大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)5806号 判決 1979年1月16日
甲事件原告(以下単に原告という) 岸田義子
乙事件原告(以下単に原告という) 田中長三郎
田中芳枝
田中冨美子
乙事件原告ら訴訟代理人 大月伸
甲事件、乙事件被告 国
代表者法務大臣 古井喜実
訴訟代理人弁護士 井上隆晴
主文
一 原告岸田義子所有の別紙第一物件目録記載の土地と被告所有の公用水路敷地との境界は、別紙第一図面のイ、ロ、ヌ、ハ、ル、ニの各点を直線で結んだ線であることを確定する。
二 原告田中長三郎、同田中芳枝、同田中冨美子所有の別紙第二物件目録記載の各土地と被告所有の公用水路敷地との境界は、別紙第一図面のい、ろ、ぬ、は、に、の各点を直線で結んだ線(別紙第三図面のK21、K22、K23、K24、K20、の各点を直線で結んだ線)であることを確定する。
三 甲事件の訴訟費用は被告の負担とし、乙事件の訴訟費用は原告田中長三郎、同田中芳枝、同田中冨美子の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告岸田義子
主文第一、三項同旨の判決。
二 原告田中長三郎、同田中芳枝、同田中冨美子(以下原告田中らという)
(一) 原告田中ら所有の別紙第二物件目録記載の各土地(以下原告田中らの所有地という)と被告所有の公用水路敷地(以下被告の水路という)との境界は、別紙第二図面のA、B、C、D、E、F、G(第三図面の、、、、、、)の各点を直線で結んだ線(以下原告田中らの主張線という)であることを確定する。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
三 被告
(一) 原告岸田義子所有の別紙第一物件目録記載の土地と被告の水路との境界は、第三図面の'、´、´、´、´、´の各点を直線で結んだ線(以下被告主張の´線という)であることを確定する。
(二) 原告田中らの所有地と被告の水路との境界は、同図面の、、、、、の各点を直線で結んだ線(以下被告主張の線という)であることを確定する。
(三) 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の事実上の主張
一 原告岸田義子
(一) 別紙第一物件目録記載の(一)の土地は、訴外亡岸田定治郎の所有であったが、同訴外人が昭和三八年四月一日死亡したので、同原告、訴外岸田良三、同岸田光栄が遺産相続によってその所有権を承継取得した。
原告岸田義子は、同年七月五日、遺産分割によって、(一)の土地の所有権を取得した。
同目録記載の(二)の土地は、もと訴外松岡守一の所有であったが、岸田定治郎が昭和三六年一〇月ころ、(一)の土地のうち第一図面中のオ、ワ、カ、ヨ、オの各点を順次直線で結んだ範囲内の土地約一六・五三平方メートルと交換した。この交換された(二)の土地の所有権を、原告岸田義子が取得した経緯は、(一)の土地のそれと同じである(以下(一)の土地と(二)の土地とを合わせて原告岸田の所有地という)
(二) 原告岸田の所有地の北側は、千里川の堤防敷に接し、南側は被告の水路に接している。原告田中らの所有地は、被告の水路の南側にある。この位置関係は、第三図面記載のとおりである。
ところで、原告岸田の所有地と被告の水路との境界、原告田中らの所有地と被告の水路との境界について、三者間に争いがある。
(三) 原告岸田の所有地と被告の水路との境界は、第一図面のイ、ロ、ヌ、ハ、ル、ニの各点を直線で結んだ線(以下原告岸田の主張線という)である。
(四) 結論
原告岸田義子は、被告との間で、原告岸田の所有地と被告の水路との境界は、原告岸田の主張線であることの確定を求める。
二 原告田中ら
(一) 原告田中らは、原告田中らの所有地をそれぞれ所有しているが、その北側に被告の水路があり、被告の水路の北側に原告岸田の所有地がある。この位置関係は、原告岸田義子の主張するとおりである。
(二) 原告田中らの所有地と被告の水路との境界、原告岸田の所有地と被告の水路との境界について、三者間に争いがある。
(三) 原告田中らの所有地と被告の水路との境界は、原告田中らの主張線である。
(四) 結論
原告田中らは、被告との間で、原告田中らの所有地と被告の水路との境界は、原告田中らの主張線であることの確定を求める。
三 被告の答弁と主張
(認否)
(一) 一の(一)、(二)、二の(一)、(二)の各事実は認める。
(二) 原告らが境界としてそれぞれ主張する線を争う。
(主張)
(一) 原告岸田の所有地と被告の水路との境界は、被告主張の線であり、原告田中らの所有地と被告の水路との境界は、被告主張の線である。
(二) 被告主張の線と´線との間隔、つまり水路の幅は、一・三六メートルである。その根拠は、現に残っている下流の水路から推定して水路の幅を三尺とし、それに北側に一尺五寸の泥揚場をとり、合計四尺五寸(一・三六メートル)を算出したことにある。
第三証拠関係《省略》
理由
一 当事者間に争いがない事実
原告岸田義子が原告岸田の所有地を所有していること、この土地の北側は千里川の堤防に接し、南側は被告の水路に接していること、原告田中らは、原告田中ら所有地をそれぞれ所有していること、この土地の北側は被告の水路に接していること、三者間に境界についてそれぞれの争いがあること、以上のことは当事者間に争いがない。
二 当裁判所は、原告岸田の所有地と被告の水路との境界として、原告岸田の主張線を確定するものである。以下その理由を詳述する。
(一) 《証拠省略》を総合すると次のことが認められ(る。)《証拠判断省略》
(1) 原告岸田の所有地は、昭和二〇年当時、千里川堤防天端より約二メートルも低く南側に傾斜していた。他方、原告田中らの所有地は、原告岸田の所有地より約六メートルも高く、北側は崖で、その斜面には雑木や竹が生えていた。
(2) 被告の水路は、昭和二〇年当時、この崖下に崖にそってあり、その幅は約三尺、水深は約一尺であった。被告の水路は、千里川にほぼ平行しており、水は東から西に流れ、原告らの所有地の西(第三図面のイ点より西)にある農地の灌漑用水として利用されていた。
(3) このような状態は昭和三七年ころまで続いたが、原告田中長三郎が同年中に第三図面の作業場を建てたため、被告の水路が埋められてしまった。
原告田中長三郎は、そのころ、第三図面の、線の辺りに石垣を築き、前記作業場の北西角の辺りから西の方にかけてヒューム管を埋設した。
岸田定治郎は、原告田中長三郎の石垣の構築と作業場の建築とが、原告岸田の所有地への侵害になるとして直ちに抗議をした。
このように被告の水路が埋められたため、原告岸田の所有地に水があふれるようになった。そこで、原告岸田義子は、昭和三八年ころ、右石垣の北側にヒューム管を埋設し、原告田中長三郎の埋設したヒューム管と結合させた。そうして、原告岸田義子は、そのころ、原告岸田の所有地の地上げをしてしまった。その結果、原告岸田の所有地は、現在のように千里川の南岸の堤防道路と同じ高さになり、原告田中長三郎の作業場は約二メートル埋まった。
(4) 第一ないし第三図面の東端に記載されてある水路の位置は従来のままである。
(5) 訴外岸田良三が、創始図、地籍図、昭和二四年度千里川改良工事平面図を参考に、訴外中谷治が測量した図面に被告の水路の南側があった位置を創始図どおり記入すると第一図面のヘ、ホ、ニ、は、りの各点を直線で結んだ線になる。
(6) このニ点は、(4)で述べた水路の北側石垣の西北角から約〇・三メートル北方に位置し松岡守一が設けたブロック塀の西南角にあたり、大阪府池田土木出張所が昭和三六年一〇月に明示ずみである。そうして、ニ点は、原告岸田の所有地と松岡守一の所有地の南側境界点として両当事者間に争いがない地点でもある。したがって、ニ点は、境界確定に当り重要な手掛りになる。
(7) 第一図面のイ点は、原告岸田の所有地、訴外山本広三郎所有の豊中市大字南轟木上河原二五五番の二の土地、訴外土橋新太郎所有の同所二五五番の四の土地の境界になっていた点で、昭和三六年ごろ、岸田定治郎、山本広太郎、土橋新太郎らが立ち会って、そこに境界石として延べ石を入れた。その当時このイ点のところを被告の水路が右二五五番の四の土地の南を西に向って流れていた。
このイ点は、A点から南に九・二五間のところにあるが、訴外山西美治が昭和二三年にした前記二五五番の土地の分割図の間数と一致する。したがって、このイ点は、境界確定に当り重要な手掛りになる。
なお、現在点にコンクリート境界石があるが、これは前述した延べ石が移されたものである。この延べ石は、原告田中長三郎が前述したヒューム管を埋設したときにはイ点にあった。この点のコンクリート境界石をイ点から誰が移したのかは不明である。
(8) 第一図面のロ点は、原告田中長三郎が建てた作業場が、原告岸田の所有地に一間余り侵入していることから決められた地点であり、ハ点は前述したは点から北に水路幅一・五一五メートルをとった地点である。
ヌ点は、原告岸田義子が本訴において当初には主張しなかった点で、同原告は、ロ点とハ点とを直接結んでいた(訴状添付図面参照)。しかし、ロ、ハ線では、被告の水路が千里川にそってほぼ平行して流れていたこと合わなくなるため、創始図に従って岸田良三が、ヌ点を設けて被告の水路がほぼ真直ぐに走っていたように修正した(このことは、原告岸田義子にとって不利益である)。
(9) 被告の水路の幅は、原告岸田義子、原告田中らはいずれも一・五一五メートルであるとしているが、それは、現にある水路(第一ないし第三図面の東端の水路)の幅が一・五一五メートルであることによる。被告は、一・三六メートルであると主張し、証人福井亮次の証言(第二回)にはこれにそう供述部分がある。しかし、同供述は、実際にあった水路の幅についての知見ではなく、水路の幅は泥揚場を含め四尺五寸あるべきであるとしているにとどまる。したがって、現にある水路の幅によるのが、より実際に合致するといえる。
(二) 以上認定の事実によると、原告岸田の主張線は、イ点、ニ点を境界点にしている点で、極めて正確性があるとしなければならない。そのうえ、原告岸田の主張線は、以前あった被告の水路の実際の状況と合致しているのである。そこで、当裁判所は、原告岸田の所有地と被告の水路との境界が原告岸田の主張線であると確定することにする。
三 原告田中らの主張線、被告主張の線の不合理性について
(一) 原告田中らの主張線によると、第三図で図示したとおり、被告の水路が現にある水路のまだ北にあることになる。しかし、さきに認定したとおり、現にある水路の位置は、従来のままであるから、原告田中らの主張線は、この点で無理がある。
原告田中らの主張線の第二図のA点(第三図の点)の根拠についての説明がないばかりか、原告田中長三郎が昭和三七年ころ、イ点の南側にあった被告の水路をヒューム管を入れて埋めたことを説明することができなくなる。
被告の水路は、原告田中らの所有地の崖下にあったが、原告田中らの主張線では、現地の状況からして崖下から北に出すぎであることは一見して明白である。
(二) 被告主張の線は、被告の水路が崖下にあったことを念頭に、現在ある石垣や作業場の北側にそっているが、前記認定のとおり、石垣や作業場は、原告田中長三郎が昭和三七年に越境して設けたものであることを考えたとき、この石垣や作業場の北側の線が被告の水路の南側に当るとすることは無理である。
そのうえ、点にあるコンクリート境界石は、誰が移したものかが判らないばかりか、境界としては、むしろイ点の方が正確であることを考えたとき、被告主張の線の起点である点には疑問がある。
被告には、以前あった被告の水路を現地で正確に指示することができるものはなく、証人福井亮次の証言(第一回)は、諸図面からすると被告主張の線ではないかというにすぎない。
(三) このようなわけで、原告田中らの主張線、被告主張の線は採用できない。
四 原告田中らの所有地と被告の水路との境界は、第一図面のい、ろ、ぬ、は、に、(第三図面のK21、K22、K23、K24、K20、)の各点を直線で結んだ線(以下「いの線」という)である。その理由は次のとおりである。
原告岸田の所有地と被告の水路との境界が、原告岸田の主張線であることを確定した以上、原告田中らの所有地と被告の水路との境界は、原告岸田の主張線の南側で水路幅一・五一五メートルをとった「いの線」であるとするほかはない。
五 むすび
以上の次第で、原告岸田の所有地と被告の水路との境界は、原告岸田の主張線であることを確定し、原告田中らの所有地と被告の水路との境界は、「いの線」であることを確定したうえ、民訴法八九条に従い主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 古崎慶長 裁判官 井関正裕 西尾進)
<以下省略>