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大阪地方裁判所 昭和43年(わ)1398号 判決 1973年10月25日

主文

被告人志垣常次を罰金七万円に、同西田弘一、同朴健二および同岡部照雄の三名を各罰金二万五千円に、同小西勝之を罰金二万円にそれぞれ処する。

各被告人につき、右罰金を完納することができないときは、千円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人山根茂、同小山直俊(但し第一六回公判期日におけるもの)、同吉田孝司、同中野雄策、同平田邦彦に支給した分は被告人志垣常次の負担とし、証人志賀浩介に支給した分は被告人志垣常次および同小西勝之の連帯負担とし、その余は被告人志垣常次、同小西勝之、同西田弘一および同岡部照雄四名の連帯負担とする。

理由

(本件犯行に至るまでの経緯)

被告人志垣常次、同小西勝之、同西田弘一、同朴健二および同岡部照雄の五名は、いずれも大阪府豊中市待兼山一番一号大阪大学構内に事務所を有し、同大学を職域とする大阪大学生活協同組合(以下「生協」という)の従業員であって、さらに被告人志垣常次は右生協の従業員の一部で組織する大阪大学生活協同組合労働組合(以下「労組」という)の執行委員長、同小西勝之は同労組の執行委員であり、かつ生協業務部仕入関係の責任者の地位にあったものであるが、被告人らは職域生協から地域生協への発展こそ生協活動の目標であるとして、昭和四二年六月頃から被告人小西勝之が中心となって大阪大学近郊の団地等で物資を販売し、これが中止を求める生協理事会の指示に従わなかったところ、同理事会が被告人小西勝之を就業規則所定の「業務上の指示に従わなかった」旨の懲戒解雇事由に該当するとして同年一二月四日付で懲戒解雇したことから、労組側はこれに反撥し、生協理事会が当初外販活動を黙認しておきながら被告人小西勝之の解雇に及んだのは、生協理事会の主要構成員である学生理事の大半を占める民主主義学生同盟(以下「民学同」という)派が反戦会議派を支援する被告人小西勝之などを生協から追い出し、生協を支配するための陰謀であり、民学同はビラや立看板などで被告人小西勝之が生協資金を横領した旨虚偽の事実を捏造・宣伝までしているとして、民学同派学生に強い憤懣を抱くようになった。

(罪となるべき事実)

第一、被告人志垣常次、同小西勝之、同西田弘一、同岡部照雄および同朴健二の五名は、昭和四二年一二月六日午後六時三〇分頃から、前記大阪大学構内新館食堂内の職員食堂において、小山直俊、生田泰章、瀬戸家隆義、井上優、吉岡隆夫、藪下博らの生協従業員と雑談中、民学同派の学生に対する憤激が次第に昂じて来た折も折、同日午後七時三〇分頃反戦会議派の学生渋谷某から民学同派の学生が同大学宮山寮で立看板を製作中である旨の通報を受けたことから、被告人ら五名は、右小山直俊ら六名の生協従業員と共に、宮山寮に押し掛け、立看板を破壊し、また、その製作を中止させると共にこれに従事している民学同の学生などに暴行を加える旨の共謀を遂げ、自動車五台に分乗して同日午後八時頃、同市宮山町三丁目九四番地大阪大学宮山寮に到り、折柄、同寮玄関前広場で立看板の製作に従事していて逃げ遅れた同大学学生植田正男(当時一九年)を被告人西田弘一、同朴健二、吉岡隆夫らにおいて、同寮正門前附近路上に連れ出し、同所において、同人に対し、被告人岡部照雄において、手拳で顔面、腹部を二、三回殴打し、膝頭で腹部を蹴り上げ、小山直俊において手拳で顔面を数回殴打したうえ、ゴム長靴を履いた右足で臀部を二回蹴り上げ、被告人朴健二において宮山寮玄関広場に捨ててあった長さ一米五〇糎位のタル木で左肩を殴打し、同西田弘一において、同様の長さ一米位のタル木で背部を二、三回殴打し、さらに、その場に倒れた右植田に対し、被告人西田弘一において半長靴を履いた足で腹部、腰部を蹴りつけ、同岡部照雄および同朴健二において、腹部、腰部、背部、足などを踏んだり、蹴りつけるなどの暴行を加え、よって右植田に対し、一週間の通院加療を要する右眉部挫創のほか、前歯三本折損の傷害を負わせ、

第二、被告人志垣常次は、生協従業員の佐藤和嗣、吉田孝司、生田泰章、小山直俊と共謀のうえ、同四三年一月二〇日午後五時過頃、同市螢ヶ池東町三丁目四三番地レストラン「ニューフレンド」前路上において、かねて生協学生理事山根茂(当時二一年)が右佐藤を車泥棒扱いにしたとして、同所に停車中の右山根運転の自動車コロナ・ライトバン車内において、同人に対し、被告人志垣において手拳で後頭部、両肩を五、六回小突き、小山直俊において後襟を片手で掴んで揺さ振り、手拳で後首、肩を殴打したうえ、車外に逃げ出した右山根に対し、小山直俊において、腰部附近を二、三回蹴り上げ、佐藤和嗣において手拳で肩や胸部附近を数回小突き、顔面を一回殴打し、被告人志垣において顔面を二、三回殴打するなどの暴行を加え、よって右山根に対し、加療約一〇日間を要する眼窩部鼻根部打撲症の傷害を負わせ、

第三、被告人志垣常次は、同年三月九日午後零時三〇分頃、前記生協事務所組織部室において、生協学生理事の中野雄策(当時二二年)が労組組合員によって同室内に貼付されたビラを剥ぎ取っているのを目撃して憤激し、手拳で同人の顔面を十数回殴打し、下腹部を二回位足蹴りし、顔面につばを吐きかけるなどの暴行を加え、よって同人に対し、加療約一〇日間を要する顔面挫傷、両側結膜下出血、上口唇挫創、右中指挫創の傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(被告人らの事前共謀を肯認した理由)

第一、検察官に対する供述調書の証拠能力(特信状況について)

一、検察官は、証人として証言した藪下博、井上優、瀬戸家隆義、吉岡隆夫および小山直俊の検察官に対する各供述調書につき、刑事訴訟法三二一条一項二号後段所定の事由ありと主張する。なるほど、右の者らの証言は速記録に記載されていて、この供述記載によれば、事前共謀に関する右の者らの各供述は、事前共謀を否定しながら、その理由は曖昧であり、覚えや記憶がない旨の答えも随所に見受けられ、全体として供述を回避しようとする節も窺われるなど信用性に疑問が残るものといえる。しかし、検察官も指摘するように、右の者らは当時、被告人らと同じ職場で働き、本件を共に犯したとされているものであるから、これらの者の検察官面前調書の特信状況を明らかにするについては、同人らが被告人らの面前で遠慮、はばかりなどなく証言できたかどうかが問題となるところ、このような事情の認定は速記録によっても不可能ではないものの、証人の証言態度ひいては出廷態度もまた判定の要素の一つとなりうるのであるから、証言に直接関与した裁判官がもっともよくなしうるところといえる。そして、右各証言の速記録によれば、右各証言終了時には、検察官において各証人の検察官面前調書をいわゆる二号書面として請求する必要性の生じていたことが明らかであるから、この請求は、右各証言の証言直後か、遅くとも、その証人尋問に直接関与した裁判官の交替前か、判示第一の事実の最終証人たる小山直俊の証言が終了し、その請求が不可避となった時点でなされるべきであり、また記録に徴しても、その請求の機会は十分に与えられていたことが認められる。それにもかかわらず、検察官は、その後数年間右請求を放置し、その間、証人を偽証罪として追及した形跡もなく、また証人が証言中に不当を訴えた捜査段階における取調方法について取調官を証人として申請するでもなく、前裁判官が転出する直前の昭和四八年三月二二日の公判になって始めて請求した。以上の諸状況に鑑みれば、右各証人の証言の信用性を直ちに肯定するものではないが、さりとて、同人らの検察官に対する供述調書につきいわゆる特信状況を肯定するについては、なお当裁判所は躊躇を感じざるを得ない。したがって、右各証人の検察官に対する各供述調書の証拠能力を肯定することはできない。

二、しかし、被告人西田、同岡部および同朴の検察官に対する前掲各供述調書については、同被告人らは前掲各証人のように事件当時同じ職場で働き、本件を共に犯し、そして、単に、法廷に証人として出廷したというだけではなく、昭和四三年五月六日の本件公訴提起以来、被告人小西および同志垣と共に、共同被告人として始終本件審理に関与して来た関係にあるうえ、その供述がなされたのは、事件後相当期間を経た昭和四七年に入ってからのことであり、その間、また、その後、本件各被告人が揃って出廷したことがなかったこと、同被告人らの各検察官面前調書は一面において各被告人本人に対する関係で自白調書に当ることなどの諸事情が認められ、これら諸事情からすれば、右各検察官面前調書が昭和四八年五月一一日の公判において始めて請求されたことをもって、直ちに時期に遅れた不当な請求といえないばかりか、その特信状況の有無の判断に当っても、前記各証人の場合と別異に解する余地があるということができる。そして、本件においては、

1 被告人西田の公判廷における供述は、「記憶がない」「覚えがない」「忘れた」とするものが多く、それ以外でも誘導尋問に対してなされたものが多いこと、これに反して、検察官に対する供述状況については、同被告人は、公判廷で「当時も記憶は薄れていたが、岡部が言ったことを、ああや、こうやと言われ、部分的に思い出して、一応そうだったと言うことで、納得して供述した」旨供述し(第二七回の二公判調書)、第二八回の二公判でも、「検察官に対しては、記憶の範囲内で供述した」旨述べ、さらに弁護人の質問に対しても、あえて、「押しつけみたいなんでなかった」旨供述していること

2 被告人岡部は、公判廷で、検察官が重要とする点について、検察官の質問に対し「覚えない」旨の供述を繰り返し、その誘導尋問があって、初めて「多分そうと思いますけどね」と肯定的供述をし、また、検察庁における取調状況について「検察庁では記憶しておるとおりに話したわけですか」との問に、「ええそうと思います」と繰り返し、検察庁では「出たい一心で大体のことを言った」と供述するものの、それが間違っているとは言っていないこと、さらに、検察庁では主として被告人朴の調書に同調した旨弁解するが、検察官が請求する被告人朴の調書は被告人岡部の調書と同じく昭和四三年四月二六日付と同一日付のものであり、かつ両調書の内容は検察官の指摘によっても(また実際にも)一致しない点があり、それぞれの特色を有するものであるから、被告人岡部の右弁解は信用できないこと、しかも被告人岡部の右調書は釈放の確定した昭和四三年四月二六日に作成されたものであり、検察官において釈放を条件に供述を強要した事実は認められないこと

3 被告人朴は、公判廷で、主要点につき記憶がないと答えるより、事実を否定した供述を繰り返し、検察庁における取調状況等について「検察官からほかの二人は調書が出来て待っている。お前が最後だなどと言われた」「ほかの二人の調書を見出し合わせて、こうじゃないか、ということで、あゝそうですかということで調書が終った」「二人とは西田、岡部のことである」旨弁解するが、この弁解は、どの個所が合わせて供述されたのか特定していないし、被告人朴の調書に合わせたとする被告人岡部の弁解と喰い違っており、かつ右各調書の内容は検察官の指摘によっても(また実際にも)一致しない点があり、それぞれ特色を有するものであるから、被告人朴の右弁解は信用できないこと、また、被告人朴は、当公判廷で、植田殴打の動機についても、検察官の質問と弁護人の質問とで異った矛盾する供述をしていること、検察官が釈放を条件に供述を強制した形跡は認められないこと

などの諸事情があり、以上の諸事情に加えて、検察官が公判廷で右各被告人に対し前供述を具体的に提示して質問しているが、これに対する右各被告人の応答の状況、この状況から窺える当時の取調状況、速記録によって窺われる供述経過、被告人らの出廷状況、出廷態度などを綜合すると、被告人西田、同岡部および同朴の検察官に対する前掲各供述調書については、任意性はもとより、他の被告人に対する関係で刑訴法三二一条一項二号後段所定の事由を肯認することができる。

第二、事前共謀の認定

右第一の二で説示した理由に照らせば、被告人西田、同岡部および同朴の検察官に対する前掲各供述調書の記載は、大綱において優に信用することができる。弁護人は本件より後になされた事件の相談と記憶の混同がある旨指摘するが、本件は、判示のように、被告人小西が一二月四日付で懲戒解雇され、生協内部の緊張が高まり、殊に、被告人西田、同岡部および同朴の三名については、初めて宮山寮に押し掛け、実力行使したという犯行の事前共謀に関するもので、同被告人らの生活史上極めて特異、異常な出来事といえるから、すくなくとも大綱においては記憶混同の生ずる余地はすくなく、事件当夜の状況に関する前記各証人の供述に照らしても、被告人西田、同岡部および同朴の検察官に対する前掲各供述調書の記載が他日の出来事と混同している形跡は全く窺われない。そして、同各供述調書の記載は判示事前共謀に副うものといえる。

また、前掲各証人は、一応事前共謀を否定する証言をするものの、証人吉岡隆夫は、「当夜宮山寮へ行く前に志垣が民学同みたいなやつはどつかなあかんというようなことを言ったかも判らんし、小西から一般の学生に手出しをしないよう注意してという話を聞いたことがある」旨肯定的供述をし(第九回の二公判調書)、証人藪下博も、検察官の質問に対し、大部記憶がなくなったと供述するうちにも、「出かける前の職員食堂で、鈴木や吉田、中野は見つけ次第どつきあげる。民学同の連中見つけたらみせしめのためどつきあげる」という話は出たかもわからんですと肯定的に答えている(第一〇回公判調書)。さらに、被告人岡部は、公判廷で、「判らない」「知らない」「記憶がない」と供述を繰り返すなかで、検察官が質問で示した「瀬戸家の  兄の方が  学生なんか  あんなやつは殴らなわからへんというようなことを言うた  」「小西は  押しかけて行って、こっちが先手をとって殴り込みをかけたらないかんというようなことを言うた」事実を「多分そうと思いますけどね」と肯定している。

そして、≪証拠省略≫によっても、本件事件当夜、被告人らが職員食堂にいた際、学生渋谷某から被告人小西に宮山寮で学生らが立看板を製作中である旨の情報がもたらされて、判示のように被告人ら一一名が宮山寮に押し掛けることになり、新しい軍手が各人に分配されたうえ、五台の自動車に分乗して出発したこと、宮山寮に到着して降車するや、立看板製作中の十数名の学生は直ちに逃走したが、被告人西田、同朴のほか藪下博、吉岡隆夫らは逃走学生を目撃するや何ら躊躇することなく追跡し、逃げ遅れた学生の植田正男を掴えて連行し、民学同所属の学生かどうかを確めながら判示の暴行に及び、他方、被告人小西、同志垣、瀬戸家隆義、井上優らは、宮山寮玄関で民学同幹部鈴木、中野、吉田らを出せと言って、これに応酬する寮の学生と口論したこと、学生らは「暴力団帰れ」と叫んでいたこと、パトカー接近の気配に被告人らは一斉に車に分乗して引き揚げたこと、引き揚げ後、職員食堂で被告人小西が他の者に口止めをしたことなどの各事実が認められる。

他方、被告人小西は、当公判廷で、事前共謀はもとより、右認定の事実の一部すら否定する旨供述しているものの、二五回の一の公判では、当夜再度宮山寮に行き一五〇人位集った食堂で暴行事件を初めて知ったと供述し、二六回の一の公判では、事件直後引き揚げた際に暴行事件を知ったと供述するなど一貫しない供述をしていること、被告人志垣も、当公判廷で、事前共謀はもとより、右認定の事実の一部にも反する供述を繰り返しているが、事件当夜、宮山寮へ行った目的について一貫しない供述をしていることなど諸点が認められる。

そして以上挙示の諸点および認定の諸事情を綜合すれば、判示のとおりの事前共謀の事実が認められ、かつ被告人小西および同志垣が他の生協職員に影響力を有していることは、≪証拠省略≫によっても明らかであるから、右認定の事実が刑法における共謀共同正犯にいう共謀に該当すると解するのが相当である。

(法令の適用)

刑法二〇四条、六〇条、昭和四七年法律六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六条(判示各事実。但し、第三については刑法六〇条を適用しない)、以上いずれについても罰金刑を選択、刑法四五条前段、四八条二項(併合罪。被告人志垣につき)、同法一八条(労役場留置)、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条(訴訟費用。被告人朴を除く)

(刑の量定理由)

本件は、判示のように、大阪大学生協職員と生協理事たる同大学民学同派学生間の反目が暴力事件に発展したものであって、理由が如何にあれ、直接暴力に訴えるが如きは許されず、殊に、判示第一の犯行は事前に共謀して集団で押し掛け、タル木を使うなどして無抵抗の被害者に集団で執拗に暴行を加え、傷害の結果も軽微とはいえず、判示第二の犯行も共同暴行によるもので、態様は執拗であり、判示第三も粗暴・執拗というべく、被告人らの刑責は看過することはできないが、被告人らにおいて当時の民学同派学生による宣伝活動に反撥した心情は理解できないではなく、被告人小西については、他の被告人その他生協組合員に最大の影響力を持ちながら犯行を阻止しなかったどころか、本件に及んだ点は遺憾というべきであるが、実際の実行行為を担当していないし、実行行為において過剰な暴行が加えられたことは否定できず、被告人志垣については、関与した犯行件数に照らし強く非難されるべきであるが、第一の犯行については右小西と同様の事情が認められるほか、以上全被告人について、本件被害者の公判不出頭などが原因して長期間の審理を受け、実質的には制裁を受けたともいえるし、その間、再犯もなく、それぞれ正業を得て家族を扶養し新生活を歩み始めていて、もはや粗暴な行為を繰り返すおそれも認められないなど被告人らに有利な事情を考慮して、罰金刑を選択し、主文のとおり量刑する。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 小瀬保郎)

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