大阪地方裁判所 昭和43年(わ)1419号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕(罪となるべき事実)
被告人は内妻北山エミ子と肩書住居において同棲していたものであるが、エミ子が昭和四三年三月頃から近所の洋酒喫茶「ロング」のホステスとして勤めているうち、同店の客であつた曾我部光春(昭和一七年六月二一日生)に対して、同女が独身者であると言つていたことから、これを真実と思つた同人に求婚されたので、同女はその申出を拒絶するため被告人と内縁関係にあることを打ち明けたにかかわらず、同年四月一四日午後一〇時頃同女に騙されたと言つて立腹した同人から強姦されるに至つた。翌一五日午前二時頃、エミ子から曾我部に強姦されたこと、同人がヤクザで刑務所を出所して間もない前科者であること等を聞いた被告人は、直ちに知人の高田富子に相談する一方、曾我部を恐れ、同人からエミ子を守るため同日正午頃、刺身庖丁一本(昭和四三年押第五四一号の一、刃体の長さ約二六センチメートル)を買い求めた上、同日午後八時半頃、右高田宅で、高田、エミ子同席の上、曾我部と話合つたが、同人は謝罪はおろか、エミ子に騙されたと一方的に主張して話がつかず、その後も反省の色を見せず、エミ子に呼び出しをかけてきたりしていたが、一旦はエミ子をあきらめて郷里の四国に帰つたので一応安心していたところ同月二六日に再び来阪して被告人を喫茶店に呼び出し、被告人がことを穏便にすませようと考えて謝つているのにかかわらずことさらにヤクザで前科者らしく振舞い「騙された、エミ子に裏切られたので何かしてやる。一生つきまとつてやる」等としつこくからみ、更に翌二七日午後一一時頃、友人と三人連れで被告人方へ来て「騙された、どないしてくれるんや、人を入れて話をつけよう。」といい翌二八日、午後三時頃には、「昨日の話どうなつてんね、俺にも考えがある、思うようにするからな。」と電話をかけてきた上、午後五時頃、被告人方のドアを蹴り大声で「一寸出てくれ、出てこい言うたらわかるやろう。」と怒鳴つたので、被告人は同人の様子がこれまでと違うし、従来の言動や同人がヤクザで前科者であることを考えると同人が刃物を持つていて、それで攻撃してくるおそれも多分にあると思い護身のため、前記刺身庖丁を隠し持ち、自宅を出て雨の中を同人と並んで歩き始め、西成区千本通り二丁目三一番地先路上までさしかかつたところ、同人がいきなり被告人の前方に出て約一メートルの間隔で相対して立ち、上衣ポケットから刃渡約6.2センチメートルの折りたたみナイフ(前同号の二)を取り出し、これを開いて右手に持ち、傘を捨て殺気立つた目つきをして「やつてやる」と叫び右ナイフを被告人の左胸のあたりに突きつけてきたので、とつさに同人が被告人を攻撃してくるものと信じ、自己の身体を防衛するため所携の右刺身庖丁を使用して反撃を加えたが、被告人が隠忍に隠忍を重ねているにかかわらず理不尽ないいがかりをつけてやまない同人に対する憤慨の念と興奮のため、防衛の程度を超え、同人が死ねば死んでもかまわないという意思のもとに、右刺身庖丁をもつて体当りするようにして同人の胸部二個所、腹部一個所を突き刺し、同人が背を向けるやさらに背部を数回突き刺し、よつて右背部刺創により、下行大静脈を切断したこと等に基づく大出血の結果、即時同所において同人を死亡させたものである。
なお被告人は、犯行後直ちに西成警察署司法警察員に対して自首した。
(過剰防衛行為と認めた理由)
前記判示のとおり、曾我部は、自宅にいた被告人に呼出をかけ、本件犯行現場まで連行した上、被告人と約一メートルの間隔で対峙し、やにわにナイフを取出して「やつてやる」と叫びながら、これを被告人の左胸あたりに突きつけてきたという事実が認められ、右事実によると、被告人は同人より自己の身体に対する急迫不正の侵害を受けたものといわねばならない。もつとも、被告人は同人より呼出をかけられた際、同人から刃物で攻撃されるかもしれないと予期し、本件犯行に使用した刺身庖丁を予め用意して本件犯行現場に赴いたことが認められる。しかし、後記のとおり被告人が右庖丁を携行したのは、同人に立ち向い積極的に同人を殺害する意思のもとに携行したのではなく、あくまで同人の侵害に対して自己の身体を防衛するための準備行為としてなしたものと認められ、かかる場合においては、同人の侵害を予め予期し、これに備えるため兇器を用意したとしても、前記のとおり同人の現実の侵害が切迫していたものである以上、急迫の侵害があつたものと認めるに妨げない。
次に、被告人の防衛の意思の有無について検討するに、この点についても、被告人が北山エミ子から強姦されたと打明られたその日に前記庖丁を買求め、本件犯行の日の以前より曾我部と会う際には常にこれを携帯しており、前記のとおり本件犯行に際しても予めこれを用意していたという事実が問題となる。被告人は、検察官及び司法警察員(昭和四三年五月二日付)に対する供述調書においては、積極的に曾我部を殺害しようという目的で庖丁を買求め、これを携帯していたという趣旨の供述をしており、当公判廷、自首調書、司法警察員に対する同年四月二八日付供述調書においては、同人の攻撃から自己やエミ子の身体を護るためであつたという趣旨の供述をしている。被告人は、曾我部から自己の内妻を強姦されたのみならず、その後も引続き理不尽な言いがかりをつけられていたのであるから、同人に対して強い怒りと憎しみの感情を抱いていたことは容易に推認できるところであり、したがつて被告人において同人を積極的に殺害しようとする動機の存在を否定することはできないが、一方、被告人は、同人がやくざであり前科者であると、エミ子からも聞かされ、自らも曾我部に面談してそのように印象づけられていたので、被告人らに執拗につきまとつてくる同人に対して、なにをするかわからないという危惧の念を抱き、同人を恐れ、同人から逃避するためエミ子と一緒に数日間ホテルに宿泊したりしていたこと、被告人が、昭和四三年四月一五日高田方で、同月二六日喫茶店ABCで、いずれも前記庖丁を携帯の上曾我部と面談し、同人を殺害しようと思えば、その機会があつたと考えられるのに、その行為に出ていないこと等の諸般の事情を合せ考えると、被告人の前記検察官らに対する供述よりも当公判廷等における供述の方がより信用に価すると考えられる。すなわち、被告人が前記庖丁を買求めて携行していたのは、積極的に曾我部を殺害しようという企図のもとになされたものではなく、むしろ、同人の侵害に対し自己やエミ子の身体を防衛するためになされたものと認められる。このことを前提とし、更に、被告人が本件犯行現場に赴いたのは、曾我部より呼出を受け、止むなく同人の後に従つた結果であつて、自ら進んで行つたものでないこと、前記同人の侵害の態様等諸般の事情を考慮すると、本件犯行は被告人が自己の身体を防衛するためになした行為と認めるのが相当である。
しかし、被告人が曾我部より受けた侵害の程度は、刃渡約6.2センチの比較的小型のナイフを胸もとにつきつけられたという程度であり、客観的にみれば、同人がこれで被告人の身体を突いてくることが必然とはいえない状況下にあつたと考えられること(被告人が判示の状況上曾我部がナイフで刺してくると思つたのは当然であるとしても、曾我部は単に脅迫しようと考えていたに過ぎないという可能性もある)本件犯行が一回の刺傷にとどまらず、胸部(二個所)、腹部(一個所)、背部(五個所)に対する計八個所の致傷行為でありしかも背中を刺した傷が致命傷であること等の事情に徴すると、本件防衛行為は社会通念に照らして当然性、妥当性に欠け、防衛の程度を超えたものといわざるを得ない。(松浦秀寿 黒田直行 中根勝士)