阪相互タクシー専務取締役)および吉村良吉(京都相互タクシー常務取締役)を伴つて上京し、大阪相互タクシーとして恒例としている被告人関谷の後援会の二十日会に対し五〇万円の政治献金をした。そして、課税反対運動の当時の目標を廃案、審議未了にもつていくことにおいていた同多田は、その際、衆議院第一議員会館において、同関谷から、廃案はむつかしい、ということをきいた(被告人多田の検察官に対する昭和四二年一〇月二八日付((被告人多田について))、同年一一月一日付各供述調書)。

なお、検察官は、被告人多田は右四日上京した際波多野全乗連会長と会つて今後の反対運動について協議した旨主張しているが、被告人多田の公判廷における供述、同被告人の検察官に対する昭和四二年一二月一日付(二)供述調書の関係供述記載、証人市田実二郎の当公判廷(第一二五回)における証言に照らし、右の主張事実は、これを認めるにはなお疑いが存する。

82 同年八月五日、大阪南の料亭「初勢」で開かれた同好会において、被告人多田、同多嶋、沢春藏、坪井準二らは、口羽LPG副委員長、井上、佐藤両専務理事から同人らが八月二日上京した際の報告をきき、本件法案審議の見とおしなどに話が及んだが、その際同多田は、前日四日上京し同関谷からきいた話も交え、「今国会においては、どうにか継続審議にもち込めるもようだが、廃案は到底難しいし、楽観はできない、この次の秋に予定されている国会が問題である。」旨の発言をした。なお、この席上、後記(第五の一の2の(4)の(ロ))のとおり、本件金員供与に関する話合いも行われた(多嶋日記中の昭和四〇年八月五日欄の記載、坪井準二の検察官に対する昭和四二年一二月四日付供述調書、沢春藏の検察官に対する昭和四二年一二月四日付(二)供述調書、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一二月一日付(二)、同日付(三)各供述調書、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書)。

83 同四〇年八月九日の大タク協第五三回定例理事会において、谷LPG委員長から、LPG課税問題につき、八月二日上京し、地元出身の国会議員に陳情したことおよびその際うかがわれた各議員の本件法案に対する態度などについての報告がなされ、また、かねてより話題になつてきたことではあるが、大タク協会の事務職員に対し、これまでにLPガス課税反対運動などに関し、いろいろと忙しく時間外労働が多々あつたため、慰労金として総額五〇万円位を支給することが決定された。なお、後記(第五の一の2の(4)の(ハ))のとおり、右理事会の議事に入る前に、本件金員供与に関する話合いも行われた(大阪タクシー協会第五三回定例理事会議事録、多嶋日記中の昭和四〇年八月九日欄の記載、被告人多田の検察官に対する昭和四二年一一月三〇日付(二)、一二月一日付(二)各供述調書、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一二月一一日供述調書)。

第五本件犯行

一 被告人多田、同多嶋らの謀議について、

1 まず、本件犯行の謀議に関する被告人多嶋、同多田の供述をみることとする。

(1) 被告人多嶋の検察官に対する供述調書

(イ) 昭和四二年一一月一日付供述調書中「昭和三九年一二月二五日諸先生(代議士)にお礼するということで東京へ九五〇万円を送り私も多田社長らと共に上京したのですが、その時は金を渡すことが中止となりました。」、「政党献金分として会員から集めることが出来た金が約六、四八一万円でこのうち政党献金分として六、〇〇〇万円支出し、そのころ、すでに別口の三〇〇万円の献金をしており、これと同三九年一二月に安永輝彦に渡している一〇万円を差引くと、同四〇年七月二〇日当時には政党献金分として集めた金のうち一七一万円しか残つていなかつた」旨、「そしてこの昭和四〇年七月二〇日の五二回理事会を開く前に政党献金の分はすでに終つたが、やはり個々の代議士先生方に対し献金を行うことをいつまでもほつておけず、なんとかしなければならないと考え、この五二回理事会の行なわれたその日の午前中に、多田社長を含む前の選衡委員に集つて貰つて話をした。個々の先生方に対する献金というのは形を先生方の後援会に対する献金という形式をとりますが、実際は三九年一二月に計画したのと同じくLPガス課税問題に関する代議士先生方のお骨折りに対するお礼である。」、「理事会の前のこの話はコクサイホテルで行われていますがその時の話の結果一一名の代議士先生方に総計五二〇万円贈るということに話がつきました。その際やはり実際に金を負担される多田社長等が人選や金額をきめられた。」旨、「この会合の際すでにLPG課税問題の資料作りで大タク協職員にえらい思いをさせたので慰労金ということで五〇万円を職員に贈つていただくことにきまつた。そうなりますと一一名の先生方の五二〇万円、職員の分の五〇万円合計五七〇万円の支出が必要になります。ところが協会にはLPG関係の特別負担金として集めた金で残つているのは約一七一万円なので約四〇九万円不足となる。ここで多田社長から一〇〇万円寄附の申出があり、そうなりますと約三〇九万円の不足となる。そして、この不足分を再度特別負担金として会員より集めようということになつた。そして、計算の結果、一台当り市域で四二〇円、郡部で三〇〇円で算出し、そうすれば約三五三万円集るので、これで賄えるだろうということになつた。その相談の結果がこの七月二〇日の第五二回の理事会で井上専務理事より発表され、皆さんの了解をえたものです。なお、この時はLPG車のみに限らず全車輛に割当てをした。」旨、「八月五日夕方から初勢で同好会を開いた。この同好会には東京から帰つてきた多田社長、坪井、沢社長、沢常務、口羽社長、高士副社長、市田専務、私(多嶋)、井上、佐藤両専務が出席した。ここで二日に上京した井上、佐藤両専務の感想や多田社長の話をきき、情勢分析をして、代議士先生方に金を贈る日を八月一〇日ときめ、九日の理事会にかけることになつた。この情勢分析の結果は、今国会は会期も短くなんとか引張つて審議未了に持込めるだろうが、いずれ秋の臨時国会で審議されるだろうし、いつまでも引張つて貰うわけにはいかないだろうということで、やはり与党の自民党議員の方に頼んで少しでも業界有利な線に持つていつて貰わなければならないので代議士先生方にも陳情しかつかねてより計画の前述の形の献金も行うことになつた。」旨、「八月九日に第五三回定例理事会を開き、その席上、井上専務理事が先般お願いした特別負担金の拠出については八月七日現在まだ全額に達していないので早急に拠出をお願いする旨のべ、私(多嶋)もこの理事会の始まる前に多田社長にお願いしてかねてより申出のあつた一〇〇万円の寄附とは別に一一〇万円借りることにした。そしてこの理事会で翌一〇日に上京して一一名の国会議員に五二〇万円を贈ることを報告し、右一一名の国会議員中三名の国会議員に対する金額を一部手なおしをし、上京者の人選を行つた。」旨の各供述記載があり、

(ロ) 同年一二月九日付供述調書中、多嶋日記中の昭和四〇年六月二一日欄を示され、六月二一日の同好会に関し、「この同好会には私(多嶋)、多田社長、沢春藏、口羽、坪井、高士良治、市田、中島(近鉄タクシー)、井上が出席した。このとき本件関係とは別口の三〇〇万円の献金をすることがきまつたが、その時、多田社長から、『外にこれまでお預けとなつていた個々の先生方のお礼をほつておくわけにはいかない。三〇〇万円出すとなると、また集めなければなりませんな。』といわれ、みんなもこれに同意した。この時は、その程度の話で終つております。」旨、六月二八日大阪コクサイホテルで開かれた臨時理事会の議事録を示され、この議事録中の、特別負担金の追加拠出についてと題する項の多田理事の説明部分に関し、「これは、LPG関係の金の問題であり、このようなあいまいな表現にしてごまかしてあるが、実際は、別口として三〇〇万円の献金をしたので、LPG課税反対について御協力いただいた先生方に対する謝礼分の金が不足をきたし、そこで、理事会に諮つて、不足分を補うために、あらたに、一台当り四〇〇円見当で拠出して貰うことにきまつたが、そのことをあらわしているものである。」旨、また同理事会に関する市田メモを示され、このメモにもとづいて、当時のことを思い出して話すとし、「多田さんは、三九年一二月二二日の理事会でLPG使用事業者から特別負担金として一台当り市域一〇、五〇〇円、郡部六、五〇〇円で、合計六六、三九三、〇〇〇円拠出することがきまり、このうち、六〇〇〇万円を政党献金分に当て、そこで残り約六〇〇万円が個人先生分として残つているわけだが、これが実際には未収分もあつて、これだけの額も集つていないということを言われているものです。そして、この中から別途に三〇〇万円を献金したので、個人の先生方にLPガス課税反対尽力に対するお礼として金を贈るには不足をきたすことを説明されたのです。」旨、「この多田社長の報告中の、集つている金の額とか、会費の未収分があるとかといつた点は、協会の事務局の側が詳しいので、そういう点は、メモしておいて多田社長に渡し、多田社長はそのメモをみて話した。」旨、「多田社長よりこのように特別報告がなされたので議長である私(多嶋)から、いかがいたしましようか、といつて理事の皆さんに諮つた。多田社長は出したらよいと思うがどうでしようか、といわれ、この多田社長の発言は結局同好会のメンバーの意見を代弁されているのですから同好会の人達からは別に発言はなかつた。個人先生の分も今更放棄できないので不足分を集めるべきだと積極的な発言をしたのは、宝上、三野、谷、木元各理事のようだつた。別に反対意見をのべた人はいなかつた。」旨、「市田さんのメモにある、これは出すべきである。出すものは出して頼むものは頼むようにしたい、という発言はたしか生田さんよりあつたと思います。こういう話のあと、私から皆さんいかがですかと申しますと、全員賛成だということで、この件がきまつた。また井上は三〇〇万円となると、大体一台当り四〇〇円となると徴収する金額もいつていた。」旨、「続いて七月二〇日の理事会、八月九日の理事会と、この個人の先生方に対するお礼の問題が理事会で取り上げられていつたことは前に申したとおりである。」旨の各供述記載があり、

(ハ) 同年一二月一一日付供述調書中、「六月二八日の理事会でいわゆるLPG関係の特別負担金を新らたに集める件を議題にしたが、これは同好会で新たに金を集めようという話が多田社長より出て、みんながこれに賛成したので、井上専務理事からこの問題も議題に上げようかといつてきて、私もそれに賛成した。」旨、「金集めの問題なので、こういう場合、実力者である多田社長から発言された方が話がまとまりやすいうえ、多田社長から自ら発言するといわれたので、同社長から特別に説明してもらつた。」旨、「七月二〇日コクサイホテルで行われた第五二回定例理事会を開いたが、その前に選衡委員会を開いた。この選衡委員会を開く二、三日前に私はどの先生にいくらお金を贈るかという案を作成した。六月二八日の理事会で個人先生方に対する謝礼を今更放棄できないので不足分を集めようということになり、いよいよLPガス課税反対関係で御尽力いただいている先生方に謝礼することになつたので、その予算の範囲内でどの先生にいくら贈るかという案を私がつくつた。この案は、たたき台というか理事会で検討してもらうための案である。私は三九年一二月二二日の理事会できまつた一一名の先生方に今回も謝礼を贈ることでよいと思いその先生方には引きつづきお骨折り願つているし、今後もお骨折り願わなければならないという考えから前のときと同様関谷、寿原に対し各一〇〇万円宛とするなどの案をつくつた。」旨、「私はこういう案をこしらえて井上にそれを示し、これでどうでしようかと相談したところ、井上は結構です、というので、この案を理事会で諮ることにしたが、前回の三九年一二月二二日の決定のとき選衡委員会を開いているので、理事会の前にその人達に予め集つて貰つて承諾を得ておくことを考えた。そこで、七月二〇日理事会の当日、あらかじめ前の選衡委員の人達に電話をして早い目に理事会の会場へ来て貰うことにした。多田社長は、今日は都合が悪くて理事会に出られないということだつたので、案の内容を話してそれでよいという了解を得ています。こういう金の問題の場合、予め多田社長に相談せずに私が独断できめて事柄を運んでいくということはない。多田社長は承諾され、あとのことは市田が出るから相談するようにといわれた。私の現在の記憶では市田、沢春藏、坪井、口羽、秋山、谷、増木らがコクサイホテルに集つてくれた。そこで、私から、『前に御相談載いた方々に差上げることを前回は中止したが、やはり今回も同じ人に差上げてはどうかと考えます。』といい、引続き、井上から前述の案の内容を話した。井上は、『それぞれの先生によつて金額は違うが、前回の数字をもとにして予算が変つたので変更することにした。』といい、更に、ABCのランクに分けたことについてどういう評定をしたかを説明した。」旨、第五二回定例理事会議事録を示されて、「井上専務理事は、『先回の理事会でお話もあつたので、理事会の前に選衡委員の人にも集つて貰つて一応御相談もした。献金先については、前回どおり一一名とし予算の関係で若干金額を圧縮し五二〇万円とした。その点御了承下さい。お届けする時期は適当な時期をみつけて出来るだけ早くお届けするようにします。』という意味のことを述べ、それから計算関係の説明をしていた。井上の報告のあと、私(多嶋)から理事に対し承認を求めたところ、承認された。」旨、八月五日の同好会の状況を更に詳しく思いだしたと前置きをして、「八月五日初勢で開いた同好会には、多田社長、坪井、沢春藏、沢厳、口羽、高士良治、市田、私(多嶋)、井上、佐藤が出ている。この日東京から戻つた多田社長の話では、今の国会では石油ガス税法案は成立せずに流れるだろう、どうにか継続審議に持ち込めるもようだが状況としては好転しているわけではなく、廃案は到底むつかしい、楽観は出来ない、この次に予定されている国会が問題であるといわれた。上京してきた口羽や両専務理事の意見も同じだつた。多田社長は、『かねがね言つた例のやつ、至急やらないかん時期がきた、至急やりたい。』とも言つた。この例のやつというのは、これまでの理事会でもきまつていた諸先生に対するLPG関係謝礼のことなのです。」の旨、「多田社長が、ここで至急やらないかんといわれた意味は、一つには、今国会では石油ガス税法案の成立は免れそうだとしても、今後の国会では審議されることは間違いなく、いよいよ年末に近づいていけば、それだけ大蔵省などからも早く成立させようという動きがでてくることは明らかなのでこの石油ガス税法案を国会審議の場で廃案、否決若しくは業者側有利に修正して貰うためには一層関係先生方の御尽力をお願いしなければならない訳であつて、早い時期にこの点お願いしておこうということと、諸先生にLPG関係のこれまでの御尽力のお礼と今後の御尽力をお願いして、そのお礼として、お金を贈るのに、やはり中元の時期を選ぶのが最も世間体も自然ですし、それには八月一一日国会が閉会になつて、先生方が郷里に帰られるので、東京に居られる間に持つていつて、直接先生にお渡ししてお願いするのが最もよいということから時期を急ぐという点もあつたわけです。そこで、多田社長の発言に対し、私達も異存がなく、至急やりましようということであつたので、多田社長が、九日の理事会に発表して、一〇日に行こうと言われ、更に上京者としては、多田社長自らと、坪井、沢春藏、高士良治、口羽、井上、辻井とで行きたいといわれ皆も賛成し、私(多嶋)も賛成した。」旨、「八月九日の理事会では、私から井上専務理事に、諸先生に対するお礼の問題と金が集らないので多田社長に一部立替えてもらうことを発表させ、井上専務理事は謝礼をもつていく一一名の先生の名前と金額をそれぞれ発表した。多田からの提案もあつて五〇万円口一口分から二〇万円を減らし、二〇万円口二口分に一〇万円ずつ上積みした。」趣旨の、各供述記載があり、

(ニ) 同年一二月一三日付供述調書中、「拠出してもらうことになつていた金が全部集らず、先生方に対するお礼の金を計画どおり贈るにはまだ不足だつた。そこで八月九日理事会が行われる前に多田社長のところに行つてお金を借りる話をして出してもらうことにした。相互タクシーに行つて、多田社長に会い、先生方のお礼の金がいくらで、現在いくら集つているが、理事会でも承認をえた相互からの一〇〇万円の寄附を入れてもまだこれだけ足りないので、いくらかお立替願いたいとお願いし、そこで多田社長の承諾をえ、その場で寄附一〇〇万円と借入金一一〇万円の小切手を書いてもらつて、これをもらつて帰つた。」旨、の供述記載がある。

(2) 被告人多田の検察官に対する供述調書

(イ) 昭和四二年一一月二日付供述調書中、検察官の、昭和四〇年八月一〇日ごろの国会議員に対する献金について、献金する相手方議員の選定とその金額を決めるについて誰々と相談したのか、という問に答えて、「大阪タクシー協会の理事会で最終的には決めたものです。私は金だけ出して皆さんのよいようにしたらよいと割振り金額を決めてもらつたものです。私が口を出すと影響力が大きいのでまかせました。この皆さんというのは、多嶋会長、大手の同好会のメンバーである沢社長、坪井副社長、口羽社長、畑社長、高士常務、それにブロツク会長の宝上、谷、木元、増木らである。」旨、八月五日の同好会で献金の下打合せをしなかつたか、という問いに対し、「私自身は誰れになんぼと匙加減をしないから多嶋会長の事務局案が大体出来ていたように思います。多嶋君が我々に意見を聞いたように思います。同好会では荒筋を決めた程度と思います。理事会でどういうふうに発言したらよいかと大体の方向をきめたと思います。相手の先生の選定は馴染の多い先生を選んだのです。」旨、「昭和三九年一二月の年末献金が御破算になつたので、ここまで延びたのです。」旨の各供述記載があり、

(ロ) 同年一一月二九日付(一)供述調書中、「昭和三九年一二月の年末歳暮を取止めてこれが源となつて昭和四〇年八月に出している。」趣旨の供述記載があり、

(ハ) 同年一一月三〇日付供述調書中、「昭和四〇年六月末ごろには、協会には二〇〇万円位しか余裕金がなくなつていた。それで六月末ごろ、大タク協の理事会で、多嶋にたのまれて私から不足分の金集めの件を協会理事にはかつた、この理事会では一車輛当り四〇〇円位を割当て不足分を補う話になつた。ところが右の不足分の割当をしたものの未納分があつたのか、それでも足りないと多嶋が言つてきたので私方から一〇〇万円を頼まれて寄附してやつたことを覚えています。このようないきさつで八月一〇日の盆の中元献金の金を用意したわけです。」との趣旨の供述記載があり、

(ニ) 同年一二月一日付(一)供述調書中、取調検察官から昭和四〇年六月二八日の臨時理事会議事録に記載されている内容を読みきかされて、「この議事録中の、特別負担金の追加拠出について、私(多田)が発言してはかつております。これは、協会の多嶋会長から金を集める話なので私から言つてくれと頼まれて申したものです。この特別負担金の追加拠出というのが、昭和四〇年八月一〇日の盆の献金に当つての協会における余裕金が少なかつたので、不足金を集めるためのものだつたのです。」旨、「臨時理事会議題」40・6・28コクサイホテルと題する用紙一枚中に「特別報告多田理事」と記載されている部分のメモ書(いわゆる市田メモのこと)を読み聞かされ、「『この<4>現在LPG関係個人献金分が残つているので(五〇〇万)その中から三〇〇万出して本日その相談をすることとなつた。尚現在六〇〇万とは表面上で実際は会費未納があるので、六〇〇万は少し減少している』という報告は協会多嶋から渡されたメモを読んで報告したものです。LPG関係個人献金分というのは昭和三九年一二月の年末における先生方への歳暮献金をこの時期には取止めて延してきていたものを指します。」旨、「次に『右報告に対する各人意見』としてメモされている内容は、私の前述した特別報告に対して出席の理事諸君がこのような意見を述べてその結果三〇〇万円の事後承認およびこれを出したことによる個人先生への献金予定の資金不足額を埋めるための新規金集めを賛成する決議をするに至つた模様がメモされています。」旨、「この特別報告の件は全員賛成して決議された」、「以上の特別報告の件については、先程読み聞けの『臨時理事会議題』用紙中に他に洩れないように極秘にお願いするとメモ書されております。これは私から特に理事諸君に極秘にされたいと注意を与えて特別報告に入つたためです。業界紙に知られたりすると、相手方先生にいらぬ迷惑をかけることになる恐れがあるので、こういう注意を与えたのです。」旨の各記載があり、

(ホ) 同年一二月一日付(二)供述調書中、「昭和四〇年八月四日に私は上京した。そして、翌五日には初勢で協会の多嶋、井上、佐藤の三役をまじえて、私、坪井、沢、口羽、高士らが集つて同好会を開きました。そのあとの八月九日、コクサイホテルで行われた大タク協の理事会に私は出席しました。この理事会には、市田も理事の一員として出ている筈です。」旨、「右の八月五日の初勢の会合では右の協会三役をまじえて八月一〇日に持参上京した例の盆の中元献金の問題を内輪で最終的に話し合つて決めたと思います。これは八月九日の理事会に臨むに当つての下打合せでした。そして八月一〇日に献金しに行くことにしたのですが、この八月一〇日という日を選んだ理由は、翌一一日に国会が終る予定だということだつたので、代議士先生方が東京に居られるうちにしようということで、そのようにしたものと思つております。」旨、「八月九日の理事会では翌一〇日朝、私、坪井、沢、高士、口羽および協会側が上京して盆のお中元献金を持参することが決まつたと記憶します。」旨の各供述記載がある。

(3) 被告人多嶋の公判廷における供述

被告人多嶋は、公判廷(第八八回、第八九回、第九七回、第一〇〇回、第一一一回公判)において、次のように詳細な供述をしている。すなわち、昭和四〇年六月二一日に開かれた同好会では、大タク協が翌二二日になした本件とは別口の三〇〇万円の献金について協議したが、この三〇〇万円についても、同月二八日の大タク協臨時理事会で議決をえられれば大タク協が負担するということにし、二二日の段階では一時相互タクシーに立替えてもらうことにしたもので、このとき、LPガス税法案でお世話になつた先生方にお礼として渡すためにプールしておいた資金に不足をきたすようになるとか、この不足分を会員会社から集めるというような話はでていなかつた、六月二八日の臨時理事会では、大タク協として右の三〇〇万円の献金をすることを事後承認し、慣例にのつとり、この三〇〇万円の支出分について特別負担金として各会員会社から徴収することを決定し、その額はおおむね一車輛当り四〇〇円の見当となることが発表されたが、その審議、決定の過程において、LPG課税法案の審議を通じて御尽力願つている国会議員に金を差上げる必要があるとかその資金をどうするかなどについての協議は行われていない、同年七月二〇日午後から大タク協の定例理事会を開催する予定になつていたところ、私(同多嶋)が大タク協会に出勤して間のない午前一〇時から一一時ごろまでの時間に沢春藏日本交通社長から電話で、「お盆も近いが、お世話になつた先生(国会議員)に何かする予定があるか、」、「他の先生(国会議員)に献金しておいて、普段お世話になつている先生(同上)に何もしないのはおかしくないか。」といい、さらに同人から、「今日の理事会の前に、主だつたものに集つてもらつて相談しよう。」といわれたので、直ちに同好会のメンバーや各グループの代表に電話で理事会の前に集つてもらうように連絡したところ、被告人多田は不在で連絡がつかなかつた、そして同日の理事会のはじまる前に被告人多嶋、沢春藏、坪井、口羽や各グループの代表らが集つたが、その席上、沢春藏が提案し、中心となつて、被告人関谷、寿原正一に関し各一〇〇万円を含む一一名の国会議員の後援金に対し合計五二〇万円を献金することとその献金先およびその金額の相談がまとまり、その際当時大タク協には資金の余裕が約一九四万円しかなく、同日の理事会で正式に徴収額を決めることになつている六月二八日に決定した特別負担金も近々徴収できる見込みのつくものはそのうちの一〇〇万円程度であつたことから、沢春藏の提案で相互タクシーから二〇〇万円の寄附をもらおうということになつた、同日の理事会において右の相談の結果を報告し、同理事会において、被告人関谷、寿原正一に関し各一〇〇万円宛を含む合計一一名の国会議員に対し合計五二〇万円を献金すること、その献金先と金額、献金実行日を八月一〇日とすることがいずれも決定され、また、六月二八日の臨時理事会で決定した特別負担金について、井上専務理事から、徴収額は三〇〇万円であるが未納分があることをみこして、その一割余り分を上のせして、三五〇万円位とし、一車輛当り、LPG車のみならず全車輛について、市域四二〇円、郡部三〇〇円とすることが報告され、この報告どおり承認して正式決定された、同年八月五日の同好会は同多田の要請により開かれたもので、同席上、同多嶋および沢春藏が中心になつて同多田に対し、七月二〇日の理事会のはじまる前の下相談や理事会の結果を話し、二〇〇万円の寄附を求めることをきめたことの了承を求めたところ、同多田は寄附は一〇〇万円で一〇〇万円は立替えとするといつたこと、八月九日の理事会において献金額の内訳を一部変更し、被告人関谷、寿原正一、外一名の計三名に関し各一〇〇万円とし、五〇万円口一口、三〇万円口三口、二〇万円口四口の一一名に関し合計五二〇万円とし、翌一〇日のこれが上京持参者を同多田、沢春藏、坪井、口羽、高士良治、井上大タク協専務理事、辻井大タク協総務課長とすることを決定した、旨の、供述をしている。

(4) 被告人多田は、公判廷(第一〇一回、第一〇八回、第一一〇回公判)において、要旨、次のような供述をしている。すなわち、七月二〇日は内閣観光政策審議会に出席するため、同日午前九時新大阪駅発のひかり号で上京したため同日の大タク協理事会並びに理事会の前に開かれたという相談の場には出席していなかつたので、その詳しい状況は知らないが、帰阪後、市田専務取締役から右の理事会のもようと不在中に相互タクシーに対し二〇〇万円の寄附を要請する旨きめられたことをきき、意外に思い、その間の事情をきくため八月五日に同好会を開くように被告人多嶋に連絡した、もとより同多嶋から一一名の国会議員に対する金銭贈与或いは献金などに関する相談をもちかけられたことはないし、同多嶋からも同被告人が作成したという案についてきいたこともない、八月五日の同好会で、寄附を求められていた二〇〇万円中一〇〇万円については寄附の求めに応じることにしたが、一〇〇万円については応ぜず、一時立替えておくことにし、八月一〇日に上京するのに同行を求められた、この同好会で上京日をきめたものではない、八月九日の理事会で翌一〇日の上京者を決定した、旨供述し、六月二八日の臨時理事会のもようについては、おおむね被告人多嶋と同旨の供述をしている。

2 そこで検討するに、

(1)(イ) 六月二一日の同好会の席上、被告人多田が、出席した同好会会員らに対し、「外にこれまでお預けとなつていた個々の先生方のお礼をほつておくわけにはいかない。三〇〇万円出すとなるとまた金集めをしなければなりませんな。」と言つたという被告人多嶋の右の供述調書の記載の虚偽性をうかがうに足りる証拠はない。

(ロ) 被告人多田の前記一二月一日付(一)供述調書中の六月二八日の臨時理事会における「私から特に理事諸君に極秘にされたいと注意を与えて特別報告に入つたためです。業界紙に知られたりすると、相手方先生にいらぬ迷惑をかけることになる恐れがあるのでこういう注意を与えたのです。」という供述調書の記載部分について、被告人多田は、公判廷において、検察官に対してこのような供述をなすにいたつたのは、取調検事から「臨時理事会議題40・6・28コクサイホテル」と題する用紙に記載されているメモ書(以下市田メモという。)中にある「他に洩れないように極秘にお願いする。」旨の記載があることをつかまえて、そのように言つているではないかと追及されたことにより、同多田としても、日頃から部下として信頼している市田実二郎が作成したメモにそのように記載されているというのであれば、自分が発言したものであると誤解して供述したものである旨の供述(第一〇一回公判、第一一四回公判)をしている。検察官に対する右の供述調書中の右記載部分は、同供述調書に明らかなとおり、右の市田メモ中の「特別報告多田理事」とある部分の読みきけをうけて、その記載につきこれを逐一説明する供述をした後、それにつづいて、「以上の特別報告の件については先程読み聞けの『臨時理事会議題』用紙中に『他に洩れないように極秘にお願いする。』とメモ書きされております。」と供述して説明をなした部分である。

ところが、この点について、証人河田日出男(同多田に対する取調検事で昭和四二年一二月一日付(一)供述調書の作成者)は、当公判廷(第一二〇回公判)において、同多田は、同証人の取調べを受けた際、同証人の面前で、市田メモの「特別報告多田理事」の部分を自ら用紙に書き写し、逐一それにもとづいて記憶を喚起して供述していたが、その際、同多田は、「特別報告多田理事」の部分の後に引きつづけて「右は他に洩れないよう極秘にお願いする。」と書いていた旨証言しているし、右の市田メモは、一枚の用紙を上下に二段に分け、下段の右側に「特別報告多田理事」と見出しをつけてその報告が記載されて四角の枠囲いされ、上段の真中辺りに「特別報告続」の見出しをつけてこの部分も四角い枠囲いされており、この上段の枠囲いの外の右側に、「右は他に洩れないように極秘にお願いする。」と記載されているのであつて、この市田メモにこれが記載されている位置にかんがみると、右の記載は、そのすぐ右側部分に記載されている会長の報告記載を受けているものと解されるし、当時会長であつた同多嶋は、この「右は他に洩れないよう極秘にお願いする。」という文書は会長として報告した際同多嶋自らがそのように述べたものが記載されていると供述(第八八回公判)しており、市田メモを作成した証人市田実二郎も多嶋会長の報告発言をメモしたものである旨証言(第六〇回公判)しているのであつて、このような事実の認められるもとでは、一二月一日付(一)供述調書中の前記の記載部分は、同多田の誤解にもとづく供述の記載である疑いが強く、その部分は信用し難いといわざるをえないが、しかし、そうであつても、右の部分を除くその余の部分については、証人河田日出男の証言から明らかなとおり、同多田は自ら記憶を喚起して供述していたことが認められ且つ、それが錯誤にもとづく事情もうかがわれないし、その供述の信用性を損うべき事由も見出し得ない。ことに、六月二八日の臨時理事会に関するその余の部分は、坪井準二の検察官に対する昭和四二年一二月一日付(一)供述調書、井上奨の検察官に対する昭和四三年一月一一日付供述調書の各関係部分の記載ともよく符合しているところであるから、充分信用できるものであり、同臨時理事会において、同多田において、同多田や同多嶋が検察官に対して供述しているごとき発言をしたことは、認められるところである。

(2) そこで、被告人多田の六月二一日の同好会の席上における右(1)掲記の発言や六月二八日の臨時理事会における同多田(一二月一日付(一)供述調書、前記1の(2)の(二))や同多嶋(一二月九日付供述調書、前記1の(1)の(ロ))が検察官に対して供述しているごとき前記の発言によると、同多田としては、その際、すでに、同三九年一二月に中止した同関谷、寿原正一らの国会議員に関する金員供与を行いたいと考えていたと認められ、右の同好会や臨時理事会に出席して同多田の発言をきいていた同多嶋や出席者のうちには、同多田のこのような心情を察知していたものもいたことは容易に認められるところである。しかしながら、右の同好会や臨時理事会における同多田の発言は、いずれも殆んど六月二二日に行つた三〇〇万円の献金の資金をどうするかに関すること(当時大タク協にある余裕金から出すことおよびこの三〇〇万円分を会員会社から徴収するかどうかということ)であるし、金員を供与する相手方に関する具体的内容に関する話もでていないのであつて、その過程において大タク協の当時の資金状況の説明がなされたものであり、これらの発言をもつて直ちに同関谷、寿原正一らに関する金員供与にかかる提案であると解することはできないし、もとより、八月一〇日に行つた同関谷、寿原正一らに関する本件の共謀に至る発端であるとはいまだ認めがたい。

(3) 次に昭和四〇年七月二〇日のことにつき、

大阪タクシー協会第五二回定例理事会議事録、内閣総理大臣官房審議室作成の昭和四〇年七月二〇日第一回観光政策審議会議事録と題する書面二葉によると、被告人多田は昭和四〇年七月二〇日午後一時三〇分から東京で開催された第一回観光政策審議会に審議会委員として出席しており、同日の右大タク協理事会やその前に開かれた選衡委員らの集りには出席していないことは明らかであり、議事録と題する桜井ノート中の七月二〇日の理事会に関するメモの中に、「相互社長二〇〇万円寄附」、「承認もらわず寄附してもらう」旨の記載があり、この「相互社長二〇〇万円寄附」の記載が井上専務理事の、「先の上京献金したその后の分」として六月二二日に行つた三〇〇万円の献金、「先生方一一名五二〇万」、「職員のひろう(いろう((慰労))の誤記と思われる)五〇万」など、当時すでに大タク協から支出し或いは近く予想される支出に関する報告の次に記載され、その後にさらに「承にんしてほしい事項一両四二〇、ー、三〇〇、ー、三五三万円)と記載されていることにかんがみると、同理事会で決定した一一名の国会議員に対する金員供与を果たすためには合計五二〇万円を必要とするところ、大タク協に政党献金に充てるため徴収した特別負担金の残りが一七一万円しかなく、これに、同理事会で正式決定した特別負担金三五三万円のうち、近々に徴収しうる見込の金額を加えてみても、右の五二〇万円には到底ほど遠いもので、なお二〇〇万円程度不足する状況であつたため、相互タクシーの社長の被告人多田が不在で同被告人の承認がないのに、出席理事が相互タクシーから二〇〇万円寄附してもらうことを決めてしまつたことは、いずれも、これを推認するに難くなく、これを覆すに足る証拠もない。そして、「八月五日の同好会において、七月二〇日の自分の不在中の理事会で寄附を要請する旨決められていた二〇〇万円について同多嶋や沢春藏からことのいきさつをきき、二〇〇万円のうち一〇〇万円については寄附の要請に応じるが一〇〇万円についてはその要請には応じず、一時大タク協に貸付けることにし、その旨同好会会員の了承をえた。」趣旨の同多田の公判廷における供述は信用しうるものであり、右供述の信用性に疑いをいだくに足る証拠も存しない。

そこで、右に認定した事実にもとづいて、被告人多嶋らの検察官に対する前示関係供述を検討する。

<A> 被告人多嶋の一一月一日付供述調書には(沢春藏の一二月四日付(二)供述調書、高士良治の一一月二五日付供述調書、谷源治郎の一一月二八日付供述調書中にも)七月二〇日の選衡委員会および理事会に同多田が出席しており、金員を供与する国会議員の氏名やその金額を決定した中心になつていた旨の供述記載が存するが、これらの供述部分は、前記認定した事実に反しており、措信できないというべきである。

<B> 被告人多嶋の一二月一一日付供述調書によると、同多嶋は、七月二〇日の選衡委員会の二、三日前にどの先生にいくらの金を贈るかについての案をつくり、井上専務理事に示して相談したところ井上専務理事も結構だといつた、その案をつくるに際しては、六月二八日の理事会で不足分を集めようということになつていたので、その予算の範囲内でどの先生にいくら贈るかという案をつくつたものである、七月二〇日の理事会の当日あらかじめ前の選衡委員の人達に電話をして早い目に理事会の会場に来てもらうことにしたところ、多田社長は今日は都合が悪くて理事会に出られないということだつたので、案の内容を話してそれでよいという了解を得た、旨の各供述をしている。

ところが、同多嶋は、昭和四〇年六月二八日の臨時理事会の席で井上専務理事の報告をきいて当時大タク協の余裕金が一七一万円程度しかないことは知つており、一車輛につき四〇〇円程度の割合で特別負担金約三五〇万円を徴収することを決定しても、その全額を早急に徴収することは到底不可能であることはそれまでの特別負担金を徴収してきた経験や経緯から知つていたと認められるし、前記で認定説示したように当日(七月二〇日)の理事会でも五二〇万円を近々に確保する見込みがたたず二〇〇万円程度の不足をみ、同多田が不在中で承諾をとりつけることができないにもかかわらず、同被告人に二〇〇万円の寄附を頼むことにし、ようやく五二〇万円の工面がつくことになつたのであり、また、同多嶋がこの案を作成するに際し、同多田にこの不足分の拠出を頼んでいたことを認めるに足る証拠もなく、同多嶋も公判廷において、事前に供与先や供与金額に関する案を作成したことはないと供述しているのであつて、かかる諸事実にかんがみるとき、七月二〇日の選衡委員会に先立つて、予め、どの国会議員にいくらの金額を贈るかについての案を作成したという同多嶋の検察官に対する前記供述調書(昭和四二年一二月一一日付)の記載には疑いをいだかざるをえない。そのうえ、同多嶋はこの七月二〇日の当日あらかじめ同多田に電話して、同多田に案の内容を話して了解をえたと供述しているのであるが、この同多嶋の供述も、単に当日理事会の始まる前にあらかじめ電話をしたという一片の供述にすぎず、その電話をかけた時刻は何時ごろであるのか、同多嶋はどこからどこにいる同多田に電話をかけたのか、などについては全く供述しておらず(なお、検察官は論告において、朝早く同多田の自宅に電話をかけたと主張するが、電話をかけた時刻が朝早くであることおよび電話をかけた場所が同多田の自宅であるという供述は全く存しない。)、右の事実が同多田の共謀にかかわる重要な事実であることや、前記で認定したように当日(七月二〇日)同多田は午前九時に新大阪駅を出発していることも明らかであり、公判廷において、同多嶋は同日同多田と連絡をとつたことはないと供述し、同多田も同多嶋から連絡を受けたことはないと供述しているのであつて、かかる事実のもとでは、同日(七月二〇日)事前に同多田に連絡して案の内容を話して同多田の了解をえたという同多嶋の検察官に対する供述の信用性にはなお疑いが存するというべきである。結局、被告人多嶋の一二月一一日付供述調書中の右記載部分(本項<B>の冒頭に掲記した同多嶋の供述部分((贈与金の配分案を作つた。多田も了解している。)))は、にわかに措信し難いというのが相当であり、したがつて、また、関係証拠中井上奨の検察官に対する昭和四三年一月一二日付(一)供述調書中の「この理事会の数日前に大阪タクシー協会で多嶋会長よりどの議員先生に幾額贈るかをきめた案を書いた紙を見せられました。」という供述の信用性にも疑いが存するといわざるをえない。

<C> 被告人多嶋の一二月一三日付供述調書中、「八月九日被告人多田にまだ一一〇万円不足すると話して一一〇万円の立替えをたのんで承諾をえた」旨供述しているが、そのうちの一〇〇万円については本項(3)の冒頭において認定説示したとおり、八月五日の同好会においてすでに同多田が一時立替を約束していたのであつて、八月九日同多嶋が同多田に対して新たに立替を頼んだのは一〇万円であるというべきである。

<D> 被告人多田の一一月二日付供述調書(前記1の(2)の(イ))中の供述は、その供述自体は、昭和三九年一二月の年末供与のときの事実や同四〇年六月二八日の臨時理事会、七月二〇日の理事会、八月五日の同好会における事実などを混同して供述している節がうかがわれ、しかも供述が漠然とし抽象的であるきらいはあるが、それでも、一一月三〇日付供述調書、一二月一日付(一)供述調書、同日付(二)供述調書の供述は、かなり具体的詳細であるし、これらの供述調書中の供述には、前記2(1)において指摘した昭和四二年一二月一日付(一)供述調書中の一部(六月二八日の理事会の冒頭に極秘にされたいと注意を与えた旨の記載部分)の供述を除き、格別その信用性に疑いを差しはさむべき事情もうかがわれない。

(4)(イ) 被告人多嶋が七月二〇日の理事会の前に同好会のメンバーや各グループの代表者のいわゆる選衡委員を集めた経緯について、同多嶋の検察官に対する供述調書(昭和四二年一一月一日付、一二月一一日付)によると同多嶋が自ら思いついた趣旨の供述をし、沢春藏も検察官に対する供述調書(一二月四日付(ニ))において、その前日に同多嶋から相談したいことがあるから来てもらいたい旨の連絡があつた旨同多嶋の右の供述に副う供述をしているが、他方、同多嶋、証人井上奨(第三三回、第三五回)は、公判廷において、いずれも、当日の午前一〇時ごろから一一時ごろまでの間に沢春藏から理事会の前に主だつた人に集つてもらつてほしいとの申入れがあり、この沢春藏の提案によつて右の選衡委員にその旨の連絡をした旨供述しているし、この選衡委員を集めたそもそもの発端が同多嶋の発意によるものであるのか、沢春藏の提案或いは助言によるものであるかについては、証拠上、確定し難いところではあるけれども、いずれにしても、同日、コクサイホテルでの理事会の開催に先立つて、同多嶋、沢春藏、坪井準二、口羽玉人、高士良治、谷源治郎らが右会場に集つてこの場で、沢春藏、同多嶋が専ら中心となつて、盆の時期が近づいているので盆の時期には日頃お世話になつている先生方に関し、金員を供与しようという趣旨のことを提案し、国会議員に関し金員を供与する協議をし、同三九年一二月に計画したがやむなく中止したときの案を参酌して同関谷、寿原正一に対し各一〇〇万円を供与することを含め、一〇〇万円口三口、五〇万円口二口、二〇万円口六口とする一一名の国会議員名とそれに関し供与すべき各金額を決定し、その資金には当時大タク協にあつた余裕金一七一万円と六月二八日の臨時理事会で出席理事の内諾をえ当日の理事会で徴収を正式決定をする特別負担金約三五二万円を当てることとしたが、右の特別負担金の全額を早急に徴収することは到底不可能であり、近々徴収できる見込みがあるものを考えても、二〇〇万円程度不足することから、沢春藏が同多田に話をつけて二〇〇万円を寄附してもらうことにしようといいだし、全員が賛同し、同日午後開催された理事会で、選衡委員会で協議し了承した結果が報告され、理事会においても了承され、これを行う具体的日時までは決められなかつたが、盆までの適当な日(会議録と題する桜井ノート中の七月二〇日の理事会に関するメモ中に「徴収について盆まで」という記載、第三七回公判調書中の証人井上奨の供述記載)に行うことも併せて了承されたことは、いずれも関係証拠により認められる。

(ロ) この理事会の模様を市田実二郎からきいた同多田は、自己の不在中に二〇〇万円もの多額の寄附の要請がきめられたことから、そのいきさつの詳しい事情をきき、それに対する意見をのべ、対処するため、八月五日に同好会を開くように同多嶋に手配を頼み、同日夕方から同多田、同多嶋、坪井準二、沢春藏、口羽玉人、高士良治、井上奨らが出席して初勢で開かれた同好会の席上、同関谷、寿原正一に関し各一〇〇万円を供与することを含め、国会議員三名に関し各一〇〇万円、同二名に関し各五〇万円、同六名に関し各二〇万円をそれぞれ供与することを決めたことをきいてこれに賛同するとともに、二〇〇万円の寄附を要請することがきめられていたことについては、一〇〇万円はその要請に応じることとし、一〇〇万円については一時立替えることとしたことも前認定により明らかであり、右の同好会において、同多田が一〇日に行つてはどうかといつたこともあつて、同月九日の理事会にはかり同月一〇日に盆の挨拶をかねて上京して右の同関谷、寿原正一ら関係国会議員に関する金員供与を行うことを決めたことは、関係証拠とりわけ被告人多嶋の昭和四二年一二月一一日付供述調書、坪井準二の一二月一日付、一二月四日付各供述調書、高士良治の一一月二五日付供述調書、同多田の一二月一日付(二)供述調書により認められるところであり、右認定に反する被告人多田、同多嶋の公判廷における供述は右認定を左右するに足りない。

(ハ) 八月九日、大タク協では、七月二〇日の理事会で決定した特別負担金のそれまでの徴収状況をみて、八月五日に被告人多田が約束した一〇〇万円の寄附と一〇〇万円の一時立替分を加えてもまだ不足するため、同多田に更に一〇万円の立替を頼んで了解をえ、即日(八月九日)辻井初男総務課長が相互タクシーを訪れ、右の寄附分一〇〇万円および立替分一一〇万円を同時に受領し(相互タクシー経理部出金伝票綴中、No.011606. No.011607の各出金伝票)、資金の準備をととのえた。

同日午後二時から大阪コクサイホテルで開かれた大タク協第五三回定例理事会に被告人多田、同多嶋、井上奨専務理事、坪井準二、口羽玉人、沢巌各理事ら、高士良治理事代理らが出席したが、席上井上専務理事より同関谷、寿原正一に関する各一〇〇万円を含む国会議員一一名に関し一〇〇万円口三口、五〇万円口二口、二〇万円口六口とする議員名とその各供与金額の明細が報告されたが、同多田の提言により五〇万円口一口を三〇万円口に減額するとともに同多嶋らの提案により二〇万円口二口に各一〇万円宛加算して修正し、結局、同関谷、寿原正一に関し各一〇〇万円を含む国会議員一一名に関し、一〇〇万円口三口、五〇万円口一口、三〇万円口三口、二〇万円口四口として供与することとしてその議員名と供与金額を決定するとともに、三〇万円口一口の議員を除き、その余の一〇名の議員に関しては上京して、盆の挨拶を兼ねることとし、併せて同多田の提案で翌一〇日に上京するものを同多田、坪井準二、沢春藏、口羽玉人、高士良治、井上専務理事、辻井総務課長とすることを出席者全員が了承したが、同多嶋は病気のためやむなく、上京者の中には加わらなかつた。沢春藏が右理事会に欠席していたことから、同多嶋は右沢巌に対し沢春藏に右の理事会での右の決定を伝え、翌一〇日上京して同多田らと一緒に同関谷ら右の国会議員に関する金員供与に加わるよう頼んでほしい旨指示し、沢春藏も同日のうちに沢巌から右事実をきき、翌一〇日上京して同多田らと金員供与を行うことを了承した。

そして、同日、辻井総務課長は、大タク協の前記資金のうち、右の上京して供与する一〇名分の合計四九〇万円を住友銀行上町支店から同銀行東京支店へ電信送金した。

以上の各事実は前示関係証拠により認められる。

3 以上認定説示したところから、被告人多田、同多嶋らの同関谷および寿原正一に対する本件金員供与に関する共謀の成立過程における発端は、同多嶋については七月二〇日の選衡委員会であり、同多田については八月五日の同好会であるということはできるが、同多田および同多嶋の本件の共謀そのものは、八月九日の理事会の席で遂げられたものであると認めるのが相当である。

二 実行行為について、

(一) 辻井初男は、八月九日に上京して都内のホテルに宿泊し、翌一〇日の午前中、住友銀行東京支店において、前日大阪から電信送金していた四九〇万円を一万円札四九〇枚で受領し、午後零時三〇分ごろまでには有明館に入り、同旅館で、そのころ同旅館に来た井上奨に手伝つてもらつて、右四九〇枚の一万円札を、あらかじめ大阪で準備してきた金銀の水引のついた金封大小一〇個の金封に入れ、一〇〇万円入り三個、五〇万円入り一個、三〇万円入り二個、二〇万円入り四個の金封を作つて準備したが、右の金封の表下段には、いずれも大阪タクシー協会と墨書され、五〇万円口には、さらに兵庫県乗用自動車協会と添え書されていたこと、同日午後一時ごろまでには、被告人多田をはじめ、沢春藏、坪井準二、口羽玉人、高士良治、吉村良吉(京都相互タクシー株式会社の常務取締役で、被告人多田の秘書役)も同旅館に集つたことは、いずれも前掲の関係証拠により認められるところである。

(二) 金封の表書

1 金封の表上段に、「御中元」と表記したことをうかがわせる証拠として、(イ)辻井初男の検察官に対する一二月一二日付供述調書中「私がその袋の表に墨で書いたのですが、この前、若林検事に申しあげた時は後援会会費と書いたように申しあげました。しかし、その後よく考えてみますと、後援会会費ではなく、お中元と書いたように思います。お中元と書くようにたしか多嶋会長からいわれたと思います。大阪タクシー協会としてはいずれの国会議員の先生方のいかなる後援会にも入つていませんでしたからそれまでに後援会会費を協会が払つたことはありませんし、又それ以后も現在まで後援会費を納めたことはありません。」との供述記載、同人の一二月一四日付供述調書中「この前申し上げましたように多嶋会長から言われた通り一一個ののし袋の上部に御中元と書いたのであつて、一一名の先生方の後援会の名前を夫々書いて『政治献金』と書いたことはありません。又『松山会政治献金』と書いたこともありませんし、『寿政会政治献金』と書いたこともありません。」との供述記載があり、(ロ)井上奨の一月一二日付(二)供述調書中「この両方の金封の表には、御中元大阪タクシー協会、と墨で書いてありました。」との供述記載があり、(ハ)、被告人多嶋の検察官に対する一二月一三日付供述調書中「私は辻井に金封の表側に、御中元大阪タクシー協会と書き、裏側に金額を書くように言いました。辻井は私が言つたとおり墨で書いておりました。」との供述記載があり、同被告人の一二月一五日付(一)供述調書中「この金封に御中元と書いたことは間違いありません。その後、思い出したのですが、この金封にお中元と書くことについては、電話で多田社長に相談した覚えがあります。私としては、折角買つてきた金封に私だけの判断で字を書いてその後になつて多田社長よりそれではまずいと言われては金封が無駄になつてしまうと思いましたので、私がお中元と書こうと思い、辻井にそれを言いつける前に電話で多田社長に連絡をとり、お中元と書きましようかと言つて相談し、多田社長よりそれでいいでしようと言われて、それから辻井に書かせた覚えがあるのです。」との供述記載がある。

2 ところが、辻井初男は公判廷において、「私が墨で水引の上に後援会会費と書いた」(第二八回公判)、「のし袋に後援会会費と書いたのは、これまで個人後援会に対するときは、後援会会費という書き方を従来ずつとしてきたし、前にも後援会のときは後援会会費と書くように指示されてきた」趣旨(第三一回公判)の各証言をし、井上奨は公判廷において、金封の表書は「後援会会費大阪タクシー協会」としてあつた(第三四回公判、第三七回公判)と証言し、被告人多嶋は公判廷において、「金封の表には後援会会費と書いてあつた。」、「多田に相談することなく慣習に従つて後援会会費という表現で書いたものである。」趣旨(第一二二回公判)、「金封の上表について辻井に指示したことはない。」、「政治献金はこれがはじめてではなく、いつも後援会の会費として納めているので、このときも、前例によつて、やはり後援会献金というふうに書いてくれているものというふうに思つているので、あらためて、どう書くのかというふうなことを相談したような記憶は、本当にない。辻井からどう書きましようという相談をうけた覚えはない。」趣旨(第一二七回公判)の供述をしている。

被告人多田は、公判廷において、「のし袋には後援会会費と書いてあつた。お中元と書いてあつたのではない。」(第一〇一回公判)、「のし袋をみると、後援会会費大阪タクシー協会、と上書してあつた。」(第一〇八回公判)と供述し、同被告人の検察官に対する一二月一四日付(四)供述調書中、「のし袋は大タク協事務局が私の日頃の指示により政治献金という押印か筆書して両先生の後援会の宛名にしておつた筈です。」、「いちいち見ていません。しかし領収証は全部後援会名で、きている筈ですからのし袋の上書も後援会名と思うのです。」旨の供述記載がある。

3 このように、金封の上書の記載について、これを記載したという辻井初男および金封の上書をみたという井上奨は、いずれも、検察官調書と公判廷においてでは相反する供述をし、金封の上書の記載にかかわつたという被告人多嶋も検察官調書と公判廷においてでは異なる供述をしている。そのうえ、辻井初男の前記一二月一二日付供述調書の供述記載からも明らかであるように、同人は「お中元と書いたように思います。」とか、「お中元と書くようにたしか多嶋会長からいわれたように思います。」と供述し、さらに同供述調書の記載自体、また第三〇回公判調書中の同証人の供述部分からも認められるように、同人は、検察官の取調において、当初から金封にお中元と記載した旨供述していたわけではなく、当初は後援会会費と記載した旨供述してその旨の供述調書が作成されていることを窺い知ることができるうえ、右の一二月一二日付供述調書によると、同人がこのように当初の供述を変えて「お中元と書いたように思います。」と供述するに至つたのは、大タク協としては、それまでに後援会会費を協会が払つたことはないし、又それ以后も現在まで後援会費を納めたことがない、というのがその理由の一つになつているようであるが、関係証拠によると、当時大タク協が後援会に献金をした場合には、経理担当者の辻井初男らは、後援会会費名目の領収証を貰つたり、帳簿や伝票上後援会会費として計上処理していたことも認められるので、辻井初男の右の供述部分は、同人の経理処理の実情に反することになり、このように辻井初男の検察官に対する供述を検討すると、同人の一二月一二日付、一二月一四日付各供述調書中の、金封にお中元と上書きしたという供述の信用性には疑問があるというべきである。また、被告人多嶋の前記一二月一三日付供述調書中の供述記載は、自分で辻井初男に御中元と書くように指示したというものであり、一二月一五日付(一)供述調書中の供述記載は、辻井初男に指示する前にお中元と書いてよいかと被告人多田に相談し、同多田がそれでよいといつたので、はじめて辻井初男に指示したというもので、お中元と書くように辻井初男に指示したという点に限つてみれば一貫しているようであるが、それでも、自己の判断のみで指示したのか、同多田の指示を仰いだうえで辻井初男に指示したものであるのかという経緯の点をも含めて検討すれば、必ずしも一貫した供述であるとはいいえないうえ、同多嶋は公判廷において、金封の上書をどのようにするかについて同多田に相談したり指示を求めたことはないし、辻井初男に指示したこともない旨、同被告人の検察官に対する右の各供述とは全く異なる供述をしており、同多田の検察官に対する供述調書を検討してみても金封の上書について同多田が同多嶋から相談を受けたり指示を求められたことに関する何らの供述記載もなく、検察官においてこの点について同多田に問い質した形跡も全くうかがわれないばかりか、同多田も公判廷において、金封には後援会会費と上書してあつたと供述し、同被告人の検察官に対する供述調書中にも後援会会費と記載されていた筈であると供述しているのである。

4 叙上のように検討してみると、金封の上書にお中元と記載したという辻井初男および被告人多嶋の検察官に対する各供述調書中の記載や、金封にはお中元と記載してあつたという井上奨の検察官に対する供述調書中の記載によつて、直ちに、金封の上書に御中元と記載されていたと断ずるには、なお疑いが存するといわねばならない。また後援会会費と上書してあつたことも認められない。

(三) 寿原正一に関する金員供与について

1 前掲証拠中の関係証拠によれば、八月一〇日、前記のように、有明館に集つた被告人多田、沢春藏、坪井準二、口羽玉人、高士良治、井上奨、辻井初男、吉村良吉は、タクシー二台に分乗し(被告人多田、沢春藏、坪井準二、吉村良吉が一台に、口羽玉人、高士良治、井上奨、辻井初男が他の一台にそれぞれ乗車した。)、午後一時二〇分頃、有明館を出発し、午後一時半過ぎごろ、東京都千代田区霞ヶ関三丁目七番地所在のグランドホテル内三一二号室に設けられていた寿原正一の事務所前に赴いた(なお口羽玉人、高士良治、井上奨、辻井初男が乗車したタクシーは、行き先を間違えて衆議院第一議員会館の方へ行つたが、すぐ引き返してグランドホテルに到着し、同多田らと合流した。)。吉村良吉は、グランドホテル前で被告人多田の指示により、直ちに、右の一台のタクシーで、衆議員第一議員会館へ向い、辻井初男は、グランドホテルの寿原正一の事務所前の廊下で、持参してきた現金入りの金封一〇包を入れた鞄を井上奨に託したあと室外の廊下で待機し、高士良治は、同事務所まで同行しながら、別の用事でグランドホテル内の他所にある公衆電話を使うため同多田らと一人別れた。そして、同多田、沢春藏、坪井準二、口羽玉人、井上奨は寿原正一の事務所内に入室し、同多田は同事務所内で井上奨から現金一〇〇万円入りの金封一個を受取つた。以上の事実は、いずれも認められる。

2 金封授受の状況について

(イ) 被告人多田は、公判廷において、「私は、寿原に対し、『一寸これを後援会に入れておきます。』といつてのし袋を寿原にみせて、そばにいた山岸寿政会幹事長に渡し、『タクシー協会に領収証を送つて下さい。』といつたように思う。寿原は、いつもありがとうといつたと思う。その際、私らは、中元の挨拶に行つただけであるので、寿原に対し、LPG課税法案に関して何も話していないし、たのんでもいない。寿原はLPガスのことは大いにやつているといわれたかも知れないが記憶にない。寿原のところには一五ないし二〇分くらいいたと思う。」旨の供述をし(第一〇一回公判、第一〇八回公判)、寿原正一は、被告事件に対する陳述に当つて、受取つたことを否認する旨の陳述をしている。

沢春藏は、公判廷において、「多田が寿原に対し、『今日は献金に来た。』、『ほんのわずかだが後援会に入れて下さい。』といつて、井上から受取つた金封を寿原に渡した。多田は寿原に対し金封を手から手へと渡したのか、寿原の前の机の上に置いて渡したのか、そこのところははつきりとはしない。寿原は私達に対して『ありがとう』といつていた。そして寿原は、その金封を手にとつて傍にいたのちに名前の判つた山岸に対し『後援会に入れておけ』といつてその金封を渡した。」、「多田が寿原に挨拶したとき、多田は、寿原に対し、『いつもお世話になつている。』とは言つていたが、『今日はお礼に来た。』というようなことはいつていないし、また、寿原が山岸に金封を渡した際、寿原は『おいこれ』といつて渡したのではなく、『後援会に入れておけ。』といつて渡したものである。」旨の証言をし(第二一回公判)、

坪井準二は、公判廷において、「寿原の事務室は一つの部屋になつており、部屋の隅の方に秘書が一人いた。我々は部屋に入り、多田と寿原が向い合つて座つた。多田が我々を代表して寿原に時候の挨拶をし、それから、多田が有明館で用意してきた金包みを寿原に渡したところ、寿原は、その金包みをすぐその手で秘書に渡した。寿原が多田から金包みを受取るとき、寿原の態度は普通だつた。寿原は受取ると多田に何か言つたと思うが思い出せない。寿原が金包みを受取つた後、いろんな話をしていたが、その中にはLPG関係の話も出ていたと思うが、LPガスの課税法案に関する話が出ていたかどうかは思い出せない。寿原の部屋には二、三〇分位いた。」旨の証言をし(第一四回公判)、

井上奨は、公判廷において、「寿原の部屋に入ると、寿原は応接セツトの横に立つており、そしてその傍に、背の高い年輩の人と若い人の二人がいた。皆が寿原に時候の挨拶をした。多田は寿原に対し『今日は皆参りました。これをどうぞ先生の後援会に。』といつて寿原に金封を直接手渡した。寿原は、『ええ、どうもありがとう。』といつて受取つた。寿原はこの金封を受取ると、そばに立つていた背の高い人に『おい、これを後援会に。』といつてその金封を渡していた。寿原の部屋には三〇分間位おり、その間、寿原はいろいろのことをしやべつていたが、この寿原の話の中にLPガス課税法案の話がでたかどうかについては記憶にない。寿原の傍に立つていた人が『領収書は明日送ります。』といつており、その場では領収書はもらつていない。帰るとき入口まで送つて来たその男の人に私(井上)も『領収証をお願いします。』といつた。」、「私は、当時、まだ業界になじみが少なかつたので、山岸という人が、その場にいたかどうかについてはわからない。」旨の証言をし(第三四回公判)、

口羽玉人は、公判廷において、寿原の事務室における状況は余り詳しくは記憶にない趣旨の証言をしている(第九回公判、第一一回公判)。

(ロ) 被告人多田の検察官に対する昭和四二年一〇月二八日付(二)供述調書中、「私が代表して、寿原先生に、先生些少ですが御寄附します、御受取り下さい、といつもの私の常とう語を述べて協会が準備してきた一〇〇万円入りののし包みを私の手から先生に渡しました。その部屋ではやはり一五分か二〇分位先生と話をしていたように思います。」旨、一二月一四日付(二)供述調書中「寿原先生はLPガス反対運動の経過について、なにか例によつて風呂敷をひろげていましたが、どんなことであつたか覚えていません。」、「LPガス問題については、私からはなにも発言していないと思います。私からはLPガスの陳情も質問もしていないと思つています。このLPガス問題について皆さんの話や先生の話があつたか、なかつたか覚えていません。」旨、一二月一四日付(四)供述調書中、「山岸事務局長が先生と肩を並べていたように思い出しました。先生の自慢話をきいて退室するとき、この山岸事務局長に中元献金の水ひきののし袋を渡したのか、或は私が『先生これを後援会の方に出しておきますから。』と言つて一寸水ひきののし袋を先生に見せて事務局の机の上に出して領収証のことを依頼して渡したのか、そのいずれであるか充分に覚えていません。」、「私は先生に右のとおり一寸のし袋を見せて『先生これを後援会の方へ出しておきますから。』と言つた筈で、今日はお礼にきたなどとは言つていない筈です。」、「私の手から寿原に手渡したというようなことは供述していません、これは検事から詰められてそうなつたのです。私は大体私が渡したんやら、どうか判らないと言つていたのです。よんどころなくそうなつたのです。」、「私は政治献金で徹底してきているので、後援会に御寄附します、といつている筈です。検事が私の説明したことを間違つてとつたか、忘れたのではないでしようか。」旨の各供述記載がある。

沢春藏の検察官に対する一二月五日付(一)供述調書中「多田社長が金袋を、今日はお礼に来たのですが、これはまことに軽少ですがお納めねがいます、といつて寿原先生に手渡しました。寿原先生はありがとう、といつて、それを軽くおし戴く様な仕草で受け取られました。」、「そのあと、寿原先生は私達に例の勇しい調子でLPG問題はまるで寿原先生一人がやつたかの様に話しされたりしたのだと思います。」旨、一二月一三日付供述調書中「多田社長が、今日はお礼に伺いました、いろいろお世話になりましたが、これは軽少ですがお納め願います、といつて金包みを直接寿原先生に手渡されました。」、「寿原先生は多田社長からその金包みを受取ると、両手でそれを軽くおし戴く様にして、ありがとう、と礼をいわれました。そして、その後、寿原先生からいえば左側手前の机のところで立つていた五〇過ぎの背の高い男に、おいこれを、といつて渡されました。この五〇年配の人は山岸という人である。」、「そのあと、先生との間で雑談をはじめて間もなく私(沢)は部屋を出たので、先生がどういう話をされたかについては、はつきりした内容は知らない。」旨、一月一〇日付供述調書中「前回、寿原先生が金封を受取つた後傍に立つていた秘書に手渡し、そしてその秘書は山岸敬明という人のように申しましたが、確かにその人に間違いないかといわれると、確かにそうだとまでいい切れる自信はなく、ただ、寿原先生が傍に立つていた男の人に手渡されたということだけは間違いありません。」旨の各供述記載があり、

坪井準二の一二月一日付(一)供述調書中「多田さんが一同を代表して、いつもお世話になつております、今日はちよつと皆で参りました、といつて挨拶をした。それから多田さんが、これを些少ですがお中元です、どうかお納め下さい、というようにいつて金包みを差出しました。すると寿原先生は、それはどうも、というようにいつてその金包みを受取り、ちよつと裏をみて、包みの裏に書いてある金額を御覧になつたようでしたが、御好意有難う、というようにいつておられ、その包みを確か上着のポケツトに入れました。」、「そして、しばらくお邪魔していた際に寿原先生は、LPガスの課税法案についても自分一人で尽力してやつているのだといわぬばかりのような調子で、ガス税、という言葉でこの石油ガス税法案のことを呼びながら国会での模様を先生の方からいろいろ話しておられた印象があります。その法案についての見とおしのようなことも話が出たような気がしますが暫くして、それじや失礼しようということになり、多田さんが、いろいろお世話になりますが今後ともよろしくお願いします、というように挨拶し、私達一同も、よろしくお願いします、というように、口々に挨拶を申し上げてその部屋を出ました。」旨の記載があり、

井上奨の一月一二日付(二)供述調書中「多田さんが挨拶のあと、寿原先生に直接、これをどうぞ、といつて金封を手渡されたのをみました。寿原先生は多田さんが差出された金封を、どうもありがとう、といつて自ら手で受取られました。この状況はやはり金封のやり取りという場面なので自分の印象に残つており、この状況はよく覚えております。決して多田さんが先生以外の他の人に手渡したものではありません。それから寿原先生のそばに秘書の方が立つておられて、寿原先生はそのそばにおられる秘書の方にこの金封を手渡されたように思うのですが、この点絶対間違いないかと念を押されると絶対間違いないといい切れる自信はありません。寿原先生が受取つておられるまではたしかですが、それをすぐ人に渡したかどうかになるとちよつとはつきりしない点があります。」、「このあと寿原先生の部屋でどういう話がでたかという点ですが、どうしても思い出せません。しかし、二、三〇分位いたように記憶します。」、「私は山岸とは前から面識があるので山岸さんの顔を知つておりますが、この時寿原先生の部屋に居たかどうかについてははつきり申し上げられません。面識のある人なのですから、その場に居れば記憶に残ると思いますが、とにかくこの人が居たという記憶もありません。」旨の記載がある。

(ハ) 証人平野明彦は、公判廷(第五一回公判、第五二回公判)において、被告人多田はのし袋を寿原正一の方へ出したところ、寿原正一はそののし袋を手にすることなく、「寿政会の方は山岸さんだから。」といつたので、同多田はのし袋を山岸敬明の方へ出し、同人は「いやどうもありがとうございます。」といつて受取つたが、その際、寿原正一はもとより平野明彦もそののし袋を全く手にしていない旨証言している。しかしながら、平野明彦の証言によると、同人は検察官の取調べを受けた際、被告人多田らが八月一〇日グランドホテルに寿原正一を訪ねてきたかどうか記憶がないとか、当日大タク協関係者らが寿原正一に対しのし袋を渡したところはみていないとか、さらに当時山岸敬明が居たかどうかはつきりした記憶はないなど前記証言と全く異なる供述をしていたことがうかがわれるうえ、同人が公判廷において検察官に対しそのような供述をした理由についてなした説明も必ずしも首肯しうるものとはいい難く、ことに寿原正一が金封に全く手をふれなかつたという部分に関しては、証人沢春藏、同井上奨、同坪井準二の各証言にも反するのであつて、同平野明彦の前示の証言部分には、同人が寿原の秘書であつたことも併せ考えにわかに信を措き難いというべきである。

(ニ) ところで、寿原正一の後援会である寿政会の幹事長でその政治資金規正法にもとづく届出のある会計責任者になつている山岸敬明の検察官に対する各供述調書(一二月一三日付、同月一四日付、同月一五日付、同月二一日付、一月五日付、同月八日付)によると、山岸敬明は、昭和四〇年八月一〇日午後グランドホテルで被告人多田ら大タク協関係者が寿原正一に対し一〇〇万円を手渡したといわれる際、山岸敬明自身その場に立会つていたことはなく、もとより同多田ら大タク協関係者からこの一〇〇万円を受取つたこともないし、また寿原正一からも同人の秘書平野明彦からもこれを受取つたことはない、その後においても寿原正一や平野明彦からこれを受取つた事実はない、したがつて、その一〇〇万円は寿政会には入金されていないし、寿政会の金銭出納帳にも記帳されておらず、政治資金規正法にもとづく届出もされていない旨供述している。また同人は、公判廷(第四九回公判、第五〇回公判)においては、右八月一〇日グランドホテルにおいて、被告人多田から現金一〇〇万円入りの金封を受取つた記憶はなく、寿原正一からも同人の秘書からも寿政会に入金するようにいわれてこれを受取つた記憶はなく、その場に居合わせた記憶もないと証言し、さらにこの記憶がないということは、そのような事実がないということではなくて、そのような事実があつたのかなかつたのかという記憶がない、わからない、ということであるとも証言している。しかしながら、山岸敬明の証言や同人の検察官に対する各供述調書中の供述記載にかんがみると、それ自体から同人(山岸)の検察官調書中の供述は、その任意性に疑いを容れる余地はないし、しかも、その証言を仔細に検討してみても、結局において同人の検察官に対する前掲記の各供述を否定する趣旨のものではないことや、同証人の証言や前記検察官に対する供述調書から認められる、同人が検察官の取調に対して前示のごとき供述をなす決意をし、そのような供述をするに至つた動機、事情、経緯にてらし、かつ、寿政会の金銭出納帳(昭和四四年押第五四六号の40)、寿政会の収支報告書(昭和四〇年七月一日から同年一二月三一日まで)の写を検討してみても、本件の右の一〇〇万円につき、寿政会に入金になつていないし、政治資金規正法に基づく寿政会に対する寄附金その他の収入として所定の届出がなされた事実も認められないことにかんがみると、山岸の前示検察官調書は信用できるものと言わなければならない。

(ホ) 辻井初男は、被告人多田らが寿原正一の前記事務所を辞去した際、同事務所にいた同人の秘書の平野明彦に対し領収証を送つてくれるようにたのみ、その後八月中旬ごろ大タク協から電話で同人に領収証の催促をしたところ、平野明彦は山岸敬明にその旨伝え、同人は寿政会の経理担当者江間孝三郎から金額、日付、宛名を空白とした寿政会名義の領収証一通を平野明彦にとどけさせ、同人はこれを女子事務員をして大タク協に送付させたが、辻井初男は、右領収証の金額欄に一〇〇万円と、宛名欄に大阪タクシー協会と記入して大タク協の領収証綴りにつづり、通例のとおり会計帳簿処理をしたことは関係証拠により明らかである。

3 右2において叙述したところから、

(イ) 被告人多田がグランドホテルの寿原正一の事務所に持参してきた本件の一〇〇万円は寿政会には入金されていないし、八月一〇日当日、被告人多田らがグランドホテルの寿原正一の事務所に来た際、山岸敬明は同事務所にいなかつたし、坪井準二、井上奨の前示検察官に対する各供述調書中の前示2の(ロ)の記載によつても当時山岸敬明が居合せた事実は認められないのであるから、本件当日寿原正一の事務所で、被告人多田が本件一〇〇万円入りの金封を山岸敬明に直接手渡したという同被告人の公判廷における供述(この同多田の供述はもともと証人沢春藏、同坪井準二、同井上奨の各証言にも反し、その点からも措信できないところである。)、寿原正一が一旦同多田から金封を受取つたうえ傍にいた山岸敬明に対し「後援会に入れておけ。」といつて渡したという証人沢春藏の証言部分や同旨のことをうかがうことが出来る証人井上奨の証言部分、さらに同多田の一二月一四日付(四)供述調書中山岸敬明が居合わせたことを前提に述べている前記供述部分は、いずれもたやすく、措信できないというべきである。

(ロ) そこで、前に説示した証人坪井準二の前記証言、被告人多田の検察官に対する一〇月二八日付(二)、一二月一四日付(二)各供述調書、沢春藏の検察官に対する一二月五日付(一)、一二月一三日付、一月一〇日付各供述調書、坪井準二の検察官に対する一二月一日付(一)供述調書、井上奨の一月一二日付(二)供述調書によると、八月一〇日グランドホテルの寿原の事務所において、被告人多田は、同行して入室していた沢春藏、坪井準二、口羽玉人、井上奨を代表し、同人らの前で、寿原正一に対し「いつもお世話になつています。今日は皆で来ました。まことに些少ですがどうかお納め下さい。」といつてお礼に来た趣旨のことをのべて一〇〇万円入りの金封を寿原正一に手渡し、寿原正一は、「それはどうもありがとう。」といつて自らこれを受領し、その場では、傍にいた秘書に「おいこれ。」といつて渡した。そしてそのあと寿原正一は同多田らに対し、LPガス課税反対運動の経過や石油ガス税法案の今後の見通しなどについて、いかに自分一人が尽力しているかのような話をまじえながら、話をしたが、同多田らは二、三〇分間話をしたのち、口々に、「今後ともよろしくお願いします。」といつて挨拶をして同事務所を辞去したことが認められる。

4 寿原正一は、前記のように、被告人多田から一〇〇万円入りの金封を受取つたあと、その場では、この金封ごと傍にいた秘書に手渡したことが認められるが、寿政会の金銭出納帳(昭和四四年押第五四六号の40)を精査してみても、同四〇年八月一〇日に寿政会に一〇〇万円入金された旨の記載はないし、その前後にもその旨の記載もないので、寿政会に入金されておらず、また、寿政会の収支報告書(昭和四〇年七月一日から同年一二月三一日まで)の写を精査してみても大タク協から一〇〇万円の寄附を受けた旨の記載はなされていないので、政治資金規正法にもとづく届出もなされていないのであつて、他に特段の事情をうかがう証拠のないもとでは、結局寿原正一において右一〇〇万円を個人の用に供する目的で受領し、費消したものと推認せざるをえないのである。

(四) 被告人関谷に関する金員供与について

前掲関係証拠によれば、寿原正一に関する金銭供与を終えた被告人多田ら一行は、グランドホテル前に待たせてあつた前記タクシー二台に分乗して、直ちに同区永田町二丁目衆議院第一議員会館内三一五号室に赴き、同多田は、同室内の入口に近い秘書室で井上奨から現金一〇〇万円入りの金封を受取り、安永輝彦の案内で、同多田を先頭に沢春藏、坪井準二、口羽玉人、高士良治、井上奨が右秘書室を通つて、その奥にある同関谷の執務室に入つた。同多田ら一行が同関谷に最初に一礼した後、井上奨はすぐ秘書室に出て来たことが認められる。

1 次いで、金員授受のときの状況およびその後の事情についての証拠関係をみるに、

(イ) 被告人多田は、公判廷において、「関谷に挨拶をしたあと、私(多田)が『献金に来ました。これを後援会に納めていただきます。』といつて関谷の前のテーブルの上にのし袋を出したところ関谷は、『いつも、どうもありがとう。』といつた。そして二〇分ないし三〇分間位関谷と雑談し、辞去するとき、関谷がのし袋をとろうとしないので、私(多田)から『いかがされますか。どちらの後援会に入れますか。』といつたと思う。すると関谷は『多田さんに委せます。』といつたように思う。それで、私(多田)は関谷に対し『これは関西の方へ、入れておきます。』といつて一旦差出したのし袋をとり上げ、関谷の部屋を出るとき、井上に対し、『大阪の松山会に入れておくように。』といつてそののし袋を井上に渡した。したがつて、私(多田)はこの一〇〇万円は松山会関西支部に入金されているものとばかり思つていた。本件当日安永にのし袋を渡した事実はない。」旨(第一〇一回公判、第一〇八回公判、第一一〇回公判、第一一五回公判)、「そのときの関谷の話で記憶に残つていることは、関谷が八月一六日業界紙の主催で六甲山で行われるセミナーに出席して話をするからききに来て下さい、といわれたことくらいである。」旨(第一〇八回公判)、供述している。

被告人関谷は、被告事件に対する陳述において、本件一〇〇万円を受取つた事実はない旨陳述し、さらに、公判廷(第一二一回公判)において、「被告人多田の供述や関係人の証言をきき、また当日の面会証もでてきたので、多田ら大阪タクシー協会の関係者らが八月一〇日に私(関谷)のところに来て、多田が『これは関西松山会に入れておきます。』といつてもつて帰つた記憶がかすかに浮んできているのが、現在の状態である。」と供述している。

高士良治は、公判廷において、「関谷の部屋で多田が関谷に『暑中の挨拶にあがりました。』と挨拶をし我々も一人一人挨拶をした。多田は用意してきた金封を関谷の前のテーブルに差出し、『お盆献金に参りました。後援会の方へどうぞ。』といつた。関谷は『ありがとう。』といつた。関谷の部屋には二〇分近くおり、その間、関谷は六甲山ホテルで陸運局とタイアツプして講演会をするなどの話をしていたが、LPガス課税問題の話は一言もでていない。我々が関谷の部屋を辞去するとき、金封は関谷の座つている前のテーブルの上におかれたままだつた。我々が関谷の執務室を出たあと、秘書室で、多田が関谷の前に差出していた金封を『松山会に処理するように。』といつて井上に渡しており、私(高士)は、その状況を目撃している。のちにこの一〇〇万円が関谷の方から返されたということは、きいていない。」旨の証言(第四〇回公判、第四一回公判)をし、

沢春藏は、公判廷において、「多田が関谷に対し、『いつもお世話になります。今日はわずかですが献金にまいりました。どうぞ後援会の方へ入れて下さい。』といつた。関谷は『ああ、それはどうもありがとう。』といつていた。私(沢)はこのような挨拶があつた後、席を立つて同室を出たが、そのとき関谷はまだ金封を手にしておらず、したがつて、多田が金封を関谷に渡したのか、或いは安永に渡したのかについては、みていないし、わからない。」旨(第二一回公判、第二二回公判)、「私は、多田が関谷に金封を渡したところはみていないが、多田は関谷に金封を渡しただろうと思います。」、「当日、藍亭で、多田から、私が後援会長をしている国会議員に関する分として届けるように言われ、私(沢)は一〇〇万円入り金封一個を預つたが、その国会議員に会えなかつたため、八月一二日に大阪にもつて帰り、翌一三日に甥の沢巌に指示して大タク協に預つてもらうため多嶋会長に届けさせた。」旨、さらに、「私(沢)は昭和四〇年八月二〇日ごろ日本交通株式会社で多嶋会長に会つた。その当時多嶋から関谷に渡した一〇〇万円のことで何かきいたことがあるかどうかよく覚えていない。その当時関谷から一〇〇万円返してきたという話をきいたことがあるかもしれないが、もう覚えていない。そんなうわさはありましたけど、なんか聞いたことがあるかのように思いますけど、詳しいことは覚えておりません。だれがもつてきたという話は聞いていないし、安永がもつてきたという話は覚えていません。」旨(第二二回公判)の証言をし、井上奨は、公判廷において、「関谷の部屋を出るとき、私(井上)は多田に呼びとめられて、多田から『これを大阪の松山会に入れておくように。』といわれ、同人から金封を手渡された。」、「藍亭で大阪に送り返した一八〇万円の中の一〇〇万円はこの関谷の分である。」、「この八月一〇日に大阪に送金するとき、私(井上)は辻井に対し多田からいわれたことを指示したつもりでいたが、辻井はきいていないという。関谷分のこの一〇〇万円は大阪タクシー協会の銀行口座の中に入れて預金されたままになつた。」、「大阪に帰つたあと、東京における出来事、即ち、献金の事情、中止した事情については多嶋会長に報告していると思う。どことどこを廻り、どうしたという程度のことは報告していると思うが、具体的な話の内容までは覚えていない。」、「昭和四〇年八月一三日に大阪タクシー協会に一〇〇万円の金が入金になつている。辻井が入金手続をするとき、私(井上)は入金伝票に押印したが、そのとき辻井から、その金は日本交通の沢巌から多嶋会長に渡された金だときいている。この一〇〇万円は大タク協の取引銀行である住友銀行上町支店に通知預金していると思う。そして、この金は、翌四一年一月一八日ごろ、松山会の東京本部の事務局長の安永から松山会関西支部長をしている多嶋会長のところに電話があり、大阪の松山会においてもらつている一〇〇万円を東京本部の取引銀行に送金してほしいという要請があり、そのように送金手続をしている。」旨証言し(第三四回公判、第三五回公判)、坪井準二は、公判廷において、「多田が代表して関谷に時候の挨拶をした。挨拶が終つてから献金をした。この献金の仕方は、多田が関谷に包みを渡したのだが、その渡し方は、多田が直接関谷の手に渡したのか、或いは多田が関谷の前のテーブルにおいて渡したのか、その情景は、はつきりとは思い出せない。多田が関谷に包みを渡すとき多田がどのようにいい、関谷がどのようにいつたのかについては思い出せない。私(坪井)は関谷にその金包みを受取つていただけたと思つている。関谷はその金包みの受取りを拒む様子はなかつた。そのあと、関谷からいろんな話をきいたが、その話の内容については、よくは思い出せないが、運賃の問題、免廃の話、六甲ゼミナーの話であつたと思う。LPガスの話があつたとしても、運賃の問題、免廃の問題が主であつた。三〇分間位してから辞去した。」旨(第一四回公判)、「金づつみの授受の場面は、多田が金づつみをテーブルの上に置いたか、関谷が手にとつてそれをテーブルの上に置いたかである。しかし私がその部屋を出るときにその金づつみがどこに、どういう状態であつたかについては記憶にない。私(坪井)は八月一〇日のこの日には、関谷に受取つていただけたと思つていたのであるが、その半年か、五、六ヶ月後に、大阪タクシー協会で、何かの話のついでに、多嶋会長か井上か、辻井かのだれかから、関谷に献金した金は協会に返つているときいたが、それをきいて、

私(坪井)は、まあ選挙のときにでも使うので、預つておいてくれといつて来られたのかな、と簡単に考えていた。この返されてきた時期については、本件の裁判がはじまつてから八月一〇日の一日か二日か三日かその辺りだときいたと思う。」旨(第一五回公判)証言し、

辻井初男は、公判廷において、「藍亭で、井上から一〇〇万円二口は、寿原、関谷の後援会に献金してきたときいた。」、「大阪に一八〇万円を送り返したが、その中の一〇〇万円は関谷の後援会の分である。」、「一〇〇万円二口については、関谷と寿原の後援会に献金したと井上から説明を受けたかどうかはつきりした記憶はない。」旨証言(第二八回公判)をしている。

被告人多嶋は、「昭和四〇年八月一二日ごろ、井上から献金をしてきた状況の報告を受けたが、その際井上は、関谷の分は関谷に挨拶したあと、松山会関西支部に入金する旨ことわつてもち帰つた、といつていた。」(第八九回公判、第九〇回公判)、「この関谷に対する一〇〇万円は八月一二、三日ごろ松山会関西支部に入金する手続をしたと思います。」(第九〇回公判)、「井上は沢春藏が後援会長をしている国会議員に関する一〇〇万円は東京で沢春藏から届けてもらうようにたのんで、同人に手渡したと私(多嶋)に報告しており、八月一三日に沢巌が私(多嶋)のところに来て、沢春藏が後援会長をしている国会議員の分は近く選挙があるだろうからそのときまで協会で預つておいてほしい、といつて一〇〇万円を私に手渡したので、私は辻井にその旨指示して渡したところ、辻井は、通知預金口座に入れておいたと私(多嶋)に報告してきた。その後同四一年末に沢春藏が私(多嶋)のところに来て、あの金は入用になつたので返してほしいといつてきたので、辻井に指示して一〇〇万円の小切手で沢春藏のもとに届けさせた。」趣旨(第九〇回公判)、「八月一三日安永は大タク協には来ていないし安永から一〇〇万円を預つた事実もない。」旨(第九八回公判)、「東京から帰つてきた井上から報告をきいたとき、井上は、先生が留守であつたため差上げることができない分については大阪へ返送したといわれた記憶がある。しかしその中に沢春藏が後援している先生の分の一〇〇万円が含まれているときいたかどうかは記憶はないし、井上もだれの分とはいつていない。」趣旨(第一〇七回公判)の供述をしている。

(ロ) 検察官調書において、被告人多田の昭和四二年一〇月二八日付(二)供述調書中「私(多田)が代表して一〇〇万円入りの協会で用意したのし袋を先生些少ですがこれを御寄附します。御受取り下さいと述べて私の手から先生に手渡しました。二〇分位その部屋で皆椅子にかけて先生と話をしたと記憶します。」旨、一二月一四日付(ニ)供述調書中「関谷の事務所では私は心易い関係からあまり発言しませんでした。一寸耳に残つていることは、一億円献金にともなう自民党内の評判等を聞いたかと思いますが、他のことは余り記憶に残つていません。LPガス問題については、私からはなにも発言していないと思います。このLPガス問題について皆さんの話や先生の話があつたか、なかつたか覚えていません。」、「関谷に関する一〇〇万円の献金を渡して納まつているものと私は思つていたのですが、任意出頭取調の最終の頃、関谷の分は三日目に大タク協に返つているということを大タク協事務局の多嶋や辻井課長、井上専務から聞いた。私は右のことをきいても理由が明確でなかつたので、安永に照会したところでは、八月一〇日の中元献金の際原健三郎先生とのトラブルがあり皆表に出て協議した結果中止してもち帰るようになつたので、これに従つたようでありました。しかし、誰れがもつてきたのか、又大阪へいつきたのか、その辺りのことについては逮捕されて拘置所に入つてしまつたのできいておりません。」旨の、一二月一四日付(四)供述調書中「関谷に献金したのは、議員室の出入口にある事務局の秘書に渡したのか、又は私から関谷に一寸水ひきのし袋を見せて『先生これを後援会の方へ出しておきますから』といつて皆と退室する際に事務局に置いたと思います。献金をした場合、多分事務局に渡したと思う記憶が強いが充分覚えていない。」、「私の手から関谷に渡したというような供述はしていない。これは検事に詰められてそうなつたのです。私は、大体私が渡したんやらどうか判らないと言つていたのです。よんどころなくそうなつたのです。」、「私は政治献金で徹底してきているので後援会に寄附します、といつているはずです。検事が私の説明したことを間違つてとつたか、忘れたのではないでしようか。」の旨の供述記載がある。

被告人関谷の検察官に対する供述調書中には、終始事実を否認している趣旨の供述記載がある。

(ハ) 高士良治の検察官に対する昭和四三年一月六日付供述調書中「関谷の部屋に入る際、安永が秘書室にいた記憶があり、この安永が関谷に、我々を取り次いだとき、安永は、皆さんがお礼に来たという意味合いのことをいつたようにも思います。」、「関谷の部屋で、多田が代表格だつたので、多田が関谷に挨拶に来ました、といい、お中元に来ましたが些少です、といつて、一〇〇万円入りの金封を関谷に差し出した。すると、関谷は、多分座つたままであつたと思うが、ありがとうございます、といつて、金包みを受取つてくれた。その場で、関谷が金包みを突き返すとか、他の人に渡すということはありませんでした。関谷の部屋で雑談をされ、その中で具体的な内容までは記憶していないが、LPGの話も出ました。そして、特に私の記憶に残つている話としては、関谷が兵庫のドライバーという業界雑誌を発行している者から同人が主催する懇談会に出てくれという依頼があつたので関西に行きたい、という意味のことを話していた。関谷が金封を受取つてからどのようにされたか記憶にはない。このときは、関谷はこころよく納めてくれたと思つている。多田が関谷の部屋を出てから引き返して、再び関谷の部屋に入つたことはありません。」旨の供述記載があり、

沢春藏の検察官に対する昭和四二年一二月五日付(一)供述調書中「多田が関谷に、今日はお礼に来たのですが、これは軽少ですがお納め下さい、といつて、一〇〇万円入りの金封を直接関谷に手渡した。関谷は、多田から金封を受取ると椅子から立ち上つて、ありがとうございます、といつて、その金封をおし戴く様にしたあと、そのまま、もと座つておられた机の方に行つた。それから、その金封をどうされたかまではみていませんが、間もなく元のセツトのところに引返してきて私達と話を始められた。」旨、一二月一三日付供述調書中、「多田が私達を代表して、今日はお礼に伺いましたがいろいろお世話になつております、これは軽少ですがといつて、一〇〇万円入りののし袋を関谷に直接手渡した。関谷は多田からその一〇〇万円入りののし袋を受取ると立上つて両手でその金包みをもつて、おし戴くようにして、ありがとうございます、と丁重に礼をいわれ、そして最初私達が部屋に入つた際座つていた机の方にその一〇〇万円入りの金包みを持つて歩いて行つた。それからその金包みを机の抽斗の中にしまつたのか、机の上に置いたのかは、そこまではみていない。」、「多田は関谷に直接手渡したもので、安永に手渡したのではない。」旨、昭和四三年一月一〇日付供述調書中「大阪に帰つてきて、四、五日も経つたころの八月二〇日前後ごろと思うが、大タク協の多嶋会長が私(沢)の会社にやつて来て私に、社長さん、実は、関谷さんからあの一〇〇万円を返してきました、どういうつもりで返してこられたのでしようか、持つて来たのは安さんで、預つといてくれということでした、と話してくれました。この安さんというのは安永のことです。この多嶋会長からの報告をきいたとき、私は関谷が多田から一〇〇万円を受取るときは、後から返すような素振りは全くなかつたのに、今になつて返してくるというのは、あの時、原健三郎先生のところで危いといつて注意され、私達が取り止めにした位ですから、関谷も後でそれらの情報をきいて、今は時期が悪いから、暫く預つといてくれという事で返してこられたのやなあと私なりに察しをつけた。その時多嶋会長の話では、その金は預つておいてくれというので、一応銀行に預金しておいたからという報告でしたから、私は関谷の方も都合が悪くなつて返しにみえたのであれば時期が来るまで、そうして預金しておけばいいのではないか、といつておいた」旨、昭和四二年一二月八日付および一二月一五日付供述調書中「多田から私(沢)が後援会長をしている国会議員に関する一〇〇万円を機会をみて届けてもらえないかといわれたがこれを断り、選挙になるまで多嶋会長の方で保管しておいてくれるように言つておいた」趣旨の各供述記載があり、

坪井準二の検察官に対する昭和四二年一二月一日付(一)供述調書中「多田が関谷に、いつも御厄介になります、今日はちよつと皆でやつてきました、というように挨拶した。」、「多田が関谷に、これは些少ですがお中元を持つてきましたからお納め下さい、というようにいつて、金包みを差出した。すると関谷は、それはありがとうございます、というようにいいながら、受取り、裏をみて、それじや頂戴します、というようにいつた。或いは、それじや頂戴しておきます、というようにいわれたのだつたかもしれませんが、何しろ、そのどちらかのいい方だつた。そしてそのようにいつた関谷はそれから事務机の抽斗に入れた。そして、いろいろ関谷の話をきいた。二、三〇分位お邪魔していた感じです。関谷もやはりガス税と呼んでいたが、この課税法案の行方がどうなるかについて業者の私共が当面一番死活の問題であるから、成行きを一番気にしていることをよく御存知ですから、私共の方からたずねないうちに、ガス税については十分やるから任しておいて下さい、というようにいつていた。そして、やはり、わしがやるだけやるから任しとけといわぬばかりの態度で話していたような印象が残つている。そのようにして、約二、三〇分位して、多田が、先生、今後とも何分よろしくお願いします、というようにいつて、挨拶し、私達一同も、口々に、よろしくお願いします、と挨拶して、関谷のところを失礼した。関谷は、私達がいたところでは秘書とか、その他誰れかにその金包みを渡したことはない。ただ、関谷先生の分については、その後どのくらいたつてからのことだつたか時期の点は思い出せませんが、協会に行つたときに誰れからきいたのか思い出せないけれども、関谷先生の分は返つてきたときいたことがあつた。」旨、一二月四日付供述調書中「LPG課税法案について関谷から、今国会は時間切れになるでしよう。今国会では流れる、ということをきいたことがありました。それをきいたのが昭和四〇年七月から八月ごろにかけてのことだつたと思うし、聞いた場面が東京でのことだつたという印象があり、しかも、それが又ぎきではなくて、関谷の口から直接きいた印象ですから、それやこれやを思いあわせてみると、これはやはり四〇年の八月一〇日ごろに多田達と関谷の部屋できいたことだろうと思います。関谷は、そのようにガス税の問題は時間切れで、今国会では流れるという意味のことを言つて、その際に、次の国会までには時間があるから、その間に工作せにやしようがない、というようにいつておられました。それで私達は、是非共よろしくお願いします、といつた」旨、昭和四三年一月九日付供述調書中「八月一〇日に関谷に渡した金のことについて、関谷の分は返つてきたときいたことがあつたが、それをきいたのは、多嶋か、井上か、辻井のうちの誰れかからきいた記憶です。それをきいたのがいつの頃のことだつたかは思い出せないが、何しろ大部前のことだつた。きいた場所は協会に寄つたときのことだつた。それをきいたときに、私(坪井)は関谷が当時受取る際には、辞退するとか、ためらうというような様子は何もなく、ありがとうございますといつて、受取つたのに、何でやろうなあと不思議に思つた。」旨の供述記載があり、

井上奨の昭和四三年一月一二日付(二)供述調書中「私(井上)は、関谷の部屋で皆さんのうしろから皆と一緒に関谷に頭だけ下げておいて、秘書の部屋の方へ戻つた。途中沢が出てきて出ていつた覚えがある。そしてここで二〇分位待つていると、多田らが関谷の居室から出てきた。それで、私も秘書室から廊下に出た。別に、多田から先程渡した金封を戻されたことはなかつたので、金封は関谷に渡つているものと思いました。」旨、一月一六日付供述調書中「その日藍亭で、沢春藏には沢春藏が後援会長をしている国会議員に関する分は預けていない」、「当日私の手もとから出た三一〇万円の中には関谷の分の一〇〇万円も含まれている。」、「昭和四〇年八月一二、三日ごろだつたと思いますが、辻井から会長より言われたのだが、安永より一〇〇万円受取られたらしいので、それを通知預金にしておきますという話をきいたことがありました。」、「私は東京で原先生が受取られなかつたくらいであり、やはり関谷先生も今は時期が悪いと感じられて持つてこられたのだな、と思つた。辻井が通知預金にするというので、そうしておきなさい、といつておいた。」旨の各供述記載があり、

辻井初男の検察官に対する昭和四二年一〇月三〇日付(二)供述調書中「井上専務が私(辻井)に、予定変更になつたからこの一八〇万円を大阪に送り返してくれ、といつて、一〇〇万円入りののし袋一袋と二〇万円入りののし袋四袋を渡してきました。私は大阪に帰つてから誰にいくらあげたかということを帳簿に記帳する必要があり、さらにお金を差し上げた先生からは領収証をもらわなければならないので、渡された一八〇万円は当初予定していた国会議員のうち誰れの分に当るかを尋ねたところ、井上がこの一〇〇万円は沢が後援会長をしている先生の分だと教えてくれた。私はさらに、ほかの分は全部渡したのかときくと、井上はそうだといつた。このうち関谷と寿原については、このとき井上から直接両先生に渡したことをきいている。」旨の、「帰阪してからの八月一三日、事務所で多嶋会長から、関谷の分だ、お渡しするときまた連絡があるから、そのときに送つてくれ、それまで、これ銀行に入れておいてくれ、といわれて現金一〇〇万円を渡されたので、同日住友銀行上町支店の通知預金に入金した。会長の話では、この一〇〇万円は安永がもつてきたようだつた。このように関谷に差上げた一〇〇万円はこちらに返つてきたが、会長の言葉からもわかるように、これは返されたのではなく、大タク協が一時保管していたのであり、私(辻井)としても、この一〇〇万円は返されたのではなく預つているのだという記憶が現在でもあります。なお、その後昭和四一年一月一七日に多嶋会長から関谷の方から一〇〇万円送つてくれと連絡があつたから松山会本部に送るようにいわれ、同日松山会の取引銀行である神戸銀行銀座支店の松山会の口座に一〇〇万円を送金して預つていた金を返した。この領収証は松山会から送つてきている。」旨、一二月一二日付供述調書中「井上は、関谷と寿原の分は直接両先生に渡した、と私(辻井)に言つていた。」、「私が帰つてから二日位のちの同年八月一三日ごろ、大阪タクシー協会の事務所で多嶋会長から、関谷の分お渡しするとき又連絡があるからその時に送つてくれ、それまでこれ銀行に入れておいてくれ、といわれて現金一〇〇万円が入つたのし袋を渡されその日住友銀行上町支店の通知預金に入金したことは、この前申し上げたとおりですが、そのときに多嶋会長は、私に関谷の分のその一〇〇万円を誰れがどのようにして持つてきたか、又送金してきたのかなどについては何もいわなかつた。ただ、私は会長からは何もきいていないにしても関谷の金なら安永がもつてきたのだろうと思つてそのように申し上げてしまつたのです。」旨、一二月一四日付供述調書中「八月一三日ごろ私(辻井)は協会で多嶋会長から関谷の分だといつて銀行に入れておくようにいわれて一〇〇万円受取つたが、その一〇〇万円はもとのままののし袋に入つており、東京にもつていつたときよりも少しのし袋にしわが寄つていたように思つた、私は銀行に入金するため、井上にその伝票をみせて決裁をうけたのですが、その際多嶋会長からきいていたことを簡単に話した、その際私は井上に対しその一〇〇万円を安永が持つてきたといつたかどうかはつきりした記憶がないのですが、もしそのように私がいつたとすれば、それは私が自分の推測をまじえて話をしたのです」旨、昭和四三年一月九日付供述調書中、「多嶋会長から、関谷の分お渡しするときまた連絡があるからその時に送つてくれ、それまで銀行に入れておいてくれ、といわれてのし袋に入つたまま受取つたのは、八月一二、三日ごろのことである。」、「多嶋会長からそのようにいわれたので、この一〇〇万円は返されたのではなく、大タク協が一時保管するものだと思つた。保管の方法については、会長から銀行に入れておいてくれといわれただけで、預金の種類については何も指定されませんでしたが、私は自分の判断で通知預金にした。その理由は、八月九日まで通知預金にしていた金だから、今度も通知預金にしておけばいいだろうというのがその一つで、その外、これは一時大タク協が保管する金だから、外の金と区別しておいた方がいいだろうという考えもあつて、この両方の理由で通知預金にしたものである。」旨の、供述記載があり、

被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書中「東京での状況は、八月一二日ごろ井上専務より詳細報告をきいた。井上の話では関谷には現金一〇〇万円、寿原にも現金一〇〇万円を現実に渡したとのことだつた。」、「一八〇万円が余る結果になりこの一八〇万円を東京から住友銀行上町支店に送金した。」、「関谷に一旦渡つている現金一〇〇万円のことだが、八月一三日ごろ関谷の私設秘書である安永が大タク協に来て、時期が悪いから、預つておいてくれ、頂戴したいときまたこちらから申し入れますから、といつてのし袋に入つたままの一〇〇万円を私によこしたので受取つた。そして、私(多嶋)から辻井に、一時お預けしておくという話だから銀行に入れておきなさいといつて、のし袋ごと渡した。辻井は私にいわれてこの一〇〇万円を住友銀行上町支店で通知預金にした。翌四一年一月一八日ごろ、この安永が東京から電話をかけてきて、先般お預けしたお金送つて貰いたい、といわれたので、私は、早速送りましよう、といい、辻井に命じて送金の手続をさせた。辻井の話では、八月一三日ごろ私からいわれて住友銀行上町支店で通知預金にした一〇〇万円を解約して神戸銀行銀座支店の松山会の口座に振込送金したとのことです。」、「沢春藏が後援会長をしている先生の分の一〇〇万円については昭和四一年一二月三〇日ごろ、沢巌常務から私に電話でかねて協会にあずけてあるものを出してもらいたい、といわれ、辻井にいつて銀行から一〇〇万円を出し、同人が沢のところへ届けた。」旨、一二月一五日付(二)供述調書中「八月一三日ごろの午後安永が大タク協へ来たので、私(多嶋)の部屋で会つた。安永がいうには、今は時期が悪いということと、あずかつておいてほしいということであつて、さらに頂戴したい時は、こちらから申し入れますからということであつた。」、「井上からの報告によつても多田から関谷に一〇〇万円が渡されたことがはつきりしているので、私は安永がこのようにいつてもつてきたのは、安永が関谷の私設秘書の立場からいつても両人相談のうえでなさつているものと思つた。私は先方が用心深くこのようにされるのであれば一時あずかるだけのことだし、言われたとおりにしてあげようと思い、安永から一〇〇万円の入つた金封を受取つた。そこで私は辻井を呼んで、関谷の分一時お預けしておくという話でもつてこられたから銀行に入れておきなさい、といつてこの金封を辻井に渡した。」、「昭和四一年一月中旬ごろ、東京の安永から大タク協に電話がかかり、先般お預けしたお金を送つてもらいたい、といつてきた。」旨、昭和四三年一月一七日(二)付供述調書中「安永が来たのは八月一二日の午後であつたかもしれません。」、「昭和四一年一月中ごろ(一七日ごろ)東京の安永から大タク協にいる私へ電話をかけてきて、先般お預けしたお金を送つてもらいたいと言つてきたが、そのとき、安永から、関谷の娘さんの結婚でいろいろお金がいるのであのお金を送つてくれ、といわれた覚えがある。」旨の供述記載がある。

2 そこで、本件一〇〇万円入りの金封を被告人関谷に手渡したのか、或いは井上奨に指示して大タク協にもち帰らせたのかについて検討するに、

(イ) これに直接に関係していることになると思われる被告人多田は、前掲記のごとく、いわゆる在宅取調当時においては、同多田の手から同関谷の手に金封を手渡した旨供述し、勾留中(昭和四二年一一月二六日勾留)の取調においては、議員室の出入口にある事務局に渡したか或いは同関谷に一寸金封をみせて後援会に入れておくといつて退室する際事務局に渡したと思う旨供述し、在宅取調中の供述を全面的に変更しているばかりか、同関谷に渡したというような供述をしたことはない旨強調し、取調検察官を非難しているが、それでも捜査中検察官に対しては、井上奨に対し松山会関西支部に入金しておくように指示して金封をもち帰らせたという供述をした形跡はみあたらず、同被告人がこのような供述をはじめたのは公判段階に至つてからである。このように供述調書の供述内容が変わり、公判廷において新たな供述をするなど「供述の変遷」が認められる。しかも被告人多田は、公判廷において、被告人多嶋の任意取調中に同被告人が取調検事から同関谷に手渡した一〇〇万円が八月一三日に大タク協に返されているので、これを返しに来たものはだれかと問い詰められて困りはて、同多嶋や井上奨らからこの一〇〇万円を返しにきたものは安永輝彦をおいて外にないので同人を説得してみてほしい旨頼まれ、同多田としても同多嶋らの言つていることだから間違いはなかろうと信じ一一月四日ごろ安永を大阪に呼び、そのようなことは知らないという同人に同多嶋の供述に口裏を合わせるようにたのんだと供述し(第一〇一回公判、第一一〇回公判)、また、本件起訴(昭和四三年一月二〇日)後第一回公判が開始されるまでの間に種々調査をしてみたところ、八月一二、三日ごろ大タク協事務所で安永輝彦をみかけたというものは全くおらず、松山会本部に照会して関係帳簿を調べてみても八月一二、三日ごろ安永輝彦に対する大阪出張の旅費が支給されていないことが判明するなど八月一二、三日ごろ一〇〇万円を大阪に持参した事実はないという安永輝彦の言い分に符合する事実が判明するとともに、八月一二、三日ごろ沢春藏から沢巌を介して、八月一〇日東京で沢春藏に対し同人が後援会長をしている国会議員の後援会に届けるようにたのんで預けていた一〇〇万円が同多嶋のもとに預けられこれを通知預金にしていた事実も判明し、結局、検察官は、これを同関谷分が返されたものだと誤解していることが明らかになつたと供述している(第一一二回公判)ところからみると、前示のように同多田の供述が変遷してきた経緯の中には、これらの事情が介在し影響しているものと思われるのである。そして、自分の手から同関谷の手に金封を手渡したという同多田の前記供述は、在宅取調中の供述であることや捜査の比較的早い時期になされたこの点に関する原始供述であることにかんがみると、優に信用できるものである(この多田の供述調書は後述の口羽の証言にてらし信用でき、口羽証言は後に述べるとおり信用でき、その信用性を左右する資料は全くない)。

(ロ) ところで、安永輝彦の証言(証人安永輝彦に対する当裁判所の尋問調書)を検討してみると、安永輝彦は八月一二、三日ごろ一〇〇万円を大タク協に持参した事実はないと証言している部分もあるが、それでも証人尋問の過程においては、「一一月四、五日ごろ、多田が一度来いというので、大阪の相互タクシーの本社に行つた。すると多田は私に、安永君、金をもつてきたのは君ではないか、といわれた。私としても、すでに二年余りもたつているうえ、あまり記憶もなかつたが、みんながわし(安永)がもつて来たというのなら間違いなかろうと思い、私も納得した。多田も私が金をもつてきたと信じていた。多田から、実際は私は来ていないのにそのように口裏を合わせてくれといわれたのではなく、皆が困つているんだ、だけど、もつてきた人がだれかとなると、安永がもつてきたのだろう、ということになつた。多嶋も井上も安永がもつてきたといつているということだつた。」趣旨の証言をもしているのであつて、この証言部分からは、八月一二日ごろ来阪して被告人多嶋に金包みを渡したことは、同証人の証言自体にかんがみて、全く事実に反することであると速断するわけにもいかないと思われる。

そして、安永輝彦の検察官に対する供述調書中において、安永輝彦は、八月一二日ごろ大阪に来て大タク協に行き、同多嶋に会い、金包みのまま同多嶋に渡した旨の詳細な供述をくり返していることがみとめられる。

(ハ) ところで、証人口羽玉人は、公判廷(第九回公判)において、「多田、沢春藏、坪井準二、高士良治と私(口羽)は、秘書室を通つて、その奥にある関谷の部屋に入つてソフアに座り、テーブルをはさんで関谷と面接し、関谷に一番近いところに座つた多田が、一同を代表して、関谷に対し、お世話になつております、と挨拶をし、それから予めもつて入つてきていた袋を、これは協会からでございます、といつて関谷に直接手渡して渡した。関谷は、たしか、ありがとう、といつて多田が出した袋を快く受取つたと思います、私はこの情景を目撃した。関谷はその袋を受取つたあとこれをどうしたか記憶にないが、遠慮するとか、拒絶するなどのことはなく快く受取つてくれたと思う。この袋には現金が一〇〇万円入つていた。」旨供述し、「被告人多田が現金一〇〇万円入りの金封を直接同関谷に手渡した」旨証言したそのあと、同証人の証言中に、同関谷が突然、「裁判長、私は本件の金員を受取つたことはありません。口羽証人の証言は、これは世間にあやまり伝えられると私(関谷)の政治生命にかかわる重大なことでありますので申し上げておきます。なお………。」と発言して裁判長より制止される事態になつたが、これに対し、同証人は、「今、関谷先生がお立ちになりましたので、私の言葉がたりなかつたかも知れませんからちよつと述べさせていただきますと、先程、私は趣旨を申し上げましたが、これは政治資金規正法による後援会に対する献金でございますので、先生の手を経て入ろうと直接入ろうと、私の考えましたのは、後援会に対する献金であるというふうに考えておりますので、私は、関谷先生に手渡したことと何も私共が考えておつたことは矛盾しないというふうに考えております。」と供述し、同証人にとつて牽制とも受けとりかねない同被告人の証言中の右の発言にもかかわらず(その金の趣旨の点に関しては政治資金規正法による同被告人の後援会に対する献金であることを強調しながらも)、金員の授受の点については、同多田が同関谷に金封を直接手渡して交付した証言はこれを維持しているうえ、「多田や多嶋に対する任意取調べが始つたころ、大タク協で辻井総務課長から本件の八月一〇日の二日か三日位後に安永が関谷に渡した一〇〇万円を返しに来たということをきき、それまでは、その金は関谷の後援会に献金したのだから領収証をもらつているものと思つていたが、右辻井の話をきいてこの一〇〇万円は大タク協で保管されているものと考えざるをえなかつたが、検察庁から私(口羽)に対する呼出があつた一一月二四日大阪相互タクシー本社で多田に会つた際、多田に対し関谷の金が返されているんだそうですね、といつてそれが事実かどうかたずねたところ、多田は、あれは秘書に渡したが返された、という意味合いのことを言つて、言葉をにごしていたので、多田が言つていることは私の記憶とは違うと思つた。」旨供述し、辻井から八月一〇日の二、三日あとに同関谷の秘書の安永が同関谷に渡した筈の一〇〇万円を返しに来ていることをきいて意外に思うとともに、同多田が秘書に渡したが返されたということをきいて、本件の八月一〇日には同多田が一〇〇万円入りの金封を同関谷に手渡し、同関谷もこれを受取つているのに、今になつて同多田が秘書に渡したといつている真意を測りかねるとともに同多田の言うことは同証人の記憶と違うと思つたとはつきり証言しており、反対尋問においても、同多田が同関谷に金封を渡したときの位置関係や同関谷が金封を受取つたあとどうしたかについては必ずしもはつきりした記憶はないと供述しながらも、金封が渡された時の情景は強く印象に残つていると証言しているのであつて、同多田が同関谷に金封を直接手渡し、同関谷がこれを受取つたという同証人の証言は、反対尋問にあつても揺がせえなかつたものであり、同証言の信用性は高いというべきである(そして、自分の手から被告人関谷の手に金封を手渡したという被告人多田の前記検察官調書の記載部分は、右口羽の証言に符合するものである。)。

(ニ) 証人坪井準二の証言からは、被告人多田が一旦被告人関谷の前に差し出した金封を松山会関西支部に入れておくといつて持ち帰つたということは認め難く、むしろ、同多田が同関谷に金封を手渡し、その場では、同関谷がこれを受取つたことを認めうるし、また、同証人自身本件の約五、六ヶ月後には、すでに同関谷に渡した本件一〇〇万円が大タク協に返されてきていることをきいていたこともみとめられる。

証人沢春藏の前記の証言と同人の検察官に対する供述調書中の前記の供述記載と対比検討してみると、同証人は、本件当日被告人多田が被告人関谷に本件金封を手渡したときの状況や、その後間のない八月二〇日ごろ被告人多嶋から同関谷に渡した本件金員を安永が大タク協に持参してきたといわれた際の状況について、証言を避けようとしている態度が強くうかがわれ、このことからも同証人の証言には疑念が多く、被告人多田が被告人関谷に金封を手渡し、同関谷はこれを受取つて謝意をのべ、且つそれを表明する動作もしたことや同人(沢春藏)が大阪に帰つてきて間のない八月二〇日の前後ごろに被告人多嶋から安永が同関谷分の一〇〇万円を大タク協に持参してきたことをきいたことなどに関するいずれも詳細な検察官に対する供述調書中の供述は、特に信用性に疑いをいだくべき事情は認められないし、ことにその大筋において、証人坪井準二の証言から認められる右の事実から著しくかけはなれてはいないことにかんがみ、信用しうるものというべきである。

また、辻井初男は、大タク協の総務課長で且つ会計処理の責任者で、本件四九〇万円の処理状況を把握し、領収証を徴し、一切の会計帳簿処理をすべき責務があつたのであるから、同人の本件四九〇万円の東京における処理の状況や大阪に送金した一八〇万円の内訳に関する同人の供述は重要で信用性が高いものであるとみなければならないところ、これに関する同人の証言は、前掲記の証言部分自体からも明らかなごとく、曖昧且つ矛盾があるものであつて、到底採りえないところであるが、同人の検察官に対する供述調書中の供述には、特にその信用性に疑いをいだくべき事情はうかがわれないというべきである。

さらに、被告人多嶋は、公判廷において、前示のように、八月一二、三日ごろ被告人関谷に対する一〇〇万円を松山会関西支部に入金したと思うと供述しているが、この供述は、関係証拠からみて争いえない松山会関西支部に金員の入金記載のない事実に明らかに反する供述を敢えてしている部分も存することなどにかんがみるとき、被告人多嶋の公判廷における右の供述部分には、にわかに信を措くことはできない。

(ホ) 井上奨は、前掲記のように、本件当日被告人関谷の部屋を出るとき、被告人多田から松山会関西支部に入金しておくように指示されて先程同被告人に手渡した金封を戻されたので、その旨を同行の辻井初男に指示したことや、松山会関西支部の口座に右の一〇〇万円が入金されていないのは、井上奨と辻井初男の手違いによる旨の証言をしているが、同多田からそのように指示をされたうえその金封を手渡されたというのであれば、大タク協の専務理事である井上奨および同総務課長で会計担当者、松山会関西支部の会計の担当者である辻井初男にしても、同多田が卒先し且つ中心になつて後援している同関谷の松山会のことでもあり、大タク協としても領収証を徴するなり或いは会計帳簿上にその旨を明確にして処理しておかなければならない事項であり、井上奨も帰阪後直ちに被告人多嶋に上京報告をしているのであるから、右のような重要事項につき、当然同多田から受けた右の指示についても報告するであろうし、そうであれば、松山会関西支部の責任者である同多嶋にしても、同支部の会計を担当している辻井初男にしても、その地位や職責上、同支部にその一〇〇万円の入金手続をすませ、その旨の帳簿処理をしている筈であろうと思われるのに、当時大タク協側としても、また松山会関西支部側としても、そのような処理をし、またしようとしたという形跡は全くうかがえず、同多嶋や辻井初男がそのような手続をとることをないがしろにし、或いは忘れてしまつていたことを窺い知ることのできる資料は見出し得ない。

(ヘ) 被告人多嶋の検察官に対する供述調書中の、本件直後の八月一二、三日ごろ安永が大阪タクシー協会に来て、被告人多嶋に対し一〇〇万円を預けたといつていることやその際の状況に関する同多嶋の前掲各関係供述は、証人土肥孝治(被告人多嶋の取調検事)の証言(第一一九回公判)や土肥孝治作成の捜査日誌中の一〇月二三日欄の記載により同多嶋の方から取調検事に対して供述したものであることが認められ、その他同被告人の右の供述の任意性を損う事由はなく、その供述それ自体からも、特に信用性に疑いを容れる余地はうかがわれないし他に信用性を損う事由も見出しえない。

3 (イ) 右の1、2においてそれぞれ認定説示した証拠を総合すると、被告人関谷の執務室において、被告人多田は、同室に入室していた沢春藏、坪井準二、口羽玉人、井上奨を代表し、同人らの前で、被告人関谷に対し、「いつも御厄介になつています。今日は皆でやつてきました。」とお礼に来た旨の挨拶をし、さらに、「これは些少ですがお納め下さい。」などといつて、一〇〇万円入りの金封を同関谷に手渡し、同関谷は「ありがとうございます。」といつて自らこれを受取つた。そしてそのあと同関谷と雑談していたがその間同関谷は、その場で石油ガス税法案にふれ、「ガス税については十分にやるから任せておいて下さい。」などという趣旨のことも話し、二〇分ないし三〇分して辞去するに際し、同多田らは、口々に「今後ともよろしくお願いします。」と挨拶をしたこと、そして、その二日後の八月一二日ごろ、前記安永輝彦は右一〇〇万円入りの金封をもつて大タク協に赴き、同多嶋に対し、「時期が悪いから頂戴したいとき、またこちらから申し入れます。」などと言つて右金員を金封入りのまま手渡したこと、同多嶋は辻井初男に対し適宜預金方を指示し、同人は翌一三日大タク協の取引銀行である住友銀行上町支店に大タク協名義の通知預金にしておくことにしたことがそれぞれ認められるというべきである。そして更に翌四一年一月一七日安永輝彦から同多嶋に電話で、先般お預けしたお金を送つて貰いたいといわれ、同多嶋は辻井初男に指示して右の通知預金を解約したうえ、これを神戸銀行銀座支店にある松山会名義の普通預金口座へ振込送金させたことが認められる。その後、同四一年一月一八日付松山会名義の金額一〇〇万円の領収証が大タク協に送付され、大タク協では、松山会に対する後援会費として帳簿に記帳し処理したことは右関係証拠により明らかである。

(ロ) 前記1の(イ)、(ロ)に掲げた証拠中、右認定に反する被告人多田、同多嶋の公判廷における各供述、証人沢春藏、同坪井準二、同高士良治、同沢巌、同安永輝彦(尋問調書)の各証言、同多田の検察官に対する供述調書中の供述記載は、いずれも措信できないこと前示関係説示部分から明らかであるし、松山会の会計帳簿に八月一二、三日ごろ安永輝彦に対する出張旅費を支給した旨の記載のない事実は右の認定を左右するに足る資料とはなし難い。

また、証人市田実二郎は、昭和四〇年五月九日から同年一〇月四日という口取りのある同人の手帳(昭和四四年押第五四六号の61)にもとづいて記憶を喚起したとして、同年八月一六日六甲山の全但ホテルで開催された業界誌主催のセミナーに被告人関谷から招かれて出席した際、被告人多田から八月一〇日大阪にもち帰つた金の中に同関谷分の一〇〇万円も含まれており、それを大阪の松山会に入れておいたので、政治活動に必要なときは御連絡下さいということを伝えておくように指示されたが、これを右の手帳に記帳して当日同関谷に伝えたところ、同関谷はすでにあらかじめその旨を知つていた様子で、ああそうか、よしわかつた、という言動をしていた旨の証言(第一二五回公判)をしており、弁護人らは、右の証言を、同多田が本件当日同関谷に対して金封を手渡さず、松山会関西支部に入金しておく旨告げ、井上奨に指示してもち帰つたことの証左であると主張し、検察官は同手帳の記載自体の原始性と正確性に多くの疑問点があることや、被告人らの公判廷における否認弁解をふまえたうえでこれに符合させるべく意識的に改ざんされた疑いが強いと主張している。右手帳の形状や、記載、筆致自体を検討しても、直ちに、右手帳やその記載がのちに改ざんされたものであると断ずることは出来ないが、市田実二郎の証言自体は、同多田に指示されたとする事柄を内容とする供述とこれを同関谷に伝えた際の同関谷の言動を内容とするものにすぎない。ところが同多田自身が公判廷において、検察官の任意取調の最終段階に至つても大タク協に返つている同関谷分の一〇〇万円を誰れが持参したのか判らないので、安永輝彦をこの一〇〇万円を大阪に持参してきた使者に仕立てて辻褄を合わせようとしたということを供述しているのであつて、これらのことに被告人多田の昭和四二年一一月二六日付裁判所書記官作成の調書(弁解録取書)の記載を併せかんがみると、同多田自身八月一〇日当日において、同関谷分のこの一〇〇万円がこの当日に大タク協に返されたというようなことは知つていなかつたし、右八月一六日当時においても知らなかつたといわざるをえない。そのうえ、市田実二郎の右証言中、同関谷分を八月一〇日にもち帰つたという部分は、前記3のイにおいて認定した事実(被告人関谷に渡したこと、安永が持参した事実)に反するし、同関谷分の一〇〇万円を松山会関西支部の口座に入金しておいたという部分はその頃に入金記載の事実もなく、またこれ(入金)が真実であることを認めうる証拠はなく、従つてまた同関谷に対しこの一〇〇万円が必要なときにはいつでも連絡して下さいと伝えたという内容部分は、前示3のイの認定を覆すに足りないところ、結局、市田実二郎の前記証言だけでは、まだ前示3のイの(被告人関谷に執務室で手渡しその後安永がもち帰つたという事実)認定を左右し、右主張を裏付けるに足る証拠にはなり難いというべきである。

(五) なお、被告人多田は、公判廷において、寿原に対し本件当日金封を手渡すに際し、同人に対し「後援会に入れておきます」といつた旨供述し、同被告人の検察官に対する昭和四二年一二月一四日付(四)供述調書中にも「『先生、これを後援会の方へ出しておきますから』といつた筈である」旨の記載があり、証人沢春藏、同井上奨も同多田が寿原正一に対し「後援会に入れて下さい」といつて金封を手渡した趣旨の各供述をしている。また、本件当日被告人関谷に金封を手渡す際に、被告人多田は関谷に対し「献金に来た」、「後援会に納めていただきます」「関西の方に入れておきます」といつたと供述し、証人高士良治、同沢春藏、同坪井準二らも、その際に、被告人多田が被告人関谷に対し「後援会へどうぞ」とか、「後援会へ入れて下さい」という言葉を使つた旨供述している等本件金封を後援会に入れる趣旨のことを述べたという供述が存することが認められるところ、被告人多田が「後援会に入れておきます」、「関西の方に入れておきます」といつたという点についてはこれに副う他の証拠はなく、被告人多田は「これを後援会の方に出しておきますからと言つた筈である」という曖昧な供述もしており、これらを含め右の供述調書の記載および証言は、前掲の沢春藏の検察官に対する昭和四二年一二月五日付(一)供述調書、同一三日付供述調書(被告人関谷の関係)、井上奨の検察官に対する昭和四三年一月一二日付(二)(寿原の関係)、坪井準二の検察官に対する昭和四二年一二月一日付(一)の供述調書の関係記載にてらし、信を措きがたいのみならず、前認定のように被告人多田が被告人関谷および寿原に対し本件金封をそれぞれ手渡していることおよび右金員が関谷の後援会(二十日会)、及び寿原正一の後援会に入金されてそれぞれの収入となつていないことを併せ考えると右のような内容の言葉を述べたとは認めがたい。また被告人多田の検察官に対する昭和四二年一二月一日付(二)供述調書(検察官に対し自分の調書には「御礼」の「御」も書かないようにしてほしい、賄賂になるからとの供述記載のあるもの)および被告人多嶋の検察官に対する同年一二月四日付(四)供述調書(被告人多田が、自分はあくまで政治献金といつて調書を取つて貰つている、相手に迷惑がかかるからと言つた旨の記載のあるもの)などにかんがみると、本件金封を後援会に入れる趣旨の発言をしたという前示供述証拠は、寿原正一および被告人関谷に対し被告人多田が本件金封を手渡したことおよびその供与は寿原正一および被告人関谷の職務に関しお礼の趣旨であることの前示認定を左右するに足るものでない。

三 その余の金員供与計画の一部取り止めについて、

(一) 原健三郎議員に金員の受領を拒まれ、注意を受けたということについて、

1 被告人関谷、寿原正一を除くその余の予定していた金員供与の計画の一部を変更して行い、一部を中止するに至つた経緯や理由について、まず、被告人多田の供述を詳しくみてみると、

(イ) 被告人多田は、公判廷において、原健三郎議員に対する五〇万円の献金については、一億円献金の実行の際に兵乗協に二、〇〇〇万円を負担してもらうという協力をしてもらつていたため、この兵乗協の協力に対する感謝の気持から、兵乗協会長の顔をたてるため、同協会の顧問的立場にある原健三郎議員に献金をすることに決めていたものであつて、八月一〇日午後一時ごろ、有明館で、被告人多田が兵乗協会長の大山貞雄に対し、右の趣旨をよく説明し、原健三郎議員に届けてくれるように依頼して現金五〇万円入りの金封を預け、大山貞雄は、午後一時すぎごろ一人で有明館を出発して直ちに第一議員会館内に原健三郎議員を訪ねたが、同多田としても、寿原正一を訪ねるためグランドホテルに着いたとき、急拠、神戸市に本社を置く神戸相互タクシー株式会社社長の名代として、同行の吉村良吉を、原健三郎議員に対し中元の挨拶に伺わせたが、同多田ら一行が第一議員館に着いたとき、同館の面会人受付所でまつていた吉村良吉から、原健三郎議員に対する献金は大山貞雄が無事にすませたことおよび同人は同多田らにその旨報告しておいてほしい旨いつて一人で全乗連の副会長会議に出ていつたことの報告を受けた、本件当日議員会館で原健三郎議員にも大山貞雄にも会つていないし、もとより原健三郎議員から叱責されたり、注意を受けたことはない、被告人関谷の議員室を出たあと、沢春藏が後援会会長をしている議員室に寄つたが不在であつたため、同所で一休みし、その間に井上奨らが電話で献金を予定している国会議員の在否を問い合わせたが、いずれも不在であつたため、引きあげることとし、ただ坪井準二が支持後援している第二議員会館内に議員室をもつ議員だけはほどなく帰つてくるであろうということだつたので、同多田、坪井、沢春藏、吉村良吉だけが、第二議員会館に立ち寄り右議員を尋ねたがやはり不在であつたため、結局、全員が有明館の近くの藍亭に引き上げた、藍亭で、被告人多田は、坪井準二に対し、同人が特に支持後援している右の議員に対する献金分として三〇万円入りの金封一個を届けるよう依頼して渡し、沢春藏に対し同人が後援会会長をしている議員に対する献金分として一〇〇万円入りの金封一個を届けるように依頼して渡し、口羽玉人に対し、同人が特に支持後援してきていた議員に対する献金分として三〇万円入り金封一個を預けようとしたが口羽玉人がこれを強く固辞したため、京乗協の顧問的立場にある議員に対する献金分に振り替えることにし、吉村良吉に対し同議員に対する献金分として三〇万円入りの金封一個を同協会会長から手渡してもらうように伝言するように指示して預け、二〇万円口の四議員分については、井上奨に対し大タク協事務局の方で右の四議員に届けてくれるように依頼して大タク協に送り返させた、その後右二〇万円口四議員分と口羽玉人が特に支持後援してきていた議員分については、盆の時期がすぎてしまつたこと並びに同議員らは東京にいるため上京するのに日時がかかり費用もいることからとりやめることになつたということをきき(同多田の欠席した八月一七日の理事会でもそのようにきまつたということをのちにきいた)、同多田としてもやむをえないと思つた趣旨の各供述をしている(第一〇一回公判、第一〇八回公判、第一一〇回公判、第一一二回公判、第一一三回公判、第一二八回公判)。

(ロ) ところで、被告人多田の検察官に対する供述調書中の供述記載をみると、昭和四二年一〇月二八日付(二)供述調書中、「皆で揃つて原健三郎先生の議員室に行つた。原先生に対しては兵乗協の大山会長の手からお渡しする段取りにしていた。大山とは東京で合流したものと覚えており、協会事務局の方で事前に落合う場所など大山と連絡をとつていたものと思うが事務的なことはつまびらかではない。何故大タク協のする献金を兵庫の協会に渡して大山から原先生に献金するということにしたかというと、一億円献金について兵庫の協会が内二、〇〇〇万円を会員から徴収してくれたので関西の業界が一億円の献金をすることができたという事情があつたので、兵庫の協会の顔をたてるという考えがあつたからです。」、「大山には、協会で準備していた五〇万円を包んだのし袋を既に渡してあつて、大山を先頭に我々上京組が原先生の議員室に行つたのです。原先生の議員室で原先生に会つた。大山から持参していつた五〇万円入りののし袋を出して、先生に献金に参りましたというと、先生は、自分はタクシー業界の為に一生懸命やつたのに東京の業者は自分をこぼして献金をよこさなかつたとうつぷんをいわれた。先生は全乗連の者が包みものをもつて議員会館内をうろうろして一寸前に先生方に献金してまわつたようだが、この自分を洩らしたということで怒つていわれた。全乗連の者が包みをもつてうろうろしたということが先生方の間に噂になつたということであり、タクシー屋みたいな者を相手にすると危いと先生方の間で噂になつているともいわれた。そこで、私らは東京の業者ではなく関西ですよというと一応納得された。しかし先生はうろうろと包みをもつて歩くのはよしなさい、議員間にも噂になるからやめなさいといわれた。こういう状勢ではとりやめることとし、辞去して外へ出てから皆でこういう状況では悪いからよそうと話してあとの献金はそのときはやめることにした。」、「原先生が右のような状況だつたので、大山がその後前述した五〇万円を持ち帰つております。こういう訳で、大阪から東京へ送金したお金のうち、渡していない先生の分については、現金のことですから、協会の辻井課長の方で大阪に送り返す手続をとつているものと思います。」旨の、一二月八日付供述調書中、「八月一〇日に先生方に献金を持つてまわつた順序については、第一に寿原先生、次いで関谷勝利、原健三郎、沢春藏が後援会長をしている議員の順であつたと思う。」趣旨の、「原先生のところで、東京業者の不評判を聞いたので、先生の居室の表に出てから皆で相談の結果、献金を取りやめにした。この取りやめるに至つたことに関し原先生がどのようにいわれたか、これに対し私らがどのようにいつたかなどの点については前記供述調書でのべたとおりです。」旨の、一二月一三日付(一)供述調書中、「原先生のところまでは上京組の皆が行つたのではないかと思います。ただせまかつたので、全部は入らなかつたのではないかと思います。この原先生の部屋を出た表でごじやごじやになつたと思つています。沢春藏が後援会長をしている議員のところへは馴染が深いのでそのあと顔を出しに行きました。」趣旨の、一二月一三日付(二)供述調書中、「原先生が怒つて東京の業者を非難していたので、私らは大切な金で盆の献金に来ているのに非難されるくらいなら取りやめようということで持ち帰つたことは事実である。」趣旨の、一二月一四日付(一)供述調書中、「大山が兵庫県の代表としてのし袋を手にもつて献金に参りましたと原先生にいつた。すると原先生は、そんな包みをもつてうろうろまわつたら駄目だとか東京の業者やり方が悪いことを非常に怒つた。この際の状況については一〇月二八日付の供述調書で話したとおりである。」旨、一月九日付供述調書中、「原先生のところでトラブルがあつて議員会館から引きあげることにした。ただ、ここまできて、沢春藏が後援会長をしている議員のところに顔を出さない手はないと考えその議員にだけは敬意を表した。」趣旨の、各供述記載がある。

2 次に、この点に関し、八月一〇日当日被告人多田に同行した関係人の供述をみると、

(イ) 公判廷において、

口羽玉人は「有明館では大山貞雄をみかけなかつたように思うし、同人には気がつかなかつた。しかし、大山貞雄とは議員会館の辺りで会つた記憶がある。寿原正一、関谷勝利の各議員を訪問したあと、沢春藏が後援会長をしている議員をお尋ねしたのではないかという記憶はある。しかし、原健三郎議員を訪問した記憶はない。藍亭に引きあげたのは、三時か四時ごろで、まだ陽が高いうちだつたと思う。藍亭で、当日お渡しできなかつた議員に対しては、後日お渡しするという話だつた。とりやめにするという話はなかつた。当日渡せなかつた理由については、多田からもまただれからもきいていないし、知らない。」趣旨の証言をし(第九回公判、第一一回公判)、

坪井準二は、「関谷のあと沢春藏が後援会長をしている議員の事務所に行つたが留守だつたのでしばらく休ませてもらい、そのあと多田、沢春藏、私(坪井)、井上奨か辻井初男の四人で国会近くの第二議員会館に私が支持、後援している議員を訪ねたが、留守だつた。第二議員会館に行く前に、第一議員会館の廊下で私らは大山貞雄と吉村良吉に会つたような気がする。五時まえに藍亭に引きあげた。この日その余の議員のところをまわらなかつたのは、暑いさかりだし、疲れるし、おそくなるし、その日のうちに大阪に帰らなければならない人もいたからである。藍亭で私は私の支持後援している議員に対する金封一個をあずかり、京橋の本社に同議員の秘書を呼んで渡した。この日、原健三郎議員を訪問したのは大山貞雄と吉村良吉の二人だと思う。私らは、この日には、原健三郎議員を訪問していない。私は検事の取調べの際には、この日原健三郎議員を訪問したのではないかと思つてその旨供述したが、よく考え、思いおこしてみると、翌四一年四月二二日に多田らと一緒に原健三郎議員を訪問した際同人から東京の業者に対する不満をいわれたことがあつたので、このときのことを八月一〇日のことであると錯覚してしまつて供述したものである。」趣旨の証言をし(第一五回公判、第一六回公判、第一八回公判、第一九回公判)、

沢春藏は、「関谷の部屋から私(沢)だけ一足先に出て私が後援会長をしている議員の六階の議員室を尋ねたが留守だつたので、秘書らと一分間位話をして三階に降りていつたところエレベーター前で多田らと出会つたが、同人から、あとの先生方は留守だし、暑いから帰ろうといわれ、同人らと一緒に藍亭に引きあげた。藍亭で、暑いし、先生方を尋ねても会えるかどうかわからないので、それぞれ手分けをして後援会に届けようということになり、私は、私が後援会長をしている議員に対する分をあずかつた。私はこの日原健三郎議員を訪問していないし、多田からも同議員を訪問したことも同議員から叱られたということもきいていない。検事の取調の際に原健三郎議員から叱責されたということを話したのは、私の取調べに先立つ四二年一一月三日ごろ多田から電話で同人が検事の取調べの際に八月一〇日の日に原先生に叱られたり注意されたため、金を渡す時期が悪いと皆で相談してもち帰つたと供述してきた、ときき、不審には思つていたが、私が検事から調べをうけたとき、検事の方から、他の者はそのようにいつている、君のいうことは他の人のいつていることと合わない、といわれ勾留も長くなつているので、検事のいうところに合わせたものである。」趣旨の証言をし(第二二回公判、第二三回公判、第二四回公判)、

辻井初男は、「当日出発前に有明館に集つたとき、大山貞雄はきていた。私(辻井)らのハイヤーが行き先を間違えて先に第一議員会館についたとき吉村良吉が第一議員会館の前にきていた。三階の関谷の訪問を終えて室外に出てから、三階より上の階に上つた人もいたように思うが、そこのところはよく覚えていない。この日原健三郎議員を訪問していない。沢春藏が後援会長をしている議員室を訪問したかどうかについては記憶がはつきりしない。兵乗協に対し八月一〇日の二、三日あと、さらにその後も原健三郎議員に対する分の領収証を催促したが兵乗協の水島会計係は東京からまだ領収証が来ていないといい、同四一年三月になつて、兵乗協名義の八月一一日付の預り証を送つてきた。検事の取調べの際に三階よりも一階か二階か上の階に上つた記憶があると供述したのは、私が第一議員会館に入つたのはそのとき一回だけではなく、それまでに四、五回もあつたので、他の時のことと混同したものである。当日三階よりも上に上つたかどうかについては、検事から取調べをうけた当時も、現在も、記憶ははつきりしない。」趣旨の証言をし(第二八回公判、第三〇回公判、第六七回公判)、

井上奨は、「八月一〇日午後一時ごろ大山貞雄は有明館に来た。兵乗協の顧問をしている原健三郎議員の後援会に献金するということであつたので、前日に大山貞雄に連絡しておいて、有明館にきてもらつたのである。多田が大山貞雄に原健三郎議員の分として渡し、大山貞雄は我々より先に有明館を出発した。我々の乗つたハイヤーが行く先を間違えて先に第一議員会館に行つてしまつたが、そのとき、第一議員会館前に吉村良吉が一人で来ており、そのとき同人は、これから大山貞雄のところへ行くといつていたので、私(井上)は吉村良吉が大山貞雄と二人で原健三郎議員のところへ献金に行つたものと思つた。その後、私は、関谷の議員室で吉村良吉に会つたが、そのとき同人は格別変わつた話もしていなかつたので、私は同人らが原健三郎議員に対する献金をすませたものと思つていた。関谷の議員室で、沢春藏が同人が後援会長をしている議員のところへ行くといつて出ていつたので、私も同人のあとを追い同議員室のある六階へ行き、そのあと多田らも六階に上つて来たが、六階の廊下で沢春藏に会い、同人からその議員が留守であることをきき、沢春藏のすすめで、私も多田らも同議員室に入つて一休みした。その間、私は同議員室で献金を予定している議員のところへ電話して在否を確めたところ、坪井準二が支持後援している第二議員会館に事務所を置いている議員だけがもうしばらくしたら帰つてくるとのことであつたが他の議員は不在であることがわかつた。留守の議員に対する分はやめて帰つたのではなく、それぞれなじみの者を通じて挨拶して後援会に献金してもらうことにしたのであるが二〇万円口四議員には上京者の中にはなじみの者はいなかつた。帰阪後の八月一七日の第五四回定例理事会の席上途中予定を変更して献金できなかつたことは報告してあると思うが、具体的なことは覚えていないし、これに対する理事の意見も記憶していない。八月一〇日当日には、私も多田らも原健三郎議員のところへは行つていない。検事調書中に原健三郎議員のところに行つた云々と供述記載されているのは、取調検事から本人の多田がそのように供述しているのではないかといわれ、私自身それに抗弁できなかつたからである。」趣旨の証言をし(第三四回公判、第三五回公判、第三七回公判)、

吉村良吉は、「有明館に大山貞雄もきており、同人は我々より先に有明館を出た。グランドホテルで多田から、大山貞雄が原健三郎議員のところへ献金をもつていつているから、これからすぐに行つて相互タクシーからも挨拶をして来い、といわれ、すぐにハイヤーで第一議員会館へ行き、受付所で同議員に対する面会証を記載して面会を申込み、すぐに連絡をとつてもらい原健三郎議員の議員室に行つたところ、同議員は大山貞雄と歓談し、領収証を書いて同人に渡していた。そして同議員室を辞去する際、同議員は私や大山貞雄に対し、社長(多田のこと)や皆さんによろしくいつといてや、といつていた。大山貞雄とは第一議員会館の玄関で別れたが、その際、同人は、献金を終えたので多田さんや皆さんによろしく伝えてくれ、といつていた。そのあと第一議員会館の入口で待つていたところ、多田らが来て、井上奨が関谷議員に対する面会証を書いて面会の申込みをし、同議員の議員室へ行つた。そのあと同議員室を出て沢春藏が後援会長をしている議員室に行き一休みしていた際、多田から命じられて有明館を通じて藍亭に飲食の申込みをし多田らと一緒に藍亭に行つた。藍亭で私は、多田から届けるようにいわれて、京乗協の顧問をしている議員に対する献金を預つた。」趣旨の証言をし(第三九回公判)、

高士良治は、「有明館に大山貞雄もきていた。関谷議員のあと沢春藏が後援会長をしている議員室を訪ね、そこで、井上奨が電話で献金を予定している議員の在否を確めていたが留守だということであつた。第一議員会館で大山貞雄には会つていないし、我々は原健三郎議員を訪問したことはなく、同議員から叱責されたということもきいていない。藍亭には被告人多田、沢春藏、坪井準二、口羽玉人、井上奨、辻井初男、吉村良吉、安永輝彦、私が集まり、そこで、留守の議員に対する分は、上京者の中で届けられる分は預け、届けられない分は大阪に帰つてから、理事がそれぞれ支持後援する議員の後援会に届けることとなつた。」趣旨の証言をし(第四〇回公判、第四一回公判)、

大山貞雄は、「八月九日に井上奨か多嶋太郎のいずれかから私(大山)に電話があり、明日全乗連副会長会議に行くかときくので、私が行く旨答えると有明館に寄つてほしいといわれたが、その時は用件はいわなかつた。八月一〇日有明館に行くと、多田から、君は原健三郎の地元だから原先生に献金をもつていつてくれ、といわれ、五〇万円入つているという金封をあずかつた。そして私は一人で有明館を出てタクシーで第一議員会館へ行き、五階の原健三郎議員の議員室に行き、秘書の磯口を通じて金封を同議員に渡そうとしたが、一旦は同議員室で同議員にとりついでくれた同秘書から同議員は辞退するといつているといつて返されたため一人でもち帰り兵乗協で保管しておいた。このとき私は、同議員には直接面談していないし、私は同議員室を出るとすぐに全乗連副会長会議に出席したので、多田や大タク協関係者には会つていない。」趣旨の証言をしている(第四一回公判、第四二回公判、第四三回公判)。

(ロ) 検察官に対する供述調書中の供述記載をみると、

坪井準二の昭和四二年一二月一日付(一)供述調書中、「八月一〇日に予定していた先生方には全部差上げて来る予定だつたのですが、兵庫の協会の大山会長と落合つて原健三郎先生の所へ行つた際に原先生から東京の業者のことを指してのことのようでしたが、金包みをもつてうろうろしていることが議員の間で評判になつているということと、法案審議中に金包みをもつてうろうろされては迷惑するといわれたので、その日はあとの予定を取りやめて、他の先生方には折りをみて、それぞれこねのある人から渡すということにしました。」旨の、一二月一三日付(二)供述調書中、「原健三郎先生が東京の業者のことを指して業者が金を持つてうろうろしていることが議員の間で評判になつているという意味のことをいつておられたことから、急拠予定を変更して有明館に引きあげた。有明館であとをどうするか話合つて皆でぞろぞろ行くと目立つからコネのある人から機会をみて渡そうということになり、私は多田から私が支持している議員の分をあつかつた。」趣旨の、昭和四三年一月五日付(一)供述調書中、「その日お礼を差上げに行つたが全部任務を果せなかつたのは、原健三郎先生のところで、原先生から前回申し上げたようなことをいわれたからそれで取りやめになつたので、そのことは記憶している。」旨、一月九日付(二)供述調書中、「沢からは、その日、同人が後援会長をしている先生は留守だということを何でも廊下できいた記憶があります。」、「そのあとで原健三郎先生からいわれたので取りやめて一同が議員会館を出たのですがその日沢が後援会長をしている先生のところには寄りませんでした。」趣旨の、各供述記載があり、

沢春藏の昭和四二年一二月五日付(一)供述調書中、「三階に降りてきて関谷先生の部屋の方に向つて歩いていく時、途中で多田社長らの一行に出会つた。多田社長は、私の顔をみると、今、原健三郎先生のところに行つたところ、先生から東京ではLPの問題で非常に神経質になつている、ここで金を持ち歩いていることが判ると大変なことになるといつておられるから、これ以上お礼に歩くと相手の先生方に御迷惑をかけることになるから、とに角旅館に引きあげよう、といわれたので、私は昨年の暮もいけなかつたがやはり今回もこういうことをしたらいけなかつたのだなと思つて、それから多田社長らと一緒に有明館に引きあげた。」旨の、一二月八日付供述調書中、「原健三郎先生のところで断られたうえ、注意されたので、私が後援会長をしている先生以下の方には用意して行つた謝礼をさし上げることはとりやめにして帰つた。」趣旨の、一二月一三日付供述調書中、「三階に降りてきたところ、多田社長と大山会長が何か話しながら奥の方からエレベーターの方に向つて歩いて来、そして他の人達もぞろぞろとついてきていた。その時井上専務理事も一緒だつた。多田社長は私の顔をみると、今原健三郎先生のところにお伺いしたところ、東京ではLPG問題で非常に神経質になつているから今大阪のタクシー業者が多勢で議員会館の中を金を持つて歩いていると大変なことになるぞと注意されたので、これ以上議員会館の中をお金をもつてまわるのは相手の先生方に迷惑をかけることになるから今日のところはとりやめて帰ろうといわれたので、私も多田社長のいわれたことはもつともなことだと思つたものですから、それに同意し、皆んなで議員会館の前に出ると待たせてあつたハイヤー二台に分乗して有明館に引返した。」旨、一二月一五日付供述調書中には右と同旨の、一月一〇日付供述調書中、「確かに関谷先生の前の廊下であつたと思つておりますが、これとて判然間違いないかと言われると、その前後の情況だけに判然した自信はなく、或いは五階の原健三郎先生のところであつたかもわかりませんが、今判然言えることは、とに角議員会館の何階かの廊下で多田社長や大山会長らと会い、今、議員会館の中を金をもつてウロウロしては危いと注意されたから引きあげようという話をきかされたということです。」旨の各供述記載があり、

井上奨の昭和四三年一月一二日付(二)供述調書中、「車に分乗してみんなが第一議員会館へ行つた。たしか九日に大山に対し待合わせの時間を電話連絡してあつたので、大山が第一議員会館の向つて右側の待合室入口付近で待つていた。そこで大山と落合い面会証を書いて関谷先生の部屋へ行くことになりエレベーターで三階に上つた。全員関谷先生の部屋の前まできたが大山、辻井は部屋の前の廊下に残つた。」、「三階のエレベーターの昇降口で、次は原さんのところへ行くという話をきいた。そこでエレベーターで五階に上り、みんなが降りた。私は沢一人が六階の同人が後援会長をしている先生のところへ上つてしまつているのが気になつており、エレベーターの昇降口より原先生の部屋に行く途中で、もつとも途中といつても部屋の前付近で、他の人目のないことを確めてから自分のもつていた金封入り鞄より裏に五〇万円と書いた小さな方の金封を取り出しこれを多田へ渡した。そしておいて、私は階段をのぼつて六階へ行き沢が後援会長をしている先生の部屋の前附近までくると中から沢さんが出てこられ、先生は留守だからといわれた」、「私から沢に、多田らが今、原先生のところへ行つておられるので、五階へ行きましよう、というと、沢もそうしようといわれたので、エレベーターで一階下り五階の原先生の部屋の方へ行きかけますと、多田らがぞろぞろエレベーターの方へ歩いてくるのと会いました。多田は沢や私の顔をみると、原先生のところで、廊下を金をもつてうろうろしていたら議員間でうわさになるからやめろといわれた、ここに居つてはいかんから早く引きあげよう、といわれた。」、「この場では、多田からも大山からも金封は私に戻されなかつた。」、「藍亭に引きあげてから、多田から原先生の分は大山に渡してあるからといわれたので、時期をみて大山が渡すのだなと思つた。」五階からみんなエレベーターで一階へ降りた。藍亭に行くという話は、私の記憶では議員会館の前で吉村あたりからきいたと思います。大山はその日ヒルトンホテルで行われていた副会長会議に出るとかでみんなと別れてしまつた。」趣旨の、一月一六日付供述調書中、「藍亭の二階で話し合いをした時、多田より金をもつてまわつても議員間で噂がたかまつては相手先生の御迷惑にもなるから今日はこれ以上まわるのはやめようといわれた。第一議員会館でも多田からは原先生から注意をうけたといつてこのようにいつておられた。」、「皆さん、話し合いの結果、議員先生と親しい間柄にあつて、また別の機会に渡せるというのであれば、その人にことづけて、その人が機会をみて噂にならぬように渡すということになつた。」、「昭和四一年春ごろ、私が新阪急ホテルで何かの会合の際、原健三郎先生に出会い、私から協会からの御中元を受取つて下さいましたかときくと、先生は、お前とこの金なんか受取れるかい、と怒つた調子でいわれた。」旨の各供述記載があり、

吉村良吉の昭和四二年一一月二七日付供述調書中、「議員会館では関谷、沢が後援会長をしている議員、原の部屋をまわつたが、私は廊下でまつていたり控の部屋でまつていたりして、代議士の顔はみていない。」趣旨の、一二月一四日付供述調書中、「関谷代議士のときは控室(秘書のいる部屋)まで入つた。他の代議士のときは廊下でまつていた。」旨の、昭和四三年一月二〇日付供述調書中、「関谷先生のあと原先生と沢が後援会長をしている先生のところに行つたと思うが、私は部屋の中には入つていない。兵乗協の大山が来ていたかどうか、その点はつきりした記憶がない。」趣旨の各供述記載があり、

高士良治の昭和四二年一一月二五日付供述調書中、「次の先生のところに行くために、第一議員会館に戻つたところ、廊下で吉村と会つた。そのとき、吉村が多田社長に、原健三郎先生のところに行つたところ、法案審議の最中に金を持つてくるのは、こつちが迷惑する、あいさつに来なくてもよい、という意味のことをいわれたと報告していた、すると多田も以後先生方のところをまわるのはやめよう、といつて有明館に帰つた。」旨の、一一月三〇日付供述調書中、「寿原、関谷以外の先生方の分については中止したと記憶しおります。中止した分をどうしたか私は知りません。後日においてもきいておりません。」旨の、昭和四三年一月六日付供述調書中、「関谷先生の部屋を出てから今度は原健三郎先生にお金を差上げるべく参りました。私は原先生のところに行くときには多田と一緒だつた。私は原先生の部屋の近くまで行つたが原先生の部屋には入つていない。原先生の部屋に行くとき兵乗協の大山と会つた記憶がある。原先生の部屋には大山さん達が入られたように思います。私は前に調べをうけた際に多田と一緒に原先生の部屋に行く途中で吉村と会つて、吉村から、原先生のところに行つたところ法案審議の最中に金をもつてくるのはこつちが迷惑するから挨拶に来なくともよい、といわれたように申し上げていましたが、このようなことをいわれたのは、吉村ではなく、大山か或いは多田かも判りません。私は多田が原先生の部屋に入られたのかどうかの記憶が判然致しません。しかし、何れにしても、原先生が迷惑する、といつたので、以後、先生方に金を差上げることを中止して議員会館を引きあげることにした。」、「中止した先生方に渡すお金がどのように処理されたのか私はきいておりませんから知りません。」旨の、昭和四三年一月八日付供述調書中、「藍亭で一部の先生方に差上げる金を中止してもち帰つた分について、どのような善後策をするかどうかについては話し合つたような記憶はない。」旨の各供述記載があり、

大山貞雄の昭和四二年一一月二七日付供述調書中、「八月一〇日の前日ごろ井上専務から電話で、全乗連の会議に行かれるでしよう、多田が国会の方に一緒に行こうといつているから議員会館の玄関で落合いましよう、といつた。私は多田がLPガス課税反対の陳情に一緒に行こうといつたものと思つた。」、「八月一〇日私は決められた時間に議員会館の玄関に行き、そこで多田らに会つた。」、「最初は関谷先生のところへ行つたと記憶する、そのあと多田は、私に原健三郎先生のところに行こうといわれ、私に、大山さん手みやげをもつてきているか、と言つたので、私は、別にもつてきていない、というと、多田は、それじや、うちの方からもつてきている、原さんは兵庫出身だから君が渡してくれ、といつて包みを渡された。」、「多田は、原さんにもわしは顔を出しているので原先生への名刺がわりだよ、といつた。辻井にいくら入つているのかときいたところ五〇万円といつていた。」旨の、一二月二三日付供述調書中、「多田らと議員会館の玄関で落合つてから一番最初に関谷先生の部屋に行つたが、私はその部屋には入らず廊下でまつていた。」、「多田らが関谷先生の部屋から出てくると、多田は、私に原健三郎先生のところに行こう、といつたので、多田らと連れ立つて原健三郎先生の部屋の前まで行つた。原先生の部屋の前で、多田が私に五〇万円入りの金包みを原先生に渡してくれといつて差出したので私は受取つた。」、「原先生の部屋には最初私が入り秘書の磯口に原先生に取り次いでもらつて私達は先生の部屋に入つた。先生の部屋には、二、三人入つたようでもあるが、誰れと誰れが入つたか記憶していないが、多田が入つたことは間違いないと思います。」、「私から原先生に、いつもお世話になつております、これは大阪からです、といつて多田から預つた五〇万円入りの金包みを先生に差出したところ、先生は、これは断る、といつて、こんなことはいかんよ、といわれたか、こんなことをしては危いよ、といわれたか、言葉ははつきりしないが金包みを差出したことをたしなめられた記憶がある。」「先生に断られたので、皆さんがそのまま先生の部屋を出た。部屋の外で、私は、そこに集つている人達に、このようなことは慎重にしなければいけないですね、といつた記憶があります。」、「そこで私は多田に預つた金包みを返そうとしたところ、多田が、適当な時期があるだろうから、君が預つてくれ、といわれたので、多田は私に時期をみて原先生に渡してくれといわれたと思つたので、そのまま金包みを預かつて、議員会館で多田らと別れた。」旨の各供述記載がある。

3 そこで検討するに、

(イ) 証人原健三郎に対する当裁判所の尋問調書によると、昭和四〇年八月一〇日午後、兵乗協の大山貞雄会長が衆議院第一議員会館五一三号室に、衆議院議員原健三郎を尋ね、原議員は大山と面談したこと、そのとき大山は単身ではなく、一人か二人の同伴者がいたが原議員はこの同伴者がだれであつたかについては全然記憶がないこと、大山は原議員に対し挨拶をすませると、「タクシー協会(或いはタクシー業会といつたのかその点は定かでないが)いろいろお世話になつておりますので、些少でございますが。」といつて金包みを差し出したこと、原議員はそれをみて、その包みの厚みから一〇万円や二〇万円ではなく、五〇万円か一〇〇万円といえる高額のように思われたし、同議員としてもタクシー業界に対して格別世話をした心当りもなく、しかも当時LPガス課税法案が審議中であり、そのうえ、大山は日頃お世話になつているというだけで、同議員の後援会に献金するともいわず、同後援会の会費として納めるということもいわないのでその金の趣旨について要領もつかめなかつたため、同議員は、そのような金を受取つて将来問題になると困ると考え、大山に対し、「こんな金いかがわしいから受取れん。」、「もつて帰つてくれ。」という趣旨のことをいい、さらに、「折角もつて来たのだから受取つてくれ。」という大山に対し、「こんなものをもつて来られたら迷惑する。」、「もつて帰つてくれ。」と突き返し、さらに秘書磯口を呼んで、「大山さんが金をもつて来たが返すからよくみておれ、問題になつたとき証人になれ。」と指示し、磯口もこれを承知したこと、そのため、大山は差し出した金包みをもつて、同伴者とともに同議員室を出ていつたことがいずれも認められる。そして、証人磯口弘栄の証言(第五二回公判、第五三回公判)も、この日大山が原議員を訪問し、磯口秘書が取り次いで原議員と面談したが、そのとき大山は一人で面談したものではなく大山には、二、三人或いは極く少数の同伴者があつたこと、同議員が大山に対し「こんなものをもつて来られては迷惑する。」などと大声でいい、磯口に、これを返すから証人になれと指示し、同議員がその場で大山に金包みを突き返した際その立会人になつたことなどの右原証言に副う供述をしている。

(ロ) 被告人多田の検察官調書中の前掲各供述中、被告人多田らが八月一〇日原健三郎議員の議員室で同議員と面談した際の状況に関する供述記載は、原議員から、東京の業者は議員のところに献金にまわりながらタクシー業界の為に一生懸命やつている自分(原議員)だけを洩らして献金してくれなかつたといつてうつ憤、不満をもらされ、議員の間ではタクシー屋みたいなものを相手にすると危いという噂がたつているといわれ、同多田が自分らは東京の業者ではなく関西の業者であるというと同議員は納得してくれたが、包みものをもつて歩くことはやめなさいといわれたので同議員と議論をした(一〇月二八日付(二)供述調書)、同議員から東京業者の不評判をきいた(一二月八日付供述調書)、同議員は怒つて東京の業者を非難した(一二月一三日付(二)供述調書)、同議員は東京の業者のやり方が悪いことを非常に怒つた(一二月一四日付(一)供述調書)、同議員は東京業者と同じようなみかたをするので気にくわなかつた(一月九日付供述調書)というものであつて、その骨子において、多嶋日記中の昭和四一年四月二二日欄中の「……議員会館に訪ね運賃改定について陳情、原健三郎代議士にも陳情した際『タクシー屋は問題にならない』、として口ぎたなく業界の不信をなじられる。関西は別だというように認識させるのにひと苦労する。………」という記載内容に酷似しており、被告人多嶋(第一〇〇回公判、第一二七回公判等)、同多田(第一一二回公判、第一一五回公判等)も公判廷において、昭和四一年四月二二日被告人多田、同多嶋、坪井準二らが運賃問題で第一議員会館に原議員を訪ねたとき、同議員が同被告人らを東京の業者と間違えて東京の業者の中にはろくな者はいないと非常に怒つており、その際(多嶋日記に記載されているように)関西の業者であることを認識してもらうのに骨折つたことやその際坪井準二が同議員に献金したことがあつた旨供述していることが認められ、また前示証人原健三郎に対する当裁判所の尋問調書を検討してみても、八月一〇日の当時原健三郎議員としては大山が同議員のところに一番最初に来たものと思つており、同議員ら国会議員の間でタクシー業者が金包みをもつて議員会館内をうろうろしているという噂があつたというのは、そのあとの事柄である旨証言し、さらに当時同議員は、大山一人を相手に話をしていたもので、大山と一緒に来ていたものも同議員室に入つてきていたがその者は何の発言もしなかつた旨証言していることは認められるし、八月一〇日原健三郎議員が大山らに面談した際、同議員が大山らを東京の業者と間違えたことは認められないし、同議員が東京の業者に対するうつ憤や不満をもらしたことも全くうかがわれないうえ同議員が大山以外の同伴者と声高にやりとりをし或いは議論をしたという形跡はうかがわれないのである。また、被告人多田は、公判廷において、前示のごとく、八月一〇日当日同多田が原議員の議員室を訪問したことはないし、したがつて同人と面談したこともない、検察官から取調べを受け前示各供述調書が作成された当時には、昭和四一年四月二二日第一議員会館の原議員の議員室で同議員と面談し、同議員とやりとりをし、議論にまで及んだことが頭に浮んで離れず、結局、右四月二二日の同議員室における同議員との面談のもようをとり違えて八月一〇日のことと錯覚して検察官に話してしまつた旨供述している(第一一三回公判、第一一五回公判)ことに鑑みると、本件八月一〇日原議員と直接面談したという際の状況に関する前示被告人多田の検察官調書中の供述記載は、原議員の右証言とも著しくくい違ううえ、時期を全く異にする昭和四一年四月二二日における原議員との面談の際における状況に酷似しており、昭和四〇年八月一〇日当日被告人多田に同行していた証人口羽玉人の前示証言を併せ考えると、当日同多田らが原議員の議員室を訪問したことを断じることもできないので、そうすると、八月一〇日被告人多田自らも大山と一緒に原議員の議員室を訪問し、同被告人自らが同議員から金包みをもち歩くことを注意されたという検察官に対する供述調書中の前示供述は、同多田の錯覚にもとづく供述であることの疑いがあり、その部分についての信用性には多大の疑問が存するものというべきである。

(ハ) 坪井準二の前記検察官調書中、前掲の原健三郎議員の議員室における同議員との面談の際の状況に関する供述記載は、右(ロ)において認定説示したところおよび坪井準二の前掲証言から、同人が検察官の取調べの際に昭和四一年四月二二日の原議員室における同議員との面談の際のもようを八月一〇日当日のもようと錯覚して供述している疑いが存するし、そのうえ、同人の同検察官調書中の、大山と落ち合つて原議員のところへ行つた際に同議員から迷惑するといわれたという供述についてみると、検察官調書を検討してみても、極めて抽象的で、結論的な記載しかなされておらず、同議員室で同議員と面談した者の氏名、人数、その際の同議員との対話の内容、さらに同議員に対し金包みを差し出した際の模様など供述の信用性を検討するうえで重要な点に関しての具体的な供述記載は全くないのであつて、結局、坪井の検事調書中の八月一〇日当日原議員を訪問し同議員と面談したという供述はにわかに信用しがたいというべきである。

(ニ) 証人大山貞雄の前掲証言中、大山は磯口秘書を通じて原議員に金封を手渡してもらおうとしたもので、同議員には直接面談していないという証言部分は、前掲の原証言や磯口証言によつて認められる前示事実に明らかに反し、措信するに足りない。

また証人吉村良吉の前掲証言中、原議員が金封を受取り領収証を書いて大山に渡し、議員会館で大山と別れる際同人から原議員に対する献金は無事終えたということをきいたという証言部分は前記(イ)において(証人原健三郎、同磯口弘栄の供述証拠により)認定した事実やさらに後日兵乗協から原議員の後援会の領収証が大タク協に送付されてきていない事実にも反し、到底採用できないところである。

4 (イ) ところで、検事土肥孝治外一名作成の面会証の写真撮影についてと題する報告書添付の面会証の写の綴りの中には、被告人多田外七名が昭和四〇年八月一〇日の本件当日一四時から一五時の間に被告人関谷に面会を申込んだ旨の面会証の写一通が存するほか、それより前の同日一三時から一四時の間に、大山貞雄および吉村良吉が原健三郎議員にそれぞれ単身で別々に面会を申入れた面会証の写各一通が存することが認められ、被告人関谷に対する右の面会証は井上奨が記載したことは同人の証言により、大山の原議員に対する右の面会証は大山が記載したことは同人の証言により、吉村の原議員に対する右の面会証は吉村が記載したことは同人の証言により、それぞれ認められ、

(ロ) 大山は八月九日井上奨から上京の連絡をうけた際に井上から、上京して原議員のところへ行く予定であるという話をきいていたことをうかがう証拠は全くなく、関係証拠によると、上京して被告人多田と会つた際、はじめて、原議員に対し金封を届けるよういわれたことは明らかであるし、大山の証言や同人の検察官調書を検討してみても、大山自身に八月一〇日当日原議員に面談する予定があつたことも認められないのであるから、大山が八月一〇日当日原議員に面談することを決意するに至つた時期は大山が被告人多田に会い、同被告人から原議員に対する金封を届けるよう依頼された時点であると認めらる(したがつて、大山が被告人多田に会う前に、第一議員会館に行き、あらかじめ、原議員に対する面会証を記載して、被告人多田らが第一議員会館に到着するのをまつということは、考え難いところである。)。そして、被告人多田らが第一議員会館に到着するとすぐ井上奨において、被告人関谷に面会する手続をするため、受付所で前記面会証を記載したことは関係証拠上争う余地なく認められるところであり、大山が記載した原議員に対する面会証の記載と井上奨の記載した被告人関谷に対する面会証の記載(欄外の面会申込時間の各記載)を対照して明らかなように、大山は、被告人多田らが第一議員会館に到着するよりもまえに、すでに第一議員会館に到着し、原議員に対する面会証を記載しているといえる。

(ハ) 被告人多田の検察官調書中には、単に、大山とは東京で合流したものと覚えているという供述記載および大山には協会で準備していた五〇万円を包んだのし袋を既に渡してあつて云々という供述記載があるだけであつて、大山にのし袋を渡した具体的場所に関する供述記載もみあたらない。

(ニ) かくして大山があらかじめ第一議員会館で被告人多田らと待ち合わせをし、同会館内で被告人多田から原議員に持参する金封を受取つた旨の井上奨、大山貞雄の検察官調書中の前掲各供述記載は採用できないといわねばならないし、また、大山の原議員に対する面会証とは別に、吉村の原議員に対する面会証があり、両面会証に記載されている面会申込み時間が、いずれも一三時から一四時の間であることから、右各面会証の記載自体によつても、大山と吉村は、原議員に対し、別々に、ほぼ時を同じくして、面会を申込み、面会しているものと優に推認することができる。磯口証人や原証人の証言は、原議員との面談者は正確な人数は判らず、二、三名程度であるというのであるから、大山と吉村が原議員と面談したという右認定に副うものであるし、原証人は、弁護人の反対尋問の際の質問に対しても、右認定に反する証言はしていない。

5 そうすると、前記4の(イ)ないし(ニ)において認定説示したところから、被告人多田らが第一議員会館で大山と待ち合わせをし、そのあと同会館で原議員に渡すべき金封を大山に手渡した事実に副う証拠は、これを採用し難いところであり、その結果、前記1および2掲示の証拠関係により、被告人多田は、八月一〇日午後一時ごろ、有明館で、大山に対し、原議員に届けるよう依頼して現金五〇万円入りの金封を預け、大山は直ちに単身第一議員会館に行き、受付所で原議員に対する面会手続をとり、同議員室に入つて同議員に面談し、同多田はグランドホテルで同行の吉村に対し大山のあとを追つて原議員に挨拶してくるように指示し、吉村は有明館からグランドホテルに乗つてきて待たせていたハイヤーに乗車し(昭和四〇年八月一一日付帝都自動車交通株式会社作成の有明館宛のハイヤー一〇六八号車の請求書及び領収証の記載)、大山の後を追つて第一議員会館に赴き、原議員に対する面会手続をえて、大山に接着した時刻ごろ同議員室に入り、そこで、大山は、原議員に対し金封を手交しようとしたところ、原議員からこんな金は受取れん、もつて来られたら迷惑するなどといわれて突き返され、やむなく、右金封をもつて吉村とともに議員室を出たものと認めるのが相当である。右認定に反する大山の検察官に対する供述調書中の前示供述記載は採用の限りではない。以上の認定を左右するに足る証拠はない。

(二) そこで、原健三郎議員に金員の受領を拒まれ、注意を受けたことを被告人多田らが知つていたこと、そのために、その後における金員供与を計画通り遂行しなかつたことについて検討するに、

1、証人坪井準二は、「坪井らは被告人関谷を訪問したあと第一議員会館の廊下で大山と吉村に会つたような気がする」と証言し、証人口羽玉人も「議員会館の辺りで大山と会つた記憶がある」というのであり、証人大山貞雄も検察官の取調べを受けた当時、「原議員の部屋を出たとき被告人多田と顔が合つたような気がしていた」と供述しており、証人安永輝彦に対する当裁判所の尋問調書によると、「被告人多田は被告人関谷の議員室を出るとき安永輝彦に対し、原健さんのところ行くので一緒に来ないか、といつた」旨証言しているのであつて、かかる証言や尋問調書の記載を総合すると、被告人多田らは、被告人関谷の議員室を出たあと、同議員会館内の廊下で大山や吉村と会つたことが認められ、その際同多田は大山より前認定のような原議員から注意されて金封を返されたことを聞いたことは容易に推認しうるところである。

2 ついで、第一議員会館において、被告人多田らが、沢春藏が後援会長をしている議員の議員室を訪問したかどうかについては、被告人多田の公判廷における供述をはじめ、これを肯認する証言も存するが、証人沢春藏は、右議員室を訪問した者は沢春藏一人であつて、被告人多田らは同議員室を訪問していない趣旨の証言をしており、坪井準二の検察官調書中には同議員室を訪問していない旨の供述記載があり、また井上奨の検察官調書中にも同議員室に行つた者は沢春藏一人である趣旨の供述記載もあることにかんがみると、被告人多田らが同議員室を訪問し且つ同室で電話を使つて献金予定の議員の在否を確めたという事実については、にわかにこれを肯認し難いというべきである。

3 その後、高士良治、口羽玉人外二名は待たせてあつたハイヤー一台で藍亭に引きあげ、被告人多田、坪井準二、沢春藏、外一名は、待たせてあつたもう一台のハイヤーで国会の近くにある第二議員会館内にある、坪井準二が支持後援する議員を訪問したが不在であつたため、直ちに藍亭に引きあげ、藍亭において、坪井準二が支持後援している議員に対する現金三〇万円入り金封は坪井に届けてもらうこととして同人に預け、口羽玉人となじみがあり同人が支持後援している議員に対する現金三〇万円入り金封を口羽に届けてもらうため同人に預けようとしたところ、その場で同人が固辞したため、これを京乗協の顧問的立場にある議員に対する分に振りかえることとして京乗協に届けるよう依頼して吉村に預け、残りの二〇万円口四口は大タク協に送り返すこととしたことは、いずれも前掲関係証拠により明らかである。

4 ところで、被告人多田は、被告人関谷に対する献金を終えたあと、献金予定の議員がいずれも不在であり且つ暑い折でもあつたため、さしあたり議員室に帰つてくることが予想されていた、坪井準二が支持後援する第二議員会館内の議員のところをまわつて藍亭に引きあげ、同所で、なじみのあるものから直接手渡してもらうこととし、坪井が支持後援している議員分は坪井に、京乗協の顧問的立場にある議員分は吉村を通じて京乗協に、沢春藏が後援会長をしている議員分は沢春藏にそれぞれ預け、同人らから直接献金してもらうこととし、残りの二〇万円口四口分については、上京者中にその議員となじみのあるものがいなかつたため、大タク協事務局の方で右の四議員に届けるよう依頼して大タク協に送り返した旨供述し、さらにその後右四議員分については盆の時期が過ぎてしまつたことや同議員らが在京議員であるため費用と時間もかかるためとりやめることとなつた旨供述し、証人口羽、同坪井、同井上、同高士も被告人多田の供述に副う趣旨の証言をしている。

ところが、被告人多田らは、本件の献金をする場合には大タク協幹部がうち揃つて議員に対し直接挨拶をして献金を渡すところにその本旨がある旨強調しながら、且つ第一議員会館を出てからも第二議員会館の右の議員のもとには被告人関谷や寿原正一に対する場合と同様に上京者全員が揃つて挨拶に赴くことに何ら支障がなかつたのに、被告人多田、坪井、沢、外一名が赴いたにすぎず、また、寿原正一および被告人関谷を訪問した際には同多田らと同様な振舞をしてきていた口羽が、藍亭において同人が支持後援している議員に対する金封を届けるよう依頼された際、これまで再三陳情に赴き且つなじみが深い筈の議員であるのに、これを固辞しておりついに金封の供与に明らかに懐疑的態度をとつていることが認められる。そして、その後においても、口羽が支持後援していた右議員および二〇万円口の四議員に対しては、金封或いは金員の供与が行われていないのであり、被告人多田においては、本件を後援会に対する正当な政治献金であるとくり返し供述してきていることにかんがみれば、帰阪後直々に面談挨拶ができなかつた添書きをつけて送金等の方法による盆の時期に間に合う献金の実行は容易であり或いは盆の時期をすぎても上京持参して挨拶し献金を実行することもさして困難なことだとも思われないのに、何らかかる手だてをし、或いはしようとした形跡すらうかがわれないばかりか、本件の金員供与を計画した際は理事会で正式決定したものであると言いながら、右五口の献金分についてはこれをとりやめることとした旨の理事会の決定があつたということは認められず、どのような理由でとりやめにしてもち帰つたかについて適格な報告がなされたことをうかがう証拠もなく、本件金員供与のため上京した高士良治の検察官調書中には、中止した分をどうしたか知らないし、後日においてもきいていない旨の供述記載もあることにてらしても、供与をとりやめた右の五口分についてきわめて曖昧に処置されてしまつていることが認められる。

5 以上(1、2、3、4)の各事実や事情が認められるのであるから、かかる事実や事情を勘案しながら被告人多田や大山を除く前記関係人の検察官に対する供述調書中の、本件金員の供与の計画の変更並びに計画の一部を中止するに至つた事情についての供述部分を検討して総合して判断するに、金員贈与計画の実施の一部変更や、口羽が支持後援していた議員に対する予定分を含む三〇万円口一口および二〇万円口四口の金員供与計画を取りやめるに至つたことには、八月一〇日当日第一議員会館内廊下において、被告人多田らが大山らから、原議員から金封の受取りを拒否されて突き返されたうえ注意をうけたことをきいたことが大きな原因の一つになつていることは、これを肯認せざるをえないというべきである。右認定を左右するに足る資料はない。

第六本件金員の賄賂性について、

一 被告人関谷、寿原の職務権限について

本件法案は、昭和四〇年二月一一日内閣から衆議院に上程され、本件当時は、衆議院大蔵委員会において審査中であり、その後、衆議院本会議に上程されたこと、被告人関谷、寿原は、本件当時、衆議院議員の地位にあり、かつ衆議院運輸委員会の委員であり、また自民党では同党交通部会に所属していたことは、すでに認定したところである。

ところで、国会議員は、所属議院の議員たる地位にもとづいて、同議院に係属する法律案その他の議案につき審議表決する権限を有する。

国会審議における議事運営は委員会中心主義がとられているが、議員は、国会法、衆議院規則等に則つて、自己の所属する議院の本会議あるいは自己の所属する院内に設けられた委員会において、法律案その他国政に関する各種議案の発議、修正、質疑、発言、審査及び審議、表決等をなす権能を有する。そして、自己の所属しない委員会の関係をみると、国会議員は、すくなくとも一個の常任委員となるとされており(国会法四二条二項)、かつ議員がどの常任委員会に所属するかは、会期ごとに定められることになつているが(同条一項、衆議院規則三七条)、もともと、議員は、どの委員会にでも所属する可能性はあり、必要があるときは、差しかえによつて委員会の委員となる運営の実情にあり、また、実質審査は委員会において行われるものとしても、その委員会の表決(審査の結果)は原則として議院の意思となるのではなく、議院の意思として形成されるためには、いずれ、本会議における議事を経なければならないと規定されているのであるから、すべての議員は、本会議の場においてこれに参加できるものであり、さらに、「委員会は、審査又は調査中の案件に関して委員でない議員に対し必要と認めたとき、又は委員でない議員の発言の申出があつたときは、その出席を求めて意見を聴くことができる。」との規定が設けられていて(衆議院規則四六条)、委員会としても、委員以外の議員の委員会への出席を求めてその意見を徴することによつてこれを尊重することとし、委員以外の議員としても、委員会に出席して意見を述べることにより、その意見を委員会の審査や表決に反映させることができるのである。このようにみると、議員は、自己の所属しない委員会に属する議案の審査、表決についても議員の地位にもとづく権限に属する事項として一般的権限を有するとみるべきである。結局、国会議員は、自己の所属する議院の議事一般についてこれに関与できる一般的職務権限があるというべきである。また、委員外の議員が委員会に所属している議員に働きかけ、法律案に賛成し、或いは反対し、もしくは修正するよう勧説 (勧誘説得)する行為は、それ自体としては、国会議員としての一般的職務権限に属するものであるとはいえないが、勧説はその相手方議員の職務権限の行使に影響を与え、これを方向づける行為であるということができるから、勧説する議員の職務の執行に密接に関連した行為と解すべきである。さらに、議員がその委員会に属していない同僚議員に対して勧説する行為は、政党政治の実際の下では、党議を自己に有利に方向づけようとする党議形成の為の準備行為としての側面もある場合もあることは認められるが、それが党議限りで終る案件であれば格別、殊に、現に国会で審議中の法律案の成否もしくは修正にかかわるものである場合には、政党活動であると同時に、その議員の本会議の場における職権行使を自己の審議表決の方向に向けて直接影響力を与える行為であるので、賄賂罪の趣旨を公務の不可買収性に対する国民の信頼の保護に求めている点からみれば、前叙の場合と径庭はないのであつて、職務に密接に関連する行為と解するのが至当である。

そうすると、本件法案の場合、被告人関谷、寿原が、自ら衆議院本会議に出席して審議表決をなす行為は、職務行為であり、法案を廃棄にし、或いは否決もしくは修正するよう大蔵委員を勧説する行為も、また右委員以外の同僚議員を勧説する行為も、いずれも、職務に密接に関連する行為である、ということになる。

二 被告人関谷、寿原に対する請託について、

1 被告人関谷および寿原正一は本件法案の審議、表決につき、一般的職務権限を有するところ、被告人多田、同多嶋、沢春藏、坪井準二ら本件金員供与の共謀者らが、被告人関谷、寿原に対し本件金員を供与するに際し、同関谷、寿原に対し、これまでの尽力に対する謝礼の趣旨とともに当時衆議院大蔵委員会において審査中の本件LPガス課税法案につき、否決、廃案、さもなくば税率軽減や課税実施時期の延期など業者側に少しでも有利に修正されるように大蔵委員に働きかけるよう、さらに、本件法案が衆議院本会議に上程され、本会議で審議されるようになつたときには、同本会議において本件法案が否決、廃案ないし右のごとく業者に有利に修正されるよう、同関谷、寿原自身が本会議に出席して質疑し、審議、表決に加わるなどそのためのあらゆる努力を尽すとともに、他の同僚議員に対しても同様の働きかけをしてくれるように期待してその旨依頼し、金員を手交したものであることは、前掲関係各証拠により認められるところである(被告人多嶋、沢春藏、坪井準二の検察官に対する各供述調書中の関係部分には、その趣旨の供述記載が認められる。)。

2 そこで、被告人関谷、寿原において、本件金員を受領するにあたつて、被告人多田、同多嶋らの右の期待や依頼の趣旨を認識了承していたかどうかについて検討することとする。

被告人関谷、寿原は、自動車用燃料のLPガスに対して課税されるようになれば、タクシー業者が経営上受ける打撃は大きく、被告人多田や同多嶋ら大タク協関係者らがこのLPガスに対する課税に反対し、もし課税法案が成立するようなことになつても、税率の点や課税実施時期の点などで、タクシー業者にとつて少しでも有利な内容の法案になつてほしいとの強い要望をもつており、そのため、国会議員であつて、運輸問題に特に造詣が深く長老議員の同関谷、活動的で実行力のある寿原とに、かねてよりそれぞれ強い期待を寄せていたことは自らがよく知悉していたところである。しかも、同関谷、寿原は、前示第四の「犯行に至る経緯」の項に説示しているように、同多田、同多嶋やその他大タク協関係者らと面談したり懇談したりした際には、むしろ、自分の方からすすんで、このLPガス課税法案に対し、どのように対処してき、これからもどのように取り組んでいくつもりでいるかについて話をし、その都度同多田、同多嶋らから今後の尽力を依頼されてきているのである。ことに、同関谷は、同多田、同多嶋ら大タク協関係者らに対し、「やがて、LPガス課税法案は国会に上程され、大蔵委員会で審議される。自分も努力するから業界もしつかり陳情するように。」と話し(前示第四の41)、同多田、同多嶋に対し、「大蔵委員会の先生方は業界の実情をよく判つておられないので、どうしても業界のことに詳しい運輸委員会の方から業界の実情を説明してやらねばならない。」と話し(同49の(2))、同多嶋に対し、「党内には、一旦きめたものだけに業者の言うことは虫がよすぎるが、運賃を上げてやつていないので、そういうことも判らないではないし、やり方をどうするか、もう一度考えてやる必要があるのではないかという空気がでてきている。」と話し(同54)、同多田、同多嶋ら大タク協関係者らを前にして「LPGの課税は来年度まで延期されたが、次回の国会で議案が通過するようであれば、過日審議未了にした意味がなくなるので寿原氏と共々手を打つて行きたい。」とのべ(同70)、同多田に対し、LPガス課税法案を廃案にすることはむつかしい旨話し(同81)ており、寿原は、同多田、同多嶋ら大タク協幹部らを前にして、「近く国会でLPG課税法案の審議が始まることだから、何とか業界ががまん出来るような線までもつていくようにしたい。」と話し(同40)、同多田、同多嶋ら大タク協関係者らを前にして、「LPG課税問題は業界の結束による協力があれば阻止できる。」と話している(同70)ことがそれぞれ認められる。そのうえ、同関谷、寿原は、本件法案が大蔵委員会に付託されてからのちの時期において、同大蔵委員会委員の坊秀男に対し、代議士会や国会内の廊下などにおいて、折にふれ、「あの法律はやめようではないか。あんな税はやめてしまつたらどうか、タクシー業者が死んでしまう、中小業者のことを考えてみたらどうか。」などといつて働きかけ(証人坊秀男に対する当裁判所の尋問調書)、本件法案が衆議院大蔵委員会に付託されていた同四〇年三、四月ごろ、当時の衆議院議員で自民党政務調査会長の周東英雄に対し、自民党三役会合の席上において、「ちよつともわれわれの考え方に協力してくれないではないか。政調会長はどうして我々の意見に同調してくれないのか。」などといつて、本件法案がタクシー業者に有利に修正されるように取計つてもらいたいと働きかけ(周東英雄の検察官に対する供述調書)、さらに、同関谷は、本件法案が衆議院に提出されたのち、衆議院運輸委員会委員の浦野幸男に対し、自民党交通部会その他の機会において、「LPG課税は無茶だよ。すぐに税をとるというような馬鹿なことがあるか。」などといつて課税反対或いは課税時期を延期するように働きかけ(浦野幸男の検察官に対する供述調書二通)、寿原は、本件法案が衆議院に提出され、大蔵委員会に付託されたのち、同大蔵委員会委員の田沢吉郎に対し、国会内廊下で、LPGに課税しないようよろしく頼む旨言い、本件法案に反対するように働きかけ(証人田沢吉郎に対する当裁判所の尋問調書、寿原正一の検察官に対する昭和四二年一二月二二日付供述調書)、また、衆議院議員中曽根康弘、同桜内義雄に対し、同大蔵委員会委員の山中貞則議員になんとかタクシー業者の納得のいく線で法案の修正に応ずるように頼んでもらいたい旨依頼し(寿原正一の検察官に対する同年一二月二二日付、同月二六日付各供述調書)、さらに、右法案が衆議院に提出されたのち、衆議院運輸委員会委員である田辺国男議員、川野芳満議員、細田吉藏議員、浦野幸男議員および同僚議員である永山忠則議員、荒船清十郎議員らに対しては、「LPG課税反対を頼むぞ。」、「運賃を押えておいて課税されたのではタクシー業者が潰れてしまう。」などと言い、また、衆議院運輸委員会委員で社会党所属の肥田次郎議員、同泊谷裕夫議員に対しては、「LPG課税反対のため頑張つているから君達も頑張つてくれ。お互いに力を合わせて法案に反対しよう。」などと言つてそれぞれ働きかけた(証人細田吉藏に対する当裁判所の尋問調書、肥田次郎、浦野幸男の検察官に対する各供述調書、寿原正一の検察官に対する同年一二月二二日付供述調書)ことが認められる。

3 本件当日においても、前示のように、被告人多田、沢春藏、坪井準二、口羽玉人、井上奨らが寿原、被告人関谷の各居室を訪れた際、同多田が右の一同を代表して、寿原に対しては、「いつもお世話になつています。今日は皆で来ました。」「まことに些少ですがどうかお納め下さい。」といつてお礼に来た旨をのべて本件金封を手渡し、同関谷に対しては、「いつも御厄介になつています。今日は皆でやつて来ました。これは些少ですがお納め下さい。」といつてお礼に来た旨をのべて金封を手渡したものであつて、その際同多田はもとより、右の同行者のいずれも、前示(1)で認定したような同多田らの寿原、同関谷に対するガス課税法案の否決、廃案、税率軽減、課税時期の延期等に自ら尽力するほか他の議員にも働きかけるようにとの内容の期待や依頼に関し、これを具体的に明示して申入れた事実は認められないのであるが、この金封を受取つた寿原において、自らすすんでLPガス課税反対運動の経緯や本件法案の今後の見通しなどについて自分一人で尽力しているかのような話をしていること、同関谷においても自らすすんでガス税法案については十分やるから任せておいて下さいなどと話していること、これに対し、同多田らはこれを受けて「今後ともよろしくお願いします。」とのべているのであつて、同多田らの右の言葉はガス税に関する依頼の趣旨を含むものであるということができ、その内容は同関谷或いは寿原の右の話の内容と同人らに対し同多田らがこれまで陳情ないし依頼した内容からみて、LPガス課税法案について、これを廃案ないし税額軽減および課税時期延期について尽力方を依頼する趣意を含んでいるものであることは当事者間には自明の具体的な内容のものとして看取できたものである。これらの事実に、前に(2において)認定したように同関谷、寿原が大蔵委員会の委員たる議員や他の議員に働きかけた諸事実を合せて判断すると、同関谷および寿原は本件金員を受取つた際、同多田らが前(1)に認定した(法案の否決、廃案、税率軽減、課税時期延期等有利な結果にするよう自らまた他の議員に働きかけて尽力する)趣旨の依頼をするために本件金員を持参してきたものであることは具体的によく認識し了承していたものであると認めるのが相当である。

4 そうすると、被告人関谷、寿原は、いずれも、その職務に関して請託を受けて本件金員を収受したものであると認定するのが相当である。

三 金員供与の趣旨について、

検察官は、被告人関谷、寿原正一に対する本件金員供与の趣旨は、同関谷、寿原正一が、本件法案の成立を阻止し、或いはそれが困難な場合には課税実施時期の延期ないし税率の軽減など、タクシー業者にとつて有利な結果となる法案の修正が実現するように衆議院議員として尽力してくれたこと並びに今後も同様の尽力を受けたいことに対する謝礼の趣旨で供与したものである、と主張する。

これに対し、弁護人らは、同関谷、寿原正一に関する本件金員は同関谷、寿原正一の後援会に対する中元献金である。すなわち、本件金員の供与は、タクシー業界となじみの深い国会議員に対しその平素の好誼に報い、その政治的立場と活動を支持するため、盛夏中元の候に当り、時候の挨拶をかねて、各議員の後援会宛に贈られた政治献金であつて、その目的とするところは、日常の一般的配慮に対する謝礼(お礼心)の表示であり、その趣旨とするところは、代議士各位の一般的政見に対する支持表明であつて、いわゆるLPガス課税反対運動における国会議員としての尽力行為に対する謝礼の意味は全くなかつた旨、主張する。

そこで、本件金員供与の趣旨並びに本件各金員が、被告人関谷、寿原各個人に寄附されたものであるか或いは同関谷、寿原の各後援会に限つて寄附されたものであるかの各認定に関する諸点について、以下検討する。

1 (課税反対意思)

前記第四(犯行に至る経緯)に掲記したように、大タク協は、自動車用燃料のLPガスに対する課税問題が起こるや、この課税によつて会員会社が受ける打撃が極めて大きいことから、昭和三九年一二月一八日になされた課税時期を大蔵省の原案よりも九ヶ月延期して同四一年一月一日からとする旨の業者により有利な自民党のいわゆる党議決定があるまでの間は、会員会社を挙げて課税反対運動の先頭に立つていた全乗連に協力して課税反対運動に積極的に取り組み、その中でも、被告人多田、同多嶋ら協会幹部が中心となつていたもので、殊に同多田は、坪井準二、沢春藏らとともに本件課税の主管大臣で且つ自民党の実力者でもある当時の田中角栄大蔵大臣に二度に亘つて上京して陳情するなどしており、同多嶋は、再三上京し、全乗連幹部らと一緒に自民党中村総務会長(二回)、田辺交通部会長、大阪府選出の国会議員らに陳情し、さらに同多田らとともに右の田中角栄大蔵大臣にも陳情を続け、右陳情の当時において、本件課税の阻止を願い或いは課税実施の時期の延期を希念し、それがため課税反対運動にかける同多田、同多嶋らの熱意は大きいものであつた。ところが、右のように、同三九年一二月一八日課税実施時期を九ヶ月延期する旨の自民党の右党議決定がなされたことから、大タク協としては、課税実施時期を九ヶ月延期するという程度のことでは決して満足できるものではなかつたが、それでも、とに角、課税実施時期がひとまず先に延びるという業者に有利な内容のものであつたので、同年一二月二二日の大タク協理事会において、かねて計画していた自民党に対する一億円の献金を予定通りに実行することと併せて、同関谷、寿原正一ら一一名の国会議員に対し同多田や同多嶋らが呼称している年末献金を行うことを決定した。そして、その過程の中では、この課税九ヶ月延期の自民党の党議をそれまでの課税反対運動の一応の成果であるとして評価しようという意見が高まり、また、当時、衆、参両議院の議員構成では、自民党所属議員が過半数以上の議席を占めていたことから、自民党の右党議決定を内容とするLPガス課税法案が政府案として国会に上程され、いずれその案のとおり法律として可決してしまうのではなかろうかという意見もあつたことから、大タク協としては、翌四〇年に入ると、直ちに、タクシー運賃の改定を当面の運動目標に立てて、運賃改定申請の準備にとりかかつたが、LPガス課税反対運動については、全乗連が表立つた行動をとつていなかつたこともあつて、大タク協としても同年三月ごろまでは、これが積極的な行動にはでていなかつた。しかし、大タク協の一般会員会社としても、また被告人多田や同多嶋ら大タク協幹部としても、当初からこの課税反対運動を自民党の党議形成段階だけにとどめるつもりで行動していたということではなく、むしろ、自民党の党議形成過程であれ、法案上程後の国会における法案の審議の過程においてであれ、とに角、この課税を阻止し、どうしても課税されるようなことになるのであれば、税額を幾かでも軽減し、課税実施時期を少しでも先に延ばしてもらいたいという一念であつたことは前掲の関係証拠上優に認められる。ことに、右の理事会(同三九年一二月二二日)の席上、議長をつとめていた同多嶋が同多田らの理事を前にして、挨拶の中で、「課税時期までに一年間ある、デイーゼルの三年間延期の例もあるので、LPG委員長、わたくしともども、今回の運動のコネを利用し、課税実施延期の運動をしてゆきたい。」との見解をのべていることや、被告人多田、同多嶋や沢春藏、坪井準二らが同年一二月二五日夜東京赤坂の料亭「近松」に同関谷、寿原正一を招宴し、同被告人らのこの課税問題に対する尽力に対し謝意をのべたのに対し、特に寿原正一から、LPガス課税法案がやがて国会に上程されるであろうことやそのときは同人としても業界としてやつていける線のところまでなんとか協力する旨言われた際、こもごも、「よろしくお願いします。」といつて被告人多田、同多嶋らの意に副う同関谷および寿原正一の今後の尽力を期待している趣旨のお願いをしていることにかんがみると、同多田、同多嶋ら大タク協幹部らは、九ヶ月延期の自民党の右の党議を一応の成功としながらも決して満足していたわけではなく、LPガス課税法案の国会審議の過程を通じて、さらに、今後も、廃案或いは課税額の引下げや課税実施時期の延期を希念してなおゆるぎない課税反対意思をもちつづけていたことも認められるのである。被告人多田についてさらに付言すると、同被告人は、同四〇年六月一〇日までは、専ら、自民党、社会党、民社党に対して同日行つた総額一億一、〇〇〇万円の前記政党献金の準備や実行に当つており、同日後においても自らが業者大会に出席するとか上京して陳情に加わるなどということはしておらず、本件金員供与に関しても、自らは発議していないばかりか、むしろ同多田の不在中に同多嶋や沢春藏らが発議し決定したものではあるが、それでも、大タク協の理事会に出席するなどして、当時全乗連や大タク協幹部らが中心になつて行つていたこの課税反対のための行動やその時々の法案審議の進展状況をよく知悉していたばかりか、もともと自民党に対する一億円献金それ自体がこの課税反対運動を少しでも業者側に有利にしたい意図で行われたものであり、同多田も六月二一日の同好会、同月二八日の臨時理事会の席上において、本件金員供与を行う含みをこめてその資金を確保しなければならない趣旨の発言をしているし、同年八月五日の同好会においては、同多田は前日の四日に上京し同関谷と面談して入手してきた本件法案の国会審議の見通しに関する報告をするとともに、本件金員供与の実行日を八月一〇日にすることを卒先して提案して決定していることも認められることなどから、本件当時、同多田が本件課税反対運動について単なる傍観者的立場をとつていたにすぎないとは到底いえないのであつて、むしろ、同多田も、関心をもつて国会審議の動向を見まもり、大タク協幹部の一員として、課税反対運動の一翼を担つていたことは明らかである。

2 (本件金員供与が行われた時期)

右にみたように、自民党の課税九ヶ月延期の党議決定後は、それまで盛り上りをみせていた大タク協の課税反対運動は一時休息の状態にあつたが、同四〇年三月二六日開催された全乗連第一一回政策審議会、免許制対策特別委員会、LPガス課税反対特別委員会の合同会議を一つの契機として、同多田、同多嶋、口羽玉人ら大タク協幹部は、全乗連が自民党のみならず、社会党や民社党にも働きかけ、課税反対運動を再び活発に開始していることを知るとともに、さしあたり、右の合同会議において、課税額をトン当り一万七、五〇〇円から六、〇〇〇円に減額することを要望し、関係官庁や与野党議員に巾広く陳情することが決定されたことや、さらにその後、全乗連から特に大タク協に対し課税反対運動に対する協力を要請されたこともあつて、大タク協としても当面の重要課題として会員会社をあげて、再び全乗連に協力して課税反対運動にとり組むこととし、同多嶋や谷源治郎、口羽玉人らLPG委員らが中心となり、東京で開催された業者大会に代表者を出席させ、関係官庁や国会議員らに対する陳情に加わるなどしてきており、本件金員供与の企ては、まさに、同多嶋ら大タク協幹部らが中心になり、大タク協をあげて行つていた当面の重要課題であつた課税反対運動を行つていたさ中に企て、実行されたものであることは明らかに認められるところである。

3 (国会審議の動向に関する認識と対応)

本件法案は、第四八回国会の会期中、内閣から同四〇年二月一一日衆議院に提出され、同月二三日同院の大蔵委員会に付託されて同委員会で審査が行われ、同年六月一日閉会した同国会では継続審査に付されることになつたが、全乗連では、その直後から海田LPG対策特別委員長らが中心となつて、ブロツク代表者会議を開き、或いは地方各協会のLPG委員らを招集して在京幹部との打合せ会を行つてその対策を協議するとともに、その会合の席上などで、さしあたり次に開会される臨時国会やその後の通常国会で本件法案が再び審議されることは必定である旨の説明をしたり情報を流し、早急に確固たるその対策をたてることが必要である旨強調し(第四の67、69)、さらに各協会に対し、次の臨時国会(同年七月二二日から同年八月一一日まで)で本件法案の審議が行われることが予想されるので、同国会でとに角再び継続審査にもちこむことができればその次の臨時国会(いわゆる日韓国会)では廃案にもちこむこともできるとの理由で早急に与党、野党を問わず全国会議員に課税反対の陳情をするように指示して陳情書を送付し(同73)、大タク協は、全乗連からのかかる指示にもとづき、大旅協との合同LPG委員会を開いて地元選出の国会議員に対する陳情の打合せを行い(同74)、さらに七月二〇日の理事会の席上で全乗連の指示するところに従い地元選出議員に対する課税反対の陳情を行うことを決めた(同76)。このように大タク協としても全乗連の指示に即応して、同年七月二二日開会された臨時国会において本件法案が成立することを警戒し、とに角廃案か或いは少くとも継続審査にもち込むべく国会議員に対し陳情を行うことをきめていたところ、同月三一日の大蔵委員会で自民党所属委員が本件法案に賛成の立場で質疑を行つたことから、政府や自民党筋では、本件法案を可決成立させる気構えでいることを看取した全乗連の要請により、その対策の為の戦術協議と陳情のため谷、口羽LPG正副委員長および井上、佐藤の大タク協両専務理事が急拠上京したが、その際、同人らは、海田LPG対策特別委員長から自民党がこの臨時国会でLPガス課税法案の成立を目論んでいることや八月八日ごろがその山場になるようなので、そのころにも陳情をする予定にしているといわれてその協力方を要請されたところ(同79)、被告人多嶋は、井上、佐藤の大タク協両専務理事から、同人らが帰阪した同月三日、直ちに、海田LPG対策特別委員長からきいた右の事実の報告を受けているのである(同80の(2))。そして同月五日の同好会の席上において、口羽LPG副委員長および井上、佐藤の両専務理事から海田LPG対策特別委員長の右の説明が報告され、被告人多田も、同月四日上京して被告人関谷からきいてきたLPG課税法案の審議の見通しについて、今国会ではどうにか継続審議にもち込めるもようではあるが、廃案にすることは到底難しいし、楽観はできないということや、この次の秋に予定されている国会が問題である旨の報告をし、本件法案の今後の見通しなどについて話し合つた(同82)。

ところで、被告人多田、同多嶋らの同関谷、寿原正一に対する本件金員供与に関する共謀の成立過程における発端が同多嶋については七月二〇日の選衡委員会であり、同多田については八月五日の同好会であつたことは、前記第五の一の3において認定したところであり、同関谷、寿原正一に対し本件金員を供与した日時が同月一〇日であることは、前記第五の二の(三)および(四)において認定したところであるが、同多嶋や沢春藏、坪井準二、口羽玉人、高士良治らが同関谷、寿原正一らに本件金員を供与することを謀議した右の七月二〇日ごろには、すでに会期を七月二二日から八月一一日までとする臨時国会の開会を直前に控え、しかも同国会においてかねて継続審査に付されていた本件法案の審議が再び行われることが必定で、場合によつては同会期中に法案が成立するようなことになる懸念もあり、業界としては、とも角廃案か少なくとも再び継続審議にもちこみたいと強く望んでいた時期であり、同多田が同多嶋らの同関谷、寿原正一らに対する本件金員供与の企てに参画しともに実行しようと決意し、且つ同多田や同多嶋らの間で、右の金員供与を実行する日を会期末の前日の八月一〇日に決定するにつきその下打合せを行つた八月五日には、同多田、同多嶋や本件共謀者らの間で本件法案の今後の見とおしについて話し合いが行われており、政府や自民党が八月一一日までの同国会の会期中に本件法案を成立させるのではないかという情報も全乗連幹部らから大タク協に入つてきてはいたが、それでも、同多田が同関谷からきいてきたところによると、本件法案は同国会ではどうにか継続審議になるもようであるが、この次の秋に予定されている国会では予断を許さないという情況であつたというのであるから、当時の同多田や同多嶋らの心情としては、当時開会されていた国会では本件法案は成立することはないであろうと予測してひとまず安堵するとともに次の国会で、廃案になり或いは継続審査にもち込まれることを強く希念し、反面その可決成立を懸念していた時期に該るのである。

4 (本件被供与者の人選と金額の決定)

(1) 被告人多嶋、同多田、沢春藏、坪井準二、口羽玉人、高士良治らが同四〇年七月二〇日の選衡委員会(同多田欠席)および理事会(同上)、八月五日の同好会、同月九日の理事会における各協議を経て、本件公訴事実にかかる被告人関谷および寿原正一に対する各一〇〇万円宛の金員の供与を含む合計一一名の国会議員に対し、三議員に一〇〇万円宛、一議員に五〇万円、三議員に三〇万円宛、四議員に二〇万円宛とする内訳で、総額五二〇万円を供与することに決定したことは、前記第五、一、2、(4)に認定したとおりである。

(2) そこで、右議員らの当時の地位や立場をみるに、

(イ) 一〇〇万円口の議員である被告人関谷および寿原正一は、いずれも、LPガスに対する課税問題が起こるや早くから課税反対を強く標榜してきていたもので、議員の中でも同多田、同多嶋と古くから付き合いがあつて、親しかつたうえ、同関谷においては自民党では交通部会の長老格で、税制調査会委員をも兼ね、衆議院では長年運輸委員をし、かつて運輸政務次官を歴任したこともあつたことから、また寿原においては自民党では交通部会に属し、衆議院では運輸委員をしていたうえ、自らタクシー業者でもあつたことから、同多田、同多嶋としても、またその余の大タク協幹部らとしても、同関谷および寿原に対しては、ともに、タクシー業界の実情にくわしく且つ頼り甲斐のある議員として、殊更に陳情という形式ばつた行動をとるまでもなく、タクシー業界の経営の苦しい実情やLPガスに対する課税に反対している業者の心情については理解をえ、充分にききいれてもらえると考えており、LPガスに対する課税問題について、運輸行政に造詣が深い長老議員としての同関谷の他議員に対する説得力や影響力に、また寿原の精力的な実行力に、それぞれ強い期待を寄せており、同関谷、寿原を大タク協総会に招き、或いは、上京した際しばしば同関谷、寿原を訪問し、その度ごとに、この課税阻止などのための協力や尽力を依頼し、同関谷、寿原も同多田、同多嶋らと面談した際には、常にこの課税問題をめぐる動き、法案審議の見通しなどについての情報を伝え、自らも業界のために尽す旨話していた。

一〇〇万円口の他の一議員は、沢春藏が後援会長をしている衆議院議員で、同三九年当時は大臣に就任していたもので、同多田および同多嶋は同三九年一二月沢春藏らと同議員(当時大臣)を訪ねてLPガス課税反対の陳情をし、その際、特に同議員からこの課税に積極的であつた税制調査会委員の一人に対してこの陳情の趣旨を口添えしてもらう約束をとりつけるとともに、この課税に積極的な他の税制調査会委員に対する説得を期待できる議員の紹介を受け、その議員のところに行つて陳情をするなどし、当時同多田や同多嶋としても沢春藏が後援会長をしている右議員の現職の大臣としての影響力および同議員が所属している派閥に属する大蔵委員に対する説得に期待していた。

(ロ) 五〇万円口の議員は、被告人多田が代表取締役をしている神戸相互タクシーが大手会員となつている兵乗協が支援していた兵庫県選出の衆議院議員で、当時自民党の総務の一員であつて、同議員に対しては右兵乗協の役員らが再三LPG課税反対の陳情を重ねてきており、同議員は、同三九年一二月一八日の自民党の総務会でLPガスに対する課税に反対する意見をのべ、また同四〇年四月八日に行なわれた業者大会に来賓として出席してLPガス課税反対を叫ぶ業者を激励する挨拶をした議員である。

(ハ) 三〇万円口の三議員中、一議員は、被告人多田が代表取締役をしている京都相互タクシーが大手会員になつている京乗協が支援していた議員で、当時京乗協の役員らが再三陳情を重ねており、同議員も同四〇年四月八日の業者大会でLPガス課税反対を叫ぶ業者を激励する挨拶をし、また、他の一議員は、いち早くLPガス課税反対の方針を打ち出した自民党交通部会の部会長で、終始LPガス課税反対を主張する議員の先頭に立ち、大タク協LPG委員らも再三これが陳情を重ねてきていた議員である。三〇万円口の残る他の一議員と二〇万円口の一議員は、大阪府と和歌山県選出の衆議院議員であり、いずれも当時衆議院においては大蔵委員会委員で自民党においては税制調査会委員(二〇万円口の議員は税制調査会長)で、同委員会の委員の中でもLPG課税強行論者といわれていた三議員の中に入つていたが、本件当時においては業者の立場にも理解と同情を示すようになつてきており、業者らは両議員に対する全乗連や地元業者らの再三に亘る課税反対陳情が次第に効を奏してきたものであると考えており、右の三〇万円口の議員に対しては同多田、同多嶋も課税反対の陳情をしていた。

二〇万円口の他の一議員は、沢春藏が後援会長をしている前記議員(同三九年当時大臣)の紹介をえて同多田および同多嶋らにおいてLPガス課税反対の陳情をし、課税強行意見をもつていた税制調査会委員の一人に対し業者の立場を理解してくれるように口添えを頼んだ議員、二〇万円口の他の二議員はいずれも地元選出の衆議院議員であつて、地元選出議員に対しその地元業者が陳情するのが陳情の方法として最も効果的であるという全乗連の指示にもとづいて大タク協LPG委員らにおいて再三LPG課税反対の陳情を重ねてきた議員である。

(3)(イ) 被告人多田、同多嶋は、公判廷において、金員を供与するこの議員の人選とその金額については、専ら大タク協会や有力理事らとの平素からの親疎、昵懇の程度を配慮し、ことに兵乗協、および京乗協が支援している前記二議員に関しては一億円政党献金の際二、〇〇〇万円或は一、〇〇〇万円という多額の拠出に快く協力してくれた右二協会の顔をたてるということを配慮してそれぞれ決定したものであると供述している。

(ロ) 前記のように、被告人関谷、寿原については、被告人多田、同多嶋が古くから付き合いがあり、従来大タク協としても選挙時に献金を行い、また、大タク協幹部らも上京した際には同関谷、寿原のところに立寄り、同関谷、寿原を大タク協総会に招待して挨拶、演示を頼み、大タク協会員会社の多くが同多田、同多嶋が呼びかけて結成した同関谷の後援会である松山会関西支部の会員になり、寿原の地元北海道冷害義捐金の拠出要請に協力するなど、同多田および同多嶋としてもまた大タク協としても同関谷、寿原を支援してきていることは認められるのであるが、松山会関西支部を結成する動きが起つたのは、時期的にみてLPガスに対する課税が表だつて問題とされてからのことであり、その趣意も同関谷に対するハイタク業界のために尽力を期待することにあつたし(被告人多嶋の一〇月二九日付供述調書)、その結成がLPガス課税問題が次第に重要時期に入つてきた時で、その創立総会における挨拶の中で同関谷も当面している業界の問題として免許制緩和反対とLPガス課税反対を名指しであげて、いずれについても出来るだけ業界の為に協力する旨のべており(同多嶋の一〇月三〇日付供述調書)、また北海道冷害義捐金の協力もLPガス課税反対運動について寿原に非常に世話をかけたことに対する返礼の趣旨によるものであるし(多嶋日記中の同四〇年二月八日欄の記載)、同多田、同多嶋が前示のように同関谷、寿原と面談した際には、常にLPガス課税問題に話が及び同関谷、寿原に対する協力、尽力をたのんでいるのであつて、これらの事実にかんがみると、同多田、同多嶋ら大タク協幹部らは、同関谷、寿原に対し本件金員を供与することにより、単に同関谷、寿原に対する従来からの誼をもちつづけようとしたにすぎないものであるとは到底いいえないのであつて、まさに、本件当時、大タク協をあげてとり組んでいたLPガス課税反対運動を成功させるために、同関谷並びに寿原の活躍と尽力に強く期待し同関谷および寿原に対し、かねてより業界のよき理解者として親しみをいだき、選挙時に支援してきていたことを一つの足がかりとして、同多田、同多嶋において同関谷、寿原の一層の歓心を買い、大タク協としても同関谷、寿原に対する支援を一層高めてきたものであるといえるのである。

一〇〇万円口の他の一議員については、沢春藏が同議員と同郷の関係にあつて親しく、その後援会の会長をしており、大タク協としても同三八年一〇月の衆議院議員の選挙時に献金をしたことがあり、前記のように、同多田、同多嶋ら大タク協幹部が同三九年一二月同議員に陳情(一二月四日)や挨拶(一二月二五日)に赴いていることは認められるところではあるが、沢春藏を除く同多田や同多嶋ら大タク協関係者が平素から同議員と特に昵懇であることを認めるに足る証拠はなく、大タク協自体が日頃から同議員と深いかかわり合いをもつていたことをうかがう資料もないのであつて、大タク協がなした右選挙時の献金も、多分に沢春藏が大タク協において同多田に次ぐ実力者であるという配慮に起因していることは認めるに難くないし、同議員に対する右の陳情についても、当時の田中大蔵大臣に本件課税反対の陳情をしたものの(第四の23)、色よい返事が得られなかつたことから、右議員の後援会長になつている沢春藏を通じて同議員に対しこの課税を阻止するための尽力をお願いするため同多田、同多嶋らにおいて沢春藏に同行してなしたものであると推認される。

三〇万円口の自民党交通部会の部会長であつた議員については、坪井準二が支持後援している議員で大タク協としても同三八年一〇月の選挙時に献金していることが認められるが、坪井準二を除く同多田、同多嶋ら大タク協関係者が平素から同議員と特に昵懇であることや大タク協自体が日頃から同議員と深いかかわり合いをもつていたことを認めるに足る証拠はないし、むしろ、右の選挙時の献金は多分に坪井準二が大タク協において同多田、沢春藏に次ぐ実力者であるという配慮に起因していることを認めるに難くない。

五〇万円口の兵乗協が支援している議員および三〇万円口の一議員の京乗協が支援している議員については、同多田、同多嶋ら大タク協関係者が平素から同議員と特に昵懇であることや大タク協自体が日頃から同議員と深いかかわり合いがあつたことを認める証拠はなく、兵乗協において二、〇〇〇万円、京乗協において一、〇〇〇万円の出捐に協力して大タク協とともに実行した自民党に対する一億円献金は、本件課税反対運動を有利にしたい目的で実行されたものでもあるということは、前記に認定したところである。

三〇万円口の大蔵委員の議員は、この課税に積極であつて、その選挙地盤を阪急電鉄や阪急タクシーの関係においており、そのため、口羽玉人が同議員のところに本件課税反対の陳情に行き易かつたということは証拠上認められるところであるが、それでも口羽玉人が同議員と昵懇であるとまで認めるに足る証拠はなく、その余の大タク協関係者としても大タク協自体としても同議員と格別に深いかかわり合いがあつたことを認めるに足る証拠はない。

二〇万円口の一議員である当時大蔵委員で税制調査会会長であつた議員についても、また二〇万円口の他の三議員についても、大タク協関係者としてもまた大タク協自体としても、同議員らと昵懇であるとか同議員らと格別のかかわりがあることを認めるに足る証拠はない(なお弁護人らは、この税制調査会会長の議員と秋山大タク協理事とが親戚関係にあつたこと、二〇万円口のうち一議員は沢春藏と関係があること、二〇万円口の残る他の二議員は増木、山田両大タク協理事の選挙の関係があることをとりあげているのであるが、これらの事情がこの四議員を人選した理由やその金額を確定した事情になつていることを認めるに足りる資料は存しない。)。

(ハ) 右(ロ)において認定したところから明らかなごとく、被告人関谷および寿原正一については、被告人多田、同多嶋とかねてより親しく、大タク協自体ともかかわり合いが認められるけれども、一〇〇万円口の他の一議員については沢春藏と親しく、三〇万円口のうちの一議員(交通部会長)については坪井準二が支持後援してきていることがみとめられるものの、この二議員についても大タク協とは、特に格別の関係はみとめられず、その余の七議員については、大タク協関係者と特に誼があるわけではなく、大タク協との格別の関係も認められないうえ、この七議員の中には、当初は課税に極めて積極的意見をのべ、課税反対の陳情に対しても厳しい態度で臨んでいたが、本件の直前ごろに至ると、本件課税に積極的立場をとりながらも、課税反対の陳情者に対しては比較的柔軟とも受けとめうる態度に変つてきたと大タク協関係者が考えていた二名の自民党税制調査会委員(うち一名は同会会長)で衆議院大蔵委員も含まれていることなどにてらして考えると、LPガス課税問題を離れて、大タク協自体や大タク協理事との親疎、昵懇の程度だけを考慮してこの一一議員の人選とその金額が決定されたということは到底認め難いといわねばならない。

(4) 大タク協においては、従来、選挙時以外の時に国会議員の後援会に献金を行つたことはなく、選挙時以外の時における国会議員に関する金員の供与を行つたのは、本件がはじめてであるうえ、前記一一名の国会議員の中で、大タク協としてこれまでに選挙時の献金を行つたことがある議員は僅かに四議員にすぎない。しかも右の一一名の議員に供与しようと決定した(同関谷および寿原に対しては供与ずみ)金額は、前記認定のとおり、最高額が一〇〇万円という高額で、最低額も二〇万円で決して少額であるとはいえず、もとより、いずれも、いわゆる社交的儀礼の範囲内の金額であると認めることのできる事情も見出すことも出来ない。

(5) 以上、右の(1)ないし(4)に認定した事実をさらに彼比総合し検討すると、被告人関谷、寿原、一〇〇万円口のその余の一議員および三〇万円口のうちの一議員(交通部会長)の四議員に関しては、その人選とその各金額の決定に当つては、被告人多田、同多嶋或いは沢春藏、坪井準二の大タク協幹部や大タク協自体と同関谷、寿原、および右二議員との交誼の程度ということも一部考慮されていることも否定しえないけれども、それでも、本件金員供与を企てた際の人選とその金額の決定を、一一名の議員につき、全体的に考察すれば、この一一名の議員の人選とその各金額の決定に当つては、被告人多嶋、同多田ら大タク協幹部において、本件のLPガスに対する課税を阻止ないしは利益に変更することから、専らそれに関わり或いは強い影響力を及ぼしうる右の各議員の役職や地位、この課税問題をめぐる各議員がとつている立場、課税阻止のための活動の程度、課税阻止をはかるため各議員に対する期待の大小、議員に対する課税反対の陳情の有無およびこれが陳情をした際に得られた議員の感触などが専ら考慮されていたことが明らかに認められるところである。

5 (昭和三九年年末の金員供与計画との関係)

本件で被供与予定者とされている議員は、被告人多田、同多嶋らが同三九年一二月に行おうとしていた年末(以下年末と略称)の際の被供与予定者とした議員と全く同一の議員であり、本件の供与予定金額は、被告人関谷、寿原、一〇〇万円口の他の一議員を除くその余の八議員については年末における供与予定額よりも減額されているが、同関谷ら大口額の右の三議員については年末の際の供与予定額と同一額である。そして、本件金員供与を決定した過程において、まず同多田を除く選衡委員らが集り、同多嶋や沢春藏らが中心となつて、年末に金員供与を計画したときの案を参考にして被供与者の人選とその金額を決定しており(第五、一、2、(4)、(イ))、その際、どのような事情をこの選衡の基準とするかについて新たに格別の話合いがなされた形跡もうかがわれず、その後、同多田も加つて一議員についてその金額の手直しが行われているものの(第五、一、2、(4)、(ハ))、選衡の基準について何らかの検討があらためて加えられたことも認められないのであつて、結局、本件の被供与者については、年末の際の案をそのまま踏襲し、その金額の決定に際しても、年末の際の供与予定額をもとにして、これに当時大タク協に在つた余裕金の状況や六月二八日の理事会で徴収することに決定した金額などを参酌しながら修正を加え決定したものであることが認められる。そして、右のように本件のもとになつていると認められるところの年末の際の金員供与の案は、(前記第四、33、(B)の項で認定説示したように)、同多田を加えて本件のときとほぼ同一の選衡委員の協議の下に、同多田、同多嶋が中心となつてその人選と金額の決定に当つていたものである。そのうえ、被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一一月一日付供述調書、被告人多田の検察官に対する同年一一月二日付、同月二九日付(一)、同日付(三)、同年一二月一日(三)付各供述調書によれば、同関谷、寿原を含む一一名の議員に対する本件金員供与の計画は、年末に行う手筈にしていた金員供与の計画をその時はやむなく中止せざるをえなかつたうえ、これをいつまでも中止したまま放置しておけないということから、企てられ且つ同関谷、寿原に対して実行されたものであることが認められる。

右の諸事実にかんがみると、年末の金員供与の趣旨、即ち、LPガスに対する課税問題で業者側に有利な内容の党議決定がなされたことの尽力行為に関し感謝する趣旨並びに今後国会でLPガス課税法案が審議される際業者側により一層有利な内容のものになるように尽力を期待するという趣旨は、引きつづき本件の金員供与の趣旨の中に含まれていると認められる。

6 (資金関係)

前記自民党に対する一億円献金をする際に、大タク協は、その負担額の六、〇〇〇万円をLPガス使用業者から徴収するに当りこの六、〇〇〇万円に約六〇〇万円を上積みした約六、六〇〇万円を徴収することを決定したこと、この上積分約六〇〇万円の一部が被告人関谷、寿原ら前記一一名の議員に供与し、供与しようとした資金の一部にあてられていたこと、右の一億円献金と同関谷、寿原ら一一名の議員に対する年末の金員供与は同一の理事会において協議決定されたことは、いずれも、前掲の関係証拠(前記第四の33、第五の一の2の(4)参照) により認められるところである。

しかしながら、右の一億円献金の大タク協負担部分が六、〇〇〇万円であるのに、これに約六〇〇万円を上積みして会員会社に割当てたのは、特別負担金の未納会社がでることを慮り、大タク協として特別負担金を徴収するに当つて従来から必要金額の一割増の徴収を目標としてきたという恒例の措置を踏襲したものにすぎないことは前記第四の33において認定したとおりであるし、大タク協において、上積みして徴収することにした約六〇〇万円を国会議員らに対する年末の金員供与或いは本件の金員供与の資金にあてることをあらかじめ協議し或いは決定していたことをうかがう証拠は存せず、右約六〇〇万円はその全額の徴収ができたとしても被告人関谷、寿原ら一一名の議員に対する年末の供与予定総額の八〇〇万円(第四の33)に及ぶべくもないことも明らかである。したがつて、このような事情の存するもとでは、本件金員供与に関し、その資金関係の点からLPガス課税反対運動に関する謝礼の趣旨を推認することはできないというべきである。

ただ、同四〇年六月一〇日自民党、社会党、民社党に対する献金を実行し、大タク協は予定の六、〇〇〇万円を拠出したが、その際大タク協が未納会社の出ることを見こして約一割分を上積みして決定していた予定額に近い約六、四八〇万円がすでに徴収できており、結局約四八〇万円の余裕金ができたため、そのころこのことを知つた被告人多田および同多嶋において、この余裕金を年末の際に中止した議員らに対する供与を行う際にその資金にあてようと考えるに至つたこと、ところが、大タク協がその後本件とは別口の三〇〇万円の献金をすることになり、この約四八〇万円からこの三〇〇万円を支出したため、その残額が約一八〇万円になつてしまつたため、右の資金に不足をきたすこととなつたので、右の三〇〇万円相当分を特別負担金として会員の全会社から車輛数割りで徴収することとし、同月二八日の臨時理事会でその旨報告し、同年七月二〇日の理事会において、三五三万円の特別負担金の徴収を正式に決定したことは、とりわけ、臨時理事会議題40・6・28と印刷された会議内容に関するメモ(市田実二郎作成のメモ)の記載、昭和四〇年六月二八日の臨時理事会議事録の記載、被告人多田、同多嶋の検察官に対する各供述調書中の関係部分により認められるところであり、ことに当時、大タク協が献金として支出した三〇〇万円を早急に補填しておかなければならない他の格別の必要もなかつたことを考えると、右の三五三万円の特別負担金の徴収は、本件の金員供与のための資金を準備するためにしたものであるということができる。

7 (伝票、出張命令簿の記載)

大タク協作成の出張命令簿(昭和四四年押第五四六号の38)中の同四〇年八月九日欄には、同年八月一〇日に上京した理事坪井準二、同沢春藏、同口羽玉人、高士良治(ただし当時高士良治は理事ではなかつたので、実父で理事の高士政郎の名前で表記されている)につき、その出張目的をいずれも、「LPG関係のため上京一日半泊」、専務理事井上奨につき「全乗連副会長会議及び陳情のため一泊二日」、総務課長辻井初男につき「LPG関係のため出張一泊半二日」と、それぞれ記載され、大タク協の昭和四〇年八月分会計伝票綴(同号の37)中の昭和四〇年八月九日付出金伝票(No・1590)中の摘要欄に「8/9~8/11LPG関係出張旅費」と記載され、同綴中の昭和四〇年八月一六日付振替伝票(No・1649)の摘要欄に「8/10LPG関係出張旅費、坪井理事外三名」と記載され、大タク協の昭和四〇年度歳出元帳(同号の33)中の八月一六日欄中の摘要欄には「8/10LPG関係出張旅費坪井理事外三名」と記載されているのであつて、右出張命令簿、各伝票並びに歳出元帳の存在およびその右の各記載によると、沢春藏、坪井準二、口羽玉人、高士良治、井上奨、辻井初男らの八月一〇日の上京は、LPGに対する課税を阻止するための行動にかかわる問題と極めて密接した関連のある上京であつたといえるし、被告人多嶋が大タク協会長であつたことにかんがみ、同被告人としても、このことはよく知悉していたものと認められる。

また、相互タクシーの昭和四〇年度出金伝票綴(同号の31)中のNo・010710の出金伝票には出金先欄に「有明館」、摘要欄に「8/10東京出張宿泊費請求分、8/10LPG問題東上、社長、吉村常務出張」と記載され、同綴中のNo・10778の出金伝票には、出金先欄に「藍亭」、摘要欄に「8/10東京来客接待会議費、但し大阪タクシー協会役員、LPG課税対策打合せ会議出席の際の上京来客接待会議費、出席多田社長、吉村常務他七名」と記載されており、右各伝票の存在およびその右の各記載によると被告人多田および吉村良吉の八月一〇日の上京は、LPG課税を阻止するための行動にかかわる問題と極めて密接した関連のある上京であつたことが明らかである。そして吉村良吉の検察官に対する昭和四二年一一月二七日付供述調書によると、被告人多田は八月一〇日の数日前に吉村良吉常務取締役に対し八月一〇日に上京することとその際は同行するよう指示し、さらに上京の用件を尋ねた同人に対し、LPGの課税の問題で上京する旨話していることが認められる。

8 (同好会、理事会等における発言)

(1) 六月二一日の同好会

被告人多嶋の検察官に対する昭和四二年一二月九日付供述調書によると、同四〇年六月二一日の同好会において、被告人多嶋、同多田、沢春藏、口羽玉人、坪井準二、高士良治らの間で別口の三〇〇万円の献金をする話がきまつた時、被告人多田が「外にこれまでお預けになつていた個々の先生方のお礼をほつておくわけにはいかない。三〇〇万円出すとなると、また集めなければなりませんな。」と言い、被告人多嶋ら右の出席者らは同多田のこの発言に異をとどめるものはなく、賛成したことが認められる。

(2) 六月二八日の臨時理事会

昭和四〇年六月二八日の大タク協臨時理事会議事録中に、「多田理事より、先般のLPG関係の特別負担金について、特別のご配慮ご協力を願つたが、その爾後の処理分として、状況に変化があつたため不足金をみたので、その分を再度特別負担金の拠出によつて補うか又は予定額の縮少をするかについて諮つたところ諸般の情勢より判断して再度不足分を一台当り四〇〇円見当でご拠出願うことに決定をみた。」との記載があり、被告人多嶋の検察官に対する前記一二月九日付供述調書によれば、右の議事録のこの記載は当時別口の三〇〇万円の献金をしたので、LPG課税反対について御尽力頂いた先生方(議員)に対する謝礼分の金が不足をきたしたので、この理事会に諮つてこの不足分を補うためにあらたに一台当り四〇〇円見当で拠出してもらうことにきまつたことを表わしているものである。

また、臨時理事会議題、40・6・28コクサイホテルという用紙に記載されているいわゆる市田メモ中の「特別報告多田理事」の欄には「一、………、<4>現在LPG関係個人献金分が残つているので(六〇〇万)その中から三〇〇万出して本日その相談をすることとなつた。………二、右報告に対する各人意見、<1>右個人の献金は今更放棄出来ないと思うので今ある四八〇万の中から三〇〇万出して残り一八〇万は個人配分ができないから新規の問題として金集めをする必要がある。………<3>これは出すべきである、出すものは出して頼むものは頼む様にしたい。<4>特別報告の件全員賛成決議した、」との記載があり、被告人多嶋の検察官に対する右供述調書によると、被告人多田が右のように特別負担金を拠出する提案をし、自らも出したらよいと思うがどうでしようかと発言し、宝上、三野、谷、木元の各理事らも、個人先生の分も今更放棄出来ないので不足分を集めるべきだと積極的発言をし、結局先生方に対するお礼の分の基金にしていた金がなくなつたから先生方に持つていく金を減らしたらよいとかやめたらよいというわけにはいかず不足分を皆で出そうということになつたものであることが認められる。

(3) 八月五日の同好会

八月五日の同好会のもようにつき証人佐藤敏雄は、「同好会の席上で、私は八月二日に上京して国会議員にLPガス課税反対陳情をした状況について説明した。この席上で、平素お世話になつている国会議員の先生に挨拶に行くという話や、国会議員の先生に金を贈るという話がでた。私はこの話をきいて、盆の謝礼にいくのだと思つた。この同好会の席上で、私は、運賃改定問題や陸運行政の地方委譲問題で日頃から世話になつているから金を贈るのだという話はきいていない。この日の同好会のもようについて、私は、日誌に、『LPG課税反対陳情の説明』、『代議士先生の謝礼の件』と記述しており、この日誌は、検察庁が大阪タクシー協会を捜索した際に押収された。」趣旨の証言(第三八回公判)をしており、同証人は、大阪府下の警察署長を歴任し大阪府警察本部交通第二課長を最後に同四〇年七月七日付で大阪府警を退職して大阪タクシー協会に専務理事待遇で勤務したものであることや、右の同好会に出席した当時、大タク協に出勤しはじめて未だ日が浅く、早く仕事を覚えようとして各理事らの発言を注意深くきいていたと供述していることにかんがみると、同証人の証言の信用性は高いと認められるし、同証人の証言によりその存在が認められる同証人の日誌の右の各記載についても、被告人多嶋や同多田ら関係理事に対する害意をもつて記載されたという事情は全くうかがわれないので、その信用性も高いと認めるべきである。また、前掲の多嶋日記の八月五日欄には「夕方から初勢で同好会、臨時国会が開催されるに及んで例のLPガス課税についての運動始まる。二日に上京した井上、佐藤両氏の感想、きよう東京から帰つて来られた多田さんの印象、関係諸先生の主張などを話題にして状況分析を行う。要は今の国会より秋に予定される臨時国会の方が問題だということ、……」の旨の記載があり、前に掲げた被告人多嶋の検察官に対する一一月一日付供述調書によれば、同被告人は、この同好会で井上、佐藤両専務理事の上京報告や被告人多田の話をきいて情勢分析を行い、八月一〇日に代議士先生に金を贈ろうということになつたこと、この情勢分析の結果、今国会は会期が短いから何とか引張つて審議未了にもちこめるが、いずれ、秋の国会で審議されるだろうから、与党の自民党議員に頼んで業界に有利にもつていつてもらわねばならないということになつたこと、また、同被告人の一二月一一日付供述調書によると、関係先生方には早い時期にお願いしておこうとなつたこと、お金を贈るのには、中元の時期を選ぶのが最も世間体も自然だし、八月一一日には国会が閉会になつて先生方が郷里に帰られるので、東京に居られる間に持つて行つて直接先生に渡してお願いするのが最もよいということから時期を急ぐことになつたこと、多田社長が八月九日に理事会で発表し、一〇日に行こうといいだしたことをそれぞれ供述していることが認められ、同多田の検察官に対する一二月一日付(三)供述調書によると、同多田は、八月五日の同好会は、八月二日に上京して全乗連の会合に出てきた井上、佐藤両専務理事、口羽LPG副委員長からLPガス課税法案が今回でどんな具合になつているのかとか今後のこの問題の運動をどのようにもつていくのかについての報告をきくために開いたものであること、同被告人の一二月一日付(二)供述調書によると、八月一〇日という日を選んだのは、翌一一日に国会が終る予定だということだつたから代議士先生方が東京に居られるうちにしようということからであることを供述していることが認められる。さらに坪井準二の一二月四日付供述調書によると、同人は、この同好会の席上で、被告人多田が東京での様子を話してくれた際に、国会の会期も、もう僅かしかないから、LPG課税法案も今度の国会ではこのまま流れそうだが、これも関係先生の御努力の結果であるが、しかし、次の国会ではどうなるかわからないし、次の国会でも何とか我々業者に有利になるようにお骨折りを願わねばならないので、国会が閉会になれば先生方も選挙区に帰られるから、お礼をもつていくのは今がいいと話した旨供述していることも認められる。

右の各証拠によると、八月五日当時、被告人多嶋、同多田をはじめとする大タク協幹部らは、当時の本件法案の国会審議の経過状況に大きな関心をよせており、そのため、八月五日の同好会において、同多田は前日の四日に上京して得た本件法案の国会審議の状況や今後の見通しについて話し、井上、佐藤両専務理事、口羽玉人LPG副委員長らの陳情報告などもきいて、本件法案の審議状況や今後の見通しに関する情勢分析を行い、その結果、八月一一日までしか会期のない今国会では、本件法案が成立するようなことはまずあるまいが、いずれ次の国会ではまた本件法案が審議されるようになるであろうから、この際、これまで本件法案が成立しないように頼んできたり尽力してもらつてきた同関谷、寿原をはじめとする国会議員にかねて手筈の金をもつてお礼に行き、あわせて本件法案に関し今後のことも頼んでおこうということになり、この金員をもつて上京する日を今国会閉会の前日で国会議員が在京していると思われる八月一〇日にすることを内定したことが認められ、これに反する証拠はない。

(4) 八月九日の理事会

被告人沢巌の検察官に対する供述調書によると、八月九日の理事会の席上で、被告人多嶋は沢巌に対し沢春藏社長は今日は出席していないようだが明日は大切な国会議員に対するお礼に上京するのだから是非沢社長に上京していただくように頼んでほしい。」と言つたことが認められ、これに反する証拠はない。

9 (金員授受の状況)

(1) グランドホテルの寿原の事務所において、被告人多田が沢春藏、坪井準二、口羽玉人、井上奨の面前で同人らを代表し、寿原に対して「いつもお世話になつています。今日は皆で来ました、まことに些少ですがどうかお納め下さい。」といつてお礼に来た旨をのべて一〇〇万円入りの金封を手渡し、寿原が「それはどうもありがとう。」といつてこれを受取つたこと、そのあと、寿原が同多田らに対し、LPガス課税反対運動の経過や石油ガス税法案の今後の見通しなどについて、自分一人で尽力しているかのように話し、同多田らは口々に寿原に対し「今後ともよろしくお願いします。」といつて挨拶したことは前記第五の二の(三)の3の(ロ)に認定したところである。

(2) 第一議員会館内の被告人関谷の居室において、被告人多田が沢春藏、坪井準二、口羽玉人、井上奨らの面前で同人らを代表し、被告人関谷に対し、「いつも御厄介になつています。今日は皆でやつて来ました。これは些少ですがお納め下さい。」といつてお礼に来た旨をのべて一〇〇万円入りの金封を、同関谷に手渡したこと、同関谷はその際「ガス税法案については十分やるから任せておいて下さい。」などと話し、同多田らは口々に「今後ともよろしくお願いします。」といつたことは前記第五の二の(四)の3の(イ)において認定したところである。

10 (被告人関谷、寿原の受領した金員の措置)

(1) 寿原が被告人多田から受取つた本件一〇〇万円について、寿原の後援会である寿政会が寄附を受けた旨の取扱いはなされておらず、寿原が個人的用途に費消していると認めざるをえないことは前記第五の二の(三)の2の(ホ)において認定したところである。

(2) 被告人関谷が被告人多田から受取つた本件一〇〇万円については、その二日位後の八月一二日ごろ同関谷の私設秘書で且つ同関谷の後援会である松山会東京本部の事務局長安永輝彦が大タク協に持参し、被告人多嶋に対し「時期が悪いから預つておいてくれ、頂戴したいとき、またこちらから申し入れます。」などといつて右一〇〇万円を金封入りのまま渡し、大タク協では、大タク協名義の通知預金にしていたこと、そして翌四一年一月一七日同多嶋は右の安永輝彦から「先般お預けしたお金を送つてもらいたい。」との連絡を受け、辻井初男に指示して右の通知預金を解約してこれを松山会名義の口座に送金し、翌一八日付の松山会名義の金額一〇〇万円の領収証が大タク協に送付され、大タク協では、この領収証にもとづいて松山会に対する後援会費として帳簿に記帳して処理したことは、いずれも、前記第五の二の(四)の3の(イ)において認定したところである。しかも、昭和四〇年八月一〇日になされた本件金員の供与は同年中に二十日会又は松山会の入金として政治資金規正法に則つた届出、報告をしている事実も認められない。

11 (本件金員供与の趣旨に関する証言)

(1) 証人口羽玉人は、一方では、本件当時タクシー業界はいろいろの問題をかかえており、LPガス課税問題もその諸問題の中の一つにすぎなかつたし(第九回公判)、大タク協としてはこのようなタクシー業界がかかえている諸問題の解決のため国会議員の理解をえ、つながりをもちたいと考えており、このような気持を満たしたり、さらに平素からなじみが深い議員や世話になつている議員に対する感謝の気持をみたしたいために、政治資金規正法による後援会献金を行うことを相談したものである趣旨の証言をしている(第九回公判、第一〇回公判)が、他方では、「私共タクシー業界にはいろいろな問題があり、それがすべて政治につながつておるので、私共は国会議員の先生方にいろいろとお願いすることが必要であり、また国会議員の先生方に理解してもらうために国会議員の先生とつながりをもちたいという希望もあつた。このようなわけで、国会議員の先生にお世話になつた場合には感謝の気持があつたし、お礼心も生じた。LPガス課税問題は当時業界がかかえていた問題の一つであつたから、本件の献金はLPガス課税問題と関係があつた。」(第九回公判)、「六月二八日の大タク協の総会に臨席した関谷先生は、LPガス課税法案は前の国会では継続審議ですんだものの、また次の国会でも上程されるので、また継続審議にもつていくべきだと話し、寿原先生もこの課税は阻止したいと言つたので、国会の先生方ことに関谷、寿原の両先生は、我々以上に熱心で周囲の情報にもくわしいし、関谷、寿原両先生のこの言葉に心強く感じ、両先生を信頼した」(第一〇回公判)、「関谷、寿原両先生は、LPGの課税問題に限らず、業界に非常に理解が深い方で、ことに寿原先生は我々と同じ業態を自ら体験しているので非常に理解以上のものをもつていた。関谷、寿原両先生に対し私共は身近かに感じており、LPGの課税問題についてもよくわかつてくれていた。関谷、寿原両先生は、一つ力になつてやろう、といつてくれていたので、三九年一二月の九ヶ月延期の党議決定がでるについても何かにつけていろいろと努力してくれたと思つている。同四〇年二月本件法案が国会に上程されてから以降においても、関谷、寿原両先生はご自分で、大いに力になつてやろう、といつていたのだから、両先生はそのために努力してくれていたと思つており、両先生を信頼していた、私ども業者の方からいうと、法案には反対であるし、また、法案が実施されても実施時期を先にしてほしいとかまた税率は低いほうがいいとかいろいろな希望があつた。関谷、寿原両先生は力になつてやろうといつていたので、私共業者の苦しい立場を他の国会議員にも理解してもらえるように力になつていただいたと思つている。八月一〇日の一〇〇万円の趣旨について、LPG課税問題で努力してくれたことに対するお礼心ということはあつたが、ただ、このお礼心というのはLPG課税問題に対してだけではなく全般を含めて世話になつているのでそれらを含めた気持である。関谷、寿原両先生が力になつてやろうといつていたので両先生には将来も力になつてやろうという意味だと考えていた。」(第一〇回公判)旨の証言をしている。

証人口羽玉人の証言によると、タクシー業界には、LPガス課税問題を含め、免廃問題、運賃問題、自動車諸税の問題などの諸問題が山積みしており、大タク協関係者としては、これらの諸問題を業者側に有利に解決をはかるためには、どうしても被告人関谷、寿原ら国会議員とのつながりをもち、理解をえたいと考えており、かかる心情が、同関谷、寿原ら一一議員に対する本件金員供与を考えるに至つたことの一因となり、その底流をなしていることは認められるところではあるが、それでも大タク協関係者が右の諸問題のうちLPガス課税問題に関して同関谷、寿原に寄せる期待は大きく、同関谷、寿原らが大タク協会員らに対ししばしば大いに力になつてやろうといつていたことから、大タク協関係者は、同三九年一二月の課税時期九ヶ月延期という業者側に有利な内容の自民党の党議がでるについて同関谷、寿原らが努力してくれた結果であると思つており、本件法案が国会に上程された後においても同関谷、寿原らに対して変らぬ強い信頼を寄せ、本件課税法案が成立しないように、もし成立するような場合には課税実施時期が先になるよう、税率も低くなるようにという業者の願いや業界の苦しい実情を理解して、自らそのための努力をし他の国会議員に対しても業界のかかる実情を理解してもらえるように力になつてくれているものと考えており、さらに今後も同様力になつてもらえると考え、そのため本件当時同関谷、寿原に対してお礼心をいだいていたことは認められるし、本件の金員供与の趣旨が、同関谷、寿原らに対し、タクシー業界の諸問題で日頃世話になつていることに対する単なる一般的お礼心をみたすということだけではなく、LPガスに対する課税の問題がタクシー業者に有利に進展するよう力になつてきてくれたことに対するお礼心と将来も同様に力になつてほしいという期待も含まれていたことも、また認められる。

(2) 証人沢巌は、八月九日の理事会終了直後に被告人多嶋から沢春藏社長に明日ぜひ上京してくれるように頼んでくれという伝言をきいた際、上京の目的について、「私は多嶋の話をきいて、LPGだとか免廃だとか、運賃値上げだとかといういろいろタクシー業界がかかえている問題について、いろいろと国会議員の諸先生方にお世話になつているので、その先生方に対する中元献金ということで、もつていくのだと思つた。」旨証言(第七六回公判)している。

証人沢巌は、この八月一〇日の被告人関谷、寿原らの国会議員に対する金員の供与について、献金であることを強調しようとして、「平生懇意に願いお世話になつている先生方には従来から慣習的に中元、歳暮の献金をしてきた。」旨(第七六回公判)事実に反する証言までしていることが認められるのであるが、それでも右に掲記した同証人の証言部分によると、同関谷、寿原らに供与した本件金員が、当時タクシー業者が直面していたLPG課税反対の問題とも関連しており、したがつて、その趣旨の一部には、免廃問題、運賃値上げ問題などについて同関谷、寿原らに世話になつているということによる見返りの意味を含んでいるとともに、LPG課税反対問題でお世話になつているということに対する見返りの意味も含まれていたことは、これを認めるに難くないというべきである。

12 (本件金員供与の趣旨に関する検察官に対する供述調書)

(1) 被告人多嶋の供述調書

(イ) 被告人多嶋の、(a)一一月一日付供述調書中、「八月一〇日に代議士先生に渡した金の趣旨は、昭和三九年一二月のときの趣旨がそのまま生かされているうえ、八月一〇日の時期ではすでに石油ガス税法案が政府より国会に上程され、衆議院大蔵委員会で審議されていたので、業界としてはなんとか廃案にもつて行きたいし、それができない場合は税率や施行期日の点で業者側に有利になるように修正の方向へもつて行つて貰いたいし、そのために政党政治の建前から党議を経なければならないのであれば、党の各機関を動かして今申した方向にまとめていただきたいという考えをもつていたわけで、こういう考えで全乗連をはじめ大タク協としても、これらの諸先生に陳情を行つていた。特に、大蔵委員の二先生に対しては直接大蔵委員会で審議されているのだから、大タク協としても口羽らが五月五日、八月二日に上京して直接陳情しており、同先生らは次第に業界に理解を示して下さつて、この二先生のうち一先生からは税率の点は考えなおす余地があるというお言葉をいただいたり、うち、一先生からはみんながそういう意見なら同調するといわれたので、この両先生には大蔵委員会審議の場で業界に有利な方向にもつて行つていただけるように御尽力いただけるものと思つていた。その他の先生は石油ガス税法案を直接審議している大蔵委員ではないが、それまでの大タク協や全乗連の陳情によつて同僚議員たる大蔵委員に本法案を廃案、それができないときには税率や施行期日の点で業者側に有利な線に決めるように説得していただいているものと思つていた。兵乗協が支持している先生の場合も、兵乗協、京乗協により陳情しているので、同様の尽力をしていただいているものと思つていた。特に、関谷、寿原両先生については業界のためにこういう面で非常な御努力を願つていることは、先生達が大タク協の総会に来られて話をされた内容からもわかつていた。そして石油ガス税法案はいずれ本会議にかけられるのだから、これらの先生方に本会議で審議表決が行われる場合に依頼した相手議員は勿論、他の同僚議員にも働きかけていただいて、この線で業者に有利にして下さるようお願いしてきた。そこで、この八月一〇日の場合も、これまでの先生方の御尽力に対するお礼ということと、今後も今申した線で御尽力願いたいということで、献金という形をとつて、お金を贈ることになつたものである。」趣旨の供述記載があり、(b)一二月一三日付供述調書中にも、右(a)掲記と同趣旨の供述記載とともに、被告人関谷、寿原正一ら本件の一一議員の個々につき、右の趣旨の個別的具体的供述記載が認められる。そして、さらに、(c)、一二月一三日付供述調書中、「八月一〇日の金は、個人先生方に差上げたものであるが、先生方の後援会の領収証をもらつているのは、大阪府警に相談に行つた際、政治資金規正法によつて届出のある後援会に寄附をして後援会の領収証を貰えば問題がないように言われた旨市田や井上が言つていたので、このお金はあくまで先生個人に差上げたものだが、形の上では後援会からの領収証を貰つて問題にされないように形式をととのえようと思つていた。先生個人に差上げたのが実際の姿で、先生がそれを一旦後援会に入れて使おうが、そのまま使おうが、それは貰つていただいた先生の自由である。ただ、私達の方で形式を整えるのに後援会の領収証を貰いたいということに過ぎない。私も実体を無視して形式だけ整えればよいのだという考え方がおかしいことはわかつている。」趣旨の供述記載があり、(d)一二月一五日付供述調書中、「八月一〇日代議士先生に贈つた金の領収証は、その場で貰つたものではなく、井上、辻井が、電話で催促して後で取り寄せたものである。」、「大阪タクシー協会としては、それまでにおいても、また、その後においても議員先生達に中元歳暮の時期にお金を贈つたことはない。」、「八月一〇日の金は議員先生個人に対するものであつて、後援会を目指していたものではない。ただ形式をととのえる意味で後援会の領収証をもらつているにすぎない。大阪タクシー協会としては、会計処理上領収証があればよいわけで、それが個人の名前であろうと後援会の名前であろうと大した意味はない。」「八月一〇日の関谷先生の一〇〇万円にしても寿原先生の一〇〇万円にしても、関谷先生の後援会である二十日会、松山会、寿原先生の後援会である寿政会の会費というものでもなく、特別賛助金でもない。」趣旨の供述記載がある。

(ロ) 被告人多嶋は、身柄を拘束された際、本件金員の趣旨の賄賂性について、これを否定し(検察官作成の弁解録取書)、或いは曖昧な供述をし(裁判所の調書-いわゆる弁解録取調書)、さらに、勾留中の一一月二九日同多嶋作成の上申書で右の賄賂性を否定する旨申し立てている(検事土肥孝治作成の昭和四二年一一月二九日付「多嶋太郎の取調状況に関する報告書添付の多嶋太郎作成の紙面四枚の上申書」)ことが認められるが、右の裁判所の調書(いわゆる弁解録取書)中の供述記載によると、被告人多嶋の本件金員供与の趣旨に関する供述は曖昧ではあるものの、その賄賂性の趣旨を必ずしも全面的に否定しているものではないし、被告人多嶋が右趣旨の賄賂性を否定し或いはそれについて曖昧な供述をしたのは、同被告人が自ら作成した右の上申書の記載および証人土肥孝治の供述によれば同被告人が本件金員供与の趣旨に賄賂性を認めると、被告人関谷および寿原に対して累が及び、同関谷や寿原が逮捕等の強制処分を受けるようになることを深く憂慮したことによるものであることがうかがえることにかんがみ、本件金員供与の趣旨に賄賂性を認めてきた同被告人のそれまでの供述が取調検察官の強制にもとづいたものであるとは認められないし、また同被告人の真意に反するものであるということも到底認められないのである。

(ハ) ところで、被告人多嶋の一二月一三日付供述調書中、「先生方から大蔵委員に対し、この法案を廃案、否決するように頼んでほしいし、それができないときは、税率の軽減や施行期日の延期で業者側に有利になるように修正するように頼んで貰いたいとお願いし、またこれらの先生方は運輸委員会の委員であるので、自らあるいは同僚議員の委員に頼んでいただいて運輸委員会でもLPガス課税問題を取り上げていただいて運賃問題とからませて課税反対の意向を打出していただきたいとお願いし、また少なくとも運輸委員相互で課税反対意見をかためていただきたいとお願いし、更に一般の国会議員にも頼んでいただいて反対の意見を持つ人を一人でも多いようにし、この大勢の議員が課税反対の意思を持つていることを大蔵委員に知らしめて同委員の意見を業者側有利の線に持つていくようにお願いし、それでも石油ガス税法案がいよいよ本会議に廻れば、本人の一票を生かして貰うのは勿論、同僚議員にも頼んでいただいて、この法案を否決あるいは紛糾させて審議未了、廃案、それができないときには業者側有利な内容に修正するようにして貰いたいと望んでいました。そして、このことが国会審議の前提段階で党で取り上げられる場合でも先生方の属する部会で意見を述べたりあるいは部会の同僚議員更に他の議員にも右に述べた線に持つていくように頼んでいただきたいとお願いしてきておりました。そしてこのお願いの趣旨に沿つて先生方から大蔵委員や一般議員に働きかけていただいております。そこでこの四〇年八月一〇日先生方にお金を差し上げることになつたのは、三九年一二月二五日お礼をしようとした時の気持をここで生かし、一応国会審議の前提となる党議の段階で政府原案を九ヶ月延期にするように御尽力いただいたことに対する謝礼と、更に、石油ガス税法案上程後これまでの間いろいろお願いして先生方から大蔵委員や一般国会議員に対し業者側に有利になるように働きかけていただいていることの謝礼と今後も引きつづき先生方から大蔵委員に対し、この法案を否決あるいは廃案にするように頼んでほしい、それが出来ない時は業者側に有利になるように修正するように頼んで貰いたいとお願いし、運輸委員会でも取り上げて課税反対の意向を打ち出していただいたり、更に、一般の国会議員にも頼んでいただいて、課税反対の意見をもつ議員を増やして貰い、これを大蔵委員会に反映させて右の線に持つていくようにお願いし、それでも石油ガス税法案がいよいよ本会議に廻れば本人の一票を生かして貰うは勿論同僚議員にも頼んでいただいてこの法案を否決、廃案、それができない時は業者側有利な内容に修正して貰いたいとお願いし、また、これが党の段階でも問題になれば本人は勿論、他の議員にも働きかけていただいて、右の線で業者側有利になるようにまとめて貰いたいと頼み、これらのお礼の意味もかねてお金を贈ることになつたものです。」旨の供述記載がある。

右の記載につき、被告人多嶋は、公判廷において、自分で供述したものではなく、取調検事から理屈で押し切られたものであると供述しているところ、公判廷におけるこのような供述は、記載内容並びに証人土肥孝治(被告人多嶋に対する取調検事)の同被告人の取調状況についての証言(第一一八回公判)にてらしてにわかに採り難いところである。同被告人の右の供述記載が詳細且つ分析的であつて、取調検事からこのように詳細に分析して質問されればそのような意味合いになることから検察官の質問を肯定しそのように供述するに至つたこともうかがえないわけではなく、証人土肥孝治の証言によると同被告人の取調に際して強い誘導や押しつけがあつたことは認められない。しかも、右の供述記載内容自体は、前認定の同関谷や寿原に陳情した際や本件当時における同多嶋の心裡のほどとかけ離れているものとは認められないし、主要部分において前記(a)の同多嶋の供述記載ともよく符合しているのであつて、とりわけ、同記載の中の金員供与の趣旨についての供述記載部分は優に首肯しうるものである。

(2) 被告人多田の供述調書

被告人多田は、終始、本件金員供与の趣旨につき、賄賂性を否定し、さらにLPガス課税反対運動との関連性も否定しているのであるが、それでも、被告人多田の供述調書中、この趣旨に関連する供述部分を掲記すると、

(イ) 一〇月三〇日付供述調書中、「昭和四〇年二月ころ以降のこの問題に対する反対運動の進め方は廃案にしよう、審議未了にもつてゆこう、課税額の引下げ、実施時期の延期にもつてゆこうということを目標にしていた。この段階における運動の目標である審議未了にする方法は内閣提出、政府委員の説明に対して国会議員が質問するようにする、国会の会期を調べる、その審議の予定も調べる、大蔵委員会の委員長や同委員会の理事が審議の日程を組むから各個撃破でゆくこと、こういう情報を入手してその時その時に必要な手を打つことである。」、「昭和四〇年一〇月ごろいわゆる日韓国会があり、この国会では廃案になつて、業界は拍手喝采した。」旨の供述記載があり、

(ロ) 一一月一日付供述調書中、「LPガス課税法案が国会に提出された後の昭和四〇年二月頃以降の反対運動の中心は引延し戦術をとることであつて、即ち廃案に持つてゆこう、審議未了に持ち込もう、もしこれが出来なければ課税の延期と軽減にもつてゆこうということだつた。」、「国会議員の中でも大蔵委員会に属する先生に対しては、タクシー業界の実情を訴えLPガス新課税は中小企業者として食えない法案であることをよく理解して貰つたうえ、政府側委員に対し質問などをして貰い審議未了にするとか、とても原案のままでは可決されない状態であることを知らしめて廃案に追いこむことでした。そして引延し戦術をとりながらその過程においてLPガスに対する課税はガソリン税などとの関係からやむをえないというのであれば、原案の課税時期の延期と税率の軽減の方向にもつていつて貰うことでした。全乗連を中心にしてタクシー業界はこの大蔵委員会の先生を各個に撃破して前述のようにもつていつて貰うことは勿論その陳情の相手方先生において他の先生にこれを働きかけとりまとめて貰い多数の先生がタクシー業界の理解者となり味方となつて立ち働いてくれるように望んだものです。同委員会に属しない先生に対する陳情は、前同様タクシー業界の実情を理解して貰いとても中小企業が食えない法案ではないか、これでは国会の本会議の場において賛成できないから業界のために考えなおしてはどうかと大蔵委員の先生に働きかけ説得して貰うことは勿論のこと、この陳情も相手方先生の各個撃破と他の同僚先生にこれを働きかけとりまとめて貰い、国会は多数決で決まるから、本会議において反対される先生を多くして貰うということでした。とりわけ運輸委員会の多くの先生は陸運行政を扱われているのでタクシー業界の実情をよく理解されていて運賃の値上げを押えられていながら新しく課税することにつき時期尚早論を唱えられていた。更に大蔵委員の先生もそうでない先生も課税延期や税率軽減についての法案修正をすることになる場合国会における審議の準備として討論検討を加える際に与党の先生ばかりでなく、野党の先生との間においてもタクシー業界に対する理解をえられるようとりまとめ立ち働いて貰うようにすることだつた。こういうことは全乗連が中心になつて全国ハイタク業界をとりまとめ、大阪もその一員となつて協力してきたものである。」旨の供述記載があり、

(ハ) さらに、一一月二日付供述調書中、「八月一〇日の国会議員に対する献金に関する相手方議員の選定に関し、「(問)、関谷先生についてはどういう理由からか。(答)馴染が深い先生だからです。当時しばしばLPガス課税問題で陳情はしていました。(問)寿原先生はどういう理由からか。(答)関谷先生の場合と同じことです、しかも先生自体が業者だから打てば響くところがあります。」旨の供述記載がある。

(ニ) ところで、同多田の一二月一日付(三)供述調書によると同被告人は取調検事に対し、「私のおよそ署名する調書には「御礼」の「御」の字も書かんようにしてほしい、この度逮捕される前に新聞にも御礼は賄賂になるとなつていた、共和製糖事件などについてもいろいろ逮捕前に研究した、云々……」と供述していることがみとめられ、同多嶋の一二月四日付(二)供述調書によると、同多嶋は取調検事に対し、「私が不拘束で取調べをうけていた当時の本年一一月三日取調べが午後一時半に終つたので、そのあと相互タクシーへ行つた。その時に多田社長から『自分は中元といつている。政治献金とあくまでいつて調書を取つて貰つている。そうでないと、相手方に迷惑がかかる。』といわれた。」と供述していることが認められるのであり、これら各供述調書の記載の信用性を害すべき事由はなく、これら記載によると、同多田は自己はもとより同多嶋ら大タク協関係者において、本件金員につき、それがLPガス課税反対運動にかかわるものであることやこの反対運動に関する謝礼の趣旨の金であることを認めたり、供述をすると、同関谷や寿原に累が及び、同関谷、寿原を本件捜査の渦中に引きこむようになることを専ら配慮していたことが認められ、この事実のみにかんがみてみても、同関谷、寿原らに対して供与した本件金員についてそれがLPガス課税についての謝礼の趣旨であることを否定している同多田の供述は信用できないものといわざるをえないところ、同多田の前記(イ)(昭和四二年一〇月三〇日付)、(ロ)(同年一一月一日付)、(ハ)(同年一一月二日付)の各供述記載によると、被告人多田は、昭和四〇年二月のLPガス課税法案の国会上程後におけるLPガス課税反対運動の目標がまず、廃案、審議未了にもちこむことで、それが出来ないときは、この法案の内容を課税額の引下げ、実施時期の延期という業界に有利な内容に修正することにあり、そのため、大蔵委員、運輸委員、その他の一般議員に対してどのようなことを頼み、どのようなことを期待していたかにつき、よく知悉しており、また、八月一〇日の本件金員供与の相手方の一員として被告人関谷、寿原を選んだのは、同関谷、寿原が大タク協関係者就中被告人多田および被告人多嶋らと馴染があつたということのほかに、LPガス課税問題で陳情してきていたこと、さらにこのことについて同人らに対する期待が大きかつたこともその理由の一つにしていることが認められる。右認定に反する証拠はない。

(3) 沢春藏の供述調書

(イ) 沢春藏の、(a)一一月二五日付供述調書中、「私はこのたび大タク協会長の多嶋太郎、同協会の理事で相互タクシー社長の多田清らと相談の上で国会議員の関谷勝利、元国会議員の寿原正一の両先生に対して昭和四〇年八月一〇日ごろ、LPガス課税問題でお世話になつた等の謝礼としてそれぞれに現金一〇〇万円ずつをさしあげたという事実で逮捕され取調べを受けるようになりましたが右事実については、そのとおり間違いありません。」旨の供述記載があり、(b)一二月五日付(一)供述調書中、「このとき、寿原先生、関谷先生に渡した現金一〇〇万円は、わわわれタクシー業者の死活にかかわるLPガス課税問題について、関谷先生、寿原先生に反対して貰いたいし、それが無理なら我々業者に採算があい有利になるように税率を下げ、課税の時期を先に延ばして貰いたいとお願いし、さらに同じ党派の国会議員や自民党交通部会の先生方にもLPガス課税に反対してやつてくれと頼んでいただき、その先生方と一緒になつて自民党内で課税反対の空気をもりあげていただき、また、それらの先生方と一緒になつて自民党税制調査会の先生方に働きかけて、タクシー業者に有利になるように修正していただきたいとお願いし、さらにLPガス課税法案が国会にかけられたときは、関谷先生、寿原先生が委員をしている運輸委員会の委員にLPガス課税法案の反対を働きかけて貰つて、LPガス課税法案の審議をする大蔵委員会の先生方に税率の軽減、実施時期の延期などタクシー業者に有利な内容になるよう修正してくれとお願いしていただきたいし、もしそれが駄目でこの課税法案が政府原案のまま本会議にかけられたときには関谷先生、寿原先生はもとより、他の国会議員にも働きかけていただいて反対の表決をしていただきたいと再三、再四お願いしてきていたところ、関谷先生、寿原先生が我々のこのような頼みをききいれてくれて自民党内で他の先生方を説得して課税を九ヶ月延期するというところまでこぎつけていただくなどのお骨折りを願つたので、そのお骨折りに対するお礼の意味と、それともう一つ、LPガス課税法案は現在大蔵委員会で審議中なので、運輸委員の先生や他の国会議員の先生にタクシー業者の窮状を訴え働きかけて貰つて、一緒になつて大蔵委員会の先生方に働きかけて法案の内容をタクシー業者に有利なものになるように修正するようにもつていつて貰いたいし、もしそれが駄目で政府原案のまま本会議にかけられるようなことになれば、本会議で関谷先生、寿原先生はもとより他の先生方に働きかけて貰つて一緒になつて反対の表決にもつていくようお願いするについて、そのお礼とを併せた意味で差上げたものである。」趣旨の供述記載があり、(c)一二月八日付供述調書中、「昭和四〇年八月一〇日に、関谷先生と寿原先生にLPG課税問題でお骨折りいただいたこと、そして今後も国会でLPG課税法案の内容を私達業者に有利な線に修正するようにもつていつて貰いたいとお願いするについての謝礼として現金一〇〇万円を差し上げたのは、いずれも関谷先生個人、寿原先生個人に差し上げたもので、決して両先生の後援会に寄附したものではない。」、「これまで大タク協として日頃お世話になつた先生方にお金を差し上げたということは、選挙の時を除いてほかになく、選挙期間中でもないのにお礼に伺つてお金を差し上げたのはその八月一〇日の時がはじめてである。」旨の供述記載がある。

(ロ) 沢春藏の右(a)の一一月二五日付供述調書は同人が逮捕された翌日作成されたもので、同人は逮捕された翌日すでに本件金員の趣旨がLPガス課税問題で被告人関谷および寿原に世話になつたことの謝礼の趣旨であることを認める供述をしていることが認められ、右(b)の一二月五日付(一)供述調書は右の趣旨の詳細な供述を録取したものであり、いずれもその供述の信用性に疑いをいだくに足る事情も存しない。

(4) さらに、その余の関係人の供述調書をみると、高士良治は、同四二年一一月二四日本件被疑者としてはじめて検察庁に出頭を求められたものであるがその翌日作成された供述調書(一一月二五日付供述調書)で本件金員の趣旨について、LPガス課税問題で被告人関谷、寿原ら国会議員にお世話になつたことの謝礼であることを認める詳細な供述をし、その後も一一月二七日付、一一月三〇日付各供述調書中において同旨の供述を重ねており、井上奨の一月一二日付(一)供述調書、坪井準二の一二月一日付(一)供述調書中にいずれも右と同趣旨の供述記載があり、右各供述調書の供述記載の信用性に疑いをさしはさむに足る事情は存しない。

13 (結論)

(1) 以上1ないし10において説示した事情や認定した事実および11において証人口羽玉人、証人沢巌の各証言により認定した各事実、ことに、被告人多田、同多嶋らは、かねてよりLPガスに対する課税に強い反対意思をもち、本件法案が国会に上程されるや、この法案の成立を阻止し、それが無理であるならば税率が軽減され、課税実施時期が延期されるよう、法案の内容がタクシー業者に有利に修正されることを強く願い、その実現のために、タクシー業者の立場についてよく理解し、他議員に強い影響力を有する被告人関谷および実行力の旺盛な寿原に対し、この課税法案の成立を阻止するため強い期待を寄せ、その旨再三陳情し、依頼してきていたもので、本件当時は、国会における審議の状況からして、本件法案はその国会では継続審査としてもち越される公算が極めて濃厚となつたが、近く開会される次の国会で再び審議されることが予想されており、同多田、同多嶋らとしても、ひとまずは安堵したものの、次の国会における本件法案の審議を懸念していた時期であるうえ、同関谷および寿原のほか、同関谷、寿原とともに金員供与の対象者とされていた九議員のうち六議員は、すべて大タク協幹部らにおいてこれまでにLPガス課税反対の陳情をし、この課税反対に同調し或いはこれが同調を期待しうる感触をえてきた議員ばかりで、しかもその右九議員の中には、現に本件法案を審査中の衆議院大蔵委員会委員二名が含まれており、またほかの二議員も、同多田が社長をしている神戸相互タクシー、京都相互タクシーが会員となつている兵乗協および京乗協の関係者が課税反対の陳情を重ねてきた議員であり、また、同関谷、寿原に本件金員を手渡した際、同多田が日頃からの謝礼をのべ、同関谷、寿原がこれをうけてLPガス課税問題に関する話をもち出して今後の尽力を約束し、さらに同関谷が受取つた本件金員は二日後に大タク協に届けられたにとどまり、同関谷の後援会等へ入金となつておらず、同年内に所定の届出手続もなされておらないし、寿原が受取つた本件金員の措置も明らかではなく、また、大タク協では、これまでに選挙時以外の時に献金をしたことはなく、しかも、本件の時期にこのような高額の金員を同関谷、寿原に寄附する他に格別の理由もみいだせないのであつて、このような諸事実にかんがみるとき、同関谷および寿原に供与した各一〇〇万円につき、その金額の決定に当つては同関谷および寿原と同多田、同多嶋ら大タク協関係者らとの間に日頃から交誼があつたことも考慮されているであろうことはこれを認めるに難くないが、それでも右各一〇〇万円の趣旨は、その実質をみると、専ら、同関谷、寿原が衆議院議員として本件法案の成立の阻止をはかり、或いは税率の軽減、課税実施時期の延期など法案の内容がタクシー業者にとつて有利なものとなるように尽力してくれていること並びに今後も同様の尽力を受けたいことに対する同関谷、寿原の職務に関する謝礼の趣旨で寄附されたものであつたということができる。さらに前記12掲記の各供述調書の記載を併せ考えると、本件金員の趣旨は、まさに、同関谷、寿原に対する右に認定した謝礼の趣旨であつたことは明らかに認められるところである。

(2) ところで、

(イ) 被告人多田、同多嶋は、公判廷において、本件の各一〇〇万円は、被告人関谷、寿原の後援会に対する政治献金であつて、LPガス課税問題とは何らの関係はないと供述し、被告人多田の検察官に対する供述調書中にも同趣旨の供述記載があり、沢春藏、坪井準二、高士良治、市田実二郎らも同趣旨の証言をしており、さらに(a)前記桜井ノート中の昭和四〇年七月二〇日の大タク協の理事会に関するメモ書中には「政じけん金」という記載があり、(b)大タク協の昭和四〇年度銀行勘定帳(昭和四四年押第五四六号の6)中の住友銀行通知預金の項の八月九日欄(八一頁)には、摘要欄に「引出各後援会」という文言が記載され、昭和四〇年八月九日付振替伝票中の摘要欄には寿政会に対する後援会会費と記載され、(c)寿原の本件一〇〇万円については日付欄は空白であるが寿政会名義の領収証、被告人関谷の本件一〇〇万円については昭和四一年一月一八日付の松山会代表幹事藤本威宏名義の領収証があり、(d)本件と同じ八月一〇日に行つた三〇万円口の議員に対する供与分(寄附分)につき同議員の後援会名義の領収証、五〇万円口の一議員および三〇万円口の他の一議員につき後援会会費と記載されている兵乗協、京乗協の各預り証がある。

(ロ) しかし、本件金員供与が計画され、実行された過程をみると、その中で、昭和三九年一二月二二日の大タク協第三八回定例理事会に関する前記上中メモの記載によれば、被告人多田は、本件金員供与の企てのもとになつていると認められる同三九年年末の金員供与の提案をした際、「各先生のお礼」、「諸先生のお礼」という表現を用いていること、被告人多嶋の検察官に対する一二月九日付供述調書によると同四〇年六月二一日の同好会の席上被告人多田は「個々の先生」という表現を用いてお礼は放つておけないと言つていること、同四〇年六月二八日の大タク協臨時理事会に関する前記市田メモの記載によれば、被告人多田が八月一〇日の本件金員供与に当てる資金の問題について出席理事に諮つた際、出席理事からの発言として「個人の献金」とか「個人配分」という表現が用いられ、年末に中止していた被告人関谷、寿原ら国会議員に対し金員供与(本件金員供与のこと)を行うべきであるという発言があつたこと、証人佐藤敏雄の前記証言によると、同四〇年八月五日の同好会で「国会議員の先生」に金を贈る話がでたこと並びに同証人はその際の話合いの結果について同証人の日誌に「代議士先生の謝礼の件」と記載していることがそれぞれ認められ、これらの会合の際に被告人多田や関係理事らがなした発言内容の言葉から、当時被告人多田、同多嶋ら大タク協関係者らとしては、同関谷、寿原らの個人を名指して本件金員を供与する相手方とするつもりであつたことは容易に認めることができるところであつて、右の各会合での話合いの際に本件の各金員は同関谷、寿原の後援会に寄附するつもりのものであつたことはこれをうかがうに由なく、被告人多嶋(昭和四二年一二月一五日付)、沢春藏(一二月八日付)、坪井準二(一二月一三日付(三))の検察官に対する供述調書によると、被告人多嶋、沢春藏、坪井準二らとしては、本件の各一〇〇万円を、国会議員の同関谷、寿原に供与するつもりであつて、同関谷、寿原の後援会に限つて寄附するつもりでいたのではないといえるのである。また、本件当日、被告人多田が沢春藏らの同行者を代表し、被告人関谷、寿原に対し、「今日は皆で来た。」、「これはまことに些少ですがお納め下さい。」などとお礼に来た旨のべて同関谷、寿原に個人で受領してもらいたいことの意を明示して直接手交したものである。しかも、これを受領した寿原においてはこの一〇〇万円を同人の後援会に入金した形跡は全くなく、また同関谷はこの一〇〇万円を受取つたことを終始否認しながらも、「私がもし受取つているのなら二十日会に渡して届出していますよ。」と供述(被告人関谷の昭和四三年一月一四日付供述調書)しているが、それでも、同関谷が受領したと証拠上認定されるこの一〇〇万円については、二十日会に入金して届出た事実はなく、同被告人の松山会の事務局長の安永輝彦により二日後に、「今は時期が悪いから預つておいてくれ。頂戴したいときまたこちらから申し入れますから。」といつて大タク協の被告人多嶋に届けられ(被告人多嶋の一一月一日付、一二月一五日付(二)各供述調書)、同多嶋ら大タク協関係者は松山会関西支部に入金することはしないで大タク協の通知預金口座に入金し、しかも、LPガス課税法案が三党共同修正という形で業者側に有利に可決成立したあとの同四一年一月一七日ごろ右安永から同多嶋に対し「先般お預けしたお金を送つてもらいたい。」、「関谷先生の娘さんの結婚でいろいろお金がいるのであのお金を送つてくれ。」といつてきたので(被告人多嶋の一二月一五日付(二)、一月一七日付(一)各供述調書)、安永の指示に従つて、神戸銀行銀座支店の松山会の口座に振込送金していることも認められる。そして、さらに、被告人多嶋の検察官に対する一二月一三日付供述調書によれば、被告人関谷、寿原に対するこの各一〇〇万円について、同関谷および寿原には後援会があるのだから、同関谷、寿原の後援会宛に寄附したことにして会計伝票や会計帳簿の記載処理をし、後援会名義の領収証を徴しておけば、あとあと違法の問題がおこることもあるまいとの判断で、従来の政治献金の場合の扱いと同じように、会計伝票や会計帳簿の記載処理をし(右(イ)の(b))、寿政会名義および松山会名義の領収証を徴する処理(同(イ)の(c))をしたことが認められる。また、寿政会、松山会の領収証の作成の経過等を見ても本件各一〇〇万円を同関谷、寿原の後援会に限つて寄附する趣旨であるとは認めがたい。

以上の認定事実を総合すると、被告人多田、同多嶋らとしては、本件の各一〇〇万円を被告人関谷個人および寿原個人の用に供するために寄附することとして直接手交したもので、同金員の爾後の措置も併せ考えれば、同関谷および寿原がこれを自らの個人的用途に費消するも、また、同関谷、寿原が後援会に入金する手続をとるも、すべてこれを受取つた同関谷、寿原の自由な処置に委せるつもりであつたと認めるのが相当であり、同多田、同多嶋らとしては、当時特に同関谷および寿原の後援会に限つて寄附するという意向はなかつたというべきであり、右認定に反する前記13の(2)の(イ)掲記の供述や証言は採用できないし、桜井ノート中に「政じけん金」という記載があることや銀行勘定帳や伝票に「引出各後援会」、「後援会会費」という記載があること並びに寿政会および松山会の各名義の領収証が存在することはいまだ右の認定を左右するに足る証拠とはなり難い。

(3) したがつて、本件金員は、被告人関谷、寿原に対し、同関谷、寿原が個人的に費消するも或いは後援会に入金するも、その処分の一切を同関谷、寿原の意に委ねる意図で、同関谷個人、寿原個人に対して提供したものであると認められるし、本件金員の趣旨がLPガス課税法案につき廃案或いは業者に有利な内容となるように尽力してくれたこと並びに将来も同様の尽力を受けたいことの謝礼であることは前記認定のとおりであるので、同関谷、寿原に対する本件供与の実態が右に見てきたようなものである以上、この金について後援会名義の領収証を徴していること(政治資金規正法にもとづく届出がなされているものとは認められないが)の事実があつても、そのことだけで本件金員供与の実質に変更を来たすとは言えないから、結局、本件金員を同関谷、寿原の後援会に対する適法な政治献金であるという弁護人の主張は採用できない。

四 被告人関谷、寿原の認識

1 被告人関谷について

被告人関谷は、捜査段階および公判廷を通じ、本件金員を受取つたことを否定している。

しかしながら、被告人関谷において、被告人多田、同多嶋ら大タク協関係者が全乗連の指示の下で全乗連幹部らと協力し合つて、LPガス課税反対の運動をし、LPガス課税法案が国会に上程されてからは、この法案の廃案或いは税率の軽減、実施時期の延期など法案が業者側に有利に修正されるよう強い要望をもつており、同関谷のところへも再三その旨の課税反対の陳情、依頼に来ていたことを知り、関谷も同多田、同多嶋ら大タク協関係者と面談した際には、むしろ、すすんで、その時々の法案の見通しなどについて話をしていたことは前示第四本件犯行に至る経緯の項で認定したところであり、ことに、被告人関谷としても検察官の取調べの際に、他の関係証拠によれば肯認される事実であつても自己に不利益な事実については否認する態度をとつているが、それでも、昭和四〇年二月一一日の松山会関西支部主催の同被告人を囲む懇談会の席上、同多田、同多嶋ら大タク協幹部らを前にして「業界は当初からLPガス課税に絶対反対、少なくとも二年間は課税を待つてほしいという意向だからこれからもこの方向で運動されるについて今後とも自分は援助を惜しまない。」旨の話をしたこと(被告人関谷の昭和四三年一月一日付供述調書)、および同四〇年六月二八日の大タク協定時総会の席上、来賓として出席し、同多田、同多嶋ら大タク協幹部らを前にして挨拶の中で、「LPG課税は来年度まで延期されたが、次の国会で議案が通過するようであれば過日審議未了にした意味がなくなるので、寿原氏と共々手を打つていきたい。」と言つたこと(被告人関谷の同四三年一月二日付供述調書)を肯認する趣旨の供述をしているのであつて、このことからしても、本件当時、同関谷において本件法案の廃案もしくは修正を強く望んでいた同多田、同多嶋ら大タク協幹部らの心情はよく知悉していたことが認められる。そしてタクシー業者にとつて当面の最も重大な懸案であつたLPガス課税法案の成立を一時免れえたものの、次の国会で早晩再び審議されることが予想されていた最中の本件当日、同関谷は前記(第五本件犯行の項において)認定のように、自己の執務室において被告人多田が沢春藏ら同行の大タク協幹部を代表して、今日は皆で来た、これは些少ですがお納め下さいとお礼に来た旨をいつて差出した現金一〇〇万円入りの金封を受取り、ガス税については充分やるから任せておいて下さいなどと同多田らに話し、しかも同多田らから、今後ともよろしくお願いします、旨言われているのであつて、LPガス課税法案の審議をめぐる右のような時期に、しかも、右のような授受の際の同多田らとの話の状況の下で、同関谷は目の前に差し出された現金入りの金封を受取つており、その際同関谷において、同多田らに対し、LPガス課税問題にかかわりのない金であることを確め、或いはLPガス課税問題にかかわりのない政治献金として受領するなどの特段の意思を表明した形跡も全くうかがわれないのであつて、同関谷としては、本件金員が自己に贈られたものであること並びにそれはLPガス課税法案の成立阻止や修正に尽力し或いは今後の同様の尽力を期待する謝礼の趣旨を含む金員であることを了知して受取つたものとみるべきである。そして、右の証拠の範囲内ではその後、右現金が大タク協に返還されたか否かなどということ自体はこの認識の有無ないし犯意の成否にかかわりないというべきである。もつとも、本件の場合前記認定のように右の一〇〇万円は安永輝彦により二日後に大タク協に届けられているけれどもその事情については被告人関谷が同関谷と同多田の間の現金の授受を否認していることもあつてこれを解明する直接の証拠はないところ、前示のように、同関谷が同多田から現金を直接受取つたことおよびその際の具体的状況の証明がなされており、それによれば、その際の同関谷の右認識(犯意)も認めることができ、同関谷の認識(犯意)にかかる右の認定を妨げるに足る弁解やその他の証拠は存しない。したがつて、被告人多田から本件金員を受領した当時、被告人関谷としては、本件金員が議員たる同被告人に対して衆議院に提出され審議中のLPガス課税に関する本件法案についてタクシー業者のために尽力したことに感謝し、かつ今後の同様の尽力を依頼するための謝礼の趣旨の金であることは認識していたと認めることができる。

2 寿原について

寿原も、捜査段階および公判廷において本件金員を受取つたことを否定している。

寿原が被告人多田、同多嶋ら大タク協関係者からLPガス課税法案の成立阻止や税額の引下げ、課税時期の延期など業者に有利に修正されるように尽力してほしい趣旨の陳情や依頼を受け、寿原もこのような同多田や同多嶋ら大タク協幹部らの心情をわきまえて尽力し、同多田、同多嶋ら大タク協関係者に対しても折あるごとに法案審議の見通し、情況などを話し、そのため、寿原としても同多田、同多嶋ら大タク協関係者から日頃から非常に感謝されていたことをよく承知していたことは、前掲の関係証拠、就中寿原正一の検察官に対する各供述調書により認められるところであり、寿原は、被告人関谷と同様、タクシー業者にとつて当面の最も重大な懸案であつたLPガス課税法案の成立を一時免れえたものの、次の国会で再び審議されることが予想されていた最中の本件当日、被告人多田が沢春藏ら同行者を代表して、今日は皆で来た、まことに些少ですがお納め下さいとお礼に来た旨をいつて差出した現金一〇〇万円入りの金封を受取り、同多田らに対しLPガス課税反対運動の経緯や石油ガス課税法案の今後の見通しなどについて自分一人で尽力しているかのように話し、同多田らから今後もよろしくお願いします旨言われているのであつて、右1の被告人関谷の項で説示したように、寿原の場合においても同様、LPガス課税法案の審議をめぐる右のごとき時期に、しかも、右のような金員授受の際の同多田らとの話の状況の下で、寿原は同多田が差し出した現金入りの金封を受取りその際、同多田らに対しこの金員がLPガス課税問題にかかわりのない金であることを確め、或いはLPガス課税問題にかかわりのない政治献金として受領するなどの特段の意思表示もしていないのであり、しかも受領後後援会に入金することなく自己の用途に費消したと認められるのであつて、寿原としては本件金員が自己の用に供するために贈られたものであること並びにそれがLPガス課税法案の成立阻止や修正等に尽力し或いは今後の同様の尽力を期待する謝礼の趣旨を含むものであることは、これらを知悉して受取つたものと認められる。

五 なお、被告人関谷に関し、いわゆる第三者供賄罪が成立する余地があるかどうかについて、ここであらためて検討してみる。

まず、被告人多田、同多嶋らと被告人関谷との間で、事前に、同多田をして本件金員を同関谷の後援会である二十日会或いは松山会に寄附させるという話合いや約束があつたことを認める証拠はない。

次に、本件金員の授受が行われた際(当裁判所は、本件金封は被告人多田から同関谷に手渡されたもので、同多田が一旦同関谷の面前に差出した金封をその場でもち帰つたものではないと認定したことは、前示のとおりである。」、同多田が本件金員を二十日会或いは松山会に寄附すると明示した事実は、これを認めることはできないし、もとよりその際同関谷において、同多田らに対し二十日会或いは松山会に対する寄附として受取る旨告げた事実を認める証拠はなく、また、二十日会或いは松山会において同関谷に同会に対する代理権限を附与していたことを認める証拠もないのである。したがつて、同関谷が同多田から本件金封を受領したとき、本件金員が当然に二十日会或いは松山会に帰属することにはならないというべきである。さらに、同関谷が同多田から本件金員を受取つた後、安永がこれを大タク協に持参するまでの間に、同関谷が本件金員を二十日会に入金した事実はもとより入金しようとした事実もみとめられず、同会の代表者や会計責任者と本件金員の措置について相談した形跡もうかがわれない。安永輝彦の検察官に対する各供述調書や証人安永輝彦に対する当裁判所の尋問調書を検討してみても、安永輝彦が本件金員を大タク協に持参したのは松山会の会計責任者或いは松山会の代表者の代理人としてなしたということも認められないのである。このような事情の存する下では、同多田が同関谷に金封を手渡し、同関谷がこれを受取つた事実が認められる以上、本件金員は前に認定したように、同多田らにおいて、同関谷が自己個人的用途に費消するも或いは自己の後援会に入金するもその処分の一切を同関谷に委ねて同関谷個人に寄附したものであると認めざるを得ない。すなわち、

本件金員は被告人関谷個人に宛ててなされたものであつて、同関谷の後援会である二十日或いは松山会に宛ててなされたものではないという検察官の立証は尽されているものというべきであつて、同関谷において、本件金員の授受を強く否定しながらも、同関谷が献金を受取つた場合には後援会の二十日会に入金することにしているとかこれまで政治献金を受取つた場合には二十日会に入金してきたと供述していること、本件の直前の八月四日に相互タクシー株式会社からなされた献金が二十日会に入金処理されていること、大タク協としてこれまでに選挙時に献金した場合には後援会名義の領収証を徴していること、被告人多田にしても同多嶋にしても本件金員について、同関谷の右のいずれかの後援会名義の領収証を徴するつもりでいたであろうことの諸事実が認められるにしても、それらの事情をもつては、いまだ右の認定を覆し同関谷において、同多田、同多嶋らをして本件金員を同関谷の後援会である二十日会或いは松山会に供与せしめ或いは供与せしめようとしたものであると認めることはできないのであつて、結局、同関谷につき第三者供賄罪の成立を肯認するに由ないというべきである。

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