大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)1216号 判決 1970年4月18日
原告
阿部浩伸こと阿部平松
被告
南海電気鉄道株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の申立
(原告)
被告は原告に対し金七〇〇万円、並びにこれに対する昭和三九年一二月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え訴訟費用は被告の負担とする。
との判決、並びに仮執行の宣言。
(被告)
主文同旨の判決。
第二、原告の請求原因
一、傷害事故の発生
原告は、昭和三九年一一月三〇日午後七時二八分頃、被告会社の経営する南海本線尾崎駅構内渡線道に於て、和歌山市駅発難波行き上り普通電車の最前部右側角にはねられて、頭蓋及び左顔面(左眼窩)骨折、脳内出血等の重傷を負つた。
事故情況の詳細は次のとおりである。すなわち、原告は、右時刻頃、別紙略図点附近で下り電車を降り、下りホームを上り方向へ向かつて歩き、下りスロープの部分を経て前記構内渡線道を横断して西改札口へ向かおうと、前方の安全を確かめて同図点附近まで来たところを、警笛なしに発車した前記上り電車にはねられたものである。
二、被告の責任
本件事故の原因は、被告会社が、近時の乗降客の著増と電車回数の増加により、極めて危険な状態に達していた前記構内渡線道に、警報装置ないし遮断機等の設置を怠り、かつ一般通行人の構内通行を許してその雑沓に拍車をかけていたこと、更に、当時は夕方のラツシユアワー時であり、上下線が相接して発車する時でありながら、右渡線道に駅員を配置し乗降客の誘導を企ることもしなかつたこと、並びに、加害電車の運転手が出発に際し警笛を鳴らさなかつたこと等の過失に因るものであるから、被告会社は本件事故による原告の損害を賠償する義務がある。
三、原告の損害
原告は前記傷害により、左眼窩陥没、左眼複視、視力減退、頭重感、偏頭痛の後遺症を残すに至り、その職場を失い次のごとき損害を蒙つた。
1 治療費 八万五、〇〇〇円
2 入通院雑費 一一万五、〇〇〇円
3 逸失利益 五四一万円
職業 大阪工業株式会社社員
収入 月収三万三、六八八円。ボーナス年間五ケ月分。
喪失率 二分の一(ただしボーナスに関しては全損)
稼働可能年数 三二年間
4 慰謝料 一五〇万円
原告は、事故後訴外荒木外科医院へ搬送されたが三日余りも意識不明であり、その後和歌山赤十字病院眼科ほかで通院治療を受けているが、前記後遺症を残しており、失業中で三人の妻子をかかえてその生活不安、精神的損害は著るしい。
四、本訴請求
よつて、原告は被告に対し、前項損害の合計七一一万円の内金七〇〇万円、並びにこれに対する本件事故発生の日の翌日から、完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第三、被告の答弁
一、請求原因第一項(本件事故の発生)中、事故態様については否認。
傷害の内容は不知
原告の傷害は、被告会社の電車に接触したために生じたものではない。すなわち、原告は、その主張する日時頃、被告会社の難波発和歌山市駅行き下り急行電車が尾崎駅を発車して間もなく、右電車が停車した下りホーム中央附近のベンチ前あたりの下り線路上(別紙略図
二、同第二項(被告の責任)は争う。
三、同第三項(原告の損害)は不知。
第四、証拠関係〔略〕
理由
一、原告主張の事故態様、すなわち、はたして原告が被告会社の電車に接触したため負傷したものであるか、或いは被告主張の如く原告がプラツトホームから軌条上に自ら転落して負傷したものであるか否かの点について検討する。
証人山下静雄は、「本件事故当時原告の同僚であつた証人が、丁度尾崎駅構内を通り抜けようとして、東改札口へ差し掛つたところ、いつたん発車した難波行き上り急行電車が、キユーとブレーキをきしませて停車する音を聞いた。東改札口を入ると、右電車の先頭が構内渡線道を約二メートル程行きすぎて停車していたが、証人が渡線道の中程まで来た時には、電車は再び発車して通りすぎてしまつた。その時一〇人位の人が今の電車が人をはねたと言つて渡線道のところに集まつていたので、証人も渡線道から一歩足を軌道敷上へ下してみると、原告が、渡線道より難波よりで上下線の中間あたり(別紙略図
又、原告はその本人尋問において「当日、自分は所用で貝塚市へ行つた帰りであり、尾崎駅で、下り電車の前から二両目の車両から降り、下りホームを難波方向へ歩き、スロープを下つて、西改札口へ向かい渡線道を半分程渡つた。そこに人々が立止まつていたので、自分も立止まり上り電車を確認しようとしたところまでは憶えているが、その後のことは、荒木医院で二、三日後に意識を取戻すまで記憶にない」旨供述している。
しかして、右証言ならびに供述の外には、この点に関する原告主張の事実にそう直接的な証拠はない。
これに対し、証人森村文一は、「当時尾崎駅の当務助役として勤務中であり、本件下り電車(一九時二七分一九秒着、同五〇秒発)が定時に尾崎駅に入構した時、本件渡線道の上り線附近で渡線道の歩行者の警戒をしていたが、右電車が定時に出発し、その後尾が下り出発信号機を通過して姿を消したので、西改札口の改札業務を応援すべく、これに向つて上りホームのスロープ(別紙略図
又当初原告の治療にあたつた証人荒木泰通は原告の創傷の程度について、「左顔面の額(頬)骨が大きく骨折しており、顔の左側に縦に長さ一〇センチ程のV字型のくぼみが出来ていて、相当に激しい衝撃を受けた様子であつたが、皮膚は切れておらず、鈍い角のある物体で強打したと思われた」旨証言し、更に「荒木外科に運ばれた時、原告は意識を喪失しており(三日間続く)、同医師において深くその原因を追求したわけではなかつたが、ホームから落ちてレールで打つた旨の駅側の説明からして、落下の姿勢などによつてはより大きな負傷もあり得るところから、これを納得し、結局、翌昭和四〇年一月一七日まで入院させて治療した。(右証人は被告会社の嘱託医をしているというが、弁論の全趣旨に照らし、特に意図して被告会社の為に有利な証言をしようとしている態度はうかがえない)」旨述べている。
右荒木証言からすれば、原告が発車直後の上り電車に触れ、その際電車の外側機具に顔面を打ち当てられ、その強大な運動量により、その衝撃ないしはこれによる転倒の際受傷し得る可能性がなくはなく、又森村証言の如く、ホームから転落して受傷し得る可能性も存する。(ちなみに、前記証人森村の証言により認められるホームの高さ(一メートル五センチ)から物体を落下させるならば、空気抵抗等を無視して考えると、レールにあたる時の速度は、秒速四・五メートルすなわち時速一六キロに達することが認められ、一方、上り列車が所定の停車位置から発車して構内渡線道に至る迄に、この速度に達しうるかは多分に疑問である)
右山下、森村証言は、事故を直接目撃したものではなく、それ故事故の態様に関し、受傷内容からそのいずれを信用すべきものともなし難いものといわなければならない。しかして、前記山下証言のとおり、事故の当夜同人は前記荒木外科へ赴きながら、居合わせた勤務先の担当者や原告の家族らに対し、目撃の状況を全然話していない点、負傷の程度から考えて、いかにも納得し難いところである。又原告が意識回復後、自ら或いはその妻を介して、勤務会社担当者や被告会社担当者、所轄警察係官に対し、事故の状況の真相を明らかにすべく交渉を重ねたことは、前記本人尋問の結果からうかがうことができるけれども、結局採択されるに至らなかつたものであることが、同本人尋問の結果ないし弁論の全趣旨により明瞭である。これらは却つて、多数の目撃者(少くとも原告が転倒していた地点については)のある本件にあつて、被告関係者において、これを無視ないしは封殺して当初から森村証言の如き事故状況の証明を虚構したものとも思えないことをうかがわせる傍証にこそなれ、原告の主張を支えるものでないことも明らかである。他に本件事故態様に関する前記山下証言ならびに原告本人尋問の結果を措信せしむべき資料はなく、当裁判所はこれを採用し得ない。
そのほかに原告主張の事故態様を証明すべき証拠はない。結局、原告の主張する事実は、本件全証拠をもつてしても証明が十分でなく、真擬不明の状態にあると言わざるを得ない。
二、原告は本件事故が被告会社の電車との接触によるものであることについて、まず挙証の責任を負つているのであるから、原告がこの責任をはたし得ない以上、その他の点について判断するまでもなく、原告の請求は棄却せざるを得ない。
よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 本井巽 中村行雄 小田耕治)
別紙略図
<省略>