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大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)6725号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕一、亡タケの死因について

亡タケの本件受傷後死亡に至るまでの経過、死因に関する関係医師の意見は左のとおりである。

亡タケは、受傷後、直ちに神戸市兵庫区垂水町由井外科へ収容され、医師の診療を受けたが、その傷病名は「前額部、左肘関節、左下腿、左足背に軽度の挫傷」で意識不明なく、X線上も変化がなかつた。そして、昭和四二年六月二二日ころまで同外科医院へ被告岩本に殆んど毎日車で送迎してもらつて治療を受け、当初体中の至る所に筋肉痛を訴えていたが、次第に消退し同月一九日に胸が痛むと訴え始めた。かくて同月一九日頭痛、喉の渇き、耳鳴り、心悸亢進を訴えて同市同区菊水町五丁目一の六吉田内科医(心蔵疾患専門)の診察を受け、心電図から心筋梗塞の疑いによる心不全と診断され、治療をするのには入院による方が適しているとして入院を勤められたが、入院せず、同月二三日体力的に衰弱し、同医師の往診を受け、再度入院治療を勧められ、大阪に親戚があるので大阪で入院したい旨返答し、同月二四日、大阪市住吉区、住吉市民病院へ入院し、手当を受けたが、心臓衰弱心悸亢進が著しく、胸部の激痛を訴えはじめ、発作を起して同年七月三日ころから三九度の高熱で意識不明のまま同月六日同病院で死亡した。同女の死体解剖の結果左心室前壁心筋内に紫赤色の変色を所々に、冠状血管にアテローム状硬化班が軽度に存したことが明らかになつた。右解剖所見の結果に基づいて、その死因の確定をなした医師下浦範輔は「心筋梗塞による死亡と判定するのが最も妥当であろう」としており、前記吉田内科の医師吉田稔も、同女は以前高血圧にかかつており、徐々に動脈硬化、左心室の冠動脈分枝の攣縮、塞栓が進行し、ついに心筋梗塞に進んだと診るのが相当であるとし、交通事故による受傷等で、精神的に興奮状態を来した場合、心臓循環器系に重大な影響があり、心拍増加、血圧変動が生じ、心臓の負荷を増し、心筋梗塞、心不全を誘発する危険性は大であるが、これは急激な比較的短時日に生じる変化であるから、事故後十数日経過し、軽度の外傷が治癒に向つているところまで継続することは稀であり、医師の立場からは、本件事故と亡タケの死との間には因果関係は存しないとしか言えない、としている。なお、前記住吉市民病院の医師(内科医)小松原温雄は、同女が初診の際交通事故で胸を強打した旨申述べたところから、これによる心臓疾患の悪化を肯定している。<証拠略>

ところで、亡タケは、行く末の頼みとしていた訴外近藤数子の夫が昭和四二年二月に肝臓がんで死亡してからは、可成りの精神的打撃を受けた模様で、一カ月余り、従前から営んでいたお好み焼屋の仕事をやめ、同年五月下旬ごろまで大阪市住吉区の右近藤数子方へ身をよせていた。<証拠略>

以上認定の諸事実を総合すると、亡タケの死亡は一般社会人の観念においても、本件外傷に因るというよりもむしろ、以前から存した動脈硬化が、徐々に悪化し、心筋梗塞に進展したことに因るものとみるのが相当であり、また、医学的にも交通事故による精神的興奮状態がその一カ月後の同女の死を原因づけたものと指摘できる特段の事由も証拠上見いだし難いところから、結局これを本件事故と相当因果関係あるものとは認め難く、他に、原告の主張を支えるに足る措信すべき証拠はない。 (中村行雄)

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