大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)2568号 判決 1972年9月26日
原告
川崎満利子
原告
川崎敏夫
右原告両名訴訟代理人
田川和幸
右訴訟復代理人
本田陸士
被告
大成火災海上保険株式会社
右代表者
野田朝夫
右訴訟代理人
西村日吉麿
同
水島林
主文
一、被告は原告川崎満利子、同川崎敏夫に対し、各七五〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四五年六月三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、訴訟費用は被告の負担とする。
三、この判決の第一項は仮りに執行することができる。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
主文同旨
二、請求の趣旨に対する答弁
(一)、原告らの請求を棄却する。
(二)、訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決。
第二、当事者の主張
一、請求の原因
(一)、保険契約の締結
訴外川崎奈良一(以下奈良一という)と被告間において、昭和四二年五月一一日自家用普通貨物自動車(大阪四さ九六九八号、以下本件事故車という)につき、保険期間を昭和四二年五月一二日から同四三年五月一二日までとする自動車損害賠償責任保険(以下自賠責保険という)契約(保険証明書番号第九六五三五六号)を締結した。
(二)、事故の発生
発生時 昭和四二年一一月二四日午前五時三〇分ごろ
発生場所 大阪市天王寺区東平野町四の九先路上
事故車 本件事故車
右運転者 奈良一
被害者 訴外川崎照子(昭和四二年一一月二六日早石病院にて死亡、以下照子という)
態様 奈良一が事故車の荷台に照子を同乗させ同車を運転して北進中、右照子を振落し、よつて同人に頭蓋骨々折等の傷害を負わせ、前記のとおり死亡させた。
(三)、奈良一の責任原因
奈良一は本件事故車を所有し、自己の営業のために使用し運行の用に供していたものであるから自賠法三条に基づき本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。
(四)、損害
1 照子の逸失利益
(1) (職業、年令、就労可能年数)
主婦、四〇才、二三年(ホフマン係数一五、〇四五)
(2) (収入)
一ケ月一九、三〇〇円
(3) (生活費)
一ケ月九、六五〇円
(4) (純収入)
一ケ月九、六五〇円
(5) (逸失利益額)
一、七四二、二一一円
(算式九、六五〇×一二×一五、〇四五=一、七四二、二一一円)
2 照子の慰藉料
五〇〇、〇〇〇円
3 原告ら固有の慰藉料
各一、〇〇〇、〇〇〇円
(五)、身分関係および権利の承継
原告ら両名は、照子の子として前記(四)1の、2の損害賠償請求権を各三分の一宛相続した。
(六)、結論
よつて原告らは奈良一に対し自賠法三条に基き前記(四)(五)の損害賠償請求権を有するところ被告に対し、自賠法一六条一項に基き前記損害金の内金各七五〇、〇〇〇円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四五年六月三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、請求の原因に対する答弁
(一)、請求原因(一)の事実は認める。
(二)、同(二)の事実のうち態様の照子を振落したとの点は不知、その余の事実はすべて認める。
(三)、同(三)(四)の事実は争う。
(四)、同(五)の事実は認める。
三、被告の主張
(一)、奈良一の責任に対する免責の主張
奈良一には本件事故につき、過失がない。
(二)、損害賠償請求権不発生の主張
奈良一は照子の夫であり、原告両名の父親であり、事故当時、奈良一の収入により一家四人が円満な家庭生活を送つており、事故後も照子を除く三人は円満な家庭生活を継続しているものである。民法七〇九条は他人の権利を侵害したる者とのみ規定し他人の範囲に限定を加えていないが民法七五二条、同八七七条は夫婦、親子間には相互に生活扶助の義務を負わせている。従つて右のような場合照子の奈良一に対するおよび原告両名の奈良一に対する各損害賠償請求権は発生しないものである。
(三)、いわゆる自然債務であるとの主張
もし仮りに損害賠償請求権が発生するとしても、照子、奈良一、原告両名は、前記のとおり事故の前後を通じ円満な家庭生活をおくり、且つ生計を一にし相互に生活扶助義務を有する関係にあつたものであるから、本件損害賠償請求権はいわゆる自然債務であり、本請求は理由がない。
(四)、権利濫用の主張
原告らは父である奈良一に対し損害賠償請求をする意思が全くないのに拘らず、偶々保険契約が締結されているという一事をもつて、通常ならば全く行使するはずのない損害賠償請求権を保険金請求権の前提としてのみ、行使するのは権利の濫用である。
四、被告の主張に対する答弁
被告の主張事実はすべて争う。
第三、証拠<略>
理由
一、保険契約の成立
請求原因(一)の事実は当事者間に争いはない。
二、事故の発生
請求原因(二)の事実のうち、態様の照子を振落したとある点を除き当事者間に争いなく、右争点については後記三記載のとおりである。
三、川崎奈良一の責任
(一)、免責の主張について
<証拠>を総合すると、左の事実が認められる。
(1)、奈良一は事故当時、長男である原告川崎敏夫(以下敏夫という)に手伝わせて商店等の塵埃を真夜中に収集して廻る清掃私企業を営んでいたものであるが、事故前日から事故当日にかけて、原告敏夫が帰宅しなかつたために妻である照子に前記業務を手伝わせていた。照子は以前に塵埃収集の仕事を手伝つたことがなく、事故当日が最初であり、全く不慣れであつた。
(2)、事故車はいわゆる塵芥車(清掃ダンプ)であり荷台の側壁は約五〇糎の高さの側板二枚が蝶つがいによつて上下二段に継ぎ合さり、上段柵のみでも外へ開閉できる仕組みになつており、事故当時、その上段柵が外に開かれたままで荷台の前部には重さ三〇〇瓩、容積にして荷台の下段柵のほぼ上縁に達する約五〇糎の高さの塵埃が積まれていた。照子は荷台の前部の右塵埃の上に運転台後部の鉄柱に手をかけて立つたままで乗つており、足場が不安定な状態であつた。
(3)、奈良一は照子に対し、同人が荷台の塵埃の上に立つたままで乗つているのを知りながら、何ら注意を与えていない。
(4)、事故現場は南北に通ずる幅員八米のアスファルト舗装道路で、その周辺には外灯もなく真暗であり、道路西側端より約2.5米中央寄りに横幅1.64米の鉄製ぶらんこが放置されており、それより約一米南西側にドラム罐とセメント造り塵埃箱が置かれていた。
(5)、奈良一は事故当時は夜明前で真暗であつたので、前照灯を点灯し、事故車を運転して前記道路左寄り(西寄り)を事故現場に向つて時速四〇粁の速度で北進し、右ぶらんこや塵埃箱を明確に確認せず、漠然と大きな障害物であると認識したのみで、それを避けることに気をとられ、荷台の照子に対する注意を怠り、漫然と減速もせず時速四〇粁のままで急にハンドルを右に大きく切り走行した。
(6)、奈良一は照子の事故車からの転落に気ずかず進行し、事故現場より約四〇〇米先において、照子が荷台にいないのに気ずき、引きかえしたところ、照子が右ぶらんこの南約1.3米のところに頭を南に向けて倒れていたこと。そして同路上および右塵埃箱に照子の血痕が付着していた。
以上の事実が認められ、証人奈良一の証言中右認定に反する部分は信用しがたく、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
右認定事実によれば奈良一には、事故当時、夜明け前のため真暗で外灯もない前方の見通しの悪い場所を、塵埃収集作業に不慣れな照子を不安定な事故車の荷台の塵埃の上に乗せて事故車を運転進行させていたのであるから、前方を注視すると共に荷台の照子の動向をも配慮し、転落等の危険のないように減速し、また適当なハンドル操作をして進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、道路左寄りを、前方を充分注視せず、漫然と時速四〇粁で北進し、前方の前記ぶらんこ等の障害物の発見が遅れたためにそれを避けることに気をとられ、荷台の照子に対する配慮および注意を怠り、減速もせず急にハンドルを右に大きく切つたために荷台の塵埃の上に立つて乗つていた照子を振落とした過失が認められる。
よつて被告主張の奈良一には過失がなかつたとの免責の抗弁は採用できない。
(二)、川崎奈良一の自賠法三条の責任
証人奈良一の証言に弁論の全趣旨を総合すると奈良一は事故車を所有し、運行の用に供していたことが認められ、前段認定事実に徴するときは、本件事故車は奈良一が自己の営業用のためその名をもつて購入し、運転等ももつぱら奈良一がこれにあたり、妻照子および子である原告両名の個人の用事のために使用したことはなく、事故当日照子が荷台に同乗していたが、同女は奈良一の運転を補助するための行為を命ぜられたこともなく、また、そのような行為をしたこともなかつたのであるから照子らは自賠法三条においては他人であるということができる。したがつて、奈良一には、原告らの後記損害賠償請求権が発生、行使しうる限りにおいて、自賠法三条に基づき、本件事故によつて生じた原告らの損害を賠償する責任がある。
四、原告らの損害賠償請求権の存否
(一)、損害賠償請求権不発生の主張について
夫婦および親子の一方が不法行為によつて他方に損害を加えたときは、原則として、加害者たる一方が他方に対し、その損害を賠償する責任を負うと解すべきであり、損害賠償請求権の行使が夫婦、親子の生活共同体を破壊するような場合等には権利の濫用として、その行使が制限されることがあるにすぎないと解するのが相当である。何故なら、近代法においては夫婦、親子間といえども、それぞれ独立の人格者とされ、別個の権利、義務の主体となり得るのであつてわが国の民法もこの例外ではないからである。従つて夫婦、親子間といえども別個独立平等の法的人格を有するものであつて、それぞれ特有財産を持つことができる現行法のもとにおいてはその一方が他方の不法行為によつて損害を蒙つた場合には賠償請求権が成立しないと解することはできず、当然損害賠償請求権が発生すると解するのが相当である。
このことは現実の出捐である治療費、葬式費用等の積極損害に限らず、逸失利益損害および慰藉料損害についても同様に解するのが相当である。ただし慰藉料については夫婦、親子間という特別の関係からして、その精神的苦痛は右の関係以外の者の加害の場合に比して少く感ずるものと推認されうるから通常の慰藉料額よりも減額されることがあるにすぎない。
そして、過失の程度が軽微なときは、慰藉料請求権は発生しないと考えられる場合が多いであろうが本件の如き過失の程度が軽微とは云えず、違法の程度も高く死の結果が生じた場合にあつては、不法行為が成立する限り、慰藉料請求権を含む損害賠償請求権が発生するものと解することに何ら支障もない。よつて原告両名および照子の奈良一に対する損害賠償請求権は発生しておるものであり、被告のこの点に対する主張は理由がない。
(二)、自然債務であるとの主張について
夫婦、親子間で構成している生活共同体内部の問題については円満な共同生活の維持のため共同体内部で愛情と道義に基いて自主的に解決されることが望ましく、法が外部からみだりに介入することは差控えるべきであり、実際上も共同体内部の者同士で加害行為が起つた場合は、被害者の受けた損害を相互に協力扶助義務(民法七三〇条、七五二条、八七七条等)に基づき、共同体内部の経済的、精神的な努力で解決されるのが殆んどである。
しかしながら、夫婦、親子間の共同体内部で交通事故により発生した損害賠償請求権が愛情と道義のみに基かず、しかも円満な共同生活の維持をそこねないで、法の力により解決することができる場合においては、法が外部から介入することも許されるべきであろう。
したがつて、被告の自然債務であるとの主張は理由がない。
(三)、権利の濫用の主張について
証人奈良一の証言および川崎満利子本人尋問の結果によれば事故後は原告敏夫は一人息子であるところから、事故前同様奈良一と同居しているが、原告満利子は奈良一と同居していること、原告両名と奈良一間には事故前に比べ精神的にしつくりゆかなくなり、原告満利子においては父奈良一に対し、時度憎しみを感じたり、母を返せといつて叫びたい感情におちいることがあるが、完全には親子生活共同体が失われるに至つていないことが認められる。
通常、一般社会においては、夫婦、親子間で損害賠償を訴求行使することは実際上殆んどないであろうが、それは、円満な夫婦、親子関係の破壊を恐れるためであり、権利を行使して直接保険会社に対して保険金請求という形で損害の填補を受けることは夫婦、親子の円満な関係を何ら破壊するに至らずに済むのである。
本件事故後奈良一と原告両名の親子生活関係は少々精神的にしつくりゆかなくなつていることは前認定のとおりであるが、原告両名において、自賠責保険により損害の填補をうければ、現在以上に生活共同体の円満さを増大することは明らかである。そして、原告らが、自賠法一六条一項による被害者の直接請求権に基き被告に対し損害賠償額の支払を請求する場合に原告両名の父奈良一に対する損害賠償請求権の存在を肯定することは右の直接請求権の前提にすぎず、また、運行供用者の妻や子供等を自賠責保険から除外する規定を設けなかつた自賠法の立法趣旨にも合致するものであるからかかる意味合いでの損害賠償請求権を行使すべく、原告両名が本訴請求をすることは当然許されるべく、権利の濫用とは云えない。
五、損害
(一)、照子の逸失利益
<証拠>を総合すると本件事故当時、照子は満四〇才の普通健康体の主婦であつたことが認められ、第一二回生命表によれば満四〇才の女子の平均余命は三五、九一年であるから右平均余命の範囲内において、なお二三年間は就労することが可能であつたことが推認できる。
また労働大臣官房労働統計調査部編昭和四二年度、労働統計年報によれば、昭和四二年度における満四〇才の女子労働者の平均年間給与総額は二三一、六〇〇円であることが認められ、右事実に徴すると照子は前記就労可能期間中毎年右金員を下らない収入ないしは経済的利益を継続して得ることができたはずと推認され、その生活費は年収の五〇%を超えないものと認めるのが相当である。
右事実を基礎に照子の逸失利益の本件事故当時における現価を年毎ホフマン式計算方法により年五分の中間利息を控除して算出すると金一、七四二、二一一円となる。
(算式二三一、六〇〇×〇、五×一五、〇四五=一、七四二、二一一円)
(二)、慰藉料
1 照子の慰藉料 四〇〇、〇〇〇円
2 原告両名固有の慰藉料
各 五〇〇、〇〇円
原告川崎満利子本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると本件事故によつて突然母親を失つた原告両名の精神的苦痛は甚大であつたことが認められる。しかし、財産的損害の面で通常の算定基準による補償を受けることができれば、照子を失つた精神的苦痛は全くの第三者の加害による場合に比してはるかに少いことが推認されるので、親子関係の存在することは慰藉料斟酌についての斟酌事由になるというべきである。それで奈良一と原告両名との関係が親子である点をも考慮して前記のとおりをもつて相当と認める。
(三)、身分関係および権利の承継
請求原因(五)の事実は当事者間に争いがない。従つて照子の死亡によつて前記五の(一)および(二)の1の請求権を原告両名は子として各三分の一に相当する金七一四、〇七〇円宛相続した。
六、結論
よつて被告は原告両名に対し、各金七五〇、〇〇〇円およびこれに対する本訴状送達日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四五年六月三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの本訴請求は正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担については民訴法八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(本井巽 鈴木純雄 中辻孝夫)