大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)6465号 判決 1970年6月16日
原告 沖森太郎
被告 国
右代表者法務大臣 小林武治
右指定代理人 小沢義彦
<ほか一名>
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一申立
(原告)
被告は原告に対し金三〇万円を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
(被告)
主文同旨。
第二主張
(原告の請求原因)
一、訴外前田芳男は原告所有の大阪府枚方市大字村野五四一の一土地七四三・八〇平方米(二二五坪)と訴外水田久枝所有の隣接地との間の境界の争につき、原告と訴外水田久枝との間の示談仲介の労をとっていた者であるが、原告の主張を聞き入れず却って原告に対する態度が甚だしく威迫的であった為、原告は昭和四一年五月一四日妻嘉寿子をして右訴外前田に仲介拒絶の申入をさせたところ、同訴外人より妻を介し「人の善意を無視するとは無礼千万」等と聞くに絶えない暴言を吐かれたので、即日原告はその理由を訊ねんとして同訴外人方へ出向いたところ、同訴外人より打つ殴るの暴行を受け、その為治療一ヶ月を要する顔面浮睡義歯折損、左顔面三叉神経障害等の傷害を受けた。
二、そこで原告は昭和四二年六月二八日枚方警察署へ訴外前田芳男を傷害罪として告訴をしたところ、右告訴事件は枚方区検察庁検察官村田礼次郎の許に送付されたが、同検察官は同年一〇月二七日右事件を不起訴処分にした。
三、しかし、右不起訴処分にはつぎのとおりの違法がある。
(一) (イ)訴外前田は枚方消防署予防課長の要職にあり四〇才の分別盛りでありながら、(ロ)先ず以て前記示談介入の際には「自分は曾つて近所でも恐れられていたが今は操行もおさまり仲裁も委ねられるようになった。」と原告を威迫した他、原告らの示談仲介拒絶の際にも原告の妻嘉寿子に対し「近所にはえらい人が大勢いるので人を訴えたりするとえらい目に会わされますぜ。女の子が可愛くないか、星ヶ丘中を云いふらしてやりたい。」「人の話合いにも応ぜぬ者は大阪市消防署主任(当時原告は大阪市消防主任の地位にあった)の値打はない、よくもそんな者が今まで勤まったものだ、そんな者がやめたら皆が喜びますわ」等と脅迫若しくは侮辱したのみならず、原告は右傷害事件の際全く普通に「今晩は。」と挨拶したのに前田は表へ出ろと体当りを喰わし前記のとおり傷害を負わせ、更に(ハ)右傷害事件後半月程したころ、前田の妻和子は原告の娘安芸美(高校二年生)の下校途上犬をけしかけた程で一片の謝意も表しない。
従って右情状に照らせば右傷害事件は起訴処分が相当であると見るべきであるのに、不起訴処分をしたのである。
(二) 右検察官は、
(1) 不起訴処分をしたというが、これは憲法第一四条所定の法の下の平等に反する。
(2) 殊更加害者たる前田に加担し、被害者たる原告を無視し、以って刑事訴訟法第一条に違反した取扱いをした。
(3) 適正な告訴調書を昭和四二年一〇月一七日受理していながら、不起訴の理由の根本を告訴状が出ていないことにしたことは同法第二四一条に違反する。
(4) 同法第二六〇条に違反し告訴人たる原告に右処分の結果を通知せず、同検察官は昭和四三年二月二八日原告の問合せに対して恩にきせて結果のみ知らせてくれた。又、同法第二六一条に違反し告訴人たる原告の請求に対しても不起訴処分の理由は知らすべき筋合のものではないと拒絶した。
四、よって原告は右検察官の違法な不起訴処分により告訴権を侵害され償い難い精神的打撃を蒙った。これを金銭に見積ると三〇万円とするのが相当である。よってこれを求める。
なお被告主張のように原告が検察審査会に審査申立をしたこと、同審査会が不起訴相当の議決をしたことは認める。
(被告の答弁)
一、請求原因一項のうち、昭和四一年五月一四日ごろ原告と訴外前田芳男との間でつかみ合い程度の喧嘩があったことを認める。原告と訴外水田久枝間で土地の境界に争があり、右前田が仲介していたことは不知。その余を争う。
同二項のうち、原告主張の日ごろに枚方警察署に対し原告が訴外前田から暴行を受けた旨の被害申告があったこと、右事件を暴行事件として送付を受けた枚方区検察庁検察官村田礼次郎が原告主張の日に右事件を起訴猶予処分にしたことを認める。その余を争う。
同三、四項を争う。
二、告訴は捜査機関に対し犯罪捜査の端緒を与えるとともに、検察官の職権発動を促すためのものであって、検察官に対する起訴請求権を定めたものではない。当該告訴申立につき起訴不起訴いずれの処分をするかは検察官の専権に属する事項であり、不起訴処分の当否は専ぱら検察審査会において判断されるべきものとされる。右前田を不起訴処分にしたからといって告訴権が侵害されるなどということはありえず、又所謂告訴権は私法上の権利ではないから本訴請求はそれ自体失当である。
尚、原告は本件不起訴処分につき大阪第二検察審査会に対し審査の申立をしたが、同委員会は昭和四三年九月一一日付で「不起訴処分は相当である」旨の議決をしている。
第三証拠≪省略≫
理由
原告の主張は検察官の不起訴処分が原告の告訴する利益を違法に侵害したとするようであるが、そもそも刑事訴訟法第二四八条によれば刑事事件につき公訴を提起すると否とは検察官の裁量によるのであって(起訴便宜主義)、この場合検察官としてはたとい被害者の被害感情を斟酌することがあるとしても、なおその他同条所定の事情を考慮し、広く公益の代表者としての立場から行為者をして改悛させて再犯を防止し、法の権威を示して一般世人を警戒する等刑罰の目的に照らし、刑罰を科するのでなければその目的を達しえない場合に起訴し、刑罰を科さないでもその目的を達しうる場合には起訴猶予にするものである。そして告訴は捜査機関に対し犯罪捜査の端緒を与えるとともに検察官の職権発動を促すものであって、検察官に対する起訴請求権を認めたものでもなく、又検察官の不起訴処分があったとしてもそれがため告訴人個人の利益を違法に侵害することはありえない。(たとえ不起訴になっても加害者に対し被害者が民事訴訟による救済を求める途は別途に存在する。)従って憲法第一四条、刑事訴訟法第一条は本件に関しては検察官と被告訴人である前田との関係において問題となることは格別、単に犯罪捜査の端緒を与えるにすぎない告訴人との間では何ら関係のない事柄であるといわなければならないし、同法第二四一条は単なる手続的規定であって、たとい右手続に反する瑕疵があったとしても検察官の右裁量には影響を及ぼさず告訴人の利益を害することにはならない。更に同法第二六〇条第二六一条は告訴人に対し検察官の不起訴処分の当否について検討する機会を与え、その権利例えば検察審査会に対する審査請求権、準起訴の請求権を保全するとともに検察官の専断的な不起訴処分を間接的に抑制しようとするいわば公益上の理由から設けられたものであって、直接告訴人の被害感情を満足させる為に設けられた規定ではない。(しかのみならず、本件において原告が被告主張のとおり検察審査会に審査申立をなし被告主張のとおり不起訴相当の議決がなされたことは当事者間に争がないのであって、右の事実並に弁論の全趣旨より原告が請求して検察官の不起訴処分の結果並にその処分理由を告げられ知っていたものと認められる。)
よって原告の本訴請求は主張自体理由がなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 増田幸次郎 裁判官 宗哲朗 小林登美子)