大阪地方裁判所 昭和43年(わ)3876号・昭43年(わ)4013号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕(罪となるべき事実)
被告人は、
第一、昭和四三年一一月二七日、京谷恒男から山嶋進(当時二四才)方への道案内を頼まれ、同日夜京谷方で一緒に飲酒した後出掛けたところ、途中京谷から、関本がさきに山嶋から買受けた日本刀の代金を支払わないでいるが更に支払いの猶予を得、あわせて代金の支払が遅れていることで関本の兄に文句をいつたり知合いの者に悪しざまにいわないように申入れるため、関本照明に頼まれて山嶋方に行くのだと聞かされたが、山嶋の人柄からみて同人がたやすくこの申入れを受け入れるものと思われなかつたので、話がこじれた場合に備え、一たん帰宅してあいくち(昭和四四年押第五号の一)を持ち出したうえ、同日午後一一時ごろ守口市南寺方中通り一丁目七番地幸雲荘の山嶋方に赴き、京谷恒男が右山嶋を呼び出し、近くの前同一丁目五番地先の路上で支払猶予を申入れたが同人からにべなく断わられ、「待つてやれ」「絶対待てん」等とやり合ううち次第に険悪な雰囲気となり、とうてい話合いができそうもなくなつたが、この様子を離れて見ていた被告人は、右両名に近寄り山嶋に対し「どないや、話わかつたか」といつたところ、同人から「何をこの野郎。馬鹿たれめ。何も知らんくせに横から口を出すな」等の口汚なくいい返されたことから侮辱されたと憤激し、いきなり前示のあいくちで同人の腹部を一回突き刺し、よつて同人に対し加療約二週間を要する腹部刺創の傷害を負わせ、<中略>
(殺意を認定しなかつた理由)
検察官は、判示第一の犯行が殺意をもつてなされたものと主張し、これを裏付ける事実として、被告人が(一)兇器をあらかじめ準備携行していること、(二)「殺してやる」と口走り刺していること、(三)二メートル位離れた位置から体当りするような体勢で刺していること、(四)一回刺した後も「皆殺してやる」といいながら追い撃ちをかけていること、(五)刺創の部位が生命に危険のある腹部であること等を挙げているが、これら挙示の事実に副う証拠もないではなく、また本件兇器がもつぱら人を殺傷する目的で作られるあいくちであり、刺創の部位が腹部であることや被告人が捜査官に殺意のあつたことを認める供述をしていること等からすれば、一見検察官の右主張を認め得るかのようである。しかしながら、右(一)の兇器携行については、被告人は当初から山嶋進を殺傷するためにではなく、同人の平素の粗暴な行ないからみて万一喧嘩になつた場合のいわば護身用として持ち出したものと認めるべきであり、(二)の「殺してやる」云々および(三)の体当りで刺したとの点については、京谷恒男の検察官に対する供述調書にこれに副う記載があるのに対し、同人は公判廷でこれに反する供述をしていることはしばらくおくとしても、供述内容からみてきわめて率直に証言していると認められる山嶋進は、右(二)、(三)の点に関してそのような事実がなかつたと述べており、しかも本件あいくちの刃渡りは約一三、二センチメールで、これにより生じた創管の長さが約四、五センチメートルというのであるから、山嶋の当時の服装や刺創の部位が腹部であることおよび山嶋が被告人の攻撃を予想して後退したものとも認められず、被告人とほぼ対面していたこと等をあわせ考えると、被告人が体当りで刺したもの、或いは被告人の捜査官に対する供述調書にあるように力一杯刺したものとはとうてい認められず、この点からしても前示京谷および被告人の捜査官に対する供述調書の該当部分は信用できないというべきである。つぎに、(四)の被告人がなおも攻撃を繰返そうとしたとの点については、山嶋進は、判示現場で被告人が一回刺した後で父山嶋輝政に制止され「放せ」といつていたと述べ、被告人が一度ならず攻撃を加えようとしたかのような証言をしているけれども、進は刺されてすぐ自宅に逃げ帰つたのであるから右証言部分は必ずしも正確なものとはいい難いのみならず、輝政自身公判廷で被告人を制止した事実のないことを明言しているのである。また、被告人および京谷恒男が山嶋進を追つて同人方入口まで行つたことについては、同人方は入口に立てば室内全部をほぼ見通すことができるのであるが、被告人は山嶋を眼の前にしながら刃物をとり出すでもなく、また右輝政に止められたにしても室内に押し入ろうとしていないし、関係人の証言にある「皆殺しにしてやる」との被告人の発言についても、内容自体その場にそぐわないもので、人を刺した後の興奮状態における強がりのものとみれないわけではなく、これを要するに被告人の右言動から直ちに被告人に重ねて攻撃を加える意思があつたと認めるにはいささか躊躇せざるを得ないのである。そして本件犯行の動機について考えてみても前掲証拠によれば、被告人は、昭和四二年一〇月ごろ山嶋進から面をきつたとしてカミソリを突きつけられたことで同人を知り、昭和四三年五月ごろ同人が他人と喧嘩しているのを仲裁したことで、山嶋からいんねんをつけられることもあつたが、被告人としては別段これを恨みに思つていたわけではなく、道で会えば互いに言葉を交わす程度の仲であつたし、また関本照明とは親しい間柄にあつたが、同人のために山嶋との交渉をまとめなければならない立場にはなく、京谷恒男の道案内として同人に同行し、山嶋との交渉はもつぱら京谷に任せ、同人らとは離れて見ていたという状況であり、本件犯行は犯行直前の言葉のやりとりから、酒の勢いも手伝い、あいくちを携行していたこともあつて、とつさに行なわれたものと考えられ、とくに腹部を狙つたものと認められないのである。以上検討したように、本件犯行に至る経過、動機および刺創の程度のほか、被告人の当公判廷における供述からみると、本件兇器の形状や刺創の部位の点を考慮にいれても、被告人に確定殺意はもとより未必の殺意を認めるのは困難であるので、判示のとおり傷害と認定したものである。(児島武雄 金田育三 山田利夫)