大阪地方裁判所 昭和43年(行ウ)796号 判決 1976年1月27日
大阪市此花区春日出町三一九番地の五
原告
松原博
右訴訟代理人弁護士
児玉憲夫
同
久保井一匡
同
熊野勝之
同
大錦義昭
同
長山亨
同
中田明男
同
竹内勤
右訴訟復代理人弁護士
小林二郎
大阪市此花区伝法町北一の一
被告
此花税務署長
名越妙徳
大阪市東区大手前之町
被告
大阪国税局長
徳田博美
東京都千代田区霞が関一丁目一番一号
被告
国
右代表者法務大臣
稲葉修
右三名指定代理人
宝金敏明
同
中山昭造
同
黒木等
同
井上修
被告署長、同局長指定代理人
清原健二
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告此花税務署長(以下被告署長という)が原告に対し昭和四一年一〇月一九日付でした、原告の昭和四〇年分所得税の総所得金額を金一、四〇九、八六四円とする更正処分のうち、金五六〇、〇〇〇円をこえる部分を取消す。
2 被告大阪国税局長(以下被告局長という)が原告に対し昭和四三年七月二日付でした、右更正処分についての審査請求を棄却した裁決を取消す。
3 被告国は原告に対し金五万円およびこれに対する昭和四三年一〇月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
5 第3項につき仮執行宜言
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 主文と同旨
2 原告の被告国に対する請求につき、担保を条件とする仮執行免脱宜言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告署長、同局長の処分
原告は肩書地においてクリーニング業を営むものであるが、昭和四〇年分の所得税について、被告署長に対し、白色申告により総所得金額を金五六〇、〇〇〇円とする確定申告をしたところ、被告署長は、同四一年一〇月一九日付で右総所得金額を金一、四〇九、八六四円とする旨の更正処分および金八、一〇〇円の過少申告加算税賦課決定処分をした(右二つの処分を以下本件処分という)。
原告はこれを不服として被告署長に対し異議申立をしたが棄却されたので、被告局長に対し審査請求をしたところ、被告局長は同四三年七月二日付でこれを棄却する旨の裁決をした。
2 被告署長の本件処分の違法事由
しかしながら被告署長の本件処分には次のような違法がある。
(一) 原告の同年度の総所得金額は金五六〇、〇〇〇円であるから、本件処分には原告の所得を過大に認定した違法がある。
(二) 本件処分の通知書には理由の記載が全くない。これは不服審査制度における争点主義に反する。
(三) 本件処分は、原告の生活と営業を不当に妨害するような方法による調査に基づくものであり、かつ原告が此花商工会会員であり同時に大阪府クリーニング環境衛生同業組合此花支部の役員である故をもって特にねらいうちし、他の納税者と差別するとともに民主商工会の弱体化を企図してなされたものであるから違法である。
3 被告国の損害賠償責任
(一) 被告局長は、原告が昭和四二年二月一日になした審査請求に対し、速やかに裁決をすべきであり、またそれができたのに故意にこれを遅延させ、一年五か月間も放置して、原告の簡易迅速に行政救済を受ける権利を違法に侵害した。またその間原告は、被告署長から所有家屋を差押えられて長期間にわたり右財産の利用を妨害された。これらにより原告は有形無形の損害を蒙ったが、これを慰籍する金額としては少くとも五万円を下らない。
右損害は被告国の公権力の行使にあたる公務員である被告局長の不当な裁決遅延に起因するものであるから、被告国は国家賠償法一条に基づき右損害を賠償すべき義務がある。
4 よって原告は、被告署長に対し本件処分の取消しを、被告局長に対し裁決の取消しを、被告国に対して金五万円とこれに対する右被告局長の不法行為の日以後である昭和四三年一〇月四日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する被告らの認否
1 請求原因第1項の事実は認める。
2 同第2項は争う。
3 同第3項のうち、原告が昭和四二年二月一日審査請求をしたこと、被告署長が原告の家屋を差押えたこと、被告局長が被告国の公権力の行使にあたる公務員であることは認めるがその余は争う。
三 被告署長の主張
1 課税の経過
此花税務署の職員長尾久事務官は、昭和四一年九月二七日所得税調査のため原告店舗に赴き原告と面接したが、原告は同年八月中の店舗受注文の売上伝票を提示したのみで、昭和四〇年分については帳簿等の記帳がなく、資料も保存していないと申立てた。そのため被告署長は原告の当該年分の所得金額を実額で把握できなかったので他の納税者の従事員一人当りの収入金額および所得率を基にして、原告の収入金額と標準経費を推計し、標準外経費は原告から聴取したものにより所得金額を算出したところ、原告の申告額と相違したので本件処分をしたものである。
2 所得金額
原告の昭和四〇年分の所得金額およびその内訳は別表一、A欄のとおりであり、各科目の算出方法は次のとおりである。
(一) 収入金額、標準経費
前記第1項で述べたように、被告署長は原告の同年分の所得金額を実額で把握することができないので、大阪国税局管内八三税務署のうち昭和四四年一月現在において大蔵省組織規定上種別「A」とされている四六税務署管内のクリーニング業者について、昭和四〇年分所得税実額調査を行った事例(以下実調資料という)を収集整理して得た、従事員一人当りの収入金額および所得率の平均値を原告に適用して推計をした。すなわち右の各平均値は別表二のとおり従事員一人当りの収入金額七八八、〇〇〇円、所得率六五パーセント(小数点以下切捨)である。ところで原告の昭和四〇年度における従事員数は延六名であり、これを能力換算すると四・五人{雇人二名、原告、原告の長男を各一人とし、原告の妻については家事従事割合を考慮して〇・三人とし、長女(昭和四〇年九月一四日まで原告方に居た)については、事業従事割合を〇・四人としてこれに長女の従事期間(一月から八月まで)の年間換算割合(一二分の八)を乗じて小数点二位以下を切り捨て、〇・二人とした}となるから、原告の同年分の収入金額は左の計算のとおり金三、五四六、〇〇〇円となる。
七八八、〇〇〇円×四・五=三、五四六、〇〇〇円
次に右収入金額に前記平均所得率から算出した標準経費率〇・三五(一-所得率すなわち一-〇・六五=〇・三五)を乗じて同年分の標準経費を次のとおり算出した。
三、五四六、〇〇〇円×〇・三五=一、二四一、一〇〇円
(二) 標準外経費 金三三〇、〇〇〇円
これは原告から聴取した雇人二名(岡本昭夫、渡辺博)に対する賃金の合計額である。
3 推計方法の合理性
前記被告署長主張の収入金額、標準経費の推計の基礎となった資料は、実地調査を行った青色申告納税者および収入支出の実額調査を行った白色申告納税者のうち、年の途中で開廃業したもの、他の業種を兼業してこれの区分計算ができないもの、収集時において不服申立等で所得金額が確定していないもの、法人企業の形態を持っものを除き全部収集したものであって、右資料の収集過程には何らの恣意も入っていず、また一般的な率により推計したものは除外されており、個々の資料の内容については各納税者においてもその正当性を承認しているものである。
また右資料を収集したA級税務署は主として大阪、京都、神戸の各市内、その近郊都市、および県庁所在地を管轄する規模の大きい税務署であって、原告と同じ都会地の業者の資料が収集されているのである。そしてその資料収集の無恣意性から判断すれば、多数のクリーニング業者の地域、営業規模の多様性等の個別的特性は包摂され平均化されているとみることができるのであって、右実調資料による推計方法は類似同業者との比較による方法等の他の方法と比較して合理性の点で何ら劣るものではない。
さらにクリーニング業者の所得金額は従事員数と平行関係を有し、標準経費は収入金額と比例するものであるから、前記の推計方法は合理的なものである。
なお実調資料により従事員一人当りの収入金額を算出するに際しては、単純に従事員数で収入金額を除しており、従事員の能力換算は行っていないが、これを行うことは不可能であり、かつ、能力評価に伴う恣意の混入を避け、判断の統一性、客観性を保つためには行うべきではないのである。さらに前記のような収集方法によればまさに抽象化され平均化された数値が得られるのであって、合理的なものといいうるのである。そしてこれを原告に適用することは、原告の従事員について前記のように能力換算を行っていることから、原告の有利にこそなれ、不利な推計にはならないものである。
4 以上の次第で、結局原告の総所得金額は別表一A欄のとおり金一、八六二、四〇〇円となり、本件更正処分の所得金額金一、四〇九、八六四円を上回るから、本件処分には所得過大認定の違法はない。
三 被告署長の主張に対する原告の認否ないし主張
1 被告署長の調査について
被告署長主張第1項の事実のうち、昭和四一年九月二七日に被告署長の部下職員が原告方を訪れたことは認めるが、その余の事実は否認する。右職員は事前に何の連絡もなくいきなり原告方を訪れ、売上伝票をパラパラと手でめくり「少ないなあ」といって店内をさっと見まわしただけで帰ったのであり、その間わずか一〇分程度であって充分な調査をしようともしなかったものである。かかるずさんな調査のみで直ちに推計による更正処分をすることは許されない。
2 所得金額について
被告署長の主張する所得金額のうち専従者控除を認め、その余はすべて否認する。原告の主張額は別表一B欄のとおりである。以下各科目について被告署長の主張に対し反論する。
(一) 収入金額、標準経費(推計の必要性、合理性について)
被告署長は原告の昭和四〇年分の所得金額につき実額が把握できないので推計によるしかない旨主張する。しかし、同年分の営業に関する原始記録、帳簿類は既に焼却してしまったが、右原始記録等に基づいて作成された所得計算書が現在でも存在するから、実額計算は可能であり、推計の必要性は存在しないものというべきである。
さらに被告署長の主張する推計方法は合理性のないものである。
すなわち、大阪府下のクリーニング業者数は数万軒あると思われるのに、前記実調資料の数はわずか五九例である。しかも、原告の営業する此花区の例が一例として挙げられていない。従って右実調資料には此花区の後記特殊事情が全く反映されていないのであり、到底原告の所得金額を推計するための基礎資料たりえないものといわざるをえない。また実調資料によって得られた平均値自身が不合理性を露呈している。すなわち、昭和三九年度において被告署長主張のような方法で収集した実調資料によると、従事員一人当りの収入金額の平均値は金五九七、〇〇〇円であり、これと本件において同四〇年分として被告署長が主張している金七八八、〇〇〇円とを比較すると同四〇年度は同三九年度に比べて約三二パーセントも増加している。しかしながら同四〇年度において、前年度の一人当りの収入金額を三二パーセントも引き上げるような事情(クリーニング料金の値上げとか、機械設備のオートメーション化、従業員の労働時間の延長、労働密度の強化、労働能力の急激な向上等)は全く存しなかったのであり、むしろクリーニング料金は後述するようなダンピング競争のため値下がりをしているのである。従って実調資料によって得られた右両年度の一人当りの収入金額が右のように大きな差を示していること自体実調資料が合理性を欠いていることを示すものである。
さらに此花区においては昭和四〇年度に次のような特殊事情が存在した。
昭和四〇年に入り、此花区のクリーニング業者で組織している同業組合ではクリーニング料金の値上を実施して不況を打開することを討論していたが、その矢先、同区内西島町、北港市場近くの業者が、次いで千鳥橋バス停前の業者、森巣橋商店街の業者が、一斉にダンピング営業(当時組合の協定価格はワイシャツ一枚四〇円、背広上下一着五〇〇円であったが前記業者はワイシャツ一枚三〇円、背広上下一着三〇〇円という価格にした)を始めた。そこで組合としてはこれに対抗するために同区元宮町二二番地森巣橋南詰に店舗を借り、組合員の拠出によって組合の共同事業店舗を開設した。この店舗は前記業者の価格と同一の価格で一部原価を割って営業をしたが、結局赤字続きで閉鎖せざるを得なくなった。こうしたダンピング競争の結果、原告を含む此花区の前記組合員の営業は著しい打撃を受けたものであり、到底被告署長の主張のような収入金額をあげられなかったものである。
このことは此花区内の同業者の収入を調べた結果(甲第三号証)からも容易に認識しうるものである。すなわち、前記特殊事情の存在から同区内の同業者の所得金額は全体に低く、昭和四〇年度における一業者平均の所得金額は金四〇八、〇〇〇円、同四一年度ですら金四七七、六〇八円なのであって、被告署長の実調資料によって算出した金額は現実を全く反映していないものといわざるをえない。従って被告署長主張の推計方法はいずれの点からしても合理性を欠き許されないものである。
(二) 従事員数について
原告の従事員は原告と長男、妻の三人のほか常雇は二名であり原告の長女松原昌子は昭和四〇年九月一四日まで原告方に居たが、当時嫁入り前であり殆んど営業の手伝いはしていない。また原告も前記組合の支部長として組合の業務のため走りまわっており、自己の営業に専従できたわけではない。従って被告署長の、推計の基礎となる従事員数が四・五人であるとの主張は争う。また従事員として臨時の雇人を同年中にのべ一一二日間雇った事実がある。
(三) 標準外経費
原告は昭和四〇年中に常雇二名に対し賃金として金五八四、〇〇〇円の支払をし、前記の臨時雇人に対し一日三、〇〇〇円としてのべ一一二日分の賃金三三六、〇〇〇円(三、〇〇〇円×一一二=三三六、〇〇〇円)を支払った。
四 原告の主張に対する被告署長の反論
1 原告の所得計算書について
原告は、その主張の所得計算書が原始記録に基づき作成されたものである旨主張するが、原告の如き営業規模、個人企業においては原始記録の作成授受が行われない取引があるものと通常認められるところ、右所得計算書には、右事実を無視し、原始記録のない取引分については計上されていないのであり、かつ所得計算書の内容も事実と異るところがあるうえ、記載方法においても恣意的に切捨て、切上げなどがなされており、到底信頼するに足る正確性を有するものではない。
2 推計の合理性について
原告は実調資料の事例数が少いこと、此花区の事例が一例もないこと、および推計に此花区の特殊事情が考慮されていないことをあげて論難するが、その主張は失当である。
すなわち大阪府下には数千軒のクリーニング業者が存在するが、そのすべてが税務署に確定申告書を提出しているものではなく、しかも原告の所得を推計するのに役立つ収支計算書を提出しているものはさらに少数なのであって、このうちから、前記被告署長主張の条件に合致する業者を全部収集した結果が前記の五九例なのである。従ってクリーニング業者の総数と右五九例とを単純に比較して、右事例数が少数であるから被告署長の推計に合理性がないといえないことは明らかである。また、実調資料の中に此花区の同業者が一例も含まれなかったのは、当時此花税務署が大蔵省組織規定上種別「B」とされる税務署であったからであり、右B級税務署管内を除いたのは税務署の規模が小さくて、その事務量からみて右実調資料を収集することが困難であること、および此花区は立地条件においてA級税務署と特に異るところはなく、むしろB級税務署の資料を含めると、原告の立地条件と異った資料が出てくるおそれの方が強く、妥当ではなかったからである。さらに原告が此花区の特殊事情として主張しているダンピング競争は新機械の導入が行われた昭和三七年ころから全国的に広がっていたもので、昭和四〇年度の特異な現象ではなく、また此花区だけに限って生じたものでもない。その他の此花区の地域的事情は実調資料中に此花区と右事情を同じくしている西淀川区、尼崎市の業者の資料が含まれていることから、折り込みずみであるといいうる。また原告が甲第三号証によって主張する業者は此花民主商工会員であるという特定業者に限定されており、かつ従業員数が不明であるという点から、被告の推計方法に対する反証とはなりえない。その他原告の事業に右実調資料による同業者の平均値の適用を妨げる特殊な事情は何ら存在しないのである。
3 予備的主張
原告の従事員数、および標準外経費についての主張事実は全て否認する。
仮に原告主張どおり、臨時雇人がおり、これに対する支出があったとすれば、収入金額に推計する基準となる人員は、これに応じて増加することになり、次のような計算となる。
臨時雇の人員 〇・三人(一一二日÷三六五日〇・三)
収入金額 七八八、〇〇〇円×〇・三 二三六、四〇〇円
標準経費 二三六、四〇〇円×〇・三五=八二、七四〇円
その結果右追加額だけ主張金額が増えることとなり(別表一C欄)結局所得金額の内訳は別表一のD欄のとおりとなる。結局これによっても原告の所得金額は金一、六八〇、〇六〇円となり、本件更正処分における所得金額一、四〇九、八六四円を上回るから、本件処分には何らの違法もない。
理由
一 請求原因第1項の事実(被告署長、同局長の処分)は当事者間に争いがない。
二 被告署長の処分の違法事由の存否について
1 原告は被告署長の本件処分が原告の所得を過大に認定した違法がある旨主張するのでまずこの点につき判断する。
(一) 収入金額、標準経費について、
(1) 被告署長は原告の昭和四〇年分の収入金額、標準経費額を推計によって算出している。そこでまず推計の必要性およびその合理性につき検討する。
(イ) 推計の必要性
証人長尾久の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和四〇年分の営業につき、売上伝票領収証、請求書等の原始記録を同四一年八月ころの大掃除の際に誤って焼却してしまい、同年九月二七日に被告署長の部下職員長尾久が昭和四〇年分の所得税調査のため原告方店舗を訪れた際には、原告の同年分の所得金額を明らかにしうる資料がなく、かつ帳簿等の提示もなかった(原告本人は甲第一、第二号証の所得計算書を提示したと供述するがにわかに措信し難い)ことが認められる。そうすると、本件係争年における原告の所得については、これを実額で把握することができず、推計によって算定する必要があったものといわなければならない。ところで原告は本訴において、同年分の確定申告をする際に原始記録をもとに訴外山根敏雄に作成してもらった所得計算書(甲第一、第二号証)が存在するから、これによって実額の把握が可能であり推計による必要はない旨主張する。そして、証人山根敏雄の証言、および同証言により真正に成立したと認められる甲第一、第二号証、原告本人尋問の結果によれば、右所得計算書は原告が同年分の確定申告をするために、原告方において右山根に帳簿や、領収書、売上伝票等の原始記録を提示し、必要部分については説明を加えてその作成を依頼したものであること、右山根は以前に公認会計士の事務所に勤務していて一応経理の知識を有していたことが認められる。しかし他方、右各証拠および成立に争いのない乙第五〇、第五一号証、ならびに弁論の全趣旨によれば、右所得計算書のうち甲第二号証の諸経費月別内訳の中の水道代、ガス代の一部につき、明らかに真実と異る額が記載されていること(従って一年分の金額も異ってきている)、その他の経費についても、端数まできちんと記載された月がある一方、端数がなく一、〇〇〇円あるいは一〇〇円単位で記載された月もあること、甲第一号証の年間売上高についての内訳、計算根拠が全く記載されていないこと等の事実が認められるのであって、右事実を総合すると、右所得計算書は必ずしも総てが原始記録によって正確に記載されたものとは認められず、恣意的に、あるいは推測で記載されたと思われる部分が存在すると認められるから、その正確性は疑問であり、原告の同年分の所得金額を実額で把握するための基礎とはなしえないものといわざるをえない。そうすると、右甲第一、二号証によっても前示の推計の必要性を否定することはできない。
(ロ) 推計の合理性
被告署長の主張する推計方法は、実調資料によって得られた同業者の従事員一人当りの収入を原告の従事員数に乗じて収入金額を算出し、さらに右収入金額に同じく実調資料によって得られた同業者の平均経費率を乗ずることによって標準経費を算出するというものである。そこで検討するに、まず成立に争いのない乙第一号証、第二号証の一ないし三、第三号証の一、二、第四号証の一ないし六、第五号証の一ないし四、第六、第七号証の各一、二、第八号証の一ないし三、第九号証の一ないし四、第一〇第一一号証の各一、二、第一二号証の一ないし五、第一三号証の一、二、第一四号証の一ないし三、第一五号証の一、二、第一六、第一七号証の各一ないし六、第一八ないし第二〇号証の各一、二、第二一、第二二号証の各一ないし四、第二三号証の一ないし三、第二四号証の一ないし七、第二五号証の一ないし四、第二六号証の一、二、第二七ないし第四七号証、第五三号証、および原本の存在とその成立につき争いのない乙第五二号証によれば、右実調資料は被告署長主張のような方法で大阪国税局管内A級税務署四六署から収集され、整理されたものであって、その結果は別表二に示すとおりであること、右実調資料は被告署長主張の条件に合致するものを総て収集したものであり、資料の選定、取捨選択に何らの恣意の入っていないものであり、また総てが実額調査(青色申告者については実地調査、白色申告者については収支実額調査)に基づくものであること等の事実が認められる。以上の事実によると、右実調資料は実額調査に基づく正確性の高いものであり、かつ資料収集の方法に鑑みて、多数のクリーニング業者の地域、営業規模の多様性等の個別的特性は包摂され、平均化されているとみることができ、また別表二を検討してみると、従事員数と所得金額との間および収入金額と標準経費差引後の金額との間におおむね平行関係が認められるから、右実調資料によって得られた結果(以下実調率という)を適用して原告の所得を推計することは、特段の事情がないかぎり合理性を有するものということができる。
ところで原告は右実調資料の収集件数が少いこと、此花区の事例が一つもないこど、従って同区の特殊事情が推計にあたり全く考慮されていないことから右実調率による推計方法は不合理である旨主張する。しかしながら、既に認定したとおり、右実調資料は大阪国税局長において、推計の基礎たりうるための条件を設定し、右条件を満たすもの総てを収集したものであり、かつ五九例という数はクリーニング業者の平均的な所得を算出するための資料として過少なものとはいえないから、この点の原告の主張は当を得ない。また此花区の例が一例もないことは、弁論の全趣旨によれば当時此花税務署がB級税務署であったためであることが認められるが、しかし、此花区は地域性としては都会地に該当することが明らかであり、前記実調資料収集の対象となったA級税務署はいずれも都会地を管轄する税務署であるから、此花区の都会地としての一般的事情は右実調資料によって充分反映されうるものということができる。そして証人浦杉益三の証言、原告本人尋問の結果によれば、此花区は工場地帯であることから洗濯物の汚れが落ちにくく、オフイス街地区と比較して労力、経費を余分に必要とすること、低所得層の人が多く客質において他の地域と異ること、当時此花区ではダンピング競争があったこと等原告主張事実が認められるが、他方ダンピング競争の点については右浦杉証言によれば、これは新機械の導入が行われた昭和三七年ころから全国的に広がっていた現象であり、昭和四〇年度の特異な現象ではなく、また此花区だけのものでもないと認められるから、とりたてて此花区特有の特殊事情といえるものではなく、その他の前記事情も実調資料の中に此花区と立地条件の類似した尼崎市や西淀川区の業者も含まれていることから、実調率に包摂され、反映されているものということができる。
さらに原告は此花区のクリーニング業者の所得金額が他と比較して低いことを主張し、右主張に沿う証人浜浦重治の証言により真正に成立したことが認められる甲第三号証(此花区内クリーニング業者一覧表)が存在する。しかし右証人の証言によれば、甲第三号証は此花区の民主商工会の会員二五名のみを対象として、昭和四〇年分、同四一年分の申告所得金額について調査をしたうえ作成されたものであることが認められ、証人浦杉益三の証言によれば、昭和四〇年当時同区にはおよそ七〇軒から八〇軒程度のクリーニング業者がいたことが認められるから、右甲第三号証は資料の収集対象が限定されていて、必ずしもこれが此花区の特殊性を示しているとは認め難いものがあるばかりでなく、これが実調資料のように、各納税者に対して所轄税務署による実額調査がなされたうえ、右申告所得額が是認されたものであるかどうかが必ずしも明らかでなく、実調資料と比較してその資料としての正確性に疑問があるものといわざるをえない。結局甲第三号証によっては、いまだ被告署長主張の推計方法、およびその結果たる実調率の合理性を疑わしめるには足りないものというべきである。
なお原告は、昭和三九年度の実調資料による従事員一人当りの収入金額の平均値(金五九七、〇〇〇円これは成立に争いのない甲第四号証により認められる)と同四〇年度のそれ(金七八八、〇〇〇円)とを比較して、後者が前者より三二パーセントも増えていることをとらえ、同三九年度から同四〇年度にかけてそのように急激な増加を生じさせる要因は皆無であったにかかわらず、右のような差が生じていること自体実調資料による推計の不合理性を示すものである旨主張する。しかしながら、右のような変化は種々の要因が重なりあって生じるものであるところ、右両年度間に基礎要因の変動がなかったことを認めるに足る証拠はなく、その平均値の増加の程度もいまだ甚しく特異なものとはいい難いから、この点に関する原告の右主張は採用することができない。
以上説示したところによれば、被告署長主張の推計方法は合理性を有するものと認められる。
(2) 従事員数について
昭和四〇年中に原告方には営業に従事しうる従事員として、常雇が二名、原告夫婦、その長男がいたこと、長女については同年九月一四日まで原告方にいたことは当事者間に争いがなく、前掲甲第一号証、証人山根敏雄の証言、および原告本人尋問の結果によれば、原告は右以外に、同年中に臨時雇人を延一一二日雇った事実が認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。
ところで被告署長は前記実調率を適用するにあたり従事員の能力を個々について検討して、原告および長男、常雇人については各一人とし、妻については家事従事割合を考えて〇・三人としているが、この判断は本件に現われた諸事情を考慮すると相当として是認しうるものであり、また長女についても〇・二人という評価は妥当である。(原告本人は長女が嫁入り前で殆んど営業の手伝いをしていなかった旨供述するが全く手伝っていなかったものとは認められず、その従事割合は右事情を斟酌すると妻と同程度の〇・三人とするのが相当であるが、これに年間換算割合の一二分の八を乗じても結局〇・二人となり被告署長主張の数値と一致する。)なお原告は同年度において同業組合の仕事に走り回っていて、自己の営業に専従できなかったと主張するが、右事実を認めるに足る証拠はない。そしてこれに右臨時雇分〇・三人(一一二日+三六五〇・三)を加えたものが原告の従事員と認められ、その合計は次式のように四・八人となる。
一人×四+〇・三人+〇・二人+〇・三人=四・八人
(3) 収入金額および標準経費の計算
ところで別表二によれば、昭和四〇年度におけるクリーニング業従事員一人当りの収入金額の平均値は金七八八、〇〇〇円であり、所得率の平均値は六五パーセント(小数点以下切捨)であることが認められるから、これによって原告の同年分の収入金額および標準経費を計算すると次式のとおりとなる。
従事員一人当りの収入金額×原告の従事員=原告の収入金額
七八八、〇〇〇円×四・八=三、七八二、四〇〇円
標準経費率=一-所得率
収入金額×標準経費等=標準経費
三、七八二、四〇〇円×(一-〇・六五)=一、三二三、八四〇円
(二) 標準外経費
前掲甲第一号証、証人山根敏雄の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和四〇年中に常雇の二名に対し合計金五八四、〇〇〇円、臨時雇に対し金三三六、〇〇〇円をそれぞれ賃金として支払った事実が認められ、右認定を覆えるにたる証拠はない。従って標準外経費の額は次式により金九二〇、〇〇〇円となる
五八四、〇〇〇円+三三六、〇〇〇円=九二〇、〇〇〇円
なお原告は標準外経費として金一、〇一〇、〇〇〇円を主張するがこれと右雇人費の合計額金九二〇、〇〇〇円との差額金九〇、〇〇〇円については、これがどのような内容のものかについての主張がないので、認めることができない(ただし甲第一号証によれば、これは自動車の減価償却費ではないかと思われるが、仮にそうであっても右償却額は標準経費の中に含まれるものと解すべきであるから、標準外経費の中に算入することはできない。)。
(四) 専従者控除額については当事者間に争いがない。
(五) 以上の次第で原告の昭和四〇年分の総所得金額を計算すると別表一のE欄のとおり金一、四二六、〇六〇円となり、右金額は本件更正処分の総所得金額金一、四〇九、八六四円を上回るから、結局被害署長の本件処分には所得を過大に認定した違法は存在しない。
2 手続的違法の主張について
(一) 原告は本件処分の通知書に理由の記載を欠く違法があると主張するが、原告が白色申告者であることは当事者間に争いがなく、白色申告者に対しては更正の理由付記は法律上要求されていないから、右は何ら違法事由とはならない。
(二) また調査方法の違法、不当の主張についてはこれを認めるに足りる証拠がなく、他事考慮および差別取扱の主張については、証人浦杉益三の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告を含む大阪府クリーニング環境衛生同業組合此花支部の役員数名が更正処分を受けた事実が認められるが、他方右証言によれば非組合員で更正処分を受けた者があるかどうかはわからないというのであり、右事実から被告署長に原告主張のような差別あるいはねらいうちといった意図があったとは認めることができず、他に原告主張事実を認めるに足る証拠はない。
三 裁決取消請求について
原告は被告局長に対する裁決取消請求につき裁決固有の違法事由を何ら主張していないから、右請求は理由がない。
四 被告国に対する請求について
原告が昭和四二年二月一日に審査請求をしたのに対し、被告局長が同四三年七月二日付で本件裁決をしたことは、当事者間に争いがない。この事実によれば審査請求から裁決までの期間は約一年五か月であるが、被告局長が同種事案を大量に処理しなければならない実情にあったことを考慮すると、この程度の期間を要したことをもって直ちに原告の速やかな行政救済を受ける権利が侵害されたとはいい難い。又本件処分には前示のとおり違法が存しないのであるから、被告署長による原告所有家屋の差押(この事実については当事者間に争いがない)も違法ということができないのは明らかであって、結局原告の国家賠償請求は理由がない。
五 結論
以上説示した如く、原告の本訴請求はすべて理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥村正策 裁判官 藤井正雄 裁判官 山崎恒)
別表一
<省略>
△はマイナス分
別表二
<省略>
<省略>