大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)3686号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕一、請求原因について
(一) 原告学が同義郎、清美の長男として昭和四〇年一月一六〇日に生れたこと、昭和四二年九月七日午後五時頃右耳翼を負傷したことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、原告学の右耳翼は上部が欠け、軟骨が一部露出していたが、整形治療の結果軟骨は覆われたものの、耳翼の欠損部はもとどおりになつていないこと、右耳翼後方側頭部の瘢痕は整形治療のため皮膚を取つたため生じたものであることが認められる。
(二) 原告学の右耳翼の負傷が被告の飼犬が咬んだためであるか否かについて争いがあるので、以下この点について検討する。
<証拠>および弁論の全趣旨によれば、原告学が負傷した状況を直接目撃した者はおらず、被告の妻侑子が子供の泣声に気づいて、表に出て見たところ、原告学は、被告居宅の玄関先と通路の間の溝の上に渡してある板の上に、足を被告居宅の方に、頭を通路の方に向けて、あおむけに倒れて泣いており、右耳翼上部から血がでていたがその付近に人影はなく、被告の飼犬の他に犬の姿もなかつたこと、被告の居宅は東西に走る表道路から南に約二〇メートル続き、突当りは工場の塀によつて行止になつている袋小路に面して東側に三戸、西側に二戸の居宅が並んでいる東側の一番奥にあり、付近は袋小路のため人通りは少いこと、切れた耳のかけらは、その後右渡し板の東端から南西に一メートル程度の袋小路上に落ちていたのが発見されたこと、原告学の倒れていた付近には石ころ等はあるが、子供が転んでも前記のようなひどいけがをするような危険なものはなかつたこと、そして、被告の飼犬は当時後記のように玄関脇の支柱につながれており、原告学の倒れていた渡し板の近くまで頭が届く状態であつたこと―以上の事実が認められ、<証拠>のうち右認定に反する部分は措信しない。
そうすると、当時被告の飼犬以外に、原告学の耳翼を前記のように損傷する原因となるようなものはなく、他方原告学の倒れていた場所および負傷の部位から考えて、被告の飼犬が咬んだことは十分想像でき(後記認定のように、右飼犬はそれまで人を咬んだことのない性質温情な犬であるが、原告学のように二歳にも達しない幼児で、しかも見知らぬ者に咬みつく可能性は否定できない。)、結局原告学は被告の飼犬に咬まれて負傷したものと推認するのが相当である。
二、抗弁一について
そこで、被告が飼犬の保管について相当な注意を尽していたか否かについて判断する。
1 <証拠>によれば、被告およびその家族の者は日頃から犬を放し飼いにしたことはなく、通常袋小路突当りの塀につけて犬小屋を置き、そこに入れて外からふたを閉めておくか、鎖をつけて玄関脇の支柱(玄関の戸から四、五〇センチ位で、玄関先の渡し板まで六〇センチ位のとこにある)につないでいたこと、本件の事故当日も被告の娘が散歩につれて出て帰つてから、被告の妻が鎖を右支柱に三回位まわしてその端と鎖の途中を結びつけたため、犬は渡し板まで届くかどうかという所までしか動けなかつたこととが認められる。
そして、前記認定によれば、原告学の倒れていたのは渡し板の上であり、原告学が二歳に満たない幼児(一年一一カ月たらず)であつて、足元がしつかりしていないことを考えると、咬まれた場所は渡し板の付近と考えられる。(なお、耳のかけらが落ちていたのは渡し板から少し離れた道路の上であるが、かけらの落ちていた付近で咬まれたとすると、原告学は咬まれたあとわざわざ被告の居宅に向つて歩いて行き、何らかの原因であおむけに倒れたことになり、いささか不自然である。)
原告清美は、本人尋問において事故後被告の飼犬が袋小路の上にいたと供述しているが、ちらつと見ただけであるとも供述しているので、その位置については正確ではないと解せられ、その他鎖が切れたとか、解けたとか認めるに足る証拠はない。
そうすると、被告の妻が犬をつないだ状況および原告学の倒れていた場所から考えて、被告の飼犬は支柱につながれたままの状態で原告学に咬みついたものと推認される。
2 <証拠>によれば、被告は昭和三九年五月頃訴外石橋から生後一カ月位の本件の犬をもらいうけて飼育していたものであるが、右犬は性質温順な中型の雑種で、近所の子供にもよくなつき、本件事故まで人を咬んだり他の犬を傷つけたりしたことはなく、また初めての人に対してもけたたましく吠え立てて恐れられるというようなことはなく、近所から苦情を言われたようなこともなかつたことが認められる。
3 被告の居宅は袋小路の一番奥にあり、付近は人通りが少いことは前記認定のとおりである。<証拠>によれば、右袋小路で子供達が遊ぶことはあたが、被告の飼犬と付近の子供とは日頃から仲良して、犬の背中に乗つたり、菓子をやつたりする子供もあつたことが認められる。なお被告の妻が支柱につないだのは夕方であつて袋小路に人の気配はなかつたのであるから、その後子供達が集つて来ることは予想されないものと解される。
<証拠>によれば、被告居宅前の通路に立つと、被告方玄関や犬のつながれていた支柱は何の障害物もなく容易に見わたすことができ、支柱に犬がつなかれておれば、その状態は相当遠くから見えることが認められ、右認定によれば被告方に近付いて不意に咬まれるというような状況にはないことになる。
4 <証拠>によれば、原告等は被告方より一つ東の小路に面したところに住んでいるが、原告学は被告方の袋小路には遊びに来たことがなかつたこと、事故当日原告清美は夕方になつたので原告学をつれて、遊びに出ている娘を迎えに行つた帰途、右袋小路の入口から西よりのところで、近所の人と立話しをしているうち、どこかで原告学の泣声がし、やがて被告の妻が原告学を抱いてきたので、これを受取り、初めて耳が欠けているのに気付いたことが認められ<証拠>のうち右認定に反する部分は措信しない。
右状況および前記の犬の位置等を考えあわせると、原告学は同清美が立話しをしていて目を離しているすきに袋小路に入りこみ、被告居宅玄関前まで来て犬に咬まれたことになる。
以上認定の被告の飼犬の種類、性質、つながれた場所および行動可能な範囲、およびその周囲の状況を勘案すると、被告の占有補助者であるその妻が飼犬を右のように支柱につないだことによつて、通常人が咬まれることは考えられず、本件の場合は親の目を離れた二歳に満たない幼児か自ら犬に近付いて咬まれたものであつて、いわば異状な事故と解せられ、このような場合まで予想して被告に対し飼犬に口輪をはめるとか、犬小屋に収容しておくとかの義務が課せられているものと解するのは相当でない。
よつて、被告は相当の注意をもつて飼犬を管理、保管していたものと認められ、抗弁は理由がある。(北浦憲二 岡山宏 安木健)